EVANGELION : LAGOON
Welcome to H.S.D. RPG.
CAR-BATTLE in TOKYO-3, 2015.
by N.G.E. FanFiction Novels,
and RACING LAGOON.
Episode 20. Another Name for ANGEL
「アスカァァーーーーーァァァッッ!!!!!」
横浜国際病院の廊下を貫く咆哮。
アスカはまるで待っていたかのように、背を向けたままじっと立っている。
陽炎が見えるのはオーラの発現か。
あくまでも、強者の余裕を示すと。
距離はいくらだ?20メートル。30メートル。
マナにとっては全天のどんな星よりもはるか遠く。
だが、届かない距離ではない。
一歩一歩を踏み出す。確実に距離は縮まっている。腕を振り上げれば届く。
窓のサッシにつかまりながら、見据えるのはアスカの背。
その表情は何を映す!?自分への嘲りか。シンジへの思慕か。夜叉の心か。それとも。
「うあぁぁぁーッははぁ!!!」
跳躍。
この身体のどこにそんな力が残ってた?笑いすら浮かぶ。
落下する重力をも込めて拳を振り下ろす。アスカは避ける素振りすら見せない。捕まえた……!!
「──!!」
次の瞬間、膝下まで届こうかという超長丈の白衣が翻った。ゴムの靴底がリノリウムの床を蹴飛ばす鋭い音が響き、その直後風切り音に重ねて、肉が潰れる湿った鈍い音。最後に激しい打撃破壊音が炸裂した。
右の裏拳を露払いに、強烈な左が一閃。
衝突軌道を描いて飛翔してきたマナの身体は直前で90度転針、文字通り直角に折れて壁に叩きつけられた。
激突の衝撃に耐え切れなかった合板の壁がメキメキと割れ、血飛沫が前衛芸術を描く。
空気が凍りついた。
周りにいた誰もが、言葉と思考を奪われてアスカたちを見つめる。
壁に身体をめり込ませて動かないマナを見下ろし、アスカは純白の衣を静かにはためかせる。
「……アタシはまだ『仕事中』なのよ……この清廉な神衣<カムイ>を、アンタの薄汚い血で汚すわけにはいかないわ。
それとも、アタシの仕事を増やしてくれるっていうんなら相手してやるわよ?」
「ぐ……っ」
顔を起こし、見上げる。首が上がりきらない。アスカの顔が見えない。
さっきのカウンターがモロに入ってる。頭蓋骨に早くも相当のダメージを受けてしまったか。
匂いが何も感じられない。嗅覚がやられた。噴き出る鼻血は止まる気配が無い。
だが、まだ立てる。
「上等……よ……『アスカさん』……!!」
他の入院患者やナースたちが、恐慌と畏怖の目でマナたちを遠巻きに見ている。
笑いがこみ上げる。そうだ。恐れろ。畏れろ。ひれ伏せ。
勝ってやる──理由なんてわからない。
がむしゃらに、『敵』を求め、そして倒す。
これが想い……シンジが、そして『アイツ』がずっと抱え続けてきた想い。そうなんだと。切ないほどにわかる。
下腹部を手のひらで庇いながらマナは立ち上がった。
シンジが自分に向けた想いは、今も自分の中で息づいてる。だから、負けられない。
あの夜、シンジがマナに授けたもうひとつの命。
今こそ燃え上がれ。
厚木市、『S.S.R.』ガレージ。
リフトに乗せられたカルソニックブルーの34Rはエンジンを降ろされ、各部の総チェックを受けていた。
トモヤも作業を手伝いながら、真剣な様子でエンジンを見つめている。
MAX1200馬力のモンスター、珠玉のRB26。
Diablo-Zetaに追いつかれた時、もう踏めないと思った。ブロー確実だった。
だが、間一髪のところでこいつは生き延びた。
もう一度走れるのかどうか。
固唾をのんで見守る。
「…………どうですか、社長」
「いやはや、厳しいな。これは」
トルクレンチを作業台に置き、額の汗を腕でぬぐう。
「やはりブローしてたんですか?」
「いや。どこかが壊れたってワケじゃない、全体的にヤレた感じだ。言うなればいっきに歳をとってしまったような」
後ろの34Rを振り返る。Diablo-Zetaのプッシュを受けたリアバンパーがわずかにへこんでいる他、目立ったダメージはなさそうに見える。
だがこのボディも、まるで20万kmを走ってしまった中古車のようにボロボロになっていた。
