薄暗い部屋で目を覚ますと、綾波が台所に立って紅茶を淹れていた。

 僕はベッドに寝転がったまま部屋の中を見渡す。二人の男の影が見えた。

「碇くん、アスカとはあまり話さない方がいいわ。彼女、横浜のチンピラとつるんでるのよ。ヤクザにも目をつけられてるって話だわ」

 テーブルに二つのティーカップを置いた綾波が僕を見下ろす。鈴原と相田は丸椅子に座ってテーブルに向かい、湯気を立ててる紅茶をすすった。

 綾波の怪我はもうすっかりよくなっていた。

「中一の時の知り合いってだけだよ」

 せやせや、あの頃は大変やったんやで、惣流が御殿場中の不良と付きおうとるって噂が流れてのう。鈴原の言葉に相田が頷いた。それって僕たちのことだよなあ。僕は寝返りを打って彼らの方に向き直った。
 学校にもなかなか顔出さなくなってさ、持ち物検査でクスリ見つかってえらい騒ぎになったんだぜ、うちの学校から薬物濫用者が出た、って。相田は目を丸くして、僕は一年前のアスカを思い出してた。山岸が転校していってしばらくたってからだ。東名高速のガード下で、制服を泥だらけにして泣いていたのを覚えてる。最初に声をかけたのは誰だったかなあ、ケイタだったかな?

「そういやセンセ、今日はあの霧島とかいう女はいっしょやないんか?」

 僕はさあ、知らないよと答えて腕枕を組んだ。こないだの傷は大丈夫なの、と訊くと鈴原は言葉を濁した。

「碇くんも紅茶、どう?」

「ああ、ありがとう」

 綾波の手から温かいカップを受け取る。ダージリンかな。カップには小さな猫のキャラクターがデザインされてた。

 僕はポケットを探ってメチロンのカプセルを取り出すとテーブルに転がした。

 君たちも飲んでみるかい、と訊くと二人とも手を横に振った。
 いやいや、ワイらはそうゆうのはやらんのや、のうケンスケ、鈴原は身体を引きながら言った。綾波は?ええ、貰うわ。黄白色のカプセルが彼女の細い指に拾い上げられ、口の中へ吸いこまれていった。

 自分だけシラフじゃつまんないんじゃない?言いながら、僕もメチロンを飲んだ。
 まあ、正直なとこやっぱり怖いしな、綾波を見ててどういうものかってのはわかってるつもりなんだけど、相田は眼鏡を上げて頭をかいた。

 嫌だと言う人間に無理に勧めはしないわ。綾波はベッドに腰掛け、僕の額を撫でた。

「しっかし、センセもほんまにエヴァのパイロットやったんやな」

「言ってなかったっけ?」

「綾波がパイロットだってのはけっこう有名だったけどな。こんな時期に転校してきたんだし、NERVとかかわりがあるって見るのは自然だよ」

「なるほど、そういやそんなメールが何通か来てたな」

 机の上に置かれた授業用のPCに目をやる。真っ赤なカラーリングは目にきつい。アップル社製だから赤いんだろうか、僕は青林檎が好きなんだけどな。

 まあ有名なんだろう。
 いきなり初日から校門前で喧嘩したのが効いたのかな、ぼんやりと考えた。鈴原たちにしろ、綾波とつるんでるってことでクラスの連中からは一歩引かれてるように見えた。

 最後にアスカのことを思い出した。
 知り合ったばかりの頃の彼女は気が弱くって、いつもムサシの後ろにくっついて歩いてた。彼女が変わったのはいつのことだったかなあ、思い出そうとするが記憶がこんがらがって頭が痛くなったのでやめた。
 ぱったり姿を見かけなくなったと思ってたら、アスカ、横浜に行ってたのか。あっちの方はもうほとんどがスラム街化しちゃってるって聞くけど、いったいどういう生活してたんだろう。
 綾波、僕の煙草知らない?と訊くとラッキーストライクの空箱が飛んできた。なんだ空っぽじゃないか、切らしてたんだっけ?綾波は答えなかった。

 コンクリートが雨に揺さぶられる音が部屋を包んでた。
 雨は昨日から降り続いて部屋の湿度を上げ、キッチンの床には青緑色のカビが広がってた。カビは食器棚を登り、流しの隣でふやけてた。切りっぱなしのキュウリが青くさい腐敗臭を放ってた。

「そうだ今度MBDB買うんだけど、どうする?綾波の分も頼んでおこうか」

 それもカプセルなの?綾波は壁に背をもたれて紅茶をひと口飲んだ。
 ああ、詰めるのは自分でやるけどね、今ちょうど相場が下がってきてるんだ、買い時だってマナが言ってたよ。僕は額に張り付いた前髪をはがして弄くりまわした。

「グラム1万2000までなら出すわ」

「わかった。儲けはないけどね」

「欲張りね」

 綾波は口元を歪ませて微笑んだ。鈴原と相田は神妙な顔つきで聞いている。紅茶は既にぬるくなってた。
















 綾波が4人分のカップを流しで洗ってると呼び鈴が鳴った。
 僕は寝転がってメチロンの余韻を味わってた。目の前で渦巻く粒子を眺めてるうちに、核融合を起こすにはもっと温度と圧力がないとダメなんだということが理解できると思わず笑みがこぼれた。
 太陽からメガフレアが飛び出したのを綾波の白い手が止めた。地球は守られた。綾波の中は暖かかった。

 コンドームが床に2つ放り出され、鈴原がポテトチップを齧りながらしげしげと眺めていた。

 もう一度呼び鈴が鳴った。
 相田が出ようとすると返事を待たずにドアが開いた。やってきたのはミサトさんだった。

「どうしました、葛城一尉」

 スポンジを泡立てながら綾波が訊いた。ミサトさんは無視してまっすぐ僕に向かってきた。僕はベッドに仰向けたままミサトさんを見上げた。ミサトさんは頬を引き攣らせ、口元をピクピクと震わせながら僕を睨んでた。そういえばパンツはいてなかった。どこにやったっけ?
 開け放ったドアから流れ込んでくる湿った空気が冷たい。
 透けたショーツとその下に見えるマナの陰毛を思い出した。なぜか隣にムサシもトランクスを下ろして立ってた。奇妙な夢だ。雨に濡れたミサトさんの髪はセクシーだったが、僕の身体は反応しなかった。

