EVANGELION : LAGOON

Welcome to H.S.D. RPG.
CAR-BATTLE in TOKYO-3, 2015.
by N.G.E. FanFiction Novels,
and RACING LAGOON.

Episode 13. Gamble Rumble












 乾いた夜。

 空には、紅い満月。


 風はざわめき……星は、静かに見守っている。




 首都高速湾岸線、市川PA。

 駐車場の隅に、青いチューンドカーが停まっている。
 ドライバーの姿は見えない……どこかで休んでいるのだろうか。

 そのクルマのフロントウィンドウには、緑色の文字で「WON-TEC」と描かれている。


 TRIDENT-SUPRA……WON-TEC社が、NERVのDiablo-TUNEに対抗するために造り上げたスーパーチューンド。
 そのポテンシャルは、国内最高峰カテゴリーであるJGTC-GT500クラスにも匹敵する。

 オーバーテクノロジーにおいて日本のみならず、世界最先端をゆくと自負するWON-TECが……モータースポーツにおいても、トップの座を得るために。
 世界最強のレーシングマシンであることを使命として背負い、TRIDENTは生まれた。

 そして今夜、TRIDENTはストリートにその真価を問う。










 25:30。PAに1台のクルマが入ってきた。

 180SX……マナだ。
 マナはTRIDENTの姿を見つけると、その隣に180SXを停めた。

 マナはいったん180SXを降り、ムサシを探す。


「……ムサシ」

 いた。
 フェンスの前で……真っ黒な海を見ている。

 すべての光をのみこんでしまう……黒い、夜の海。
 波のざわめきだけが、PAに聞こえてくる。

「…………来てくれたんだな」

 振り返らずに言う。

 マナはムサシの後ろに立ち……すこし離れた場所から、近づけずにいる。
 近づけば……自分が、傷つくかもしれなくて。

「……………………」

 やがてムサシが振り向く。

 だが相変わらずフェンスに背をもたれたまま、近づこうとしない。

 マナは分かっていた。
 自分とムサシとの間には、すでに埋められない深い溝ができてしまったことを。
 もはや、越えることはかなわないと。


 ……だが、それでもかまわない。

 自分が決めたことだから。

 だから、今夜……この走り、一本限りで、ケリを付ける。
 そう決めた。2度目はない。

 ……今夜限り、もう会えない。
 それを、予感してるから…………

「行こうか」

 簡潔に、そう口にする。

 マナは小さく頷き、そして2人はそれぞれのクルマに乗り込む。
 互いのエキゾーストノートを浴びせあい……テンションを高めていく。
 シートの感触を確かめ……身体を、マシンに預ける。


 TRIDENTが先に出ていく。
 180SXはやや離れてついていく。


 本線へ合流。
 今夜の湾岸は、ややクルマが多い。
 ベストではないが……それでも、悪くはない状態。

 ……誰も邪魔する者はいない。周りの一般車は背景でしかない。


 主役は、僕たち。










 首都高外環道。

 TRIDENTが走り出したことは、GPSにしっかりと捉えられていた。

「……レイ、行くわよ」

「…………はい」

 RS、NSX発進。

 TRIDENTが動き出した。
 マナを連れて、ムサシは走り出す……

 ルートは湾岸西行き。


 まずは辰巳を直進。
 おそらく最初は様子見で第3まで下ったあと、横羽を上ってくるだろう。

 綾波先輩たちはひとまず環状に入り、法定速度で周回しつつペースを合わせる。










 今まさに戦場へ飛び込もうとしているムサシとマナ。
 しかし2人とも、この先にNERVが待ちかまえているとは知る由もない。

 180SXが先行し、TRIDENTがそれを追う。

「かれこれ……1年ぶりだよな……
こうしてお前と走るのは…………」

 マナがWON-TECを去ったとき……ムサシは、彼女になにもしてやれなかった自分を激しく責めた。
 たしかにマナ自身が望んだことではあったが、結果的には彼女を傷つけ、この世界から突き放してしまった。

 そんなマナが、第3新東京市で再び走り始めたと知ったとき……

 ムサシは安堵すると同時に、マナに対して負い目を感じた。
 立ち直ってくれたのはいい。しかし、自分にそれを祝福する資格があるのかと……

 それに、マナは第3新東京市で新しい仲間たちと出会い、そして新しい恋人を見つけていた。
 せっかく新しい生活を手に入れたというのに……今さら自分が出ていってどうする?
 しかも、今の自分は追われている身。これ以上、マナに迷惑はかけられない。

「そうさ……俺は愚か者だよ」

 いつだって、自分がいちばんそばにいた。
 いつだって、自分がいちばん彼女を分かっていると思ってた。
 ……とんだ思い上がりだ。

 考えるのはいつも走りのことばかりで……

『…………ん?どしたマナ?』

『……う、ううん……なんでもないよ』

 それは、若かったというだけで済まされることではない。

『…………ムサシ……ごめんね…………』

 白いベッドの上……憔悴しきったマナの顔が、頭の奥に焼きつけられて消えない。

『ごめんね……私が悪いんだよ、私がちゃんと言ってれば……こんなことには…………』

 悪いのは自分だ。すべて自分のせいだ。
 ムサシは悩み続け……ほどなくWON-TECを去ったマナを、見送ることすらできなかった。

「一緒に暮らしていたくせに……夢にも思わなかった………………最低だよな、男として」

 それでも、マナはくじけずに走り続けた。

 今も目の前で、茶色い180SXが炎をあげて走っている。
 それはあたかも……自分はもう大丈夫だ、気にせずに見送ってくれと……そうアピールしているようにも見える。
 自分の元気な姿を見せることで……ムサシに安心して欲しいと。

 180SXの噴きあげるアフターファイヤーは……あたかも、不死鳥の炎のように。





 やがて、湾岸神奈川エリアへ。
 料金所を過ぎ、目の前には長い直線が現れる。

「試すなら……今しかない」

 ステアリングを握りなおし、集中を高めるマナ。

 コンソールに視線を走らせ、ナイトロシステムの状態をチェックする。


「…………!!!」

 フルスロットル、ナイトロ噴射。
 タービンによって圧縮され、過熱したエアにN2Oが注ぎ込まれる。
 N2Oはすぐに窒素と酸素に分解され、気化熱によって吸気温度を下げ空気密度を上げる。それと同時に、大量の酸素をエンジンに送り込む。

