西の海に、赤い太陽が落ちていく。


 今日は綺麗な夕焼けだ。
 慌ただしい日常の中で……ゆっくり空を見ることなんてなかった。

 オレンジ色に染まった第3新東京市の街並み…………

 安らぎと哀しみに彩られた、時の狭間。


 それは僕たちの時間がやってくることを告げる、夜の使者。





 作業を終えた客のクルマをピットから出し、代わりに自分のクルマを入れる。
 走行前の最終チェック。

 そう……今日は、久しぶりにMNAの走行会がある。

「そういえば、シンジ君が来てからは初めてね。みんなで走るのは……」

 思い出したように霧島が言った。
 僕がここに来てからもうずいぶんと経つが……なんだかんだでいろいろあって、みんなで集まる機会はなかなか無かった。

 STREETを走っていても普段はあまり会うことのない、渚さんやケンスケも来る。


 たまには……息抜きもいいかもしれない。











新世紀最速伝説
The Fastest Legend of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第10話 チューンド・ロータリー












 22:00。

 ベイラグーン埠頭には、MNAメンバーが勢揃いしていた。
 一番最後に渚さんが到着すると、綾波先輩は自分の周りにみんなを集めた。


「揃ったわね。
……みんなも既に知っていると思うけど、いよいよ来月、横浜GrandPrixが開催されることが決まったわ」

 空気が、いっきに張りつめる。

「本来はNERVとWON-TEC、他有名チューニングメーカーによるカーショーだけれど、同時に各地の走り屋たちによるエキシビジョンレースが行われる。
私たちにとってのメインイベントはこっちになるわ」

「走り屋、夢の祭典……」

 ケンスケの呟きに綾波先輩が頷く。

「そう。今まで、日の目を見ることのなかった私たち走り屋が、初めて公式な舞台に立つことになる。
これはチューニング業界における史上初の試みよ」

 もちろん、ドリコン等走り屋たちのレースイベント自体はずっと前から行われてきた。
 ただし、あくまでそれは雑誌の企画だったり、有志による自主開催だったり…………アマチュアの域を出ることがなかった。

 だが今回の横浜GPは違う。
 NERV、WON-TECという二大企業の全面支援のもと、JAFの承認をも受けた公式のレースイベント。
 すなわち、このレースで成績を残せばそれはプロレーサーへの道を開くことになる。

 アンダーグラウンドから、メジャーな世界へ。

 目指すモノは、栄光と、名声と……そして、自分が認められるコト。
 いくら強がってみせても……。

 走り屋が認められる。
 だとするなら、それは大きな変革。
 でも決して、夜のSTREETに光が当たるわけじゃない。

 太陽の下に出て……僕たちは、なにをつかもうとするのか……


「出場者は各チームから1名。
ただし、私はNERVの代表として特別枠での出場が決まっているから、あなたたちの中からMNA代表を選ぶわ」

「NERVの、代表……」

 ケンスケが驚きの表情を見せる。

「……ええ。これはチームとは関係ない出場枠だから、あなたたちにも他のチーム同様にチャンスは与えられるわ」

 綾波先輩は、あくまで僕たちにチャンスがあることを強調しているように見える。
 自分が特別扱いを受けていることで……僕たちに気を遣ってる。
 先輩は……そういうとこ、ちょっと弱いから。

 MNAからの出場メンバーは、綾波先輩を除いた4人……渚さん、ケンスケ、霧島、そして僕の中から選ばれる。
 それはどういう形で選ぶのか……

「チームからの代表は1人か……」

「……………………」

 渚さんが、いつになく重い声で呟く。
 その表情は厳しい。

 自然と僕も、緊張してくる。

「横浜GP本戦に先立って、第3新東京地区の予選が来月、第3週の日曜日に行われるわ。
私たち、MNAの代表者はその1週間前……、横浜GPメインコースとなるNorthYOKOHAMAで、一度きりのレースで決める」

