EVANGELION : LAGOON

Welcome to H.S.D. RPG.
CAR-BATTLE in TOKYO-3, 2015.
by N.G.E. FanFiction Novels,
and RACING LAGOON.

Episode 14. GALE A MOMENT












 果てることのない疾走……





 夢の中にいるかのような、高速のイルミネーション……










 200km/hオーバーの速度域では……一般車は止まって見える。


 切り離された世界の中、僕はただ独り走ってる。





 速度が上がればやがて……一般車は自分に向かって突っ込んでくるようになる。


 ベクトルの逆転……車体を押し戻す巨大な重力、容赦なく叩きつけてくる大気…………





 加速はなおも止まらず、270km/h…………


 感覚神経が限界を超え、視界は流れはじめる。


 光の奔流に呑み込まれ、それでも僕は迷うことなくアクセルを踏み続ける。





 誰にも止められない…………





 すべてが長く尾を引いて、時間さえも曖昧になる……


 そして、300km/h……光は停止し、再び空間が切り取られる…………





 OVERLIMIT SPEED……


 限界を超えた加速の中…………





 瞬間と永遠が共存する…………



 夜の闇と、星の輝き……


 ……移ろいゆく時の流れの中で……



 ……この場所だけは、ずっと変わらない…………










 夜は更けていく……


 ……まるで潮が引いていくように……道からはクルマの流れが消えていく…………


 月の重力に引かれて……


 消えていくもの、そして引き寄せられてくるもの…………


 そうさ、ここには僕しかいない…………










 ……………………





 …………誰だ……?





 僕に語りかけてくる…………


 僕を知っているの…………?



 君は…………










 これは水のイメージ……


 そう……何度も見たことのある……


 この仄暗い海の底のイメージ…………





 光はゆらめき……軌道をねじ曲げられて、僕から逃げていく…………


 そうさ、僕が見ているのは闇……


 誰も見ることのできない闇……





 限界を超えた先にある、どこまでも続く深い深い闇…………


 シグナルRED……光は拡散し、引き延ばされて、赤から黒へと消えていく…………





 ここから先は、事象の地平線……すべての粒子と波が果て、永遠の虚無が広がっている…………



 そこに、何がある?


 知覚できない……なら僕は、なぜここにいる?なぜここにいると分かる……?





 ここは僕だけの領域……


 僕しかいない領域…………


 果てることのない記憶の連鎖の中……たった一瞬を切り取って、僕はその中に永遠を見る…………





 誰かが僕に見せている…………それは一瞬の疾風…………



 …………GALE A MOMENT………………




















 目の前につばさ橋が迫り、僕はアクセルを戻す。

 ワープを抜けるように、いっきに光流が逆転する。
 120km/hの巡航に戻り、僕は横羽線へ向けてステアリングを切る…………


 たった独りだけの走り。

 だけど、確かに感じた。隣にいる誰かを……確かに感じていた。
 それは僕の……忘れ去ってしまった思い出。

 きっと大切なもの。


『どう、碇くん?初めて乗ったRSは』

 携帯のイヤホンマイクから綾波先輩の声が聞こえる。

 僕が握っているのはRSのステアリング……綾波先輩のRS。
 擦り切れてしまった革巻き……ホーンボタンのNERVのロゴもかすれている。
 それはこのRSがくぐり抜けてきた戦いの証……

 走り続けてきた歴史の重み…………

 綾波先輩が座っていたこのバケットシート……今は、そっと僕を受け入れてくれている。

 内装はそのほとんどが取り除かれ、補強の入った無骨なフレームがむき出しになっている。
 金属の香り……そして、灼けるオイルの匂い……それらは麻薬のように、僕の神経を高ぶらせる。

