EVANGELION : LAGOON

Welcome to H.S.D. RPG.
CAR-BATTLE in TOKYO-3, 2015.
by N.G.E. FanFiction Novels,
and RACING LAGOON.

Episode 15. Deep Rain












 翌日は雨だった。

 空は重い雲を携え、僕たちを太陽の下へは出そうとしない。


 ……誰もが分かっていた……
 所詮自分たちは赦されざる者なのだと……

 そうさ……

 どんなに言葉を飾ってみても、反社会的な行為をしていることに変わりはないんだ……










 その夜、渚さんを除くMNAメンバーはMILAGEに集まっていた。

 ミーティングというわけでもない……
 仲間の死を悼むわけでもない……

 ただ何もできずに……じっと押し黙っているだけ……





 僕は……
 つい数時間ほど前に行われた、ベイラグーンでのFCの引き揚げを思い出していた……

 クレーンは雨に打たれ……
 泥とオイルの混じった水が海へと流れ落ちていく……

 現場は警察関係者でごった返し、僕たちは野次馬に混じって遠くから眺めるしかなかった…………

 海中から姿を現した渚さんのFCは、昨夜僕が見たとおりの不気味なマシンだった……
 エンジンルームには爆発の影響か大穴が空き、黒く焼けこげてしまっていた。
 コクピットもそのほとんどが燃えてしまい……遺体の確認はできない状態だった……

 かろうじてリヤ周りにFCの面影を残しているが……
 それは不気味なほどに生物的なフォルムをした、異形のマシンだった…………


 だけど、僕には……

 雨に打たれるそのいびつなモンスターが、涙を流しているように……
 そんなふうに……見えた…………





 ひとときの回想も……時間つぶしにもなりやしない……

 どれくらいの時が過ぎたのか……
 ……雨の音だけが、僕たちの沈黙を包み込んでいた……


「……ねっ、みんな……元気、出してよ」

 マナはなんとかこの重い空気を振り払おうと声を出す。
 しかし、いくらがんばってみてもそれは空回りしかしない。

 テーブルの上に置かれた今日の夕刊……マナはそれを手にとって広げた。

「ほら、横浜GP予選の結果速報!綾波さんの名前がこんなに大きく……
……あっ、シンジの名前もあるよ!その真ん中のところ。
『横浜GP本戦!期待の新星』だって」

 綾波先輩の記事は写真入りで大きく組まれていた。

 派手な色使いの見出しで『第3新東京の女王、GP予選余裕の観戦』と……
 煽りの入った構図で、光の尾を引いて疾走するRSの写真が重ねられている。
 そう……まるでアーティストのグラビアかなにかのように…………


 と、記事を目で追っていったみんなの視線がある一点で止まる。

「んっ!?ちょっと待った、この記事……渚さんの事故のことじゃねえか……」

 声を上げたのはケンスケだった。

 そこにはこう書かれていた……


 走り屋事故続出
 死へのDRIVE!
 過激なTUNEUPが影響か?



「興味本位の記事……やな感じ。もういいよ、やめよっ!」

 ゴシップ週刊誌のような煽り文句に、マナは嫌悪感を露わにする。
 だがその記事の枠の隅に、気になるコラムを見つけた。

「ちょっと待って、その下……」

 淡古印って奴だ……独特の文字……


 10年前の悪夢の再現……?
 呪われた『横浜最速伝説』!



 そこに書かれていた内容は……細かい違いはあれど、僕が今まで聞いてきた横浜最速伝説とおおよそ同じものだった。

 10年前、この第3新東京市……横浜で、最速の座に君臨していた走り屋。
 瞬く間に各地の記録が塗り替えられていく中で、激化した走り屋たちの抗争、それに伴って増加していった事故。
 やがて最速の走り屋自身が事故によって他界し、横浜戦争とまで呼ばれたその抗争はしだいに沈静化していった……

