『先のフィフスとサードの接触……やはりDiablo同士は引き合う力があるというのか』

『だがフィフスは促進因子投与を行っている。同列に扱うにはいささか無理があるのではないかね』

『詳細をお聞かせ願おうか、葛城作戦部長』


「FCから回収されたデータでは、戦闘時における反応・行動にリアルナンバーとの相違点は認められません。十分に資料として利用可能というのが作戦部の判断です」


『赤木博士はなんと言っている』


「生体組織反応及び神経反応はすべて正常値内です。抗体はα-47から49、およびγ-21から33が適合、ですがβ系はすべてが拒否反応を示しました。これが……ホワイトアウトの原因ではないかと」


『所詮紛い物か。ファースト・セカンド・サード……彼らリアルナンバーには敵わんというわけか』

『いつまでも悠長に構えているわけにはいかん。計画の前倒しも検討せねばならんな』

『あるいは、シクサス(6th)の引き上げを行うか』

『新たなDriver候補の選抜も視野に入れておく必要がある』

『では次に移ろうか。12使徒……彼らは我々に仇なすのか、そうでないのか。
そろそろ見極めねばなるまい』


「現時点では彼らに組織立った行動は見られません。これまでどおり、在野の一走り屋として対処が可能です」


『だが楽観はできん。第六使徒、ブラッディRが横浜GPに参戦してくるそうだ。それに……【迅帝】も動き出しつつある。彼らとDriverの接触には十分に注意せねばならん』

『【四天王】の一人が……セカンドと親しいそうだな。奴の動き如何によっては、セカンドの喪失も考えておかねばなるまい』

『それはいささか早計に過ぎんかね。奴の存在がセカンドの安定に役立っているとすれば、それだけでも利用価値は十分だろう』

『ともかく、12使徒間には組織化されたつながりはないということだな』


「そうです。我々もその見解に基づいて作戦を展開しています」


『よかろう』

『12使徒が……あるいはDiabloに興味を持っている、ということは考えられんかな』


「……それはどういう意味なのでしょうか?」


『君の質問は許されん。言葉を慎みたまえ』


「はい」


『いずれにしろ、12使徒は一度は我々と袂を分けた存在だ。
定めに逆らえば破滅あるのみ』

『10年前の惨劇を忘れたわけではあるまい。あれによって人類補完計画は大幅な遅れを出した。今また横浜戦争の二の舞を演じるわけにはいかんのだよ』


「…………承知しております」


『君たちNERVにはまだまだ働いてもらわねばならん。失敗は許されんぞ』


「はい」


『よろしい、下がりたまえ』


「はい」













新世紀最速伝説
The Fastest Legend of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第17話 心のかたち、人のかたち















 …………またあの夢を見た…………


 ……何度も見たことのある……

 水の中の夢……



 ……僕は粘着質の溶液に包まれてる…………


 ねっとりとまとわりついて……からだが動かない……

 首までつかった泥の中で……もがいてるみたいだ…………



 なにもない…………ここではすべてがゆっくりと……

 ……ただ過ぎ去ってる…………





 過去も現在もない……

 未来なんてありやしない……



 僕はやっと目を開ける……


 ……見えたのは綾波先輩の背中……


 追いかけたい……でも、僕は一歩も動けない……



 腕さえ伸ばせない……


 ……どうなってるんだ……?

 ……なぜなんだ……?





 ここ数日……僕はおかしかった…………



 ……CRAAAZY DRIVER……

 ………冷静に考えてみれば、そうさ…………



 だけど………………


 ……深い眠りの中で……



 ……いま、その理由がわかった……










 SPEED
           S

   SPEED
             P

     SPEED
               E

       SPEED
                 E

         SPEED
                   D










  S
    P
      E
        E
          D










『オレにSPEEDを……
SPEEDを感じさせろ…………』





 ………僕にも聞こえたんだ………


 ……【声】が……





 僕の中で……

 確かに聞こえたんだ………………










「くうっ、あ、ぁっ……く、くるしい…よ…シンジ……」

 細切れになった声が僕を現実へ引き戻す。

 僕の身体は電池の切れたおもちゃのように、がくっと崩れ落ちた。
 手のひらに残る感触……目に映る視覚。
 切り離された意識の中、僕は……マナの首を力いっぱい、握り締めていた…………