「碇シンジ君。ただちにNERV本部への出頭を命じます。拒否権は認められません」

 雨はまだしばらく止みそうになかった。
 飛び交う粒子の幻覚がピークに達してた。でもまだ足りない、僕は太陽にはなれない。悲しくなって僕は泣き出してしまった。男の子でしょ、しゃきっとしなさい。ミサトさんが僕の頭に拳骨を落とした。

 鈴原と相田の焦った顔が最後に目に残った。

 気が付いたときにはまた薄暗い部屋の中にいた。綾波の部屋じゃなかった。

 人の気配がしなかった。
 ここはどこだろう、と思ったが頭痛がひどくてまともに思考できなかった。しばらく床に寝そべってタイルの模様を眺めてると、冷たかった床も僕の体温で温かくなった。

 思い出す。

 そうか、命令違反したんだったな。停止命令を無視して民間人へ、というか人間へ向けて発砲した。それじゃここは営倉か独房か。寝返りを打つと目の前に便器があった。

 結果的にはATフィールドのおかげでなんともなかったんだけど、落ち着いて考えれば正気じゃない、対使徒用の武器で人間を撃つなんて。アスカはわかってたのかな。どうしてわかったんだろう。どうして僕はアスカがわかってるって思ったんだろう。アスカを信用していた?できれば思いたくないな。
 山岸はどうしてるんだろう。いちおう学校には来てる、と相田は言ってた。
 アスカはしょっちゅう授業をサボって街に出てるみたいだ、とも言っていた。アスカといっしょにキョウジたちも戻ってきたんでクラスの連中は気が気でないらしい。彼はアスカのいちばんの舎弟で、ドレッドヘアがイカす男だ。

 厄介払いができたとでも思ったのかよ。僕は床を這う甲虫に向かって言った。名前はわからない。ゴキブリじゃないことはたしかだ。そうだ、君に名前をつけてあげよう。ムサシ、君の名前はムサシだ。触角の形があいつの髪型に似てるから。ムサシは黄色い頭を揺らして歩いてた。指で頭を押すと驚いて走っていってしまった。

 時間の感覚がわからなくなっていたが、いつものことだ。
 窓から差し込む光は自然光じゃない。偽りの空を映し出してた。ジオフロント自体がそうだ。天球のドームに向かって石を投げた。石はやがて落ちてきて、池に波紋を作った。
 綾波は池の水と戯れながらまた小説の話を聞かせてくれた。

「碇くんが駅のホームで、葛城一尉と抱き合ってるの」

 それは勘弁してくれよ、僕は大声を上げて笑った。涙が出た。
 あの人ってそういう柄じゃないだろ?いいえ、ああ見えて彼女は情に脆いのよ。綾波は鼻で笑った。

 そしていつまでも抱きしめあってる僕たちを、鈴原と相田がフェンスにかぶりついて見つめてる。衆人環視は勘弁してほしいな、じゃあその場面は通行人を無くしましょう、綾波は僕の鼻っ柱を指で押さえた。

「葛城一尉は寂しがり屋だから、共に暮らす家族を求めているのよ」

「そんなもんかなあ」

 だからって僕じゃなくてもいいだろう?NERVにだって男はたくさんいるし、出会いが無いってわけでもないだろうに。公私の線引きが出来ない人なのよ、あの人の精神年齢は14歳から進歩していないわ。綾波はそう言って肩をすくませた。

 綾波は僕を屋上に案内した。白い植木鉢が整然と並び、あざやかな緑が風に吹かれてた。屋上から見下ろす第3新東京市の街は思ったよりこぢんまりしていた。

 へえすごいなあ、これって綾波が育ててるの?
 僕は鉢植えの前にしゃがみこんでそっと葉っぱを撫でた。白い粉が僕の指にくっついてきた。嗅ぐと甘い匂いがした。

「生き物を育てるというのは素晴らしいことなのよ」

「うん、最高だね。こうやって眺めてるだけでも心が落ち着くもの」

「碇くんのは?」

「さあ、そういえばどうだったかなあ」

 やけに眩しいと思ったら鉢植えの下に銀の断熱シートがしかれてた。屋上のコンクリートは、快晴の日なら直接さわれないくらいに熱くなる。

「芽が出た時はうれしかったよ。栽培なんて小学校の時のバケツ稲以来」

 綾波は僕の肩を抱いた。触れ合うのが心地よかった。
 おなかすいたね、僕は綾波の腰を撫でた。つばを飲み込むと喉が動いた。

 戦闘機が山の向こうをゆっくりと旋回してた。御殿場基地の定時哨戒かな。マナのことを思い出した。
 鉢植えのカナビスたちを見守る綾波の表情はお母さんみたいだった。可愛い赤ん坊を抱えて、ん、鉢の底から土がこぼれてるけど。
 愛しく思ったが、抱きつくのはやめておいた。

 兵装ビルの長大な影が街に横たわってる。日陰は時間と共に動いていった。僕と綾波も影の中に入った。地べたから見上げれば果てしない高さだ。エヴァよりも背、高いもんな。ひとつの窓も無いビルは地上に突き立てられた短剣だった。
 夕日を浴びて街は黒いシルエットになった。
 綾波はずっとそばにいて、ステージに並べられた建物を抱えながら再構築を繰り返していた。

「こういう世界もあり、なんだね」

 ミニチュアの街を眺めながら僕は思った。海の中に使徒が沈んでるのを見つけた。それはあとで使うから触らないで、綾波は信号機のケーブルを引っ張りながら言った。そういえばこの街、珍しく地上敷設の電線ばっかりなんだよな。海底に横たわる青いダイヤみたいな物体を眺めながら思った。

 視界が大きくズームアウトしたように感じた。僕は部屋のドアを開けて、道行く人々を眺めた。

 二人組の婦人が買い物カゴを手に提げて通り過ぎていった。目の前は八百屋さんだった。道路に尻尾を向けてる大根の上で子供たちが遊んでる。ひとりは赤いワンピースを着て、もうひとりは三輪車を転がしている。小さい頃僕も乗ってたなあ、部屋の床がぜんぶ剥がされて、骨だけになった家の中を僕は走った。
 垣根に埋まるようにして杖をついた老人が歩いている。老人は僕を見てずっと笑っていた。逃げ出したくなって背を向けたが、笑い声はどこまでも追ってきた。
 クルマが僕を追い越して走り去っていった。茶色い毛並みの犬がクルマを追いかけている。まだ子供のセントバーナードだった。道路に引き摺られる放電索がネズミの尻尾みたいだった。
 もう笑い声は聞こえなくなっていた。

