…………僕は夢を見てた…………


 僕は炎の中にいた。
 そして走ってた…………裸足で、ボロボロの服で。

 どこを目指して走っているのか……何故走っているのか分からない。

 炎は僕に容赦なく襲いかかってくる……

 紅蓮の奔流に、僕の身体は幾度となく焼かれ……それでも、熱さもなにも感じない。


 出口はない。
 道もない。

 そこがなんなのかさえ分からない。

 混沌の中…………


 僕は願ってた……

 朝なんて来なければいい……
 現実は夢で、夢は永遠で…………

 醒めた朝なんかに戻りたくない…………


 そんなことを……願ってたんだ…………











新世紀最速伝説
The Fastest Legend of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第7話 人の造りしもの












 目覚めるのが嫌だった。
 醒めてしまうのが嫌だった。

 このままずっと……不確かなまどろみに沈んでいたい。


「碇くん…………泣いてるの?」


 僕の感情…………

 自分でもぼんやりとしかつかめない。
 この想いが感情と呼べるのなら僕は……
 胸の奥がちぎれそうな痛みを…………

 どうしようもできない想い……ぶつけられるとしたらただひとり…………


「…………綾波先輩…………」


 朝がやってきた。

 変わることのない日常の世界…………
 そうさ……この街の大多数の人間にとってそうであるように……

 ちっぽけな僕らのことなんて……

 ……とるに足らない人間のことなんて、誰も覚えちゃいないのさ…………





 眠気覚ましのシャワーを浴びながら考える。

 もしあの時、僕が引いていれば?
 鈴原は無謀な突っ込みをせず、事故ることもなかったかもしれない。

 でも僕は、あの時…………


 『Diablo-Zetaを追って事故った走り屋は数知れない』

 こういうことなんだろうか。
 限界を超えたSPEEDに囚われて……自分を見失って……
 そして最後には命を奪われる…………

 悪魔のような速さ『Diablo』……

 NERVがどんな由来からこの名前をつけたのかは知らないけど…………
 僕たち走り屋にとって、それはまさしく悪魔……悪魔のZ……

 ……Diablo-Zetaなんだ…………


 Z……僕のZ。

 このマンションのエントランスで……僕を待っている。
 早く走らせてくれと…………僕の帰りを待っている。

 最高に妖艶な魔力をもって……


 僕を最速の彼方へと誘う…………





「朝ご飯は食べていかないの?」

「うん……そこらで適当なもの買うよ」

 それが、朝の別れの会話。
 装飾が施された頑丈そうなドアが、重い音をたてて閉められる。

 僕は廊下から外を見下ろす。
 紫色のZが、石畳の道路の上に停まっている。
 環境に溶け込まない……果てしなく強烈な存在感を放っている。

 僕はZのもとへ急ぐ。


「…………結局、僕は」

 縋るしかないのか。
 Zに。綾波先輩に。

 深い闇に引きずり込まれる……

 いや、それは僕自身。
 僕自身が、自らを殻の中に閉じこめようとしている。
 それが闇のヴィジョンとなって、僕を襲う……

 聞こえてきた声は……

 僕の葛藤。


 そうさ…………
 僕は……見ていたんだ。

 昨夜の夢が思い出される。

 瞼の裏に焼き付いて離れない……あの紅い炎の渦……

 やがてその向こうに見えてくる鉄のかたまり…………
 焼けこげて……もはや原形をとどめていない……
 心臓を砕かれ……どす黒い血を垂れ流している……

 黒いシルビアの姿…………

 そして……

 壊れた人形のように動かない鈴原の姿……





 僕がやったのか!!


『そうさ』


 僕がこんなにしちゃったのか!!


『そう、オマエがやったんだ』


 違う!僕じゃない!!


『見てたんだろ?』


 僕じゃない!僕のせいじゃないんだ!!





「碇くん。覚えておいて……これが、STREETを走るってことなのよ……」

 昨夜……綾波先輩は僕に言った。
 STREETを走り……最速を求めるなら、避けては通れない道…………
 ある種の通過儀礼のようなもの。
 それを克服できなければ……いずれ、潰れ墜ちていく。

 僕は本当に……僕の意思を、たしかに持っているのだろうか……?

