じっとにらみ合う男女。

 周囲の者たちは緊張した面持ちで2人を見守っている。

 男の方は紫に染めた長髪に、「硬派」と大きくプリントされたシャツ。
 女は、赤みのかったロングの金髪。真紅の文字で「NightRACERS」と刺繍を施した黒革のジャケットを着ている。



 やがて、男は女に向かい言葉を発する。

「惣流!てめえ、これに負けたら引退しろや。チームのヘッドはこのオレが張らせてもらうぜ」

 女は微動だにせず、冷ややかに言葉を返す。

「…………石川、クルマ乗りな」

「ケッ!ビビリやがって」

 石川の取り巻きたちがにやにやと、不敵な笑みを惣流に向ける。

 惣流はそんな彼らに無視を決め込み、FDに乗り込んだ。
 それにならい、石川もチェイサーのコクピットにつく。

 FDの甲高いロータリーサウンドと、チェイサーのストレート管の爆音が混じって響く。

「おら、お前ら下がれや!黒こげなるで!」

 鈴原が取り巻きたちを手振りで追い払う。
 それに応えるように、惣流は思い切り空吹かしをした。

 FDのマフラーから、1メートルに達しようかという激しいアフターファイヤーがほとばしる。
 わらわらと群がっていた者たちは驚いて飛び退く。
 惣流はちらりと隣の石川に視線をやると、煽るようにアクセルを叩いた。

「アンタがどんだけいいクルマに乗ろうが、このアタシには勝てない。
その身をもって思い知りなさい」

 チェイサーも負けずに爆音を張り上げる。
 この音は……触媒レスのフルストレートだ。パワーは上がるが、排気ガスは浄化されることなくそのまま垂れ流される。

「上等だぁ……すんなり勝てると思うなよ?この前のようにいくと思ったら大間違いだぜ……」

 にらみ合う。

 やがて鈴原が2台の間に立ち、両手を上げてカウントをとる。

 ……鈴原……まだ歩き方が少々あやしい。
 怪我の後遺症か……

「用意はええか!?……カウントいくで!スタート10秒前!!」

 惣流はステアリングの感触を確かめるように、革巻きを手のひらで深くつかみ、握り直す。
 極限まで感覚をとぎすまし……このFDに、限りなく深くシンクロしていく。

 心臓の鼓動と、エンジンの回転を合わせて。

 コンディションは絶好調だ。
 石川なんかには絶対負けない。

「GO!!」

 ミートするクラッチの様子がはっきりとイメージできる。
 これ以上ない最高のスタートを切る。

 空間がズレたかのように、鋭く加速していくFDの姿が見える。











新世紀最速伝説
The Fastest Legend of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第15話 涙












「……NightRACERSの代表は惣流。石川の奴もわざわざ新車のチェイサー用意して挑んだらしいけど、結局相手にならなかったそうだぜ」

「そうか…………」

 渚さんのいないMILAGE。

 僕たちは珍しくここに揃って駄弁っていた。
 外の駐車場にはZとハチロク、180SXがひっそりと並んでいる。

「……ま、当然の結果だろうけどな」

 ケンスケはそう付け加えた。
 だけど僕もマナも、相づちさえ打てない。

 僕たちの心は……それどころじゃない。

 僕たちの前から姿を消した渚さん……
 まだ、この街のどこかにいるのだろうか?それとも、もう第3を出ていってしまったのだろうか?