 汗は混じりあい、シーツに染み込んでいく。

 僕はやっとのことで起き上がり、ベッドのふちから足を投げ出した。
 マナは呼吸を落ち着かせ、のど元をかばいながら僕の隣に座る。

 部屋は薄暗いオレンジ色。目に慣れた常夜灯の光は、スクリーン越しに見ているようにあたりを浮かび上がらせる。

「どうしちゃったのよ、シンジ……?
プレイにしちゃ変だったし」

 冗談じゃない……
 僕は本気だった。いや、自分で自分を制御できてなかった。あともうすこし、意識を取り戻すのが遅かったら……僕は、マナののど笛を押し潰していたかもしれない。


 異常だ……

 ここ数日だ。自分がわからない……感情の波が激しい。
 第2東京から帰ってきてから……
 精神の温度が激しく、上がったり下がったりを繰り返す。


 走りだけが……僕を正常に保ってくれる。



 横浜GP。


 僕は走る。今や、走らずにはいられない。Z、それだけが今の僕を保てる。

 Zが死ぬ時は……僕が死ぬ時。そうさ……僕はもう死んでる。
 生きてるのは、狂気……

「ごめんよ……」

 呟く。

 僕はベッド脇の棚から樫の小箱を取り出し、中に入っている葉巻を一本、マナに渡した。もう一本は自分に。

「これは?」

「……綾波先輩からもらったんだ。
マナは煙草、吸うだろ」

「ん……まあ、ね……」

 マナは物珍しそうに、そして半ば呆れたように葉巻のラベルを見回した。
 ライターで口火をつけ、それをマナの葉巻に移してやる。

 お互いに最初の一服。十数秒ほど息を止めて煙を体内へ沁みこませる。
 白いはずの煙は部屋の灯りに照らされ、夕焼けの雲のように見える。部屋の中に空が見える。

「初めてじゃない?お互いの前で吸うのは」

「そうだっけ」

「でも、こういうのもいいよね……」

 吐き出す。のどと肺への弾力のある刺激。やっぱり、僕にはこれは慣れない。
 綾波先輩に薦められて何度か吸った事はあるけど……自分から吸おうとは、思わなかった。
 今夜、珍しくこんな気分になったのは……

 僕が、変わり始めているからだろうか。

「……上等なやつだね。澄んでる」

 ふつうの煙とは匂いが違う。松の葉を燻したような独特の香り……マリファナだ。
 今はそうでもないが、昔は綾波先輩はよくこれを愛用していた。

「洒落てるじゃない、綾波さん。緊張をほぐすのにも最適。
眠れない夜に一本、なんてね」

 おどけて見せるマナ。僕もつられて微笑む。浅い眠りに疲れた身体が、ゆったりと落ち着いてくる。やっと、身体を休めることができるのかな……



 不思議なひととき。

 ふと目覚めた夜、そんな隙間の時間。
 そんなときでもなければ、僕たちはもはや戦いを逃れられない……










 海にかかるベイブリッジの銀河。
 青ときらめきが織り成すこの海の中に、あきらかに異彩を放っている真紅の星。

 惣流の唯一のパートナーたる、FD3S RX-7 typeR。Tuned by NERV。


 埠頭にただ一台佇むその姿……

 エンジンは静かにアイドリングを続け、その全身から鋭いまでのオーラを立ち上らせている。
 不用意な他者の接近を拒み……孤高の存在たろうとするその意識。

 それはどこか、惣流の気高くも寂しげな香りに似ていた。



 FDのフロントホイールにはやや舵角がかけられ、必要とあらばいつでも戦闘態勢に入れることを示している。
 そんななにげないしぐさが積み重なって、初めてオーラが紡ぎだされる。

 FD3S。正真正銘のDiablo-TUNE。

 純戦闘機。戦うために生まれた存在。
 走ることをやめたとき、それは自らの命の否定。
 走り続けなければ生きてはいけない。一度走り始めてしまったら、その味を忘れることはできない。



 走り……殊に、スピード、モアパワー。そして、チューニング。

 終わりのない走り……それは麻薬そのもの。
 簡単にやめられるなら、はじめから手を出したりなどしない。
 走りを辞める者、降りていく者……彼らはみな、スピードという麻薬に身も心もボロボロになり、打ちのめされた者たちだ。たとえ本人がどういう認識であろうとも、それは変わらない。