足回りもドライブトレーンもそう。故障を起こしているわけではないのに、その性能は明らかに経年劣化の症状を示していた。
走れなくはない。だが、昨日までの速さはもう無い。今はただの、ちょっと速いだけのチューンドRになってしまった。
命を吸い取られて……萎びた老人のような身体になってしまった34R。
復活させようとすればかなりの大掛かりな作業になる。
「あの頃と変わっちゃいねえ……いや、むしろ魔力は増している。
そんな気がするぜ。あのDiablo-Zetaは……」
「オレも、走っててあれだけ恐怖を感じたのはあのZが初めてですよ」
「アズサ君たちはどうしたんだ?」
「ええ。大井の左で、一緒についてきてた180SXがクラッシュして……そこで別れました。そいつをガードして大井南から降りたみたいです。
オレも後で見に行きましたが……ひどいもんでした」
昨夜の凄絶なバトルを思い出すトモヤ。
どんなにドライヴィングテクニックがあっても、彼にはまだ経験が足りなすぎる。戦いの経験、ドッグファイトの経験が。くぐりぬけてきた修羅場の数が。
走りを続けていくなら避けて通れない試練。それに目を背けず、逃げず、ましてや蛮勇を起こさず、冷静に向き合う。
そうして初めて、本当の速さを見つけることができる。
「そうか。忘れるなよ、一歩間違えばそうなっていたのはお前なんだ。深夜の首都高で走るってのはそういうことだからな」
「はい」
昨夜、大井コーナーでクラッシュした180SXはフロント部分を派手に潰しながらもなんとか自走して首都高を降りた。だが、出口から100メートルほどのところでついに息絶え、走行不能になってしまった。
アズサたちはマナが生きているのを確かめ、病院の手配と、そしてマナが示したSHOPへの連絡をした。
程なくやってきたのはNERVマークをつけたNSXとMR-S。
アズサたち首都高の走り屋にとっては有名すぎるマシンだ。
NERV直属といわれ、新横須賀最速の座を守るチーム『横須賀BlackKnights』のリーダー、そしてナンバー2。
彼女らは手分けして、マナを病院へ運び180SXの回収作業を進めていった。
遅れてトモヤの34Rが到着した時、入れ違いにマナを乗せたNSXが走り去っていくところだった。
すれ違う34RとNSX。視線が交叉する。
シンジのZと戦ったマシン。マナの180SXを撃墜したマシン。
今は、牙を抜かれた沈黙の戦艦。BNR34、スカイラインGT-R。
トモヤは路傍に34Rを停め、ローダーに載せられる180SXを放心したように見つめていた。
紙細工のように脆く、いびつに潰れてしまったフロントバンパー、ボンネット、フェンダー。ひん曲がった骨格がむき出しになり、180SXが受けた衝撃の凄まじさを物語っている。
恐ろしさとやりきれなさ。オイルとLLCが垂れてきているのはエンジンに大きなダメージを受けた証拠だ。もう再起は不可能だろう。この34Rについてこれるくらい、驚異的な速さを見せた180SX。それが今では無残にも命を落とし、こうして墓場へ向かおうとしている。
奪ったのは自分だ。
遅かれ早かれたどる道だ、そして。
気づかなかった……免許を取り、走り屋を始めて2年。自分が持って生まれたセンスは今や、この最高のマシンを自分に与えてくれた。首都高で最速と呼ばれ、自分の力に自信を持ち始めていた。そうして今夜は満を持して、最高のライバルDiablo-Zetaに挑戦する機会を得た。
それが……こんな結果になって。
今更のように思い知らされた。戦うコトの意味。自分が持っていた力、自分はそれに頼りすぎ、そして、恐れる心と向き合えずにいた。
死してなお、戦いへ向かう姿勢を解かずにいる。
トモヤには180SXが、そんな風に見えた。
これこそが走り屋の、真のSTREET RACERの姿だと。
「彼女……そう、180SXのドライバーは女の子でしたね。オレと歳はほとんど変わらないくらいでした……
なんていうか、格の違い……そんなのを見せ付けられた気がしましたよ。
もしオレが彼女の立場だったら、あの状況を切り抜けられたかどうか……たとえ、この34Rをもってしても……」