 Zに導かれて……
 僕はどこへ行こうとしているのだろうか……?


 知りたい。

 少なくともそれが、これから走り続けていく理由にはなる。
 Zが求めているもの……それがなんなのか、僕は知りたい。

 走り続けることでそれが分かるのなら……










 NERV本社ビル、六分儀ゲンドウの執務室。
 幾重もの厳重なセキュリティに守られているそこは、太陽の光さえ届かない闇の中の城。

 そこに、人間の存在を許す余地はない。


「……また、君に借りが出来たな」

『返すつもりもないんでしょう?連中が情報公開法を盾に迫っていた資料だけど、ダミーを混ぜてあしらっておいたわ。
……仮に気づいたとしても、解析には1年以上かかるでしょうね。その時にはもう、こちらのシナリオは完成』

 ゲンドウが独自回線の電話で連絡を取っている……相手は誰だろう?

『……では、シナリオ通りに』

 それで通信は終了。
 重大な情報を、ハッキングの危険があるネットワーク上でやりとりするわけにはいかない。
 このあたりは、世紀が替わった現在でもいまだにアナログで行われている。

「日本政府の介入もあからさまになってきた……
WON-TECも所詮は傀儡にすぎないということか…………」

 気配というものが存在しないこの部屋で、ゲンドウは独白した。
 サングラスに隠されたその瞳には、感情というものが感じ取れない。


 ところで……政府から干渉を受けるとは、NERVはいったいどういう存在なんだろう……?
 ただの一企業ではない?
 だとしたら、それは政府にとってどういう意味を持つものなんだろうか?

 僕には分からない。
 ……とても理解の及ばない範囲だ。


 だけど……

 それは僕にとって、無視できない存在だった。
 今の時点では、まだ気づいていなかったけれど。










 いつものように朝8時に出勤してきた僕だが……
 何かいつもと違う感じがする。

 ……無理もないか。
 昨日、あんな大事故があったんだ。
 走り屋として、同じクルマ好きとして、他人事ではない。

 一歩間違えれば、自分もああなってしまう。

 普通の人間が持てるモノの中では、もっとも強大な力を持ったモノ。
 1トンを越える質量のマシン……その力にかかれば、人間など簡単に壊れてしまう。



 改めて、自分たちが走らせているものの恐ろしさを認識する。

 そして、自分たちが作っているものの力を。





「ねえ……シンジ君。ちょっと話があるんだけど、いい?」

 開店の準備をしていた僕に、霧島が声をかけてきた。
 他の従業員たちに気取られないように、霧島は僕を洗面所まで連れて行った。

「なんだよ?話って……」

「正直に答えて。昨夜……あの後どこに行ってたの?」

 昨夜?交流戦に行って……そして鈴原が事故って……
 鈴原が病院に搬送された後、交流戦は中止になって……
 そこで解散したんだったな……

「昨夜帰ってこなかったじゃない……どこに行ってたの!?」

 小声だが、口調に怒気がこもっている。

「……いつも通りだよ。湾岸を一往復してきた……」

 それは嘘じゃない。
 高ぶった気持ちをどうすることも出来なかった僕は、ベイラグーンをコースアウトしたその足で高速に乗り、湾岸を往復80km、全開で突っ走った。
 無論それでも、気持ちが収まるワケじゃない。
 接触寸前のすり抜けを何度も繰り返し……
 それでも、破片を飛び散らせながら転がるS14の姿が焼き付いて離れない。

「嘘!正直に答えてって言ってるでしょ!」

 霧島の頬が紅潮している。僕は何と答えていいのか困ってしまった。
 僕にとって変わったことはない……何かあるのか?霧島の気に障ることが……

 見つめ合う。

 おそらく僕は困惑した表情を浮かべていたことだろう。
 ふいに霧島の表情が緩む。

「……ごめん、私どうかしてたわ。
やっぱ……昨日のショック、抜けてないな」

「…………それが普通だろ。気にならない方が異常だよ」

「異常……ね。シンジ君はどうなの?『いつも通り』?」

 やっぱり怒ってるみたいだ。どうしたんだ、本当に……?