 今は9月だから、およそ3週間後ということになる。
 マシンを作る時間は十分にある。それと、本番に向けて走り込みをする時間も。

「走りの世界は非情なものよ。
たとえ一度でも、負けは負け。
……一度敗れた者が、そのまま立ち直れないことだってあるわ。

でもね……どのみち勝ち上がっていかなければ、どんな奇跡も起きやしないわ。
スタートラインを踏み出さなければ、分からないことがきっとある」

 一度きりのレース。たとえ何があろうと、そこで負ければそれまで。
 勝たなければ、先へは進めない。

「僕は異論はない。ね、シンジ君?」

「…………うん」

 渚さんは僕に同意を促すように、鋭い視線を向けた。

 頷くしかない。
 これが……STREETの厳しさ。

「ねっ!みんな、走ろうよ!」

 重い沈黙をかき消そうとするかのように、霧島が声を上げた。
 僕は思わず顔を上げる。

「代表決定戦だからって、ぎくしゃくするのもなんだしさっ!
ねっ!そうしよ!!」

 精一杯の明るさを振りまく。
 霧島……僕にはそんなこと、とてもじゃないけどできない。

 僕にないものを持ってるのか……

「そうね。久しぶりに、チーム走行といきましょうか」

 綾波先輩の表情にも、少しだけ明るさが戻ったような気がした。





 霧島も、誰もが、分かってた。
 綾波先輩が無理して、僕たちを励ましてるってこと。

 先日の交流戦での大事故以来……走りに対する思いが冷めかけていた僕たちを、少しでも元気づけようとしてるってこと。

 だから……嘘でもいいから、応えてやらなきゃいけないってこと…………












TEAM
MidNightANGELS


The fastest of YOKOHAMA, TOKYO-3
TEAM MidNightANGELS since 2014
Base Point : BAYLAGOON Wharf, YOKOHAMA
Warriors : Boy 3, Girl 2
Team Leader : Rei Ayanami
Ace Driver : Rei Ayanami
Second Driver : Kaworu Nagisa


走行会
BAYLAGOON short













 綾波先輩を先頭に、まずは1周流す。
 その後は、それぞれ思い思いのペースで走っていく。


 僕の周りで、みんなが走ってる。

 仲間がいる。そう思える。

 それだけでも嬉しい。
 僕はこうして走っている間が一番楽しい。
 Zで……走っている間が。

 それはどこか懐かしさのような……

 この強大な力のマシンが、どこか、僕に語りかけているような……
 そんな、感じを味わってる。



 Zはいつだって、自分の意志を持ってる。
 何にも惑わされない。
 惑わされないだけの、力を持ってる。

 自分ではどうしようもできない何か……そう、運命ってやつ。
 自分では変えることのできない流れ、運命を変えていけるのは一握りの人間だけだ。

 僕にその力があるとするなら……

 Z、僕は君と対等だ。





 横浜GP……勝つためのチャンスをつかむ。
 誰にでもできることじゃない。

 僕が本当に欲しかったのは…………自分の力で、流れを変えていく、そのためのチャンス。
 横浜GPがその足がかりになるのなら……
 僕は、走る。
 力を手に入れたい。Zの力じゃなく、僕自身の力を。





