暗がり……NERV本社ビル。

 東の空は白みはじめ、またいつもと変わらぬ朝が訪れようとしている。
 現実感を喪失したこの世界で……

 僕たちは、何を見るのか?





「昨夜26:48、第3京浜にて確認された以降、Diablo-Zeta……『サード』の消息は不明です。
追跡システムからもロストしました」

 リツコが報告するも、ゲンドウは微動だにせず。聞いているのか、いないのか。
 その黒眼鏡は光を呑み込み、輝き続けている。

 資料の束を抱えたリツコはやや視線を落とし、そして再び顔を上げて言った。

「現在、作戦部及び諜報部が『サード』確保に向け動いています。並行してWON-TECに対する情報操作も」

 間を置き、さらに付け加える。

「『S2機関』も、既に起動しているものと思われます」



 そこでゲンドウがようやく言葉を発した。

「……ああ。すべてはこれからだ」

 分厚い防弾ガラスに、淀んだ微笑が反射する。











新世紀最速伝説
The Fastest Legend Of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第20話 天使の異名












 視界が収束し、白い天井が徐々に実体化してくる。

 覚醒……そして、再起動。
 ゆっくりと身体に火を入れる……ひとつひとつ、確かめていく。動かない。まだ、ダメージが残ってる……仕方ない。あれだけのスピードでクラッシュしたんだ……

 昨夜の大井コーナー。250km/hでスピンしてガードレールに激突した。
 めくれ上がるボンネットとフェンダー。散っていくヘッドライトの破片。飴細工のようにひび割れるフロントガラス。衝撃に折れたプロペラシャフトが体内で暴れ、ボディをズタズタに引き裂く。

 限界を超えた重力の鉄球が、この身体を貫き打ち砕いた。肉も骨も内臓もすべてが崩れ。脳が溶けて。子宮が潰れて。

 そこから先の記憶が無い。



 白い天井が光を満たす。

 ホワイトアウト。解像度の低下。ピシピシとひびが入って割れていく天井から光が滲み出し、壁紙のエンボス模様が激しいハレーションを見せる。ノイズ。雑音。その中にエンジン音。抽出。

 眼球のレンズを絞り込めばヘッドライトの眼差し。

 CA18DET、RB26DETT、VG30DETT、13B-T。

 GT2580、T51R、K26、T78。

 思い出せない。おそらくたった数時間前のこと。
 だけど違う。時間軸が違う。次元さえも違う。平行世界?

 もうあの世界には戻れないのか……自分は今、生きてるのか?本当に?ここは本当に病室だよね。霊安室じゃないよね。うげえ、メスが飛んでる。ひゅんひゅんひゅんって。これから手術するのかな。やっぱり病院?ああそれとも、もしかして司法解剖されるのかな。2015年度12月現在の全国の交通事故死亡者数は……って、洒落にならないよ。あれ、ってことはここは警察署?い、いやだあ。マッポ怖いよう。走り屋の天敵は警察と車検です。

 いけない、はやく確かめなきゃ。逃げなきゃ、ここから逃げなきゃ。

 確かめようにも、身体を動かすことができない。

 身体の動かし方がわからない。

 可笑しくなる。笑いがこぼれる。あれ?「笑う」って、どうやるんだっけ。寂しい。寂しいって何?感情?これが感情?感情って何?
 感情を表現。表情?見えないよ。言葉?あれ、声の出し方もわかんないや。
 しゃべるってどうやるんだろ。のど?舌?動くの?どうやって動かすの?

 私は一人ぼっち?ひとりってなんだろう。私ってなんだろう。

 冷静。それとも混沌。反対語は秩序。ん?秩序、違う。いや、それは人間が勝手に作り出した都合のいい決め事。本当の秩序、それは何ももたらしはしない。ただこの世を司る物理法則、それだけだ。

 その枠を飛び出してしまったとき、そこに見えるのは無。無、む、ム……宇宙創生。

 闇、永遠の闇。いや、光そのものが存在しない世界ではそれすら無意味だ。ただ、揺らぎがあるだけ。現れては消えていく宇宙があるだけ。量子宇宙?むずかしい理論は私にはわかりません。だけど、感じてることはたしかだよ。

 見えるって、ほら。あなたも見てるでしょ。

 その前にあなたって誰だろ。ん、モニターの前のあなた。そこのボクちゃん。はーい。

 なんだっけ、昔なんかのアニメで見たことある。ディラックの海?
 その中に落ちたらこんな感じかもしれないね。距離はある。物体も感じられるよ。被ってる毛布、頭が載ってる枕、ベッドの脇にあるなんだかわからんカーゴ。
 みんな私のそばにある。でも、そこから先に果てがない。どこまで行っても相対距離が変わらない、絶対距離なんて知ったこっちゃない。閉じた宇宙ってやつなのかな、これが。

 くだらない。裏返しになった脳味噌の表面に映る視界、そこから生えてくる表情、その瞳は私。

 光が跳ね返ってくる先がないなら、その瞳は自分を映す。鏡を置けば見えるのは自分?