 どっちにしろ……渚さんは、もう走り屋を辞める。
 これ以上……お金も、時間もつぎ込めないってことだ。
 あきらめるのは悪いことじゃない……むしろ、社会的にみればそっちの方がよっぽど正しい。

「…………ちょっとトイレ行って来る」

 この場の空気に我慢ならなくなってきた僕は、そう言って席を立った。

 後には、ケンスケとマナが残される。
 マナは僕の背を、じっと目で追っていた。



 ……やがてケンスケはマナに話しかけた。

「なあ、霧島…………
……お前、シンジと……その、……ヤっただろ」

 マナは一瞬で顔を真っ赤に染める。
 ケンスケもかなり恥ずかしそうだが、目つきは真剣だ。

「!なっ……何よ、相田君には関係ないでしょ……」

「いや、分かるって。……あいつに対するお前の気持ちは……本気だって、俺なんかじゃ釣りあわねえなって……分かったからさ。
まあ正直なとこ、ようやくやったかって気はするけどな」

「……?」

 ケンスケの表情がすこし落ち着いてくる。
 心の内を打ち明けられる相手がいれば……それだけで、ずいぶん楽になるから。

「いつだったか……お前をNanpa Chicaneに誘ったときさ。
無様にミスっちまって……結局何もできなくなって。あの後、惣流にこってり絞られたよ。
たとえ失敗しても、最後まで一本筋は通せ、ってな。……なんつうか、それまでどんだけ、自分に都合よく言い聞かせてたかって……」

「…………好き、だった?私のこと……」

「……どうだろな。むしろ、憧れ入ってたかも。
自分で言うのもアレだけど、俺、小中高ってずっと女に縁がなかったからさ……身近に女の子が現れて、舞い上がってたのかもな」

「エッチしたい、とか思ったり?」

「ははっ、そんなことないっつったら嘘だけどさ。
……だけどそれも含めて……気づいたんだよ。俺は……人を好きになるってこと、軽く見てたんだな、って。
もちろん、……走りも、な」

「相田君……」

「とりあえずさ。俺、Nanpa Chicaneは卒業するぜ。俺は……シンジや綾波さんたちとは違う人間だって分かったからさ……
俺は俺のやれる範囲で、走りを楽しむことにするよ」

 ケンスケなりの答え……
 ずいぶんと悩んだだろう。
 僕や、惣流、マナ、そして渚さんを見て……頂点で戦うということの厳しさを目の当たりにして、自分にはそれだけの力がないと悟った……

 いい選択だと思う。

 僕なんかと違ってケンスケには、家族も友人もいるし、社会的な立場だってある。
 クルマに夢中になるあまり、そっちをおろそかにしちゃいけない。

 分かってる……良くも悪くも、僕たちははみ出し者なんだ、って……











 COMFORT17に帰って……僕が自分の部屋に入ろうとすると、マナはそっと僕を背後から抱き留めてきた。
 ゆっくりと僕の身体をまさぐるその手は、やがて股間へと伸びていく。

「シンジ……しよ…………」

 あの夜以降、僕たちは幾度となく身体を重ねていた。
 初めは感じていた罪悪感も、次第に薄れていき……3日目には、当たり前のようにマナは誘ってくるようになった。
 僕はあまり自分から攻めるようなことはせず、マナにリードされっぱなしだったけど……

 欲求が薄いってのはこういうことなんだろうか。

 別に今に始まったことではないにしても……心の中から、なにかをしたいという欲求がわいてこない。


 ただひとつの例外である、Zとの走りを除いて。

「……明日は予選だよ。夜更かしするのはまずいだろ……」

「もう……だから、抜いてあげるんじゃない」

「…………」

 あくまで軽口を叩くマナだが、その口調はどこか寂しさを含んでいた。
 自分では振り切ったつもりでいても……思い出ってのは、そう簡単に忘れられるもんじゃない。

 だからこそマナは……狂おしいまでに僕を求めてくる。

 僕はそんなマナが、たまらなく愛しい。





 2人で一緒のベッドに入り、互いの体温を感じあう。

 マナは僕の腕に頬を乗せて……飽きることなく、ずっと僕をなで続けている。

「ふふ……シンジぃ♪」

 僕はマナの身体を抱き上げ、自分の胸の上に乗せる。
 するとマナは待ってましたとばかりに僕をぎゅっと抱きしめ、僕の顔にキスを浴びせてくる。

「くすぐったいよ」

「……シンジ、変わったよねっ」

「……なにが?」

 マナは僕の髪を、そっととかし撫でる。

「前はシンジ……世の中はつまらないんだって、そんな目をしてた。
でも、今は……すごく、たくましく見えるよっ」

「そうかな……」

「横浜GP……目標があるから?」

「……分からない。だけどマナ、これだけは確かだよ。
僕は戦いを前にすると……血が騒ぐんだ、どうしようもなく。気が進もうと……進むまいとね。
それはきっと……Zの導きだよ」