 ………横浜GrandPrix………

 ……MidNightANGELS、チーム代表決定戦……
 いつもの馴れ合いなんかとは違う。

 ……戦うんだ。

 勝つのは、たった1人。

 浮かび上がる誰かがいるなら、沈んでしまう誰かがいる。
 運命を操る神様がいるとしたなら……そいつが笑ってた。





 僕は走る……

 他の何のためでもなく、僕自身の気持ちに決着を付けるため……

 Z……僕は最後まで付き合うよ。
 君の伝説を造った……母さんの遺志を継いで。










 やがてみんなそれぞれに街に出ていき、最後に僕と綾波先輩が残った。
 再び、ベイラグーン埠頭に降りる。

「…………済まなかったわね。本社の方での決定がギリギリまで遅れて……
本来なら、もっと早くに伝えるべきだったわ」

「……綾波先輩…………」

 風を浴びるRS。
 月の光を浴びて蒼く輝くそのボディは、海面に映る街明かりと相まって幻想的な雰囲気を醸し出している。

「…………」

 なにも言わず、表情だけで僕を誘う。

 そっと、顔を埋める。
 綾波先輩は僕を優しく抱きすくめる。

 そのまま、暖め合うひとときを過ごす。

「先輩、今夜は……?」

「…………ごめんなさい、今夜は用事があるの。
悪いけど……また今度ね」

「……そう……」

 少し、寂しい。

 綾波先輩は言葉少なにRSに乗り込んだ。
 夜の街に消えていくRSを、僕はずっと見送っていた。

 今夜は……少し、肌寒い。










 第3新東京市北部、旧羽田エリア。
 海を見下ろして高級ホテルが建ち並んでいる。

 NERV本社から近いこともあり、重役クラスが接待等で使うことが多いようだ。

 エントランスには、いつもならBMWやメルセデスなどの高級外車が停まっているが……
 今日だけは、違う。

 午前0時を回った頃、ホテル「Gehirn」のエントランス前に、ぞくぞくと国産チューンドカーが乗り付けてきた。

 一番最初に来たのは、眩しいばかりの赤色を纏ったNSX。
 そのフロントウィンドウには「横須賀BlackKnights」のステッカー。
 横須賀BlackKnightsリーダーにして、NERV作戦部長、葛城ミサト。

「ぷぅ〜…………
……このへんももう……すっかり変わったわね。
湾岸が開通してからよね……このあたりが高級ホテル街になったのは。あたしも若かったわねぇ〜あの頃は……」


 その後に2台連れ立って、青いレガシィツーリングワゴンと紫のインプレッサ。
 ともに、NERVのステッカーを貼っている。
 NERV第1開発部長、赤木リツコ。MAGI CASPER社長にしてNERV最高技術顧問、赤木ナオコ。
 それぞれ、レガシィとインプレッサ。

「や〜ほ〜リツコ!ナオコさんも、お久しぶりです」

「相変わらずねミサト。聞こえてるわよ、今日も日向君に仕事を押しつけてきたんですって?」

「にゃはは、ばれちった?まあでも今日は特別な日なんだし。
でもリツコさあ、なんでまたレガシィなのよぉ?それもワゴンで。もちっとさあ、バシッと決まるクルマにしないの?」

「うちは代々スバル車なのよ。仕事でも使うから、荷物が積めた方が効率的だわ。
それに、最近のワゴンをなめてはダメよ。下手なスポーツカーに匹敵する性能を持っているわ」

「へーい、へい……」


 そして、渋い銀色のケンメリ・スカイラインGT-R。
 MAGI BALTHAZAR社長、冬月コウゾウ。

「「お久しぶりです、冬月先生」」

 葛城と赤木博士が挨拶する。
 冬月先生……僕が第2東京にいた頃住んでいたのが、冬月先生の家。
 僕も、「先生」と呼んでいる。

「やあ、葛城君も赤木君も久しぶりだね。どうだね調子の方は」

「はい、おかげさまで」

「ナオコ君の方も順調なようだね」

「ええ、すべて問題なく進んでおりますわ。
ところで、今日は六分儀会長とご一緒ではないのですか?」

 先生はそこでちょっと苦笑いし、後ろの道路を振り返った。

「奴は自分のクルマを持たんからな。
私だけ先に来させてもらったよ」

「そういえば、ユイさんが生きていた頃も、結局免許さえ取らずじまいでしたね」

「ああ、そうだったな。……どうやら来たようだな」

 黒いLIMOUSINEがゆっくりと入ってくる。
 数人の黒服にガードされて、サングラスに顎髭の、長身の男が降りてくる。
 NERV総帥にして、秘密結社「SEELE」に名を連ねる経済界の大物、六分儀ゲンドウ。

「六分儀会長、御苦労様です」

「うむ。……レイはまだ来ていないのか」

「ええ、今日はチームの走行会があるとのことです。終わり次第すぐに来るそうですが」


 やがて最後に、蒼いR30スカイラインRSがやってきた。
 MAGI MELCHIOR社長、そしてTEAM MidNightANGELSリーダー、綾波レイ。

 この6人はNERV創設当時からのメンバーで、毎年1度はこうして集まっている。
 年に一度のその日とは……

 そう、NERV創設メンバーの1人にしてD計画の発案者、碇ユイの命日。

 今日が、その日。





 しばらく近況など語り合ったりした後、6人は首都高へ上がった。
 向かったのは湾岸線下り、羽田トンネル手前の緩いカーブ。やや下り勾配のついた路面からは、空港で羽を休めるジェット旅客機の姿が望める。