 それは逆に言えば、最後まで真っ当な人間であることに執着し続けていられた結果とも言える。

 その先に残っているのは……一線を越えた人間。
 相容れない、壁を越えてしまった人間だ。

 そしてその壁は、もしかしたら気づいていないだけで……ずっと前から、はじめから、そこにあったのかもしれない…………



「なによ?話って」

 視線は正面に向けたまま。ぶっきらぼうに問いかける。

「………………」

「……アンタらしくないわね。そんなに悩むことかしら?」

「……すまんな。だけど、こいつはわし一人の問題やないから……」

 いつにない、沈痛な表情の鈴原。
 FDのナビシートに深く腰を落ち着け、俯いている。

「…………走り屋、辞めようか思うとるんや」

「……」

「こないな身体になってしもうて……借金もごっつあるしな。
まだ大学も出とらんのに、このままやあかん思うてな……」

「そう。……ま、いずれそう言ってくるんじゃないかと思ってたけどね……」

 シートに背をもたれ、ため息を吐きつつ言う惣流。
 鈴原はそのあっさりとした反応がちょっぴり意外なようだ。

「……んでも、ほんとの理由は別にあるんでしょ?
ヒカリのこと……」

 やおら身体を起こし、鈴原の顔を覗き込む惣流。

「……4ヶ月、なんですってね。
あいつも近いうち、元町Queen's辞めるって。ユイが言ってたわ」

「なんや、もう話伝わっとったんか」

 同じ女性リーダーを頂くチームとして、NR本牧と元町Q'sは親交が深い。
 特にQ'sリーダーの片桐ユイが惣流の後輩に当たることもあり、当代になってからは特に交流が盛んだった。
 そんな中で鈴原と洞木が出会ったのは自然なことだっただろう。

 二人の交際はすでにメンバー皆の知るところとなっていて……今回の話も、洞木はチームメンバー全員から祝福と支援を受けているということだ。

「これからやっちゅう時に、ほんまにすまん。
けど、わしにとっては……あいつの方が大事っちゅうことなんや……」

「分かってる。アンタを責める理由なんかどこにもないわ。たしかにチームも今大変な時だけど、それはアタシのやるべきことだしね。
アンタにはもっと大事な仕事があるんだから。……あいつを、ヒカリをちゃんと幸せにしてやんなさい。
いいわね。……約束よ」

「お、おう……」

 惣流はぐっと顔を寄せて念を押した。
 さすがの鈴原も気圧されたか、頬を染めて頷く。

 寂しげな色を見せていた惣流の瞳。

 またひとつ、別れが過ぎ去って行った。



「……送ってくわよ」

「すまん。いつも、惣流には世話になりっぱなしで……」

 FDは静かに発進し、街の中へ走り出していく。
 いつもの街並み。だけどそれは、違う空気を持っている。

「…………馬鹿」

 かすかに、呟く。聞こえないように。

 切なく痛む胸。惣流の想い……
 時の積み重ね、それはこれほどまでに重いものだったのか。

 今になってようやく気づく。手遅れになって……


「……(馬鹿はアタシよね。分かってたはずなのに……
トウジ……アタシはアンタのことが好きだった。
ガキんころはさんざん馬鹿やって、互いに傷つけあって……それでも、思い出は楽しかった。
ヒカリとは、せいぜい1年でしょ?でもアタシとは、かれこれ10年にもなる……

……長さじゃないわよね。そんなの、好きになっちゃえば関係ないもの。

10年越しの恋、か……ふっ、そんなドラマみたいなこと)」


 同じ中学、高校時代を過ごした惣流と鈴原。僕も、綾波先輩も、洞木も知らない二人の時間。
 それはたしかにあった。

 今となっては、遠い過去へと消えかかっているその思い出……
 惣流はつかの間、昔を思い出す。

 今までの23年間の人生で……おそらくいちばん激しく、波瀾に満ちていた時代。





 惣流が13歳の夏。中学二年生の頃だ。来日したばかりで、すべてが新鮮だった。新しい街、新しい学校、新しい友人たち。
 SecondIMPACTの傷跡が消えきらない時代ではあったが、それでも人々は復興の喜びをたしかにかみしめていた。
 そんなかすかな、希望があった時代。