心構えとかそんな理性的なものじゃない。
もっと根源の、精神の奥底に燃えているエネルギー。
それはただ違いがあるだけで、なにも、誰にも分からないのかもしれない。だけど、感じることはできる。
Diablo-Zetaとの戦い、180SXとの通じ合い、それがトモヤと34Rに与えたもの……
すこしずつ、領域は近づきつつあった。
NERV本社地下。
ときおり、工具の音が響く他には不気味なほどに静まり返った、『第7ケージ』と呼ばれる空間。
恐ろしいほどに広く、薄暗いケージには3台のマシンが佇んでいた。
まずはマナの180SX……フロント部分のボディパネルはすべて取り外され、歪んだフレームとエンジンルームがむき出しになっている。
フレーム修正をかけるにしても、これだけの衝撃を受けた金属には残留応力がある。形だけ、寸法だけは直せても、そうなってはもはや元の強度を取り戻すことは出来ない。新しいボディを探してエンジンその他を載せかえるか、思い切って別のクルマをベースに作り直すか。選択肢はそれくらいだ。
そして隣には、アスカのFD。リフトに載せられ、フロントサブフレームが取り外されている。迅帝とのバトルでダメージを負った部分のパーツを交換すれば、すぐにでも戦線に復帰できる。まもなく、作業は終わる予定だ。
さらに一番奥に入ったところに……最後の1台が、ひっそりと身を隠していた。
DR30スカイラインRS-X。
レイのマシンだ……。
ベイラグーン埠頭から回収されてきたそのままの姿で置かれている。割れたガラスも、熱で溶けた塗装も、錆びついたボディもすべてそのままだ。
ボンネットの隙間からは、エンジン爆発の衝撃で吹き出てきたオイルが夥しく飛び散り、べったりとボディにこびりついている。それらがグリースや溶剤に混じり、強烈な刺激臭を放っている。錆と粉塵と油。機械の死骸の匂いだ。
これももはや再起は不能だろう。衝撃だけでなく、熱をも受けてしまったら金属は変質してだめになってしまう。
それにエンジンさえも酷いブローをしている……修理は不可能に近い。
こいつはそう……機械として、完全に死んでしまった。
さらに歩を進める。
頑丈なゲートを開けて進んだ先のフロア……
照明はほとんど無く、暗闇の中に非常口を示すの緑色の蛍光灯の明かりだけが虚ろに灯っている。
歩き出す。
かなり古い時期に作られたらしく、床のコンクリートは傷み、鉄板は錆びて歪んでいた。
やがて、床に置かれているいくつかの塊が見えてくる。
ちょうど普通車程度の大きさだ……比較して高さが低いところを見るとスポーツカーか。
「見なさい」
女の声。
白衣姿の彼女の手が、その塊にかけられたビニールカバーを解いていく。
「…………っ!……これは」
息をのむミサト。リツコは冷めきった表情で彼女の顔を覗き込む。
「そう。ここは『彼女たち』の墓場。
D-Project初期の、サンプルたちの墓場よ」
「RS……よくも、これだけの数を……」
そこに安置されていたのは、十数台近くにも上るスカイラインRSの廃車たちだった。
Diablo-TUNEを開発する際、初めてのテスト車両に選ばれたのがRSだった。
幾度ものトライ&エラーを繰り返し、そうして初のDiablo-TUNE『Diablo-RS』は生まれた。そのドライバーに選ばれたのは、当時まだ15歳だった少女、綾波レイ。
Diabloへの優れた適合を見せた彼女は、およそ7ヶ月をかけてDiablo-RSを乗りこなしていくことになる。
「……(一番目……『1st』に選ばれたのがレイ……。なら、シンジ君はどうして……あんなに後になって?もっとも高い適合を見せるシンジ君を、普通は真っ先にテストするはずなのに……)」
NSXを走らせながら、ミサトは思考をめぐらす。
最初に『Driver』に選ばれたのはレイ。その直後にアスカ。だがシンジが『Driver』として選出されるには、その後実に10年の空白があった。
選ばれたからこそ、レイは第3新東京市にシンジを呼び、自らのチームへ入れたのだ。
「……D-Projectの10年間の凍結……Diablo抗体テストのための予算不足が原因……本当にそれだけなの?わざわざD-Sleepまで持ち出しておいて……