 非常帯にクルマを停め、ある場所へ向かう。

 今はすっかり補修されてまったく見分けがつかなくなっているが、彼らにとっては忘れることのできない場所。
 塗り固められたコンクリートの向こうに、今でも生々しい傷跡を見る。


 皆がただ沈黙し、じっと立ちつくしている中……先生が、ゆっくりと口を開いた。

「ユイ君…………我々は今年も、こうして集まることができたよ……
皆、それぞれの生活に追われながら……それでも、走りという夢を追い続けてきた…………」

 普段は軽いノリの葛城も、この時ばかりはじっと黙っている。

「思えば壮絶な時代だった…………
いつ死ぬかも分からない、荒んだ走りの世界の中で……

我々は新たな時代を造ろうと、大きな志を抱いていた…………」

 後ろの方で、視線を地に落としているゲンドウ。
 サングラスでその表情は読みとれないが、きっと……愛する者と過ごした過去の日々に、思いを馳せていることだろう。

「Diablo完成間近の時だった……君と、キョウコ君が相次いでその若い命を散らし…………
最後まで……走りに賭けた人生だったな……ユイ君、君は…………

……次は自分の番だと、誰もがそう思いながら……結局みんな生き残ったよ。

我々は……その命に代えてでも、君たちの遺した思いを遂げなければならん……
今日は、それを確かめ合う日だ」

 祈りを捧げる…………

 みんな、それぞれの思いを込めて。
 最速の彼方に散った仲間への……

 どうしようもない憧れと、堪えきれないやりきれなさを胸に…………


 僕たちは、走り続ける。










 ベイラグーンで綾波先輩と別れた後、僕は本牧埠頭へ向かった。

 惣流のことが気になったからだ……
 こないだ環状を一緒に走ってから、僕はあのFDの速さを忘れられなかった。

 自然と、求めている。

 500馬力オーバーというハイチューンのエンジンは、何かトラブルを起こしていないだろうか?
 僕はエンジン本体には触れていないが、いちおう綾波先輩を手伝ってあのFDの製作に関わっている。
 FDを、自分の目で見て安心したかった。





 本牧方面へ向かう道を走っていると、後ろから派手なクルマが数台近づいてきた。

 見ればすぐに分かる。石川ケイスケのインテグラだ。
 オレンジ色のネオンをつけたインテグラは彼ぐらいだろう。

 さらに石川弟のシビックと、それからダークブルーのMR2。
 どのクルマもLAスタイルのボディステッカーを貼っている。


 NRの中だけでなく、第3新東京市全体でもひときわ浮いた存在だ、こいつらは。





 埠頭には惣流の姿はなかった。
 どこかへ走りに行ったのだろうか……停まっている台数が少ないことを考えると、ちょうどみんなで出ていったところなんだろう。

 僕がZを広場の中に停めると、石川たちは僕を囲むようにクルマを並べて停めた。

「碇……のこのこやってきやがって!」

 石川弟が精一杯の睨みをきかせて吐き捨てる。
 その必死な表情とは反対に、ケイスケはどこか超然とした感じだ。

「鈴原の野郎はいつも言ってたぜ……マジ、でっけえ声でなあ。
『わしらにはわしらなりのやり方があるよな!走ろうやないか!
それでみんな解決や!!』
…………って、なあ」

「……ショータイム……オレたちなりのやり方だ」

 トーンを下げた声で石川弟が言う。

「ショータイム……?」

 どこか不敵な響き。
 バトルを、なにかの見せ物のように言ってるってことだ。

 自分たちが勝つところを見せつける……

 ……宣伝効果……噂の力、ってやつさ…………

「そうさ……バトルってなあ、最高のショータイムだぜ。
いいか?1週間だ。1週間以内に必ず、惣流のFDを撃墜(オト)す。
オレたちがNightRACERSを生まれ変わらせるんだ!」

 その言葉にはさすがの僕もぴくっと来た。
 自分が関わったクルマのことだ…………少なからず思い入れはある。

 惣流だって石川たちの動きは知ってる……そのつもりでいるだろう。

 惣流の腕を疑うわけじゃないけど……正直、心配だ。
 石川ケイスケ……こいつはなにをしでかすか分からない。まともな手段で来るともとうてい思えない。
 最悪の事態も……想定しておかなければならないかもしれない。

