……HAKONE……

 ……SecondIMPACTによって打撃を受けた旧東京に代わり、新たに建設された第2東京市……

 一時の喧騒も今はすっかり鳴りをひそめ、その役目を第3新東京市に渡そうとしている……



 霊峰富士を眼前に望む……
 けわしい峠によって外界から隔離された、どこか不思議で神秘的な空気に包まれた町……

 ……それが第2東京……

 この箱根という町さ…………





 前世紀から数十年にわたって……
 ここ箱根は、走り屋とよばれる者たちの聖地だった……

 Route1、箱根SKYLINEをはじめとしたワインディングロード……
 数多くの者たちがこの峠に挑み……熱い夜の青春をこの道に刻んでいった……
 ……戦いの系譜を……


 名実ともに日本でもっともレベルの高いスポット、箱根……

 そして同時に、関東エリアの最前線、戦略重要拠点でもある……
 それがこの……第2東京市……











新世紀最速伝説
The Fastest Legend of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第16話 闇にささやく声












 僕たちは東名高速から新横須賀道路を進み、箱根口ICから降りて箱根エリアへ入った。

 第3新東京とはまったく違う風景……
 壮大なこの山脈の中を、1本の道が切り開くように通っている……
 ……風の中に溶け込むように……僕たちはひた走る……


 僕たちの目的地……そこはHASHIRIYA'S HOLYPLACEと呼ばれている場所……

 箱根でもっとも速いチーム、その本拠地がそう呼ばれる……
 今は、箱根DRIFT DANCERSがそう……

 その場所は二子山の中腹にある……芦ノ湖をはさんで、第2東京の町並みを見下ろす場所……

 VIEWPOINTとしても申し分ない公園が……僕たちの約束の場所さ……





「WON-TEC……NERVに対抗する、工業系大企業……か」

 古い町並みを残す旧箱根町と、芦ノ湖を挟んでその対岸に位置する第2東京市……
 その中にひときわ目立つビルがある。

 そう……ここ第2東京に本社を置く、WON-TEC社だ……

 御殿場に大規模なテストコースを持ち、すでに数多くのコンプリートマシンを世に送り出している。
 新型パーツの開発も積極的に行っており、NERVに次ぐ巨大メーカーへと成長しようとしている。

 そして……WON-TECが横浜GPをターゲットに立ち上げた新ブランド、それは……

「TRIDENT……発売スケジュールももう決まったっていう……
なにも知らないお客たちは、希望を胸にその日を待っていることだろうさ……」

 後ろを走っているマナの瞳にも……それは映っているだろう。


 『NEW GT STYLE 【TRIDENT】 COMING SOON !! #A70、R32、Z32〜』……


 企画段階から開発に携わり……文字通り命を削って作り上げたマシン、TRIDENT。
 それがついに……日の目を見る。

 マナにとって……そして、海の向こうでこのニュースを知るであろうムサシにとって……それはどういう思いを抱かせるだろう?


 そして……10年前、Diablo-TUNEが世に送り出されたときも……
 ……そうか。
 母さんは……その時には、もういなかったんだ……










 箱根新道を西へ向かい、二子山を登る。

 ……まもなく、箱根DDの本拠地に到着する。


 他の走り屋や、ギャラリーたちの姿も目に付くようになってきた。

 たしかに感じる。
 この山の奥深くに眠っているなにか……
 ……神でも悪魔でもない……

 人間を狂わせるなにかが…………

 地の底から、僕らを見上げている……
 そんな気がする…………










 HOLYPLACEには、すでに箱根DDのメンバーがそろっていた。

 リーダー、虎口の180SX……それに、加東のMR2もいる。
 それから……いかにも軽そうなロンゲの男が乗っている赤いセリカGT-FOUR、丸ぶちのサングラスをかけた男のハチロクパンダレビン……

