蒸発する水が鈍い悲鳴を上げながらコンクリートの地面をのたうつ。
 外はセミの声も聞こえない。風と砂の音だけが静かに舞っていた。

 電話線のコードは引き抜かれ、ぐるぐる巻きになって黒電話に絡み付いている。錆びついたスチールデスクの引き出しには白紙の書類が無造作に入れられ、干からびたパンくずが散らばっている。部屋の隅にはミイラ化したモグラの死骸が腹を上にして転がっていた。

 小石が転がる音が聞こえた。

 音じゃない。

 人間には感じ取れない波動。

 アタシは革ジャケットの裾をゆっくりと開け、腰に差した長物の鍔に手をかけた。
 刃が鞘の縁に当たる小さな金属音をあえて聞かせる。これで退かないなら、つまりそれだけの相手ってこと。

 割れた窓から風が吹き込んで、外れていたドアが軋みながらわずかに開いた。

「──!!」

 振り向きざまに抜刀し横一文字の太刀筋を描く。
 それよりもわずかに速く、黒光りするブローニング・ハイパワーの銃口がアタシをとらえていた。

 互いに寸前で止める。

 逆光の中に、汗と砂塵で煤けたしっぽ髪が揺れていた。

「日本<こっち>に来るなり、休む間もなく仕事ですか。ご苦労なことですね…『加持先輩』」

 また風が吹き、開け放たれていたドアが壁に張り付くようにして閉まった。

 加持さんはようやく緊張を解いて銃を下げた。
 アタシもそれに従って刀を下ろす。

「アスカか。まったく、驚かすなよ」

「わかってたんでしょう?アタシのことも」

「まあな。だが、そんな物騒なものを持ち出してくるとはさすがに予想外だったぜ」

 刀の切っ先が床を撫で、耳障りな金属音が壁を疾った。
 横浜で潰した族から頂いてきた奴ですよ。鞘に刀を収め、ジャケットを被せて握りを隠す。背後から見れば、鞘が尻尾みたいに地面を引きずるはずだ。

「どうです、それなりにカッコはつくでしょう」

 いやはや、つきすぎて怖いくらいだぞ?
 苦笑しながら加持さんも銃を収めた。

 皮が破けて中のスポンジとスプリングが飛び出している事務椅子に腰掛け、空っぽの引き出しを机に押し込む。
 加持さんは壁に背をもたれ、汗で貼り付いたシャツを緩めて扇いだ。

 砂蟋蟀がアタシと加持さんの間をのそのそと通り過ぎていった。

「ここにはそいつを取りに来たのかい?」

 ええ、そうですよ。
 あごの裏にできたニキビを爪でいじる。
 加持さんも何かの調査で来ているのだろうが、アタシの興味を引くことではない。

 沈黙が砂に乗って流れていった。

 ダムで沈んだはずの奥多摩の村も、今はこうして干上がり太陽に炙られる荒野となっている。これでサボテンでも生えてたら完璧なんですけどね、笑いながら黒電話の受話器を上げて再び置く。懐かしいベルの音が鳴った。何度か鳴らしているうちに不発が出て、アタシは間抜けな笑い声を上げた。
 モシモシ坂下さん?応えの無い受話器へ向かって叫ぶ。スピーカーはアタシの声を電気信号に変えてくれるが、肝心の電波はケーブルから飛び立てない。

 笑いながら、馬鹿な自分が無性に幸せに思えてきた。空は抜けるように青い。インパクト前の東京の空は、いつも白く淀んでいたとママが言ってた。それはドイツの空も同じく。ヨーロッパはもはや命の枯れ果てた死の大陸だったと、前世紀は言われていたそうだ。

「俺もガキの頃はさんざん無茶したもんだが、今のアスカみたいな感じじゃあなかったな」

「加持さんの頃は、セカンドインパクト直後で毎日を生きるのに必死だったんでしょう。アタシなんてただのヤンキー気取りの堕落したクソガキですよ」

 足元の小石を踏み潰す。石だと思ってたのは砂の固まりで、あっけなく崩れて散らばっていった。

「持ち合わせのやつで良かったら譲りましょうか?ミサトにコッソリ盛ってみるのも面白いと思いますよ」

「いや、遠慮しておくよ。女性を騙すのは俺のルールに反する」

「ふふっ、まあ、そうですね」

 本当のところは違うでしょ、アタシは胸の中で呟いた。
 アタシがドラッグに手を出したのは、ひとつにはミサトへの当て付けがあった。

 いつか派手に泥酔してアタシに語ったことがある。葛城ミサト、彼女は葛城調査隊のリーダー葛城トオル博士の娘として、南極でのセカンドインパクトを目の当たりにしていた。氷の大陸を蒸発崩壊させたインパクトの、唯一の生存者。南極で見た光景の衝撃に心を壊され、少女時代をずっと精神病院で過ごしたと。
 治療のための過度な投薬のおかげで薬に依存してしまい、克服するのに相当の苦労をしたと言っていた。もっとも、代わりに酒呑みになってしまったんだからなにをいわんや、だが。

 あの女の半端な偽善と頑なさ、そしてそれに相反するはずの人付き合いの軽さ。
 紙みたいに薄っぺらい。
 歯がゆかった。
 あんな汚い人間でも、アタシより強い力を持ってる。アタシの『世界』を呑み込み奪ってしまう。

 何を恐れる?

