…………横浜GP、決勝レースの前日…………


 綾波先輩と惣流は、港の見える丘公園で二人、落ち合っていた。

 いつもはめったにつるむことのない二人だが……この夜だけは共に。
 それぞれの決意を胸に……

「……鈴原もヒカリも……もう引退する……。
…………これで、仲間うちで残ってんのはアタシとアンタだけになったわね…………」

「……そう」

 感情は込めず。

「なんも思うことはないわけ?」

 わずかな間。そして一呼吸。

「……去る者の背を追いかけていても、前には進めないわ。
私たちは立ち止まるわけにはいかないのよ」

 綾波先輩は葉巻を取り出して火をつけた。普段は吸うことはあまり無いんだけど……
 ……今日だけは特別、なのか。

「私たちにできることは…………ただひとつしかない」

 煙を吐き出し、海から流れてくる潮風に乗せる。

「横浜GrandPrix……わかっているわね。
C1-ROADSTARSの楠木33Rが参戦してくるわ……WON-TECが、スポンサーについてる」

「もちろんよ……。WON-TEC如きにこのアタシが、NERVが負けるわけにはいかない」

 惣流も鋭く横浜の街を見下ろし、気合を固めなおす。

「コースレコード、塗り替えるわ。
……それがあのFDに乗る者としての……惣流キョウコの魂を継ぐ者としての使命よ」

 二人の背後で静かに佇む、蒼と紅の天使。

 DR30 SKYLINE RS…………
 FD3S RX-7…………

 共に、Diablo-TUNE。

「アスカ……いい目をするようになったわね」

「……っ、な、なによいきなり……」

 綾波先輩の呟きに思わず吹き出す惣流。

 この二人は10年前から……そう、横浜最速伝説が生まれた頃から今までずっと、付き合いがあった。母さん……ユイ博士や、キョウコ博士、ゲンドウ、彼らのこともよく知っている。

 誰にも破ることのできない絆で結ばれた戦友なんだ…………

「……どう?一本」

 惣流へ葉巻を投げてよこす。しっかり受け止めると、惣流は口火をつけて煙を身体に流し込んだ。

「ひとつだけ勘違いしないでほしいのは…………
……アタシはアンタたちが企んでる計画、そのものには興味はない。ママが命を懸けてた夢、最速の走りの彼方……それを確かめたいだけよ」

 綾波先輩は表情を変えることなく、口元だけを微妙にゆがめた。

「ええ……。あなたはあなたの思うようにすればいいわ。
だけど覚えておいてね。キョウコ博士もユイ博士も、真剣に人類の未来を憂えていたからこそ……この人類補完計画を進めていたのよ。
あなたがあなたの意志で、どんな道を選ぼうとも……それは私たちの、キョウコ博士の望んでいた道でもあるのよ」

「………………
……ふん、まあいいわ。アタシはアタシ、アンタはアンタ、それぞれにね……」

 銀河は空高くそびえ、二人を包む。
 街は今夜も変わらず、人間という血液を循環させ続けている。











新世紀最速伝説
The Fastest Legend Of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第18話 命の選択を












 同時刻、桜木町ARTWALL STREET。
 NightRACERS本牧石川ケイスケは、桜木町GrandTourers総長である川崎テツシと会っていた。

 他のメンバーたちも近づけることはない、二人だけの密会。

 お揃いの族車仕様JZX100が、そのいかつい顔面を道路へ向けて部外者への睨みをきかせている。

「……どうよ、『川崎サン』よ……腹は決まったかよ?
こんなオイシイ話はねえと思うぜ」

 16号線を支配する川崎に対してもまったく臆することなく話を進める石川。
 なにが彼をここまで変えたのか……

「おメえもわからん奴じゃのう……ワシらは貴様なんぞに手を貸す義理はない。やるんならおメえひとりでやれや」

 川崎はにべもない。

 石川はそれでも卑屈な笑みを浮かべると、ポケットから小さなビニールの袋を取り出した。
 よく見ると、その中には小さな結晶状の粒が少量、入っている。

「なんだかんだいってNERVの目が怖えんだろうが?そんなんでいくらゾク気取ってみたところでしょうがねえぜ。
ノシ上がりたきゃ、もっと要領よく立ち回るこった。このオレみてえにな」

 粒の入った袋を手に弄ぶ石川。
 川崎に対してこんな口のきき方をする人間など、普段ならそくリンチに処されていて当たり前だ。だが川崎は黙ったまま言い返さない。

「WON-TECは今、本格的に第3新東京制圧の計画を立ててる。
オレだけじゃねえ。旧東京、首都高、新横須賀、あらゆるところに仲間はいるぜ。NERVが潰れれば、ヤツらのD計画とやらも泡と消える」