 彼らが、箱根DDの主要メンバーだ。



 僕たちはそれぞれ、向かいあうように一列に並んでクルマを停める。

 加東はニヤニヤと不敵な笑みを僕に向けている。
 綾波先輩と虎口はじっと睨みあい……あたりに緊張を漂わせる。

 マナとケンスケは、さすがにすこし後ろに下がって様子をうかがっている……





 ……やがて、虎口がゆっくりと口を開いた。

「2年ぶりか……」

 それに応じ、綾波先輩も短く答える。

「元気そうね」

「……………………。
社交辞令など必要ない」

 綾波先輩はやや視線を落とし、そして再び上げる。

「あなたは変わらないわね。……虎口……
……2年前のバトルの時と……」

 虎口も2年前のことを思い出しているのだろうか……
 すこしの間、視線が交叉して……じっと時が止まる。


 やがて虎口はすこし声のトーンを和らげて言った。

「峠、走ってないんだろ?慣らしがてらチームバトルといこうぜ。
……いい仲間がいるんだろ……」

「あなたもチームを?」

「形だけだ。
いまは俺がいちばん速い……それだけの理由だ」

 頂点で戦う者どうし……やはり、通じ合うものはある。

「柄でもないわね……」

「お互い様だ」

 虎口はチームのメンバーたちをそばに招き寄せると、僕たち全員に向けて言った。

「チームバトルは、HOLYROADのヒルクライム。
俺と綾波のTAIMANはダウンヒル勝負だ。
バトル開始は今から2時間後……それまではフリー走行。念入りに走りこんどけよ。
……地元じゃねえなんてのは言い訳にもならねえからな」

 僕たちは思わず顔を見合わせる。

 そう……僕たちも走るんだ。
 初めての峠……
 すこしの猶予もない。一発の勝負だ。

「いいな……それじゃ行くぞ。また後でな」

 そういうと虎口は180SXに乗り込み、メンバーたちを連れてコースに出ていった。
 後に残された僕たちは……じっとそれを見送る。



 綾波先輩は僕たちに向き直ると、やわらかく微笑んで言った。

「急で悪いけど、こういうことになったから……碇くん、霧島さん、相田くん……いいわね」

 綾波先輩の言葉に、僕たちは力強く答える。

「うん……わかってるよ。今日は初めからそのつもりで来たんだから……」

「はい。走り屋なら……売られた勝負から逃げるわけには、いきませんからね」

「望むところですよ。自分の腕がどこまで通用するか試す……いい機会じゃないですか」

 それぞれの思いを聞き届け、綾波先輩もゆっくりとうなずく。

 僕たちはそれぞれのマシンを起動させ……遠吼えるように、エンジンを吹かす。
 これから、この峠を走るんだ……それを誇示するように。

 そうさ……僕たちは、逃げない。


 目の前の敵に立ち向かい……そして、勝つ。
 熱い命を……強く生きていることを、確かめるために。


 Z……僕たちは、帰ってきたんだ。












HAKONE


HOLY ROAD


栄光に向かって走る者と闇に向かって走る者
彼らは口を揃えて吐き捨てた。
結末が重要ではないと。
大切なものは、いま、この時、この瞬間なのだと。













 きつい傾斜のついた道を下る。

 1.6トンもの車両重量を持つZでは……ブレーキ、タイヤにかかる負担はすさまじい。
 ややもすれば、オーバースピードでずるずるとフロントを滑らせてしまう。

 けっして峠向きのクルマではない……しかし、それが言い訳にもならないのはじゅうぶんに承知している。

 僕はZで戦う……そう決めてるから。
 どうしてZが不利だといえる……?
 違う。それはZのほんとうの力を引き出せていないから。

 Zの走りを……僕とDiablo-Zetaの走りを、この峠に刻む。





 HOLYROADを中ほどまで下ったとき、対向してくるクルマのヘッドライトが目に飛び込んできた。

 あれは……MR2。加東か。
 すれ違いざまに視線が交差する。

 やや離れてセリカも。こいつらの実力……どれほどのものだろうか。

 箱根DDのトップクラス……並の走り屋ではないだろう。


 やがて道は山の反対側へ飛び出し、大きく弧を描いて下る5連ヘアピンに突入する。

 トンネルをくぐれば、ゼブラゾーンが鋭く右へ回り込んでいる。
 きついバンクのついた下り……制限30の標識がしらじらしい。
 スピードメーターの数字は、優にその倍の速度を示している。


