僕は制服のポケットに手を突っ込んで、校門の前に立っていた。ひび割れた黒い石版に『第3新東京市立第壱中学校』と彫られてる。流麗な楷書体の漢字が連なる中で一文字だけ直線的なアラビア数字の『3』が滑稽だった。
綾波はすこし野暮用があるので後から来るという。
目覚めは最悪だ。まだ頭がぼやけている。
「お前、おいそこのお前や。御殿場中<テンチュー>やな、お前」
黒いジャージの男が校門の向こうから僕を睨んでいる。
ぞろぞろと僕たちの周りを歩いて登校していくほかの生徒たち、僕の身につけてる制服は彼らとは違う。見れば一発でわかる、ここらへんの中高生なら知らない奴はいない学校。なぜか知らないが県下最悪の不良校として名が知れてしまってた。
「実は僕、転校生なんだ」
「ほう。珍しいのう、こないな時期に転校なぞ」
「だよねえ。僕も突然のことでわけわかんないよ」
一見にこやかに会話を交わしつつ近づく。僕の右足が門を踏み越えようとした瞬間、目の前が翻った。僕はとっさに地面を蹴って砂の煙幕を上げる。
「──!!」
「逝けやテンチュー!この糞外道が!!」
組みかかってくる男の拳をかろうじて捌く。こっちはまともに身体が動かない。やれるかどうかは危ない。肋骨を叩く拳の感触が妙に心地よかった。殴られてるってのに緊張感がない。痛みが麻痺してるから。
「キサマらの、キサマらのせいで山岸が──ァッ!!」
避けきれない。顔面に直撃を喰らった僕はたまらず地面に沈んだ。くそ、やっぱり男の拳は半端じゃない。綾波に殴られたのなんて蚊に刺されたくらいだ、これじゃ。
──待て、山岸だって?
追撃を転がってかわしながら僕は思った。逃げようとして僕に足を引っ掛けたノロマな女子生徒が地面にへたり込んで泣いてる。
僕はその場から飛び退いて回避。
「お前か!?お前やな!山岸を攫いおった御殿場中の男っちゅうのは!」
──山岸、山岸、山岸…マユミ。そうだ、山岸マユミ。1年の時に転校していった奴。そういえば第壱中に行くって言ってたっけ。隣の学区なのになあ。よく考えたら県が隣か。少しだけだけど僕たちと遊んだこともあった。
歯茎が痺れてる。2、3本はやられた。これじゃ食いしばれない。
既に異常事態を察知した生徒たちが遠巻きに僕たちを眺め、さらにその向こうで手を出しかねている教師の姿。
──ムサシの元彼女だったよな。さてはアイツ、こっちでなんかやらかしたのか?
冗談じゃない。だとしたら僕はとんだ殴られ損だ。
そう思うとみるみる力がわいてきた。こんな喧嘩にいつまでも構ってられない、さっさと済ませる。ずっとぼやけてた視界がいっきにクリアになる。
だが次の瞬間、僕に殴りかかろうとしてた黒ジャージの男は身体をこわばらせて硬直したかと思うとみるみる表情を歪ませていった。ザクっと、繊維が切り裂かれる音に肉の裂ける音がかぶさった。
崩れ落ちた彼の太ももには、鈍い銀色に輝く無骨な大型のカッターナイフが刺さっていた。
「あっははー、命中♪シンジ、大丈夫だった?」
声のする方を見ると、珍しく御殿場中の制服をきっちり着こなしたマナが手を振ってた。隣には綾波もいる。いつもの制服に、ギプスの左腕を吊ってる。
遅いよ、もう一発喰らっちゃった。
僕は腫れた頬を指差して見せた。マナはばつの悪そうな笑顔を浮かべながら、黒ジャージの太ももからナイフを引き抜いた。濁った赤黒い血の滴が太陽に照らされて、きらめきながら宙を舞った。その光景を目の当たりにした生徒たちは声も上げられない。中には嗚咽を漏らして目を覆う女もいた。
マナはそんな観衆の視線を愉しむ様に浴びながら颯爽と歩いてた。
綾波は別段気にした風も見せず、呻き声を上げる黒ジャージを一瞥すると僕の方を見た。
群がる生徒たちをかき分けて、眼鏡の少年が黒ジャージに駆け寄ってきた。大丈夫か、と声をかけて彼を介抱する。僕はしばらく二人を見ていたが興味もわかないのでマナたちに向き直った。
「初日からカマしてくれるわね」
他人事のように綾波が言った。
どうでもいいが、僕はこれから挨拶に行かなきゃいけないんだけどな。いきなりこんな大立ち回りを演じたんじゃ、今更クラスでの自己紹介なんか要らないだろうけど。
「お兄ちゃん!!」
幼げな女の声がした。セミロングの艶やかな栗毛をした少女が黒ジャージに取り縋っている。彼女は黒ジャージの傷を確かめると、僕をきっと睨んだ。
おいおい、やったのは僕じゃないぞ、マナだって。
目配せをしたが気づいたのかわからない。
マナが手をひらひらと振ると黒ジャージの妹は顔を真っ赤にしてマナを見据えていた。マナはそんな彼女ににっこりと微笑んでみせる。
ナツミやめなよ、あのヒトたちわかるの?御殿場中<テンチュー>の碇・霧島っていったらすごいおっかないので有名じゃない。綾波先輩ともつるんでるみたいだし。
彼女の友人らしい女子二人が黒ジャージの妹をなだめる。
なんだよその噂、そんなこと言われてるのか僕たちは。マナと綾波はお互い顔を見合わせて苦笑いをこぼす。
後で聞いたがあの黒ジャージの男は鈴原トウジといって、僕と同じ2年A組だった。眼鏡の方は相田ケンスケ。綾波とはよく遊ぶ仲だったそうだ。綾波に一喝されると、鈴原はすぐにおとなしくなって僕に謝ってきた。
別にいいよ、それよりも足の怪我ちゃんと手当てしといた方がいいんじゃない?マナのカッターナイフは特別製だからなあ、半端じゃないよ。『アナスタシア』なんて名前までつけて可愛がってるし。
そう言ったら鈴原は引きつり、相田は震え上がってた。
僕たちにくっついて教室まで乗り込んできたマナは来賓用スリッパをパタパタいわせながら窓枠に腰掛けてた。そういえば僕も上履き忘れたからスリッパだ。
微笑みかけられた鈴原たちはすっかり縮み上がってた。マナってば、早くも狙ってるのか。その視線、僕にはわかるよ。手当たり次第に懲りないね、いつもながら。
かわいそうに。柄にもなく同情心がわいてきた。
山岸のことについては、数日前に御殿場中の男子と一緒にいた姿を見た、という話を聞き違えていたのと、彼女がかつて御殿場中で苛めにあっていたという話をごっちゃにしていたらしい。一緒にいたって奴はたぶんムサシだな。そのことはとりあえず言わないでおいた。
授業が始まってもマナは帰る気配がない。
担任の老教師は構うことなくセカンドインパクトの昔話をしている。クラスの連中もそれがもはや当たり前の光景といった感じのようだ。
「シンジぃー、初日からいきなりあんなことになってさぁ、この学校シメたりしないのお?」
今の第壱中には小物しかいないしさ、『アスカさん』や『キョウジくん』だって今ぁいないんでしょ?