 そこで石川は袋を破り、手のひらへ粒を転がす。
 街灯の光に結晶が反射し、きらきらと星のように煌いている。

「……そん代わりにコレだ」

 指先ですりつぶす。結晶は脆くも砕け散り、白い煙光となって風に混じっていく。

「コイツをモノにすりゃあ、WON-TECはいっきに裏の世界でトップに立てる。コイツさえあれば何も恐れることはねえ……クックックッ、どうよ、最高のショータイムだろ」

 押し黙った空気。高架を電車が通過していき、轟音がしばらくの間、時を止める。

 電車が去る。
 残響は高架の下に淀み、空気を濁らせていく。

「……石川よ。改めて言う、ワシらはあくまでワシらの正義を貫く。
おメえとの縁もここまでじゃ。まあ、ワシも親父殿も、はなからおメえのような若造なんぞは信用しとらんかったがの」

 羽織ったロングコートを翻らせる川崎。コートの長い袖に隠した鉄パイプがアスファルトを硬く叩く。

「ケッ、上等……せいぜい『正義の抗争』とやらに命捨ててみるんだな。
いっとくがオレも、あんたらの力なんか最初から勘定には入れてねえぜ。
それにオレには新しい力がある……WON-TECはオレに最高の力を与えてくれた。
……『TRIDENT-GTR』……そのうち特別に御披露目してやるぜ。
楽しみにしてな」

 TRIDENT-GTR……WON-TECのTRIDENTブランドか。NERVのDiablo-TUNEに対抗して作られたという……

 石川がその力を手にする。
 これはかなりやばい事態だ。奴を相手にしたとき、少なくとも今までのGRA-Hyenaのようにはいかない。

 それに石川自身も……今までとは違う気がする。

 この不気味な違和感はどこから来るのか……

「…………そんな紛い物で、勝てると思っとるのかのう?
惣流や綾波の姉御、それにシンジ坊の力は本物じゃぞ。おメえのような偽者の力で相手になるんかのう」

「あぁ……?ケッ、言ってろ!勝った方が本物だ」

 石川は苛立ち気に地面を蹴り、腕を振り回して虚空を振り払う。

「Diabloだかなんだかしらねえが、結局モノは同じじゃねえか。
そんなら本物は勝った方、『世界』に認められた方だ。んならオレっきゃねえだろうが!?」

 そう言うと石川は、川崎に小瓶を投げてよこした。

 瓶の色が濃くて中身はよく見えないが、どうやら薬のカプセルのようだ。
 川崎はその瓶と石川とを順番に見やり、訝しげな視線を向ける。

 その中身が何を意味するのか……

「そいつは『お試しセット』だ。気が向いたら連絡よこしな。もっとたくさん流してやるぜ。
……知ってんだろ?あんたぐらいの立場なら聞こえてきてるはずだぜ。
最近第3で出回ってる、新種のドラッグってやつをな…………」

