32日前、首都高速湾岸線

Diablo-Zeta、試験走行(シェイクダウン)











 深夜の湾岸。

 ときおり大型トラックが過ぎていくほか、クルマの通りは全くない。


 闇を貫いて…………

 10年前の伝説が、今夜、その姿を現す。



 猛獣の吼え声のようなエキゾーストノートが、風に乗って響いてくる。

 ほどなく、道の向こうに青白い閃光を放つ物体が現れる。
 普通のクルマではない……

 低くマウントされた4連のアシストランプが、路面を舐めるように照らす。

 やがてその姿が見えてくる。



 Z32フェアレディZ、そのカラーリングはヴァイオレットブルー。
 フロントウィンドウには、NERVのステッカーが貼られている。

 大気を切り裂いて疾走するZ。NERVによって作られたこのチューンドZは、Diablo-Zetaのコードネームで呼ばれている。

 「Diablo」……それはNERVがかつて持っていた、ストリート最高峰のチューニングブランド。
 特に最高速をターゲットに開発され、当時デビューしたばかりだった新型フェアレディZ、Z32をベースにデモカーが作られた。
 それが、湾岸において伝説と謳われるDiablo-Zeta……そして、この紫の機体は、市販される以前に作られた試作モデル……

 そう……言うなれば、「Diablo-Zeta初号機」だ…………





 先頭を走るZ。
 やや遅れて、白い911ポルシェと赤いフェラーリF40がその後を追う。

 Zのステアリングを握るのは、NERV第1開発部に籍を置く走り屋、綾波レイ。
 ポルシェとF40のドライバーは、NERVが所有するレーシングチーム「D-project」のメンバーだ。
 今回のシェイクダウンには赤木博士の他、NERV会長である六分儀ゲンドウも同席している。


 湾岸神奈川エリアへ進入した3台は、今回の試験の最終項目である最高速アタックを開始する。
 Zのエンジンがそのパワーを解き放つ。
 強烈なトルクにボディが歪むのを感じる。
 激しく震えるステアリングを抑え込む綾波先輩。

 速度は250km/hを難なく越え、280km/hを越えてもなおその加速は鈍ることはない。
 早くもポルシェとF40はじりじりと離されつつあった。

 ついに速度計の表示は300km/hに達し、それでもまったく安定を失わず矢のように突き進むZ。


「……パルス逆流!?いけない、モードDに入っているわ!」

 F40のナビシートで、Zをモニターしていた赤木博士が叫んだ。
 A/F計の数値が乱れ、ノッキングレベルが危険領域に入っている。ECUマップにも異常が起こっている。
 すかさず補正プログラムを送信し応急処置をした後、綾波先輩に通信を入れる。

「レイ!アタック中止、減速して!!」

『…………』

 綾波先輩からの応えはなかった。
 代わりに、Zのマフラーが激しいアフターファイヤーを噴き上げた。

「(まさか……10年前と同じだというのか!?そんなことが……)」

 ポルシェのナビシートでZを見守るゲンドウは、声にこそ出さないが心の中で叫んだ。
 かつての悪夢が、今繰り返されようとしている。

 狙いすましたかのように前方にトラックが現れる。

 中央車線。距離はおよそ1km弱。
 この速度では10秒たらずで接触する。
 ポルシェ、F40が順次右車線へと進路を変える。
 Zは未だ中央車線を突き進む。

「いかん!」

 ゲンドウが声を上げた。
 それに応えてか、Zがようやく動いた。
 まるで巨大な力に押さえつけられたかのように、重い足取りでゆっくりと車体を右へ向ける。

 だが、Zは進路を変えようとはしなかった。
 右へ向いたノーズとは反対に、テールが左へ流れた。

 再びアフターファイヤー。炎はZの斜め後方へ飛ぶ。

 HIDの閃光が煌めき、Zのノーズが中央分離帯にタッチした。

 そのままバンパーをこすりつけるように、Zは横を向いたまま滑走していく。
 火花と白煙が散る。金属とコンクリートがこすれあう、嫌な音が響き渡る。
 コンクリートの段差に引っかかり、Zのボディが浮き上がる。