 はは、目が真っ赤だ。
 鼻の奥が鉄臭い。毛細血管の圧力急上昇中。そろそろやばいぞ。圧力差拡大、圧壊危険深度!緊急浮上。全ベント閉め、エマージェンシーブロー!アップトリム最大、機関全速前進!

 ビッグバンからビッグクランチへ。膨張を続ける宇宙はいつかは収縮に転じる。

 果てしない自我の拡大を引き止めて、ねじ伏せてしまう強大な魂の重力。
 人間は地球の重力を離れて生きられない。ちっぽけな存在だよね。

 そうだ!悪いのは地球の重力に魂を引かれた人間たちなんだ。

 そんなこと言って適当に言葉並べてるだけだけど。
 でも、それすらみんな私の一部なんだよね。私ってなんだろう。転がり落ちたりんごの一個、それが私?どうなんですかニュートンさんトミノさん。ニュートミノ?もとい、ニュートリノ。
 ぶち抜けニュートリノビーム。

 こういう理論を考えつける人間ってすごいと思う。

 深淵の奥底。

 ブラックアウトからレッドシフト。電磁波の赤方偏移。ガンマ線からエックス線、紫外線を乗り越えて可視光線へ。光。赤い。シグナルRED。それ以上踏み込んだらヤバイ。赤外線のリミッターが切れたら、電波に冒されちゃう。
 光はただ純粋な赤。

 無の揺らぎは赤い海へと姿を変える。

 魂の帰る場所はもしかしたら、そこなのかもしれない。
 揺らぎの中に光が見える。もうすぐ帰れる、あの場所に。

 私は帰らなきゃいけない。もう一度、会いたい。あなたに会いたい。
 魂が飛翔する。

 シンジ。

 会いたいよ。





 ──馬鹿だな、ここまでキレイに飛ぶなんて。

「シンジ……」

 恍惚とした瞳を虚空に向け、マナはやっとそれだけを呟いた。










 横浜国際病院ロビー。

 長椅子に座って待つ白衣姿のアスカのもとに、ミサトとリツコがやってきた。
 アスカは自分の横にスペースを作り、彼女らを座らせる。

「どうアスカ、具合は」

「ええ、軽い打撲以外はどこも問題ありません。頭を打ったのでCT撮りましたが……こちらも異常なしです」

 わざとらしく、事務的に答えるアスカ。

「いいわねぇ、職場がソレだもんね」

 ミサトが茶化す。アスカは軽く愛想笑いを返し、構わず続ける。

「それで──どうでしょう。できればすぐにでも走らせたいのですが」

「ええ。幸いボディ、エンジンへのダメージは無し。フロントサスとリンク類の交換だけでいけるわ。昼過ぎには作業終了予定よ」

「わかりました」

 真剣な表情で交わすリツコとアスカ。
 昨夜、迅帝とのバトルで傷ついたFD……アスカにとってはもはや一刻の猶予もない。

 走り出したい、早く。自分には休んでいる暇など無いんだ。

 もう一度、あのスピードの世界へ。首都高、ミッドナイト。
 再びそこへ舞い上がる。翼はまだ、折れちゃいない。
 赤々と燃えさかるカラーリングを纏うFD。不死鳥の具現。

 紅のエヴァンゲリオンの名は伊達じゃない。

 走れ。それがDiabloが自分に課した宿命。

『──お呼び出しを申し上げます──外科の惣流先生、3階322病室までお越しください──繰り返します──外科の惣流先生──』

 院内放送がかかる。

 聞き届け、ミサトとリツコはアスカを見やった。

「お、やっと目ぇ覚ましたわねあの馬鹿。どれ、ちょっくら説教してきましょうか……っとと」

 立ち上がるアスカ。軽い立ちくらみを起こす。

「たはは、アスカあなたこそだいじょ〜ぶ〜?
あたしはこれで行くけど、リツコ、あんたはこの後どうするの?」

「私はいちおう、彼女にも会っておくわ。帰りはアスカを連れてNERVへ直行するから」

「ん、おっけ。ほんじゃアスカ、マナちゃんにもよろしくね〜ん」

 手を振りながら病院を出て行くミサト。
 彼女を見送り、アスカは大きく息をついて踵を返した。

「さて……マナもだけど、問題は……シンジね」

 呟くように。リツコも何も言わないが、心の中で頷いていた。










 朝日。
 太陽の暖かさが僕をゆっくりと目覚めさせる。

 目の前には壮大な山々と草原が広がっている。

 ここは……

 第2東京。ああ、帰ってきたのか。
 空が青い。雲が白い。冬支度を始めた木々は茶白色の姿を佇まいに、葉を落として寄り添いあっている。

 風が頬をなでる。太陽が僕を照らす。暖かい。秋のひととき、冬直前の陽気。

 どうでもいいことにやけに感動できる。気持ちがこれ以上ないくらいに穏やかだ。
 自然って素晴らしい。この星に満ちる生命の営みってやつだ。無限の命は連綿とその鎖をつなぎ続け、種族記憶を受け継いでいく。
 そんな中に迷い込んだ異世界の住人……Zはそうなのか?