 僕は、この鉄の胎内で独り……生温い羊水に包まれている。

「……綾波先輩の匂いがする」

 シートを通して、ペダルを通して、ステアリングを通して。
 確かに感じる。

 このRSで走っていると……確かに感じる。綾波先輩を。


 僕を見ている……何をしてくるでもないけど、確かに存在を感じる。

『…………そう』

 綾波先輩は今……Zに乗ってる。
 やがてバックミラーに青白いプロジェクターの閃光が映り、黒い巨大な影がRSを追い越していく。

 Diablo-Zeta……

 よく考えてみれば、こうしてZが走っている姿を見るのは初めてだ。



 惣流も、鈴原も、マナも……みんなこうして、Zを追ってきた。

 あのテールを視界にとらえて……
 僕を、追ってきた。


 地面に張り付いているかのように低く構えたボディ、ギリギリまでロードクリアランスを狭めたエアロ。
 そして1本あたり100φの大口径を誇る4連チタンマフラー。
 堕天使の黒い翼のように、その背を覆い尽くすリヤスポイラー……それらすべてに、他のどんなクルマにもないオーラが満ちている。

 Zは分かってる。
 僕が見ているのを。

 Zは以前……綾波先輩を拒み、自らその身を地に堕とした。
 今回はどうなのか……
 Zはまだ、その素顔を見せていない…………





 ベイブリッジを渡りきり、横羽線に入る。

 本線に合流すると、Zはいっきにペースを作っていく。
 僕もそれに合わせて追う。

 少しずつ……身体と神経を慣らしながら、Zにシンクロしていく。

「匂いがする……か」

 Zのステアリングを握り……綾波先輩は何を思い、何を感じているだろう?

 セラフィムのステッカーに炎を纏い、Zは光の回廊を突き進む。
 そして僕は……綾波先輩が見せる走りを瞳に焼きつけるように、そのラインを辿っていく。



 今夜……僕たちMidNightANGELSの、横浜GPに向けたチーム内予選がある。

 チームからの出場者は1名。
 勝のは、たった1人。
 負ければそこまでだ。

 そして……NERVは、僕とDiablo-Zetaを出場させようとしている。


 それはすなわち……
 NERVのシナリオには、マナ、ケンスケ、そして渚さんの未来は描かれていないということだ。

 だけどこんなことでは……みんなに対して遠慮する理由にはならない。

 何よりもZがそれを許さない……


 餓えた肉食獣のように……目の前の獲物に喰らいつく。
 たとえそれが手の届かないものだと分かっていても……
 たとえそれが、破滅への導きだったとしても…………

「…………碇くんの匂いがするわ」

 綾波先輩はそっと呟く。
 この2ヶ月あまりで、僕とZはだいぶなじんできた。
 今のZにとって……綾波先輩はどう映るだろう?

 淀みなく集中を高め、コーナーを攻め込んでいく綾波先輩。

 決して手は抜かない。
 ペースを抑えたからといって、安全になるというわけではない。


 僕もそれに応えるため……全力で、RSを走らせる。





 右から、左から、なぶるように飛び込んでくる水銀灯の光。
 岩をも砕く激流のように……視神経を揺さぶる。

 その光のすき間を縫って、Zはヴィジョンを見せる。


 それはZが見てきたもの……そして、綾波先輩が見てきたもの…………

 炎……肉の焦げる匂い……
 音……金属が裂ける音……
 拡散した瞳……ヒトではない色……それは紅……

 ……紅い瞳…………

「っ……!これは……碇くん?碇くんよね!?」

 眉間にしわを寄せ、目を細める綾波先輩。

 コンクリートウォールが揺らぎ、道路の幅を正確にとらえられない。
 ブラックアウトしかける視界で、かろうじてセンターラインを追う。

「くうっ!!」

 たまらずブレーキを踏み減速する。
 スピードの重力から解放されても、まだZは綾波先輩を放してくれない。

 Zの異常に気づいた僕はハザードをつけ、RSをZの前に出して路側帯へ誘導する。


「綾波先輩!?」

 僕はZに駆け寄り、コクピットの中の綾波先輩を呼ぶ。
 先輩は頭を抱えてうずくまり……苦しそうにしていた。
 いったいどうしてしまったんだろうか…………

 綾波先輩は俯いたまま、絞り出すように言った。

「…………ダメなのね、もう」

 窓越しにわずか数十cm。こんな近くにいても、互いの思いは通じない。


 Zは……いつものように、ただ沈黙していた…………










 やがて僕たちは元通りにクルマを交換し、今夜のレース会場である北横浜へ向かう。
 今回チーム内予選で使うコースは、こないだのUORと同じMM STREET〜Nanpa Chicaneだ。