NERVはこの時を……10年が経つその時を待っていた……?」
ステアリングを握り締めて呟くミサト。
Diabloは開発段階で致命的な欠陥を抱えていた。
それは、極度の緊張状態での意識の混濁、ホワイトアウト、幻覚作用。そしてそれに適応できる人間が極端に少ないということ。やっと見つけた適格者はいずれもまだ年若い少女だけだった。
そこでNERVは早急に試験サンプルを集めるべく、第3新東京……旧横浜市で行われていたストリートレースに目をつけた。
走り屋たちを言葉巧みに誘い、Diabloを密かに投与し、データを採集する。
その過程で『横浜戦争』『横浜最速伝説』などの事件が起きていった。
そして、忌まわしき横浜戦争終結の夜『CrimsonMoon Night』。
この夜の惨劇で多数のサンプルそしてDiablo-TUNEのマシンが失われ、NERVは検証続行を不可能と判断。NERV司令六分儀ゲンドウはD-Projectの10年間の凍結を決定する。
ミサトらNERV実戦部隊も政府、公安の目を逃れるべく地下に潜り、一介のストリートレーサーとしての活動を続けてきた。
そして2015年の今、再びストリートに舞い戻ってきたあの男。
碇シンジ……横浜最速の走り屋。
碇ユイが打ち立てたといわれる『横浜最速伝説』のうち、いくつかの記録はシンジによるものだ。
Diabloの開発者である碇ユイの子……まさしく新たな人類のアダム、Diabloとなるために生まれてきた人間。適合しないはずが無い。いや、そもそもDiablo自体がシンジに合わせて作られているようなものだ。
そのシンジが選んだ、イブとなるための女性……Diablo-TUNE。
いずれ彼女も引き上げ、人類補完計画のための依り代とせねばならない。
10年間、ずっと抱いてきた悲願。NERVの使命。SEELEの特命を受け、戦い続けてきた自分。そのはずだ。迷う理由なんか無い。
普段おちゃらけているぶん、ミサトはいまさらのように心を締め付けられていた。
人間の分を超えて、生命の遺伝子に手を付けてしまっていいのか……わかりきっていたはずだ。いや、忘れようとしていただけだ。Diablo……頭文字をとって『DREAM』人類の夢、と呼んでいたあの頃……あの頃のシンジを、ミサトは覚えている。もちろんリツコも、ゲンドウも、他の誰もが。
何よりも……霧島マナ、彼女のことを。
もしかしたら既に自覚しているかもしれない。自分の身体に起きた異変を。Diablo-TUNE……昨夜、シンジとアスカと共に走り、覚醒を成しているなら。
Diabloとなった自分を…………
風切り音を唸らせてアスカの右腕が翔る。頬に喰らうはずの打撃を皮一枚で回避し、その反動を抑えきれないマナは身体を一回転させてコンクリートの床に叩きつけられた。
横浜国際病院屋上、アスカとマナは対人<タイマン>のバトルを繰り広げていた。
すぐさま受身を取って起き上がる。切り裂かれた頬から血がにじむ。
「ふん……『あの頃』よりは根性見せるようになったわね。避けるのも上手くなった」
「私だっていつまでも子供じゃ……ないですよ」
「くくくっ……いいわ。さあ!」
ダッシュ。腰を落として構え、ロングの赤毛が一瞬宙を舞う。
小細工はしない。正面からぶつける。アスカもそれをわかってた。あえて捌かず打ち返す。
互いに直撃。
激突音が轟き、コンクリートの床が打ち震えた。鳩小屋のドアノブにかけてあった鍵が衝撃で浮き上がり、ちりんと金属音を鳴らす。
「ぐっ……はあっう」
初めて与えた直撃。同時に自分も、痛恨の直撃をもらった。
拳に感じるのはアスカの温もり。飛び散るのは自分の温もり。
膝が崩れそうになるのを必死で堪える。口の中に溜まった血混じりの唾液を吐き捨てる。見上げる。白衣は泥が付いてた。初めてアスカにダメージを与えた。
荒い息をつく。次の一手を伺う。
「どうしたの……もう終わり?まあ、身重じゃしょうがないわね……」
「……!!」
血がいっきに蒸発していく。瞳が震え、内臓が口からぜんぶ飛び出てしまいそう。
「だから調べりゃすぐわかるっつってんのよ……アンタだってそのつもりでしょうが?