 急激に送り込まれた酸素に歓喜の声をあげるCA18DET。
 ナイトロインジェクターによってシリンダー内に直接噴射されるN2Oに打ち震える。

「……っ!?」

 文字通り爆発的な加速力で飛び出していく180SX。
 強化されていないボディが悲鳴をあげるのが見て取れる。
 ……しかしそれも見方によっては、突き抜けるような快感に身をよじらせているようにも見える……。

 ムサシは180SXの凄まじいダッシュに驚くが、すぐにそれが自分のマシンと同じものであることに気づく。

 TRIDENTもすかさずナイトロON。直後に、肺が押し潰されるかと思うほどの強烈な加速Gがムサシを襲う。
 視界は狭まり、血流を奪われた瞳は光を捉えきれずに流れていく。

「くっ…………マナ……、お前、そこまで…………」

 前方に一般車の集団。このまま突っ切ることはできない。

 5秒ほどで噴射を終え、急減速をかける180SXとTRIDENT。
 だがその5秒ほどは、2人にとってはとてつもなく長い時間に感じられた。

 加速の余韻にひたる間もなく、一般車の間をすり抜けてスラロームに移る2台。





 ありきたりの道徳(モラル)や規則(ルール)など……簡単に吹き飛んでしまう。
 求めているのは、ひたすらに純粋な欲望。


 ……もっと速く、もっと強く……1km/hでも速く、1馬力でも強く。
 きれい事じゃない。どんな言葉で飾っても足りないし、意味はない。
 地球上のあらゆる生命の中で、人間だけがもっている高みへの欲望……それは人間が人間である証。

 マナも……ムサシも分かってる。自分たちは走りにそれを求めていると…………


 1km/hでも速く、1馬力でも強く……
 積み重ねてきたものすべてを……ためらいなく解き放つ。

 脳味噌がズレる、たった一瞬のエクスタシーの中で。










 マナたちは大黒JCTで折り返し、横羽へ上がる。

 時刻は26:00を回った。僕たちはまだ、来ていない。

「…………ずっと……待ってた。
自分ではあきらめたつもりでいたけれど……心のどこかで、またこんなふうに走れる日が来るんじゃないかって……
……どこかで、期待していた…………」

 ポジションを入れ替え、今度はTRIDENTを先行させる。

「私……悪い女だね。都合のいい言い訳ばっかりして……そのくせ、自分ではなにもできなくて……
ムサシがいなかったら……私は今、こうして走ることさえできやしなかった…………それなのに…………」

 Give and Take……だが、自分がムサシになにかを与えられたか?
 世話になるばっかりで……吸い上げるだけ吸い上げて、ヤバくなったらとっとと逃げる……

 誰かの力に縋らなければ、生きていくことさえできない。


 ……それが恐い。

 すれ違う気持ちは……どこまでも交わることなく、それでいて寄り添い続ける…………


「首都高……こいつはたしかにすげえステージだ…………
……いくらサーキットを走り回っても分からないものが、ここにはある…………」

 ろくに走ったことのない道だが、それでも微塵の恐怖もなく攻めることができる。

 TRIDENTの力を信じて……そして、マナが一緒にいてくれるから…………










 NSX、RSのGPSが新たな光点を映し出す。
 本牧から上ってくる2台……

「来ましたね」

 葛城はしばしディスプレイに見入る。

「ええ……シンちゃん……それと、アスカね」

 すぐに大黒JCTから横羽へ向かう。
 まるで……その先にTRIDENTがいるのを分かっているかのように。

 誘われるように……求めているように……





 横羽上り、26:20。
 第3新東京市本牧ICより、Diablo-Zeta、湾岸入り。


 目標とするTRIDENTまでの距離は……およそ、20km。

 ゆっくりと……狙いを定めるように。
 悪魔の名を冠する……それはDiablo-Zeta……


 決戦の時は、刻一刻と迫っている。










 僕と惣流は横羽線を上っていた。

 すこし一般車が多いな……
 走っているのは都心に戻るタクシーや営業車がほとんど、それにトラックがちらほらと。


 ……ただ走るぶんにはいいが、バトルとなると……

 2台、3台と連なって走るとき、間に挟まる一般車が大きな障害になる。
 わずかなタイムラグで……タイミングの遅れで、ラインがふさがれ……命を絶たれることになる。

「……今夜は……血戦、か……」

 紅い月。皆既月食でなくてもこの色が見られるようになったのはSecondIMPACT以降のことだ。

 この夜……満月を見る夜は、Zはいつもと調子が違う。
 まるで月に誘われ、血がたぎるかのように……
 吹け上がりが異様に鋭い。これなら……

「呼び合ってる……のかしらね」

 FDも?
 惣流のFDも……Diablo-TUNEか。

 キョウコさんが自分のすべてを注ぎ込んで造り上げたエンジン……それを心臓におさめ、惣流のFDは走る。


 僕たちは10年の時を経て……こうして、めぐり逢ったんだ。





 もうすぐ環状に入る。

 Zは感じてる。
 決戦の時が近いと。

 このブラインドの先に……待っている。


 時刻は26:45。
 ほぼベストの時間だ。


 長く、短い時間。

 もう次はない。





 浜崎橋JCTが近づく。

 この分岐を抜ければ……そこに、待っている。

 僕はアクセルを踏む右足に力を入れ……いつでも飛び出せる体勢を作る。
 惣流も同じように……

 一瞬のクロスで……そくバトルモードへ。


 勝負は、つく。










 マナとムサシは環状に入った。

 流れは相変わらず多く、所々で詰まっている。
 それでも、途中でやめるわけにはいかない。

 今夜は……今、限りだ。


「…………!?」

 後ろに気配を感じる。
 だが、バックミラーにそれらしきクルマは映っていない。

 ……気のせい、ではない。たしかに近づいている。

「……ムサシ……来るよ。もうすぐ……」

 マナはコントロールパネルをチェックする。
 N2O圧力正常……水温、油温、油圧すべて正常範囲……排気温問題なし、ブースト圧1.2kg/cm²で安定……

 いつでも迎え撃てる。
 来るのは……RSか、NSXか……それとも、Zか。





「……!!」

 TRIDENTのバックミラーが激しい閃光をとらえる。
 パッシング……!