 ここHOLYROADは第2東京建設にともなって開通した新しい道路だ……
 峠道らしからぬ整備された大きな道路で、所によっては4車線相当の道幅を持つ区間もある。

 大勢で入り乱れてのチームバトルができるのは、そういうわけがあるのさ……





 何往復か上り下りを繰り返す。
 すでに綾波先輩はどんどん先へ行ってしまい、その姿はもう見えない……

 一方、僕の後ろではマナとケンスケが、それぞれつかず離れずにちょっとしたバトルを展開していた。




 コーナー3つほど後ろになるだろうか……Zのバックミラーに時折、激しく光が反射している。

 180SXのハイパーハロゲンの光。それから、ハチロクのリトラクタブルの閃光。
 180SXが先行し、ハチロクが後ろから追う形だ。
 パワーならマナの180SXの方が圧倒的だが……ケンスケのハチロクも、綾波先輩がチューニングしたスペシャル4A-Gを積んでいる。峠ではターボ車にだってひけを取らないはずだ。


 それなりに飛ばしているのか、2台はすぐに追いついてきた。
 僕はZを左に寄せてパスさせる。

 目の前でコーナーに飛びこんでいく2台……ターンインではほぼ互角だ。
 さすがに立ち上がりは180SXに分があるが……それでも、コーナー突っ込みの速さでかなりの部分を取り戻している。
 ケンスケも、限られた時間の中で着々と腕を上げてきている……

「ふふっ……僕も負けてられないね……」

 スキール音をあげてコーナーを駆け抜けていく。

 僕の神経を興奮させる……Zも、そうだ。
 180SXの吹き上げるアフターファイヤーも……オレンジの光が、僕の視神経を刺激する。

 僕は、戦いたい……


「いくよ……Z」

 加速。Zのフルパワーでいっきにハチロクに迫る。

 間違いない……Zならいける。
 はっきりと感覚でわかる……このコーナーを抜けられると……この道を、走り抜いていけると。


「くうっ!碇のやつもやるじゃねえか……」

 バックミラーにZのHIDビームを受け、ケンスケは嬉しそうに舌打ちした。
 こんな激しいバトルなど、普段はなかなかできない。
 今、こういう時だからこそ……

 僕たちは近づいていける。互いを恐れずに。

「さすがだぜ、霧島も碇も……とても同年代とは思えねえよ……」

 先頭のマナはフルブレーキングからスムーズにコーナリング姿勢を作り、ブレーキングドリフトでコーナーへ突入していく。
 ケンスケはギリギリまでブレーキを奥にもっていき、細心のステアとアクセルワークでグリップでコーナーを抜けていく。

 結果としてわずかにハチロクが詰めるも、立ちあがりでいっきに180SXに離されていく。
 ドリフトを駆使すればもうすこし、有利にはなるかもしれないが……
 まだケンスケにはちょっと難しいだろうか……

「思い知らされるぜ、腕の差ってやつを……」

 後ろから見ているとよくわかる。
 マナは明らかに手加減してる。あのドリフトもただ横を向けているだけで速さのためじゃない。
 ポーズだけとってケンスケを待ってるってことだ……

 ストレート、じりじりと180SXのテールが遠ざかっていく。

「だけど……ふっ、俺の柄じゃないか、こんなのは……?」

 ケンスケは昔から、無謀な勝負ってのはしないたちだった。
 リスクを避け、要領よく立ちまわることを信条にしてきた……

 しかしここにきて、はっきりと壁にぶつかっている。

 壁を避けることはできる。しかし、壁の向こうには魅力的なものが待っている……
 どっちをとるか。あきらめて安全な道を行くか、それとも危険を承知で挑戦するか……
 そしてすなわち、その目標は自分にとってそれだけの価値があるのか……それを確かめたい。