「………10年前の悪夢……か………」

 伝説の影に潜む闇。
 栄光は……幾千もの屍を礎に。

「呪われた……横浜最速伝説……?」

 マナやケンスケのような若い走り屋たちにはぴんとこない。
 伝説の闇の部分は……誰もが話したがらないだろうから。
 知らないうちに風化していく……

 それは言うなれば歴史の封印……

「10年前にも、走り屋の事故が続出していた……」

「たたりみたいなものなのかな?
あるじゃない……道路にまつわる怪談とか、霊体験とか…………」

 そういうのとは違うだろうが……渚さんの言葉を考えれば、そこにDiabloがなんらかの形で関わっていることは間違いないだろう。

「渚さんは、僕に……【声】が聞こえるって言ってた……
……【声】からは逃れられないって……なんの意味があるのかは分からないけど…………」

「憶測でものを言うのはやめなさい!!」

「「「!!」」」

 それまで黙っていた綾波先輩が急に大声を張り上げた。
 僕たちは思わず身をすくませる。

 綾波先輩はきつく腕組みをして俯いたまま、僕たちに言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。

「『横浜最速伝説』と渚くんの事故に関連性などあり得ないわ。
あるのはただひとつの事実。渚くんとはもう二度と走れない……
彼はもう……私たちのそばにはいないのよ…………」

 最後の一言だけが……やけに弱々しく感じられた。

 そうだ……綾波先輩だって悲しんでるんだ……渚さんを……
 共に走る仲間を失って……





 MILAGEの店内が再び沈黙に包まれようとしたその時……

 雨の音をかき分けて近づいてくるエキゾーストノートが聞こえてきた。
 濡れた窓にヘッドライトの光が反射する。
 そのクルマはMILAGEの敷地へ、鋭くドリフトしながら入ってきた。










HERE COMES THE NEW CHALLENGER!!

HAKONE DRIFT DANCERS

GENJI KATOU











 やってきたのは黒のMR2、SW20……
 ドライバーの男は帽子をかぶった眉なし……

 彼が着ているジャケットには、箱根DRIFTDANCERSの刺繍が入っていた。
 箱根DD……第2東京から来たのか!?
 DRIFTDANCERSといえば、箱根エリア一の実力を誇るチームだ。
 僕がまだ向こうにいた頃から、その名は広く知られていた。

 そんなチームからの使者……僕たちに、いったい何を伝えようとしている……?

「MidNightANGELSの綾波ってのはお前か……環七の黒い悪魔、加東ゲンジが挑戦に来たぜ!」

 その男はずかずかと店内に上がり込むと、僕たちの方にまっすぐ向かってきた。
 綾波先輩は椅子から立ち上がり、僕たちをかばうように加東の前に立つ。

 僕は念のためマナを後ろに下がらせ……綾波先輩の横についた。

「挑戦?せっかくで悪いけど、今日はそんな気分じゃないわ。お引き取り願えるかしら」

「あんだあ、シケてんな!拍子抜けだぜ」

 加東は苛立ちげに床を蹴った。
 店内に緊張が走る。一触即発の空気……

 じり、と靴を擦る音が響く。

「……それにしても、ふぬけた面子ばっか集まってんなあ?」

 加東は舐めるように店内を見回して言った。

「かつては箱根の次期皇帝といわれたものを……ここまで堕ちたか」

「本題に入ったら?そんな用で来たんじゃないでしょう」

「へっへ、お見通しか。さすが綾波」

 加東は綾波先輩に一歩近づくと、わざと下から見上げるようにして言った。
 じっとにらみ合う。

「虎口さんからの伝言だ。箱根で待ってるってな……意味は、わかってんな?」

 綾波先輩は微動だにしない。
 ただじっと加東を見据えたまま……奴が店を出て、クルマに乗り込むまで……じっと立ち続けていた。


 加東が二度、三度とアクセルを煽る。

 それに誘われるようにして、僕の心が煮えくり立った。
 ……気に入らない。たとえどんな理由があろうと、綾波先輩を馬鹿にする奴は許さない……!!

「……っ!!」

「あっシンジ君、どこ行くの!?」

 マナたちが止めるのも聞かず、僕は外に飛び出してZを起動させた。
 加東は僕を一瞥してニヤリと笑うと、雨の中に走り出していった。
 僕はそれを追う。

 倒す……

 勝ってやる。

 負けられない。
 綾波先輩をあんなにこけにした奴に……負けるわけにはいかない!