 現在、第3新東京市でもっとも注目を集めているチームのレースということで、たくさんのギャラリーが出ている。
 事前のアナウンスもなにもないのに、人から人へと口コミで話が広まり、結果として数百人規模の人々が集まることとなった。
 それだけ、僕たちが注目されている。
 それだけ、人々が僕たちに夢を重ねている。


 僕たちが着いたときには、すでにマナとケンスケが来ていた。
 だが、渚さんの姿が見えない。

「……渚くんはまだ来ていないのかしら?」

「ええ……まぁ仕事で遅れるのはいつものことですけど、今日は別にそんなことは言ってませんでしたけどね……」

 よくつるんでいるケンスケも知らないという。
 なにかあったのだろうか?





 結局渚さんが到着したのは、予定の時間から30分ほど遅れてだった。

「やぁ、済まなかったね。ちょっと野暮用があって」

 渚さんはそれだけ言って言葉を閉じた。
 綾波先輩は特に追及することもなく……僕たちをそばに集めた。

「…………みんな……分かっているわね。
今夜のレースは……ただのレースじゃない。ゴールラインの先にあるのは、私たちの未来……
横浜GrandPrixという、確かな結果がついてくるわ」

 みんなが固唾をのんで……綾波先輩の言葉に注目する。

「走りはじめれば、一瞬一瞬が襲ってくるわ。
加速を感じる、重力を感じるその瞬間の積み重ねが、私たちの走りになる……」

 静かにアイドリングを続けるクルマたちのサウンドが、やけにもどかしく感じられる。

 はやく走り出したい。
 それは、押し潰されそうなほどのこのプレッシャーから、一刻も早く逃れたいから。

「戦うってのはそういうことよ。
恐れないことが強さではない。それは、ただの命知らず。
私たちはたくさんのものを乗せて走ってる。今このとき、心に重しを感じるなら……それが、命の重さよ」

 命の重さ……スポーツドライヴィングのなんたるかを考えたことがあるなら、その言葉はなによりも心を締め付ける。
 弱い人間の命など、クルマは簡単に踏みにじってしまう……

 僕たちが走らせるこの鉄の塊は、ヒトを殺す凶器となる。そして、自分自身さえも。

「命は賭けるものじゃない。どうしようもなく乗ってしまうものよ。
乗ってしまう重さに耐えられなければ、走るのはあきらめるしかない。
このSTREETで戦うってのは……そういうことなのよ」

 くだらない正義感や、ちっぽけな勇気なんかいらない。
 僕たちがほしいのはそう……すべてのしがらみを、振り切れるだけの狂気。

「私たちにそう何度もチャンスは巡ってこないわ。
……おそらくね。人生にチップを支払うなら、今がその時よ。
走り込んで身に付けた技術も、大金をつぎ込んで造り上げたマシンも、今まで生きてきた人生の誇りもすべてね。
私たちは……そのつもりで、ここに来ているわ。

……それじゃ、はじめましょうか…………」

 そうさ……これはとてつもなく大きな賭けだ。

 これだけのレベルで戦うってのはそういうことだ。
 遊びでやれることじゃない。文字通り、人生のすべてを賭ける。
 負ければ、後はない。


 やがて綾波先輩は僕たちをスタートラインへと案内する。
 僕たちはただ黙ってそれに従い、グリッドにクルマをつける。

 なにも言えなかった。
 なにを言っても嘘になってしまう気がして。

 僕たちにはどうしようも出来ない運命の流れ……
 目の前にして初めて分かる、その力の強大さが。
 だけど、それに背を向けるわけにはいかない……



 ギャラリーたちも騒ぎ立てることなく、じっとレース開始の時を待っている。
 この空気が伝わったのか……それだけ、僕たちの……綾波先輩のオーラが、人々を惹きつけてるってこと。