「くっ!!NERVのっ!」

 赤いNSX。NERV作戦部長、葛城ミサト。
 ハイテク装備を満載したスーパーマシン……だがその重装備故に、純粋な走行性能では他のクルマには一歩劣る。

 ムサシは気合いを入れる。このTRIDENTでなら……

「ついてこれるかっ!」

 バトル開始。
 5速のクルーズから3速全開のダッシュへ。
 1JZ-GTEをベースに徹底的なチューニングを施されたTRIDENTのエンジンが吼える。

 葛城も負けてない。
 NOSを噴射してTRIDENTに食らいついていく。

「レイッ!遅れないでよ……!」

 NSXの後方から綾波先輩のRS。
 距離をとり、いつでもパスできる態勢を整えている。


 そしてTRIDENTの直後に180SX。

「…………綾波さん……」

 バックミラーにRSの姿を確かめ、マナは呟く。

 やがてマナは視線を前方に戻し、目の前に迫った長い直線をぐっと見据える。
 宝町ストレート。

「…………!!」

 180SX、ナイトロ噴射。
 最初から全速力でNSX、RSを振り切りにかかる。
 一気にスピードを乗せてTRIDENTをパス、トップに躍り出る。

 そして、目の前に飛び込んでくる江戸橋JCTの3分岐……

「ふっ……環状かよ……
……お前らしいな、マナ…………理屈じゃない……感覚で走る…………」

 左へノーズを向ける180SX。
 ムサシは迷うことなくその後ろを追う。
 コーナーに突入すると同時に、思い切り角度をつけたドリフトをかましてNSXをブロック。
 ……それはあたかも、追ってくる2台から180SXをかばうように。 

 NSXはやや車間を離して追ってくる。
 RSはNSXをパスし、TRIDENTに迫る。

「つぅ〜、マナちゃんも無茶するわねぇ。NOSつけたんでしょ、あの180SX?
完っペキにボディが負けてるわよ」

「……実測450馬力です。高回転重視のセッティングをとっていますから……腕さえあれば、湾岸でも十分通用するでしょう」

「まっすぐ走らせられれば、の話でしょ。あれじゃ……とてもじゃないけどボディがもたないわ」

 環状の荒れた路面にも全く躊躇することなく、コーナーへ攻め込んでいく180SX。
 ときおりギャップを踏んで飛び跳ね、そのたびにせわしなく修正舵をあてるのが後ろからよく見える。

 まるでもう後がないかのように……全力で攻めている。

 180SXも……そんなマナの思いに応えるかのように、奇跡的なパフォーマンスを生み出している。

「……自分がなにをしているのか分からなくなる……それくらいに気持ちいい……
この感じなんだね……私が求めてたのは。……シンジと同じ領域で走る……同じ快感を味わう……」

 シフトアップするたびに襲う、身体の芯から突き抜けるような加速。
 まるで自分の心臓にNOSを打たれたかのように……ヤバいクスリでもキメたかのように……
 途方もない力を手にしても、それを操りきれる自信がある。
 頭の中からすべての思考が消えて……一体感、自分がマシンとひとつになったかのような感覚を味わう。

 この強大な力のマシンに……自分がシンクロしていく、その感覚をマナは……今、はっきりと感じてる。

「これだよ……私がずっと欲しかったのは。この感覚が……ずっと欲しかった……」

 忘れようとしても忘れられない。

 幸せ……その定義は?
 裕福な生活……お金?地位?名誉?
 アイ……愛。素敵な恋人……愛情……?

「何もいらない……そんな幸せなんか。
しがらみも不安も……みんな忘れて、ただひたすらに追い続けたい…………
……シンジ……なにものにも囚われずに……この果てない道を走り抜いていけるあなたを……
…………ただひたすらに……追い続けていきたい…………」

 N2O残量75%……圧力正常。まだ十分いける。
 TRIDENTをも今……抑えて走ってる。

 なんの迷いもなく……走り続けられる。





「お父さん、お母さん…………一瞬でもあった?こういう瞬間が……
何十年も生きてきて……一瞬でも、こんな感覚を味わったことがあった!?」

 今さら。
 もう何年も帰っていない実家のこと……何年も会っていない両親の顔。
 なぜこんな時に……鮮やかに、脳裏によみがえってくる?

 決して楽ではなかった少女時代の生活……
 今さら、思い出してどうする!?

「ずっと嫌いだったのよ……あんな家、早く出ていきたいと思ってたのよ……
私のことを愛してくれないんだと思って……ずっと、嫌いだったのよ…………」

 マナの父親は地元の建設会社に勤めていた。現場からのたたき上げで、給料はあまりよくなく……社内での地位も低かった。それでも、必死に働き続けていた。
 妻と娘を養うためにと……酒もやらず、休みもろくに取らず……まさに仕事人間だった。
 家庭を顧みることもなく……夫婦仲は決してよくなかった。

 母親の方も……家計を切りつめ、苦しい生活に疲れて……夫に八つ当たりすることがよくあった。
 マナはそのたびに、自分の部屋に閉じこもって……じっと、耐えていた。
 近所からもあまりいい目では見られていなく……学校でも、マナはいつも惨めな思いをしていた。
 こんな生活はいやだと。もうたくさんだと。

 ……もちろんこんなことは僕にも綾波先輩にも話していない。
 自分がしっかりしなければと……自分さえなんとかできればと……そう、思っていた。
 それが結果的に、両親と同じことを繰り返しているだけだとしても…………

「WON-TECに入ることになって……私はうれしかった。大好きなクルマと一緒にいられることが……
……だけど同時に、あなた達のもとを出ていけることがうれしかった…………」

 それっきりだった。
 たまに母親から電話が来ることはあったが……自分から連絡を取ったことは一度もなかった。

 もう、自分は独り立ちしたんだ……と。



 強烈な重力にさらされながらも、はっきりと……走馬燈のように思い出せる。

 身体が動かない……マシンを操縦している、この腕と足はたしかに動くのに……
 動けないくらいに強烈な重力を受けているのに、なぜこんな思い出ばかりが……はっきりと思い出せる?