 そんなわけだ。

 考えてみれば愚かな話だ、もちろんアタシが。
 だが、むしろ望むところじゃあないか、とも思う。きっかけがどうあれ、今のアタシは今この時の生き方をしている。それがどうした?そんなことは取り立てて言い張ることでは無いしましてや自慢することでもない。
 内ポケットからパーラメントの箱を取り出す。
 胸の中で呟く使い古された文句に冷ややかな笑みを送る。

 何の話だったかな。

 バカシンジは今頃、またぞろマナと綾波と3Pでもしてるのか。
 あの魂の抜けたようなアイツのバカ面にアタシは自分の影を見る。

「シンジ君といえば、レイちゃんの部屋にいっしょに住んでるそうじゃないか?羨ましいぜ、俺の14の頃なんて男所帯でむさ苦しいったらなかったぞ」

「アイツのことは気にしないでください、なんか悟ったようなことほざいてますけどただの薬中の変態野郎ですから。御殿場の米兵とホモって小遣い貰ってるようなバカタレですから」

 心が欠けるどころか、八割がたがゴッソリ抜け落ちてるようには見える。

 だけど、そんなアイツに傾倒していた事もまた事実だ。
 それがやりきれない。アタシはアイツを慕っていた。過去のことだ。いや、今でも変わらない。慕っているからこそアタシは許せない、変わろうとしない前に進もうとしないアイツを。

 いや、むしろ変わらずに同じところに留まり続けていられるアイツが羨ましいのかもしれない。

 石造りの小部屋でアタシは瞑想する。

 自分の冷静さが怖いくらいに爽快だ。
 この状態を常に維持できたら、それはさぞ素晴らしいことになるだろう。エヴァに乗れば、歪みや淀みの無い完全なシンクロを実現できるかもしれない。

 とてもではないが無理だ、とはわかっていてもだ。

 目を開けた時には加持さんの姿はもう無かった。
 アタシも建物を出る。

 窪地にぽつんと建った水道局の事務所。実態は、マルドゥック機関がダミーとしている108の企業のうちのひとつ。アタシの親父も構成員に名を連ねていた。ドイツが誇る精子バンクへの登録ができるような、『優秀な人間』ってほどの男がだ。

 ママが死んでから、アタシは日本で親父の家に引き取られた。徳川幕府の時代から続く金貸しの大家だそうだが、アタシにとってはひび割れた歌舞伎人形にしか見えなかった。どんなに家柄が『由緒正しき』ものだろうが、あの男は金と女と権力欲に溺れた腐った豚でしかない。
 幼少のアタシをNERVに差し出し、身の程知らずにもSEELEに近づこうとしていた愚かな男。仮にも妻と呼んだ女を見殺しにしても。
 その程度だ。

 アタシは刀を構えて鋭く抜き放ち、目の前の虚像を斬った。

 クソ親父。

 長尺2尺8寸の和泉守兼定が虚空を切り裂く。刀身は現代刀らしく特殊鋼合金製だが、刃は焼き入れされている真剣だ。蛇革の握りが手によく馴染んでいる。

 コイツが人間の生き血を味わったのは、アタシの手に渡ってからのことだけだ。
















 第3新東京市の外れに、粗大ゴミに埋もれかけた公営住宅が立ち並んでいる。アタシはその一角にあるテルオの家の玄関先にFXを停めた。赤はダサいとキョウジは笑っていたけど、弐号機と同じ色のカワサキZ750FXはアタシのお気に入りのひとつだ。キーホルダーは猿のぬいぐるみ。

 ミサトと同じコンフォート17に部屋があてがわれているが、アタシはこっちに仲間たちと溜まっていることが多い。

「なによ、キョウジ達ぁ居ないわけ?」

「う、うん。新歌舞伎町の『クラーク』に行くって」

「ったく。まあいいわ、それよりコイツ」

 ジャケットの下から刀を抜くとテルオは腰を抜かした。もともとこいつはそんなに気が強くない。キョウジとは同じ小学校だった縁で付き合ってる。アタシは鞘の先でテルオの肩を叩き、傘立てを部屋の端へ置いて刀を立てかけた。日本刀の中でもかなり長い部類に入るコイツは優に1メートル以上の刃渡りを持つ。どうせなら豪華な飾り台を用意してやりたい。床の間の置き物にされるのはまっぴら御免だろうが。