アスカの名前が出たとたん、クラスじゅうに緊張が走ったのがわかった。
なるほどな。
鈴原たちの方を見ると小さくなってこそこそ話していた。
他の生徒たちはただひたすら関係ないふりをしている。
「あー、洞木さん。あとで碇君に学校を案内してあげなさい」
そんなクラスの様子を知ってか知らずか老教師はマイペースで言った。
洞木、と呼ばれたお下げ髪の女子生徒は引き攣った様子で返事をしている。
次の休み時間に彼女の案内で僕は校内を一通り回った。鈴原に相田、それとマナも一緒についてきた。
教室に戻る途中、洞木は恐る恐る訊いてきた。
「あ、あの、碇くん、だっけ。あ、アスカって、知ってるの?」
「そんなびくびくしなくたっていいよ、僕は見てのとおりのヘタレ小僧だから。
アスカは一年のときの知り合いだよ。よく御殿場<こっち>に遊びに来てた」
彼女がどうしたの?
う、ううんなんでもない。今もよく会ったりしてるの?
「いや、アスカとは最近会ってないなあ。連絡も取らないし」
イインチョは一年の頃は惣流の一番の親友やったんや、せやから責任感じとるんや。惣流があないなことになったのにはなあ。
マナに刺された足を引きずって歩きながら鈴原が言った。
そうなんだ。僕は生返事で洞木の後ろ姿を見送った。
綾波は知ってそうだったけどな、アスカのこと。
せやったな、けど綾波もいろいろとよからぬ話きくからのう。
「それはけっこうなことだわ」
うおっ、あ、綾波来てたのか。
相田が大げさに驚いて振り向く。
綾波は僕を見据えて言った。
「今日の実験のことだけれど、霧島さん、あなたも来るようにとの赤木博士のお達しよ」
「私も?」
きょとんとした顔でマナは自分を指差した。
たぶん、碇くんのことについていろいろと話を聞きたいんじゃないかしらね、彼がいつごろから、どういうきっかけで『変わった』のか。
それって、つまり僕がアレだってことか。
さっそく例の実験をするってことなのかな?MTFの人間なんてやっぱり珍しいだろうから、いろいろ調べられるんだろうなあ。精神感応システムで操縦するエヴァだから、もしかしたらその辺りへの影響とかも調べたいのかも。
だからって僕の心の問題が解決するわけでもないけど。
本部に行くとさっそくリツコさんとミサトさんが待っていた。
まずは修理の終わったばかりの初号機を使ってシンクロテストというものをやる。その後、VRシステムで模擬戦闘訓練。
前回使徒と戦った時のことはあまり覚えていない。
シンクロが始まると、ぼうっと重いような、不思議な違和感が頭に入ってきた。
そのうち慣れるわ、とリツコさんが通信で言ってきた。
「そうですね、逆らわないで合わせていけば…けっこう落ち着きます」
「シンクロ誤差0.3パーセント以内、フィードバックレベル0.5から0.7です」
「初めてにしては上出来ね」
そりゃどうも。
自分の目なのに、他の誰かが見ている映像がそのまま流れ込んでくるような感じ。
エヴァが見ている映像なんだ。
なんだか夢みたいだ。
こんな得体の知れない巨大ロボットに乗るなんて。だけどマナたちも、御殿場基地でトライデントっていう陸上戦艦に乗ってたんだよな。恐竜みたいな格好で大きさはエヴァより一回り大きいくらいだ。ケイタがこっそり撮ってきた写真を見せてもらったが、あんまり大きすぎて実感がつかめなかった。いっしょに映ってる人間は小さすぎてよく見えなかった。
エヴァもそうなんだ。
コイツから見れば人間なんてちっぽけなものだ。
足元に立ったら、踏み潰されたって気づかないくらいだろう。
だけど今、僕はコイツに触れている。
神経接続。脳みその大きさだって何百倍も違う、だけど、感じるのは僕と同じくらいの大きさ。向かい合えば僕と同じくらいの背丈の人間が見える。
物質的な大きさなんて意味がないってことか?
まだよくわからない。
もうすこし慣れないと、探っていけない。
もっと深くへ。その感覚はたぶんいっしょ。きっと凄く心地いい。現実世界を忘れて、自分の中の世界へ潜っていく。
そうだよな。
そうよ。
うん、ようやくわかったよ。君が僕を待ってたんだね。
私はあなたに会いたかった。ずっと、ずっと前から。
嬉しい?
ええ。
僕もだよ。
私のせいであなたを辛い目にあわせてしまったかもしれない。
辛い目?
ううん、気にならないなら、それでいいわ。
僕は平気だよ。こうやってちゃんと生きてるからね。
それはたしかなことなの?
どういうことだい?
あなたが生きてるって証拠はどこにあるんだろう。
証拠かあ、身体がちゃんとあるのもわかるし、目も見えるし音も聞こえるし、そう、君の声も聞こえるよ。それじゃ足りない?
だけど、それはあなたの脳が伝えている信号に過ぎない。
意識かな、心。自分がここにいるって感じられたらそれでじゅうぶんじゃないかな。それ以上って言ったってなにかあるわけでもないし。
周りを見てよ、何も無いわ。
真っ白だね、夢の中?
そうかもしれないわね。すべては夢の中。
でも僕の見る夢ってけっこうリアルだよ、ふつうに景色とか人も見えるし起きてるときとほとんど変わらない。なんだっけ、明晰夢っていうんだっけか?
そう。だから私がここにいるってわかるのよ。
僕といっしょなんだね。僕もわかるよ、君が僕といっしょにいるって。
私の夢はあなたの現実、あなたの現実は私の夢。
僕は君を知ってる?僕が見ていた夢がそうなのかな。
私はずっと前からあなたを夢みてた。こうして向かい合って話せることをね。
そうなんだ、嬉しいよ。僕のこと想ってくれてるんだね。ちょっぴり恥ずかしいけどさ。
生きてるあなたに会えるのが嬉しい。だからずっとあなたには生きていてほしいの。私の中でずっと…
ちょっと怖いな。
どうして?
やっぱり僕って二次元の存在に過ぎないのかなって。
そうかもしれないわね。
君に出会わなければ気づかなかったよ。僕も、人間誰もが、この世界を構成する物質の一部分に過ぎないんだってね。僕は今エヴァに溶けてる。これって、この姿って人間なのかな?わからないだろう?誰にも見ることが出来ない。溶けて取り込まれちゃってるんだよ。
ええ、そうね。でも、それならここにいる私は何なのかしら?
君?
私の心の中にあなたはいるわ。だからあなたはこうして私と話すことが出来る。ねえわかる?たった数百ページの本の中にあなたはいるのよ。たった数十巻のフィルムの中にあなたはいるのよ。
僕だけじゃない、綾波やアスカもいる。
でも、私はいないわね。
仲間はずれなんてことはないよ。僕の中にも、同じように君がいるから。
絵を描くのでも文章を書くのでもいい。私はあなたの形を確かめたいの。たった数ページのテキストファイルに過ぎなくても、たった数百キロバイトの電子データに過ぎなくても、私はあなたと一緒にいたいのよ。
うん、ありがとう。その言葉を聞いて安心できたよ。
よかった。
ねえ君はこれからどうするの?