「私は充実してた……そう思ってた。第3新東京市、この街に……
正直、あなた達のことなんて忘れてた……
……あなたが死んだあの夜も……私は朝まで走り回ってた…………」



 やがてストリートに出て……走り屋を始めたときも。
 電話なんて、あってないようなものだった。

 ほとんど使うことのなかったCOMFORT17の電話……そこに、初めてかかってきた電話が。

『マナ……お父さん、今日入院してね…………
……胃に腫瘍が見つかって……、…………もう、ずいぶん……進んでるらしいの………………』



「なんで…………もっとはやく病院に行かなかったのよ…………
なんで…………痛みをこらえて仕事を続けたのよ…………」

 コンクリートウォールの向こうに見える東京タワー。
 白とオレンジのイルミネーションに重なるように……受話器から聞こえる、くぐもった母親の声。

 コーナーに突入すると同時に襲いかかる横G……耳をつんざくスキール音……
 激しく吼えるアフターファイヤーの炸裂音さえも、この声をかき消すことはできない。
 感傷を振り切ろうとするように……マナは、ステアリングに付けたナイトロのスイッチを力いっぱい押し込む。

「嫌いだったのよ……あなたのことが……!
まじめで……いつも割を食って…………どうして……私なんかのために…………」



『お父さんね……毎月すこしずつ貯金してたのよ……マナのために、って……
マナはやくざな仕事選んだから……いつ食えなくなるか分からないから、って…………』


 マナの瞳を涙が満たす。
 だけど、視界を奪うことは許さない。

 揺らいだ瞳のその向こうに……180SXが辿ろうとしている道だけが、はっきりと見える。



『……少しでも、マナのためにって………………』



「私……間違ってたの?私が手に入れたのは……こんな惨めな気持ちだったの!?」

 溢れる涙。
 身体を貫く加速Gも……もはや苦痛でしかない。
 だが……それでもなお、右足はアクセルから離れない。
 身体中が……エンジンの振動に共振したかのようにぶるぶると震えて……それでもなお、両手はしっかりとステアを握りしめている。

「教えてよ……シンジ…………!!」


「……マナ……」

 180SXのすぐ後ろに迫ったTRIDENT。
 ムサシは気づいていた。
 マナがもう、精神的に限界に近いということを。このまま、これ以上走らせるわけには…………


 と、ムサシが一瞬気を取られた隙にRSが上がってくる。

「くっ!!」

 すかさずブロックするムサシ。
 だが強引な操舵でスピードをロスし、少し離されてしまう。



 ……浜崎橋JCTが近づく。

 もう余裕はない。
 一気に勝負をかける。

 再び環状内回りへ。
 フルブレーキングから2速へ落とし、浜崎橋の左コーナーへ突入。


 合流路を駆け下りた、その先に待っている…………!!!












DECISIVE BATTLE

NERV vs. WON-TEC


Entry list
Mana Kirishima(MNA) RS13 180SX
Shinji Ikari(MNA) GCZ32 FAIRLADY Z(Diablo-Zeta)
Musashi L.Strasberg(WON-TEC) JZA70 SUPRA(TRIDENT)
Asuka L.Sohryu(NR) FD3S RX-7
Observer
Rei Ayanami(NERV) DR30 SKYLINE RS-X
Misato Katsuragi(NERV) NA2 NSX


鋼鉄の檻に囚われた愛 抜け出す術も、力さえもなく
見返りのない戦いの果て 命を削り走り続ける
お前の望むその先には たとえ破滅しかなかったとしても













 僕と惣流は横羽を上りきり、浜崎橋JCTから環状内回りへ合流する。

 そこで吸い寄せられるように、僕は視線を左の合流路へ向ける。

「…………!!」

 180SX!マナか!!

 そのすぐ後からTRIDENT。やや離れてRS、NSX。
 ちょうど僕たちはTRIDENTとRSの間に割り込むような形になった。

「マナ……!」

 先頭をゆく180SX。僕に気づいたのか一瞬動きが止まる。
 僕も一瞬180SXに気を取られて……その隙に、FDが一気に前に出てきた。

「TRIDENT捕捉……マナ、アンタには悪いけど……ここはおとなしく引いてなさいっ!!」

 激しくパッシングを浴びせ、僕たちをアピールする。
 ZのHIDビームがTRIDENTのボディに反射し、稲妻のようにきらめく。

 マナの180SX、ムサシのスープラ、惣流のFD、そして僕のZ……

 4台のチューンドカーがいっせいに吼える。
 本能に導かれるように……獣が、互いの縄張りを誇示しあうように…………
 僕たちは走る。それに理由なんてつけられない。


 RS、NSXはさらに距離をとり、僕たちを後ろから見守るように追ってくる。

「シンちゃん……本気なのね。レイ、ここはあの子たちに任せましょ」

「……(碇くん……)」

 複雑な表情の綾波先輩。
 もはや僕の心は……先輩から離れ、マナに向かっている……
 建前では望んでいて……本心では、恐れていたこと。

 RSは最後方にポジションを下げる。

 ポジションを入れ替える瞬間、葛城と目が合う。
 葛城も、綾波先輩の思いに気づいてる。

「……そういうことなら……ね」

 自分に言い聞かせるように呟くと、葛城はステアリングを握りなおし、あらためて僕たちを追走する。
 バトルには参加しない。


 あくまで、決着をつけるのは僕たちだから。










 湾岸線を第3新東京市へ向けて走る1台の大型トレーラー。
 ドライバーの男が、相方と雑談をしている。

「そうそう、ついこないだも本牧でさ、すげー勢いで飛ばしてくるヤツがいて。たしか180SXだったな、茶色いヤツ。珍しい色だったからよく覚えてるよ。
あの辺多いんだよな、走り屋ってーのかい?やたらイキがってるガキどもよ」