「あ、そ、それ、持って来てたんだ」

「まあね。あのまま錆び付かせちゃうのも勿体無いっしょ」

 床にあぐらをかき、ウイスキーを持ってくるよう言った。
 テルオはすぐにキッチンに走り、コップと酒瓶を抱えて持ってきた。

 こいつの家は両親が夜逃げして、中学1年の時から一人暮らしをしている。心配したキョウジが自分たちのチームにテルオを誘い、仲間といっしょに暮らすようになった、と言っていた。アタシと出会う前のことだ。

「なに黙ってんの、アンタも飲みな」

 コップを突き出す。テルオは遠慮がちにちびちびと飲んでた。
 アタシは瓶に口をつけていっきに呷る。舌と喉が灼けそうになる辛味が旨い。

「あの、キョウジくんのことなんだけど」

「ん?」

「シンジ、っていたじゃん。去年アスカさんとよく話してた」

「そんなこともあったわね」

 正座して俯きながら話すテルオは姿勢を直して続ける。

「キョウジくん、シンジをやっちまうってすごい怒ってたんだ。こないだの使徒が来た時、アスカさんを危ない目に遭わせたからって」

「あぁ?あん時、ありゃあマユミが腹に使徒抱えてたからでしょうが。下手にこっちに来られた方が危なくて仕方ないわ」

 驚いて顔を上げるテルオを後目に、アタシはウイスキーをもう一口胃に流し込んだ。

「口実よ、口実が欲しいのよあいつは。んなめんどくさいことしなくても、ひとりで特攻かけてろっつの」

 キョウジ程度じゃ返り討ちに遭うのがオチだ。シンジ、アイツをやれるのはこのアタシしかいない。まあその時はその時で考える。瓶を床に置いて寝転がった。染みだらけの天井を眺める。隅の方に焦げた跡があった。ボヤでも出したのか。

「気にするこたないわ。シンジのことはアタシが何とかする」

「ごめん」

「アンタが謝ってどうすんの。馬鹿はキョウジだから」

 弐号機も届いたことだし、アタシもそろそろNERVに行かなきゃならない時間が増える。こいつらの面倒ばかり見てもいられない。

 シンジだけじゃない、あいつとつるんでるマナやムサシのことも問題だ。なによりシンジはアタシと同じチルドレン、NERVに行けば嫌でも顔を合わせるし、使徒が来ればいっしょに戦うことになる。

 あーうざい、かったるい。テルオ、アタシの相手しな。
 胸元をはだけながら言うとテルオは真っ赤になって首を横に振った。

「ははっははははは、なに本気にしてんの。冗談よ」

 アタシとタメだってのに、ほんと、子供なんだから。
 寝転びながらもう一口酒を飲む。こぼれた粘っこいアルコールが首と髪を濡らす。べとついた髪が床に広がって埃を吸い集めてた。

 泥だらけの汚れた街。

 そこに住む人間。ゴミに埋もれてわずかな稼ぎで日々を食い繋ぐ。娯楽なんて無い。社会の歯車にすらなれない。

 だからといって施しをするのは、それは持てる者の傲慢だ。

 幸せって何だ?

 アタシは寝返りを打って起き上がるとテルオを抱き込んだ。
 あ、アスカさん!?
 大人しくしてな。ちょっとだけ。
 冷たい床が素肌に触れる。
















 ゲーム機にコインを投入し、ヘッドレストのスピーカーから放たれる爆音に身を委ねる。

 チンケな液晶画面にはアルプスの大渓谷。地平線の向こうに青く澄んだ地中海、湾の奥にはイタリアの石造りの町。

 スタートと同時にアクセルを床まで踏み切る。激しいホイールスピン、回転計の針はレッドゾーンへ飛び込みエンジンが悲鳴をあげる。右足と左足そして右手ののコンビネーションで鬼のような超速シフトアップ。速度は200キロを軽々と超える。

「気合はいってるねマナ」

 シンジの声を聞き流しながら私は左カーブの先の橋へ向かってステアリングを切り込む。イタリアが誇る跳ね馬は稲妻のような切れ味で路面を貫く。

 記録されたファステストラップに従いゴーストが現れる。
 先週私が出した記録だ。今日は更新できるかな。

 F40やエンツォよりも私はテスタロッサの方が好き。F355も捨てがたいけど。色は黒。このゲームには色選択がなくて赤しか選べないのがちょっと残念。
 知ってる?フェラーリの赤って、血の色なんだってさ。
 テスタロッサのフラット12エンジンが甲高く吼える。12気筒だよ、水平対向12気筒。12亀頭じゃなくって。12本もあったらえらいことだ。正確には180度バンクのV型なんだっけ?