 その言葉を聞くと、マナはわざとらしそうに顔をしかめた。
 さすがに僕もちょっと苦笑する。

「もう〜シンジったらいっつもそれなんだからぁ。別にカッコつけることないのよ?」

「分かってるよ……だけど、僕はホントにそう思ってるから。
……そうだ、マナも一ぺんZに乗ってみる?すこしはそういう感覚、分かるかもしれないよ」

「うっ……いや〜それは遠慮しとくわ〜。やっぱほら、Zはシンジでなきゃね〜?」

「…………」

 僕はしばらくマナの顔を見つめると、やがてそっと唇を重ねた。
 マナはそれに応えるように、舌を絡ませてくる。僕もそれを受け入れ……深く、キスを交わす。

 触れ合う肌の感触が、とてつもなく惜しい。
 もっと、もっと深く触れあいたい。いつしか僕は、マナの身体をきつく抱きしめていた。


 ……どこかで恐れていた。
 平和な日常が崩れ去ることを予感していた。
 ムサシとの出会い、そして別れ……チーム内予選の決着……さらには渚さんの失踪。
 なにか黒い大きな力が……僕たちを壊そうと、大鎌を振り上げている……

 だから……僕たちは焦っているのかもしれない。
 愛し合う時間が欲しくて……一日、一晩たりとも無駄にはできなくて……

 ベッドの上だけじゃない……お風呂場、リビング、部屋に戻るのを待ちきれない駐車場の隅……あらゆる場所で僕たちは愛し合った。
 たとえそれが傷の舐め合いに過ぎないとしても……僕たちにとって、それを止める理由にはならない。
 ゴミ箱の底に溜まったゴム袋の数は……僕たちが捨ててきた命の代償。



 ……誰にも……止めることなんでできやしない。





 COMFORT17の窓から見える……この街、第3新東京市…………


 街はゆるやかに色を変え、ネオンは流れていく……

 ……馴染んじゃったいつもの情景……


 朝日が昇れば……この街は、戦場になる。
 通い慣れたSTREET……走り慣れた道が、僕たちの運命を分ける…………


 …………JUDGEMENT……審判の刻…………

 ……横浜GP予選……


 ……執行猶予は……


 ………朝日が、空に満ちるまで………



 …………それまでの間、僕たちは…………


 …………最後の日常を、謳歌していた………………





















横浜GP予選



2015


YOKOHAMA GRAND-PRIX
QUALIFYING ROUND



NERV & WON-TEC



MOTOMACHI QUEEN'S
Y.KATAGIRI

SAKURAGICHO GT
T.KAWASAKI

TAKASHIMA VICTORY ROAD
F.P.LORENTZ

WANGAN GALE
T.YABUKI

NIGHTRACERS HONMOKU
A.L.SOHRYU

TEAM MIDNIGHT ANGELS
S.IKARI





















 総勢6台のチューンドカーが、みなとみらいに設置された特設のピットガレージに集結している。


 元町Queen's、片桐ユイのフェアレディZ432……性能的には他のマシンに比べて劣っているが、だからといって油断はできない。
 彼女は弱冠20歳にして横浜エリア全域のレディースを束ねる実力者だ。走りの腕もかなりのものだろう。

 彼女とは旧知の仲である桜木町GTの川崎テツシ……
 彼のJZX100チェイサーは、ドラッグマシンとしては第3新東京市最強の名をほしいままにしている。
 テストランの様子を見れば……重量級4ドアセダンであるということを微塵も感じさせないフットワークを披露している。