 夜に走るトラックドライバーなら、走り屋たちとの遭遇率も高いだろう……

「こーやってちょっと寄せてやったらよ、あわててハンドル切ってとっちらかってやんの。ハハハ」

「あぶねーなぁ……安さん、そのうち引っかけちゃうよ?程々にしとけって」

 ウィンカー無しで車線変更してみせるトレーラー。
 周りにクルマがいなければいいが、普通のクルマでこんな大型車と接触すればひとたまりもない。

 相方の男が少々呆れ気味に応える。


 トレーラーはやがて辰巳を過ぎ、東京エリアに入る。

「お、結構すいてんな。こりゃ思ったより早く着けそうだ……」

 中央車線を悠然と走るトレーラー。
 ディーゼルの排気が、黒く長い尾を引いて湾岸の空に満ちていく…………










 僕たちは江戸橋の分岐を右へ行き、箱崎から湾岸へ向かう。
 先頭は180SX。

 一般車が流れていく中、わずかな隙間をかいくぐっていく180SX。
 僕たちもそのラインを辿っていく。

 スペックでは明らかに劣っているはずの180SXで……ここまでの走りができる。
 マナのウデはもちろんのこと……なによりも、この走りにかけるマナの思いが……このパフォーマンスを生み出している。
 ストリートでの走りは技術だけじゃない。気持ちの入り方次第で……運さえも味方に付け、性能差をひっくり返す勝負ができる。

「ムサシ……ごめん。私はもう……あなたのそばにはいない……
あなたはもう……私のそばにはいられない。分かるのよ……悲しいけど…………」

 マナも……僕たちと、同じ領域にいる。同じ匂いを感じてる。
 だからこそ分かる……ムサシが、やがて去りゆく人間だということを……

 これが最後の走り。最後の湾岸アタック。

 もう、次はない。

「Z……覚えてるんだね……この夜を。
赤い月の夜……みんなと走った、この夜のことを…………」

 いつもよりも明らかにパワーが上がっている。
 TRIDENTのナイトロパワーにもついていけてる。

 Diablo-Zeta……こいつは……隠された、途方もない力を持ってる…………

「マナ……っ!邪魔すんじゃ……ないわよ……っ!!」

 TRIDENTの横に並び、180SXにプレッシャーをかけるFD。
 さらにTRIDENTにアタックしようとするが、180SXに阻まれる。
 FDはたまらずに1車線飛ばして避ける。

「くっ!……アンタ、迷ってるわね……走りを見れば分かるわ。
どっちつかずの態度は……やめた方が身のためよっ!!」

 再び、強引に180SXとTRIDENTの間に割り込むFD。
 僕もFDの後に付き、ZをTRIDENTの横に並ばせる。

 僕たち4台がひとつのかたまりになって、もつれるように新木場のコーナーへ突入していく。

「惣流!……ちっ……」

 立ち上がりでFDに並び、ラインを抑えて前に出る。
 パワーではTRIDENTが上なのか……わずかずつだが離されていく。

 後はZが得意とする高速コーナーで詰めるしかない。


 マナはなおも先頭をキープし続ける。
 もう限界に近いはずなのに……それでも、一歩も譲らない。

「まだ……まだ、足りないよっ……!!」

 最後の右。
 ゼブラゾーンが視神経を揺さぶり、コンクリートウォールが鋭く食い込んでくる。

 コーナーを抜ければ下り。


 ……湾岸、合流。

「!!!」

 いっせいに飛び出す。

 180SX、TRIDENTがナイトロを噴射し、下り坂による重力も使って猛烈な加速で本線に飛び出していく。
 Zも負けられない。最大ブースト1.5kg/cm²、3リッターの排気量にその2.5倍の圧をかけてパワーを絞り出す。

 FD、RS、NSXは加速のタイミングがとれずに差が開いていく。
 惣流がさすがに焦りを見せる。

「ちょっ……待ちなさいよっ……神奈川エリアまでは流すんじゃないのぉ!?」

 一般車は多い。
 通常なら、ここは200km/h+αでスラロームをしつつ待ち、だろう。

 だが僕たちは……そんなことは構わず、全開でトップスピードへもっていく。

 激しくアフターファイヤーを噴き上げて疾走する僕たちを追い、惣流はくつくつと笑いを浮かべる。

「くくくっ……いいわねぇ。マジ、サイコーよ。狂ってるわよ、アンタたちィ!!」

 全開で僕たちを追うFD。


 5速全開。速度は250km/hを越え、一般車たちが自分に向かって突っ込んでくるように見える。
 1車線ぶんのすき間が、1メートルもないように見える。

 狂気のスピードは巨大な重力となってマシンを締め付ける。
 エンジンが必死で絞り出すパワーは、大気と重力の壁に抑え込まれて。
 車線変更で少しでもミスれば、そく吹っ飛ぶ。制御不能の超高速スピンだ。



 やがて一般車の集団が前方に現れる。
 すり抜けできるスペースはない。僕たちはいっせいにフルブレーキング、集団の後方につく。
 いったんここでバトルは仕切り直しだ。

 少しずつばらけていく流れの中を、スラロームしつつ上がっていく。

 先頭は180SX。その後ろに2台つながってZとTRIDENT。さらに僕の後ろにはFD。
 やや離れてRSとNSX。
 ……6台が、タイミングを計りつつ待っている。

 一瞬のクリアで、再びトップスピードへ。

 そう、この先は……
 200マイル。320km/hオーバーのアタックが可能な領域…………
 次のクリアで決まる。もう間もなく、決着がつく。

「よくここまで走ったというべきね…………でも分かってるでしょ、マナ?
……これ以上はもう……アンタの心が耐えられない。
300km/hオーバーのその先まで……アンタはもう踏んでいけない…………」

 180SXのテールを見つめる惣流。

 今まで、何人もの走り屋たちを見てきた惣流。
 いくつもの出会いと別れを経験してきた。
 その中で……どんなヤツが生き残り、どんなヤツが去っていくのか……姿を見れば、分かる。

 惣流の瞳に映る180SXの姿……
 ……もはや、限界だ。


 それでも…………

「私はムサシのことが好きだった……誰よりも愛してると、思ってた…………
……だけど……失ったものは大きすぎて、もう二度と手に入らない……
走りを続けていくために…………大きすぎる代償を……私は支払ってしまった…………」