「お前も同じだぜ、碇……」

 含み笑いを漏らすケイスケ。
 石川弟もそれにならってにやけだす。

「忘れたとは言わせねーぞぉ?お前は目の前で見てたんだからな……」

「なんのことだよ…………」

「ハッ!ここに来てしらを切るつもりか、傑作だな!
やったのはてめえだろうが!!」

「鈴原が事故ったのはな!」

「お前も同じ穴のムジナなんだよ」

「くくく……どうした?また逃げんのか?綾波んトコに……」

 いっきにまくし立てる石川兄弟。

 だが最後に、奴らは僕にとっての禁句を言った。

「!!!」

 一瞬で血液が沸騰する。
 思考は即座に排除命令を下す。

 身体全体が、戦闘態勢をとる。

「っ!!」

 全身の力が拳に集中する。
 狂おしい衝撃が骨を揺らす。
 空気は血の匂いに染まる。

 ……何年ぶりだろうか、この感覚は。

「ぐっ……てめえ!」

 敵は3人、こっちは僕ひとり。まともに戦って勝ち目はない。
 とにかく捕まえられないようにする。

 地平が揺らいで、視界は流れて、それでも意識は途絶えない。

 とめどない闘争本能を、意識はただ静かに見つめてる。
 僕は、僕を見てる。
 見えるんだ。瞬間先の世界が。

 欠落した感情の代わりに、別の何かが、僕の中に「ある」。

「ざけんじゃねぇ……うっ!!」

 突然ハイビームが僕らを照らした。
 光束をモロにくらったケイスケがひるむ。

 あの青いハロゲンランプは……まさか!?

「渚さん!?」

「シンジ君今だ!早くZに!!」

 この隙に石川に決定打を打ち込むことを僕は考えたが、冷静に考えてみればここは逃げるが勝ちだ。
 敵を倒すことより……まずは自分が生き残ることを考えなければならない。

「ぐぁっ……待ちやがれこのっ!」

 素早く発進する。この位置では前が塞がれてる。
 いったんバックしてアクセルターンで加速。石川たちの包囲を脱出する。

 渚さんのFCの後について本牧埠頭から離れる。
 バックミラーに注意を払うが、彼らが追ってくる気配はない。

 僕たちはそのままMILAGEに向かった。










 念のため裏手のガレージにZとFCを隠し、僕と渚さんはMILAGEの店内に入った。

「危ないところだったね。石川君たちが君を追っていくところを見たからもしや、と思ったんだけど、まったく焦らされたよ」

「……ごめん」

 確かに軽率だった。適当に受け流してさっさと退散してればよかったが……
 ……だけど、僕は……

「……彼らは何を話したんだい?」

「…………あいつらは……惣流を倒すつもりだ……
自分たちが、NRを支配するために…………」

「なるほど……それは確かに重大だね。
シンジ君、これはNRだけじゃなく、僕たちにも関わってくる問題だよ」

「ああ……そうだね…………」

 NightRACERS本牧。チームの規模、歴史からいっても、名実ともに第3新東京市最大のチーム。
 今でこそ、リーダー惣流のもと「走り屋」的なチームになっているが、元々は暴走族上がりのチームだ。
 石川のような厄介者、揉め事の種は常に抱えてきた。

 石川によるNRの支配……それだけはなんとしても避けなければいけない。
 ナンバー2の鈴原が戦線を離脱している今、惣流の指導力にすべてがかかっているといっても過言ではない。


 石川ケイスケ…………奴を初めて見たときから、薄々と感じてはいた。

 いつかは、倒さなければならない相手。敵。
 そういう存在が、いるってこと。

 生きていく上で避けては通れない戦い……

 この街、第3新東京市に生きるならそれは、STREET BATTLE。


「僕からも惣流君には言ってみるよ。
石川君のことに関しては彼らも重々承知しているだろうからね。
……そうだ、いちおう綾波サンにも言っておいてくれるかい。もしNRが石川派と惣流派に分裂するような事態になれば、僕たちMNAも当然巻き込まれるだろうからね」