 270キロオーバーから慣性ドリフトに持ち込む。白い砂浜がまぶしい。
 青い海、お、帆船がいる。いいなあ。イタリアのきれいな海で泳ぎたい!
 サイドシートの女が腕を振ってはしゃいでる。こんなスピードでよくもまあ。やっぱフェラーリの横に乗る女なんて馬鹿ばっか。私も人のことは言えない。
 最後の直線でゴーストをぶち抜いてゴール。でもポイントではわずかに更新ならず。このゲームの主人公らしい赤シャツの青年が彼女を抱きかかえてギャラリーにアピールしてる。どこのボンボンなんだか。

 『MANA20euME』。
 ネームエントリーにいつもの名前を入力し、続けてもう一枚コインを投入。再挑戦。

 ジュース買ってくるよ、と言ってシンジは向こうの自販機の方へ行った。
 私は再び集中を高めてステアリングを握りなおす。
 画面が切り替わる瞬間、黒い画面に反射した不良の集団がこっちを見ていたような気がしたがすぐに忘れる。

 やっぱフェラーリ最高。

 3つ目のチェックポイントを過ぎたとき、聞き覚えのある声がした。

「っからよぉ!このオレならムサシだろーがシンジだろーがコレよ、コレぇ!!」

「アハハ、ほんとぉー?」

「そのバンソーコーなによ、カワイー」

 キョウジくんか。女連れでまあよくやる。だけどその言葉は聞き捨てならないな。
 スピンターンでテスタを止め台を降りる。

 ちょうどシンジも戻ってきた。

「ミユキー、ナぁニやってんよこんなトコで?」

「あっ、ま、マナ…さん!?」

 私に気づいたミユキは慌てた様子で姿勢を正す。

 うふふっ、調子よさそうじゃん?ヒトミもリョーコも。あなたたちいつの間に付き合ってたのぉ?
 ポケットに手を突っ込んでキョウジを見上げる。
 垂らしたドレッドがかすかに揺れた。

「それよっかー、『キョウジくん』さっきなんて言ってたのかなぁ?」

 紙コップのジュースを持ってきたシンジを後ろ手で制する。
 シンジもキョウジたちに気づき、表情を引き締めながらコップをゲーム盤の上に置く。首もとのペンダントが音を立てた。

「フン…文句あっかよ?NERVだかなんだかしらねえが、シンジにだきゃーこの第壱中でデケェ面ぁさせねえってんだよ」

 ふーん。そんで御殿場中<ウチ>のコたちとつるむんだぁ。

 騒ぎ立てるゲーム機と気づかないふりをする客たち。昼間から学校をサボって遊んでる中学生高校生がほとんどだ。
 格闘ゲームの操作盤に腰掛けスティックをいじる。
 聞いたよぉ?ムサシに5発でやられたって。
 歯軋りの音が聞こえた。

 ラッキーストライクを指に挟んで顔の前にかざす。ミユキたちは何も言えずに固唾を飲む。
 シンジぃ、今からZでどっか出ない?退屈だよー。

 携帯を取り出してムサシにコールする。
 あ、ムサシぃ?今さ、新歌舞伎町のゲーセンなの。そうクラークよ、フォーカスの隣。今から来れるぅ?そうZでよ。わかったぁ、そんじゃねー。
 待ち受け画面にはデザートイーグルが鈍く輝いてる。
 どーしたのキョウジくん?やっぱりアスカさんがいないとなーんにもできないのかなあ。

 風が吹いてゲーム機の画面が陥没した。ガラスの破片が散って、ぶつかった椅子と灰皿が床に転がった。私は目を細めて振りかかるガラスの雨をやり過ごす。

「なに『熱くなって』んだよ?いつも綾波が言ってんだろ?キレたら負けだってな」

「ぐっ、シンジテメェ…」

 アスカさんが怖いの?腕をつばぜり合いさせながら睨みあうシンジとキョウジを後目に、咥えたラッキーストライクに火をつける。
 ミユキが慌てて灰皿を私の横に持ってくる。わざと灰をふりかけてやった。
 笑いがこぼれる。

 退屈だ。

 ときどきこんな気分になる。

 シンジと『レズる』のも、最近はあんまりやってない。それよりも、シンジが欲求不満になってないかということの方が気になる。鈴原くんや相田くんとも付き合うようになってるし、こっちに来てからムサシと会う機会も減ったし。シンジのお父さんなんだっけ、NERVの碇司令。私から見てもなかなかいい男。綾波さんが惚れるのもわかるなあ。一途なひとって素敵だよ。

 そうだよね、『シンジ』?