このアタシを倒さなければ、Diabloは完成しないわ……シンジにもアンタにも未来は無い!!」
アスカが最後まで言い切らないうちにマナは走り出してた。低い姿勢から打ち上げる。
自分は159cmの40kgそこら、対するアスカは176cm、体重はわからないが少なくとも50kg以上はあるだろう。体格差が大きすぎるから、正面切って打ち合ったんじゃ勝てない。懐にもぐりこむしかない。
「ふんぬっ!」
横から肘が襲う。だがいける。こっちが速い。
顎をとらえた。渾身の力を拳に集めて打ち込む。直後、アスカの肘がわき腹に炸裂しマナは真横に吹っ飛んでいた。給水タンクにしたたかに身体を打ちつけ、金属音が轟く。
この見るからに頑丈そうなタンクをへこませるなんて、なんて力よ。床に転がり落ちながらそんなことも思う。
アスカはどうだ。効いたか?
「まだ立ち上がるわけ……懲りないわね。肋骨の2、3本は確実にイッたわよ」
「そうかもしれないですね……」
身体が驚くほど軽い。別に出血して体重が減ったからじゃあない。
「人間の生命力ってほんと、驚かされますよね……アスカさんだって医者やってるならわかるんじゃないですか?」
ふらついてるのはどっちだ。両方だ。休む暇は与えない。
まっすぐ打ち込めば胸元に届く。ガードしきれない隙間から、胸骨越しに心臓を叩き据える。効いた。アスカの長身がぐらついた。切り返しざま、ジャンプして頭を狙う。だがアスカも負けてない。上体をひねって直撃をかわし、空中にあって支えの無いマナに後ろ回し蹴りを叩き込む。
吹っ飛ばされるのはコレで何度目だ。コンクリートの硬さが懐かしい。10メートルくらい転がってようやく止まる。
気づいたけど、アスカは下半身への攻撃を避けてる。すべて頭や胸に攻撃を集中させてくる。たしかによりダメージを与えるなら、身体にとって重要な部分であるそこを打つのは当然だろう。だがそれだけが理由じゃない。
もう手の皮が擦り切れて、まともに握り拳も作れやしない。
だけどそんな腕でも、身体をかばうことは出来る。下腹部を守るそぶりを見せる。アスカもその意思を認め、ニヤリと口元を歪ませた。
「……その甘さが、命取りになるかもしれませんよ」
「そういうことは……このアタシを倒してからほざきなさい!!」
来る。オーラが鋭く突き立てられ、気合だけで圧倒されそうだ。だけど、負ける気はしない。これまで何度、命のやり取りをしてきたんだ。それに比べればぜんぜん大したことは無い。
最後の力を振り絞って跳躍。膝が届く。反動で吹き飛ばされる。着地。まだ立ってる。
これ以上後ろは無い。あとは、鉄のフェンスを突き破ってまっさかさまに落ちるだけ。運良く植え込みにでも落ちればいいが、地面に直撃したら……
ゲームオーバー……残機ゼロ、そんなところか。だけど、まだ終わってない。
「FD相手に戦うのに比べれば……!」
右ストレートが空を切る。直後に背を打ち据えられ、つんのめるように床に突っ込む。
肺にダメージ!息が苦しい。だけど致命傷じゃない。
Diabloの力、悪魔の力?違う。
「くくっくっくっくっく……アスカさん!」
手で首を掻き切るポーズをしてみせる。挑発。
間合いを詰める。接近。
真下から打ち上げる拳。骨に直撃する感触を確かめる。やった。
「ぶっは!ッ……」
アスカの強靭な体躯がついに崩れた。口から散った血飛沫が白衣に点々と赤い印を刻む。
「ふっ、フフフ……それで勝ったと思わないでよ?アンタもうまともに立ってられないじゃない。その身体で、アタシを完全に倒せる力……残ってる?」
「やってやる……」
歩を踏み出す。重い。重力が一気に増したようだ。思いのほか体力を消耗してしまった?一瞬の油断で気力が抜けた?