「……Z……ここだ!」

 手前のコーナーでタイミングを計り、いっきにスピードを乗せてハチロクをパス。
 すばやくハチロクの真正面に踊り出る。

「くっ、碇!?」

「見ろ、ケンスケ!」

 ハードなブレーキングからテールを振り出し、スライドさせながらコーナーへ飛びこむ。
 前方の180SXに迫り、そしてハチロクに見せ付けるように……

 追ってこい、と……。本当に追いかけたいと思っているなら……

「あのヘビーなZ32をここまで振りまわすかよ……すげえよ碇……!」

 ヘアピンへ突入。
 ギアを2速へ叩きこみ、鋭くターンして立ちあがっていく。

「くっ!」

 ねじ込むようにステアを切る。
 ハチロクのテールが流れる。ぐっとこらえて向きが変わるのを待ち、アクセルで踏ん張りながら立ちあがっていく。

 多少たこ踊りを見せながらも、ハチロクはしっかりとZのテールにくらいついてきた。

「……その感じだよ、ケンスケ……まだまだいけるよ」

「ほ!相田君もやるじゃん……いい感じいい感じ!」

 次のコーナーへ。
 横腹に差し込む光を感じる……このコーナリング感覚。
 そうさ、僕たちは互いに刺激しあって……走りを高めていくんだ。

 今はそれを……確かめる時さ…………










 一方、綾波先輩と虎口はフリー走行を一足先に切りあげ、頂上の駐車場でひと休みしていた。

 RSと180SX……2台がわずかな距離をとって並んでいる。
 綾波先輩と虎口の2人も同様に……

 2人が見下ろしている道路を、僕たちは走りまわっている。

「…………いい仲間たちを見つけたな」

 呟くように言う虎口。
 綾波先輩も静かに応える。

「あなたこそ……。……覚えてる?
私が乗ってたハチロク……」

「……あのオンボロか」

「チームのメンバーに譲ったわ。とても大事にしてくれてる」

 ふもとに投げた視線の先には、ケンスケのハチロク。
 それを率いるように僕のZとマナの180SX。
 3台が連なって走っている。

「相変わらずの仲間思いってやつか……
その実は隠し事の代償……そんなところだろ……?」

「…………そうね」

「『横浜最速伝説』……お前にとってはなによりも……
大切なものだったんだろ…………」

 虎口は煙草に火をつけ、一息深く吸った。

「お前はあの時……第3新東京に行きたがってた……」

「………………」

 綾波先輩はやや俯いて黙っている。
 ほろ苦い煙が2人を取り巻いていく……。

「碇……シンジだったか。あいつも立派になったもんだ。
Diablo-Zetaのドライバーとして……もうすっかり一人前だろ。
……もう……お前のもとを巣立つ時が来てるのかもしれねえぜ」

「……!」

「わかってるさ……きっかけがほしかったんだろ?くだらねえな……
お前も昔っから変わらねえぜ。頑固で融通もきかねえ……」

 RSのフェンダーに腰掛けて……綾波先輩は僕とZへ思いを馳せる。

 ここ第2東京で暮らした数年間……まるで姉弟のような絆を感じていた……
 そして、さも運命であるかのように僕をDiablo-Zetaへと導き……

 綾波先輩は未だ、僕にすべてを明かしていない。

「俺たちはみんな認めてたさ……
お前はこんな田舎の峠にくすぶってる器じゃねえってこと……。
……YOKOHAMAでやらなきゃならねえことがある……Diabloの伝説を追う。
正直に言やあいいじゃねえか……
……あん頃の仲間は、笑って見送ってくれたぜ……」

「…………もういいわ。昔の話よ……」

 綾波先輩は立ちあがり、ふもとを見下ろせるように前へと歩み出していく。

 虎口はその場で……綾波先輩の背をじっと見つめていた。
 大天使セラフの肖像を……。



「……そういや、お前のチームにも1台、180SXがいたな。
なかなかいい腕をしてる。同じ180SX乗りとして話しあってみたいぜ」

 マナのことか。
 綾波先輩はすっと振り返ると、にやりと微笑んで言った。

「ふふっ。うちの大事な娘に手を出すのは、この私が許さないわよ……?」

「馬鹿言え、俺は年上が好みなんだ。そんな気はねえ」

 虎口もさすがに苦笑する。
 すこしだけ……張り詰めていた空気が和んだ。



 そろそろ、バトル開始の時間だ。












TEAM BATTLE
MidNightANGELS vs. HAKONE DRIFTDANCERS



HOLY ROAD HILLCLIMB

Entry list
Miharu Koguchi(DD) RPS13 180SX
Rei Ayanami(MNA) DR30 SKYLINE RS-X
Shinji Ikari(MNA) GCZ32 FAIRLADY Z
Ryou Yamazaki(DD) ST205 CELICA GT-FOUR
Genji Katou(DD) SW20 MR2
Mana Kirishima(MNA) RS13 180SX
Keiichi Kinoshita(DD) AE86 LEVIN
Kensuke Aida(MNA) AE86 TRUENO


The Underfeated 敗れざる者たち













 総勢8台ものマシンが連なって峠を登る。

 先頭は虎口と綾波先輩……僕はその後を追う。
 後ろでは他のメンバーたちが競り合っているが……僕にはもう、RSのテールランプしか見えていなかった。

 戦いを目の前にして興奮した僕の神経……Zもそれをわかっている。

 一瞬で僕の血液は煮えたぎり、腕と指先の神経がチリチリと震えだす。

「いけるのか……僕にも!」

 きつい登り。ここはパワーの勝負だ。

 綾波先輩のRSも、虎口の180SXも、勾配を意識させないほどの強烈な加速を見せる。
 Z……お前もパワーなら負けないはずだ。
 全力を出しきってくれ…………!



