…………BAYLAGOON埠頭…………


 ………僕たち、MidNightANGELSのBasePoint………


 現代社会の混沌の中に、ぽっかりと開いた冥府への穴…………

 …………未来への廃墟…………


 そこが僕たちの…………



 ………………RACING FRONTIER………………










 深夜のベイラグーン、ロング・コース。


 路面にラッカーで引かれたコントロールラインがある。
 1番グリッドにZをつけ、僕は指示を待つ。


『じゃあシンジ君、続き始めるわよ。用意はいい?』

「ええ、大丈夫です。いつでもいけますよ」

 ステアリングを握ったまま答える。耳に付けた小型のインカムを通じて会話しているのだ。

 Zのセンターパネルには、なにやら大量のセンサー類やデータリンクユニットが取り付けられている。
 それらから伸びるケーブルはZのメインコンピュータに接続され、収集、蓄積されたデータは無線を通じて外部のホストコンピュータへと送られる。

 要するに、データロガーシステムだ。


 素早くコンソールに視線を走らせ、コンディションをチェックする。

「ブーストリミット1.0kg/cm²、ECUマップ・ステージ2、…………エアフロ補正OK。
………………行きます!」

 スタート。

 慎重かつ素早いクラッチミートで路面をつかむ。
 左足を通して、エンジンからリアタイヤに伝えられるトルクを感じる。

 一瞬で1速が吹ける。気を抜くことなく2速へシフトアップ。
 スピードが上がっていけば、空力に優れるZのボディは風に乗って矢のように走る。
 コーナリングでも安定を欠くことなく、しっかりと路面をとらえている。

 余裕を保ってクリップをとり、全開で立ち上がる。

 スピードが乗った状態からアクセルオフ、ブーストダウン。
 そしてそこからの再加速。

 負荷がかかった状態で、どれだけ早くブーストが立ち上がるか。

 セッティングも大事だけど……ここらへんは、ドライバーがクルマの癖を把握して、的確な操作をする必要がある。

 僕自身も、Zのパワーに慣れるため、またドラテクを磨くために、走り込みをしなければならない。
 まあ、いい機会だと思うことにする。





 ベイラグーンの駐車場に止まったワンボックス、その車内。
 ここでは、Zに取り付けたロガーからリアルタイムで送られるデータを解析している。

 薄暗い車内でモニターとにらめっこしているのは綾波先輩。
 その後ろに立って腕組みをしている白衣の女性は…………

「……珍しいですね?赤木博士が走りの現場に来るなんて」

「たまにはね。ずっと研究室にこもりっぱなしじゃ身体にもよくないわ。
…………それに、チューンドカーは走ってこそその意義があるものだわ。やっぱり自分の目で見ておかないとね」

「博士の口から、その言葉が聞けるとは意外です」

「……まあ、私は技術者だから……機械に対する思い入れはあっても、走り屋のそれとはまた違うものだわ。
碇博士なら…………あるいはまた、ね」

「………………」

 彼女の名は赤木リツコ。肩書きはNERV第1開発部部長。
 つまるところ、ストリート向けチューニングパーツの開発者、ってことだ。

 赤木さん…………綾波先輩は「赤木博士」って呼んでたけど、なんで博士なんだろう……?
 綾波先輩と赤木博士は旧い馴染みだそうだ。

 今日は、赤木博士自らZのセッティングを取ってくれることになり、そのための実走テストを行っている。
 僕の走り込みも兼ねて、だ。



「…………それにしても、よく『また』乗る気になったわね、彼?」

「……そうですね。すんなり受けるとは、私も思っていませんでしたが」

 自然に小声になる赤木博士と綾波先輩。

 静かになった車内に、外から聞こえるエキゾーストノートがかすかに響く。
 大気を越えて届く、走り屋たちの叫び。
 それは誰にも、遮ることの出来ない叫び。


「…………たとえ何も分からなくても、ただ走るしかない。彼には……他に何も無いんです…………」

 どこか寂しげに言う綾波先輩。

「そうね…………。(だけど、私たちにそれを言う資格はないわ…………)」

 赤木博士にも、何か思うものがあるようだ。





 様々な走行パターンを試し、埠頭を一周した僕はスタート地点に戻ってきた。
 コントロールラインを越えたらスローダウンする。ほどなく、赤木博士から通信が入った。

『OK、シンジ君。今夜はここまでよ、戻ってきて』

「わかりました」











新世紀最速伝説
The Fastest Legend of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第3話 ミッドナイト・プラスワン












 僕が第3新東京市に来てから、今日でもう3週間になる。



 仕事の方はすぐに慣れた。今まで第2東京でやってきたことと大して変わらない。


 ……そういえば、こっちはどちらかというとパワー志向のお客さんが多いんだね。
 第2東京は走り屋の聖地、箱根峠を抱えるだけあって峠仕様のクルマがほとんどだ。パワーは程々に、足回り重視のチューンというパターン。