 僕は田んぼが両側に見える道を歩いた。
 地平線をぐるりと見回しても富士山は見えなかった。代わりに鳥海山が見えて、マナの母親が秋田出身だってことを思い出して納得した。山は雪に覆われて真っ白だった。空は薄雲がかかり、太陽は暈をかぶっている。
 まだ小さかった頃、秋田美人の血が入ってるからこんなにかわいいんだよ、と言っていた。マナのすこし灰色がかった瞳を見てるとロシア人の女スパイを思い出した。

 すごいんだよ、ロケット付きの弾丸列車に乗って、それで飛行機からクルマと一緒にスカイダイビングするんだ。
 僕は便器に座って排泄物を出しながら言った。臭いは懐かしかった。

 マナは下駄箱に入ってたラヴレターをびりびりに破ってゴミ箱に捨てた。
















 椅子に座って呆けてるとアスカが第壱中の女子制服を持ってきた。アタシのお古だけどシンジ、アンタには丁度いいでしょ。

 僕の両隣から群がってきたマナと綾波が僕の服を脱がせにかかった。僕は黙って従った。

 ムサシにケイタ、それにウィル、鈴原と相田が僕を見てた。
 見てな、今からこいつを女にしてやるわ。アスカは彼らに向かって言った。
 素っ裸にされた僕はまずブラジャーを付けられた。力任せに胸の肉を寄せられて、痛いよアスカ、と言ったら彼女は鼻を鳴らして僕の額にキスをした。
 制服のブラウスとスカートに身体を包んだ僕はマナの手で念入りに化粧をされた。顔を覆っていくパウダーが鼻をくすぐった。

 目を開けると鈴原と相田が驚いた表情で僕を見ていた。ほ、ほんまにセンセなんかいな。どっから見てもこりゃ、あれや、フェイ・ウォンやで。
 例えが古いぞ、とムサシが鈴原の肩を小突いた。
 僕は鏡の中の自分にしばらく見とれた。ほんとの姉妹みたいだね、僕の肩にマナが頬を寄せていっしょに微笑んだ。

 アスカはパーラメントを片手にニタニタと笑いながら僕を見下ろしてる。今日は黒下着なのか。綾波が僕の肩に、マナが僕の膝に頬ずりをしてた。男たちは鼻息を荒くして身を乗り出してきた。

 ウィルが表に向かって誰かを呼んでた。ほどなくスキンヘッドの太った黒人がやってきて、何か知らない錠剤をテーブルに山盛り置いた。彼は僕を見て大げさに腕を広げて笑い、汗まみれのキスをして帰っていった。
 リリィさんがまたねドム、と手を振った。
 あいつはドミニクっていってな、俺の親友なんだ、兵学校の同期だったんだぜ、ウィルは自分とドミニクが一緒に写ってる写真を僕に見せた。俺が鬱で苦しんでる時もずっとそばにいてくれた善い奴なんだ、みんなにも今度紹介するよ、あいつ今は薬売りの商売忙しいからな。

 最初に僕たちみんなでバツを飲んだ。おら、遠慮することねえってとムサシは相田の口に錠剤を押し込んでる。相田は慣れない苦みに嘔吐し、床に薬と胃液を散らかしてた。
 あーあもったいねえ、これ一錠いくらすると思ってんだ?
 ムサシは毒づきながら唾液と胃液にまみれた錠剤を拾い上げ、小さく割って酒に溶かした。これなら大丈夫だろ、と相田の口をこじ開けて飲ませる。

 踊りな。アスカが僕を立たせる。
 足を動かすと、久しぶりに穿いたスカートがひらひらして涼しかった。
 鏡を見ると少女の姿になった僕が映ってた。鏡の向こう側にムサシがいる。僕はムサシに向かいあった。胸がだんだん熱くなっていくのがわかった。男たちの視線が僕の身体を縦横に舐めていった。腰が震えてじわっと濡れるのがわかる。

 アスカの選曲は哀愁味のあるユーロバラードだった。僕はムサシに抱かれてゆったりと踊った。マナはケイタと、綾波は相田と一緒に回ってた。鈴原があんちゃん、頼んますとウィルに頭を下げてたのが可笑しかった。ムサシの胸板は前よりも厚くなってた。硬くなった一部分を押し付けられた。

 胸に熱い血液と涙が満たされて、自分が女だって感覚がますます強くなった。
 僕はムサシの耳元で、音楽に合わせて口ずさんだ。異国の歌は僕の中で繰り返し再生されてた。
 身体の奥から次々と愛しさがあふれてきて、僕はムサシの胸に縋って唇を差し出した。きれいな瞳だな、優しい声が僕を愛撫する。アスカが腕を組んで微笑みながら僕を見下ろしてた。
 僕は君の下僕なんだ。崩折れそうになるのをムサシが支えた。
 アスカ女王様の命令で僕は男と交わってるのです。リリィさんが気を利かせて僕たちのいるフロアをガラスのついたてで仕切ってくれた。アスカは煙草に火をつけて僕たちを煙で包んだ。アスカの吐息が空を飛んでいくのがきれいだった。

 綾波はソファに座らせた相田の股間に顔を埋め、マナはケイタの上に跨ってる。肉体がどこまでも澄んで透明になっていく気がしてた。透明な水になってみんなひとつに溶けるんだ、溶け合うんだ。
 溶け合うのよ、私はあなたと一つになるの、ねえ私としましょう。僕はいつの間にか女言葉でしゃべってた。
 シズナ、俺に甘えていいんだぜ、好きなだけ甘えな。シズナ。
 涙があふれた。ムサシの厚い唇が胸を締め付けた。シズナ、碇シズナ。それが僕の名前。私の名前。ムサシは私をソファに寝かせ、抱き上げて膝に乗せた。

 私は人形だった。魂の入れ物、肉の人形。これは私、私の身体。私の肉体。押し広げられた穴に彼の一部が侵入してくる。ひとつの身体に私と彼、ふたつの心がせめぎあってる。悲鳴と喘ぎは声にならなかった。

 マナが僕の一部を無理やり折りたたんで、腹の肉に埋めた。戻ってこないようにプロテクターフィルムでしっかり留める。ほらみんな見てよ、シンジのここ。ソファに転がされた僕の股間をみんなが食い入るように覗きこんでた。僕はみんなのおもちゃだよ。みんな、僕で遊んでくれ、僕の身体で遊んでくれ。鈴原と相田が息をのんで硬直し、ウィルはオー、ベリーベリーワンダフルと喜んでた。