 夢中でRSのテールを追う。
 時間の感覚さえ曖昧になる。

 コースをどこまで過ぎたのか……それも意識に上らない。

「初めてだよ……ね」

 こうして綾波先輩についていけてるのは。

 今までは……僕がどんなにがんばったって、綾波先輩にはついていくことさえできなかった。
 ZとRSにどれだけの性能差があるのかは知らない……
 だが素人目に見ても、もはやマシンの差なんて関係ないレベルだ。

 綾波先輩は速い。普通の人間とは明らかに違う。
 僕の知る限り……綾波先輩より速い走り屋なんて、少なくとも第3新東京市にはいない。

 そして、しかし……ここ第2東京では。

 かつて綾波先輩を下したという走り屋、虎口ミハル……
 激しくぶつかり合うように交差する180SXのテールランプが僕の精神を揺さぶる。

「僕は……!」

 綾波先輩を追う。それが僕の願いだったはずだ。

 今僕は、それに手を届かせようとしている。
 負けられない。一歩でも引いたら終わりだ。二度と追いつけない。

 僕の心に焦りが生まれる……

 決定的なミスは犯さずとも、心の不安定さはリズムの乱れを呼びいつも通りの走りができない。
 Zの姿勢が揺らぐ……それはすなわち僕の心の揺らぎ。
 僕は焦ってる……何に?

 戦いを目の前にして……僕は何をためらっている……?



 はっと気づいたときにはもうコースは残り少なくなっていた。

 RSと180SXは相変わらず接近したままバトルを繰り広げている。
 そこでふっと、僕の心がひらめきのように澄んでいく……

「……本気じゃ……ないのか…………?」

 そう直感した。
 彼らはまだ、本気の全開走りじゃない。

 後ろに他のメンバーを引き連れているからか……ともかく、綾波先輩たちの速さならとっくに僕たちをぶっちぎっていてもおかしくはないはず。

「…………僕は…………
こんなのは…………」

 いやだ。

 手加減なんてされたくない。
 掌の上で……踊らされるのなんてごめんだ。

 僕は強くなりたい。なにものにも、支配されない強さを手に入れたい。

 今は……僕を支配しているのは……

「綾波先輩…………」



 ゴール。

 いちおうトップで頂上に着いたのは虎口だが、彼もこれが本気の走りでなかったことは承知の上のようだ。
 遅れて僕たちも頂上の駐車場に入り、このあとのタイマンバトルを見守るためにクルマから降りて外に出る。





 虎口が一歩前へ進み出て、綾波先輩に告げる。

「いい走りをするようになったじゃねえか」

 綾波先輩も、厳かにそれに返す。

「本番はこれからよ。あなたはTAIMANでしか本気にはならない」

「……DOWNHILL……TAIMAN勝負。
条件は申し分ない。
……あの時のような対向車もいないぜ……」

 視線の交叉。

 2年間のわだかまりも、ためこんできた感情も、なにもかもが……その一瞬で通じ合う。
 そういう2人だから……



「待てよ、虎口」

 2人がクルマに乗り込もうとしたとき、突然声を上げた者がいた。

 この軽そうなロンゲの男は……箱根DD、山崎リョウ……
 彼は僕と先輩たちの間に割り込むように立つと、いったん僕を一瞥してから虎口に向かった。

「なんだ、リョウ」

「あんたにばかり楽しみはあげない。
……ボクはそいつとDANCEだ」

 後ろ手に山崎は僕を指さす。

「せっかくのバトルなんだ、その前に道を暖めておくのも悪くないだろう?
キミ、文句はないね?」

「………………」

「……し、シンジ……」

「お、おい碇……」

 ケンスケとマナは心配そうに声をかけるが、僕は平気だ。

 僕は山崎に向かい一歩進み出ると軽く頷いた。
 彼はそれを見て取ると、ニヤリと不敵に微笑んだ。

「オーケイ、それじゃさっそく始めよう。
ボクのクルマはわかってるね?あの赤いセリカだ。誰もが見とれる華麗なステップを踏んでみせるよ」

 僕は山崎にならいスタートラインにZをつけた。
 山崎のセリカは……峠仕様ということでさほどパワーは上げていないだろうが、彼自身が言うようにフットワークはかなり強化されているだろう。
 Zも負けられない。この重量とパワーは峠では足かせになるだろうが、そんなことも言っていられない。