 クリアが近い。
 タイミングをとるように、じりじりとTRIDENTが上がっていく。
 僕もしっかりと追っていく……一瞬のレスポンスの差で、前に出られる。

「……(来る……オールクリアは近い)」

「あなたと暮らした日々……それは私の大切な思い出…………
だけど……もう……」

 光がとぎれる。もうすぐ、一般車の集団を抜ける。
 先頭のタンクローリーを追い越すと同時に……フラットアウト。そこで勝負はつく。

「私の中で……どんどん思い出が色褪せていく…………
……分かってる。私の気持ちがもう……あなたを向いてないってこと…………」

「……(このタイミングで……一瞬のオールクリアで……)」

「……無理よ、マナ……」

 惣流の表情は険しい。
 クリアがあったとしてもそれはごく短い距離。
 そのごく狭いスウィートスポットに勝負をかける……リスキーすぎる。

 もしなにかがあれば……大惨事は免れない。

 それを察知したのか、RSもNSXも距離を詰めてきた。
 アクシデントを回避するためのポジション……それを分かってる。

「だからもう……これで、終わりにする。
……これで最後……これで、ケリをつける……!!!」

 250……260……270……速度がじりじりと上がっていく。
 パワーゾーンをキープして、最高のタイミングで飛び出せるように。

「……(近い……もうすぐ……!)」

 闇が、すべてをのみこむように。
 テールランプの群れが途切れ、目の前に現れる長い湾岸の直線。


 オールクリア!!


「さあ、来て!!!」

 誘うように、180SXが第1車線へ移る。
 TRIDENTが中央へ……そして僕は、空いた第3車線へZを飛び込ませる。
 掛け値なしのフルスロットル。280km/hからいっきに320km/hへのジャンプ。

 誰がいちばん速いのか……TRIDENTか、Diablo-Zetaか。

「…………!!!」

 前方にトラック2台。左側の2車線を塞いでる。

 クリアできるのは1台だけだ。
 3台は横一線、ジャスト300km/h。いちばん速い1台だけがクリアできる。

「っ!!」

 遅れて、惣流たちが一般車の集団を抜け出す。
 その視界に飛び込んできたのは……トラックに向かって突っ込んでいく、ZとTRIDENTの姿。
 ここで勝負を決める。もう後はない。


『マナ……』

 頭の中に響く声。それはとても暖かく……深い闇の中から響いてくる。

『お前も来いよ。一緒に……やろうぜ』

『私は誰かの命を犠牲にしてまで……走りを続ける資格はないんです……』

『あなたはまた、走り出すしかないのよ』

 まとわりつく言葉。ナイトロのスイッチを押す両手の親指が、かたかたと震える。
 だけど……もう誰にも、止められない。

『『……マナ、愛してるよ……』』

「!!!」

 ゆらめくアフターファイヤーを残し、180SXが落ちていく。
 僕は視界の外にそれを感じる。

 トラックは目の前まで迫っている。ギリギリだ。だが、いける。
 TRIDENTがねじ込むように右へ動く。
 わずかに鼻先を出していた僕はその上からかぶせようとするが……あとひとつ、伸びが足りない。

 TRIDENTが前に出た。
 凄まじい衝撃波を残して、僕たち2台はトラックの脇を突き抜ける。一瞬遅れて180SXも。

 その後からFD、RS、NSXが続く。

「くっ……」

 今度こそ、完全なオールクリア。
 もはやTRIDENTを止めるものはいない…………

 ……TRIDENTが、Zの前を走ってる……だが、まだだ。Z……こいつはまだあきらめちゃいない。

 こいつが何馬力出てるのかなんて知らない。だけど、ひとつだけ言えることは……
 誰も見たことのない……最速の彼方へ、Diablo-Zeta……こいつは行けるってこと…………

 切り裂かれる空気が見える。すぐ前にいるTRIDENTのリヤスポイラーから、白いジェット気流が吹き出している。
 タコメーターがレッドゾーンを越えた。レブリミッターが作動しない。回転はリミットの7500rpmを越えて、8000rpmに達しようとしている。だけどエンジンは苦しむどころか、ますますパワーを出してきている。

 このパワー……こいつが、Diablo-Zetaの本当の力か…………!

「ムサシ……シンジ……!!!」

 いったんはアクセルを抜いてしまったマナだが、僕たちを追って再び加速。残り少ないN2Oをすべて注ぎ込み、Zを追う。
 だが、圧倒的な速度差の前についていくことができない。

 ……推定速度、360km/hオーバー。最大出力、計測不能。
 Diablo-Zetaが……その圧倒的な力をもって、TRIDENTに襲いかかる。

「やめてっ!!2人とも、もうやめて……!!!」

 涙ながらに叫ぶマナ。
 ……しかし、その声は僕たちに届くはずもない。

 わずかなブラインドコーナー……全開のまま駆け抜ける僕たち。
 重力を受け止めきれないタイヤが、路面に深い轍を刻む。

 TRIDENTがアペックスを通過したとき……前方に、大型のトレーラーが走っているのが見えた。






「どーした、安さん?」

「ンー、ハデなのが来てるなぁ」

 中央車線を走るトレーラー。
 サイドミラーに、猛スピードで接近してくる6台のスポーツカーの姿が映っている。

「……ったく、しょーがねぇ奴らだな」





 TRIDENTにがっちりと食らいついたままコーナーを立ち上がる。
 アウトからTRIDENTをパスしようとしたその時、前方のトレーラーがふわりと車体を踊らせた。

「!!!」

 僕たちの行く手を塞ぐように。
 トレーラーの巨大な車体がのしかかってくる。

 ステアリング?ブレーキング?どっちも間に合わない。このまま突っ切るしかない。

 まるで壁のように……目の前が、暗転していく。


 終わった。間に合わない。
 あとコンマ7秒もすれば……Zはトレーラーの巨大なタイヤに半身をえぐられ、一瞬で鉄塊へと姿を変えるだろう。
 TRIDENTはトレーラーをパスできる。だがあと1車身の差でZは抜けられない。