 横浜GrandPrix……走り屋、夢の祭典。

 だがこれは、このレースはお祭りじゃない。

 ……そうさ、これは戦いなんだ。
 走り屋として生きることを選んだ僕たちの……生存というアイデンティティを賭けた、淘汰の争いなんだ…………












TEAM MidNightANGELS
代表決定戦



North YOKOHAMA

Entry list
Kaworu Nagisa FC3S RX-7
Shinji Ikari GCZ32 FAIRLADY Z
Mana Kirishima RS13 180SX
Kensuke Aida AE86 TRUENO

   渚カヲルを撃沈せよ













 四方からビリビリと響くスキール音。

 それは、僕たちみんなの心の悲鳴。
 のしかかってくる重みに必死で耐えているうめき声。


 渚さん……マナ、ケンスケ……みんな同じなんだ。


 誰も助けてなんかくれやしない。
 みんな自分のことにせいいっぱいで……他人に構う余裕なんてない。

 余裕なんかなくたって……構いたい。
 だからこそよけいに心をささくれ立たせ……そして、擦り切れていく。
 分かってる。分かってるからこそ僕たちは、こうして互いをぶつけ合える。

 いつもの馴れ合いとは違う。

 ここで戦うからには……僕らは敵同士だ。
 渚さんも……ケンスケも……

 ……もちろん、マナでさえも。



 絶妙のクラッチミートで素早く前に出るFC。
 この4台の中では圧倒的なパワーを誇るZだが、いかんせん重いだけにゼロ加速では少々不利だ。
 ストレートで抜こうにも、渚さんのブロックテクニックは凄まじくパスする隙を与えない。

 軽量ボディと350馬力のハイパワーを持つ180SXも、Zの背後にぴったりとつけている。
 すこしでも隙を見せればやられる。

 今は最後方に下がっているが、ハチロクのフットワークも侮れない。

 全力でかかる。
 Z……応えてくれよ。










 ゴールライン手前のギャラリースポット。
 綾波先輩の隣に立っているのは惣流だ。

「どうよ綾波、バカシンジの調子は」

 僕たち4台はすでに道の向こうに見えなくなってしまったが、高層ビルに反響するスキール音はここまで響いてきている。

「…………碇くんは間違いなく勝つわ」

「ほー、やけに自信たっぷりですこと。なんか入れ知恵でもしたの?」

 きっぱりと言い切る綾波先輩に対し、惣流はわざとらしい口調で茶化す。
 先輩はじろり、と惣流を軽くにらみつけると、また道路へ視線を投げた。

 惣流はやや肩をすくめて、足を組み直す。

 スキール音の飛んでくる方向が、ビルの向こうを動いていく。
 ちょうど今ごろは、高速コーナーセクションを通過中だろうか。


「……そっちはどうなの?」

 惣流の方を見ることなく、綾波先輩は聞いた。

「んー?ウチ?……ほんとならねえ、代表決定戦もクソもないとこなんだけどね。
だいいちアタシ以外にまともなのがいないんだもの。鈴原も、病み上がりでまだ本調子じゃないし……
石川なんて問題外ね。他の連中も、いまいちぱっとしないのよねえ」