今突撃したら、今度こそ命は無いかもしれない。
だけど、守りたい。この命を、守りたい。
思いはいつしか、入れ替わり、今はわが子を守ろうとする愛情だけがマナを支えていた。情け無いな……今頃になって気づくなんて!大体いつだよ。もう3ヶ月近くも前のことでしょうが!なんにも変わってない。あの頃とちっとも変わっちゃいない。もう、あんな思いをするのはたくさんなのに!
もっと早く気づいてれば、あるいは迅帝とのバトルも──!!
「そこまでよ、二人とも」
声に振り返るマナ。アスカも痛みを堪えていた顔を上げる。
「──相原先輩!?」
「アスカ、ひさびさに派手にやったじゃない。マナちゃんもしっかり」
戦いは終わった。緊張が解け、いっきに気力が萎えて崩れ落ちたマナをカオリは優しく支える。
カオリの後からリツコも姿を現した。
仕方なさげにアスカを見やってため息をつく。できの悪い妹を抱えた姉のように。
「まったく、待ちくたびれたわよアスカ。どう、動ける?」
「ええ……なんとか。アタシもさすがに身体が鈍ってましたね」
ゴリゴリと首の関節を鳴らす。カオリに連れられて行くマナと目を合わせ、思いを確かめ合う。
「……それじゃ、行きましょうか……すみません、お時間とらせてしまって」
「いいわよ。でもその前に、服替えたほういいんじゃない?そんな血だらけの格好で街は歩けないでしょう」
「ふ、ふふっ……そうですね」
思わず笑みをこぼすアスカ。
気持ちは信じられないくらい澄んでた。Diabloと、戦い。爽快すぎる。
マナ。彼女にならシンジを任せられる。そう思った。たしかに。
10年前に誓った約束……ようやく、果たすことが出来た。
再び夜がやってくる。
首都高には今夜も、走り屋たちのマシンが舞っていた。
僕は彼らの間をかいくぐりながら、彼……銀のZ32を探す。
「なぜ……道を塞ぐ?僕がどこへ行こうと君たちには関係ないだろ……」
現れたのは楠木33Rだった。Zにしつこくボディを被せ、進路を邪魔してくる。
振りきれる。今のZなら。
銀座エリア、狭いガード下をくぐりながら33Rを牽制する。
巻きつけられてるクッションバリアなんて気休めにもなりやしない。激突を10cm単位で回避する。
33Rも負けてない。
タイプCエアロによって敏捷な機動性を手に入れた33Rはボディの大柄さを意識させずに一般車の間を鋭く切り抜けてZに迫ってくる。
「お前が『横浜最速の男』である限り……お前を第3新東京から出すわけにはいかない」
「そこまでにしとけ、な……」
いきなり背後に付けられた。こいつは……Z32!?銀色の。
12使徒『トゥルーライド』……加持さんが言ってた10年前の走り屋か。
「は、ハルさん!?」
Z32の横から、インプレッサも姿を現す。どうやらツレのようだ。彼らの誘導に従い、僕たちは芝公園待避所へ入った。
僕たちはクルマを停め、それぞれに降り立った。
Z32のドライバー……林原ハルキは金髪を立てたスタイルで一見、不良中年のようにも見える。だけど、その目は明らかに死線を見てきた色だ。それだけで向こうも、僕のことを理解したようだ。
そしてインプレッサのドライバー、それはNERV技術顧問にして赤木リツコ博士の母親、赤木ナオコ博士だった。
もしかしたら彼女が僕のことを?