私はあなたと共にいる。いつでもあなたの中にいるわ、あなたが私を想う限り。私のこと、想ってくれるよね。
もちろんだよ。こんなステキな『体験』をさせてくれるんだからね。
ありがとう。
彼女は笑顔を浮かべて僕を抱きしめた。僕も優しく抱き返してやる。
だから心配しなくていい、自分の思うようにやっていけばいいさ。窓の外には雨を抱えた曇り空が広がっていた。揺れている楓の木と便所スリッパが光の粒を吐いて、僕の目の前を赤い染みがふわふわと飛んでいた。
壁がゆるやかに呼吸していた。壁紙に爪で引っ掻いたような傷があった。そこから白い肉がこぼれ落ちてる。僕は彼女の手首を見た。3本の深い切り傷と火傷の痕があった。
危ないのは私の方よ、彼女は眠そうな目で苦笑いした。
「無理をせずにって釘を刺されたばかりなのにね」
僕は彼女のベッドに横になり、脇の化粧台に放り出しっぱなしになってた薬のボトルを手に弄んだ。白い粉が砂時計のように崩れ落ちていく。
彼女は微笑みながら僕の手からボトルを取り上げ、代わりに葉っぱの袋をくれた。
お土産よ、私は吸わないから持って行って。
一度くらいいっしょにキメたかったね。彼女の笑みはどこか哀しげだった。
僕にとっての女神はやっぱり、君しかいなかったよ。ありがとう、彼女は僕に口付けた。僕は彼女に抱かれて目を閉じた。
思い出してたのはたくさんの写真だった、僕はアルバムを見ていた。
陽炎の立ち上る駅前、黒い巨人と戦闘機、ミサトさんの車、N2地雷のきのこ雲。父さんの影、初号機の顔、母さんの面影。
光のパイル、噴き出る血、再生する眼球。
ストレッチャーに載せられた綾波、第3新東京市の夕暮れ、ミサトさんの部屋、ペンペンの冷蔵庫とお風呂。
教室の黒板、クラスメイトたち、女子の背中に透けて見えたブラジャー。鈴原の拳、綾波のスカート、夕焼けに聞こえたセミの声。
夜の街、夜の山、雲と水に包まれた夜明けの箱根。誰もいない路地裏、カップルの喘ぎ声。
綾波の裸、茶色いバスタオル。加粒子砲の痛み。
あなたは死なないわ。私が守るもの。
僕はその言葉を彼女に重ねていた、君が僕を想い続ける限り僕は死なない、永遠に君の中で生き続けられる。人類補完計画、そのフレーズが頭の中で反射していた。
踊る人形、僕は思い出していた、彼女の影を。この世界のあらゆるところに彼女の想いが宿っているんだと。
アクアリウムの床に映った僕の影はおぼろげで、僕は青い空を見上げた。大気圏に突入して流れ星になる。
暗闇の中で僕は彼女の声を聞いた。私はあなたといっしょにいたいだけなの。
声のする方を見上げると白い巨人がうつろな目で僕を見下ろしていた。胸に突き刺さった槍を抜けば君は目覚める。僕は君が欲しい。ミサトさんと加持さんがなにかを叫んでいたが聞こえなかった。
それから先のことは覚えていない。
見えたのは、手首から血を流してベッドに横たわっていた彼女の姿だった。
次に目覚める時、僕はまたあの部屋に戻ってると思う。またアスカやミサトさんのご飯を作らなきゃならないな、しばらく間が空いちゃったから腕にぶってるかな。それは彼女も同じか、どっちにしろ僕にとっての君も、君にとっての僕も、ひとときの夢でしかないんだからな。
もうすこしだけ、夢を見ていましょう。
だから帰るの。みんなが待ってる。
怖がらなくていい。いつでも、私がついてるから。
耳元で囁いたマナの声はどこまでも優しかった。
「早く行かないと、リツコさんに怒られるよ」
「もうすこし楽しも」
ロッカーに背をもたれて僕はマナのキスを受けた。
なだらかで柔らかい腰のラインを撫でる。硬くなった股間が痛くて、すこし眉間にしわを寄せるとマナはすぐに僕を優しく包んでくれた。僕はマナの手を取って左の手首を見た。大きいのは3本、傷跡がある。大丈夫だよな。大丈夫。心配いらないって。
大変だよね。ふつうの男の子とは違うもの。
リツコさんもそれに興味あるんだろうな、どうしよう、襲われちゃったら?
「えー、そんなことになったら私怒るよ?トライデントで本部に殴りこみかけちゃう」
はは、それは景気がいいね。
チャイムが鳴って呼び出しがかかった。
ほら、もう行かなきゃ。
シャツに袖を通す。ほのかにふくらんだ胸が覆い隠されて、鏡に映った姿は少年のそれに相違ない。僕の姿だ。
プラグスーツを畳んでロッカーにしまう。
伸びをすると背骨が音を立てた。
「もしかしたらさ、綾波さんみたいに薬出してもらえるかもね?そうなったらめっけもんじゃん」
マナは咥えたラッキーストライクに火をつけながら言った。
「で、赤木博士には何を訊かれたの?」
綾波の部屋、僕が買い物から帰ってくるとバスルームから顔を出した綾波が訊いてきた。
「昨日話したことと同じだよ、御殿場での暮らしとか、ホルやってることとか」
食材を冷蔵庫にしまい、台所の配膳台の上で白桃の皮をむいて切り分ける。今日はマナも部屋にいる。部屋の方を見るとマナはベッドに座ってS-DATを聴いてた。
マナはちらりと僕を一瞥するとまたすぐに視線を戻して目を閉じた。
桃を皿に盛ってテーブルに置くと携帯が鳴った。
「もしもし?」
「あっシンジ、オレだよ。まずいことになっちまった」
ケイタか?いったいどうしたんだよ。
アスカっていただろ、去年オレたちとよくつるんでた。アイツにムサシがやられちゃったんだよ。第3の東の外れにあるマンション街に連れてかれたんだ。
なんだって、アスカが?やられたって、マジかよ。
話を聞きつけた綾波とマナも寄ってきた。
お前は大丈夫だったのか?
うん、たまたま一緒じゃなかったから…だけどアスカの連れがかなりヤバそうな連中でさ。オレ一人じゃどうにもなんねえし…
わかった、今から出る。どこで落ち合う?待って、東の外れって言ったよな。
「その辺りだと、コンフォート17でほぼ間違いないわね。葛城一尉のほか、NERVの上級士官が何人か入居してる。アスカもそこに部屋を持っているわ」
アスカ絡みということでさすがに綾波も真剣な表情になる。
そうか。それじゃケイタ、仙石原のハイランドホテル前でな。すぐ行くから。
部屋を出た僕たちはマナが持ってきていたS130に乗った。マナの運転で第3新東京市郊外にある仙石原ハイランドホテルを目指す。
コンフォート17はすぐに見つかった。
駐車場には見覚えのある青いクルマが停まっていた。ミサトさんのアルピーヌだ。マナはエントランスの真正面にS130を横付けする。
淡い街灯の光が照らし出すコンフォート17を見上げる。
綾波の持っているIDカードで鍵を開け、僕たちは彼女に続いて建物の中に乗り込んでいった。
綾波が部屋の場所を覚えていたので僕たちはすぐにたどり着くことができた。
ドアのプレートにアスカの名前がある。
そこからエレベーターの方へ、血痕が続いていた。
呼び鈴を押す。
時間が過ぎていく。ケイタが冷や汗を垂らしてつばを飲み込む音が聞こえた。
やがて重い音と共にドアが開いた。
咄嗟に身構える。
「くくくっ、やぁっと来たわけ?遅っせーのよアンタたち」
部屋の奥からはきつい酒の臭いが漂ってくる。アスカは夥しい返り血を浴びた第壱中の制服で出迎えた。
これねー、しばらく洗濯してないからとれなくなっちゃったのよ、はははっはははははは。
酔っているアスカは濁った笑い声を上げてブラウスの胸元を扇いだ。
僕を押しのけていきなりマナが進み出て、アスカの胸倉を掴む。
「ムサシに何をやったの」
手首を掴み握り締める。ギリギリと肉が潰れていく音がしてマナの表情が歪む。
べっつにぃ、ただ『遊んでた』だけよ?