 完全に真横を向いたZは、トラックの横を突き抜ける瞬間、リアウイングをトラックのフェンダーに引っかけて激しくスピンした。ボディからちぎれたリアウイングがポルシェのわずか数cm横をかすめ、回転しながら猛スピードで飛び去っていく。

「レイッ!!」

 ゲンドウが絶叫した。
 Zは再び中央分離帯に身体を預け、激しく火花を散らしながら次第に速度を落としていく。


 300メートルほど滑走してZはようやく停止した。トラックは既に道の向こうに走り去って行ってしまった。
 追いついてきたポルシェとF40は側の路肩に停まる。
 ゲンドウはポルシェから飛び降りると、分離帯に張り付いたZに駆け寄った。

 赤木博士はそんなゲンドウを不安げな表情で見つめている。

「レイッ!」

 ドアに手をかける。衝撃で歪んだのか、なかなか開かない。
 思いきり引っ張ってこじ開けると、ゲンドウはコクピットの中で動かない綾波先輩に呼びかけた。

「レイッ!大丈夫か、レイ!!」

 ゆっくりと、目を開ける綾波先輩。
 ロールケージに打ちつけたのか、その額には血がにじんでいる。


「はい……」

「そうか……良かった…………」
 
 綾波先輩が生きているのを確かめると、ゲンドウはほっと息を吐いた。


 Zは何事もなかったかのようにただ沈黙していた。
 ポルシェのフラット6と、F40のV8のアイドリング音だけが風に流されていた。











新世紀最速伝説
The Fastest Legend of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第5話 シンジ、心の向こうに












 COMFORT17の地下駐車場。

 霧島を先に部屋に帰した後、僕はZのボンネットを開けてエンジンルームを眺めていた。

 ただ見ただけでは、僕には詳しいことは分からない。
 サクションパイプはアルミで作り直され、サージタンクも大型化されている。ラジエーターコアもアルミ3層が装着されている。ファンも大型のものが2基装備され、あわせてシュラウドと導風板も新たに作り直されている。
 タワーバーはAbflug製だ。すべてをNERV内製のパーツで組んでいるわけではないらしい。
 ただ、ロールケージがバルクヘッド貫通でストラットタワーに固定され、さらにサイドタワーバーも装着されている。ボディ剛性はかなりのレベルであることは、これで容易に想像がつく。
 オーナメントカバーにはNERVのエンブレムがついている。赤地に白抜きで「V6 3000 TWINCAM 24VALVE」これはノーマルのものと同じだ。
 強化アースのケーブルは、エンジンとヘッドライトユニットに装着されている。ごく一般的なアーシングだ。
 他、特に変わったところはない。