 言い切ると石川は返事を待たず、自分のクルマに乗り込んだ。
 フルストレートの爆音が高架に反響し、震動が空気を埋め尽くす。

 チェイサーは鋭く発進し、派手にスキール音を響かせながら走り去っていった。

 川崎は黙ってその後を見送っていたが、やがてふっと笑みながら石川から渡された小瓶をコートの内ポケットにしまった。

「このワシに軽々しくブツを渡したこと、精々後悔させてやるわい。今どきレース賭博だけではシノギにならんからのう」

 川崎はすっと踵を返すと、鉄パイプを肩にかついでメンバーたちの元へ戻っていった。

 パールのちりばめられた赤紫の衣、その背には『桜木街道愚連隊』、そして日章旗。鮮やかに、それでいて深く。かすれた刺繍が年季を感じさせる。

 それだけではない。一見すると気づかないほどに小さな隅に……無花果の葉があしらわれている。



 石川の煽動によりNightRACERSが分裂の危機に瀕している今……NERVも戦力の増強を図るということか。


 どっちにしろ僕には……

 ……いや、そうじゃないな。
 彼らのめぐらせる様々な思惑の渦、それに流されないように……

 僕は、強く……自分を確かめる。


 それは僕の意志。










 …………果てしない疾走の先に見えてくるもの…………


 先頭はRS、そのすぐ後ろにFD、3番目にZの順でコントロールラインを駆け抜ける。
 残りはあと2周。もう大勢は決した。

 4番手の32Rとの差もすでに50メートル近く開き、よほど大きなミスでもしない限り抜かれることはないだろう。


 12使徒、ブラッディR……
 離れていても、バックミラーに映る影から凄まじいオーラを感じる。

 たしかに速さなら僕たちの方が上だった。
 だがそれだけじゃない……なにか得体の知れない存在感を激しく叩きつけてくる。
 巨大な重力に押しつぶされるかのように……

「……振り切ってやる……」

 アクセルをさらに踏み込み、前方のRS、FDについていこうとする。

 そして……僕は惣流を、綾波先輩を超える。
 超えてやる……

 僕は僕の力で最速になる……



『横浜最速……』



 Z、見ていてくれよ……君の力を限界まで引き出してみせる。

 フルスケールのスピードメーターに刻まれた、400km/hの刻印まで……
 君はそれだけの力を秘めてる……

 全長4525mm、全幅1950mm、全高1185mm、総重量1680kg。
 総排気量2960cc、V型6気筒DOHCツインターボ。
 数字にしてしまえばこんなちっぽけな大きさしかない……Z。だけど、その身体に刻み込まれた思い、魂、スピリット……それは果てしなく大きく、重い。

 D-Projectのしもべとして、そして横浜最速のチューンドカーとして生まれ、10年間走り続けてきたこのDiablo-Zeta……後から生まれた仲間たちはすべて失われてしまい、『初号機』である君だけが今まで生き残ってきた。
 それは君が君だから……

 そして、僕が……ここにいるから。


 ステアリングを握る手はしっくりと馴染み、インフォメーションを邪魔する冷や汗もない。

 はっきりとわかる……果てしなくシンクロしている僕と、Zを。

 僕たちは魂の風となって舞う…………










 観客席の片隅から僕たちを見下ろす視線。

 その青年の視線の先を、赤い32Rが鋭く走り抜けていく。

「……ふっ、姉貴の奴……いいトシなんだから無茶すんなよ」

 椎名さんだ。12使徒、首都高の青い悪魔、ブルースティンガー。
 姉弟だったのか……

 ランドマークタワーの長い影がコースに横たわっている。
 日陰を踏み越えて走る僕たち。
 闇に染められるように、反射する色合いが変わる。

「横浜最速の走り屋……か。
碇さんが現役で、そう呼ばれてた頃……今の姉貴と同じ歳、か……」

 思いを馳せる。たった10年前のこと。10年も前のこと。
 その感じ方は人それぞれだろう。

 だけど、僕たち走り屋にとって……横浜戦争に関わった者たちにとって、その10年はとてつもなく長い10年だったはず。

 当時を知る走り屋たちはもうほとんどいない。

 まるで霧が消えてしまうように……どこかへいなくなってしまった。


 そうさ……12使徒、それは横浜戦争を生き残った数少ない走り屋たち。
 深い深い秘密を抱えた者たちなんだ……





 スキール音とエキゾーストノートの三連奏。RS、FD、Zが3台連なってコーナーを駆け抜ける。

 頭の中が寒気がするほどに熱くなってるのがわかる。身体中からほとばしる熱線を感じる。
 そして、冷たい空気が僕を優しく撫でていくのも。

 風はすり抜ける。

 スリップストリーム。

「いける……こっちが速い……!」

 重力の傾きがサスペンションを押し込む。
 ゆるやかに、深く重く傾斜するZ、FD。こっちが速い。

 ロッシュローブの臨界点。突破。

 叩きつけられる大気は猛烈なジェット気流となって軌跡を残す。

「シンジぃ──!ッのぉぉォ────ッ!!」

 加速。相対距離が動く。

 FDをオーバーテイク。残りはあと1周、ファイナルラップ。
 トップをゆくRSをすぐさま射程にとらえる。

「来てみなさい、碇……くん」

 ブレーキランプの残像を引きずるRS。二筋の赤い光条が放たれる。

 まるでコマ送りのように見える……
 あるいは、分解写真のように……RS、そして僕の軌跡が重なる。

 ものすごく頭の中がクリアになって……すべてが見える。
 吼え続けるエキゾーストノートが僕を揺さぶる……

 RSに接近する。重力に引かれる。

「Diabloの力……」

 呟く惣流。

「……ママがどうしてこの研究に身を捧げたのか……ちょっとだけ、わかる気がする。
シンジ、アンタはまさに……新たな人類への階段、その礎にふさわしい『個体』だわ…………」