 惣流は大げさに身振りを交えて言った。


 と、レースの模様を実況中継していたギャラリーたちがにわかにざわめきだす。

「ZがFCを抜いたっ!?5連ヘアピンの初っぱなで!?」

『ああ、FCが突っ込みでアンダーを!その隙にZが行った!今、……そうだ20メートルくらい差がついてる』

「他の奴らは!?」

『180SXがFCのすぐ後ろに、ハチロクもそんなに離れてねえ。だけどこっから直線続くし、ちょいと厳しいかもな』

 綾波先輩たちは黙って彼らの会話に耳を傾ける。

 やがて、トーンを抑えて惣流が言う。

「……予想通りね、綾波?」

「まあね。……でも、私のベストからは7秒は遅れてるわ」

「こりゃ手厳しい。だれもアンタのタイムなんか聞いちゃいないわよ」

「そういうあなたこそ、このコースで何秒を出せるというの?」

 そこでやや間があく。
 じっと、綾波先輩を見据える惣流。

「……やけに突っかかるじゃない今日は?
なに、焦ってんのよ……?」

「…………そう?……そうかもしれないわね」

 確かに…………。

 やがて惣流は綾波先輩のそばを離れ、ギャラリーに戻った。
 先輩はじっと、なにか考え込むようにしている。


 スキール音が反転する。
 まもなく、戻ってくる。










 僕の目の前には道しかない。

 そして、後ろには3対のヘッドライト。

「くっ……」

 ナンパシケインの最初でFCをパスしたはいいが、その後の渚さんの追い上げはものすごい。
 ちょっとでもミスしたらすぐに差される。

 コーナーで傾くたび、容赦なく横っ腹に差し込んでくるFCのヘッドビームが痛い。

「渚さん……らしくないよ。いったいなにをそんなに焦ってる……?」

 ターンインで大きくノーズをねじ込み、派手にドリフトして迫ってくる。
 いつもの渚さんの走りじゃない。

 まるでもう後がないかのように……周りが見えてない。がむしゃらに突っ込んできている。



 後がない……確かにそうだ。

 綾波先輩の話によれば、渚さんは横浜GPを最後に引退する。
 つまり、このレースで負ければそれが最後だ。

 悔いを残さないために……なんとしても負けられない。

 誰にもそんなことは話してない。
 話して、同情を受けたくない。
 渚さんは……そういうことをなによりも嫌う人だ。

 クールに振る舞うのも……他人との深い関わりを避けるのも、すべてが……
 ……怖い、から。他人に利用されるのを恐れるあまり、自分が他人を頼らないことを口実にしていた。

 頼れるのは自分の力だけ。
 渚さんはそれを実践してきた。
 そうやって、ここまではい上がってきた。

 だが、それ以上先へ……
 綾波先輩のいるところまでは、それではたどり着けない。

 2年前、綾波先輩が渚さんの申し出を断ったのは……
 他人を頼ろうとしない……すなわち自分からも力になれない、渚さんのそういう人格を見抜いていたから。


 なにかあったとき……たとえ自分が助かっても、渚さんを助けてやれない……
 助けを受けようとしない、そういう渚さんの心を……綾波先輩は分かっていたから。

 僕には……分からなかった。
 それはマナにももちろん、いちばん付き合いの多かったケンスケでさえも。
 一見社交的な性格に見えて……いちばん肝心なところでは、本当の自分を隠している。

 普通に暮らしていくならそれでもいい。
 だが僕たちが生きているのは……やるかやられるか、容赦ない生存競争の世界。

 そんな中にたった独りで放り出されて……生きていけや、しない。

 STREETを去る……それは仕方のないことかもしれない。
 渚さんがそう決めたのなら、僕たちがどうこう言えることじゃない。
 だけど……だからといって、なにもしないわけにはいかない。