 みんな……
 僕を待ってたんだ。誰が待っていた?

 振り向く。

「Z……僕は、虚構なんかじゃない……僕はたしかにここにいる」

 Diablo-Zeta。

 光を浴びれば、その姿はふつうにその辺にいるZ32と変わりない。
 穏やかに息を潜め……この10年間、こいつはそうやって生きてきたんだな。

 そして僕も……

「あの夜のことも……幻じゃない」

 記憶がどうにもあやふやだ。
 迅帝34Rと走っていたことは覚えてる。だが、そこに至るまでの過程、そしてその後どうしたかってことがまったく思い出せない。
 そういえばなんで僕は第2東京にいるんだろ……

 【声】は何も言わない。

 もうはっきりと、僕の中にいるのはわかる。だけど、つかめない。手の届かない場所にそいつはいるようだ。
 僕に取り憑いた……いや、初めから僕の中にいた?
 そんな君は何を望んでいるんだろう。
 【声】も僕の考えていることまではわからないらしい。僕が自分に語りかけて初めて、声が届くみたいだ。

 不思議なもんだ……いわゆる二重人格ってワケじゃなさそうだ。

 こいつはもっと違う……僕であって僕じゃない。
 僕そのものだ。

 それってつまり……どういうことだ?

「ん……あのランエボ」

 峠を行くクルマの中に見覚えのある姿を見つける。

 イエローのエボ7。加持さんのだ。
 走りから帰るところなんだろうか。

 僕はZに乗り込み、加持さんを追う。





 加持さんのエボ7は箱根SKYLINEを走りぬけ、MAGI BALTHAZARの駐車場に入った。
 僕もそれにならいZを入れる。

「よう、シンジ君じゃないか。どうしたんだい?」

「いえ……ちょっと、いろいろありまして。加持さんは今帰りですか?」

「ん、ああ。第3まで野暮用でな」

 エボ7をちらりと見る。ホイールにはブレーキダストがかかり、タイヤもまだ熱を持ってる。走りに行ってきたことはたしからしい。

「……ところで、冬月先生は」

「社長ならしばらくは第3に居るらしいぜ。向こうも今大変だそうだからな。
それまでは、俺がここの留守を預かるってわけさ」

「そうですか」

 先生は居ないのか……いや、もしかしたらその方が都合がいいのかもしれない。

 NERVにとって今の僕は……手に余る、危険な存在。
 制御できない力を持ってしまった存在。
 自滅するならそれに任せておいた方が……安心ってもんだ。

 僕は僕自身の力で真実をつかみ取らなきゃいけない……

 Diablo-Zeta……そして……僕の中のアイツ……

「立ち話もなんだし、どうだい、ロープウェイにでも乗ってじっくり話そうじゃないか。
冬の箱根もまたオツなもんだぞ」

「……僕、男ですよ」

「ははは、こりゃ手厳しいな。まあお互い話したいことはたくさんあるだろ。
何も遠慮することは無いさ」

「ええ……まあ」

 そうして僕と加持さんは早雲山のロープウェイに乗った。
 ゴンドラはワイヤーのたわむ音を響かせ、ゆっくりと山を登っていく。





「…………聞いたぜ、レイちゃんのこと」

「……ええ」

 顔は合わせずに。僕は……自分の中でまだ整理を付けられていない。だけどこうして話せるのは……

 僕の『感情』が、まるでどこかに持ち去られたかのように消えているから……

「綾波先輩と走っていたのは……たしかに僕です。
僕の目の前で綾波先輩は……RSはコントロールを失って……いえ、初めからそうなることをわかっていたかのように……」

 思い出せるのは細切れになったムービークリップしかない。

 僕はそれらを必死で繋ぎ合わせ、なんとか、あの夜に起こったすべてを再現しようとする。

「ベイラグーンの最終4連コーナーへ……ノーブレーキで、1つ目はそうです。いつものように……一瞬のアクセルオフから慣性ドリフトで突っ込むんです。
そう、いつものように……RSはコーナーへアプローチしていきました」

 張り裂けそうなエキゾーストが耳をつんざく。震えるスキール音が大気を撫で、水面を滑るようにRSがテールを振り出す。

「2つ目は4速で入ります……そのシフトダウン直後です。視界が……空が真っ白になって……視界が光に包まれて……」

 ブレーキングからヒールアンドトゥ。もっとも強い減速Gがかかるその短い直線で、RSはエンジンから火を噴いた。瞬く間にボディ全体が炎に包まれる。

「リアを大きく振り出したまま……赤熱するブレーキローターが見えました。RSのリアウイングがガードレールにぶち当たってちぎれ飛んで……」

 反動で反対側のガードレールまで飛んでいき、さらにボディを打ち据える。ひしゃげたテールを引きずるようにRSはスピンモードに入り、さらにガードレールの切れ目にノーズを突っ込んで空中へ舞い上がった。

 Zは間一髪でそれをかわした。爆炎がZのテールを舐め、衝撃波がボディを揺さぶった。

 僕は何もできなかった……ただ見ていることしか。

 そうして見えたのは……綾波先輩の微笑み…………

 覚えているのはそこまでだ。
 その後僕はどうした?どこを走った?