 これが本当に、300km/hオーバーを楽に叩き出すマシンなのか。


 何より僕を動揺させていたのは、このZで綾波先輩がクラッシュしているということ。
 あの綾波先輩が?僕には信じがたいことだ。

 僕がこの街に来たときには先輩もZも何ともなかったから、ケガはそれほどでもなかったんだろうけど……

 それでも僕は、Zに対する自分の思いを抑えきれない。


 僕には……こいつを否定することが出来ない。
 確かにこいつは危険なマシンだ。
 すこしでも気を抜けば何があるか分からない。

 でも……それでも、僕はこいつで走りたい。

 それは単なるこだわりとかそういうものではない。


 想像したくないことだけど……
 もしかしたら、これは……

 ……呪縛……

 そういった類のものかもしれない。


「……関係、ないだろ……」

 こいつがどんな過去を持っていようと、今、こいつは僕のマシンだ。

 それだけは確かだ。


 Z、僕はこいつで走る。
 どこまでも……

 そうさ……それは僕の意思だ。

 他でもない僕の……僕自身の…………










 翌日。

 この日、MAGIのピットにはZをはじめMNAメンバーたちのクルマが入庫していた。
 今日1日をかけて、集中的にメンテナンスを行うためだ。

 いつもよりすこしだけ慌ただしい。





 僕がZの下に潜って駆動系のオイル交換をしていると、駐車場に1台のクルマが入ってくる音が聞こえた。
 モーターにも似た特有の音、ロータリーエンジンのクルマだ。

「紅のFD……惣流か」

 惣流はピットの真正面にFDを横付けした。
 クルマから降りてくるその姿、そのすべてに風格と威圧感がある。
 ロングの金髪がさらりと揺れた。

 ツナギ姿の綾波先輩が惣流に応対する。
 惣流はピット内をざっと見渡して言った。

「へえ、なかなかのもんじゃない……
これならマトモな勝負が期待できるわね?」

「どうしたの?こんな真っ昼間から」

「……今度の土曜のことよ。アンタとアタシのTAIMAN……
メンバーの意向もあってね、アタシらだけじゃなく他にも何組かカード組んで欲しいのよ」

 今度の土曜?……また何かあるんだろうか。

「そう……じゃ、中で話しましょう」

 綾波先輩はそう言うと惣流を店内に入れた。

 僕はピット前に鎮座した紅いFDをじっと見つめた。
 惣流のFD3S……渚さんの話だと、最終型の13B-REWに換装した上でポート拡大、ブースト1.0kg/cm²でノーマルタービンの性能を使い切る400馬力という仕様だそうだ。
 ブーストアップ仕様としてはほぼ限界に近い出力だ。
 そういえばZは何馬力くらい出てるんだろうか……

 Zの下回りを見てみれば、エンジンマウントも加工されエンジン搭載位置が下げられている。
 重心が低くなることによって運動性能は飛躍的に向上する。

 Z……まだまだ、分からないことはいっぱいある……

 すこしでもこいつを知ること……
 それは僕の望みでもある…………





 15分ほどして、惣流が店から出てきた。
 つかつかと僕の方へやってくる。

「ふふん……こうして見るとずいぶんご立派なものね」

 惣流はZのエンジンルームをのぞき込んで言った。

「……そう?」

「ま、アタシのFDには負けるけどね?
……今度の土曜、楽しみにしてるわよ。アンタがソレでどんな走りを見せるのか……
直接対決できないのが惜しいわ」

 そう言うと惣流はさっと踵を返し、FDに乗り込んだ。

「あ……」

 声をかけようとしたが、一瞬早く起動されたFDのエンジン音にかき消される。

 FDが発進する。決してゆっくりではないが、一分の隙もないその動きに僕の視線は釘付けになった。
 日の光を浴びているせいか、FDの赤いボディがいっそう艶やかに見える。

 あたかも、獲物を見つけた獣のように……精気がみなぎっている。



 大通りの向こうに走り去っていくFDを見送っていると、店内放送で呼び出しがかかった。
 手についたオイルをタオルで拭くと、僕は建物の中に入った。事務所は2階だ。1階は倉庫。





 空調の効いた事務所の中では、応接用のソファに座った綾波先輩が待っていた。

「来たわね碇くん。……まあかけて」

 綾波先輩に促され、僕は向かいの椅子に腰を下ろした。

 しばらく、いやほんの数秒だが沈黙がある。
 でもそれは僕にとって、恐ろしく長い時間に感じられた。

 そう……僕は予感していた。

 あのZに乗るようになってから、たぶん僕に備わったもの……
 予感している。

 平たく言えば血が騒ぐってことだ……

 そう、先輩の話にはおおよその予想がつく。

「……4日後……つまり次の土曜日ね。
私たちMNAと、NR本牧との交流戦が再び行われることに決まったわ」

「…………惣流の話はそういうことだったんですか」

「ええ。それと今回の交流戦は、前回のようなチームバトルではなく双方の代表者による一対一、タイマンバトルの形式で行われることになったわ」

 自分の心臓の音がはっきりと聞こえる。
 耳のあたりの血管が脈打つ音が、直接鼓膜に響いてくる。

「私と惣流とのバトルの他…………
……碇くん、あなたと鈴原くんとのバトルが前哨戦として行われるわ」

 全身の血管がいっきに開くのが分かった。
 瞬時に体温が上昇したように感じる。

 口の中が渇いてる。

「僕が……タイマンバトルを?」

「……鈴原くんからの指名よ。受けるかどうかは……碇くん、あなたが決めて頂戴」

 そんなこと……決まってるじゃないか。

 目の前に並べられた選択肢はポーズに過ぎない。
 選択肢があるように見せておいて……
 選ぶことが出来るのはそう……1つだけ。

 何よりも僕自身が……他を選べない。

 Zが予感していたのはこれだったのか。
 僕が予感していたのはこれだったのか。

「ああ……拒否する理由はない。僕は走るよ……」

 声が震えそうだった。
 だから僕は、深呼吸して気持ちを落ち着けようとした……
 ……だが、不思議と普通にしゃべれた。

 これは僕なのか?