 最後のけじめを……このSTREETに生きる、最後のけじめを渚さんが付けようとしているのなら……
 僕たちに背を向けて、この戦いを降りようとしているのなら……

 全力で、突き放す。あくまで、冷たく。

 それが、去りゆく者に対する礼儀。

「ホームストレート……いくよ、Z」

 3速、フルスロットル。
 Zの引き締められたボディに、VG30DETTが鞭を打つ。

 掛け値なしの全開加速。
 なにものをも吹き飛ばす強烈な加速は、強大な重力を生み出し僕の生命を押さえつける。
 血流が奪われ、血液は重力によって流れを断たれる。

 心は、熱さを通り越して冷静になっていく。
 体温が下がっていくのが、身体から熱が引いていくのが分かる。

 音も聞こえなくなる。
 すべては、Zのために。すべての神経と感覚と意識を、Zに預ける。


 4速へ。
 バックミラーにアフターファイヤーが映る。

 FCはすでにかなり後方へ離れている。
 180SXもハチロクも順位を変えることなく、FCの後ろについている。

 5速。
 速度はすでに250km/hを越えようとしている。

 加速度的に迫るコーナー……直線の突き当たりに、群がるギャラリーたちの姿が見える。
 彼らは……分かっているのか?
 もし僕がミスして、大きくアンダーを出せば……Zは容赦なく、彼らをなぎ倒していくだろう。
 この巨大な鉄の塊に……人間は、一瞬で命を奪われてしまう。

「…………!!!」

 フルブレーキングから引きずるように右へ。
 中央分離帯をかすめてクリップをとり、鋭く立ち上がる。
 僕のラインをなぞるように、FC、180SX、ハチロクがスキール音を叫びつつ追ってくる。

 差がすこし縮まった。

 Z……まだ僕は、君を完全には乗りこなせていない……
 だけど、……君は僕を選んだ。

 それはなぜか……?

 …………単純なことだ。
 僕が、分かっているから……Diablo-TUNE、そのマシンを走らせる意味を……本能で、分かっているから。
 いくらのタイムで走るとか、誰かに勝つとか、そういうことじゃない。それにそういうことは、努力や経験で分かったって意味はない。

 強さを……なにものにも支配されない強さを……こいつは求めてる。
 そして、僕も。

 だからZは……僕に心を開き、そして僕もZを受け入れられる。
 同じ匂いを感じているから…………

 ……強い生き物に……なりたいから…………



「っ!くっ……」

 シケインを抜け、FCが迫る。
 このせまいスペースに……強引にノーズをねじ込んでくる。

 前に出すわけにはいかない……
 すかさずブロックする。
 だが、余力を残していないタイヤは激しく鳴いて操作を拒む。

「くっそ、……Z……!!」

 FCのフロントバンパーがZのフェンダーに当たる。
 わずかな衝撃で、しかしそれはZをグリップアウトさせるには十分だった。

 力が抜けるようにステアリングから手応えが消え、Zはアウト側へ流れていく。

「ちっ……」

 真横に並ぶFC。
 2台並んだまま、5連ヘアピンに突入。

 僕がアウト側……進入では明らかに不利だ。

 こうなったら……ヘアピンではとにかく離されないようについていって、最後のわずかな直線に賭けるしかない。
 これで最後だ……もう、ミスは許されない。










 ゴール前、ギャラリーたちがレースの結果を固唾をのんで見守っている。

 ビルの向こうからスキール音が響き、最後のコーナーを立ち上がったマシンたちが飛び出してくる。

「おおっ、FCだ!FCが前だっ!!」

「なにぃ、Zはどうした!?」

「あっ……すぐ後ろ、すぐ後ろにいんぜっ!こりゃあまだわかんねえぞ!」

 最後の加速。
 アウトいっぱいまで立ち上がりのラインをとるFCに対し、Zはややラインを締めてその内側にねじ込んでくる。
 すばやくFCの斜め後方にノーズを突っ込み、ブロックする隙を与えない。