 こういう場所で戦う機会を得たんだ……全力を出しきってやる。

 そして……












HOLY ROAD DOWNHILL


Shinji Ikari(MNA)
GCZ32 FAIRLADY Z

vs.
Ryou Yamazaki(DD)
ST205 CELICA GT-FOUR



夜の闇を蝕む魔物
走り屋の聖地、箱根峠












 スタートダッシュでは4WDのセリカが有利だ。
 カタパルトから打ち出されるように飛び出していくセリカ。

 FRのZではどうしてもホイールスピンを抑えきれない。これだけパワーがあれば仕方ないが……

「自慢のステップをじっくり見させてもらうよ……」

 ラリーベースとして作られ、市販車としては驚異的な運動性能を誇るセリカGT-FOUR。
 4WDによってハイパワーを効率よく路面に伝え、軽量なボディと足回りは俊敏なコーナリングを可能にする。

 一方Zは、もともとグランド・ツーリングカーとしての性格が強かったクルマだ。
 同じくNISSANのフラグシップといえるスカイラインGT-Rのように、硬派に速さを追求するクルマではない。

 だがそれはあくまでノーマルの話……こいつはチューンドだ。
 それも、NERVが独自のオーバーテクノロジーを用いて建造したDiablo-TUNEだ。
 たとえどんなステージでも、どんなクルマが相手でも……絶対に負けない。
 それだけの力を、Z……こいつは持ってるはずだ…………!

「…………何度目かの前哨戦…………
僕は僕のために走ってきた……そのはずだろ…………」

 先行するセリカはコーナーのたびごとに大きくアングルをとって派手なドリフトを見せる。

 見せつけるように……むしろ、速さは二の次にしている。
 それはあたかも、路面すべてをまんべんなく撫でるように。
 熱いブラックマークを刻む、その意味は……

「そうさ、いつだって僕は道を暖めるために走ってる…………
綾波先輩が走る道を……暖めるだけのおまけに過ぎない…………」

 ギャラリーたちは歓声を上げて僕らを見送る。

 だが僕たちが通り過ぎてしまえば、あとはまるでもう用がないかのように上を見上げている。
 やがて下りて来るであろう綾波先輩と、そして虎口の2人を……

「……はじめてだよ、こんなふうに感じたのは……
僕は……こいつを知りたくて、最速の彼方を見たくて、走ってたんじゃないのか……?」

 大勢集まったギャラリー。
 人はたくさんいても、自分がまったく注目されていないような錯覚に陥る。

「冗談じゃない…………
僕は……綾波先輩のことを心配してた僕はどこへ行っちゃったんだよ……」

 ヘアピンの続く区間を抜け、長めのストレートが現れる。
 すかさずフルスロットル。セリカを一気にぶち抜く。

 ……僕は、いったいどうしてしまったんだろうか……

 無性に心がざわめく。
 いつだって、人々の注目は僕を向いていない。
 みんなが見ているのは、そう、ひとりだけ……たったひとりだけなんだ。

 別に注目されたいなんて思ってない。それなのに……どうして、ここまで心が乱れる!?

 それとも、心のどこかで……無意識に、構ってほしいと思っているのだろうか……





「……綾波先輩……」

 ゴールラインを越え、駐車場へと入って待つ。
 Zのエンジンはまだ興奮冷めやらぬといった感じの高いアイドリングのままだ。

「僕は……先輩を…………」

 これはなんだ?
 嫉妬……妬み……そういうものなんだろうか……

 いつも、最速の走り屋として皆のRESPECTを受ける綾波先輩……
 そんな人々にとっては……僕は、あくまでその他大勢の中のひとりでしかないのか…………
 Diablo-Zeta……どうなんだよ、Z…………

