NERV本社ビル、赤木リツコ博士の執務室。

 大型のワークステーションが鳴らす冷却ファンの音が不気味に響いている。
 キーボードをタイプする打音がアクセントをつける。


 やがて、赤木博士はデータの打ち込みが一段落したのかキーボードから手を下ろすと、傍らに置いたコーヒーカップを手に取った。

「……やはり、あのスープラ……それにランエボは、WON-TECのマシンね」

 モニター上には、CGで描かれた例のスープラが映し出されている。

 全幅2メートルに達する大型のGTエアロボディを、ネイビーブルーの迷彩塗装に包んでいる。
 有機的な曲線で描かれたフロントマスクに白LEDのアクセントは、太古の恐竜のようなイメージだ。

 開発コードネームは、「TRIDENT」。



 赤木博士は表示をランエボに切り替えた。

 先日のUORの映像に重ねて、撮影した映像から割り出した推定出力などのデータがグラフになって映し出される。

「さて……ミサト、ここからが私たちの出番よ」

 今度は葛城のNSXが表示された。
 ……なにやらまた新しいチューンをしたようだ…………



 NERVも、スープラをターゲットに作戦を練り上げている。

 WON-TECの包囲網は、着実に出来つつある。











新世紀最速伝説
The Fastest Legend of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第12話 奇蹟の代償












 赤レンガ倉庫を出た綾波先輩は、RSに霧島を一緒に乗せて出発した。
 180SXはとりあえず置いたままにしておく。

 RSとFD、2台でつるんで北横浜を流す。





 綾波先輩たちと入れ違いになる形で、赤レンガ倉庫にやってきた1台のクルマがいた。

 クリーム色のJZX100チェイサーだ……
 明らかに走り屋のクルマと分かる、大径スポークホイールに車高短、爆音マフラーのセット。
 チェイサーもまた、道路から見えないように倉庫の影に停まった。

 降りてきたのは……石川ケイスケ!?

「…………妙だな」

 180SXの姿ははある。だが気配がない……

 見た目はアレだが、石川もこういうことについてのカンは鋭い。
 ハッタリだけじゃあないってことか……

「まさか、な……マナさんに限って……」

 無人の倉庫内を慎重に歩く石川。


 と、なにかを踏んづけた。
 小さな金属片のようだが……

 石川はそれを拾い上げる。

「……マジかよ……?」

 それは銃弾の空薬莢。大きさと形からしてショットシェルのものだ。
 さすがの石川も焦りの表情を浮かべる。

 あたりを見回す。


 ……硝煙の臭いは、しない。

「やべえかもな……」

 石川は拾った薬莢をポケットに突っ込むと、倉庫を出た。
 再びチェイサーに乗り込み、赤レンガ倉庫をあとにする。

「そろそろ潮時かぁ?WON-TECのオヤジどもも頭が固てぇからな……
……オレはオレのやり方でやらせてもらう……It's a showtime……待ってろよ、碇……
てめえは特等席に招待してやるからな」

 爆音を轟かせ、カッ飛んでいくチェイサー。
 国道に強引に合流すると、我が物顔で道路の真ん中を突っ走る。

「ヒャーッハッハハハ!!」

 チェイサーが向かったのは桜木町。川崎が率いる桜木町GTの本拠地だ。
 また、なにか企んでいるのか……?

 このSTREETでどんなに黒い流れが渦巻こうとも……
 他の人間たちにはなにも感じられない。
 僕たちだけが……平行する、別の世界に。

 そうさ、僕たちは……


 相容れない、世界にいる。

 心の壁を隔てた向こう側に…………










 ランドマークタワー前を通過し、みなとみらいへ向かうRSとFD。
 今日はNanpa Challengeは行われていないため、ナンパシケインも普通に通過できる。


 霧島はさっきのショックがまだ抜けてないみたいだ……

「…………霧島さん……あなたは、碇くんのことを好きなのかしら?」

「えっ……」

 突然の質問に面食らう霧島。

「碇くんはあなたのことを気にしているわ。
……彼が、他人を気にかけるようになったのは……霧島さん、あなたが初めてよ…………」

 綾波先輩の言葉にはどこか寂しさが漂う。

「シンジ君が……?」

「あなたのおかげよ。碇くんは……今まで、他人に関心を持つということがなかった。
……いえ、持てなかったのね。
こっちに来てから、彼は変わったわ。……それには、一緒に暮らしていたあなたの影響が……大きく、出ているはずだわ」