 そしてストリートゼロヨンにおいて川崎に唯一比肩しうる男、高島VRフレディ=ローレンツ。
 ハイパワーが自慢のJZA80スープラだ。NOSの装備により、どの速度域からでも他の追随を許さない強力なダッシュを可能にしている。

 さらに、湾岸エリア最速と謳われるチーム「湾岸GALE」のリーダー、矢吹テンセイ。
 純白のボディに赤ラメのボディグラフィックが映えるBNR34スカイラインGT-R。
 最高速という過酷なステージで鍛えられたその走りは、間違いなく超一流だ。

 そして、第3新東京市の走り屋ならその名を知らないものはいない……
 NightRACERS本牧、惣流アスカ=ラングレー。彼女の駆る真紅のFD3S RX-7は、走り屋たちの間では「紅の福音(エヴァンゲリオン)」の二つ名で呼ばれているという。
 妥協を許さず、真摯に走りに向かうその姿勢は古参の走り屋たちからも高い評価を受けている。

 誰もが認める、トップクラスの走り屋たち……
 その中に、僕の名前も数えられている。
 TEAM MidNightANGELS、碇シンジ……「Diablo-Zeta」と呼ばれる伝説のフェアレディZ、それが僕の駆るマシン…………


 第3新東京市の名だたる走り屋たち、その代表として僕らは戦う。

 たとえそれが、客寄せのための見せ物だとしても……
 僕たちはずっと求めていたんだ、こういう機会を。

 いくら強がって見せても、認められたいっていう欲求は隠せない。

 僕たちはみんなの期待を背負ってる……それは、手の届かない栄光を一目見たくて。


 だからこそ僕は……どうにもならない違和感を拭えない。

 それは僕の、勝負に対する無欲さ故だけではなく……
 ……渚さんのことを……
 きっと誰よりも出場に執着していたであろう渚さんの気持ちを……考えてしまうから…………


 観客席のどこかで、渚さんは僕を見ているのだろうか?
 人は群れをなし、大きな塊に見える。
 その中で個人の区別はできない。

 人々が皆……ひとつのかたまりになって、共通の意識を持ってる…………

 いやがおうにもそれを認識させられて、僕はすこし怖くなる。
 集団に溶け込むことの怖さ……流され、追われていくことの怖さ……
 Zは何よりもそれを許さない。

 だからこそ僕は戦う。

 そうさ、どこまでも僕を翻弄し続けるこの人の海の中で……
 自分を確かに保ち、何者にも支配されずに「強く」生きていけるだけの、力を手に入れるために……

 ……僕は、走る。










 みなとみらいの施設を一部利用して作られたグランドスタンド、その最上段に……綾波先輩はいた。
 隣にいる長身の男は……そう、NERV総帥、六分儀ゲンドウ。

 葛城や赤木博士はピットに詰めているため、ここにいるのは先輩とゲンドウの2人だけだ。

 眼下に見えるコースには、既に6台のマシンがグリッドについてスタートを待っている。
 スタート方式は70km/hからのローリングスタート、事前のテストアタックでのタイム順にグリッドが割り振られる。
 先頭は惣流、その後ろに矢吹、フレディと続き4番目に僕、そして川崎、片桐と続く。

 マシンの性能はバラバラだが、公道コースということもあってタイムは大きな差がなく接近している。
 それだけ、ドライバーの腕と……何よりも走り込みの経験がものをいうってことだ。

 GP本戦では、全国各地からの強豪が参戦してくる。
 彼らにとっては初めてのコースだが、こちらには地元という大きなアドバンテージがある。
 それだけ……レベルの高いバトルが繰り広げられるってことだ。