「…………分かってる……今日もそのつもりで行ったんだけど……ね」

 逆に相手の術中にはまってしまった。
 僕には……経験、それがなさ過ぎる。
 STREETでの戦いを生き抜いていく、修羅場をくぐる、その経験が。

「シンジ君、君の気持ちは分かるけど、ここは僕たちに任せてくれないか。
横浜GPも近いんだ。あまり大事になるとまずいからね」

「ああ…………」

 ともかく……今は、気を抜けない。
 STREETにいる限り……いつでも彼らを迎え撃てるようにしておかなければならない。

 僕だけじゃない……僕の周りにいるみんなも、互いを守れるように…………










 数日後のある昼下がり、NERV本社ビル。

 この日、NightRACERS本牧リーダーである惣流は、NERV総帥六分儀ゲンドウのもとに出頭していた。
 走り屋チームのリーダーという以外は、一医大生にすぎないはずの惣流だが……
 おそらく、横浜GPに関することなんだろうか。


 綾波先輩に連れられて、執務室へ入る惣流。
 中ではゲンドウと、冬月先生が待っていた。

「失礼します」

 さすがの惣流もちょっと緊張しているようだ。

 冬月先生がまず声をかける。

「ああ、君が惣流アスカ・ラングレー君だね。なに、そんなに畏まることはないよ。楽にしたまえ」

 綾波先輩に促され、それぞれ席に着く。
 窓の外から注ぐ淡い光を背に浴び、ゲンドウの表情は見えない。

「さて六分儀。まずどこから話したものかね?」

「ああ……」

 ゲンドウも少し迷っているのだろうか。
 かつての仲間、その娘。
 深い因縁を持ちながら、しかし真実を知らない。

 いきなりすべてを明かすわけにはいかない…………

 そして、惣流は果たして自分たちのやろうとしていることを理解してくれるのか…………

「そうだな……まずは、来るべき横浜GrandPrixについて話そう…………」

「…………」

 惣流は真剣な重い眼差しでゲンドウの話に耳を傾ける。

「WON-TEC社は知っているな?」

「……はい。バイオケミカル方面で最先端を行く工業系大企業……
最近では、モータースポーツにも力を入れていますね」

「そうだ……。そして横浜GP、これはすなわちWON-TECと、我々NERVとの戦いなのだ……」

 綾波先輩が惣流の表情を伺う。
 惣流が秘める想い……それは、かつてNERVの戦士として活躍した母親のこと…………

「『Diablo-TUNE』……」

「…………!」

「WON-TECが狙っているのはそれだ。我々NERVだけがその技術を持つ…………
君の母親が遺した、大いなる遺産だ」

「ママの…………」

 惣流の瞳が震える。

 冬月先生はゲンドウに歩み寄り、惣流の方にちらと目をやってから言った。

「……六分儀、ここから先は機密事項に触れるおそれがある。本当にいいのか?」

「…………いずれ……話さねばならぬことだ……ならば今しかない」

「しかしだな……アスカ君の意志もあるだろう?」

「…………いえ、構いません。
私は真実から逃げる気はありません。ママが何を思い、何をやろうとしていたのか……
私には知る権利と、義務があると思います」

 ぐっと、拳に力を込めて。
 惣流は決意した。横浜GPで戦うこと、そしてその影で繰り広げられるもう一つの戦いに、自ら身を投じることを。

 綾波先輩はそんな惣流を、じっと見守っていた。

 惣流の言葉をしっかりと聞き届けた後、ゲンドウは再び話しだした。

「『Diablo』……それは単なるクルマのチューニング技術ではない。
実際は……それを操る、人間の側のチューニングといった方が適切か……
詳しいことは、まだ明かせないが……それ故に、Diablo-TUNEは誰もが扱えるものではなくなった。
開発初期、その問題に取り組んでいたとき……我々は、Diablo-TUNEに対して優れた適応を見せる人間がいることを発見した」