 僕が……他人に関心を持つ。
 たしかにそれは、ここ第3新東京市に来てから……そういうふうになってきたと思う。


 思うに、以前の僕は周囲との距離を置きすぎていたように感じる。

 我関せず……関わり合いを持つことを、極端に避けていた気がする。

 こっちに来て、チームのみんなと一緒に走りはじめて……
 そこでようやく、距離を少し縮めるようになったと思う。


 僕は僕の思いで、海を進む……
 その進路は、他人に接近していくとは限らない。

 見えない相手を求めてる……引き合うには、何が必要なのか…………



 やがて、RSは赤信号で止まった。

「……綾波さんも、そうなんですか……」

「何が?」

「シンジ君が、ヒトに関心を持たないって……それは、綾波さんにもそうなんですか……?」

 霧島にしてみればせいいっぱいの皮肉だろうか。

 ……霧島だってそこまでバカじゃない。
 僕と綾波先輩の関係……たぶん、とっくに気付いてただろうから。

「……どうかしらね。彼が私に何を求めてるのか……
……むしろ、彼には私しか縋れるものがなかった……と言った方が正しいかしら」

 息をのむ霧島。
 喉の奥が痛む。……震える心は、身体を傷つける。


 信号が変わり、綾波先輩はRSを発進させる。

「彼をそうさせてしまったのは、私にも責任はあるわ。……だからといって、彼を私に縛りつけることは許されない……
でもだからこそ、余計に……私が彼を手放せなくなってしまう…………」

 自分を嘲笑うように言う綾波先輩。

 僕を抱きしめる力の強さは、自らの罪に対する慚愧の念。

「……もし……シンジ君が、他の女の子を好きだって言ったら?」

 言外に、僕を綾波先輩から引き離そうとしてる。

「フッ……そうね、どうしようもなく嫉妬するでしょうね、その女に。
そして、なにがなんでも碇くんを……自分のそばから離すまいとするでしょう」

「………………」

「矛盾してるでしょう?でも、この感情は否定できない……
縛られてるのは、私の方なのかもね…………」

 そこで綾波先輩は言葉を閉じた。
 霧島は何も言わず、じっとうつむいてる。

 ……怖さと、淋しさ。


 綾波先輩が霧島にはじめて見せた、自分の弱い姿。

 霧島もどこかで、綾波先輩に対してある種の幻想を抱いてたと思う。
 最速の走り屋、チームリーダーとして、人生の先輩としての器の大きさ。
 憧れると同時に、その裏側には嫉妬という影がつきまとう。

 僕を想うことでそれが発露したなら……

 霧島は迷ってる。
 僕への想いが揺らいでいることに。

 自分の愛はこの程度のものだったのか?と。


 ……受け流すことに慣れてしまって、正面から受け止めることをできずにいる。


 直撃したら、壊れてしまう。





 やがてRSとFDは海沿いの道に出た。
 ここは横浜GPのコースとして使われる道だ。道路端にちらほらと、看板が立っている。

 ずっと黙っていた綾波先輩が、再び口を開いた。

「ギャラリースポットね……霧島さん、すこし攻め込んでいいかしら」

 一瞬驚くが、霧島はすぐに頷いた。
 4点ハーネスを締め直し、ドアの取っ手につかまる。

 綾波先輩はいったん減速してRSをFDの横につけ、軽くパッシングする。

 併走する2台の中、綾波先輩と惣流の目が合う。

「……いくわよ」

 3速に落とし、アクセルを踏み込んでいく。

 立ち上がりは鈍い。
 最大出力を追求するビッグターボ故に、ターボラグは大きい。
 FDが鼻先を出す。

 だがその直後、RSは狂ったように飛び出していく。

 一瞬何が起こったのか分からなくなるほどの凄まじい加速。
 視界は狭まり、光が流れていくのが見える。





「おおっ!誰か来るぞ!」

「すげえ、踏んでるぞあれ!」

 道ばたでダベっていた走り屋たちのグループが、遠くから聞こえてくるエキゾーストノートに気付いた。


 RSが、独特の甲高い過給音を張り上げる。
 加速は巨大な重力となって、身体をシートに押しつける。

 今まで味わったことのない圧力が霧島を襲う。

「く……ぅっ」

 加速状態のまま、ゆるい左コーナーへ。
 重心が右へと移動する。

 全身の血管という血管が、ターボの過給圧を受けてぱんぱんに膨れ上がるのを感じる。
 これがDiablo-TUNEの力。
 何もかもが違いすぎる。自分の180SXとは比べものにならない。