 ほんとに女の子になっちゃった、平らになった股間を撫でながら僕はムサシに微笑みかけた。ムサシは何も答えずに僕の割れ目へと自分をあてがう。
 いいよ、もうじゅうぶん濡れてる。いつでも来て。ムサシを受け入れる感触を全身で味わった。腹が破裂しそうだった。愛しさが爆発した。僕は叫んだ、大好き、愛してる!愛してるムサシ!!マナの寂しげな表情が見えた。

 綾波が僕にキスした。ムサシは僕を傷つけないようにいたわりながら動いてた。
 マナは僕の耳元でノーマ・シェフィールドのラヴソングを囁いた。



   パーティーは楽しくても あなたを思うとブルーなの
   ベイブ その瞳が恋しくて 笑顔になんてなれなくて
   あなたの愛無しでは とても…

   今夜 あなたははるか遠く
   私はそれでも恋に落ちてく
   だから ずっとひとりにしておかないで
   今こそ こっちを向いて時を戻して…



 フラッシュが光った。相田が周りをぐるぐる回りながら、僕たちをニコンのカメラで撮ってた。

 時を戻せるならそうしたい、すべてが穏やかだったあのころに戻りたい。

 鈴原の力強い手が僕の平らな胸を揉んでた。柔らかいのうセンセ、イインチョや綾波とおんなじや、おんなじ感触がしよる。頬を涙が伝い落ちるのがわかった。
 誰も彼もが愛しい。ムサシ、僕が本当の女の子だったら君と結婚したかったよ。ムサシは穏やかに微笑んで、ああ、そうだな、俺もお前が好きだよ。出会えたのが俺で良かったな、微笑みながらさらに僕の深くへと挿し込んできた。

 僕と溶け合ったたくさんの人間の顔が目の前を通り過ぎていった。アスカの顔が最後に思い浮かんだ。

 アスカ、どこだよ、どこなんだよ。どこにいるんだよ、また僕を馬鹿にしてよ。君じゃなきゃダメなんだ、僕は君に跪きたいんだ。
 唇をマナに塞がれて声が出せなくなった。

 再びフラッシュがすぐそばで光った。興奮した様子で僕たちの写真を撮っていた相田をアスカが蹴り飛ばした。アンタいい加減に邪魔すんじゃないわよ、ムードぶち壊しだっつの。床にカメラを庇って倒れこんだ相田をアスカが踏みつけた。FOXYを入れたらしいアスカは身体をふらつかせながら相田を転がしてた。

 シンジこっちを向いてよ、とマナが僕の頬を抱えて引き寄せた。視界の外からはまだ相田が蹴られる音が聞こえてた。

 綾波が僕の足の指を舐め続けてる。ケイタが綾波のケツに頭を突っ込んでた。
 僕は手を伸ばしてマナとムサシの頬を撫でた。とてもやわらかくてとろけてくっつきそうだった。

 アスカを見ると彼女は床に寝かせたウィルの上で腰を振ってた。相田はシャツを赤く染めて、ぐったりしてカウンターに寄りかかってた。割れたワインの瓶が転がって中味を床に広げている。

 合わせ鏡に映った僕たちは無限に増えて、そしてまた一つに戻る。どこまでも間隔が狭くなっていく。押し合う肉がそこらじゅうからなだれ込んできて、僕の胸の上で飛び跳ねてた。抱きしめようとしたけど手で抱えきれないくらいだった。マナの丸い尻が目の前に見えた。誰かのペニスが口に押し込まれた。僕は夢中で啜る。

 ムサシの放った濃い液体が僕の中に満たされた。
 全身の汗と体液が蒸発して、僕は甲高い悲鳴を叫んでた。熱く湿った息を吐き、僕は鈴原の腕を掴んでもっと中に欲しいとせがんだ。
















 僕は珍しくミサトさんといっしょにいた。といってもリツコさんが僕を連れてきたらばったり会っただけだが。

 僕が倒した第4使徒の残骸はNERVが回収し、ほぼ原形をとどめているそいつを詳しく調査するんだそうだ。僕は独房から解放されたその足でここに来ている。ミサトさんは僕の顔を見ると苦そうな表情で目を逸らした。

「済まなかったわね、もっと早く出してやりたかったんだけどミサトがごねてね」

 いえいいですよ、久しぶりに休養できましたから。
 リツコさんとミサトさんは古い馴染みなんだと綾波は言っていたが、本当に仲いいんだろうか。

 僕はリツコさんから特別に調合した女性ホルモン剤を出してもらえることになった。手術、までは僕もさすがにする気はないし、NERVにも執刀できる医師はいない。どちらにしろやるとなれば数ヶ月単位で戦線離脱しなければならないから、今はそんな余裕は無いということだ。身体を女性的に保つだけでなく、薬を常に摂取し続けることで精神の安定にもかなり効果がある。

 興味深げに僕の胸をさするリツコさんがなんだか可愛く見えた。

「綾波はリツコさんのこと、母親代わりになってくれた人だって言ってました」

 そう、とだけ彼女は答えた。
 部屋を出ようとした僕を後ろからそっと抱きすくめ、囁く。

 ごめんなさいね。
 僕はリツコさんの手を取って、どうしてですか?と訊いた。
 私は自分が女であることを憎らしく思っていたことがよくあった。それなのに、あなたは男に生まれながらどこかで女であることを求めている。その気持ちがものすごく興味を引くのよ。
 僕にもよくわからないですよ、気づけばこうなってましたし。

「父さんのことですか?」

 一瞬だけ強張った。
 見てればわかりますよ、なんとなくは。別に僕がどうこう言えることじゃないでしょう。

 そうね、私は囚われすぎているのかもしれない。

 そんな気しますよね、リツコさんって。難しい方向に考えすぎるタイプっていうか。

 リツコさんは僕の腰に手を伸ばした。わずかに股間が反応する。だけど痛いだけだ。気持ちよくは無い。僕は表情を歪ませないように口元に力を入れる。

「性欲はないの?」

「男性的なって意味なら、そうですね。射精なんてこの半年はしたことないですね、っていうかもう出ないんじゃないですか」

 綾波にも同じこと訊かれましたよ。僕は肩で笑った。

「でも、誰かを求めたいって気持ちは変わらずあります。それはもしかしたら、より深く強く」

 僕は振り返ってリツコさんに向き合うと彼女の胸に顔を埋めた。
 彼女は何も言わずに抱きしめてくれた。化粧の匂いとなにかの薬品の臭いが混ざってすこし気持ち悪かったが、2、3度深く吸い込むと慣れてきた。