「……それが、『Driver』……私たちNERVが持つ調査組織、マルドゥック機関によって選出された『Diablo適格者』……」

 綾波先輩が言葉を繋ぐ。

「現在、Driverとして登録されているのは3人だけだ。レイと……同じチームの碇シンジ……
そして……アスカ君、君だ」

「私が……Driver……」

 さすがの惣流も戸惑いを隠せない。
 自分が何か特別な……他の人間と違う、そういう能力があると告げられた。

 そしてそれは、走り屋としての力にも直結する要素。

「君のパーソナルデータは惣流博士から提供を受け……勝手ながら、調べさせてもらっていた。
…………我々からの願い……これは惣流博士の願いでもある……それは、これからもDiabloマシンに乗り続け、戦い続けてほしいということだ……」

「……戦い続け……その先には、何があるのでしょうか……?」

 おそるおそる問う。

「…………Diabloは、未だ完成していない……。
君たちDriverが走り続けることで、我々人間の……秘められた力を解放する、その鍵を見つけられる……
……それがD-projectだ……」

「ユイ君、キョウコ君は次の世代である君たちに望みを託した。
勝手な願いであるのは十分承知している。……どうか、我々のために……いや、君たち自身のために、横浜GPを戦ってほしい」

 冬月先生も、重ねて惣流に申し入れる。

「……あらためて……言われるまでもありません。
私は戦います。私は既に……受け継いでいます。ママが遺した魂を積んだ……あのRX-7を。
それに応えるためにも……WON-TECには、絶対負けません」



 NERV本社ビル、厳重に守られた地下駐車場にたたずむ惣流のFD…………

 その瞳に映るのは黄泉の世界か、あるいは修羅の道か。










 同じ頃、渚さんはMAGIにFCを持ってきていた。
 いよいよ、FCのチューンを開始するというのだろうか。

「やあシンジ君。綾波サンはいるかい?」

「いや……今日は本社の方で会議があるとかでいないけど」

「そうかい……まあいい。今日はFCのチューンに使うパーツを注文に来たんだ。
頼めるかな?」

「ああ……いいけど。
……って、パーツだけなの?」

 渚さんは苦笑を浮かべ、頭をかきながら言った。

「いやなに、僕もそれほど資金に余裕があるわけじゃないからね。なるたけ自分でやるようにしたいのさ。
自分の手間はタダだからね」

「そう……大変なんだね」

「まあね。ほとんどの走り屋は大なり小なり似たような状態だと思うよ。
現実問題として、金さえかければ簡単に速いクルマが作れる時代だからね、今は」

「そう……だね…………」

 ベースとなる車両を安く買ってきて、限られた資金の中でこつこつとチューニングしていく。
 大多数の人間はそういう道を進む。

 僕のようにいきなりフルチューンのクルマに乗れたり……惣流のように、豊富な資金を使える者というのはごく少ない、言ってみれば特殊な人種だ。

 渚さんは違う……努力でここまで来たんだ。
 マシンの差を腕で跳ね返し……第3新東京のトップクラスで戦えるまでに、這い上がってきたんだ。

「………………」

「なあに、気にすることはないさ。たとえどんなクルマであろうとそれが自分のものなら、誇りを持たなければいけないよ」

 どういう経緯があろうとも……そのクルマに乗る以上、半端な気持ちは持てない。

「さて立ち話もなんだし、中に入ろうか。……カタログを見せてもらっていいかな?」

「ああ、いいよ」

 渚さんのFCを手掛ける……
 限られた予算でいかに効率よく仕上げるか、そのための適切なパーツチョイス……

 そんな相談に乗るのも、ショップの大切な仕事だ。

 4時過ぎ頃には綾波先輩に連絡がつくだろうか。
 その時あらためて、先輩の指示を仰ぐことにしよう…………










 本牧埠頭。
 今夜も、石川ケイスケ以下NRの過激派が集まっていた。

 話し合っている内容はもちろん、惣流FD撃墜作戦の打ち合わせだ…………

「惣流の奴はいつも、横浜駅方面からR16を下ってくる。そん時を狙うんだ」

 石川が各メンバーの班分けをする。

「いいか?3台体制でいくぞ。1台に2人を一組にする。
まずオレとシンスケがインテ、シビックには中沢と阿賀野。んでシルエイティには城嶋、オメーら兄弟な。
それぞれ所定のポイントで待ち伏せ、FDを前後から挟み撃ちだ。仮に白兵戦になってもこっちは6人、さしもの惣流といえども怖くはねえ。
連絡には携帯を使う。電源は絶対に切るなよ」