「分かった。惣流にはそう伝えておくわ」

 話はこれで終わりだ。
 だが、僕はしばらく立ち上がることが出来なかった。

「…………」

 綾波先輩が僕をじっと見つめる。
 どれくらいそのままでいただろうか?
 もしかしたら、ほんの10数秒かもしれないが。

 僕は席を立った。
 緊張のせいか、足取りがおぼつかない。


 部屋から出ようとドアノブに手をかけたとき、後ろから肩をつかまれた。
 そのまま抱き寄せられる。
 厚手の生地を通して、背中に柔らかく、暖かい感触。

「あやな……っ……」

 僕の声は途切れてしまった。
 だが、緊張も動揺もしていない。むしろ心地良い。

 僕よりもずっと背の高い綾波先輩の、ちょうど胸のあたりに僕の肩が当たっている。
 綾波先輩は僕の耳元に頬を寄せた。
 僕は一瞬で固まった。

「……不安になることはないわ。あなたは気づいてる。このZの本当の姿に……
何も迷うことはない。あなたの思うとおりに走れば……Zは必ず応えてくれるわ」

 先輩の指が僕の頬を伝う。
 前に触れたときより……すこしざらついてる。金属臭いのは相変わらずだけど……

「イメージして……ベイラグーンの最終コーナーよ…………」

 僕の耳に綾波先輩の吐息が吹きかけられる。
 僕は震えた。

 僕は思い描く……ベイラグーン……目の前には東京湾……ガードレールの向こうには、ベイブリッジの光が地上の天の川を形作っている……

「そう……バックストレートを抜けて速度はいっきに乗る……1つめの右は235km/hよ……それでいける。
親指1本分のステアで車体はぐっとロールするわ……クリッピングポイントは横断歩道の切れ目、アウトいっぱいまで使って抜けたら4速にシフトダウン……」

 僕は目を閉じて綾波先輩に身体を預け、先輩の言葉通りに思い描いていた。

「心臓が一拍する間……それで横Gは吸収できるわ……一拍おいてフルブレーキング……
4車線をいっきに横断。そうすれば目の前にはベイラグーンタワーが見えるわ。
……左へステアしてアクセルを蹴れば……そのまま立ち上がれる。パワースライドがおさまるころにはゴールラインを越えているわ…………」

 目を開ける。曇りガラスのはまったドアが見える。
 僕は綾波先輩の手に自分の手のひらを重ねた。
 ひんやりとした肌。

 先輩は僕を放した。

 僕はドアを開けて部屋から出た。

「交流戦が終わったら……私のマンションに来ること。いいわね?」

 返事をしようとしたが、すでに手を離していたドアはそれよりも早く閉まってしまった。
 固まった僕はしばらく元に戻らなかった。

 ふと廊下の窓から外を見ると、霧島がピット内からこっちを見上げていた。180SXが載っているリフトの位置は、ちょうど事務所からよく見える位置にある。

「見てたのかな……」

 だとしたら、なんだ?
 ……何かまずいことでもあるんだろうか……
 僕はまた違った意味で不安になった。

 とにかく……作業の続きをしなければいけない。
 Zの元へ向かう。

 僕の様子はあからさまに変だったと思うが……誰も、声をかけることはなかった。










 その夜、僕は整備を済ませたZの試運転のため、市内を流していた。
 きもち、しゃきっとしたような気がする。

 だがZとは反対に、僕の気持ちは揺らいでいた。


 4日後、僕は鈴原と一対一のバトルをしなければならない。

 TAIMAN-BATTLE……逃げ場はない。

 考えてみれば、まともに鈴原の走りを見たことはほとんどない。
 それでも、NightRACERS本牧という格式高いチームのナンバー2だ……それ相応のレベルであることは想像に難くない。