 加東のMR2は高速に乗ると、第三京浜へ進路を取った。

 上等だ……相手のホームコースで撃墜する。
 雨は路面を濡らし、タイヤは浮き上がるが……そんなことは大した障害にはならない。

 Z……僕はいつだって、走る相手を求めてるんだ……!!












3rd KEIHIN


vs. Genji Katou(DD) SW20 MR2













 ためらわずにアクセルを踏み込む。

 風圧で窓についた水滴は吹き飛ぶ。
 速度は一瞬で200km/hに達し、左右のガードレールがじりじりと幅を狭めてくる。

 湾岸などに比べればスピードレンジ自体は低いが、微妙に細かくコーナーが続き道幅もせまいため、体感速度はこっちの方が高い。


 目の前にMR2のテールが迫る。

 ギリギリまで接近して一気に横に並ぶ。


 コクピットをのぞき込むと、加東もこっちを見ていた。
 目が合う。

 ……負けるものか。

 加速勝負。一般車はいない。

 Zがじりじりと前に出ていく。
 あとは差が広がる一方だ。
 パワーなら、MR2には負けない。

 加速は二次曲線的に立ち上がり、MR2はどんどん後方へ離れていく。
 もはやコーナーがあろうが何があろうが差を縮めることは敵わない。

 バックミラーにオレンジの点滅が映る。
 ……勝負はついた。

 僕の……勝ちだ。










 料金所を過ぎた僕たちはいったん駐車スペースへ入る。

 ぶっちぎられたというのに、加東は平然とした顔で相変わらず不敵に笑っている。
 僕はクルマを降りて外に出た。加東もそれにならう。

「……関東は楽でいいぜ。ステアもいらねえ。馬鹿でも走れる」

「……なにが言いたいんだよ?」

 見下したような態度……必死に虚勢を張る。
 自分を誇示しようとする、走り屋ってのはみんなそんなもんだ。
 プライドがなければ生きていけない。

 そういう人間にとっては……僕のような人間は不思議に映るだろう。

「あんたのことは虎口さんから聞いてるぜ。NERVの秘蔵っ子……綾波のお気に入りってな」

「なんだって……?」

「綾波に伝えとけ。箱根で虎口が待ってるってな。
へっへっ……負け犬のまま、逃げててもしようがねえだろってな!」

「!?」

 僕はその意味がとっさに理解できなかった。
 負け犬のまま……逃げてても仕方ない……?
 どういうことだ……綾波先輩に、なにがあったんだ……?

「なんだ……しらねえのか?……まあいい。
うわさはこっちまで聞こえてるぜ。虎口さん……あの人も横浜GPに出る。
どうだ……興味がわいてきたろ?」

「…………」

 虎口……彼のことは僕もよく知ってる。

 僕がまだ第2東京にいたころから……綾波先輩と並んで、箱根の峠でトップを争っていた走り屋だ。
 マリンブルーのグラデーションカラーを纏ったRPS13 180SX……もともとドリフトでならしていたが、峠のバトルでもまったく引けをとらない走りを見せ、瞬く間にトップクラスへ上り詰めてきた。
 当時の綾波先輩は、まだ今のRSに乗り換える前……そのころは赤いハチロクに乗っていた。これは確か、ケンスケに譲ったと言っていたな……
 虎口の180SXと綾波先輩のハチロクは、当時の箱根で常に競い合っていた。