ちいっとばかし『ふざけて』おイタしたってとこかしらァ?
綾波もケイタも動かない。僕はアスカの前に割り込むと腕を極めて押さえた。それでもアスカはすこしも動じない。マナは締められた手首を庇ってそれでもアスカを見上げ睨みつけてる。
「あによシンジ、ここでやる気?」
蒼い瞳が震えてる。
怖いか?
僕のことが怖いのかよ。変わってないな、あの頃から。
『変わってないな、あの頃から。』
アスカは僕を突き飛ばし、僕はドアにぶつかって廊下に倒された。
顔を上げるとアスカが僕のすぐ前に立ってた。腹を踏みつけられて再び倒される。
「シンジぃっ!!もういっぺん言ってみな、ぶっ殺すわよアンタ!!」
踏んでる足に体重をかけて綾波へ裏拳を打つ。
「てめえもよ綾波っ!!このアタシをどこまでコケにすりゃあ気が済むの、あぁっ!?」
「何の騒ぎだよアスカさん、っ、シンジか!?」
アスカの大声を聞きつけてキョウジが部屋の奥から顔を出した。その洗髪しにくそうなドレッドは相変わらずか。今時リーゼントキメるよりかはマシだろうけど。
綾波は怪我をしていて左腕が使えない。それでも右だけでアスカの拳を受け止めてる。
背後から殴りかかろうとしたマナが後ろ回し蹴りを喰らって吹っ飛ばされ、壁に背中を打ち据えた。
その隙に僕はアスカの下を脱出して立ち上がる。
「っ!っのシンジ」
両腕を抑えて壁に叩きつける。キョウジが出てこようとしたときに隣の部屋のドアが開いて、ミサトさんが現れた。持ってた缶ビールが床に落ちて茶色い泡が広がった。
「あ、あんたたちなにやってるの!」
「ミサト、ちっ…邪魔が入ったわね。ふん」
アスカは憮然とした表情で拳を下ろした。
ようやく空気の緊張が解ける。ミサトさんの手でアスカの部屋から連れ出されたムサシは顔がすこし血で汚れていたが大丈夫そうだ。
エレベーターで降りる僕たちをアスカとキョウジはずっと睨んでいた。
外に出ると僕は深く一呼吸した。シャツの泥を払う。
羽虫が街灯に向かって飛んでいった。
ケイタは心配そうな顔でムサシの傷の具合を見てる。
マナがS130のエンジンをかけると、駐車場に降りてきたアスカもZ750FXを起動させた。コンフォート17のコンクリート壁に2台のエンジン音が反響する。
僕たちは黙ってクルマに乗った。マナは運転席に、僕は助手席に、綾波とケイタとムサシは後席に詰めて乗る。アスカはFXのスロットルを派手に煽りながらエントランスに向かって叫んだ。サイレンサーを外しているらしいマフラーから時折アフターファイヤーが飛び出し、アスカの赤毛を燃えるように闇夜に浮かび上がらせる。
「キョウジ!!アタシぁちょっと出てくっから、アンタたちは留守番してなさい」
「アスカっ!ったくもう!」
追いかけてきたミサトさんが空の缶ビールを地面に叩きつけて毒づく。
マナは構わずS130を発進させ、アスカも続いて追ってくる。しばらく後ろを追走していたアスカは138号の直線に出ると横に並んできた。こっちに向けて指を立ててみせ挑発する。
お、抑えてよマナ、みんな乗ってるんだからね。
怯えた声で言うケイタに、マナはふてくされた調子でわかってる、と言った。アスカに締められた手首の感覚を取り戻すように右手をハンドルに叩く。
ロングヘアが風に激しくなびいている。
やがてアスカはFXを加速させて道の向こうへ消えていった。
赤いテールランプが長く尾を引き道路の上をうねっている。中央の白線がちぎれている。マナは御殿場まで送っていくわ、と言って乙女峠へ登る道へS130を乗せた。頂上のトンネルにパトカーがいたが構わず全開で振り切り、タイヤが派手に鳴いて焦げくさい臭いが車内に漂った。
シンジ音楽かけて。
僕はS130のカーステレオをいれ、アップテンポのユーロビートをかけた。SEB VOL.70。タクシー・ドライバーからオーヴァー・アンド・オーヴァー。トラック22のラヴィング・ハニーがかかる頃にはS130は御殿場の市街地へ紛れ込み、後ろから響くサイレンも鳴り止んでいた。
桜の花びらが校庭を舞っている。
真新しい御殿場中の制服に身を包んだ僕は運動場の芝生に寝そべって雲を眺めてた。
空は熱帯の海みたいにどこまでも澄んでた。
僕の両隣ではマナとケイタが、暇そうに草むらの花をむしっている。
「ムサシの奴どうしたんだろ。自分から言ってきた待ち合わせなのに」
僕はあくびをした。
マナが地面に手をついて僕を見下ろしてきた。空が見えなくなった。
どっか遊びに行こうよ、マナは僕の肩を揺さぶって言った。かったるいから今日はここで寝るよ、そう答えるとマナは唇を尖らせてむくれてた。
1時間くらい待ってから僕たちは街へ遊びに行くことにした。
国道138号線をぶらぶら歩いた。マナは道端にしゃがみこんで、路駐してるバイクをしげしげと眺めてる。
今日は富士山がくっきり見えるね。
ケイタが空を仰ぐ。
そうだね、レンズ雲がきれいにかかってる。
僕は目を細めて富士山を指差した。
僕たちは市民会館のベンチに腰を下ろし、ローソンで買ってきたホットドッグをぱくついた。シンジほらケチャップついてるよ、とマナが僕の口元を指で拭った。マナの小さな指を咥えてやると喜んで、頬を撫でてくれた。ケイタはひとりで黙々と食べていた。
生暖かい空気がゆっくりと流れている。
「オレたち、今日から中学生なんだよなあ」
なんとなしにケイタが呟いた。
どうしたのいきなり、と僕が聞くといやなんとなく、思っちゃってなあ、ケイタは雲を眺めながら上の空だった。
「あれ、あの女、第壱中<イッチュー>の制服だよな」
道路に投げていた視線がひとりの少女に引っかかった。
その少女はあざやかな赤毛を風になびかせながら、優雅に歩いてた。連れはいない。ひとりみたいだ。
お、ほんとだけっこうイケてんじゃねえ?ケイタが身を乗り出してスケベそうな目を向けた。マナは興味なさげだった。
「まーた、近くで見ると意外とブッサかもよ?今日だって一人いたじゃん」
「あ、あいつはなあ」
艶やかなロングの黒髪が背にかかり、しっとりとした雰囲気をかもし出す。だけど振り返ると、顔を覆う大きな黒ぶちの丸眼鏡がじっと僕を見つめてた。怯えたように彼女はまた顔を隠した。