 僕は本当に……君と一緒にいていいのか…………


「やあ。碇君……だったかな。なかなかの走りだったよ」

 山崎が僕に声をかける。
 一見友好的に見えるその話しぶり……どこか、渚さんを思い出させる。

「ボクの華麗なステップは見てくれたかい?
峠というステージ、それはボクにとって最高のダンスフロアなのさ。
キミもワインディング・ダンサーの素質があるよ。どうだい、ひとつボクの手ほどきを受けてみる気はないかい?」

「…………」

 こんな時にか……
 とてもじゃないがそんな気分ではない。

 山崎リョウ、こいつの軽々しさは……渚さんとは違う。

 本当に軽く捉えている……走りに対する執着がない。
 いや、執着がないわけではないが、割り切りというのだろうか、そういうのがかなりあっさりとしている。
 そんな気がした。


 上の方ではもう綾波先輩たちがスタートする頃だろうか。

 頂上付近……淡い光のドームができているそこを、僕はじっと見つめる。













綾波レイ
Rei Ayanami

虎口ミハル
Miharu Koguchi

vs.
DR30 SKYLINE RS-X
RPS13 180SX














 皆が固唾をのんで見守る中、いよいよ2人のバトルが始まる。

 綾波先輩のRS、虎口の180SX……2台の青いマシンが吼える。
 ヘッドライトのビームが路面をじりじりと灼き、空気を震え上がらせる。

 誰もが、2人の放つオーラに圧倒されていた。


「おう!そこの180SXの嬢ちゃん!スタートを頼むぜ」

 エンジン音に乗せて虎口が呼びかける。
 自分のことを言われていると気づいたマナは驚きに思わず立ちすくむ。

「わ、私……!?」

「霧島さん、私からも頼むわ。しっかりと、間近で目に焼き付けなさい。私たちの戦う姿を……」

 緊張感に包まれながらも、マナはおずおずと進み出て2台の間に立つ。

 虎口は同じ180SX使いとしてマナに興味があるようだ。
 いかつい容貌とは裏腹に気はいいらしい。

「嬢ちゃん、あんたの走りは見せて貰ったぜ。
なかなかいい筋をしてる。どうだ、後でちょいと話さねえか」

 さすがにうろたえる。しかし、綾波先輩の微笑みを見てすこし、安心する。

「は……はい。では……いきます。
GET READY……用意はいいですね!?」

 両手を伸ばしてRSと180SXのコクピットを指し、視線で答えを受け取る。
 綾波先輩たちはブリッピングで応え、共鳴する2台のエンジン音があたりに響き渡る。

 マナはそれを確認すると、両手を高く掲げて叫んだ。

「カウント5!」

 エンジンの強大なトルクに、RS、180SXのボディがビクビクと戦慄く。
 2台とも、400馬力を軽く越えるパワーを誇る。
 その身に秘めたまぎれもない強さを、全身で表している。

「……4……3……2……1……GO!!」

 かけ声とともに、ばっと両手を振り下ろす。

 直後、マナははっきりと空間が歪むのを感じた。
 RS、180SX、その2台の解き放つパワーが路面を蹴り、大気をはじき飛ばす。
 ねじり潰すようなスキール音を叫び、2台は猛烈な加速で飛び出していく。

 その衝撃に思わず路面にひざまずいて振り返ると、2台はちょうど第1コーナーへ飛び込むところだった。
 アフターファイヤーが飛び、RSが身を翻してガードレールをかすめていく。

「……ッ……すごい…………」





 ギャラリーたちが歓声を上げる。
 上昇していくエキゾーストノートがそれを煽る。

 2台の走りは、この場にいる全ての人間を熱狂させていた。

 単純な速さだけじゃない。それにかける思い、そしてそれを走りに現すこと。
 飾ることなく、生き様に現すこと。
 それが……ここまでの熱狂を生んでいる。



 綾波先輩が見せつけたこの走り……タイムを競って勝つことが目的じゃない。

 もやのかかっていた自分の心を晴らしたいから……
 わだかまりに、決着をつけたいから。
 全力で走り、そしてそれを分かち合える者とともに走ること……
 そうすることで自分に納得できる。

 それを求めているから…………



 そうさ、誰もがみんな同じなんだ。
 綾波先輩だって例外じゃない……

 …………強い存在になりたい…………


 望むことはただそれだけ。

 その思いが、僕たちを突き動かしてる。











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