 あざやかなアーチを描いて振り下ろされたシンジの拳がキョウジくんのテンプルを貫く。バチっと電撃の音がして、青い閃光を放つスタンガンが宙を舞い床に転がった。
 あーあ、そんなもの持ち出さないと勝負できないの?
 椅子に埋もれたキョウジくんはすぐには起き上がれない。

 さっき私を見ていた不良集団、よく見れば御殿場の帝陽学院高校の連中だ。第3にもよく来てるみたい。
 元気いいな坊ちゃんよぉ。
 横殴りに襲う木刀を紙一重で交わすとシンジは腰の入ったフックをぶつける。こうなったら手付けられないよ。スイッチの入ったシンジってマジ強。

 そうだよね、こんだけ暴れれば。
 『御殿場中の碇』って名前が広まるのも当然かな。でもなんで私まで数えられてんだろ。

 大方片付いたところで私はヒトミに目配せしシンジの浴びた返り血を拭かせる。
 肩で息をしながら戻ってくるシンジを私はいっぱいの笑顔で迎えた。

 おつかれさまー。

 トイレの洗面所で顔を洗い外に出ると乾いた太陽の光と街の写真が見えた。ゲーセンの店内を振り返る。しばらくこの店には来れないかな?
 店の前に座り込んで煙草をくゆらせる。
 男がシンジひとりに私たちが侍る。ハーレム?そんなのシンジは興味なさそうだけど。
 私はミユキに飲み物を買ってくるように言った。たまには自分で買えよ、とシンジが言ったけど、私は笑ってごまかしちゃう。
 缶ジュースを抱えて戻ってきたミユキにほらご褒美、とハイライトメンソールを投げてやる。慌てて受け取る彼女の右腕には今も大きな傷跡が残ってる。去年私が斬ったやつだ。まあ、おかげでハクがついたんだからいいでしょ?
















 本部へ向かうモノレールでアスカと鉢合わせた。
 紀伊半島沖に使徒が出現したという知らせに非常召集を受け、僕たちはNERV本部へ急ぐ。

 第3新東京駅を出てからジオフロントに降りるまでの間、僕たちは一言も口を利かない。目もあわせない。
 ただ鋭く重い緊張だけが車内に満ちていた。

「リツコ!!『例のモン』用意ぁできてっわね!」

 ケージに着くなりアスカは発令所に向かって怒鳴った。

 ええもちろんよ。
 リツコさんはあくまで冷静に返す。

 ミサトさんは既に移動指揮車で現地入りしているそうだ。初号機と弐号機はリニアレールで使徒の上陸予想地点である旧藤沢市跡に射出される。

「シンジ見てな、アンタに本当の戦いってモンを見せてやるわ。しっかり目に焼き付けんのよ」

 弐号機は長大な日本刀を携えている。
 マゴロク・エクスターミネートソードといって、もともと初号機用に開発されていたのだがコンピュータによる機動制御がうまくいかずに放置されていたものだという。

 はるか先の海面が隆起し使徒の巨体が現れた。エヴァの身長よりもずっと大きい。1.5倍はある。

 僕はパレットライフルを構えた。
 レーダースクリーンに接近する使徒の影が映る。速い。距離が2000メートルを切る。

「攻撃開始!!」

 ミサトさんの凛とした声が響いた。
 初号機の火器管制システムが使徒をロックオンし、腕に射撃動作が伝えられるむずがゆい感覚を味わう。吐き出される砲弾が次々と海面に吸い込まれて水柱を上げた。使徒はすかさずATフィールドを張って防御し、足が止まる。

「いけるっ!アスカ今よ!!」

 ビルを踏み台にして弐号機が使徒に踊りかかる。鋭く刀を抜き放ち、棒立ちしている使徒は腹の辺りから真っ二つにされて上半身が転がり落ちた。

 やったか?…いや、まだだ。

 海面に腹を出して痙攣するように動いている使徒の上半身に弐号機は刀を突き立てる。突っ立ったままの下半身を蹴倒して足蹴にする。
 絞り出される血が海面に広がっていき、波に揉まれて泡を立てる。
 吐き気を誘う生臭さが漂ってきた。エヴァも匂いは感じられるらしい。

「どーしたのよもう終わりぃ?根性ないわね」

 アスカの言葉と共に海面がはじけた。
 使徒はそれぞれの半身を急速に再生させ、二体の同じ姿になった。色は黄色と灰色。背丈は縮んだが格好はそのままだ。

 二人とも気をつけて!来るわ!
 ミサトさんが叫ぶ。
 弐号機が黄色い方の使徒の顔面を掴み上げて海底に叩きつける。水柱が血の色に染まり、海面が激しく沸き立った。僕は灰色の方をライフルで撃つ。肉片が飛び散り、それでも使徒の体はすぐに再生してしまう。

「どうなってんだこいつら!?」

「クックックッ、分身たぁ面白いことやらかすわね。こいつらは二身一体。つまりぁどっちか片っぽにダメージを与えても、すぐにもう片方がそいつを回復させるってな寸法よ」

 弐号機の掲げる刀に黄色の腹が貫かれているが、傷口はすぐにふさがって刀を押し出してしまう。いったん銃撃を止めると灰色もすぐに立ち上がり、二体が揃って向かってきた。

「シンジ君!アスカ!コアを狙って!!」

 っかってーわよミサトぉ!!
 咆哮と共に弐号機が刀を振る。切り落とされた黄色の右腕は空中で再びくっつき、また元通りに再生する。太刀筋はたしかにコアをとらえていたが、それさえもすぐに再生してしまった。