「僕……?分からない……
……どうして、そういうこと聞くんだ?」

「……分かるでしょ?1人だけじゃ抱えきれない気持ち……誰かに話せば、楽になるわよ」

 なんだかんだいって構って欲しいってことか?

「必要ないよ」

「……なに?私じゃイヤだっていうの?」

 誰もそんなこと言ってない。

「そうね……シンジ君には綾波さんがいるものね」

「…………何だって?」

「私より綾波さんのほうがいいんだ……」

「霧島、いったい何を言っているんだ……?」

「………………」


 それきり答えることはなかった。
 仕事の合間の休憩時間にも、言葉を交わすことはない。
 すれ違った気持ち……

 僕は……何を求める?

 僕に出来るのは……
 今夜も、いつものようにZで、STREETを走ることだけ…………










 ひととおり市内を回った後、Johnny'sに立ち寄る。
 昨日霧島に連れられて、初めて来た店だけど……
 どことなく西洋風で、のどかな感じが僕の好みにぴったりだ。

 窓際の席に着き、アイスコーヒーを注文する。

「ん?君は……」

「こんばんわ、碇クン。今日は彼女一緒じゃないの?」

「別にそんなんじゃないんだけど……」

 ふと見渡してみれば、今夜は客の入りが少ない。
 ここにも昨日の影響が……
 洞木の表情にも、どことなく元気がない。

 たった1人の人間がいないだけでここまで変わってしまうのか……

 それだけ、それに縋る人間が多いってことだ。

 夢……希望……明るく、しかしどこか儚げな言葉。
 夢見る誰もが、自分自身を重ねてる。
 いつかあんなふうになりたい……
 栄光とか名声とか、そんな俗物的なものではなく。

 力にあこがれて……

『わしらはなあ、速くなりてえ、それだけで走っとる。速い奴はチームなんて関係なしで格好ええもんやないか』

 鈴原の言葉だ。

『自分より速い奴にあこがれて、いつかなあ、そいつより速くなれればそれでええ。
負けたら負けたで、ガキの喧嘩みたいに笑いあってなあ。
……恨み言なし。忘れちまえばええんや。わしらにゃ、走りっきゃないんやからな!』

 そうさ……走るのは、簡単なことだって思ってたよね…………


「鈴原クン……あんなことになるなんて……
私が変にけしかけちゃったからかな……」

「…………君のせいじゃ、ないよ」

 僕は冷たいコーヒーを一口、飲んだ。
 舌に広がる苦みが、心の苦みを打ち消す。

「そうかな……
……でもね、やっぱり気になるわ……」

 洞木は大きく伸びをすると、不自然に大きな声で吐露した。

「あ〜あ!あのウルサイやつの声を聞かないと張り合いがないわ。
あのさ、碇クン……もし病院に行くんだったら伝えといてくれる?
1週間で退院できたらデートしてあげるって」

「1週間は厳しいと思うよ……」

 率直に。
 特に足の怪我がひどかった様子だ。少なくとも1ヶ月はかかりそうな感じだった。
 洞木に他意はないだろう。景気をつけるつもりで言ったんだろうが……

 彼女は気まずそうな表情で、床に視線を落としていた。

「見舞いに行ってやれば……?きっと喜ぶと思うよ……」

「……で、でも……
……やっぱ、恥ずかしいよ……」

 赤くなる洞木。

 ……どうしたんだろう?僕がこんなに他人に気を遣うなんて。
 自分で言うのも変だが、ちょっと前までだったら考えられなかったことだ。
 こっちに来てから、変わってきてる……
 それは一般的には、良い変化らしい。