 だがその影には、スピードと狂気が支配するアンダーグラウンド・ストリートがあった。
 走り、速さを求める者たちは自然に引き寄せあうように集まり……災厄の時代を忘れようとするかのように、毎夜のごとく走り続けていた。
 そしてその中で……惣流は、走り屋であった母親を失うこととなる。

 14歳の冬……毎年、変わることなく巡ってくる季節。だけどこのときの惣流にとっては、それはいつにもまして厳しい冬だった。
 親類たちは皆、惣流を厄介者扱いしていた。名門貴族の出でありながら走り屋などに現を抜かしていたキョウコ、そしてその娘である惣流は、ラングレー家の中では勘当同然の扱いだった。
 キョウコがいなくなったことで、惣流はたちまち天涯孤独同然の身になってしまった。
 14歳の少女には辛過ぎる仕打ち。だが、それを認識したところでどうにかなるものでもない。ただ惰性に任せて毎日を過ごし……惣流の生活は荒んでいった。
 夜の街に溜まるようになり……不良たちとの付き合いもし始めた。

 そして運命の転機、後の12使徒となる相原カオリとの出会い。自分と同じく上流家系の出身ながら、身を持ち崩すことなくSTREETを渡り歩いていたカオリに、惣流は初めて心からの信頼と忠誠を誓うことになる。
 年が明けて中学三年。惣流の2つ下である鈴原が、惣流と同じ中学に入ってきた。
 すでに校内をほぼシメていた惣流とは、当然のように衝突することになる。





「……(今更だけど……ほんと、あの頃が懐かしいわ。
いつだっけ?最初にヤったの)」

 FDのステアリングを握り締めながら回想に耽る。
 隣に座っている男……身体を重ねた回数は一度や二度ではない。それが今では、走りの世界を生き抜く戦友となり……そして、新たな生活へと歩みを進めていく背を、見送ろうとしている。

 鈴原はこの世界を降りる。
 そして、自分は残る。惣流は再び、独りになってしまう。


 割り切っていたはずだった。そうやって何年間もやってきた。
 だけど心のどこかで……絶えざる熱い夜のひとときを、忘れられずにいた。

 鈴原の愛車である、漆黒のS14シルビア。惣流が鈴原の退院祝いに贈ったものだ。
 既にライトチューン済みで、ここからさらにパワーアップしていけるよう、前のS14のパーツを移植することを前提にパーツ選択を行っている。
 だけど、おそらくはもう……このS14は、その全力を発揮することはないだろう。フルバケットのシートもいずれはノーマルに戻され……前のS14では軽量化のために取り外していたリアシートには、来年あたりにはチャイルドシートが取り付けられていることだろう。
 外観は同じS14シルビア。だけど、既にそれは戦闘機の姿ではない。
 家族を……大切な人を乗せ、思い出と命を運ぶ乗り物。

 同じ場所、同じ街にいても、それはなによりも遠い世界。





 惣流は鈴原の家がある下町の近くでFDを停めた。さすがに夜遅い時間のため、こんな音量の大きなクルマで住宅地へ乗り入れるのは避けたい。

「ほんじゃ、ここでな。今日は話し聞いてもろて、ずいぶん楽になったわ。
とりあえず、次の走行会まではわしもおるから……」

「ええ。次はアンタと……ヒカリの引退パレードになるわね。ユイとちょっと日程、詰めてみるから。アタシたちからの最後の餞ってやつよ。
……そんじゃ、おやすみね。オナニーばっかこいてないではやく寝なさいよ」

「わ、わかっとるわい!何をいうんやいきなり……」

 沈んだ雰囲気をいっきに吹き飛ばされ、頬を赤くする鈴原。惣流はしたりとばかりに相好を崩す。
 しばし、微笑を交わしあい……またやがて、静かな沈黙が二人の間に流れた。

「……あと、2週間……ね。アンタとこうしてんのも」

「そやな……」

 チームを引退する。つながりがまったくなくなってしまうわけではないが、そうなれば一般人と走り屋、違う人種。同じ星の下でも、違う夜を生きることになる。

「その前に、横浜GPもあるな。惣流はそっちの方をがんばらんと」

「分かってるわよ、言われなくても。
アタシの10年間の走り屋人生の中で……一世一代の見せ場ってやつよ。シンジも綾波も出るし……いい機会だわ。今まで預けてきた勝負、きっちりつけてやるわ」