 気がついたとき僕はどこにいた?そこで何をしていた?

 すべてが鎖に絡めとられ、閉ざされてしまっている。鍵穴には斧が打ち込まれ……二度とその引き出しが開くことはない。

「僕はみんなと会って……でも、何も言えませんでした。
こんなになってしまった僕……みんなのそばにいたら、傷つけてしまうかもしれないと……」

「……葛城から聞いたんだが……
昨夜、湾岸でな……君のチームの女の子、たしか、マナちゃんとかいったな……
彼女が事故ったそうだ」

「!!」

 マナが……!?昨夜の湾岸……

 ……そうだ!昨夜の湾岸といえば、僕と迅帝がバトルしていた場所じゃないか!
 マナは、マナとはたしか、昨夜MILAGEで話したはずだ。
 その後どうした?僕は……

 ちくしょう!

 こんな、こんな大事なことなのに僕は何一つ覚えちゃいない!

 いったいどうしちゃったんだ、僕は……!!

「俺はそれだけしか聞いてないから、彼女の安否まではわからないが……」

 俯き、唇を噛む。
 僕には何もできやしないのか……?【声】に振り回され、周りの人間を顧みず……

 ただがむしゃらに、狂ったように走り回って、その結果がこれだっていうのか!?

「シンジ君。力になれるかどうかはわからないが、俺は俺の知っている限りを君に話したい。
知ることってのは命がけだ。君にそのつもりがあるなら……いや、君にはそのつもりでいてほしい。
俺が知っている、10年前の『横浜最速伝説』のこと……
君には真実をつかみ取る力がある。
だから、俺は君に託したいんだ」

「……はい」

 10年前の最速伝説……

 【声】がしきりにこだわる伝説……
 その中に、僕が求めている答えがあるのだろうか。僕の真実を知る鍵があるのだろうか。

「10年前、つまり俺が21の時だな。当時の俺は横浜、つまり今の第3新東京でまあ、ジゴロみたいなことやって暮らしてたんだ。あるきっかけで知り合った仲間内には、ユイさんやキョウコさんもいた。当時でも彼女たちは首都高の走り屋では最古参でな。Z使いの碇、RE使いの惣流として知られてたもんさ。俺も彼女たちの影響で、ちょっとずつ走りをかじっていったんだ」

 僕の母さん……それに、惣流の母さんも。加持さんは彼女らの在りし日の姿を知ってる。

 Z使いの碇、RE使いの惣流……その称号は奇しくも、10年後の今、彼女らの子供である僕たちに受け継がれている。

「俺が当時から世話になってたのが冬月さんでな。そのつながりで彼女たちとも知り合ったのさ。NERV会長、碇ゲンドウとも」

「碇……」

「ああ、ユイさんが亡くなってから昔の姓に戻したんだ。
……で、だ。その10年前の横浜で、べらぼうに速い走り屋がいると噂が立った。いつも前触れ無く現れて、遭遇した奴を片っ端からぶっちぎってしまう。姿さえ追うことができない……冗談抜きでそれくらい速かった。
いつしかDiablo-TUNEと呼ばれたそれは、当時のチューンドのレベルを遥かに上回っていた」

「……Diablo-TUNE……」

「ある蒸し暑い夜だった。市川PAにいた俺の前に突如現れた、Diablo-TUNEのZ。
そのZをドライブしていたのは紛れもない……碇ユイその人だった」

 Diablo-Zeta……今、ふもとの駐車場で僕を待っている。
 僕を……僕の中にいるアイツを待っている。

「俺はさっそく彼女にバトルを申し込んだ。Diablo-Zetaの速さってもんをこの目で見たかったからな。まあ、結果はぶっちぎられて負けちまったが……
彼女がそのZで事故ったって聞いたのはそれから1週間後のことだった」

 悪魔のマシン。母さんの命を奪った悪魔のマシン……そいつを今、僕は乗ってる。
 今では愛しくさえ思う、Diablo-Zeta。

 僕はこいつに何を見ていた?Zに乗っていると、不思議な懐かしさに包まれた。母さんが、こいつを造った母さんが僕を見守ってくれている。そう思ってた……
 だけど、違う。