 Zの真後ろにつくFD。

 RSからZ、そしてFDへ、すべてが一本の線に繋がる。
 切り裂かれた大気の壁がレールとなって僕たちを運ぶ……僕たちは風に乗る。

 直線の加速。ランドマークタワーを道標に、僕たちは突き進む。

 光と音速の矢となって……



 弾ける炎、散りすさぶ煙。
 発散される熱は陽炎となって僕たちを包む。
 立ち上る熱い大気に包まれたRS……すぐ手の届くところにいる。
 ナンバープレートの文字さえはっきりと読み取れる。

 Zの心臓、VG30DETTがその力の限りを振り絞る。6個のピストン、24本のバルブ、4本のカムシャフトが完全に同調している。7500回転、最大出力。レブリミットの9000回転までいっきに駆け上がる。

 加速度的にRSに接近する。コクピットにつく綾波先輩の姿が見える。

 見ていてくれるのか……僕を。
 RSが身を翻らせ、コーナーへ鋭く切り込んでいく。
 その内側をZは行ける。

「綾波…………!!」

 並ぶ。並走。風の壁が限りなく触れあい、凄まじい衝撃波を生み出す。

 競り合う2台。RSとZ。凄まじい質量が重力に増幅され、そして意識はどこまでも前へと飛び出していく。

「…………!!!」

 抜ける。大気の壁を押し破って前へ出る。

 RSが生み出す高圧のフィールドがZを押し戻す……それはあたかも、相容れない速度で遠ざかろうとする僕を必死でつなぎとめようとするかのように。
 スリップストリームから抜け出せない。

 僕はもう1人で……綾波先輩の力なんか借りずに……!!

 僕は1人で走れるんだ…………!!!

「……くっ……油温上昇、油圧低下、…………ダメなのね、もう……」

 呟く綾波先輩。もう、Zを抑えて走れない。

 水温計はレッドゾーンに突入し、油圧も半分以下に落ちている。ブースト圧ももう、スクランブルでも1.2kg/cm²以上かからない。
 RSは……いや、綾波先輩は……こんなクルマで走っていたんだ。限界の走りを続け、ボロボロに傷ついたこのRSで…………

 Diablo-Zeta……同じDiablo-TUNEとして、僕はどこか……綾波先輩に、RSに嫉妬していたところがあったのかもしれない。
 いつだって前を走っていた。追いつける人間なんていない。
 ふつうのクルマとはモノが違うんだ。速くて当然だ。

 ……Diablo-Zeta……たしかに悪魔と呼ばれる速さは持っていたかもしれない。だけど今はもう、ただの速いチューンドZでしかない。
 僕がこいつに慣れてしまったのか……それとも、こいつの力が失われてしまったのか……
 認めたくはない。だけど、Zより速いクルマはいる……それがどこかで、自分の未熟さに対しての免罪符だと思ってしまっていたかもしれない。

 ずっと追い続けていた綾波先輩の背中……今、こうして共に並んで走って……
 喪失感?違う。達成感?それでもない。

 痛いほどに伝わってくる。過剰なチューニングをされ、耐え切れない自らの力に悲鳴をあげるFJ20改……パワーに負けてきしむボディ、許容量を超えたトルクに泣き叫ぶドライブトレーン……それでも、最後まで力を振り絞ってこいつは走り続けてきた。

 はっきりいって、RSのスペックは純粋に比較すればZに遠く及ばない。
 だけどそれでも……綾波先輩はこのRSで、第3新東京最速と呼ばれ続けてきた。誰よりも、どんな最新のクルマよりも速く、走り続けてきた……

 加速度的に傷ついていくRS……
 綾波先輩もわかっている。もはや命が残り少ないということを…………

「行かせてくれ……もういいんだ!僕に構わないで……!!」

 いっぱいまでアクセルを踏み込む。最後の直線。

 Zがその全力を解き放ち、ついにじりじりと前に出ていく。
 綾波先輩……

 視界の端からRSが消える。Zが鼻先を出した。いける。Zがトップだ。

「綾波先輩!!」

 力尽きたようにRSがスローダウンしていく。Zの巻き起こす強烈な風の壁に弾かれ、RSはZから離れていく。まるで、ZがRSを拒絶したかのように……

 そしてそれは……僕も…………



 僕も…………

 …………同じだったのかもしれない…………


「綾波──ィ!!まだ、まだ終わりじゃないでしょうが!!
ぶっ倒れるにはまだ早いッしょ────!!」

 なだれ込むFD。どこまでも甲高く、魂の叫びの如く大気を奮わせるロータリーエンジンの喚声。鳴動するエキゾースト。
 Zのスリップストリームをいっきに横断し、RSを引きずるようにポジションを前に出す。