 誰かの影響か……それとも、僕自身の心境の変化か…………

 そんなことは、今はどうでもいい。
 鈴原の事故にとらわれていることに、変わりはないから…………





 Johnny'sを出た僕は、ビルの谷間に見える空を仰いだ。
 星はうっすらと輝いている。

「Johnny'sの洞木……無料の笑顔も、今夜はオーダーストップさ……」

 道路を流れていくクルマたち。
 それはいつもと変わらないはず光景なのに、どこか……寂しさを感じさせる。

「店の雰囲気が暗いのは照明のせいじゃない。
笑顔の値打ちも……それなりにあるってことか…………」

 僕はZに乗り込むと、シートに背を預けてしばらく思いに耽る。

 鈴原……あいつは今、どうしているのだろうか…………
 病院のベッドで……同じ空を見上げているのだろうか…………


 流れ星が舞う。
 思い出すのは……Star Fall Night……
 第2東京にいた頃、よく聴いていた曲だ…………

 たまに、こっちのFMでもかかることがある。
 最近の流行り……J-POPなんて、僕にはさっぱり分からないけど……
 洋楽は、わりとよく聴く。
 いつだって飽きのこない……SoulfullなMusicさ……

「The world is easy……If a wish fulfilled only by praying to a star……
It will be look from your room, too……
The starlit sky where much wish disappear…………」

 今の僕たちに重ねるように……口ずさんでみる。

 星に祈るのは、願いを叶えるためなんかじゃない。
 未来を切り開くことを……誓うためだ。

「行ってみるか……」

 鈴原が入院している横浜国際病院へ向け、僕はZを走らせる。










 最後の面会時間が過ぎようとしている横浜国際病院には、僕と同じことを思っていた者が1人……先に来ていたようだ。

 病院の駐車場には不似合いな赤いRX-7……NRの惣流だ。
 僕はFDの隣にZを停め、ロビーへ向かって歩き出した。

 と、入り口付近に人影。


「出てけ!二度と顔を見せるんじゃない!!」

 いきなりそんな怒鳴り声が聞こえてきて、僕は思わず身震いした。

「暴走族なんぞに引き込みおって……お前たちのせいだ!お前たちが息子をあんな姿にしたんだ!!」

 何事かと見ていると、病院内に入ろうとしている若い女が、中年の男に追い返されているところだった。
 男の方は病院の関係者じゃなさそうだ……ってことは、入院患者の家族か……
 女の方は……あれ、あの金髪……

「惣流か……?」

「……ああ、シンジ……アンタなの……」

 逃げ出すように外に出てきた惣流は、僕の姿を見つけると力無く答えた。

「あの男は?いったい何があったんだ?」

 惣流はちらっと後ろに注意を配ると、僕に駐車場に戻るように促した。
 それで大体の事情を察した僕は、黙ってそれに従った。





 じっと、無言のまま。

 惣流はFDのボンネットに腰掛け、上着のポケットから煙草を取り出して火をつけた。
 一息、深く吸う。

「…………鈴原をチームに誘ったのはアタシなのよ……」

 吐き出された煙が、風に吹かれて消えていく。

「さっきの男は鈴原の親父。面会謝絶ってわけじゃあないんだけど、ね……
……結局病室には入れずじまいよ。……ま、追い出されて当然よね…………」

「…………」

 そこまで言うと、惣流は病室の窓を見上げた。
 あの部屋に鈴原がいるのか。

「……鈴原の具合はどうなんだ?」

「頭を打ってるけど、これは特に問題ないわ。CTでも異常はなかったし……
ただ、足がね……左の膝にヒビが入ってる。神経がちょっと傷ついたみたいで…………
運が悪ければ、後遺症が残るかもしれない」

「足の後遺症って……」

「……そうよ。もしかしたら…………たとえ骨が治っても、もう走れないかもしれない…………
……当然、日常生活にも支障がでるでしょうね。ただこっちはリハビリ次第でかなりのとこまでイケるけど……」