 鉄橋を200km/hオーバーで駆け抜け、そのまま右の高速コーナーへ突入。

 FDも負けずに迫ってくる。

「鈴原……そういやアンタ、言ってたわよね……」

 目の前を走るRSに、S14をダブらせる惣流。

『惣流!コーナリングはバランスがすべてやないで!』

 突っ込み重視のカミカゼ走法を得意とする鈴原。
 コーナー突っ込みのキレ具合だけは、惣流をも凌ぐところがあった。

「3つのK……気合い、気合い、気合い……でしょ?それでALL RIGHT……」

 思い切ってターンインの速度を上げる惣流。
 今のFDなら、きっと応えてくれる。
 FDが、行けると教えてくれてる。

「アスカ、やるわね……」

 立ち上がりで突き放すRS。
 FDはブレーキングで差を詰めてくる。

 もうすぐ、ギャラリーの目の前を通過する。



 鉄橋にきらめきながら、2つのヘッドライトが近づいてくる。

 普通のクルマとは明らかに違う、チューンドエンジンの音。
 1台はロータリーだ。

「来たぞっ!」

 ギャラリーの1人が立ち上がる。

「おおっ、綾波だ!MidNightANGELSの蒼いRS!!」

 綾波先輩が走ってる。そう聞いた他の者たちも続々と集まってくる。
 と、RSの影からもう1台のヘッドライトが差し込んだ。

「もう1台いるぞ」

「バトルしてんのかぁ!?」

 スキール音を上げてコーナーを通過する。
 速い。文句なしに速い。

 紅いボディが、夜の闇に映える。

「FD!あの紅い……NightRACERSの惣流だぜ!!」

 ギャラリーたちの目の前を、ソニックブームを散らして突き抜けていくRSとFD。

「すげえ……綾波も速えけど惣流も負けてねえぞ!」

「今のコーナーの突っ込み見たかよ!?ありゃあ、鈴原の得意技だぜ!!」

 FDの鋭いターンインに驚くギャラリーたち。
 たしかに惣流も、以前にもまして速さを身につけている。

 それは単にパワーアップしたFDのおかげだけではない……
 惣流自身も、さらに腕を上げてきている。
 綾波先輩にも引けを取らないまでに…………

「こりゃあ、横浜GP!わかんねえぞ……!!」





 眼前にみなとみらいの大観覧車を望む。

 コースはここでUターン。
 中央分離帯の縁石をかすめるように180度ターンを決め、再び全開加速。

「……ッッ!!」

 急減速からのスピンターン、そして2速全開の加速。
 さすがの霧島も呻き声を漏らす。


 3速まで引っ張ったあと、綾波先輩はアクセルを戻した。
 ブローオフバルブが過給を抜き、そこでやっと狂気の重力から解放される。

 ようやく楽になり、霧島はため息を吐いた、

「近いうちに、TRIDENTは必ず撃墜する」

 唐突に言った。
 「撃墜」という言葉に霧島が反応する。

 綾波先輩はハザードをつけて減速し、巡航に移った。
 とりあえずはここまでだ。

 霧島は不安げな表情で綾波先輩を見つめる。

「TRIDENTの出撃がWON-TECの意思ではなく、彼の独断によるものなら……
ほうっておくわけにはいかないでしょう」

「で、でも……」

「たとえどんな形にしろ、WON-TECに勝ちを譲るわけにはいかない。
我々NERVこそが……公道最速だと、証明するわ」

 そう綾波先輩は言いきった。
 TRIDENTだろうがなんだろうが、NERVのDiabloには勝てないと。
 Diablo-TUNEが最速だと…………

 綾波先輩はRSを赤レンガ倉庫に向け、戻っていった。










 霧島がCOMFORT17に戻ってきたときには、もう既に午前3時を過ぎていた。
 首都高を走るのにはばっちりな時間だけど……さすがに、そう毎日走れるわけでもない。
 旧首都とはいえ、東京は今でも経済の中心地。交通量は多い。