 負けは、許されない。



 綾波先輩はゲンドウの方をちらりと見ると言った。

「会長……冬月先生は、今日は?」

「冬月か……今は直々に仕上げねばならんクルマがあると、第2の方に戻っている」

「…………ああ……あの32Rですね」

 冬月先生が……手がけるマシン?
 それはいったい……

 冬月先生は若いころから、L型、ロータリーのチューンなどで名を売った腕利きのチューナーだ。
 その先生に依頼するということは……よほどのマシン、そしてドライバーなんだろう。
 つまり……横浜GP本戦への出場を狙う、関東エリア外の走り屋……

 僕たち以外にも、戦っている者たちは大勢いる。



 やがて、レーススタート1分前がアナウンスされた。

 サポートメンバーたちは最後のチェックを終えてピットに戻り、各マシンがいっせいに吼えはじめる。
 熱気が、いっきに増大する。

「いよいよ始まるな」

「ええ」

 相変わらずの厳しい目つきでレースの様子を見つめるゲンドウ。
 その視線は……4番グリッドにいる紫のマシン、Diablo-Zetaに注がれている。

「…………(シンジ……頼むぞ……)」

 ゲンドウは心の中で呟く。
 その言葉、思いは僕にも、綾波先輩にも届かない……
 だけど、Zには……あるいは、通じているのだろうか…………












YOKOHAMA GRAND-PRIX 
QUALIFYING ROUND



陰の暗黒に生きるオレたち、誰もが光を求めてるわけじゃない
闇の中でしか生きられない者だっている




DEAD or ALIVE,

too BAD,

Let's ROCK!!















 ペースカーの先導でコースを一周する。
 直線区間では、各マシンはタイヤを温めるためマシンを左右に振っている。

 Zは、今回のレースに備えてよりハイグリップなSタイヤを装着している。おそらく、他のマシンたちもみなそうだろう。
 低温ではグリップ力が発揮されないため、こうしてタイヤを発熱させてコンパウンドを溶かしておく。


 6台が整然と並び、戦いの舞台となるコースを行進していく。

 コース各所にある信号機は消灯され、交差点にはガードレールが張られている。
 レースのためのお膳立て……なんのことはない、いつも僕たちがやっているのと同じことだ。
 ただそれが……「お墨付き」であるかどうか、その違いだけだ…………

 じりじりと肌を焼いていくこの痛いほどに熱い空気……

 戦いの気迫。

 興奮する。とてつもなく。
 まるで……ずっと前にもこういうことがあったかのように……


 ランドマークタワー前のホームストレートに戻り、巨大なグランドスタンドが視界に入ってくる。

 走り屋たちの道標……YOKOHAMA Landmark Tower…………
 あそこを越えれば……バトルの始まりだ。

 見える。加速していくべきラインが。

 Z……こいつは知ってる。
 戦いを……
 これから起こる、この戦いの結末を……!!!











 コース各所に設置された観客席、その一角。
 ラフに立てた髪とサングラスの男が、仲間たち数人とレースの様子を見守っている。

 やがて彼らの目の前をマシンたちが通過していく。

 男の視線は、轟音を上げて疾走するDiablo-Zetaにじっと向けられていた。


 ビルの向こうにDiablo-Zetaを見送ると、男はすっと踵を返した。
 裏手の駐車場に停めた自分のクルマに男は乗り込む。

「あれ、ハルさん……もう帰っちゃうんすか?」

 ハル、と呼ばれたその壮年の男は仲間たちに向かうと、やや投げやりに言葉を返す。

「見るまでもないさ。この予選レース……結果はハナから決まってる。
FDとZのワンツーフィニッシュ……いや、どっちが1位でも関係ねえか。
……あのZ……間違いない。アイツは……10年前の最速の走り屋、その再来だぜ…………」

「10年前の……」

 Diablo-Zetaの伝説は、すこしでも走り屋の世界に足を踏み入れた人間なら必ず一度は耳にしたことがあるだろう。


 10年前、この第3新東京市……当時はまだ横浜市だったこの街において、誰も追いつけない速さを誇っていた謎のZ。
 ドライバーの素性もごく一部の人間にしか知られることはなく、それがまた伝説に拍車をかけた。
 「横浜最速の走り屋」その正体は、秘密結社SEELEの尖兵たる巨大複合企業NERVの創設メンバーにしてD-projectの提唱者、碇ユイ。そしてそのZとは、NERV初のモータースポーツブランドである「Diablo-TUNE」のプロトタイプマシン。