 こいつは僕を知ってた。僕はこいつを知っていた……

「派手な事故でな。1キロ近くにわたって砕けたパーツが散乱し、ブラックマークは狂ったように湾岸の路面を埋め尽くしてたっていう……

……ところが、だ。事故から数日後、クラッシュしたはずのDiablo-Zetaを湾岸で見たって走り屋が現れた」

「…………!?」

「Diablo-Zetaはあの夜、たしかに死んだ。だが再び現れた。俺たちは真実を探るべく首都高に出撃したんだ。
間違いなく、Diablo-Zetaそのものだった。独特の闇に溶け込む深紫のカラーリング、耳障りな金属音を奏でるマフラー。速さも変わらなかった。
もしかしたらユイさんが生きていたのか、俺はそう思ってZを追った。だけど追いつけなかった」

 終わりのない走りを続けるDiablo-Zeta。
 それは首都高の亡霊、だったのかもしれない。

「Diablo-Zetaに誘われるように、走り屋たちのチューニングは過激の度を増していった。
その頃には既に、Diablo-TUNEはNERVの最高峰ブランドとして売り出されていてな。
Diablo-Zetaを倒そうとする走り屋たちはこぞって自分のマシンにDiablo-TUNEを施し……スピードと同時に事故も右肩上がりに増えていった。
……そんなふうになって、Diablo-Zetaもいつまでも逃げ切れはしなかった。
ある夜、数台のクルマに追われていたDiablo-Zetaは突如火を噴き、まるで自殺でもするかのように側壁を突き破って海へ落ちた」

「……だが、またしてもDiablo-Zetaは還ってきた」

「そうだ。俺もそっから先は伝え聞きでしか知らないが……
どんなに壮絶な事故に遭おうとも、奇跡としか思えない生還を果たす。Diablo-Zeta、横浜最速の走り屋はそんな現世離れした奴だって、しだいに伝説化されていったんだ。

……そうして、あの悪夢のような夜……横浜戦争終結の夜がやってきた」

 そこまで話した時、ゴンドラが頂上に着いた。いったん話を切って僕たちは箱根の山に立つ。

 風が冷たい。
 景色は時が止まったように変わらない、だけど確実に変わっていく。春から夏へ、秋から冬へ、1年のサイクルを繰り返す。それは僕たちにはわからないくらいのゆったりとした、壮大な、そして素朴な変化。

 この広大な世界で僕は孤独だ……

 遠い景色を見ると僕はいつも、そんな感覚に包まれる。

「煙草吸うかい?」

「ええ」

 煙は風がすぐに洗っていってしまう。

 悲しみも……痛みも……同じように。
 太陽の光は乾いてる。

「それで、だ……。
その夜はひときわ、空気が緊張してた。走り屋たちの誰もがこの夜を予感していたかのように……
そしてついに、Diablo-Zetaが現れたって知らせが横浜じゅうを駆け巡った」

 横浜戦争。激化した走り屋たちのバトルはいつしかそう呼ばれるようになっていた。

「夜は更け、未明の横羽線……走り屋たちの集団は百台以上にまで膨れ上がっていた。その先頭をDiablo-Zetaが走ってる、そう俺は聞いた。
列が長すぎて先頭なんて見えやしない。だけど、誰もがみんな、熱に浮かされたようにそう信じ込んでた」

「それで……Diablo-Zetaは?」

 加持さんはそこでやや俯き、ゆっくりと首を横に振った。

「俺はとうとうその姿を見ることは叶わなかった。気づいた時は病院のベッドの上さ。
……悲惨という言葉すら霞んでしまうほどの事故だったそうだ。原形をとどめないほどにクラッシュしたマシンが十数台、その他のマシンもほとんどが大破、炎上。横羽線はまさにこの世の地獄絵図だった。生存者は俺を含めて、数えるほどしかいなかったそうだぜ」

「Diablo-Zetaもそれっきり、姿を消してしまったと……
……12使徒、と呼ばれる走り屋たちの中には僕を、Zを知っている人たちが多くいました。彼らもそのうちの……?」

「そうだ。言ってみれば12使徒ってのは、10年前の伝説を知る者たちの集まり、そう言った方が正しいな。
……ひとり。俺の師匠で、横羽線で共にDiablo-Zetaを追った走り屋がいる。彼なら……きっと、俺よりも詳しい当時のことを知っているはずだ」

「その人には……どうしたら会えます?」

 反射的に僕は訊いていた。
 知りたい。それは僕の望みであると同時に、【声】の望みでもあった。

 頭の中で声がユニゾンする。

 ちくしょう、気が合うじゃないか意外に。

「……彼のクルマは銀のZ32だ。名は林原ハルキ……12使徒の名は『トゥルーライド』を頂いている」

「12使徒『トゥルーライド』……林原ハルキ……Z32、僕と同じ型のZ……ですか」

「ああ。それ以上は俺からも言えない。彼とは疎遠になって久しいからな」

「いえ……それで十分ですよ。
会いたい、そう思って走っていれば……会えるような気がします。きっとその人もZに、いや……僕に会いたいと思っている、そんな気がします」

「……そうか」

 ゆっくりと目覚める。

 僕は僕を取り戻す……
 それは誰の主観だ?僕なのか。
 奪われていたのは誰なんだ?奪っていたのは誰なんだ?誰が誰から何を奪った?僕の心。僕の記憶。僕の感情。そして……僕の愛する人。

 愛。I。アイ。漢字ならマナとも読める。

 霧島マナ……

 今は遠いところに。
 僕が遠いところに。

 【声】が僕を奪う。

 僕はもともと、君のものだったのだろうか?