 加えて今日は週末。……いわゆる「危険日」ってヤツさ…………


「シンジ君は……もう寝ちゃったかな」

 いつものように、180SXをZの隣に停める。

 Zは冷えている。
 今夜は、走りには行ってないから……


 そっと部屋のドアを開け、明かりをつける。
 しんと静まりかえって、物音はしない。

 霧島は僕の寝室のドアを、じっと見つめる。


 やがて、霧島は黙って自分の部屋に入った。

「…………シンジ君……綾波さんと……なんて…………」

 ……眠れそうに、ない。










 ………夢を見てた………



 ……ここ数日、同じ夢をよく見ている……


 ……仄暗い海の底の夢……



 ………深く暗い海の底に、光り輝く星のかけらが眠ってる………



 ……僕は……静かな波の層に包まれて眠ってる……


 ………光の明滅が僕のまぶたを揺り動かす………



 誰かの声が聞こえる…………


 ……僕を呼ぶ声が……



 無意識の眠りから解き放たれた……


 ………………海の底で僕は独り……ゆっくりと目を覚ます…………





「…………まだ、夜か……」

 外はほのかに明るい。
 もう1時間もすれば夜明けだ。

「…………」

 もう一眠り……その前にトイレに行っておこう。

 廊下に出る。
 トイレに行くには……霧島の部屋の前を通らなきゃいけないんだけど。
 大きな音立てて起こしたりしたらマズイよね。

「……?」

 音を立てないように集中していたせいで、部屋の中から漏れてくる音に気がついた。
 声……霧島の声だ。

「…………ンジくん……」

 はっ……と、思わず息を止める。
 まさか。
 聞き間違いだろ……?

「……くん……シンジく…ん…………」

 寝言じゃ……ない。それに妙に苦しそうな声……

 かぁっ、と顔が熱くなるのが分かった。
 この感覚……綾波先輩には一度も抱いたことがない。
 どうして……?

 とりあえず用を足してしまおう。
 そう考えて熱を冷ますと、僕はトイレに入った。
 戻ってきたときにはもう声はしなかった。
 ……というか、水を流す音が聞こえたかもしれないな…………

 自分の部屋に戻り、ベッドに身体を投げ出す。

「霧島……」

 意外……でもないのか?
 みんなやってることなんだから…………

 だけど、他の人間がしてるところなんて……

「……僕は、変わってる……かな」

 混乱……してる。
 含み笑いがこぼれてしまう。僕は何をやってるんだ……?
 週にいちど……走りを終えてから、僕は綾波先輩のマンションに通ってる……

 それっきりだ。

 感情が薄いのは自覚してる……でも、本能まで薄いのか?
 生きようとする意思さえも?
 Zで走っていて、恐怖を現実としてとらえられないのも?
 まともじゃないって……なら何が「まとも」なんだ?

 そっと、自分に触れる。
 ぴくりとも動かない…………。
 目を閉じて思い浮かべるのは…………綾波先輩…………
 そうだよ……僕が欲しかった、この気持ちは何?


 思考の海に沈んで……僕は、またあの夢の中に戻る……










 雲一つない空…………
 残暑も過ぎ、過ごしやすい季節になってきた。

 チューンドカーにとっても、もっともよい季節。
 涼しいということはより吸気温度を下げることができ、パワーが出せるということ。冷却系にも都合がよい。


 昨夜のこと……霧島とは、すこし顔を合わせづらいな……
 霧島は知らない振りをしてるみたいだけど。

 と、綾波先輩から声がかかった。

「碇くん、ちょっと手伝ってくれるかしら。倉庫に行っているから」

「ああ」

 最近は仕事のサイクルが速い。今日も、1週間前からとりかかっていたS15Rとエボ6の納車がある。
 メーカー各社も横浜GPにあわせて新型パーツのリリースが盛んみたいだし……
 宣伝効果……っていうのかな、かなりのものがあるみたいだ。





 僕が戻ってくると、駐車場に黒いS14が入ってくるところだった。
 ……ブラックパールのカラーを見ると……鈴原のことを思い出してしまう。
 鈴原……まだ退院できないのかな…………

「あれ!?」

 S14から降りてきたのは惣流だった。
 なんというか、今まで惣流といえば紅いFD、っていうのがイメージとして定着してたから、僕はその意外さに呆気にとられてしまった。