 ──やっぱり、あなたもシンジ君と同じね。

「なによそのやっぱりって」

 仮設のコンピュータールームでリツコさんとミサトさんが話してる。

「たいがいの子供が初めて自分の力でする行動って、保護者への『反抗』でしょ。自我の存在の確認──だけど、シンジ君には抗うべき保護者がいなかった。力のやり場を失くして、自分を見失いかけていたのよ。それがあなたと同じってこと」

「何もかもお見通しなのねえ」

「今が通過儀礼の真っ最中ってことよ」

 通過儀礼と聞いてドラッグの儀礼の方を真っ先に思い浮かべる僕って終わってるな。
 クレーンで運ばれてくる欠けたコアを見上げながら笑った。

 父さんと副司令がやってきた。

 二人の技術者と共に、床に降ろされたコアを眺めている。

 手袋を外した父さんの手のひらには酷い火傷の痕があった。
 前に綾波が言っていた。事故を起こした零号機のエントリープラグから自分を助け出してくれた時に負った火傷なんだと。
 痛々しい。あれは一生消えない痕だろう。痛みはないのだろうか。
 父さんの後ろ姿をじっと見つめる。

 僕よりもずっと父さんのことを知っている綾波がすこしだけ羨ましい。

 僕の中の父さんは、小さいころの記憶から生み出したイメージしかなかった。ここに来て実際に目にして、姿を見て、声を聞いて、僕はまだ父さんと言う存在をつかみかねている。目の前にいる男は何なんだろう。僕にとって何を意味するものなんだろう。

 後ろでミサトさんがなにやら絡んできたが無視した。

 急に帰りたくなった。
 綾波の部屋に置いてある父さんの眼鏡、もう一度見たい、触れたい。そんな気持ちが僕の中に湧き上がった。一度手にとって眺めていたら綾波に思いきり後頭部を殴られた。あの時はマジで涙が出るくらい痛かった。

「あの人はとても不器用なのよ。シンジ君、あなたに似てね」

 ミサトさんを追い払って僕の後ろに立ったリツコさんがそっと言った。
















 小雨がぱらつく中をクルマは走っている。
 運転席にはムサシが座ってハンドルを握ってる。僕はサイドシートに座り、雨で煙幕がかかった第3新東京市を眺めてた。霞の向こうに使徒の巨大な身体が見える。地面に突き立てられたドリルブレードはここからでは見えない。
 二子山へ登る道には、既に数え切れないほどの電源車が待機して湯気をもうもうと上げていた。

 僕が目を覚ましたのはまた病院だった。白い天井は前と同じだったが、僕は素っ裸なのが前と違った。

 見舞いに来てくれた綾波が、あなたは使徒の加粒子砲で撃たれたのよと教えてくれた。初号機は?と訊くと装甲板の張り替えだけで済んだわ、と無表情で言った。

 僕は病室を出て本部内の大浴場に行き、熱いシャワーを浴びながら全身を掻き毟った。綾波が置いていってくれたデイトリッパーを飲んで、浮いてきた汗と垢をみんな擦り落とすと肌がつるつるになった。シャワーの水音がガラスビーズを転がす音に聞こえた。更衣室に置いてあった扇風機の液晶タッチパネルがとてもきれいでニヤニヤしながら眺めてた。

 ガソリンエンジンの音とエキゾーストノートは最高の楽器だ、僕はムサシの肩を叩いた。お前にもわかるか、ムサシは嬉しそうに笑った。

 僕はムサシんちの店の裏庭で、黒いボディのS130フェアレディZを囲んで眺めてた。ミサトさんのアルピーヌよりも古いヴィンテージものだぜ。あっちは2004年にリメイクされたエレクトリック仕様、こっちは正真正銘、L28エンジン搭載の1978年型。鋼みてーに頑丈な2.8リッターのブロックに、ターンフローのシングルカムで、重いだのまわらねえだの抜かしてんじゃねえぞ、こいつはオイルショックに唯一反旗を翻したよう、ムサシはS130のフロントタイヤを撫でながらぶつぶつと言ってた。

 綾波の部屋は留守だった。
 僕は屋上のカナビスたちを見に行った。今日もみんな変わりなく元気だった。ムサシは興奮した様子で鉢植えの周りをぐるぐる歩き回っている。

 排気ガスを嗅がせちゃダメだよなあ、僕は語りかけた。ごめんね、僕も暇を見つけたら世話してあげるよ。

 NERV本部の作戦司令室で僕はミサトさんから今回の作戦を聞かされた。使徒は大火力の加粒子砲を持ち、近接戦闘は事実上不可能。そのため、ATフィールドは中和せずエネルギーの一点集中攻撃によって目標を撃破する。
 使用火器はエヴァ専用改造陽電子砲、ポジトロン・スナイパーライフル。つくばの戦自研で開発されていたものをNERVが徴発したそうだ。

 アレほんとはトライデントに積むはずだったんだぞ。ムサシはS130の窓から痰を吐き捨てた。
 NERVってのもほんとに勝手だよなあ、そうは思わねえか?
 たしかにな。僕が呼ばれたのだって、シンクロテストだって、いつもいつも。
 綾波の育ててる奴、収穫したらすこし分けてもらえねえかな。ムサシはセブンスターを咥えて深く喫った。煙が窓から外へ吸い出される。
 頼めば大丈夫なんじゃない、僕はなんとなしに答えた。
 そういえばお前、たしか前に種買ってなかったか?
 さあどうだったかな、忘れたよ。今から植えても間に合うかな?
 どうせ部屋たくさんあるんだからグロールーム作っちまえよ、そしたら冬でもやれるだろ。ムサシはアクセルを踏み込み、S130がエンジンを唸らせて坂道を登っていく。
 簡単に言うなよ、設備だってタダじゃないんだから。商売にするわけでもなし。雨が車内に落ちてきたんで僕は窓を閉めた。

 日が暮れる頃には雨は止んでいた。山を越えて、使徒が地面を削る音が響いて来ている。僕たちは二子山を盾に、狙撃作戦の準備を進める。

 全力運転で湯気を噴き上げる変圧器の群れは地獄の釜。
 張り巡らされたケーブルが脈動している。
 頂上に着くと綾波が既に来て待っていた。僕はムサシになるべく第3から離れていた方がいいと言った。わかった、んじゃ新横須賀あたりで時間つぶしてんぜ。なんかマナがこれからクルマ使うっつうからよ、急がねえとな。ムサシはS130を反転させ山を降りていく。