 今、その虎口は、箱根最速の走り屋……『皇帝』の座に就いているという。

 その虎口が……綾波先輩を呼び出した。
 横浜GP前というこの時期に……

 それにどういう意図があるのか……


 ともかく……僕は確かめなくちゃならない。
 加東の言った言葉の意味を確かめる……

「箱根へ……第2東京へ来いと、……そういうことなんだね……?」

「ああ……。待ってんぜ、いつでも。綾波とじっくり話し合ってみることだな」

 加東は踵を返し、MR2に乗り込む。
 雨に打たれながら立ち尽くしている僕の前を通り過ぎ、窓を開けて言った。

「虎口さんからの伝言……確かに伝えたぜ。……逃げんじゃねえぞ」

 MR2は箱根へ向かう道へ走り去っていった。

 テールランプが見えなくなるまで僕はじっとMR2を見送り、やがてZへ戻った。
 濡れた髪を拭き……僕は、じっと思考に耽る……


 加東の言ったこと……

 僕の知らない、綾波先輩の過去……

 『箱根の皇帝』虎口ミハル……かつて綾波先輩のライバルだった男……

 そして……その彼からの、綾波先輩への挑発…………


 ともかく、先輩に聞いてみないことには話にならない。

 僕はZを発進させ、第三京浜に乗って第3新東京へ戻る。
 雨は早足で通り過ぎようとしていた。

 途切れた雲の向こうに、白い月の光が差し込んでいる。

 フロントガラスを往復するワイパーのうなり……
 僕の視界をなでていく……










 綾波先輩のマンションに着き、僕はエントランスの真正面にZを停めた。

 駐車場を覗くと、メルセデスやBMWなどの高級外車に混じってRSの姿もあった。
 綾波先輩は、今夜は部屋にいるようだ。

 ……事前の約束なしでここに来るのは……そういえば初めてだ。


 迷うことはない。
 僕はまっすぐエントランスに向かい、綾波先輩からもらっていたIDカードを認証させる。
 エレベーターに乗り、綾波先輩の部屋がある階へと向かう。


 静かに、かすかに聞こえるモーターの音……ワイヤーのうなる音……

 もどかしい。
 会いたい。早く、話をしたい。
 僕は……そう、動揺してる。

 綾波先輩に……僕は…………





「……言いたいことはそれだけ?」

 僕は綾波先輩に、胸の内を告げた。
 そして、加東が言ったことを……確かめた。

 箱根ドリフトダンサーズ、虎口からの伝言……

「そうだよ……ねえ、本当のとこは……どうなんだよ?綾波先輩……」

 ラフなTシャツにブルージーンズという普段着姿の綾波先輩は、外へ視線を投げ出したままグラスを傾けた。
 僕たちは2人、ベランダで話してる……
 雨をふくんでしっとりとした風が、僕たちをなでていく……

「私が恐れている……
箱根の彼、虎口とやるのを……
……たしかにそうかもしれないわね。恐れている……ええ、そうよ……」

 僕は心臓が縮み上がる思いだった。

 あまりにもあっけなく吐き出されたその言葉……
 僕の胸が激しく痛む。

「そんな……認めないでよ、そんな簡単に……
先輩は僕たちとは違う……誰も見たことのない、最速の彼方へ行ける……そんな種類の人間だろ?
だから……だから…………」

 言葉が続かない……

 胸が詰まるような思い……僕は……

「最速の彼方へ行ける……人間、か……
碇くん……走りの世界にはね、ある一線を越えている人間がいるのよ……」

 そっと語りかける綾波先輩。
 僕はただじっと耳を傾ける。

「…………死線…………
……死への恐怖を厭わない走り屋。
人間の条件ってものがあるとしたなら……死を恐れる気持ちは、おそらくそのひとつ。
……死ぬことを恐れない者を、人間と呼べるかどうか……私にはわからないわ」