 不安と期待が渦巻く。
 不安で不安でたまらないはずなのに、どこかでそれを喜んでいる自分がいる。

 戦いの予感……


 相手がいる走りというのは、それこそ1人での走りとはまったく違うと言っていい。

 他者と競い合うというのは、人間の、いや命ある物の根本的な本能だから…………
 なおさらそれを抑えることは出来ない。

 否定したくなるのはそれが理性だからか?
 恐怖、それは感情?
 期待、それも感情?

 Z……金属とプラスチックとカーボンのかたまりであるこのマシンにも、それはあるのだろうか……?


『そのクルマは、まるで意思を持っているかのように走る……』

 昨日椎名さんから聞いた言葉が脳裏に蘇る。

 その時は、並外れて速いマシンを形容した言葉だと受け取った。
 実際、現実問題としてクルマが意志を持つなどありえないことだ。それは、人間がキカイに感情移入するあまり、擬人化して見ている。その産物だと。

 だがこうして走らせてみるとどうだ?
 そんな醒めた理論など吹き飛んでしまいそうだ。

 ただ走らせているだけで、……極端な話ちょっと普通のクルマより速いってだけで、これほどまでに心を動かされてしまうものなのか!?

 Z。
 それも、そのへんにいる他のZじゃない。このZだ。
 こいつはただのクルマじゃない。ただのキカイじゃない。
 根拠はないし、そんなものはいらない。ただ僕がそう思っただけだ。


 ……ふと思う。

「綾波先輩のRSとか……惣流のFDにも、こんなカンジはあるのかな…………」

 きっとそうだと思う。
 第3新東京市に来て初めて、僕が振り返ったクルマ。
 そう、それは惣流のFD3Sだった。
 あの時は鈴原のS14もいたから、きっと交流戦に向かう途中だったんだろう。

 そういえばあの時ぐらいだ。鈴原の走りを見たのは…………



 仕事の疲れもあった僕は、熱くなった身体をどうすることも出来ないまま部屋へ戻った。
 首都高に上がってもよかったが、さすがにそこまで気力が続きそうになかった。










 同じ頃……ケンスケと渚さんは、MILAGEで話し込んでいた。
 話題はもちろん、今日決まったばかりのNRとの再戦についてだ……

「鈴原のやつ……よりによって碇を指名してくるとはですね……
うちのNo.2は渚さんだっていうのに」

 ケンスケは、鈴原がMNAナンバー2の渚さんを差し置いて僕を前哨戦の相手に指名したことに、今ひとつ解せない様子だ。

「まあシンジ君にも良い機会じゃないか。鈴原君のような速いドライバーと戦えるなんて、めったにないことだからね」

 渚さんはさほど気にしていない様子だが……

「…………それに、鈴原君も興味はあるんだろうね……あのZに」

「……綾波さんが持ってきたんですよね、あれ……
俺の目から見ても明らかですよ。あれは間違いなく、ワークスカー級のチューンドです。そこいらのショップがちょいちょいと作れるようなシロモノじゃない」

 ケンスケは大学の自動車工学科生だ。知識だけなら、たぶん僕より詳しいだろう。

 そういえば、この2人はMAGIじゃないんだった。だから……こっちの内部事情も知らない。
 まあ……それは別にどうってことじゃないんだけど。

「ただタービン交換してボディ補強して、サスキットをセットして……そういうレベルの作り込みじゃないですよ」

「……綾波サンが言うには、昔MAGIで作ったデモカーを引っぱり出してきた、ということだけど……」

 その言葉はあながち嘘でもない。Diablo-Zeta……それはNERVが作ったチューンドカー。
 実際に製作にあたったのはMAGI……それなら、当時の車両がいまだに保存されていたとしても不思議はない。