 惣流はそんな僕を見て苦笑する。

「なぁに抜けた顔してんのよ。綾波は?いるんでしょ?」

 綾波先輩が来た。

「アスカ、そのS14はどうしたの?」

「ん、これね。なに、鈴原の退院祝いに用意してやろうと思ってね、格安のを引っ張ってきたのよ」

 肩越しに後ろのシルビアを指さす惣流。
 よく見れば、ホイールはノーマルだし車高も高い……これもノーマルか。さすがにマフラーは社外品がついてるようだけど……

「まあネットオークションで2万だったヤツだし……そこはほら、信頼できるショップでバシッと仕上げとかないとね」

「殊勝なことね。……ちょっと見せてもらうわよ」

「どーぞどーぞ」

 S14のボンネットを開ける。ターボがない……前のと同じ、後期型Q'sか。タワーバーすらついていないすっきりとしたエンジンルームは、ある意味新鮮だ。

「あら、ミッションはATなのね」

「……やっぱね……足の方は、完璧には治らないみたいなのよ。
ならせめて……てことでさ」

 そうなのか…………でも、たとえATでも……鈴原なら、きっと以前と変わらない速さを引き出せると思う。


 ……ふと霧島の方に目をやると、こっちを訝しげに見つめていた。
 素振りには見せないけど、その視線にはあからさまな嫌悪感があった。

 それは誰に向けられてる?僕か?惣流か?
 ……それとも、綾波先輩か。


「……シンジ」

「うわぁ!?」

 僕の後ろに近づいた惣流が、いきなり耳元でささやいた。
 さすがに僕でも驚く。

「……なんだよ?」

「アンタ、あの霧島って女と同棲してんですって?」

 さりげなく僕の肩に手を乗せてくる。……霧島は作業に集中して視線を戻すが、なんというか全身から不機嫌さが漂っている。

「……まあ、そういうことになるかな」

「悪いことは言わないわ。あの女はやめたほうがいいわよ。つーか今すぐ別れなさい」

「そんなこといっても……別れるって、べつに付き合ったりとかしてるわけじゃないし」

「だったらなおさらよ!だいたい知ってんの?アイツはWON-TECの回しモンなのよ」

 首に手を回して絞め技のポーズをする惣流。振りのつもりだろうが、ちょっとマジで入ってる……

「ぐぇ……ちょ、ちょっ離し……」

「碇くんは知っているわよ」

 綾波先輩が助け船を出してくれて、僕は何とか脱出できた。

「私から話したわ。……まあ、それ自体は別にどうということではないわ」

「アタシは信用できないわね。ってか、なんでそんなヤツをNERVに入れたのよ?」

「彼女はもともと、プロジェクトから外されるところだったのよ。それを私が拾ったってわけ。
……それに……同じ走り屋として、彼女の置かれた境遇には同情できるところがあったしね」

 視線を逸らして綾波先輩は言った。

 惣流はまだ釈然としないようだった……
 ただ、少なくとも僕が見てた限りでは霧島に不審な行動はなかったと思うけど……

「ンなこと言ったって、アイツが今でもWON-TECとつながってる可能性だってあるわけじゃん」

 たしかに……そうだけど……
 さすがにそれはないと思う…………あくまで「そう思う」だけで、「信じる」まではいかないが。

 ん?でも、霧島はたしかプロジェクトのことは知らないって言ってなかったか……?

 ……あとで、もう一度聞いてみるか。

「とりあえずこいつは預けていくわよ。手始めに吸排気と足回りをカルく。あとLSDもね。
見積もりできたら教えて」

「予算はどれくらいでいく?」

「そーねぇ……インチアップはナシで、ダウンサス入れるとしたら……20万ぐらいかしらね」

「分かったわ。まあ期待していて」

 惣流が帰ったあと、僕はS14を隅に寄せておいた。
 鈴原のために……惣流、仲間思いで気のいい奴だな……なんて、微笑ましくも思ったりした。
 霧島に対してやたらと言っていたのが気になるけど……










 夜、午後10時。
 とりあえず今日の作業を切り上げ、片づけをする。
 他の従業員たちはこの時間にはもうみんな帰って、いつも一番最後まで残ってるのは僕たちぐらいだ……

 ……昼間のこと、霧島に聞いてみるか……

「霧島、ちょっといいかな?」

「……なに?」

 ……だけど、なんて言って聞こうか……
 あんまりストレートに言ってもまずい気がする。

「あのさ、こないだ言ってた……プロジェクトT、だっけか。
霧島、そのことなにか知ってたっけ?」

 僕もよく覚えてないんだけど、という振り。

「…………」

 さらにカマかけてみるか。

「霧島もすこしだけ参加してたんだよね?その時のこと……」

「……知らないって言ったでしょ」

 霧島は低いトーンで答えた。
 その話題には触れるなと、声色が言ってる。

「あれ?そうだっけか」

「……いい加減にしてっ!シンジ君には関係ないでしょ!」

 怒った……

 その時、ちょうど綾波先輩が事務所から降りてきた。
 あ、そうだった……惣流から預かったS14の様子を見るんだったな、今夜は……

 綾波先輩が来たことに、霧島は気付いてないみたい。

「いや知らないなら別にいいんだけどさ……
綾波先輩が、なんかそういうこと言ってたから」

「!」

 これには霧島も驚く。

「な……何よ。そりゃ……確かに、私はWON-TECにいたことがあるわ……
……でも、だからって……シンジ君は私を疑うの?」

「そんなことは言ってないだろ……ただ、霧島の知ってることでなにか役に立つことがあればな……って、思ったんだけど……」

 霧島が、NERVにもたらすことのできるWON-TECの情報……
 ……たとえどんな小さなことでも、知っているのなら教える……
 前にいた会社のことぐらい、しゃべっても別に問題はないと思うけど……