 このっ、近寄るなッ!
 パレットライフルの掃射で灰色を足止めするが押し切られてしまう。

 黄色に捕まって投げ飛ばされた弐号機が初号機の背中にぶつかって、二機は折り重なって倒れた。飛んでいったマゴロクが海面に突き刺さる。

「テメェらみてーなクソ虫が…っ!!」

 起き上がろうとした弐号機が再び突き飛ばされ、ビルに突っ込む。崩れた瓦礫が弐号機を海に沈めた。

 アスカ!!
 僕は初号機を立ち上がらせプログナイフを装備した。ライフルは落として海に沈んでしまった。拾っている余裕はない。
 黄色にナイフを突き立てるとすかさず灰色が後ろに回りこみ、初号機の両腕を掴んで強引に投げ飛ばそうとした。僕は力任せに灰色を振りほどき、そのまま頭を掴んで黄色に叩き付けた。お面のような形をした使徒の独特な顔面が潰れ、鮮血が噴き出す。

「どけぇっシンジぃ!!」

 弐号機が突っ込んでくる。とっさに機体を倒して回避するそのギリギリを弐号機はすり抜け、二体の使徒をまとめて蹴り飛ばした。建設中だった高速道路の橋脚をなぎ倒して黄色と灰色は折り重なったまま海底に叩き付けられ、大量の海水と共におびただしい肉片が空中に舞い上げられた。

「誰がぁッ!!虫ケラだってェ!?これか、この口か!?コラぁぁッ!!
知ってんのぉ…?蛇の口ってよお、骨が繋がってないのよ…。テメェの身体よりでっかいエモノを飲み込むためにね…
カカカ…クソ使徒よぉッ!!テメェらの口でッ!!このアタシを喰えるのかぁぁぁぁッッ!!!」

 再びマゴロクを構える。
 中段の構えを取る弐号機の関節部から青い体液が漏れ、紅い装甲を禍々しい黒紫に染めている。機体のダメージは思いのほか大きい。

「アスカ!撤退よ、下がって!UNがN2爆雷を投下するわ」

 ミサトさんの声もアスカにはもう聞こえてない。だけど上空にやってきた爆撃機の姿は僕にも見えた。黒い鳥だ。漆黒の怪鳥。
 弐号機は空高くを悠然と飛ぶ爆撃機を刀で指して見せた。
 テメェら如きがこのアタシをやれるのか。
 海面が再び沸き立ち、二体の使徒がむっくりと起き上がる。

 横一文字に振り払ったマゴロクが黄色と灰色を同時にとらえた。両断されたコアがぶくぶくと泡を吹き、再生がうまくいってない。弐号機は刀を投げ捨て、形を崩れさせていく灰色のコアを鷲掴んで握りつぶした。寄りかかってくる黄色の顔面を拳で撃ち抜き、割れた頭部から油のような脳漿が流れ出てきて弐号機の腕を染めた。

 こちらレッド1、これより目標への攻撃を開始する。

 突然、UNの戦闘機隊の通信を初号機が傍受した。僕たちに構わず撃って来るっていうのか!?

 まばゆい太陽光のハレーションを振りかざして踊りこんでくるF/A-18スーパーホーネットの翼からハープーン対艦ミサイルが飛び立ち、弐号機のすぐそばの海面に着弾し水柱を高々と上げる。降りかかる海水に弐号機の血まみれの機体が洗われていく。

 シンジ君アスカを止めて!!
 僕は動けなかった。ただ見ているしか出来ない。
 ただ、アスカが笑っていたような気がした。

 弐号機のウェポンラックが開き、ニードルガンが放たれた。飛び出してきた弾丸そのうちの一本が戦闘機隊の一機を直撃し、アルミ箔のようなきらめく金属片が弐号機の周囲を舞った。機体が海面に落ちても、パラシュートはどこにも開かない。
 やがて黄色も灰色も倒れた。

 終わった、そう思った直後に空が光り、N2爆雷が僕たちごと第7使徒イスラフェルを完全に焼き尽くした。
















 目が覚めると辺りはパステルカラーの花でいっぱいだった。
 よく見るとそれは造花で、僕は上質の生地をふんだんに使ったベッドに寝ていた。

 頭の中ではまだイスラフェルの脳漿がうねっている。ひまわりの種を絞って油をとるんだ。鯨の脳みそには油が入ってるんだぜ、脳油ってな。そいつで海底3000メートルの水圧に耐えるんだ。
 エヴァはいいよな、ATフィールドがあれば何でもできて。
 加えて1万2000枚の特殊装甲だ。
 こいつこそまさに『無敵』だろ?