 綾波先輩の鋭い瞳……
 街の明かりを反射し、星のようにきらめいている。

 僕は……

「……綾波先輩は……恐く、ないの?」

「……そういう人間と走っているとね。引きずり込まれるのよ……
人間の限界を超えた、闇の領域に…………
箱根の峠には、そういう魔人がいるのよ」

 綾波先輩が戦っている世界……
 僕にはとうてい及びもつかない、極限の領域……

「碇くんにはまだ話していなかったわね……
あの日……2年前のあの日、私と彼との間になにがあったのかを……」

「あの……日……?」

 綾波先輩は記憶をめぐらせ、第2東京での……あの、運命の日へと僕を導く。










2013年 3月17日 箱根

走り屋の聖地



HOLY ROAD











 この日……澄んだ太陽の光が降り注ぐここ、箱根SKYLINEに……猛スピードで疾走する2台のクルマがいた。

 青い180SX、そして赤いハチロク……
 そう、ここ第2東京で1、2を争う走り屋、虎口ミハルと綾波レイとのバトル……

 箱根最速、『皇帝』の座を決める、文字通り一騎打ちの戦い……


 道は山の斜面をえぐるようにうねり、長い直線からきついヘアピンまで、めまぐるしくその表情を変える。

 テールトゥノーズ、サイドバイサイドと激しく体を入れ換えつつ、ハチロクと180SXはデッドヒートを繰り広げている。



「ツインドリフトのままコーナーに飛び込んで……前を走るクルマが遅かったなら、あなたはどうするの?」

 先行180SX、その後ろにハチロクはがっちり食らいついている。
 軽量ボディを生かしたコーナリングで、パワーに勝る180SXを追う。

「どうする、だと……?意味がわからんぜ。あおるさ。
俺は変わらず突っ走るだけだ。走りの世界はきれい事じゃねえ」

 この頃にはすでに、いわゆるローリング族対策としていたるところにキャッツアイや特殊舗装が設置されていた。
 それでも2人はまったくためらうことなく、ハイスピードのドリフトを繰り出してコーナーを駆け抜けていく。
 キャッツアイのない緩やかなカーブでも、反対車線まで大きく車体を振って慣性ドリフトに持ち込む。

「俺について来れないヤツ、俺の邪魔をするヤツ……そいつらは走る資格もねえ。
俺と同じ道に上がる資格はねえ!」

「一歩間違えればどちらも死ぬかもしれない。
それでも、あなたはあおり続けるの?」

 直線では180SXに引き離される。
 だが、コーナーでその差をつめていく。

「そうだ。俺がもし逆の立場でも、そうされたほうがいい。
綾波……今が、まさにそのときだろ!?手加減なんかするな!もっと攻め込めるはずだぜ!!」

 ブレーキングからターンイン、ハチロクにはまだわずかだが余裕がある。
 180SXは、コーナー前半で無理をするよりも立ちあがりにかけたほうが有利だ。

 力があるなら、そのすべてを振り絞って……全力で、相手を倒せと。

「命よりも、最速の記録が大事だっていうの?」

「最速の記録……!?笑わせるな!!
いいか?最速の走りってのは、誰かが叩き出した記録を破るために走るってわけじゃねえ。
道はただそこにある。俺が走るその先に……。俺が走るから、道があるんだ」

 激しくホイールスピンをさせ、タイヤスモークを巻き上げて180SXは加速していく。
 狂おしく、叫ぶようなその走り……

 さすがの綾波先輩も圧倒されている。

 このバトルではじめて、コーナーで遅れを取った。差が広がる。
 負けじと、アクセルを床まで踏み切って180SXを追いかける。

「どこまでも速く、強く、遠くへ……
それは俺の中から湧き上がる、果てしない高みへの憧憬」

 180SXの青いボディが輝く。どこまでも澄んだ、マリンブルーのきらめき……

「道があるから走るんじゃない。俺がここにいるから突っ走るしかない……
誰も成し遂げたことのない領域へ、俺は突っ走りたいんだ!
敵なんていないぜ………敵は、俺自身だ……!!」

 どこまでも続く、地平線の向こうへ……
 果てしない道の向こうへ、走り抜いていきたい。

 どこまで続くかわからない。そこに行けば、なにがあるのかもわからない。

 ……それでも、僕たちは走る。

 何かを得たいから、じゃない。理由なんてつけられない。
 どうしようもなく沸きあがるこの思い……
 それを、確かめたいから。


 生命のエネルギー……

 それを、この鋼鉄の獣にゆだねて。

 虎口も、綾波先輩も……わかってる。
 理屈じゃない、本能でわかってる。

「……!!」

 カーブの向こうに、一瞬きらめくものが見えた。
 一般車……対向車線を走ってくる。

 どこですれ違う……?場合によってはラインが制限されてしまう。

 先の状況がわからないなかでは、100パーセントで突っ込むことは出来ない。

「くっ……虎口っ!」

 180SXはペースを変えない。
 まるで対向車の存在に気づいていないかのような……

 180SXが一瞬のアクセルオフから慣性ドリフトに入る。
 ハチロクもやや遅れてそれに続く。

「!」

 ブラインドの向こうから対向車が姿を現す。大型のクロカン……パジェロだ。

 180SXは構うことなく、アウトいっぱいまで立ち上がろうとする。

 突っ込んでくる180SXの速度に驚いたのか、パジェロが挙動を乱す。
 巨体を躍らせ、イン側へ逃げ込むように……
 ……ダメだ。このままではブツかる……!