 あるいは本当に、言えないようなワケがあるのか。

「……じゃあ、じゃあさ……
シンジ君は……私がもし敵だったとしても……私を愛してくれる……?」

「なんだよそれ……?僕はそんなことは気にしないし……それに敵かどうかを決めるのも、僕じゃないよ」

「……!ふざけないでっ!……だったらなんで……なんで綾波さんなんかと……っ!」

 ……ちょっと待て、それこそ関係ないだろ。
 その前に、後ろに本人がいるって……

「碇くん、時間よ。行きましょう。
……霧島さんも早めに帰りなさい。これからまだまだ忙しくなるから、休めるうちにゆっくり休んでおくことよ」

 綾波先輩の声に霧島は固まった。
 振り向くこともできない。…………すごい顔だよ、霧島……

 僕は綾波先輩の元へ向かう。

「それじゃ、私たちは行ってくるから……霧島さん、鍵を忘れずにね」

 ぎこちない手振りで僕たちを見送る霧島。綾波先輩はウィンクを返す。

 僕たちはS14に乗り込んだ。
 まずは僕がドライブする。現状でのエンジンやサスの具合を、実際に走らせて調べるのだ。
 そういえば……Z以外のクルマを運転するのって、久しぶりだな……










「綾波先輩……霧島、どうしたんだ……?
なんか今日は様子がヘンなんだけど…………」

 ベイラグーンへの道を走りながら、綾波先輩に聞いてみる。

 先輩は何故か苦笑いを浮かべると、窓の外を見ながら言った。

「ふふ……女の子はいろいろあるのよ」

「…………」

「……ってのは冗談で、彼女はやきもち妬いてるのよ」

「?」

「私たちに、ね」

 軽く言う。
 …………霧島は、僕たちをうらやましく思ってる……?

「分からないよ……」

「好きな人が、自分以外の異性と仲良くしてるの見たら……誰だって、イヤでしょう?」

「仲良く……?」

 ……ピンとこない。
 どうしてなんだろう……心の中のなにかが、抜け落ちてる。

 感じることができない……僕は、何を求めてるのか分からない。

 そのなにかを知りたくて、僕は綾波先輩を求める……
 僕の欠けた心を埋めるために……
 ……それが、僕と綾波先輩との絆…………

「霧島さんだって、さんざんあなたにモーションかけてるんでしょう?
……すこしは応えてあげたら?」

 ……それは、命令?
 綾波先輩がそうしろって言ったから……?

 ……違う、気がする。

 僕はどうしたらいい?

「何故……?理由が分からない……」

「……霧島さんのこと、嫌いかしら?」

 嫌い?……違うと、思う。
 でも…………霧島が悲しむ姿を見るのは、……つらい。
 この気持ちがなんなのか、分からない。

「……(無意識に、愛情を感じても……それを認識できないのね)」

 僕も先輩も黙り込んでしまう。

 気持ちをS14の挙動に集中させる。
 こっちが本来の目的……なにか問題があるなら見つけないと……ね。


「特に変わったところはないようね」

「うん……。ステアリングのブレもないし……ボディもOKだね」

 これなら足をキメれば十分に速くなる。
 鈴原の退院祝いとしては申し分ないだろう。





 一通り走り終え、ベイラグーンを出る。
 いったん綾波先輩のマンションまでS14を持っていく。

「じゃ、コレは私がもう1日アシにして様子見るから……」

 駐車場にS14を停める。
 そこで、じっと僕の顔を見つめる。

「……今夜は、どうするの?」

 霧島のことが気になる。
 あんなことを言われたあとなら…………
 ……だけど、僕は……

 綾波先輩の瞳を見つめる。
 先輩の気持ちを知りたかった……だけど逆に、こっちが見透かされそうだ。
 僕をじっと見つめて……だけど、その瞳は僕じゃないものを見ている……?