「期待しとるで。GPに出るっちゅうことは、わしらHAMAの走り屋みんなの夢を背負うっちゅうことやからな」

「そうね」

 横浜GP……走り屋、夢の祭典。
 夜の闇にまぎれ、人目を忍びながら走らなければならなかった走り屋。それが、初めて太陽の下に出る。

 先に行われた予選大会では予想を大きく上回る観客動員数を記録し、各方面のメディアでも大きく取り上げられた。
 真っ当なレースイベントではなく、『走り屋』……イリーガルなイメージを前面に押し出す。出場するのは、普段夜の街を走り回っている改造車そのまま。
 それは結果的に人々の心をとらえ、秘められた激情を解放させることとなった。
 第3新東京市の熱狂……走り屋も、そうでない者たちも同じように。

 カレンダーに記された日付は刻一刻と近づいてくる。

 横浜GrandPrix本戦……


 すべての決着がつく時。
 僕たち、誰にとっても……一つの節目となる、その時。

 たくさんの人々が、それぞれのドラマを紡ぐ。

 それは見た目こそ違えど、10年前と同じ姿だった。
 横浜戦争とまで呼ばれた、激しい抗争の時代……目指していたのは同じ。


 …………『横浜最速』…………


 勝利と栄光。そして、認められること。
 最後に手にするものは何なのか、それはわからない。だけど、心の奥底から湧き上がる衝動だけは同じ。

 強い生き物になりたい……

 人間の弱さ、そして同じ人間であっても否応なしに感じる、相容れない隔たり。
 それを打ち壊したくて、人は戦い続けてきた。

 10年前も、今も、そして10年後も変わらない。

 うわべの感情がどう変わろうとも、遠い種族記憶に受け継いできた本能は変わることはない。


 誰にも止めることのできない、魂の叫び……

 僕たちは、それをわかってる。
 理屈じゃない。


 そして、今第3新東京市を包み込んでいる夜の熱狂も。

 このSTREETを生きる走り屋たちが……多かれ少なかれ、僕たちと同じ思いを抱いてるってこと。


 変わることのないかたち……

 走り続ける、その魂。










 虚無をかき消すように疾る蒼穹の刃。

 首都高速、環状線。


 カルソニックブルーの巨大なマシンが、周囲を威圧するように悠然と走行している。
 レーシングマシンと見紛うほどのエアロチューンに、旧米軍の戦艦のようなメジャー迷彩塗装。そしてなにより、ボンネットやリアフェンダーに不気味に刻まれた白い経文が見る者の心を恐怖に陥れる。


 【迅帝】……

 首都高最速、最強の12使徒と名高いBNR34スカイラインGT-R。
 最近、鳴りを潜めていた彼がついに首都高に姿を現した。

 横浜GP本戦を目前に控えたこの時期に……激化する走り屋たちの戦い、それに誘われるように。

 首都高をテリトリーとする者たちにとっては、満を持しての登場と言ったところだろうか。

「うおっ、あの34R!間違いねえ、『迅帝』だ……!」

「マジかよ!?オレ、初めて見るぜ」

 群れている走り屋たちのクルマのわきを、光の軌跡を残して翔るGT-R。それは彗星のごとく、時間さえもあいまいにさせる。

「うほォ……速え──!!」

 比類なき強靭さを誇る34ボディをして有り余るほどの超パワーをその身に秘め、物理法則の縛りを振り切らんばかりの機動を見せる。

 文字通り、力の具象。12使徒……力を司る天使ゼルエルの称号。

 GT-R伝統のレッドエンブレム……それが掲げられているはずのフロントダクトには、眼窩に鋭いガンマレーザーを湛えた髑髏のエンブレムが不気味に輝いている。
 この髑髏のデザインも他の12使徒たちとは違う特別なもの。
 この迅帝だけは別格、というわけだ。