 初号機を見上げる。

 負けないよな。『最強』なんだろう?紙面や画面の上なんかじゃわからないオーラが君には満ちてるぜ。

 東の空から赤い満月が姿を現した。
















 俺の手がそこに触れると、少女は悩ましげに身体を反らした。
 狭いスポーツカーの車内で、俺は一回り半も歳の離れた少女を抱いてる。

 密閉された車内は蒸し暑い。汗の滴が首筋を流れ落ちた。

 フェアレディZ…といったか、この少女が乗ってきた古いスポーツカー。淑女という意味の車名とは裏腹に、それを操る少女はどこまでも妖艶だった。箱根スカイラインの駐車帯に停めたZの窓の向こうに、第5使徒の青い姿が淡い光で浮かび上がってる。

「ん…リュウ、どうしたの?」

「なんでもないよ」

 星明りを浴びた少女の裸体が問いかけてくる。
 リュウ、なんて下の名前を子供に呼び捨てにされるのも妙な気分だ。ちゃんと天城リュウタロウってイカした名前が俺にはあるんだぞ。

「それよりムサシ君のことはいいのかい?新横須賀に置いてきちゃったけど」

「いいの、あとで迎えに行くから。今はそんなの忘れよう」

 あなたこそ戦自の仕事ほったらかしてきてよかったの?
 汗で蒸れた髪をかきあげてマナは俺の目をのぞきこむ。
 いいさ別に、俺は戦闘配置じゃないからな。主計科は気楽でいいぜ。
 うなじから背中を撫でてやる。猫のように身体を丸めてじゃれあう。

 マナ。俺は彼女の名を囁いて抱きしめた。

「なんだったら今からでも榛名三佐に口きいてやれるけど、どうする?俺は正直もったいないって思うよ、このまま辞めちゃうの」

「ううん、いいよ。私にはやっぱり、組織の中ってのは合わないってわかったから」

「そうか」

 戦略自衛隊御殿場基地が擁する特務候補生、実も蓋もない言い方をすれば少年兵。彼らが暮らす寮を預かる立場上、俺は子供たちと深く知り合う機会も多い。
 だが、今俺の胸の上にいる少女…霧島マナとこんな関係になるとは、最初は思いもかけなかった。もちろん他の女子とはこんなことはしていない。マナだけだ。

「しっかしなんでこんなことになったんだろな。ヒロユキだろ?俺んとこにもちゃんと聞こえてきてるよ。あいつとコータだろ、原因は。前にもひとり、あいつらに虐められて脱柵した奴いるんだよ」

「そうなの?」

「榛名三佐も残念がってたよ。霧島はマジで有望だって言ってたからな」

 黙り込んだマナを優しく抱きすくめ、キスする。マナは喉を鳴らして俺の唇に吸い付いてきた。俺はシャツのボタンをぜんぶ外して肌を触れ合わせる。

「それなのにさ、最初は私のことわかんなかったじゃない」

 悪戯っぽい笑みを浮かべてマナは胸に頬ずりする。俺も苦笑いして、彼女と初めて寝た時のことを思い出す。戦自隊員の間ではすっかり馴染みのリリィさんの店でだ。ローランドのデジタル・シンセサイザーを華麗に操ってた彼女の姿がとても印象に残ってた。

「だいたいよ、君がうちの隊員って以前に14歳だって知ってたらやってなかったぜ。マジで騙されたよあの時は、19だって言うから信用してたらさあ」

 14だぞ14?犯罪だぜ中学生とやっちまうなんてよ。ばれてたら今頃俺ここにいねえよ。
 マナはひとしきり笑って、やがて俺の胸に舌を這わせた。俺は唾液を指で拭い、口に含む。汗の味が苦かったけど、マナの味をすこしだけ感じられた。

「ふふふ、ごめんって言ってるでしょ。ま、そんだけ私に魅力があったってことかなあ?それに今はもう15になったから大丈夫だよん」

「なにが大丈夫なんだよ、14も15もかわんないだろ。ははは、俺も独りモンのまま30代に突入しちゃったしなあ、お袋がはやく嫁貰えってうるさいんだよ。もう1年したら俺んとこ来るか?」

 あははそれいいね、ふつつかものですがよろしくお願いします、なんて言ってみたりして?お母さんきっと気絶しちゃうよ、こんな若い子連れてこられたら。
 彼女の体内に入ってるペニスが締め付けられて、俺は目を閉じて快感を身体にいきわたらせた。マナ、俺は君が愛しい。だけどわかってる、君の仲間たちの事も。だから今夜だけでいい、君は俺の女でいてくれ。

 いつの間にか街の明かりが消えていた。

 抽送を休め、俺とマナは箱根の火口原に立ち並ぶ第3新東京市の街並みを見下ろした。その中央に青い正八面体の使徒は鎮座し、地下のNERV本部へ向けドリルブレードを突き立てている。NERVが陣を張っている二子山山頂がほのかに明るい。

 シンジ君だっけか。従姉弟なんだってな。エヴァのパイロットやってる。
 マナの瞳が潤んでいくのを見て俺は後悔した。くそ、失敗した。自分の女性経験の少なさが恨めしい。女の扱いなんて全然わからない、つまりモテナイ男なんだよ俺は。悪かったな。いい歳して自己嫌悪。ごめんよお袋、生きてるうちに孫の顔は見せられそうにないぜ…

「大丈夫だよきっと、必ず、シンジは生きて帰ってくるから」

 自分に言い聞かせるように呟き、マナは俺を胸に抱いた。
 情けないな。歳ばかり食った俺よりも、この年端も行かない少女の方がずっと人間ができてる。俺なんか…ただの人生投げたごくつぶしだ。

 NERVは今回、つくばの戦自研から徴発した陽電子砲を使って使徒の撃破を狙うという。トライデントと陽電子砲は俺たち戦自の技術の結晶だ。使徒なんざにむざむざやられるな。人類の底力ってもんを見せ付けてやれ。

 胸が高鳴る。全開で回る加速器の高周波音が頭に響いてくるような気がした。

「マナ、馬鹿だって思うかもしれないけど、俺はほんとに君が好きだったんだ。君は俺の理想の女だよ。好きだ。愛してる」

 マナ。俺と結婚してくれないか。最後の言葉をすんでのところで飲みこむ。

 リュウ。私もよ、大好き。愛してるわリュウ。
 彼女の声がどこまでも俺を慰める。

 天城寮長。
 普段はそう呼ばれてた。そうさ、俺は特別な存在さ、お互いにとって。

 基地に帰ればそこにマナはいない。
 もう終わったんだよな、だから俺も振り切らなきゃならないよな。いつまでもいっしょにいられる二人じゃないんだよ。マナには友達も仲間もたくさんいるから。そいつらの方が俺なんかよりずっと大事だ。そうだろ?