「……碇くん……」

 そっと僕の頬に触れ、顔を引き寄せる。
 僕はたぶん無意識に、その手を払いのけていた。

 綾波先輩は驚いた表情を見せる。そこに含まれる哀しみと淋しさを見るのは……僕、自身。

 僕は気付かなかったが、先輩には僕の肩越しに、通りの並木に隠れるようにしてこっちを見ている180SXの姿が見えていた。

「……んっ」

 綾波先輩は両手で僕の頬を抱えると、僕に唇を重ねた。
 僕はあっけなく溶かされて、先輩に身体を委ねていた。

 いつになく乱暴に、綾波先輩は僕の唇をむさぼる。
 やがてゆっくりと離れた先輩の表情には……どうしようもない愛しさと、隠しきれない憎悪がにじんでいた。
 ……胸が、苦しい。……この張り裂けそうな想い……それは誰に向けられているのか?










 一方こちらは霧島。

 MAGIを出たあと、コンビニで夜食を買った霧島。
 ふと、S14で走りに出た僕たちのことが気がかりになる。
 「鍵を閉めていけ」と言ったということは、もう今日は戻らないということ……?

 そう思うといてもたってもいられなくなる。

 走り終えたあと、僕たちはどこへ向かうのか?霧島の脳裏にその場所がひらめきのように浮かんだ。


 霧島は180SXに飛び乗ると、思いきりスキール音を上げて発進した。
 向かうのは、綾波先輩のマンション。





 霧島が着いたときには、僕たちはまだ来てなかった。
 目立たない場所に180SXを停め、さりげなく植裁の腰壁に腰掛ける。
 待つ間……買ってきた缶コーヒーを開ける。

 ……ほどなく、黒いS14がやってきた。

 霧島の手のひらは、いやな汗をじっとりとかいている。
 ……予想は、現実のものになってしまうのか。


「……嘘…………」

 ちょうど街灯の真下で、車内の様子がよく見える。
 霧島が見たもの……それは、抵抗する僕をむりやり犯す綾波先輩の様子。
 ……少なくとも霧島の主観ではそう見えた……らしい。実際にはキスしてただけだけど……

 呆然と霧島が見ている前で、僕は綾波先輩に連れられてマンションの中に入る。
 霧島はその後しばらく立ちつくしたままだった。


 ……やがてふと我に返る霧島。
 顔は俯き、口元は歪んで哄笑がこぼれる。まだ温かみの残る缶コーヒーを持つ手はブルブルと震えている。

「…………っ!!!」

 霧島はコーヒーの缶を思いきり腰壁に投げつけた。跳ね返った缶は道路まで飛んでいき、中身をこぼしながらころころと転がっていく。
 夜の静寂の中、缶が転がる金属音だけが虚しく響いていた……

 霧島は黙って180SXに乗り込むと、その場をあとにした。










 悔し涙……そんなものは出ない。
 ただ燃え上がった黒い感情を……ぶつけられるなにかが欲しかった。


 苛立ちに任せて180SXをかっ飛ばす霧島。
 対向車が来ようが構わず反対車線に飛び出し、すり抜けを繰り返しながら走る。

 やがて本牧の大通りに出た。
 この時間帯ここを走るのは埠頭から貨物を運び出す長距離トラックなどが多い。
 前方にコンテナを積んだ大型のトレーラーが現れる。

 霧島は気にすることもなく脇を抜けようとする。

「!!」

 全身の毛穴がいっきに開くのが分かる。
 スピードを乗せたまま追い越そうとしたその時、トレーラーが突然車線変更した。
 このままいけば180SXはトレーラーの横っ腹に突っ込んでしまう……!

「くっ!」

 反射的に左へステアを入れる。だがそれは強引すぎた。
 180SXはハーフスピンに陥り、コクピットめがけてトレーラーのケツが迫ってくる。

 スピンモードからさらにサイドを入れる。アングルをさらに深くつけ、後ろ向きにする。
 さらに半回転して180SXは止まった。

 かろうじて接触は免れた。180SXが巻き上げたタイヤスモークが、ディーゼルの黒煙と混ざって流れていく。

 トレーラーは元の車線に戻り、なに喰わぬ顔で走り去っていく。

「……うぅっ……!」

 ステアリングに顔を伏せ、呻る霧島。

 これだけ命を危険にさらして走っても、少しも気持ちは晴れない。
 誰かへの憎しみ、ではなく、ただ心は赤黒く染まっていく。
 ……それは純粋な激情。





 道路の真ん中で横を向いて止まっている180SX。

 ……と、もう1台クルマが来た。
 道をふさいでいる180SXを見つけ、クラクションを鳴らす。

 紅いFD……惣流だ。

「ったく横向けて道ふさいで……どこのバカよ!……ってあら、マナじゃないの……」

 惣流はFDを停め、180SXに駆け寄った。

 180SXのドアが開き、ゆらり……と霧島が降りてくる。
 その異様な雰囲気に、惣流は思わず立ちすくむ。
 力無いしぐさで、しかしその瞳だけはギラギラと揺らいでいる。