 自我が溶ける。だけど恐怖はない。
 慣れきってしまった感覚だ。

 ふもとの駅に降りた時……【声】は僕を解放した。
 加持さんは気づいていたのだろうか?

 僕はここ数日、そう……横浜GP前にここに来てから、だ。
 こうやって意識を奪われることが多くなった。
 その間僕はどうしていたんだろう?周りにいた人間はそのことに気づいているのか?
 どっちにしろ僕は、コイツとの因縁にケリをつけなければ……これから先を生きていくことはできない。なにより僕もコイツもそんなことを受け入れはしない。

「12使徒トゥルーライド……林原さんは、C1-ROADSTARSのOBだ。もしかしたら彼らの中に連絡を取れる人間がいるかもしれない。
……俺から話せることはここまでだな。
シンジ君。君には君にしか出来ないこと、君になら出来ることがあるはずだ。
誰も君に強要はしない。自分で考え、自分で決めるんだ。自分が今、何をすべきなのか。
……ま、後悔のないようにな」

「……はい」

 走り去っていくエボ7を見つめ、僕は風に吹かれていた。

 今度は、首都高へ……再び。
 僕の旅は続く……










 病棟の廊下を歩くアスカ。リツコは数歩離れて後ろをついていく。

「……ぶっちゃけて訊くけどさ。
あいつを『Driver』にするわけ?」

「どうかしらね。彼女しだいではあるわ」

「適当なことを」

 二人は目的の病室の前に着き、ノックをして入る。
 アスカがベッドのカーテンを開け……そこには、チェリーレッドの髪をした少女が静かに横たわっていた。
 つい先ほどICUから戻ってきたばかりだ。

「どう、気分は。眠りの森のお姫様」

 白衣のポケットに手を突っ込み、マナを見下ろすアスカ。

 マナはゆっくりとアスカを見上げ……かすかに頷いた。彼女の背後にリツコの姿を認め、訝しげに目を細める。

「起きられる?」

 ベッドから身体を起こす。見た目でわかる傷は頭に絆創膏を貼っているくらいだが、身体はまるで何年も寝たきりだったかのようにガタガタになっていた。

「…………シンジは?」

 起き上がってまず口にしたのがそれ。アスカは軽く肩を落とす。

「さあ。今頃どっかで電波でも拾ってるんじゃないの」

「…………」

 睨む。患者と医師という立場があるとはいえ、マナにとってアスカは受け入れ難いライバルなんだ。決着はまだ、ついていない。
 レイがいない現在、いちばん自分の近くにいるのがアスカだから。

 走り屋として。女として。

 勝ちたい。

 自分はまだ生きてる。まだ、戦える。
 血がふつふつと、熱くなっていく。心臓の鼓動が力強さを増す。

「私は……いっつつ」

「ほらほら、無理するんじゃないの。怪我人はおとなしくしてなさい」

 食い縛る。軋む骨格に鞭を入れる。

「……っ。そうだ、180SX……私の180SXは?」

 思い出せ。それは自分の愛機。魂と命を預けた自分の愛機だ。

「180SXの車体はNERVが回収、本社ビル地下のケージに収容してあるわ。
でも……あれはまず再起不能ね。廃車にして部品取りコースがいいとこ」

 アスカの目配せを受けたリツコが言う。
 冷酷な事実に、明らかに動揺を隠せないマナ。

「……!廃……」

「当て方が幸いだったわね。ノーズから浅い角度で突っ込んだ。ロールケージがきっちり効いてくれたおかげよ。
……今、アンタがこうして生きてんのはね」

 アスカが付け加える。250km/hからのクラッシュ、それで無事でいられるマシンなど存在しない。

 大井の左コーナー、目の前に壁のように立ちはだかる迅帝34Rのテール。
 それはたしかに強かった。速かった。力があった。

 だが、恐れていた。奴は。迅帝は恐れていた。

 それは『ただの人間』と『Diablo-TUNE』の差。異種族を恐れる生物としての本能、自分よりも『強い生き物』を恐れる、生物としての自然な防衛本能。
 攻撃的な仕草とは裏腹に、34Rの瞳の奥には恐怖があった。震えていた。

 馬鹿な男。

 恐怖に支配された強さ。それが迅帝、R34GT-R。その身を包む経文は、つきまとう恐怖を振り払うための呪い。
 Z、FD、彼らDiablo-TUNEを相手にしたとき、おそらく、ギリギリの戦いだっただろう。
 スペックでは圧倒していた。だが、それを持ってしてようやく互角の戦いができた。