「山岸はしゃーねーよ、あいつ小学校の頃からあんな感じだもん」
「後ろ姿で騙されちゃーダメよー」
「あいつも身なりしだいで良くはなると思うんだけどなあ」
女子のグループにも入ってる感じはなかったなあ、僕はぼんやり思い浮かべてた。彼女はいつも一人で本を読んでいる姿しか記憶にない。
赤い髪の少女はもうどこかへいなくなってた。
その日の帰り、マナは近所の自販機で煙草を買った。僕たちに1本ずつ配って一緒に喫おう、と言ってきた。ケイタはためらっていたがマナは構わず、幼さの残る唇に乗せたラッキーストライクに火をつけた。煙が漂い、さすがに少しむせてた。
中学生になったんだから煙草くらい覚えなきゃ、涙目で笑いながらマナは言った。
なんか無理してない、また家でなにかあったの。
心配そうにケイタが聞いた。マナは俯いて黙ってしまった。僕はケイタにジト目を向けた。
初めて喫う煙草の煙はとても辛かった。
美味しいね、マナ。僕がそう言うとマナは顔を上げて、にっこりと微笑んだ。
「ムサシ結局来なかったね」
「明日になれば学校には来るだろ」
「うん、そだねまた明日」
夕暮れに桜の木がオレンジ色に染まってた。
僕たちはケイタと別れて、家路についた。マナは手を繋いできた。僕はそっと握り返してやった。
家並みの向こうから電車の音が響いてた。踏み切りの音と、電車の警笛が聞こえてきた。次第に遠ざかっていく。
僕は太陽を見た。オレンジ色は次第に赤みを増し、雲はねずみ色に沈んでいった。
夕日はいつかどこかで見たものと同じだった。毎日、同じ色を見せてた。
黒点が見えた気がした。
巨大な磁力線の束が太陽に黒いエネルギーの穴を穿つ。じっと見ていると、太陽は怪物の瞳のように見えた。分裂して二つに、空の反対側に月が出た。
雲は光に押し流されるように山に覆いかぶさってた。
風が春の匂いを運んでた。
太陽が黒い雲に飲み込まれていく。
目の前には光球を覆う無数の棘が浮いていた。
使徒は横浜の高層ビルに下半身を突き刺した格好で、棘の生えた案山子のような上半身をくねらせてた。突き出た二本の腕からは光る鞭状の触手を振り回してた。
軟体動物のような体表は粘液でぬめってた。棘はうろこみたいに使徒の全身を覆ってた。
銃撃は効きそうにない。
UN軍が使徒にミサイルを浴びせるが、有効打は得られない。
使徒の身体から棘が円盤状になって分離し、辺りを飛び交うUNの重戦闘機めがけて飛んでいった。すり潰されるように戦闘機は粉々になった。僕は何も出来ずに立ち尽くすしかなかった。前回みたいに、黒猫さんが出てきて助けてくれはしない。
「接近戦をやってみます」
僕はプログレッシブ・ナイフを構えた。
瞬間、使徒の身体がぶれたような気がした。ホログラムを見ているような感じがした。だけど手ごたえはあった。折れた棘が道路に落下して突き刺さった。踏み潰すと砕けて黒い粉になった。
振り回される光の触手が初号機の身体を切り裂いた。鋭い痛みが走る。LCLが一瞬スパークした。
「使徒の、質量が増加しています!」
「全センサー正常、測定値に誤差ありません」
「成長しているって言うの!?」
発令所の騒ぎが通信ウィンドウから聞こえてくる。
使徒はたしかにその姿を変えてた。下半身がビルから離れて浮き上がり、触手は長い鉤爪状の腕になった。
ビルに残った抜け殻はサナギみたいに見えた。
もう使徒の命は残り少ないのかな。サナギはセミに似ていた。
アタシは伊勢佐木の中古車屋跡空き地にFXを停めた。ビルの向こうにランドマークタワーの巨体がそびえ、その頂上にウニみたいな形をした使徒が張り付いてる。シンジの初号機は2キロほど離れた間合いで手を出しかねている。
「バカシンジが、ちゃっちゃと殺っちゃえばいいのよ」
頭上をUNの重戦闘機が飛び越していく。
「あんま余裕ないわね」
イヤリングに仕込まれたスピーカーから、NERV本部発令所の様子が聞こえてくる。去年一度、NERVを離れたときにマコトから貰ったやつで、彼の端末と連動してアタシに情報をよこす仕組みになっていた。それに気づいたのはずいぶん後のことだが。
『──それにしても、碇司令の留守中に第4の使徒襲来か。思ったより早かったわね』
『前は15年のブランク、今回はたったの3日ですからね』
『こっちの都合はお構いなしってことね。女性に嫌われるタイプだわ』
ミサトとマコトが話してる。
廃ビルのドアを蹴破り、アタシは暗がりに向かって声をかけた。
「大人しくしてた、マユミ?『腹ん中のバケモノ』の『父親』がアンタをお出迎えよ」
ミサイルの飛翔音が立て続けに空気を裂き、爆発の衝撃波がビルを揺さぶった。
「知ってんのよ、アンタのことは。それにアタシにはわかる。使徒の力がね…くくくっ、凄いと思わない?シンジにも、綾波にも無い力よ。薬で脳ミソいわして、思いもかけない拾いモンよ。ねえ、『山岸マユミ』ちゃん?」
両手両足を縛られ猿轡をはめられたマユミはびくっと身体をふるわせた。床には涙か小便か知らないが生温い水が広がって染みこんでる。
ちったぁ気合入れなさいよ。
アタシはマユミの肩を踏んづけてパーラメントに火をつけた。くしゃくしゃになった第壱中の制服が泥で汚れ、スカートは血がこびりついて乾き固まっている。
縛っている縄を解いてやってもマユミは腰を抜かしたまま立ち上がれない。肩を蹴るとだらしなく床に転がった。アタシの薄汚い笑いだけが部屋の空気を揺らす。
『考えられることは、つまり──』
リツコの声だ。
『成長しているのよ。蝶が幼虫からサナギ、サナギから成虫に変わるように』
『まさか!?』
『あり得ない事じゃないわ。使徒は自己修復機能と、敵対する相手と環境に応じた適応力を持っている。おそらくはその延長線上の能力ね』
プログレッシブナイフの分子振動音がここまで響いてくる。
耳障りな音にアタシは思わず耳を塞ぐ。マユミはアタシを見上げていた。笑いながら喉笛を踏みつぶす。
なに笑ってんのよ、あぁっ!?コイツよ、コイツが『元凶』なのよっ!