 この速度じゃ……ロールケージがあっても、助からないね…………

「…………っ!!」

 一瞬なにが起こったのか分からなくなる。
 僕の目の前で、TRIDENTの車体が宙へ舞い上がった。

 同時にトレーラーが大きく左へ傾ぐ。


 僕は反射的にフルブレーキをかけた。タイヤが白煙を上げる。
 後方の180SXも同時にフルブレーキ。

 TRIDENTの、ネイビーブルーのボディが……コンクリートの中央分離帯に激しく打ち付けられ、火花をまき散らす。
 着地、そしてスピン。あらぬ方向に曲がった四肢が路面を掻きむしる。
 トレーラーは横転、コンテナとの連結部分が無理な負荷に耐えきれずに折れる。

 僕たちは宙を舞うTRIDENTの下をくぐるようにトレーラーをパス。
 かろうじて接触を回避し、転がるTRIDENTを追うようにスピンモードに陥る。


 Diablo-Zeta……こいつは最後まであきらめてなかった。
 走り続ける意味……生き抜く意味を……こいつは知ってる。










 首都高速道路公団の管制室。
 ビデオパネル上に映し出された路線図に、赤いランプが点る。

『……事故の情報です……湾岸線西行き海底トンネル付近……乗用車とトラックが接触の模様……
湾岸線西行きは辰巳ICより通行止め……現在渋滞は2km……』

 オペレーターが、ラジオの電波に最新の情報を乗せる。

『……湾岸線事故の続報です……乗用車より火災発生……繰り返します……乗用車より火災発生……』










 湾岸の空が、紅蓮の炎に染まる。

 漏れた燃料に引火したのか……TRIDENTは、車体後部から激しく炎を噴き上げている。
 ほとんど原形をとどめないくらいにつぶれてしまったキャビンが痛々しい……

「……………………」

 僕たちは言葉を失っていた。

 ただ呆然と……事故処理をしている道路公団の様子を、眺めていることしかできなかった…………

「……ムサシ…………」

 ムサシは奇跡的にも生きていた。
 身体じゅう傷だらけで血を流しているのは、無事とはいえないが……

 ムサシはガードレールに背を預け、燃え上がるTRIDENTをじっとを見つめていた。


「…………さわるな」

 傷の具合を案じるマナを、ムサシはそう言って拒む。
 マナはなにも言えずに……ムサシを不安そうに見ている。

「もう終わったんだ……みんな忘れろ。TRIDENTのことも……俺たちのことも…………」

 ムサシはマナを見据え、言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
 潤んだマナの瞳に、TRIDENTの炎がきらめく。



「……ええ、そうです……すみません、よろしくお願いします」

 携帯でなにやら話していた惣流が、通話を終えてこっちに来た。
 ムサシの前に立ち、静かに見下ろす。

「…………アンタ、乗んな」

 惣流は肩越しにFDを指さす。
 ムサシは一瞬きょとんとする……

「……?」

「早いとこ手当てした方がいいわよ、その怪我。話はつけたから、すぐ行くわよ」

「……分かった……頼む」

 惣流はFDのナビシートに自分のジャケットを被せるとムサシを乗せた。
 僕たちはなにも言えずに……FDを見送る。





 …………これが……結末…………


 望んでいた結果かどうかは分からない。
 今となっては……なにを望んでいたのかさえ分からない。

 いつだって、あとに残るのは後悔だけだ。
 果てしない時間と金を費やし……そうして得られるのは、ただの自己満足だけ。
 なにもかもを壊して、なにも形には残さない……


 ……だけど、それがどうしたっていうんだ?

 僕たちが……やがてその命が尽き、この大地に還ったとき……そのあとになにが残る?
 比べられない。僕たちが欲しがっているのは……めまぐるしく流れ、いくつもの命が生まれては消えていくこの星の上で……

 自分たちがたしかに生きている、それを確かめたいから……


 …………人間の、果てることのない力への意思…………


 誰にもその価値をはかることはできない。
 知らずに生きていければ、それはそれで幸せなのかもしれない。

 ……僕たちは……

 幸せすらも、求めてはいない…………





 通行が規制され、一般車がいなくなった湾岸をひた走るFD。
 めざすは、横浜国際病院。

 惣流はすぐに相原さんに連絡し、受け入れ態勢を整えてもらっていた。

「…………あの状況で……よくまあ自分から突っ込んでいったわね。
すでにトレーラーをかわせるラインに乗ってたっていうのに…………」

 皮肉ではなく。
 一歩間違えば、いや普通なら確実に死んでいた。

 それなのにムサシは……僕たちを助けるために、自分を犠牲にした。

「わかんねえ……夢中だったかんな。
ただ…………Diablo-Zeta、あいつのハイビームを浴びたとき……なんでか、暖かい感じがしたんだ……
……そしたら急によ……マナの顔が頭に浮かんで…………あとは、よくわかんねえ」

「……そう…………」

 惣流は答えない。ただ、ムサシの話をじっと聞いていた。
 Diablo-Zeta……悪魔のマシンであるはずのそれが……ムサシに語りかけていた。
 ……そんな気が……したから…………










 それから数日が過ぎた。
 WON-TECの方はNERVがうまく処理したらしく、僕たちにはなんの影響もなかった。

 ただひとつだけ……マナの180SXは、無理な走りがたたってドック入りとなった。
 450馬力ものオーバーパワーによるボディ、エンジンへの負担が予想以上に大きかったようだ。
 横浜GP予選を控えて……正直、これはかなり痛い。
 だけど、マナにとってはこっちの方が大事だった。それだけのことだ。