 綾波先輩たちもガードレール際に出てくる。
 僕たちの走りを、その目で見る。

 最後の直線。





「綾波!」

「アスカ、……来るわよ!」

 加速するZ。
 FCも必死で逃げる。
 しかし、その差はじりじりと縮まっていく。

 ギャラリーの興奮は最高潮へ。ガードレールを乗り越え、道路に飛び出す者たちもいる。

 FCとZが並ぶ。
 どちらが前なのかは、ゴール前からでは分からない。

 もう、なにも見えていない。
 道の先だけしか…………
 狂おしい加速だけに身を委ねて……
 この鉄の塊に、自分が一体化する感覚を浴びて…………










 光。



 白い、光が見えた。




 ホワイトアウト。



 感じるのは、思考と時間の停止。

 そして数瞬の後、それはオレンジ色の炎へと変わった。










 勝負はついた。

 錯覚であることは分かっている。
 永遠であるかと思うほどに、奇蹟を夢見る時間というのは人間を麻痺させる。

 そう……クルマという機械に、自分の意識が宿ったかのような感覚……
 それはただ、最期の瞬間を先送りさせていただけだったのかもしれない。

 終わってしまって初めて分かる。

 否応なしに……それが錯覚であったと思い知らされる。



 ゆっくりと速度を落としていくZのサイドミラーに映っていたのは、ボンネットから白煙を噴き上げるFCの姿だった。

 ダクトから炎が立ち上がっている。FRPのボンネットがドロドロに溶けて歪み、そして燃えていくのがはっきりと分かる。
 渚さんのFC……渚さんの、この4年間のすべてを託したFCが……
 今、目の前で死んでいく……

 僕はその瞬間に……立ち会っている。





 人がレースに求めるものってなんだろう……?

 勝利の喜び……栄光……そんなものだろうか。
 だけど実際に得られるものは……

 夢見る奇蹟と……それがなくなってしまった後の圧倒的な喪失感…………


 分かってる。僕たちは、そんなものなど求めてはいない……
 ただひたすらに、ほとばしるこの生命のエネルギーを求めて……
 僕たちは、自分が確かに生きていることを……確かな力をもって生きていることを、確かめ合いたいだけなんだ…………


 僕は確かに勝ったのかもしれない。

 だけど、同時に失ってた。
 なにをなくしてしまったのか……それは分からない。分からないということは、つまりはなくしてしまったということ。
 はじめから、それがあったのかどうかも分からないけど……

 もろく、はかなく壊れていく……

 そんな夢幻に……目を背けてはいられない。


 消火剤を浴びて、白く煤けていくFC……
 渚さんはじっとその姿を見つめていた。

 綾波先輩も惣流も、なにも言えない。
 なにを言っても、今は意味がない。
 必要なのは、現実を見つめるための時間…………

 それを与えてやることが……
 僕たちが渚さんにできる、たったひとつの慰め…………










「そうか……分かった」

 ゲンドウはそれだけ言うと通話を切った。

 TEAM MidNightANGELSより、碇シンジ・GCZ32 FAIRLADY Z、横浜GrandPrix予選へ出場。
 …………予定通りのことだ。

 ゲンドウはデスクにつき、いつもの腕を組んだポーズをとる。

 その胸中はなんなのだろうか……


 誰にも分からない。
 そして……僕は確かに、このZの真実へと……一歩、確かに近づいていた。










 その後も僕たちの日常は変わることはなかった。

 あれは……一夜の幻。
 そう思えてしまうくらいに…………僕たちの周りはなにも変わることはなかった。


 ただひとつだけ……渚さんはMILAGEを辞め、行方をくらましてしまった。
 僕たちにはなんの連絡も無しに。
 MILAGEの店長にも、辞めるということ以外はなにも伝えなかったそうだ。

 僕は……心のどこかに、ぽっかりと穴があいてしまったような感覚を味わっていた。

 別れはあまりにあっけなさ過ぎて……実感、できない。



 横浜GrandPrix、予選大会。
 街はにわかに活気づき、走り屋たちは浮き足だっている。

 だけどその中でたった独りだけ……僕は、取り残されていた。


 …………それでも…………

 僕は、立ち止まるわけにはいかない。
 Zも、僕も求めている。

 どこまでも限りなく、果てなく走り続けていける時間を……

 僕は……求めている。














予告


横浜GP予選を勝ち抜くも、沸き上がる不安を拭いきれないシンジ。

そんな彼をあざ笑うかのように、Zの前に現れる不気味なマシン。

そしてカヲルは自身が探し求めていた、Diabloに囚われた者の末路を知る。

光へと昇華する呪縛をその胸に抱き、永遠の闇に彼は消えた。



第15話 涙


Let's Get Check It Out!!!






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