 …………Winding SPECIAL…………

 峠のタイトなコーナーを、華麗なドリフトで駆け抜ける…………
 ………旧式の小さなクルマで、最新型の大排気量車を打ち負かす………

 そんなカタルシスを求めてるのさ…………


 対してここ第3新東京市は、近くに峠もなく走りのステージといえば高速や埠頭がほとんど。特に首都高をホームグラウンドにしている人も多く、必然的にパワーチューンを行うわけだ。

 週末ともなれば、店の駐車場には派手なチューンドカーがずらりと並ぶ。
 これには、さすがの僕も驚いた。
 こっちでは普通の光景みたいだけどね。


 それから、寮で同居している霧島マナ。彼女も、初めのうちこそ騒がしく僕につきまとっていたけど、最近は落ちついてきたみたいだ。
 僕の方も、とりあえず話を合わせることぐらいは出来るようになったかな。





 …………なんていうか…………

 ……変わった、かな?

 いや、………「変わってしまった」………のかもしれない。

 僕自身はそれほど意識してるつもりじゃないけど…………
 すこし、気持ちが軽くなったかな。

 ときどきふと、「なんでこうなっちゃったんだろう……」と考え込む。
 「生きていくことは、変化していくこと」…………昔どこかで聞いた言葉だ。
 変化……そりゃするだろう。だけど…………
 変わりたくない、どこかでそう思ってる自分がいる。
 自分が自分じゃなくなってしまう、そう思ってる自分がいる。





 夜が待ち遠しい。

 Zで走りに行くのが。
 最近はもっぱら首都高通いだ。

 湾岸のあの長い直線を思いっきり踏み込む。
 今まで出した最高速は、260km/hちょっと。こいつのパワーならもっといけそうだけど、さすがにまだ踏み切れない。

 いくらZの性能が優れているとはいっても、僕の腕がそれについていかなければ速くは走れない。


 …………まだ、よくは分からないけど…………

 ぼんやりと、感じてる。



 ………………Zの鼓動を………………










 月がきれいな、晴れた夜。

 僕は1人でベイラグーン埠頭に立っていた。

 風と波の音が聞こえる。



 …………静かだ。



「…………ベイラグーンタワー…………
この街、第3新東京市のシンボルとなるはずだった希望の塔…………」

 近くで見るそれは恐ろしいほどに巨大な高層ビルだ。
 旧東京都庁にも匹敵するほどの、鉄とコンクリートの塊……。


 …………BAYLAGOONTOWER…………

 このTOWERの建設は、10年以上前から始まってた。

 そうさ………SecondIMPACTからの復興を旗印に、誰もが熱狂し……あぶくのような夢と繁栄を追いかけてたあの時代さ………………


 建設は急ピッチで進んだっていう。昨日まではそこになかったものが、いつのまにか存在している。


 …………このTOWERはFANTASYの具現化…………

 幻想の果ての夢の塔さ…………



「夢なんて…………いつかは必ず醒めてしまう」


 夢が夢でしかなく、現実とは違うってことに気づいたとき…………目の前の泡は消えて無くなってた。

 そのまま…………BAYLAGOONTOWERも成長をやめちゃったんだ……。


 錆びついた鉄の骨格を剥き出しにして、いびつな姿をさらすBAYLAGOONTOWER…………

 こいつは夢を食い物にしてた化け物だったのかもしれない。

 GohstTOWER…………バベルの塔を夢見たって、天に届く道はない………………


 …………未来への廃墟……BAYLAGOON…………

 サーチライトの光条は、届くことのない虚空への階段…………


 …………蒼穹の夜空に…………

 星はたしかにある…………

 ………僕らは………ただ見上げるだけさ………………










 カルく一回りしてくるか、と僕がZに乗り込もうとしたときだった。
 2台のクルマが、不必要にタイヤを鳴らしながら駐車場に飛びこんできた。
 NSX純正のオレンジにオールペンしたインテグラ、下品な緑色のシビック…………NightRACERSのステッカーを貼っている。
 あのオレンジ色のインテグラは……たしか……石川、だったか。

 ……そうだ、あの「硬派」だな。

「なに、1人でぶつぶつしゃべくってんだ!
気取ってんじゃねえぞ!」

「…………」

 騒々しい奴らだ。僕は……何も、感じなかった。抜け落ちた感情……瞳は、敵を見据える。

「綾波はどこにいる?知ってんだろ!!」

 緑のシビックに乗ってきた男が僕に詰め寄った。
 あれ?こいつは石川と顔が似てるな……兄弟?こいつのシャツには「純情」…………僕には、理解しがたいセンスだ。
 髪の色とシャツの文字が違うだけで、まるで対戦ゲームの2Pカラーみたいにそっくりだ。あるいは某髭のイタリア人みたいに。

 それはともかく、こいつらは綾波先輩を探してるのか……?……何を企んでる……?