 ムサシからはあれっきり連絡がない。
 マナは……僕たちに気を遣わせないためか、普通に振る舞おうとしているようだけど……

 分かってる。ひとつの別れを経験して……
 それでも僕たちは、変わらない日常を送り続ける…………





「……そう、分かったわ。済まないわね、世話をかけて」

『気にすることないわよ。これがアタシらの仕事だしね。……ま、なんかあったときはお互い様ってことで』

 電話で話している綾波先輩と惣流。

 やがて綾波先輩はマナを事務所に呼び、ムサシが退院したことを告げた。

「彼は今日すぐに……第3を発つそうよ。
霧島さん。……見送りに行ってあげなさい。今日のぶんは出勤扱いにしておくわ」

「……はい。……ありがとうございます」

 マナは深く頭を下げた。
 深い信頼を置いてる……だからこそ、できること。

 同じ夜を走る……同じ世界を生きていく、仲間として。



「碇くん、ちょっとこっちに来て」

 綾波先輩は僕を裏の古いガレージに案内した。
 カバーを掛けられたクルマがある。

 綾波先輩はゆっくりと、そのカバーをめくった。

「これは…………」

「……このまま、終わらせるわけにはいかないでしょう」

 僕たちはそのクルマを出し、最後の仕上げに入った。










 横浜駅。

 ムサシが乗るはずの電車は、発車まであと15分。時間はある。
 マナがホームに上がると……ムサシは、小さなバッグひとつだけでベンチに座っていた。

「ムサシ!!」

 マナが呼びかけると、ムサシはゆっくりと振り向いた。
 ちょっと驚いたような、でも嬉しそうな表情。

 マナはムサシに向かって一目散に駆け寄った。
 ムサシは少し照れくさそうに立ち上がった。

「……ムサシ」

「…………上海にさ……俺の伯父貴がいるんだ。とりあえずはそこに世話んなる。
いつまでも……親父の言いなりにはなってられねえからな」

「そう……なんだ」

 ちくりと胸が痛む。
 ムサシは海外へ行ってしまう……日本を離れれば、会う機会はまずない。

「あいつに……シンジにさ……伝えといてくれねえか。
お前と走ったあの夜……今まででいちばん、楽しかったってな……。
お前のおかげで、俺は大切なものを護ることが出来たって…………

……こんなこと言う資格、俺には無いかもしれねえけど……
マナ、あいつと……幸せになれよ」


 電車が来た。

 ブレーキのきしむ音がホームに響き、エアが抜ける音がする。
 やがてドアが開く。平日のため、乗り降りする客はまばらだ。

「…………うん……ムサシ、元気でね……」

「ああ……マナ、お前もな……」

 分かってた。今、ここで別れれば……もう、二度と会えないと。
 だから……せめて、笑顔で。

 ムサシは電車に乗り込み、やわらかく微笑む。

 発車ベルが……鳴り響いた。


「「さよなら」」


 どちらからともなく。

 本当は、ベルにかき消されて聞こえなかったかもしれない。
 だけど……それは、自分に言い聞かせるように。


 ドアが閉まる。
 電車はゆっくりと……走り出していく。

 マナはずっと、ホームに立ちつくしていた。
 人々があわただしく歩いていく中……マナのまわりだけが、時間が停止したかのように固まっていた。










 マナが横浜駅を出ると……駅前のロータリーに、見慣れたクルマがやってきたところだった。

 息をのむマナ。
 なぜならそれは……見まごうことのない自分の愛車、180SXだったから……


 僕はマナの前に180SXを停め、窓を開けて言った。

「マナ、お待たせ」

 それは僕が初めてこの街に来たとき……マナがかけてくれた言葉。
 僕と綾波先輩は180SXを降りて、マナを出迎える。

「……シンジ君……綾波さん……こ、これは…………」

 驚くのも無理はない。
 マナは、180SXを直すのはあきらめていたから……
 TRIDENTとの走りで……こいつは力尽きてしまったと思っていたから…………

 綾波先輩はそっと180SXのボンネットに触れ……そして、言った。

「……やっぱりね……私たちはあなたに走り続けてほしいのよ。
さすがにナイトロはもう使えないし、ボディもヘタってしまったけれど……
ロールケージを巻き直して、パワーを元に戻したから……あなたのウデがあれば、じゅうぶん戦えるわ。
それにほら……TRIDENTのキーを、使えるようにしておいたから……いつでも、一緒に走れるわ」

 そう言って綾波先輩は180SXの新しいマスターキーを差し出した。
 TRIDENT-SUPRAに使われていた、青い三つ又のエンブレムがついたキー。そして合わせ鏡のように、反対側にはMNAのエンブレムが刻まれている。
 MAGIのみんなが……この180SXを直すのに協力してくれた。小さなキーホルダーにびっしりと、みんなの寄せ書きがある。

 マナは佇立したまま……感極まって、ぽろぽろと涙をこぼす。

 僕も綾波先輩も……ぐっとくるのをこらえて、マナを優しく見つめる……

「はい……私はずっと……ずっと、走り続けます……
……だって……こいつ、私じゃなきゃまっすぐさえ走りませんよ…………」

 普通の人から見ればどうってことない古いクルマでも……
 マナにとっては、たくさんの思い出が詰まった大切なクルマ。
 走り屋人生のパートナーとして……この180SXと苦楽を共にしてきた。

 だから……これから先もずっと、こいつで走り続ける。

 僕にとってのZがそうであるように……マナにとってはこの180SXが……
 この180SXで走り続けることが……かけがえのない、大切な絆なんだ…………

「さあ、行きましょう」

 マナは振り返らない。

 僕たちとともに走る以上は……なんのしがらみもなく、なにものにも囚われず。
 前だけを……ひたすらに見つめ、果てない道を走り抜いていく…………



 横浜GrandPrix…………

 ………走り屋、夢の祭典………


 GP出場を賭けた、MNAチーム予選は……もう、すぐそこまで迫っている…………

 今夜、北横浜で。
 僕たちのすべてを賭けた……一度きりのレースが行われる。










 …………Driving Allnight Together…………





 …………'Round Midnight……僕たちのSTREET…………





 …………醒めてしまったこの街に…………










 ……熱いのは、僕たちのDriving。


































予告


NERV、そして人類補完計画を影で操る秘密結社SEELE。

彼らにより、Diablo-Zetaのこれまでの戦いが検証されていく。

徐々にその片鱗を見せつつあるDiablo-Zeta、それは与えられたシナリオに過ぎないのか?

己を賭した壮絶なバトルも、予定されたモノに過ぎないのか?



第14話 ゼーレ、魂の座


Let's Get Check It Out!!!






<前へ> <目次> <次へ>