再び腹を蹴る。マユミはうっと呻き声を上げて身体を折った。
地鳴りが響き天井から砂埃が降った。
近くに転がっていた鉄パイプを拾い、鍵のかかったドアを叩き壊して開ける。その向こうは屋上へ続く非常階段だ。
『目標を示す測定数値のいくつかが、ゼロを示しています!』
『どういうことです?』
バカシンジ。こんな時でも気の入らない抜けた声。
『つまり、あなたの目の前にいる敵は、実体であり、実体でないということね』
ミサトのビヤ樽牛もようやく気づいたか。そのとおりよ。
アタシはマユミを担いで屋上へ上がる。
初号機が手を出しかねている間にUN軍が割り込んできて次々と使徒にミサイルを浴びせる。バカが。効きもしないものを。『税金』の無駄遣いってやつよ。『発言力』を買うには、少々高すぎる出費じゃないの?
ビルの外でまた別のエンジン音が響いた。
ちっ、ムサシの奴追っかけてきたの。
まあどっちみちもう時間も無い。
非常階段から下の道路を見下ろすと黒いS130Zに、キョウジのCB400が停まっていた。
砂だらけの風が吹く屋上から、干し烏賊のような姿をした使徒が見える。
ある梅雨の日、クラスの噂がふと聞こえてきた。
知ってるか、B組の山岸転校するんだってよ。山岸、僕はその名前を思い出すのにしばらくかかってた。
眼鏡の少女は図書室で本の整理をしていた。
僕が彼女に声をかけようとすると、僕の後ろからムサシもついてきてた。
「よう、山岸」
「あっ、な、なにか?」
彼女はあからさまに怯えた様子だった。
なんか、昔の僕を見てるみたいだった。
「うん、暇だからさ、手伝おうかなって思って」
「あ、い、いえ、その、私ひとりで大丈夫ですんで」
「遠慮しなくていいよ。好きでやることだし」
僕とムサシは外国文学の棚を片付けていった。ムサシはちらちらと山岸の方を気にしてた。いったいどういう風の吹き回しだろう、トルストイ全集を棚に並べながら僕は思った。
入り口の方がなにやら騒がしくなっている。
見ると数人の女子生徒がお喋りをしながら図書室に入ってきていた。棚から次々と本を取り出し、机に無造作に並べていく。そこ、さっき山岸が整理したばかりの棚じゃなかったか。
あいつら、来やがったのか。ムサシが呟いた。
彼女らはいつも山岸を苛めてたグループらしい。これも嫌がらせをしに来たみたいだ。机に上げた本をろくに開かずに、てんでばらばらの棚へ戻していく。何冊かは貸し出し帳に記入もせずに持っていってしまった。山岸は気づいているのか、何も出来ずに見て見ぬふりをしていた。
あとでムサシがB組の奴をつかまえて聞いた所によると彼女らは山岸と同じ小学校で、その頃からずっと山岸への苛めを繰り返していたらしい。なんでも彼女の家は親が事件を起こしていたらしく、それをネタに強請りをされてた事もあったとか。現在は養父と暮らしているそうだ。もともと気の弱かった彼女は教師に相談する事も出来ずにじっと耐えていたという。
女子トイレの個室に閉じ込められ、下着を奪われた山岸の姿が脳裏に浮かんだ。トイレの窓から白いショーツが落ちていく。清掃用のバケツから洗剤と排泄物で濁った水の塊が、個室に降り注いだ。
ずぶ濡れになった教科書がトイレの床と便器の中に散らばっていた。
フレームのひん曲がった眼鏡が机の上に乗っている。
眼鏡のレンズには花の挿された花瓶が映り込んでいた。
花瓶を机に叩きつけて割る山岸の姿が見えた。
僕ならとっくにキレてるなあ、そう呟くとムサシは拳で机を叩いた。
俺はじめじめした女ってのは大ッ嫌いなんだよ!
そう絞り出すように言った。僕も嫌いだ、そういうのは。ムサシは向かいの椅子を蹴った。机から飛び出した椅子が倒れて、隣の机にぶつかって転がる。
シンジお前はなんとも思わねえのかよ!?いつもそうやって覇気のねえ面してよう!僕の胸倉をつかんでムサシは叫んだ。僕はムサシの手首を抑え、僕だって許せないよあんな連中は、と言った。ムサシは憮然とした表情で再び椅子に腰を下ろした。
煙草を吹かす。ムサシはまだ火をつけてないセブンスターを指でひねり潰した。散った葉っぱが教室の床に落ちる。
やっちまうか。
ポツリと呟いた僕を、ムサシは目を見開いて見つめてた。
それだ、シンジ。あいつらに情けなんか無用だ。やっちまおうぜ。
「僕らが悪者になるよ」
「あぁ?んなこたどーでもいいじゃねえかよ。見てて気にくわねえからやる、それ以上の理由があるか?」
「たしかに」
僕たちはその足で1年B組の教室へ向かった。
別に、山岸を助けようとか思ってたワケじゃない。ただ僕らの目の前でそういう不愉快な行動をしてほしくなかった、それだけだ。
ムサシが先に立って、教室のドアを勢いよく開ける。木のぶつかる音が炸裂した。授業中だった生徒たち、教師が驚いた目で僕たちを見る。
「おう、ミユキにヒトミ、あとツレの奴らァいるかよ?」
ポケットに手を突っ込んで教壇にずかずかと上がったムサシが教室を見渡しながら言った。僕は黒板に背をもたれて足を組み、山岸の姿を捜した。窓際のいちばん後ろの席で、焦った様子で僕たちを見てる。ムサシは彼女をあえて無視し、真ん中辺りの席で睨み返してきてる女子4人を見下ろした。
君たち、何の真似だ!?詰め寄ってきた教師の喉下に僕はすかさずニードルを当てた。いちおう準備しといてよかったかな、ため息をつく。目の前に鋭い切っ先を突き立てられた中年の数学教師は息をのんで固まってた。
ムサシの方を見ると、席を立ったミユキたち4人が歩いてくるところだった。背を蹴って教室の外に連れ出す。
おいテメェら待てよ!