「惣流さん……」

「…………何か、あったみたいね?」

 にらみ合う惣流と霧島。


 風に乗って、焦げたタイヤの匂いが流れていく。

「……………………」

「…………アタシはアンタの味方なんてしないわよ」

 霧島は黙ったまま、じっと惣流を見つめる。
 内に思っていることはともかく、少なくともその目に迷いはない。

 一陣の風が通っていった。

「……(昨日会ったときとは違う……目のすわり方が別人のようね。……素人じゃ、ないってわけ……)」

 惣流は一歩進み出ると、一言だけ、霧島に告げた。

「……ついてきなさい」

 返事を待たず、惣流はFDに乗り込んだ。
 FDを発進させ、路肩から180SXをパスする。
 バックミラーを見ると、霧島はFDを追って180SXを発進させていた。

 惣流は霧島を従え、第3新東京市郊外のある場所へ向かう。










 やがてたどり着いた、そこは今は封鎖された工場地帯……
 SecondIMPACTの傷跡……この日本にも、少ないながらも確かにある。

 ……ここには誰も近づきはしない……


 惣流は入り口のゲート前でFDを停めると、霧島にクルマから降りるように合図した。

 そして霧島を連れて、壊れて錆び付いたゲートを開けて中に入る。

「…………ここはね……アタシが中坊ン頃によく走ってた場所よ……
……あの頃でさえ、アタシと相原先輩ぐらいしかこの場所は知らなかった……
今なら、誰も邪魔する奴はいない。

……アンタの気が済むまで、走るわよ」

 霧島は無言で頷く。

「コースにはバリケードが張ってあるけど、ゴミとか多いから分かりづらくなってるわ。
間違えて突っ込まないように気をつけることね。
最初はアタシが先行で道を教える。勝負は2周目から。
ゴールは無し……先にバテて止まった方が負け。サドンデス・デスマッチよ。いいわね」

 2人はクルマに戻る。

 無人の廃屋に、狂おしく吼えるエキゾーストノートが震える。
 ……FD、180SX……

 今、ゆっくりと地獄の門をくぐる…………












TAIMAN-BATTLE

DESERTED FACTORY

Asuka L.Sohryu(NR) FD3S RX-7
vs.
Mana Kirishima(MNA) RS13 180SX


出口の見えない迷走の果て
奇蹟を願えば叶うのなら
永遠に続くその時間は
破滅へのカウントダウン













 コースインした霧島の第一印象……それは、とにかく狭いということ。

 道路自体は工場構内ということで一般の道路よりもかなり広く作ってあるが、とにかく障害物が多すぎる。
 壊れた重機やトレーラー、棄てられたコンテナなど……直線の道路でも、それが道の左右に散らばることで細かくコーナーが続くレイアウトになっている。
 おまけに鉄くずなども散乱し、実質使える道幅は3〜4メートルといったところか。場所によっては1台通るのがやっとというところもある。



 180SXがちゃんとついてきていることを確かめると、惣流はゆっくりとアクセルを踏み込んでいった。

 細かな土煙を巻き上げて、FDが加速していく。

「しっかりついてきなさいよ……まだバトルは始まったばかりなんだからね」

 霧島は険しい目つきで、前を行くFDのテールを見据える。
 集中の度合いはいつも以上に高い。

 負けられない。負けたく、ない。
 誰にも……誰とも、馴れ合いたくない。



 1人のギャラリーもいない。
 ただ、空高く上がった蒼い月だけが……2人を、見守っている。










 …………同じ月を見ている…………


 蒼い月の光を浴びて、夜の闇から現れるのは2台のスープラ。

 ムサシとケイタは今夜、いよいよ首都高へ乗り込む。


 WON-TECが総力を挙げて開発したこのTRIDENT-SUPRAで……
 ……NERVに挑むべく、今、出撃する。










 そして……研ぎ澄まされた光を刃に変え、TRIDENTを迎え撃つのは……

「黙っちゃいられねえだろ……そんなスゲえマシンの噂を聞いちまったらよ」

 自ら光を放つがごとく、黄色いボディを闇に浮き上がらせるのは……
 12使徒、「夢見の生霊」こと君嶋ヨウヘイ、NA1 NSX-R。



 運命の歯車に刻まれたツメは……一度だけかみ合う、その時を待ち続けている…………











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