僕の疑問に答えるように、林原が口を開く。
「君は……そっくりだな。10年前の最速の男に……いや、君自身が『そう』なんだろう」
「僕を知ってるの……」
【声】はまだ教えてくれてはいない。
ナオコ博士を見やる。彼女は何も言わない。
再び林原を。
「横浜最速伝説……多摩川コーナーで奴に抜かれたのは、この俺だ。俺は奴の走りを間近で見た。5速全開でコーナーを駆け抜けていった、命知らずの走りをな……」
「走りが似ている……それだけなの?」
「半端に事故るくらいならアクセルを踏み込む。そういうタイプの走り屋だった。
運がついているうちはそれでいい。踏み込んでいって生きる、そのやり方でやっていける。
だけどそれだけじゃ、長くは続かない……」
「どういうこと」
大型トラックが走り抜けていく。騒音が収まるのを待って林原は言った。
「……一週間後に、奴はあっけなく死んでしまった」
心臓がすくみ上がった。
「なんでもない直線で……な。原因は不明。Zも……それ以降姿を消した。
俺たちの前から、ぱったりと……な」
時間を逆行する意識は記憶を見せる。
10年前の最速の走り屋……君が、そして僕が、生きていた時代。
蒸し暑い真夏の夜。
首都高速、湾岸線。
有明JCTを過ぎた先、13号地の左コーナー。
そこに、数台のクルマが列をなして飛びこんできた。
先頭はヴァイオレットブルーのフェアレディZ、Z32。狂おしい青白色の閃光が路面を貫く。
風の悲鳴、大気が切り裂かれる音が重なる。
それを追いかけるように、全開のエキゾーストノートが立ち上がる。
遮音壁の向こうから、蒼い光条が空を切り裂く。
天の川に突如出現した超新星の如く…………
無機質なコンクリートとアスファルトのかたまりが、TUNEDCARたちの全開走行に打ち震えている。
魂が共鳴する……
……極限のSPEED領域で……
Zのテールから突き出された4連のマフラーが紅い血潮を噴く。
鬱血を押し流すように……アフターファイヤーを体内から炸裂させる。
それによって身体の重みが抜け、Zはさらに加速する。
後続のマシンたちは遅れはじめていた。
交通が途絶える朝方の高速道路。
最高速アタックにはうってつけの時間帯。
こんなとびきりのシチュエーションは、そう何度もあるものじゃない。
Zの本能はそれを敏感に感じとっていた。
前方には何もない。
……ALL CLEAR……
すべてが止まる最高速の世界へ…………
他のマシンたちはもはや追いつくことができない。
彼らの視界のはるか向こうに、一筋の赤い流れ星が舞っている。
長いトンネルを抜けると、道は大きく左へ回り込んでいる。
Zはじりじりとアウト側に寄り、そしていっきに車体を振った。
ブレーキランプは点灯しなかった。
荷重の抜けたリアタイヤが路面を撫でる。
一瞬の滑走、そして再びフラットアウト。
永遠とも思える瞬間の後、Zは闇の中へ向けて猛然と加速していた。
黒いアスファルトに刻まれた轍…………
月明かりを浴びて、赤黒く輝いている。
その夜、空には紅い満月があった。
東の空からのぼる太陽に、徐々にその姿がかき消されていく。
次の夜、再び空に現れたのはいつもの白い月だった。
それきり、あのZの姿を見ることはなかった。
「それっきり……Zは姿を消した」
うわ言のように僕は呟いてた。
「派手な事故だった。未明の横羽線……バトルの最前線で事故が起きたんだ。
『横浜最速の走り屋』……Diablo-Zetaを追ってつるんでバトルしてたクルマが何台も……
異常なスピードだった。当時、湾岸最速の俺が最後尾についていくのに精一杯のスピード……
最後に感じたのは……鉄パイプで殴られたような衝撃………………
………そこまでだ………
現場は……クルマの火葬場のようだった。爆発の炎が燃え上がって……な。
……鎮魂歌<レクイエム>……
『横浜戦争』終結の…………」
まざまざと目の前に浮かび上がる光景。加持さんから聞いた内容と寸分違わない。
高速の路面を埋め尽くすオイルと炎……黒煙は空を焦がし、赤い月は煙に霞んで……
燃えるクルマの残骸を鉄パイプで一台ずつ、叩き潰していく。
Diablo-Zetaはどこだ。燃えさかる炎、肉体を焼き尽くす炎を踏み越えて僕は彷徨う。
逃げ出そうとするドライバーをためらいも無く殴り殺し……骨が叩き割られ、脳ミソが飛び散るのを僕は見てた。鉄パイプには血と脳漿がこびりつき、それが燃えて松明のように赤々と夜空に浮かび上がる。
僕を今まで閉じ込めていた人間たちを僕は許さない……
……僕が見ていた……?