クラスの番格らしい男子が立ち上がる。僕はそいつに向かってニードルを投げつけた。ニードルは刺さらずに服に弾かれて床に転がった。いきなりでビビったのか腰が引けてる。周辺の席の連中が慌てて椅子から転げ落ちてた。
ううん、もうすこし練習しないとなあ。
廊下に蹴り出した4人をムサシは睨みつけた。彼女たちも負けずに睨み返してくる。ミユキという巻き毛の女がリーダー格のようだ。
僕は教室の戸を閉め、ムサシの横に並んだ。
なによあんたたち、なんか用なわけ。用か?わかんねえのかよ、お前らちっとシメてやろうと思ってよ。ムサシがそう言うとミユキは吹き出して、ケラケラと笑った。あとの3人も一緒になって笑う。
ムサシはいきなり一歩を踏み出すとミユキの腹を蹴り上げた。突然のことにとっさの回避が出来なかった彼女は蹴りをモロに喰らって息を詰まらせる。嫌味な笑い声はぱたりと止んだ。代わりにヒステリックな叫びが耳に飛び込んできた。僕は聞き流してた。
彼女たちの群がる顔が動物園の猿に見えた。
違う種族、違う生き物。わかるわけないよなあ、僕は頭の中で肩をすくませた。
壁がある、川がある。壁の向こうだから、川の向こうだから。安全なところからただ好き勝手やるだけ。
「てめーら女だからって調子こいてんじゃねーぞ。俺ぁ今超機嫌悪りぃんだからよ」
「ふ、ふん、なによ。それでも男?女相手に暴力ふるってさ。なっさけない」
聞き流しきれなかった。顔を上げてミユキの巻き毛が見えたと思った時には彼女の身体は廊下の床に叩きつけられてた。
「男だぁ女だぁうるせーよ!お前らの僻みきった根性が一番むかつくんだよ!」
いつになく叫んでた、僕。袖口をつかんできた残りの3人をまとめてなぎ払う。
「自分らだけ特別だとっ!思ってんじゃねえよおおぉっ!!」
僕の腕の先で吹っ飛んでいった3人が廊下の壁に張り付いた。
ムサシが頭に一発拳を入れ、まずアケミが撃沈。僕は床に倒れたミユキを追撃した。彼女はさすがに不良女子を束ねるだけあって簡単にはいかなかった。他の奴らはむちゃくちゃに引っ掻いたりしてくるだけだが、こいつはしっかり拳を作って殴ってくる。やるぞ、この女。
切り返した肘がヒトミの頬をとらえた。こいつも一撃で沈んだ。頬を押さえてうずくまり泣きだす。翼を折られた鳥はもう飛べない。
「リー!あんた、マユミんこと怒ってんでしょ」
「んだとぉ?」
「はん、わかってんだからね。あんたがいつもあいつと会ってること。あんたがマユミにちょっかい出すようになってから、あいつ生意気になったのよ。あたしたちの言うことも聞かなくなって!」
床には血の滴が散ってた。いつの間にか逃げ出していたリョウコが教師にチクったのか、騒ぎが聞こえたのか、他のクラスの連中も廊下に出てきて僕たちを遠巻きに見ていた。
数人の男子たちが、ミユキに加勢するつもりなのか突っ込んできた。
振り返りざまに顔面を直撃。目が潰れるのがコマ送りで見えた。
「後ろにも気ぃ配れよ」
わかってら、ミユキの掌底を捌きながらムサシが答える。
「ばっかじゃないの。マユミは『友達』なのよぉ?」
躊躇うな、ムサシ。
教師たちが集まってきた。やばいな、これは逃げ切れるかな。あとはミユキひとりだけだってのに。こいつがまた予想外に強い。
「はーい、そこまで…よっ!」
きらめく刃が一閃した。ミユキの背後にすばやく忍び寄った茶髪の女が、手にした大型のカッターナイフで彼女の右腕を斬った。一瞬なにが起こったのかわからなくなる、だが、やがてじわじわとあふれ出てくる血にミユキは錯乱して叫んだ。ホラー映画でいちばん最初に殺される役の女を見てるみたいだった。
マナはカッターナイフの刃をハンカチで拭き、手に弄びながらムサシに向かった。上目遣いに悪戯っぽい笑みを浮かべ、ちょんとあごをつつく。
「ま、マナ」
「なにぼけっとしてるのよ。たった4人にこんなに手こずっちゃって」
床にだらだらと血を流し、ミユキは泣き叫んでいる。動脈は外したから死にはしないわよ、とマナはこともなげに言った。ナイフの刃を収め、血のついたハンカチをひらひらと投げ捨てた。
「それより、早いとこフケないとやばいよ?」
「そ、そうだな。おいシンジ、お前もいつまでもつっ立ってないで行くぞ」
「うん」
人ごみをかき分けて僕たちは学校から逃げ出した。教師も学校の外までは追ってこなかった。
そのまま東名高速を越えて、記念公園まで歩いた。
落ち着いたところで、マナが配ったデイトリッパーを三人で飲んだ。公園の水道がやたら美味しく感じられた。
「しばらく学校には戻れないねー」
まるで他人事のようにマナが言った。
僕はそうだなあ、ほとぼりが冷めるまではね、と気の抜けた声で言った。身体がだるくなって何もする気が起きない。芝生の上に大の字になって空を見上げた。すこし吐き気がした。
ムサシは黙り込んでしまってた。
後悔してるの、らしくないね、とマナが言うとムサシは顔を上げて、そんなんじゃねえよと沈んだ声で言った。
「ま、これであの子たちもしばらくマユミちゃんには手、出せないでしょ」
「けっこう派手にやったっけ」
「もうシンジ、『戦果確認』はしっかりやらなきゃダメだよぉ〜?」
笑いながらマナは僕の胸を指でつついた。
ねえシンジ、あれ見て。あの雲、お船みたいだね。
マナが指差した先には薄い巻層雲と積乱雲が重なって、海原を行く巡洋艦の形に見える雲があった。うん、これから戦場へ向かうんだあの船は。艦首が波を蹴破る光景が浮かんだ。雲が散って、雨になった。虹が出た。
夕立が降ってる間も僕たちは雨宿りもせず、芝生に寝そべってた。
濡れたシャツが西日を浴びて気持ちよかった。
もうすぐ夏がやってくる。
「元気出してよ」
マナは僕の腹の上に尻を乗せて座り、ムサシの顔を引き寄せた。濡れた髪の向こうで唇を重ねるのが見えた。
僕は穏やかな愛情を胸に抱いて二人を見ていた。
二人はそのまま僕の隣に寝転がって、それから三人で一緒に抱き合った。
日が暮れるまで僕たちはずっとそうしてた。通行人が不思議な目で見ていたが、気にならなかった。
次の日また公園に行ったら山岸と会った。
彼女は珍しくずる休みをしてしまったらしい。
山岸は僕に背を向けて芝生にしゃがみ、私のこと聞いたんですね、と言った。
「なんのことだっけ」
「私の…父親のこと」
「そうか、そういうのもあったかな」
彼女は立ち上がり、僕に向き直って言った。
「何も…思わないんですか、碇さんは」
「何もって?」
山岸は言葉を詰まらせた。
僕もなんて言ったらいいのかわからなかった、だけど、彼女に対する同情心はあったと思う。だから、それを悟られたくなかった。
山岸の性格じゃあ、苛めっ子に歯向かうなんてことは無理だろうな。
左手にニードルを遊ばせ、僕は空を見上げた。軍艦の雲はもう見えなかった。山岸は僕の左手を訝しげに見ていた。
僕はそばにあった木に向けてニードルを投げた。今度はきれいに刺さった。
支配されてたらダメだよ、僕は無意識に口に出してた。
支配?そう聞き返してくる山岸の顔は意外にあどけなさが残ってた。
子供の力なんて限られてる。力の及ぶ範囲が自分の世界。その世界を支配されたらダメだ、親の言葉、周囲の言葉なんかに。
力が欲しい。惑わされない力が。
歯を食いしばり、僕は木からニードルを引き抜く。
生きていくことがもどかしい。
足元の子石を拾って思い切り投げる。石は池に落ちて、小さな水柱を上げた。僕の力はその程度のことしかできない。本当にそうか?