「……私たちの勝負はそこまでだった。私がブレーキを踏んで……終わりよ」

「…………」

 180SXはガードレールに車体をこすりながらもすり抜けた。
 カーブの途中で180SX、パジェロ、ハチロクと3台並ぶ形になりながらもかろうじて接触は免れた。

 しかし、ハチロクは姿勢を立てなおせずにブレーキロックを起こし……ガードレールに突っ込んでしまった。
 ヒットした角度が浅かったために、損傷は軽かったが……
 すでに、180SXに追いつくことはかなわなかった。

「私がゴール地点に着いた時……彼はもう、そこにはいなかった。
彼には見えていなかったのよ……道の先だけしか……」

 戦いを終えて……そこには、なにも残らない。
 ただ当事者どうしだけがわかる……忘れようのない思いだけが。

「彼にとってはね…………まわりは関係ない。誰と走ろうと関係なかったのよ……
……このバトルの後……虎口は、箱根の皇帝の名を継いだ。
…………そして…………私は、峠を降りたのよ…………」

「……それが、ちょうどあの時……?」

 思い出……それとも、忘れようとしても忘れられなかった過去……

「ええ。……ちょうど、第3に店を出す話が進んでいて……私が、引き受けることになったから。
……碇くんに連絡できなくて……ほんとうに、ごめんなさいね……」

「僕こそ……綾波先輩のこと、なんにもわかってやれなくて……」

 綾波先輩の戦歴の中で、唯一といっていいほどの敗北。
 それがこの……箱根での、虎口とのバトル。

 峠を降り……第2東京を離れるきっかけとなった、その戦い……

 なおさらに忘れられない。
 それは単にバトルでの負けではなく……自分自身の心への負けだから……


「……心配しないで。碇くん、明日私たちは第2東京へ行くわ。
相田くんと霧島さんには連絡はしてあるわ」

「綾波先輩……」

「私は……もう一度、虎口と走る……
私自身、どこかにわだかまりを残していたことには違いないわ。
横浜GPへ向けて……気持ちの整理を、つけなければいけない」

 そこまで言うと、綾波先輩はグラスに残っていたワインをぐいっと飲み干した。
 葡萄とアルコールの匂いがほのかに伝わってくる。

「それに……あとひとつ。
私の走りの師匠だった人……10年前を知る、数少ない走り屋がいるわ。
私やあなただけじゃない……霧島さん、相田くんたちも『横浜最速伝説』を知りたがっている。
そしてなによりも……渚くんのためにね……
私たちはもう一度だけ、過去に向かい合わなければいけない」

 とうとうと話し続ける綾波先輩。

 僕はもう、落ち着いて先輩の話を聞くことができる。
 迷わない……先輩を、信じられる。


「忘れないで、碇くん……
あなたもね……最速の彼方へと行ける、そんな種類の人間なのよ…………」



 雨はすでに上がり、空気は乾きはじめていた。
 ちぎれた雲のすきまから、澄んだ星空が見える。

 僕は……箱根へ、第2東京へ行く。

 僕の暮らしていた場所……でも、僕はそこで起こっていた出来事を知らなかった。
 それがなによりももどかしい……

 綾波先輩……


 第2東京へ、帰るんじゃない。走り屋として、遠征に行くんだ。
 戦うために……走る相手を探すために……
 そうさ、僕たちには戦う相手が必要なんだ……



 行き場を失い、さまよいつづける僕たちの前に……ひとすじの光が、見えたような気がした…………














予告


箱根の皇帝と称される男、虎口ミハル。

そして前皇帝にして綾波の師匠である走り屋、加持リョウジ。

彼らとの走りは、シンジになにをもたらすのか。

永遠に手の届くことのない綾波の背を追い、シンジは箱根の峠に挑む。



第16話 闇にささやく声


Let's Get Check It Out!!!






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