 蒼い光の尾を引いて走る迅帝34R。

 彼一台の登場によって、首都高の流れがいっきに変わる。
 それはあたかも、水面に落ちた波紋がゆらめき広がっていくように……

 僕たちを取り巻く空気をたしかに変えていく。

 それを敏感に感じ取ることで……

 僕たちは、戦いの舞台に上がることができる。
 首都高速道路、地上の銀河。


 戦いのときは近い。

 最後の日常に別れを告げ……走り屋は死線へと赴く。
 それはまさしく、第二次横浜戦争と言っていいほどの混沌。










「会長……」

 月夜の光が差し込む、高級ホテルの部屋。
 やわらかな絨毯をそっとなでるように、男に向かって歩を進める女。

 綾波先輩……

「眠れませんか?」

 ネグリジェに身を包み、しっとりと濡れた髪に月光を煌かせて立つ先輩の姿。
 僕たちに見せる、最速の走り屋としての姿ではない……夜だけの妖精、女としての姿だ。

「……思い出していたのだ……あの頃を」

 男はこんなときでも、色眼鏡を外すことがない。

 NERV総帥、六分儀ゲンドウ……
 彼にとっては、どんな人間も怖れるべき他者でしかないのだろうか。

「地上には命が満ち、ヒトは再び繁栄を取り戻した。たった15年でだ。
セカンドインパクトの災厄……あの頃、誰がこんな未来を想像できたのか……
つくづく、人間の業というものを思い知らされる。

……そして……あいつがこの命溢れる銀河に、なにを夢見ていたのか……
そんなことを思うと、な……繰り返す日々が、まるで空虚なものに思えてくるのだ……」

「…………」

 呟くように独白するゲンドウ。綾波先輩はなにも答えない。

 背を向けたままのゲンドウをじっと見つめ、やがて静かに視線を下ろした。
 脚を組んでソファに座り、そっと……ネグリジェの胸元を緩める。

「夢想家はいつの世も……理解を得られないものですよ」

 綾波先輩はテーブルの上に置かれたガラス皿を手にし、中に盛られた薬のカプセルを2、3個、すくい取った。
 ワインといっしょに一息に飲み込む。

 そこでようやくゲンドウは綾波先輩の方を振り向き、ゆっくりと歩み寄っていった。

「知恵の実を食べた人類は楽園を追われた。
そして今、生命の実をもその手にしようとしている……」

 もう一粒、カプセルを口に含む。そのまま二人は口付けを交わした。
 口の中で被覆が溶け、鈍い刺激味をもって薬が体内に広がっていく。溶かし込むように、深く、唇を絡ませる。

 感度が上がるわけではない。むしろ鈍る。
 だがそれも一時のものだ……深いソファの上で交わりを続ける先輩とゲンドウ。

 引き裂かれた心の奥でたしかに感じている。
 理性も、感情も、思考も……心を覆い隠すすべての壁を剥ぎ取り、そうして見えてくる深淵の影。
 それは人間が持つ魂の姿……

 10年前からずっと、いや、人間がこの世に生まれたときからずっと……
 人類が探し求めてきた、進化の階段を登るための鍵。





 テーブルの上に置かれた携帯電話が鳴る。

 ゲンドウは物憂げそうに起き上がると、電話を取った。

「私だ……ああ、そうだ。
…………なに……わかった、すぐに手配する。
ああ、構わん……そうだ。日本政府と米政府、マスコミにはシナリオB-22で対応しろ……
くれぐれもぬかるな」

 鋭い表情で通話を切る。
 綾波先輩もさすがに状況を察し、意識をいっきに覚醒させる。

「ネヴァダですか?」

「ああ。第一支部が消滅した……S2機関の試験中の事故だろう。
半径49キロ以内は跡形もないそうだ」

「……予想通りの結果、ですね……
赤木博士にはもう?」

「連絡は既についている。こちらからも直ちに調査隊を派遣する」

 重い沈黙が部屋に満ちる。

 NERVの暗躍……横浜GPを待つまでもない。それはすでに始まっているんだ……
 僕たちの知らないところで……





 この事件は翌日の新聞でさっそく大きく取り上げられた。

『米ネヴァダ州で大規模な爆発事故』
『死傷者の正確な数は不明』
『閃光ときのこ雲、目撃証言多数』
『米政府、核爆発説を否定、放射性物質は検出されず』

 僕たちにとっては遠い世界の出来事でしかない。たまに訪れる、興味を誘うゴシップ……ほとんどの人間にとってはそんなものでしかない。

 それがDiabloと深い関わりがあるなどとは……誰にも知る由などない。


 この日の夜は、不思議と気分が落ち着いていた。

 僕自身さえ気にも留めていなかったことだが……



 僕に聞こえた【声】……

 それはあるいは、地球の裏側からやってきていたのかもしれない…………











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