 180SX。もともとDiablo-TUNEのマシンではないそのキャパシティは、今のマナを受け止めるには足りなかったのかもしれない。
 もし、マナが完全な力を発揮できる状況にあったなら……

 あの夜、大井コーナーの側壁に張りついていたのは34Rの方だったかもしれない。

「Diablo-Zeta及び『サード』の行方は、保安部と作戦部が捜索中よ。一両日中にはつかまるでしょうね」

 気遣いのつもりなのか、リツコの言葉にアスカとマナは目を見合わせる。

 会える。会えるさ。そう思ってれば。
 もう一度、立ち上がり……STREETに舞い戻れるなら。

 走る。

 それだけが命。

「赤木博士、すみませんが少し外していただけますか。二人で話をしたいので」

「……ええ。どうぞお好きなように。私はロビーで待っているわ」

 リツコは病室を出、ヒールの足音が遠ざかっていく。

 やがてアスカはマナに向き直ると、鋭く瞳を見据えて言った。

「これで邪魔者はいないわ。アタシとアンタ……そういえばまともに話したことって無かったわね」

「…………そう、ですね」

「シンジは、アイツはおそらく迅帝を倒した。そして同時に……目覚めたんでしょう」

「目覚めた?」

「本当の自分ってやつにね。アタシたちが今まで見てきたアイツは虚構の人格。本当の『碇シンジ』とは違うわ」

 薄々予感、というか、おぼろげな違和感として感じていたもの。
 アスカは既にそれに気づいて、いや、知っているのか。マナはまだ知らないこと。自分の知らないシンジのことを知っている?
 それともマナも本当は知っていて、今は忘れているだけなのか。

「アンタがアイツに惹かれる気持ち、それはよくわかる。
……なぜなら、このアタシも同じだからね」

 不敵に微笑んでみせる。

「……私は……アスカさん、私は本当にシンジのことを……愛してます」

「クックック……ふふ、マナ?っはっはああはははは!愛してます、か。いいわ。最高。アンタ気に入ったわよ。はあっははっはははははは」

 カラカラと声を上げて笑うアスカ。
 マナは眉を顰め、ぎゅっとシーツを握り締める。

「はっははは、はは、ははあ……、アンタは知らなかったっけ?アイツが過去に、10年前にやったことを」

「……10年前……!?」

「そう。横浜戦争……Diablo-Zetaの横浜最速伝説、そのルーツとなった戦い」

「10年前って……そんな、その頃シンジは……」

 うろたえるマナを嘲るように見下ろし、アスカは白衣を翻らせて言った。

「アンタもよ。アンタも何も覚えてないわけ?アンタはアイツを知ってるはずよ。本当のシンジを……その身体に、そう、無垢な少女の肉体?年齢的には幼女でもいいわね。その身体に覚えこまされてるはずよ。アイツの味をね……」

 舌なめずり。あるいは生娘を値踏みする売春宿の女主人のように。

「……私が……覚えてる?……くっ」

 頭を抱えて毛布に顔を埋めるマナ。閉ざされた記憶のトビラ、手をかければ呪いのように頭が締め付けられる。
 痛い。苦しい。神経が絡みつく。混濁、短絡、断線、そして熔融。脳が溶ける。

「思い出せない?まあ無理もないわ。シンジでさえまだ理解しきれてないみたいだし。
……感謝しなさいよ」

「感謝……?」

「とぼけんじゃないわよ。検査すりゃあきっちり反応は出んのよ?
鈴原を調べたのも、カヲルの司法解剖をしたのも相原先輩。そしてアンタを調べたのもこのアタシ。アンタたちの血液中からは未知の向精神薬が検出されてる」

 絶句する。……いや、そんなことは今さら否定するわけじゃない。だけど……

「ふつーの病院ならそく通報でもおかしくないわよ。アンタが豚箱行きになったらシンジは悲しむでしょうし……アタシだって後味悪いわ。
それに、アタシも綾波もシンジも……Diablo-TUNEを受けた人間ってのはある意味、薬物中毒者と同じなわけだから」

 Diablo-TUNE。すなわち、医療メーカーとしての顔も持つNERVが表向きには精神疾患治療用として売り出そうとしている新しい向精神薬。
 だが、その実体は。

 人間の『感情』を上書きし、限界を──正確には脳が定めたリミッターを──超えて肉体、精神の能力を発揮させる。

 それがDiablo。そして、それを受けた人間が『Diablo-TUNE』と呼ばれる。

 Diabloの速さ……それは人間が、人間としての尊厳を捨てた証。
 力と引き換えに加速度的に壊れていく、だが、儚くも美しい。それはつかの間の夢に過ぎない。
 そう。

 これは常世の夢。

「いいじゃないですか……そんなもの。シンジと遊ぶ時だって使ってたし……
それと何の関係があるんですか」

「ふん。まあアタシもガキん頃はちょっとかじったもんだけど。
そういうアンタなら、Diabloがどんなものか……感覚で理解できるでしょう。あの夜アンタが見せた走り……アタシの目はごまかせない。『アンタもシンジも』わかってるはず。
あれはDiablo-TUNEの走りよ」