 その大切な仲間が、今人類の存亡を賭けて戦ってるんだぜ。誇りに思えよ。
















 空は次第に晴れていく。
 プラグスーツに着替えた僕はアンビリカルブリッジに腰を下ろして、山のふもとに見える新横須賀の街灯りを見ていた。やがて、スイッチが切れたようにすべての灯が消えた。月と星の光だけが僕たちを照らしてる。第3新東京市の方がぼんやりと明るいのは、使徒が身体の表面を発光させてるからだ。

 赤い光の帯がスピンしながら飛んできて僕の胸を貫く。

 大気が沸騰して僕の身体は砕け散る。
 地面に転がった生首はいつまでも目を見開いたままで、僕はずっと空を見てるんだ。

「僕たち、死ぬかもしれないね」

 死にかけた思いをしたことは何度もあるが、こうして口に出すのは初めてだ。

 綾波が僕の後ろに立ってる。
 どうして、と綾波は感情のこもらない声で訊いた。

「時々考えちゃうんだよ、どうしてこんなに僕は感情が薄いんだろう、僕はどうして心が希薄なんだろうって」

「自分が希薄に感じるの?」

「世界すべてが」

 綾波は僕に背中を合わせて座った。綾波の背中は冷たかった。

 私にもそんな時期があったわ、綾波は顔を俯かせた。
 僕は振り向かずにそうなんだ、とだけ言った。

「碇くんはなぜこれに乗るの?」

「綾波と…いっしょにいたい、からかな」

 今朝飲んだデイトリッパーがまだ効いてる。ふもとの道に連なる電源車の照明が眩しいくらいに輝いていた。

「当たり前だけど僕たちって他人だろ、血が繋がってるわけでもない、家族でもない。だけど、僕と綾波の間にはみんなと違うなにかがあるって思ってたんだ。それはドラッグでもセックスでもない、エヴァなんだと思うんだ。エヴァに乗る、そのことで僕たちは繋がってる、そう思うんだよ」

 空を見上げても地面を見下ろしても現実感がないんだ。ミニチュアの町なんだよ、大きなテーブルの上に綾波が家やビルや木を置いていくんだ、ひとつずつ。そうだエヴァのゲートも必要だね、順番に配置してさ。
 ステキな夢ね、私も同じことを考えていたわ。だけど今の街には空港がないのよ、湖の上に作れるかしら?

 そうだろ、同じなんだよ。同じ夢を共有できるんだ。

 ねえ綾波も会っただろマナに?
 僕を想ってくれるんだ、他の誰よりも。だから僕はここに存在できるんだ、綾波もきっとそうだよ。綾波が僕を小説に書くように。

「絆?」

「そうそう、絆みたいなものかな。かけがえのない仲間って気がするんだよ」

 地球上に何十億って人間はいるけど、その99.999、まあほとんどの人間は顔も知らない他人なわけだろ。その中でめぐり合った仲間、そう仲間だね、同じ何かを共有する仲間を大切にしたいって思うんだ。それが綾波、君なんだよ、僕は一息にしゃべり続けた。綾波はずっと黙ってた。

 キング&クィーン、世界じゅうは恋で戸惑う…綾波は静かに口ずさんだ。

 キング&クィーン、私たちは歩き出せずに。
 キング&クィーン、道に迷うオールナイト・ロング…僕も掛け合い、二人でユニゾンする。

「恋とは違う気がするんだよなあ」

 同じ夜を走る、生きる、ただそれだけのことで僕たちは繋がってる。S130の後ろ姿が目に浮かんだ。
 脳細胞がシナプスで繋がっているように、想いを繋ぐことで僕たちは存在できる。だから僕はこんなに意志が希薄なのかもしれない。

 満月が僕たちを照らした。

「私には他に何も無いもの。もしエヴァに乗ることをやめてしまったら、私には何も無くなってしまう。それは死んでいるのと同じだわ」

「死んでいるのと同じ、僕もそうかもしれないな。何もかもどうでもよくて、変にかっこつけてばかりで」

 手を繋いだ。プラグスーツごしの綾波の手は、やっぱり冷たかった。

「だけど、時々自分の中から湧き上がってくるどうしようもないわだかまりに耐えられなくなるんだ。それが生きようとする衝動ってやつなのかな?」

 そうよ、きっと。綾波は僕の手を優しく握った。
 胸の骨を毟り取って心臓を鷲掴みにしたくなる、そんな気持ちだ。綾波は震える僕の手を抑えて、迷うことはないわ、私はみんなわかってるから、と言った。

 君は僕と同じだね。綾波の方を振り向くと、綾波も月明かりを浴びながら微笑んでた。

 プラグスーツの内蔵時計が午前0時を回った。

「時間よ。行きましょう」

 立ち上がり、それぞれの機体へ向かう。
 綾波の零号機は長大な狙撃銃を持ち、僕の初号機は盾を持ってる。

「綾波」

「なに?」

「また小説の話、聞かせてね」

「ええ」

 夜戦用のHUDを装着する。使徒は緑色のワイヤーフレームで形作られ、ポリゴンの街の中に静かに佇んでる。

 綾波は僕の世界だ。綾波の中で僕は生きてる。だから、守らなきゃならない。

 僕は初号機をフルシンクロモードにし、盾を構えた。フィードバック係数は0.9と1.2の間を行ったりきたりしてる。すこし気負いすぎよ、抑えて、通信ウィンドウからリツコさんの声が聞こえた。

 僕の世界は綾波の世界に繋がってる、だからきっとたどり着ける。
 だから同じ夜明けを迎えられる。

 そうだよ、僕と綾波は同じ世界に生きてるんだ、同じ星の上に。
















 焦げ臭さと生臭さの混じった空気はいつまでも淀んでいる。

 廃ビルの裏路地、逆さにしたビール瓶のケースに腰を下ろし、携帯をいじりながらアタシは思い浮かべる、自分を。シンジや綾波にコールしても圏外だと返ってくる。もう既に作戦準備に入っているようだ。時刻は間もなく午前0時を回る。