「…………それにしても、いきなりあんなクルマに乗れるなんて……俺、正直碇がうらやましいですよ」

「……本音はそれかい?」

 少々気が抜けつつも渚さんが呆れた声で返す。
 が、すぐに真剣な表情に戻る。

「しかし、あのレベルのチューンドを乗るというのは大変なことなんだよ。
こないだの交流戦の時も、シンジ君はまるで普通に乗っていたからね。
……やはり綾波サンの言うとおり、シンジ君には素質があるんだよ」

 ……あえて言うのなら、初めてまともに乗ったのがアレだった、というのもあるだろう。
 クルマの運転自体は第2で少しやっていたから十分に分かっていたし(当然無免だが)、
 変な先入観がないぶんZの性能を素直に受け入れられたのかもしれない。
 Zが多少なりとも扱いやすさ重視のセッティングになっていたってのもある。

「……碇、か……いまいちつかみどころのないやつですよね」

「そうなのかい?」

「こないだちょっとUORに連れてったんですよ。
その時も、レースにはまるで興味ないってふうな顔してたんですけど……
霧島に聞けば、ほとんど毎晩のように走ってるって言うじゃないですか。朝帰りになることも珍しくないって……
分かんない……って言うか、不思議なやつですよね」

 ケンスケにしてみれば、走り屋として名を上げることが走りの目的の中で大きなウェイトを占めているわけだから……それを気にしない僕は不思議に見えるだろう。

「シンジ君は感情を表現するのが下手だからね……
本音ではきっと、走るのが好きでたまらないんだよ。
ただちょっと……他人と競うよりも、1人で思うように走る、今はそっちの方に気が向いているみたいだけどね」

「……さすがですね、渚さん……」

「なに、僕も大したことを分かっているワケじゃないさ。
シンジ君とは出会ってまだ1ヶ月も経ってないんだからね……」

「……そこへ行けば、綾波さんなんか俺たちよりずっと長く碇といるわけでしょう?2年間のブランクがあるとはいえ……」

 MILAGEの駐車場でアイドリングするハチロク。4A-Gの澄んだNAサウンドがコンクリートの床に反響している。

「……そういえば渚さんって、MNAが出来たときから綾波さんと一緒にチームやってたんですよね?
綾波さんって……どんな感じでした?そのころ……」

「興味あるのかい?」

「あっ……いえ、ちょっと思ってみただけですけど……」

 渚さんは空を見上げると、ふーっとため息をついた。
 一呼吸おいて話しだす。

「そうだね……そもそものきっかけは、こっちでショップを開いた綾波サンの所に僕がFCを持ち込んだことから始まったんだ。
その頃の綾波サンは1人で走っていてね。今と同じ、蒼いR30スカイラインでだ。
突然第3に現れて、それでいきなり速いんだからね……綾波サンは一躍有名になったわけだ。
『蒼い稲妻』、その二つ名がついたのもその頃だよ」

「蒼い稲妻……」

 某赤城の白い彗星とか、そういった類のものだ。

「チームを組もうって人たちはずいぶん現れたけど、結局綾波サンはその話を受けることはなかったね。
いつしか残ったのは僕だけになったんだ」

「MidNightANGELSって名前はいつ頃……?」

「そうだね、その名前で呼ばれるようになったのは去年あたりからかな?今年の春にマナちゃんがMAGIに入社して、それでやっとチームとしての体裁が取れたって感じだね。MAGIの従業員たちも、自分で走ってる人はいてもMNAには入ってないからね」

「そうなんですか……思ってたより新しいチームなんですね」

 渚さんが苦笑する。

「まあ、ね。でも……頑なに1人で走ろうとしていたところなんか、今のシンジ君と似ているよね。
シンジ君が綾波サンの影響を受けたのかな?」

「名声が目的ではない……と?」

「だね。それ以上は僕にもさすがに分からない。綾波サンが何を目指して走っているのか……
……僕にも、マナちゃんにも語ってくれたことはないからね」

「……そうなのかあ……やっぱ、俺たちとは次元が違うんですかねえ…………」

 ケンスケは空を仰ぎつつ言った。
 渚さんは呟くように付け加えた。

「……不器用なんだよ。シンジ君も……綾波サンもね」

「不器用……なにがです?」

「……生きることが。走りでしかそれを確かめられない……そういうヒトたちなんだよ」











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