 石川の号令一発、撃墜作戦に選ばれた3台が出撃する。

 先頭は石川のインテグラ、そして僚機にはシルバーのシビックタイプRとブラックの14シルエイティ。
 もちろんバトルだけを想定しているわけじゃない。
 3台のトランクには……木刀や、鉄パイプも積まれている。










 深夜0時。
 一般車の流れはほとんどなくなり、走っているのはトラック等だけになった。

 そんな中で、3台のチューンドカーが第3新東京市を回遊している。

 獲物を探すように…………

「ちっくしょーめ……いつもだったら出てきてもおかしくねえ時間なのによ。
これで2週間だぜ?惣流が来なくなって。アイツももう終わりだぁな?」

 黒のシルエイティを駆る城嶋が苛立ちげに吐き捨てる。

『気ィ抜くなよ城嶋。奴が現れたらオレがまず追う。お前たちは奴が逃げられねえように上手く誘い込むんだ』

「分かってーよ!」

 一方こちらは中沢のシビックR。彼は赤レンガ倉庫周辺を流している。

「感づかれたかな?」

「いやそれはねえだろ。それに知っていたとしても、奴は逃げるようなタマじゃねえ。
出てきたが最後、オレたちの仕掛けた罠はもうお前を捕らえてるのさ……」

 とその時、シビックRのバックミラーに鋭い光線が差し込んだ。

「ん……?」

 街のノイズをもかき消して聞こえてくる甲高いエキゾーストノート、それは紛れもないチューンド・ロータリーの音。
 圧倒的なオーラをもってシビックRに迫る、そのクルマは!!

「ッ……!!そ、惣流……っ!!」

 軽くシビックRをパスするFD。
 中沢は吸い寄せられるようにアクセルを踏み込んでいた。
 2人ともがFDの、惣流の放つオーラに言葉を失っていた。

 シビックRのナビシートに座る阿賀野ははっと我に返ると、石川に連絡を取るべく携帯のキーを押した。


『こちらシビックッ……赤レンガ倉庫前で惣流FDと遭遇!これより追撃に移る……!!』

「インテ了解ッ!見失うなよ!…………アニキッ!!」

 石川弟が慌てた表情でケイスケを見る。

「ケッ……生意気なコトしてくれんじゃねえか。
上等だ……山下通りで待ち伏せだ!城嶋にも伝えろ!」

「わ、分かった」

 城嶋のシルエイティ。既に本牧産業道路に展開を終え、後はFDがやってくるのを待つだけだ。

『こちらシルエイティ、新山下ICにて待機、いつでもいけるぜ!』

「っしゃぁ!ヤツを脇道に逃がすな、前に出てブロックするぞ!」

 FDに追いすがるシビックR。だが圧倒的な性能差の前に離され気味だ。
 中沢の視界に、前方で待つインテグラの姿が飛びこんでくる。

「来たぜっアニキ!」

「惣流……これでてめえも終わりだ……!!」

 石川がインテのステアリングに素早い一振りをくれる。
 ブロック、というよりは明らかにボディをかぶせてくる。

 相対速度は60km/h以上か。

 回避する素振りを見せないFDに、石川弟がうわずった声を上げる。

「うっ!?や、やべえアニキ、もっと加速できねえか……!」

 後方の中沢も焦っている。

「くっそぉ……パワーが違いすぎる!これ以上はこっちがもたねえ!」

 進路を塞ぐように横っ腹を見せるインテ、まったく減速することなく突っ込んでいくFD。
 後方のシビックRはFDを追うだけで精一杯だ。


 FDに対し、真横からブツけにいく石川のインテグラ。

「うおおっ!!」

 間髪入れずに切り返すFD。
 インテとの距離はわずか、数cm。
 インテは追いきれずに姿勢を乱す。

「クソがぁーーーっ!!」

 急激な操舵にインテのリアタイヤが限界を超えいっきにブレーク、ハーフスピンに陥る。
 FDは並走するインテのスピンにもまったく動じることなく脇をすり抜けていく。

「ドアホッ……!!」

 インテをよけようとしたシビックRもコントロール不能に。
 道路の真ん中で2台はヒット、ガラスの破片を飛び散らせる。





 惣流は振り返ることもなく、道の先だけを見つめている。











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