 だがある夜、ホームコースである湾岸でDiablo-Zetaは謎の単独クラッシュ、彼女はこの世を去る。

 Diablo-Zetaはしかし失われることはなく、修復されて生き続けた。
 幾度かの走行試験を受けるも、まるで彼女以外のドライバーを拒むかのように謎の事故を繰り返し……

 そして10年の時を経て、Diablo-Zetaは今のドライバー……碇ユイの一人息子、碇シンジのもとにいる。
 求めていた者に出会ったかのように……Diablo-Zetaは、かつての速さを取り戻しつつある。


「アイツには……碇のヤツと同じモノを感じるぜ。
……アイツは伸びる。いずれ……最速の走り屋としてこの街に君臨する」

「…………」

「あるいは……その前に、死ぬかのどちらかだ」

 男はそこまで言うとドアを閉め、エンジンをかけた。
 スポーツマフラー独特の低音の効いたサウンドが奏でられる。

 彼のクルマは……煌めく銀色のフェアレディZ、Z32。
 エクステリアはホイールとマフラー以外は全くのノーマルだが、そのサウンド、動きは紛れもなくチューンドのもの。
 そしてフロントガーニッシュには、伝統のZエンブレムの代わりに髑髏仮面のエンブレム……

 そう、この男もまた、12使徒……


 困惑する仲間たちを残し、彼は一足先に会場を後にした。










 夕日が、海を紅く染める……

 空には雲がかかり、光は大きく波を打っている……


 僕はただ独り、コースに残っていた。



 街は嘘のように静まりかえり……昼間の熱狂が、霧散してしまった。

 特設のガレージも、観客席も撤収が始まっている。
 スタッフたちが慌ただしく作業をしている中……僕はただ、あてどもなくさまよっている。

 ……いや……
 僕は求めてる。そして、待ってる。
 そして何よりも……惜しんでいる。

 みんなは祝勝会の準備とかで、先に行ってしまった……
 だけど僕はそんなものよりも……

 ……この戦いの証……それを……この瞳に焼きつけておきたいから…………


 そうさ……道路に幾本も刻まれたドリフトの轍……
 普段ならあり得ることのない情景……

 明日になれば、またもとのクルマの流れに消されてしまう…………

 消されるのは、僕たちの物語……

 すこしでも長く……記憶に焼きつけておきたかった…………


 それに……

 ここにいれば、渚さんが現れるかもしれない。
 そう思ったから……










「…………!?なんだ……この音……
……スキール音……神経を逆なでするような……この音は…………」

 太陽が沈むと同時に、Zの背後から現れた1台のマシン。

 不気味な姿……見たこともない巨大なエアロフォルム、そして鮮やかな白銀のボディ……
 これは……この姿は、FC…………?

「渚さん……なの?」

 鋭いハイビームが僕を照らす。

 かろうじて一瞬見て取れたナンバー……19-69……
 間違いない。渚さんのFCだ。

 見たこともないエアロ……チューンドFC……

 僕を……誘ってるのか?