「クルマの運転は、そうもいかないってことか」

「……そうね」

 命に別状はない……そのことが、僕の不安を少しだけ消してくれた。
 だがそれでも、鈴原の負ったケガが軽いものではないことに変わりはない。

 ヘタをすれば一生残る傷を……負わせてしまった。

 僕は…………

「……アンタのせいじゃないわよ。それはアイツがいちばんよく分かってる」

「ああ……」

 惣流の慰めも、今の僕には効き目がない。

「……ところで、S14は……?」

「S14?ああ……一応、アイツが世話んなってる板金屋に引き取ってもらってるわ。
まだ、解体はされてないはずだけど……見に行く?」

「……そうするよ……」

 見に行って何かが解決するワケじゃない。
 ただ……このまま、目を背けているわけにはいかない。
 そう思ったんだ……

 そしてできることなら、鈴原がS14に託した……その思いを、僕が受け継いでやりたい……
 傲慢かもしれないけど、でも、なにもしないよりはいいかもしれない。

 そう、思ったんだ…………










 その板金屋は、本牧ICのそばにある「BODYSHOP MURAOKA」という工場だった。
 もともと「村丘板金」って名前だったらしいけど、ベイラグーンが走り屋のスポットとして発展し始めてからリニューアルしたそうだ。
 ボディ修理、塗装・板金の他、簡単なパーツ取り付けもやってくれるらしい。
 工場長の村丘さんは、本拠地が近いNRのメンバーたちからは「村丘のおやっさん」と呼ばれ親しまれているそうだ。

 作業場の隅に安置されたS14……
 もう、動くこともない。
 サイドシルが折れ、ルーフも潰れてしまっている。フレームのダメージは大きく、再起は不可能だろう。

「アスカちゃんかい?」

 奥の方からひょっこりと顔を出した禿頭の男……いかにも町工場の親父といった風体のこの中年男が、BODYSHOP MURAOKA社長の村丘ダイゴさんだ。

「そっちは見ない顔だけど、新入りか?」

「ああ、こいつはMNAのメンバーで碇シンジ。昨日の……鈴原のバトル相手よ」

「……ほお、レイちゃんとこの……噂は聞いてるよ。なかなか速いそうじゃないか」

 おそらく頑固親父であろう村丘さんの……柔和な表情を僕は見る。
 彼ぐらいの年齢の人にしてみれば、僕たちは息子、娘みたいなもんだろうから……
 ずっと昔から、走りに賭ける若者たちの姿を見てきただろうから…………

「S14を……ちょっと見せてくれないかしら。
……アイツの代わりに……お別れだけはしといてあげたいから…………」

「ああ、いいぜ……
……こんな姿になっちまったけど、トウジ君のシルビアはずっと、うちでみてきたから……」

 S14……
 シートに付いた血が生々しい。
 割れてしまったフロントガラスや、歪んだサスペンションアーム……昨日クラッシュした、そのままの姿で置かれている。

「最期の時も、ここで……な」

「…………」

 僕たちは無言でS14を見つめた。
 鈴原は……愛車の変わり果てた姿を見て、何を思うだろう……
 そして僕は…………

 いずれ、Zもこうなってしまうのだろうか……
 命を削るように走って……その行きつく先がこれなのだろうか。

 そう考えると、無性な不安感に襲われる。
 孤独……そんな感じだ。

「…………」

 僕はS14の前に跪き、歪んだフロントフェンダーをそっとなでた。
 クルマに体温なんてないけれど……
 でも、冷たかった。
 もう二度と、その心臓が動き出すことはない…………

「オヤジ……」

 惣流が呟くように言った。

「S14のキー……もらっていいかしら。形見ってわけじゃないけど……
アイツが退院したとき、何もかもなくなってたんじゃ……寂しいからね」

「ああ……そうしてくれ。使えそうなパーツは、一応とっておくからさ」

 終業時間がとっくに過ぎても、村丘さんはこうしてクルマたちといることが多いそうだ。
 ここに来るのは……事故で傷ついたり、あるいは古くなって廃車にされるクルマばかりだ。
 そんなクルマたちを……せめて、安らかに眠らせてあげたい……
 そういう思いなんだろうか。





「Z…………」

 工場の外に出てZの姿を見た瞬間……
 そんな感傷は吹っ飛んでしまった。

 Z……こいつは死ぬことなんて、1ミリも考えちゃいない。
 ただひたすらに走る……
 それはある意味で獰猛な…………
 裏を返せば、一途な思い。

 不安を見せれば、Zはそれを許さない。

 否が応でも気持ちを高ぶらせる…………
 このZには、そんな力があるような気がする。





 今日は……これまでだ。

 忘れるために走ってるだけじゃ、なにも変わらない。
 Zに縋って、気持ちをごまかしたって……何にもなりはしない。

 そうさ……今日の走りはこれまでだ。
 いつもに比べればずいぶんと早いけど……
 たまにはこんな日もある。











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