「……Diablo……TUNE」

「わかってたでしょう、自分でも。感情、意識、思考、それらの根幹から覆される。世界を捉える意識そのものが変わってしまう。感情が記号でしかなくなる。
そうなった時、死ぬことにすら躊躇いが無い。
あの時、大井コーナーへ飛び込んだ時、アンタは迷うことなくレコードラインを差した。
もしあそこで迅帝がアンタをブロックしてなければ、先頭のシンジもろとも、アタシたち6台ぜんぶを巻き込んだ多重クラッシュになってたわよ」

 睨むわけでもない。ただ超然と構え、自分を見ている。見つめる、というほど力を込めてもいない。ただ眺めてるだけだ。

 アスカ。惣流アスカラングレー。
 自分より5つも年上の女。その5年の差が何をもたらす?血筋、家柄、生い立ち、家庭環境、人脈、経済力、生活能力、……そして強さ。何もかもが違う、違いすぎる。

 横浜戦争、10年前。
 その当時アスカは14歳。中学2年生、思春期の真っ只中だ。
 翻ってマナは、その頃はまだたったの9歳。しょんべんくさいガキんちょだ。

 そんな差か?そう、その差はどこまでも果てしなく深く、そして絶対に縮められない差だ。

「私に……私にいったい何をさせたいんですか!?NERVの意思なんですか?
私はただ……シンジに会いたい、シンジといっしょにいたい……それだけなんです……」

「なら、会いに行けば?」

「……!?」

 アスカの自分を見る目が明らかに変わった。その視線の圧力に思わず身を竦ませるマナ。

「アタシの予想でしかないけどね。シンジはきっと今夜、もう一度この第3新東京市に戻ってくる。
まあ、アンタはそんな身体だし、アシも無いし。どうしようもない無力ね。それでも会いたいって言うんならアタシは止めない。
だけど、力は貸さないわよ。アンタ自身の力でアイツをものにしてみなさい。
アンタのとるべき道はアンタ自身が考えて決める。いつまでも甘ったれてんじゃないわよ」

 背を向け、病室を出て行くアスカ。

 打ち据えられた心が胸の中で激しく暴れる。
 マナは恐惶に震え、やがてその震えは激しい怒りと憤りに変わった。

 ベッドから起き上がる。身体を動かすたびに、全身の神経に凄まじい激痛が走る。1秒ごとに筋肉の繊維がブチブチとちぎれていくようだ。それでも、床に足をつける。
 体重を支えきれるか。四つ足で地に這い、そして、ベッドの鉄パイプにつかまりながら身体を持ち上げていく。そうだ。それでいい。二本の足で立てる。それでやっと人間だ。今こそ甦れ。

「アスカ……さん……」

 早く。アスカは待っていてはくれない。
 痛みさえも、早く早くとかきたてる。上等だ。やれ。戦え。頭の中に声が響く。

「アスカ……」 

 声。繰り返す。

「アスカ……アスカ……!!」

 お気に入りのチェリーレッドの髪は血と汗に濡れて妖鬼のように、幼げな雰囲気が魅力だった垂れぎみの瞳はギラギラと吊り上がって血走っていた。
 額の絆創膏を手で撫ぜる。つるっと剥がれてきた。極度の興奮に傷口が破れ、血が吹き出してる。愛惜しそうに、マナは自らの血液を握り締めた。床に血滴が次々と落ちる。白い入院着がみるみる、紅く染められていく。

 そんな自分さえ愛しい。時空を飛び越えてなにかが目の前に、心の目の前にいる。

『こんな僕を……許してくれ、マナ』

「……シ……ンジ…………?」

 【声】……。それはマナにも聞こえてた。きっと、あの夜を境にして。
 力尽き、地に崩れ落ちそうになったマナを優しく支えてる。
 そっと語りかける穏やかな声……心の中に巣食う声……悪魔の囁き、それとも天使の癒し。そのどちらでもない。なぜなら、それは自分自身の中にある失われた想い出だから。

 そう。これがDiabloの持つ最大の幻覚作用……『VOICE効果』。

 ──そういえばシンジが言ってたな。声が聞こえるって。綾波さんに変なクスリでも食わされて、ラリってたのかと思ったけど。
 そうだ。それがDiabloなんだ。Diablo-TUNEの力なんだ!!

「惣流アスカ……私はあなたを……!!!」

 ドアを蹴飛ばして開ける。
 設計想定を超えたストレスをかけられたドアはたまらず蝶番がちぎれ、音と木屑を散らして吹っ飛んでいった。

 その先には果てしない廊下。どっちだ。右。左。傾斜する視界に長い赤毛が揺れる。
 いた!

「アスカァァーーーーーァァァッッ!!!!!」

 咆哮。

 それは命の炎。
 燃えさかるマナの魂の衝撃波は確実に、アスカをとらえていた。











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