『シンジ君……待っていたよ』


 凄まじいまでの強烈なダッシュを見せるFC。
 Zをも、凌ぐ加速。

 僕も負けじと食らいついていく。

「……ベイラグーン……鈴原の事故ったこのコーナー……
僕を誘ってるのか……渚さん」

『……僕は分かった……
……10年前……兄が、何を追いかけていたかを…………』

「10年前……?……Diablo-TUNE!?」

 追い抜きざまに見えた渚さんの顔……
 げっそりとやつれて……頬がこけてしまっている。
 この数日間に何があったのか……

 そして、僕ははっきりと見た。

 ルビーのような……紅い光がたたえられた渚さんの双眸を…………


 紅い瞳……

 そう、ソレはDiablo適格者の証。

「渚さん……」

 FCのデュアルマフラーが青い炎を噴き上げる。
 それによってボディの表面に浮き出た、葉脈のような筋がはっきりと見える。

 このエアロ……これは…………

 これが……Diablo-TUNE…………


『Diablo-TUNE……君たちはそう呼んでいるね』

 光が流れる。

 今まで到達したことのないスピード領域へと、FCは僕を誘う。

 Z……いや、Diablo-Zeta……
 君はこの領域を知ってるのか……!

『シンジ君……君にも聞こえるだろう?この声が……』

 鋭くコーナーへ切り込んでいくFC。
 Zでは……いや、僕のウデではとうてい追いきれない。

 渚さんの本当の速さ……僕なんかでは相手にならないのか!?

『逃れられないんだよ……どこまでも、忌々しくつきまとうこの声からね……
シンジ君……君も僕たちと同じなんだよ……』

「なんだよ……?なにを言ってるのか分からないよ、渚さん……?」

 Zはじりじりと離されていく。
 ダメだ。直線ではかろうじてついていくことが出来るが、コーナーを抜けるたびに差は広がる一方だ。

「ダメだ……ダメなんだよ、渚さん……」

 闇の中にはっきり浮かび上がる、渚さんの紅い瞳。

 ウィンドウ越しに見えた渚さんの目は……なにかを覚悟しているようで、……それでいて何もかもあきらめているような……
 そんな目だった……

 …………なんだろう……?
 僕は知っている気がする。

 あの目を……あの視線を…………
 ……僕はどこかで……同じ目を見たことがある…………
 それは…………

「綾波先輩……」

 …………冗談じゃない…………

 僕は止めなきゃならない。
 渚さんを止めるために……
 僕は、走らなきゃならない。

『さあ、行こうか……アダムの分身……そして、天界を追われし者よ』

 ……ダメだ……

 このまま……
 行かせてしまうわけにはいかないんだ…………!!












 Diablo-TUNE


もう、戻れない
陳腐な楽しさを味わっていただけの
軽くて薄っぺらいあの頃には戻れない















 僕の思いに応えるかのように……Zが、にわかにパワーを上げてくる。
 それは以前、TRIDENTとバトルしたときのように……

 パワーが上がる。ボディが路面に吸い付けられる。
 これなら……いける。あのFCにもついていける。

 渚さん……

『……!?これは……リリス?』

 ベイラグーンショートのバックストレートで一気にFCの後ろに迫る。テールトゥノーズ。
 スリップストリームの外側に張り付いた大気の壁がZを容赦なく揺さぶり、そしてZのHIDビームはじりじりとFCのテールを灼く。

 はっきりと見える……

 内からあふれ出る、抑えきれないパワーを……
 身もだえるように、ボディ表面からバチバチとスパークを飛ばすFCを……
 まるで金属が息づいているかのように、ボディが鼓動している。

 それはあたかもZと呼び合うかのように……

 僕とFCが通じ合う。いや、ZがFCを、FCがZを……互いに求め合い、侵蝕しようとしている……

 そうさ……こいつはそうなんだ。
 FCも……Zと同じ、Diablo-TUNE…………

『そうか、そういうことか……』

「渚さん!?」

 最終コーナーへ。
 まるで見えない力に引き寄せられるかのように、イメージしたラインへと飛び込んでいくFC、Z。

 恐怖がないのか……?

 こんなスピードで、50メートル先さえまともに見えないこの狂気のスピードで……
 僕たちは、生きている。


 最終コーナーの立ち上がりで横に並ぶ。

 夕闇の残光が僕たちを運ぶ。

『……シンジ君……君は気付いているはずだ。
滅びの時を免れ、生き延びることのできる人間は1人しかいない。
…………そしてそれは、シンジ君……君なんだよ』

「なんだって!?」

『遺言……さ』

 FCがさらにノーズ半分を出してくる。

 ダメだ。追いきれない。
 このDiablo-Zetaでさえ敵わないというのか……渚さんのFCには……!!