「……たとえ知っていたとしても、君たちに教える筋合いはないよ」

「ひゅー!!その態度、後悔するなよ」

 純情シャツの方が、何かに気付いたような表情をすると石川に耳打ちした。途端に、さっきまでおちゃらけていた石川の表情が険しくなる。

「(こいつ、アニキの前を走ってたヤツだぜ)」

「(何!?あのZ32……こんな奴が!?)」

 僕はただじっと、彼らを眺めていた。彼らの挙動に注目する。まるで……自分がそこにはいないかのように。

「おい!あん時のオレは、調子が悪かったって知ってるか!?勝ったつもりでいるんじゃねえぞ!!」

「……(アニキ……ショータイムだ、決行の時間だぜ)」

 純情シャツ……たぶん弟だろうから、石川弟と呼ぶことにする。硬派の方は石川兄だ。
 その石川弟が再び兄に何か耳打ちする。石川兄はすこし逡巡した後に僕を指さして言った。

「……ケッ!てめえ、グッドラックだな!!
綾波に伝えとけ!NightRACERSの石川が探してたってな!!」

 吐き捨てるように言うと、彼らは僕を睨みつけ、やがて去っていった。
 ……負け犬の遠吠え、か……


 喧嘩まがいの売り言葉に買い言葉でSTREET RACEは始まる……だが、それは馴れ合いの儀式みたいなものなんだ。


 僕の探してるのは、そんなんじゃない。


 シンプルな理由……

 この身体を襲う震え…………こいつの理由を知りたいんだ……。


 一息深呼吸すると、僕は蒼い星空を見上げた。白い月が、街を見下ろしてる。





『'ROUND MIDNIGHT…………私たちのSTREET……


醒めてしまったこの世界に……


熱いのは…………私たちのDRIVING…………』




 いつだったか綾波先輩が、僕に教えてくれた言葉。今では、MidNightANGELSの謳い文句になってるそうだ。

 そうさ…………街を流せば、分かるはずさ……

 走りの熱さってやつが…………

 僕の求めてる答えが…………

 きっと分かるはずさ…………










 走りに行く前に、GSで給油をする。

 ベイラグーンに一番近いGSは、MidNightANGELSのNo.2・渚さんがバイトしてるGS「MILAGE」…………
 MNAメンバー行きつけのスタンドだ。

 給料が安くて、すぐに辞めちゃう人が多いみたいだけど…………人のいい渚さんは、今では次期店長候補なんだってさ…………



「やあシンジ君。よく来てくれたね」

 Zを給油機につける。作業をしながら、渚さんが僕に話しかけてきた。

「……ところで知っているかい?NightRACERSの連中が綾波サンを探してるんだ」

「ああ…………さっき、石川が僕のところに来たよ。
知らないって言っといたけど…………」

「彼らはどうもこないだの交流戦の結果に納得いかないみたいだね。
相田君やマナちゃんにも連絡つかないし…………僕は仕事がまだあるから、シンジ君、君に頼むしかないんだよ。妙なことにならないようにみんなをまとめてくれ」

「(まとめるったって…………どうすれば……)…………綾波先輩には連絡とれないの?」

「うーん…………それが運の悪いことに、綾波サンは昨日から仙台に出張なんだよ。今夜いっぱいは戻らないだろうね」

「僕たちで何とかするしかないってことか…………」

「すまないね、シンジ君」


 と、電話が鳴った。
 画面に表示された発信者を確認する。ケンスケからだ。僕は電話を取った。

『あっ!碇か!?俺、今「外国人墓地」にいるんだけど……大変なことになっちゃったんだ』

 あわてた様子のケンスケ。背後から、数人の騒がしい声が聞こえてくる。

『(おい!お前!MidNightANGELSの最遅野郎だな!!)』

「ケンスケ?」

『と、とにかく早く来てくれ、緊急事態なんだ……』

 そこでいきなり切れた。何があったんだ……?


「なんだったんだい、シンジ君?」

「さあ……分からない。なんだか慌ててたみたいだけど…………緊急事態って……?」

 考え込んでも分からない。
 ケンスケはとにかく早く来てくれと言っていた。とりあえず、行ってみれば分かるだろ……

「とにかく行ってみるよ。『外国人墓地』……って言ってたけど、渚さん、どこだか分かる?」

「外国人墓地か…………ここからだと、いったん本牧方面に向かうね。ほら、あそこに小高い丘があるだろう?あそこだよ」

 第3新東京市の街並みの中に、取り残された小島のような森がある。そこに外国人墓地はある…………
 行くには、住宅地を抜けないとダメみたいだ。

 この時間帯にこんなクルマで通るのはちょっとね…………





 給油が終わった。
 精算をしていると、1台のスポーツカーがGSに入ってきた。
 黒のシルビアだ。こいつには見覚えがある…………

 そうだ。NRの……こないだの交流戦に出てた。

 シルビアはS14後期型……漆黒のボディに、緑のカッティングシートで「NightRACERS」と描かれている。
 ドライバーの青年は、NR本牧のNo.2、鈴原トウジ…………











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