「しっかしよー、ムサシも大したことねえよなあー?アスカさんに一撃で『吹っ飛ばされ』てよお!ヤクのやりすぎで身体ぁ腐ってんじゃね?」

「ギャハハ、キョウジオメーは『5発』でやられたろぉ?オメーこそ鈍ってんじゃねえのかぁ」

「うっせーなオレだって本調子ならよぉ、ムサシなんか目じゃねえってんだよ!大体アイツぁ生意気なんだよ、ちったぁシンジや霧島に気に入られてっからってよ。アイツだって小学<ガキ>ん時ぁ『イジメ』やられったんだろ?母親<オフクロ>がフィリピーナで米兵の子供だってよぉ」

 砕けたガラスは砂になって風に吹かれる。
 空を見上げれば切れた雲の向こうから星が見えていた。避難命令が出された街は信じられないくらいに静まり返っている。
 ムサシが時折、アタシにだけ見せた陰のある表情。思い出そうとするけどコントラストが薄れてかすんでいってしまう。アタシだっていつまでもガキじゃあない。

 ごめんね、ムサシくん。やっぱりアタシはみんなとは違うから…
 あぁ気にすることねえよ、あいつらが卑怯なだけだって。お前ぁこの俺が『守って』やっからよ。
 でも負けたまんまじゃやだよ。強くなりたい。『もう』負けたくないのよ。
 わかってら。お前のやりたいようにやれよ。お前のそーいうとこが好きだ。
 うん。アタシもムサシくんのことがすき。

 会話を交わしたのが公園の公衆便所じゃなかったらもちっとムードはあったかもしれない。お互い泥だらけの服で、笑いあった。たぶん、初めての経験、だったはず。

 アタシは第壱中で、ムサシは御殿場中で。学校をサボってよく遊びに行った。
 御殿場中でのムサシの仲間にはシンジとケイタ、それにマナがいた。
 近隣校から恐れられる御殿場中、そこに出入りしている自分がすこし誇らしくもあった。馬鹿なガキがいきがってるだけ。すぐにしっぺ返しは喰らう。

 あぁっ、アスカ!!、あんたイッコ上のパシリもできねぇくれー偉くなったっての!ちょっとムサシに気に入られてっからってチョーシくれてっとブチ殺すわよ、聞いてんのっ!!!

 マナっ!!
 ラリってるマナの瞳と止めに入ったシンジの不安げな表情そして喉笛に食い込む硬い指の感触が、薄れていく意識に焼きついていた。
 NERV、第壱中では綾波に。
 そして御殿場中ではマナに。結局アタシはどこへ行っても変われやしないのか、それが悔しかった。負けたくない。アタシは強くなりたい。

「つーかよ、霧島もいい加減ウザクねえ?今ぁ『シンジ』らしいけどよ、元々ぁムサシの女だったんだろ?第壱中でもさっそく何人か引っ掛けたって聞くぜ。手当たり次第に男タラシこんでよう、ありゃあもう『売女』だろぉ?」

 ふざけるな。

 握り締めたビール瓶は思いのほか脆くて、粉々に砕け散っていった。泥水と混ざって濁った血が地面に降り注ぐ。
 頭を掴んで叩きつけるとジリジリと点滅していた自動販売機の灯りが消えて中の缶がこぼれ落ちてきた。血まみれのコーラ缶を握りつぶす。吹き出した泡がアタシの顔を濡らした。

 日焼けした肌にドレッドヘアの男が目の前で腰を抜かし怯えている。
 キョウジよぉ…『男のくせに』なにビってんのよ?
 そんなにアタシが怖いか。そう。そうよね。アタシはあの頃とは違う。強い。アタシは強いんだ。シンジに負けないくらい、シンジとタメを張れるくらい、マナの前に出ても恥ずかしくないくらい、そう、強い。

「ひぃっ、あ、アスカさん許し、許して、くだ…さい…」

「ろくに知りもしねーくせにテキトーほざいてんじゃないわよ…
アンタらみたいなクズがっ!ムサシだのマナだの、アイツらンこと嗤ってんじゃねェのよっ!!」

 街の灯りがいっせいに消え、カチ割った頭から吹き出る血を見えなくする。

 闇。どこまでも闇。それはアタシの心。
 だけど見える、感じる、聞こえる。シンジ、アンタの声を。遠くからささやきかけてくる、ずっとアタシを見守っている。そうでしょ、そうでしょ?

 幻聴かよ。

 アタシは道路に飛び出し、眼前にそびえる青い菱形の使徒を見上げ睨みつけた。第5使徒ラミエル、雷の天使。その力、見せてみろ。

 血の臭いがいつまでも漂ってる。
 やがて使徒が加粒子砲を放ち、アタシたちをまばゆく照らし出した。

 爆風が通り過ぎた後には、燃える使徒の死骸だけが残っていた。
 風に焼け焦げる血の匂いが混じる。生きている肉が燃える匂いだ。ふと地面を見れば飛び散ってきた焦げた肉片が散らばってる。肩口を撫でるとヘドロのようなラミエルの肉片がくっついていた。沸騰して表面が泡を吹いてる。
 二子山の方は既に炎も消え、くすぶった煙が静かに上がっている。

 こんなチンケな『敵』に、いったい何を恐れ躊躇う。

















「綾波、もうすこしだけ、このままでいさせて」

「いいわ」

 満月はすこし傾き、僕たちに冷たい木漏れ日を被せてた。

 ラミエルはまだところどころから炎を上げてくすぶってた。割れた体表は水晶の原石のように輝いてた。

 ミサトさんが捜索隊の先頭に立って、僕たちを助けに来てくれた。
 汗だくで息を切らしながら、彼女は僕を見つめていた。

「葛城一尉?」

 綾波が不思議そうに訊いた。ミサトさんは首を振って表情をごまかし、僕を抱き上げた。涙のしずくが落ちたことに気づいたのは、僕と綾波だけだった。

 僕はミサトさんの手を振りきって、一人で立った。
 よろけそうになるのを綾波が支えてくれた。

 二人で、歩こうと心に決めましたから。ミサトさんは一瞬呆気にとられたが、すぐに表情を緩ませ大きく頷いた。

 暗闇の中へ突き進む。

 僕たちは、ひとりきりで。

 NERVのVTOL機が、僕を病院へ運ぶために待機していた。僕はストレッチャーに乗せられ、横になってようやく楽になった。目を閉じた。

 お疲れ様、リツコさんの言葉が最後に聞こえた。


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