手に持った武器は人間だって殺せるさ。
ニードルの刃渡りは15センチ。いっぱいまで突き刺せば心臓にも届く。
「僕の親父もね、なんかそういう事件でいろいろ叩かれてたみたい。だけど、今は誰もそんなこと気にする奴いないし、っていうか知ってる奴がもういないのかな」
空を鳥が飛んでいた。僕は右手を銃の形にし、撃つ真似をする。
「そう、だったんですか」
「親のしたことなんて子供の責任じゃないんだから。やり返すことに誰も文句なんかつけないさ」
僕も小学校の頃はよく喧嘩したもんだ。
理由を聞かれても答えられなかった。自分を守るための戦い、だったんだからな。
「他人の言葉なんてその程度でしかないんだからさ。気にしたらダメだよ」
「…はい」
あんまり役に立つアドバイスとは思えない、だけど言わずにはいられなかった。
僕自身に向けた言葉でもあるから。
もう一度空を見上げる。
高空を戦闘機が編隊を組んで飛んでいった。
遅れて、かすかにジェットエンジンの音がのんびり聞こえてきた。
1学期いっぱいで山岸は転校して行った。あれから、僕たちと何度か話す機会があったがムサシは相変わらずだった。
最後に彼女の家でお別れを言った時、彼女は僕に伝言を頼んだ。ムサシさんへ、ありがとう、と。それを伝えるとムサシは照れくさそうにしていた。
それから山岸と会うことはなかった。
彼女の転校先は第3新東京市、すぐ隣だしその気になればいつでも会いに行ける。だけど、その気にはならなかった。
ムサシは何人かの女と交際を繰り返したらしいけど、どれも長続きはしなかったらしい。
僕はいつもどおりだった。
適当に授業を受けて、ユーロビートを聴きながら街を歩いて、箱根の自然を眺めて、休日にはマナと薬遊びをして。セックスもしたが、付き合ってるという気はしなかった。第一、血が繋がってないとはいえ仮にも家族だからな。
翌年の春、ケイタとマナは戦自のロボット、陸上戦艦トライデントのパイロットになった。
その影響もあって僕はミリタリー関係にもすこし興味がわいた。ガスガンで射撃の練習もしてみた。実弾を撃てるマナたちがちょっぴりうらやましくもあった。
UN軍の兵士と喧嘩沙汰を起こして御殿場基地に捕まっていたムサシもそのままマナたちといっしょにパイロットになった。いちおうリーダー格を任されてるケイタはさすがに頭を抱えてた。ケイタは父親が戦自の偉いさんで、将来は防大に行くんだと言っていた。僕たちなんかと遊んでていいのか?そう言うとケイタはお前が言うことかよ、と僕をどついた。
一度だけ、マナたちが使ってるSIGザウエルP220を見せて貰った。モノ自体は、だいたい予想通りの質感でなんともなかったが、火薬の匂いだけは本物だった。
僕のオートマグIIIは大きすぎてすこし手に余った。
やっぱり本物には敵わないな、そう思いながら僕は月を撃った。30カービンサイズの硬質プラスチック製模擬弾が夜空を舞った。弾道は安定しなかった。ブローバックの衝撃は骨を痺れさせ、次第に感覚を麻痺させていった。
満月はいくら撃っても墜ちなかった。
目標をセンターに入れてスイッチ。照星の向こうに輝く満月のコアがある。
コアの輝きが次第に薄れ、その中に人の姿が浮かび上がった。
「!あれは…メインパネル、拡大投影!!」
ミサトさんがすかさず目標をズームアップさせた。
廃ビルの屋上に、赤い髪の女が立っている。
彼女の腕にはもう一人、黒髪の女が抱えられていた。
「アスカ!?」
「もう1人はっ?データベースを!」
アスカはビルの屋上に立ち、山岸を腕に抱えて初号機を睨みつけていた。口元から笑みがこぼれてる。
「出ました!山岸マユミ、第壱中学校2年A組、シンジ君のクラスメイトです!」
日向さんが叫ぶ。マヤさんの息を飲む音が聞こえてくる。
ミサトさんの頬を汗が流れ落ちるのがウィンドウ越しに見えた。
そうか、アスカ。『それ』がコアなんだな。
太陽と月、それぞれ反対側に。僕を挟んで正反対の方向に。僕はパレットガンを射撃姿勢で構えた。背後2000メートルには使徒の巨体がある。
「シンジ君待って!あれは人間よ!」
「使徒です。あそこにコアがあります」
さっきまではそう見えてたよ。
射撃モードが目標をロックオンした。レティクルの中央には、アスカが赤いロングヘアをなびかせて立っている。アスカは黒革のジャケットを脱ぎ捨てて叫んだ。
「撃ってきなぁシンジぃぃ!!!」
「いけないっ、火器管制をシャットダウンして!」
トリガーを引き絞る。僕のが速かった。衝撃波が膜のように初号機の腕を舐め、エントリープラグにも振動が伝わった。十字のマズルフラッシュが輝き、パレットガンの銃口から5インチ口径のホローポイント・マグナム弾が超音速で飛び出していくのが、スローモーションみたいに見える。
使徒の動きが止まった。
爆炎が引いた後には、無傷のビルが残ってた。
僕は銃を下ろした。
「アスカ、何を!?」
再びミサトさんが叫んだ。アスカは山岸の喉元にナイフを当てていた。震える胸に血の糸が垂れ落ちる。
やめろアスカ!僕は叫びながら走ってた。大地を揺るがして走る初号機、その振動でビルが激しく跳ねた。それでもアスカは微動だにせず、初号機を鋭く見据えていた。
微笑んだ。穏やかな笑みが見えた。アスカが笑ってた。そして、背後の使徒が吼えた。
さらなる形態変化を引き起こし、棘は消えて滑らかな体表があらわになった。頭部には極彩色の目玉が輝き、胸部には節足動物のような無数の足が蠢いてた。
「第4使徒…シャムシエル」
「ふん、さんざん世話かけさせてくれるわね、ええ?」
アスカが手を離すと山岸はコンクリートの床にへたり込んだ。腹を両手で押さえ、違和感が消えたことを確かめてる。
僕は振り向きざまにパレットガンを撃った。マグナム弾が次々と使徒の体表を貫き、内部から炸裂する。肉が砕け、引き裂かれ、青い体液がそこらじゅうに飛び散った。
兵装ビルからのミサイルが使徒の右腕に突き刺さり、右腕が光の鞭と共に千切れ飛んだ。使徒は昆虫のような金属的な鳴き声を上げた。セミの声のように僕には聞こえた。そうか、僕が手を下さずともこいつの命はもう残り少なかったんだ。それが理解できると、虚しさが心を満たした。
僕は弾倉が空になった銃を収め、プログレッシブナイフを握った。
ゆっくりと歩み寄っていく。使徒は残る左腕で迎撃を試みるが初号機のATフィールドに弾かれる。僕は鞭を掴んで使徒の動きを封じ、むき出しのコアにプログレッシブナイフを突き立てた。ナイフは一瞬抵抗があったがすぐにすっと刀身が入り、コアから光が消えた。使徒はそれっきり動かなくなった。
僕とムサシと山岸は、第壱中の裏庭にいた。
山岸はアスカに切られた首筋にガーゼを当てている。僕は木の幹に張り付いてたセミの抜け殻をむしって、山岸に渡した。
軽くお辞儀をして、僕たちに背を向ける。陽炎の向こうへ歩いていった。
僕は教室の窓を見上げた。
第壱中の制服を着たアスカが、僕たちを見下ろしていた。僕が見ていることに気づくと、アスカも踵を返して教室の向こうへ見えなくなった。彼女に付き従うキョウジはまだ僕を睨んでた。
僕とムサシだけが取り残された。
セミはまだどこかで鳴き続けている。