『さあ……僕を消してくれ。そうしなければ君が死ぬことになる。
シンジ君……生き延びなければならないのは、君なんだよ…………』

「渚さん……!!!」

 FCがZを引き離しにかかる。

 ダメだ。
 僕は……渚さんを行かせるわけにはいかないんだ……!!

 ……違う。


 僕は…………





「…………」

 コーナーが迫る。
 FCが鋭く切り込んでいく。

 だけど、Zはそれよりも速く行ける。

 わかってる……Z。


 わかってないのは……僕だ。




「…………!!渚さっ……!!」

 ブレーキングでFCに並びかけたその時。



 本当にそう見えたんだ。
 FCのボディから、蒼いオーラが立ちのぼっているのを。
 見た目はそう……南極の空にかかるオーロラのように。

 FCは……同じDiablo-TUNEのマシンとして、分かっていた。
 Zには……Diablo-Zetaには、敵うわけがないと。

 そして自分は……Zを手にかけるべきではないと。

 それは渚さんも気付いていたのだろうか…………


 FCはZを振り切ろうとするかのように叫んだ。

 限界のスピードでフロントタイヤは一瞬のうちにロックする。
 FCがぴんと身体を強張らせた瞬間、僕は理解した。

 ……いった。



 刹那……

 視線が交差する。



 コントロールを失ったFCはガードレールへ向かってまっすぐ突っ込んでいく。
 その先は海だ。

 少しもスピードが落ちる気配はない。

 覚悟とは違う……すべてを受け入れるかのように、渚さんは優しく微笑んでいた……


 FCのタイヤがロックから回復する。しかし、FCは進路を変えようとしない。





 僕は声さえ出なかった。

 ガードレールを突き破ったFCは、その向こうに積んであった資材をも蹴散らして海へ飛び込んだ。
 爆発音と水音が混じって轟く。
 火球が海に叩きつけられ、3階ほどもある大きな水柱が上がった。

 飛び散るのはFCの残骸と、朽ちて砕けた木の柵の破片……



 僕はすぐさまZを反転させてコーナーへ戻った。
 ハザードをつけてZを道の端へ寄せる。

 ガードレールは引きちぎられ、いびつに曲がってしまっている。

 ブラックマークは残っていなかった。
 もしかすれば、たとえクラッシュしても墜落は免れたかもしれないのに…………


 僕はZを降り、呆然とFCが飛び込んだ海へと歩いていった。

 飛び散ったオイルと燃料が水上で燃え、もうもうと黒煙を上げている。

 立ちのぼる水しぶきが僕の髪を濡らし、滴を作る。
 それはあたかも涙のように……


 そうさ、僕は涙さえ出なかった。
 そしてここにいるのは……僕だけ、だった。

「Z……君は……何も感じないのか…………
……ふっ……そう……そうだね。ただの機械である君には……感情も何も、無いんだったね…………」

 僕は初めて……Zを恐ろしいと思った。
 僕は……こんな恐ろしい機械を振るっているのか、と。

 ……MONSTER MACHINE……

 ……CRAZY DRIVER……

 ……そんな言葉が脳裏をかすめた。
 そうさ……機械が強大な力を持つなら、それを操る人間も狂ってる……


 ……狂ってるのはそう……



 他でもない、僕だ。





 携帯が鳴る。

 マナからだ。祝勝会の準備ができたのだろうか。
 みんなはまさか、こんな戦いが繰り広げられていたとは知る由もないだろう。

 そうさ……僕は勝ったんだ。
 だけどそれは、祝福されるべきことじゃない。

 DEAD or ALIVE……勝利は生存、敗北はすなわち、死。


 僕が勝った……
 僕が……殺したんだ。

 そうさ、僕が渚さんを殺したんだ…………











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