 そうだよな、アスカ。

「ぐだぐだ言ってんなぁシンジぃ!!」

 いきなり振り下ろされた拳が腹にめり込み僕は声にならない呻きを上げて悶える。

 アスカの話によると僕たちは5日間の謹慎処分を喰らってこの部屋に放り込まれたのだそうだ。前回僕が入れられた独房と違って、ちょっとしたホテル並みに設備が充実してるのはミサトさんのせめてもの情けだろうか。というか、今回はUN<向こう>にも問題があるだろ。

 そういえば、ウィルは元気にしてるんだろうか。
 使徒戦でダメージを負ったオーバー・ザ・レインボーは新横須賀にしばらくとどまるらしい。てことは、もうすこし長くこっちにいられるのかな。
 また遊びたいな…。
 あぁ?何のことよ。
 ベッドに腰掛けたアスカはオイルライターでいつものパーラメントに火をつける。

「ウィルだよ。あいつ元気にしてっかなって。こないだラミエル来る前に遊んだっきりで会ってないから」

「あの鬱男ね」

「それ本人の前で言うなよ、ああ見えてすげえ繊細なんだからな。今ぁだいぶ落ちついてっけどよ、一時期ぁ酷かったんだぞ?ナイフ持ち出して自分の胸刺そうとするしよ、皿やら椅子やら放り投げてよ。薬は今も手放せないみたいだな」

 ふん、とアスカは鼻を鳴らして煙草を一息喫う。吐き出しながら言葉を続ける。

「アンタのいちばんの『お得意様』なんでしょ?」

「そういう言い方すんなよ」

 僕も煙草を喫おうと思ってポケットに手をやったが無かった。アスカに分けてくれと頼むのは怖くてできない。

 ほらよシンジ、綾波から差し入れ。
 アスカが投げてよこした小箱には葉っぱの喫煙セットと黄色いカプセルが入っていた。こいつはこないだマナが言ってたMBDBか。わざわざアメリカの『業者』から取り寄せて。向こうも今は大事な『産業』だからな。僕も世界を構成する一部分ってことだ。しかしこの密室に二人きりというシチュエーションで下半身に効くクスリをよこすとはどういう神経だ。どっちにしろ僕にはあまり意味がないが。まさか、アスカに襲いかかって返り討ちにあって死ねということか?だとしたら恐ろしい。

 ベッドに座り、壁に背をもたれて喫うと身体が沈んできた。昂ぶっていた感情が平坦に、虚脱感とは違う心地いい無力さが僕を包んでいく。漂う煙を眺めていると飽きない。煙に覆われたアスカが白髪の老婆に見えてクスクスと笑う。

 笑ってんなよシンジぃ?
 おお怖い。

「アスカ腹減らないか?っつーか今何時?」

「知らないわ」

 アスカは冷蔵庫を指さす。
 適当に食えってことだ。僕は卵と牛乳を取り出すと台所へ向かいオムレツを焼いた。バターが無かったのがすこし残念だ。

 ベッドに寝転がってバスルームから聞こえてくる水音に耳を傾けていると綾波の部屋を思い出す。

 僕は寝返りを打って、丸めた毛布を抱きしめた。目をつぶってリリィさんの店を思い浮かべる。ウィルがこっちをみて微笑みかける。僕は彼の隣に座り、無邪気な幼児のような笑顔を浮かべてグラスを差し出した。
 小さい頃に親が離婚して親戚に預けられたんだと言ってた。僕と似てる境遇だ。両親が不仲で彼自身も虐待を受けていて、そう話す彼の表情は痛いほどに切なかった。僕はウィルの胸をさすって、大丈夫、僕がいるからと彼を慰める。僕はいつでも君の味方だって。
 ドムがウォッカを呷りながら歌ってる。僕もいっしょに口ずさむ。
 シェリーさんは昇進試験の勉強で忙しいんだそうだ。士官学校出のエリートとただの兵長じゃ身分が違いすぎるかい?
 僕はどうなんだろう。パイロットって尉官待遇が普通だそうだけど、NERVってその辺どうなってるんだろ。士官はミサトさんか。勘弁して欲しい。

 裏切られて初めてわかった気がするんだよ、俺が本気で心を許せるのはシンジなんだって。なぁ、俺好きだよ。本当にシンジのこと好きなんだ。

 ベッドの中で聞いた彼の言葉を僕は忘れない。
 傷ついたり苦しんだりすんのはたいてい自分の方に原因があるんだよ。ぶっちゃけて言やぁテメェが弱ぇからってことだな。
 僕は目頭を熱くしてムサシに抱かれる。
 弱いのか。僕は弱いのか。呼吸が速まって吐き気がしてくる。
 弱い人間は生きてる資格ない、殺されたって文句は言えない。その前に僕の方が死んじゃいそうだ。

 死んでたまるかよ。

 そうだろ。

 だから僕は走る。
 どこを目指すかはわからない。ただ、強く生きたいから、それだけの思いで。

 僕の気持ちはどこにあるんだろう。僕の想いは誰に向けられているんだろう。
 ウィルとはかれこれ1年近い付き合いだ。
 最初はマナに手を出そうとしてた嫌な奴、という印象だったが、話すうちに純粋な奴なんだとわかって、それからはどんどん親しくなった。
 彼を思うと胸が熱い。それはなんていう感情だろう?
 誰かを愛したいから。
 愛し合ってないと不安で壊れそうになるから。
 愛ってそんな安っぽいものか?