 惣流……君もわかっている。

 君と僕は同じものだ……このどこからか湧いてくる生命の衝動を……
 目を背けることなく、そして見失うことなく……この身体に満たし続けている…………


 3台が完全に一つになる。車間は1メートルもない。
 すべてのフィールドが溶けあい、巨大なソニックブームを巻き起こす。





 チェッカーフラッグ。

 激流のワープを抜け、僕たちは通常空間に戻る。


 そこは溢れるような歓声の中。
 果てしない人間の海の中……

 コースじゅうに人が満ちている。
 これだけの人間が、この街……第3新東京市に暮らしている。いつもはまったく意識されない……風景の一部でしかない人間たちが、今は……ひとつになって。



 Zに続き、FD、RSがゆっくりと従う。
 3台とも揃っている。僕はそれを確かめると、Zをピットロードへ向けた。










「いよぉーっしゃあ!!やったぜ!碇のヤツが優勝だ!!!」

 拳を握り締めて飛び上がり、ガッツポーズをするケンスケ。

 その隣でマナが、Zをじっと見つめている。瞳は熱く潤み、頬はかすかにふるえながら火照っている。

 鈴原と洞木も、二人揃って応援に来ていた。
 FDが二人の前を通過する。パッシング、そして窓から腕を掲げる。

「アスカーっ!!おめでとう──!!」

 洞木はいっぱいに手を振り、FDにアピールする。洞木の声は惣流に、ちゃんと届いていた。
 FDのコクピットから観客席を見る。人の海の中……かけがえのない仲間たち。
 ずっと、共にいる。





 日は既に傾きかけ、西の空は黄金色に輝いている。

 戦いを終えた僕たち……熱狂の渦に身を委ねていた人たち……
 もうすぐ、その時間も終わる。


 閉会イベントもそこそこに、僕は1人……コースに残っていた。

「終わった……のか…………これで……」

 あっけない。
 走っていた時間はものすごく濃密で、忘れられない時間だったはず。

 だけど……それが過ぎ去ってしまった時、それはこんなにも……切ないものなのか。


 人々はいまだ、興奮冷めやらぬ様子でそれぞれに盛り上がっている。

 だけど僕は……





『……まだ……終わっちゃいねえ…………』


「……っ!!」

 またあの【声】だ……いったい、なんだっていうんだ……!?


『もっとSPEEDを見せろ……
こんなんじゃまだ、まだ終われねえ……!!!』

『速く……オレにSPEEDを見せろ……』



「くっ……こいつ……」

 耳をふさいでも止まらない。
 幻聴……それとも、どこか遠くから直接脳に響いてくる……

 違う、これは……


『お前はオレの言うとおりにすればいいんだ……』

『SPEEDを見せろ……』

『SPEEDを……』


『…………あの……夜……』

『しらねえとは言わせねえ……ぞ……』



「ちくしょう……っ……!!」

 手近な公衆便所の個室に駆け込む。
 鍵をかけ、どっと壁にもたれかかる。冷たいコンクリートに頭を打ちつけ……そうすればこの【声】も消えるのか……

『お前はまだわかってねえ……』

「やめろ……やめてくれ……!!」

『オレはお前だ……お前はオレのものだ……』


『死nえ…k殺ろせ…オレたちのゆmえを踏みにじるやうtら……』

『よこh浜あs最そkく速…・・・』




 駆け巡る【声】は頭蓋骨に反響するように……

 ぼやけて、そして崩れていく……


 僕はそっと、自分の頬をなでる……

 ぬるりとした脂汗が……指にまとわりつく……唾液がさらさらして……苦い……
 熱い、冷たい唾液があふれる……止まらない……

「うっ……ぐ、ごぷっ…ぐはぅっ……」

 逆流、噴出。

 上着が熱く湿っていく……
 冷たい薄汚れたタイルに僕の中味がぶちまけられる……

「はぁ、はぁ、はぁ……
……くそっ!!」

 拳を振り上げる気力もない。

 意識は身体の中でもがいてる……身体の器よりも意識が縮んでしまったかのように……
 視界も……もう視神経の40%も動いてない……



 ……光が消えていく…………





 ……………………





『オレはゆるさねえ……オレ「たち」の夢を踏みにじったてめえらをな…………!!』











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