渡された記憶。君から受け継いだ思い。
これがそうなのか……
「そうして、横浜最速の走り屋は伝説になった。
今から思い返してみればどうしてあんなことが起こったのかわからない。
だけどな……俺はあの夜の生き残りとして、君を止めたい。
……そっちの博士から話は聞いてる。
どっちを選ぶかは君しだいだ……」
バトル。そういうことだ。
10年前に預けていた勝負の決着をつけると。そういうことなんだ。
【声】が再び僕を奪う。だけど少しずつ変わってきてる。
僕にも意識を与えてくれた。
僕は自分のしてきたこと、それを受け止めるべきなんだと……
「勝っても負けても僕は行くよ。それでいいだろう……」
走り出す。同じZ32、Diablo-Zeta。
スピードに実感が無い。
とてもゆっくりと僕たちは……歩き続けてる。
スピードメーターの数字は狂ったような数値を示してるのに、僕にはすべてがゆっくりに感じられた。
そうだ。今走ってるのは僕じゃない……【10年前の最速の走り屋】なんだ。
僕に代わって走ると……今は僕に走らせてくれと、そう言ってた。
浮ついた意識は朦朧と、だけど感覚だけは伝えてくれる。
思い出せ。思い出せ。【声】はそう繰り返す。
「許してほしい……俺は止めることができなかったんだ」
Z32。いかな12使徒といえども、覚醒したこのDiablo-Zetaにはかなわない。そして何より、今ステアリングを握っているのは誰あろう【横浜最速の走り屋】なんだから……
Diablo-Zetaと共に生まれ、Diabloの為に生まれてきた人間。
その力は人間を凌駕する。
「たくさんの仲間がアイツのために死んでいった……俺は見ていただけだ。安全な場所から……
そうやって10年間を生き延びてきても、何も変わりやしない。
俺は守りたかった……それは自分自身。君にも当てはまるだろう。
……埋もれるなよ……夢の抜け殻に。
走りきるんだ。君はそうする使命がある」
約束……たくさんある。
ずっと覚えていた。
僕は走る。
かなえるために。
環状線、中央分離帯越しに紅いFDとすれ違う。Diablo-TUNE同士が呼び合ってる。求め合ってる。だけど今は、少しの間だけ……別れる時間が必要だ。
アスカ……。僕は必ず帰ってくる。だから待っててくれ。マナと綾波にも……時間が無くて顔出せなかったけど、よろしく言っといてくれよ。
僕は行かなきゃならない……
僕自身を取り戻すために。
北へ……
林原のZ32を振りきり、東北自動車道へZを乗せる。ナオコ博士のインプレッサが先導するように前に出た。
彼女の導きに従えばいい……【声】もそうすることを選んだ。
『10年前の最速の走り屋』は死んだ……
母さんの命を奪ったこのDiablo-Zeta。こいつ自身がいちばんよくわかってるはずだ。
どうなんだ……僕は死んだのか?
狂おしい蛍光色を撒き散らす、Diablo-Zetaのオプティトロンメーターパネル。
ブーストメーターのグラフは危険領域に張り付き、シンクログラフが激しくうねる。
Diablo、その力の暴走。
【声】は黙っている。
自分が死んでるってコト……受け入れがたいのか。
そう……
認めるしかないんだ。
君はもはや魂だけの存在。
僕の中でしか生きられない。
語りかけても何も言わない。
次に目覚める時……君の望む答えをきっと探そう。
それは僕の望みでもある。
関東を脱出し、ひたすら北へ向かう。
Diabloの根源が眠るその地へ……
僕は暗い道をどこまでも踏み込んでいく……
それは底の見えない、無限の記憶の連鎖の中へ……
逃げていたらダメだ。
REALITY……今このときの現実を認めるしかない。
【声】よ……そうだ。君自身がわかってる。だから僕に記憶を見せた。
僕は過去へ逃げてはいられない……
2015年の今を、僕は生きなきゃいけない。
だから……
走る。最速の彼方へ。
予告
10年前、横浜にとびきり速い走り屋がいた。
伝説が終わり、闇に封じられた本当の自分。
甦る横浜最速伝説。
そしてそれは、10年前の約束を果たそうとするシンジの最期の想いでもあった。
第21話 狂走のバラード
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