 違うだろ。

 僕が欠けているから、僕の中の誰かが求めてるから。どこまでも。何度でも呼びあいたい。それで心が近づくなら。僕は誰かを愛したい、慈しみたい。それが僕の価値ならな。

 マナ。綾波。アスカ。ムサシ。ケイタ。鈴原。相田。

 みんなが愛しい。
 馬鹿、クソ。一晩もたたないうちに禁断症状か?そのうち慣れてはくるだろうけど。ああ綾波、どうせならサイレースあたり持って来てくれればよかったのに。寝てれば少なくとも暴走して間違いを致すことはないだろ。

 いっそアスカに犯されてみたい。ディルドーつけて。

「シンジ、綾波から聞いたんだけどアンタ、胸おっきくなってんだって?」

 綾波、なんでもべらべらしゃべるのはやめてくれ。

「まあな、自慢できるほどじゃないけどさ。見てみる?」

「ぜひとも」

 シャツをまくって胸を見せる。揉めばたしかに柔らかい。だけど、一見すれば大胸筋が盛り上がってるだけのようにも見えなくもない。見てくれが男だから、初めから胸なんてあるわけないって先入観があるから。だからみんなの前で着替えてても特に怪しまれない。

「ふーん。よくもまあやるもんね。ホルモンだっけ?あれって毎日飲むの」

「ああ、リツコさんから出して貰ってるよ。経口の他に注射でやるやつもある。これは週イチだ」

 なるほどねぇ。
 気の抜けた返事をしてアスカはベッドに寝転がった。

 シンジ注射もやるってことはさー、静注やれるってことよね?

「おいおい冗談はよせよ」

「なによ、今更ビッてんの?向こうじゃあ簡単に手に入るわよ、そっち方面に知り合いもいるし。試しに25ドルで一発どうよ?」

「まあ興味なくもないけどさ…いいよ今は」

「とりあえずキープぁしといてやっからね。ありがたく思いな」

 ありがたくないだろ全然。
 たしかになあ、今はどこ行ってもS、S、Sだもんな。紙はないのか紙、って、あちこち交渉して回ったのは懐かしい思い出だ。

 Rも捨てがたいけどねーあの男なら大量に持ってんっしょ?
 R?ああリタのことか、変な略し方すんなよ。
 だけっどさ、アンタ前にヘロイン打たれてたでしょ。やっぱ基地ぁいろいろ揃うのかしらね?
 やめてくれ思い出したくない。

 蛍光灯がチリチリと点滅している。50ヘルツの交流電気だ。しばらく見つめていると視界から色が失われて、青く凍り付いていくんだ。紫外線に目がやられてるんだよ。電極から2万ボルトの放電を起こして、水銀に反応させて光を出すんだ。放射線も出るんだ、だから蛍光灯の光って身体に悪いんだぜ、外に出て太陽の光を浴びよう。

 アスカもウィルのことは知ってるだろ、だからな、察してやってくれよ。

「わぁってるわよいちいちうっさいわね」

 壁を撫でると黒い手形がついた。
 ナぁニよきったないわね、手ェ洗ってんの?
 知らないよ、いつもいつの間にかついてんだよ黒くなって。どこでくっつくんだろ。

 僕は洗面所で手を洗った。
 鏡の中の自分の顔を覗き込むと拡大した瞳孔が目に付いた。

 眠い。

 寝よう。

 夢の中で古い廃校に行った。
 プールのシャワールームで赤錆混じりの水を浴びる。
 ここに来るのが僕の目的だった。アスカと二人で段ボール箱を抱えてせっせと運び出す。太陽がカンカン照りで、運動場を歩くと汗が吹き出た。

 僕たちは運び出した荷物を貨車に積んで列車で旅に出る。

 風に髪をなびかせながらアスカは僕を見つめていた。

 峠を越えると荒野が広がっている。本当に日本なのかどうか怪しいが、別にどうでもいい。線路端の低木が風で鳴いてる。
 地平線の向こうに赤い海が見えた。
 列車は地獄へ向けて突き進む。

 結局、そこに戻るしかないのか?

 列車が着いた砂浜で、僕は段ボール箱を開けて中に詰めてあった十字架をせっせと建てていく。アスカはいつの間にか姿が見えなくなっていた。綾波、手伝ってくれよ。

 日が暮れて、空が赤く染まった。

 やっぱりここに戻るしかないのかな。
 すべては赤い海から始まり、赤い海に終わる。

 波の音がいつまでも繰り返していた。
















 目を覚ますと僕は汗だくで、下半身を真っ裸にして寝ていた。

 脱ぎ捨てたパンツはどこに行ったか知れない。
 この時ほど、僕は自分を殺したいと思ったことは無かった。


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