僕の目の前で、無数の赤い光が舞っている。

 僕はそれを追いかける。


 目の前でふらふらと僕の行く手を遮るのは、オレンジ色のインテグラ。

 だが、僕はそんなものは見ていない。


 追いかけるのは、はるか数百メートル先を行く蒼いスカイライン。


 綾波先輩…………



 スタートダッシュからして違っていた。

 だいたい6000rpmあたりからクラッチをつなぐ。

 低回転では重い。
 ブーストがすぐには掛からない。

 それは同じだ。

 そこから先が違う。


 はじけ飛ぶような、そんな感じ。


 スタート位置の関係で、2番グリッドが第1コーナーに対してインサイドになる。

 インをとろうとコーナーへ向かう紅いFD、その鼻っ面にかぶせるようにしていっきに大外からまくっていくRS。
 タイヤが激しく鳴き、もうもうと白煙を上げる。

 それでも、アウトにはらんでいく分までを計算し尽くしたライン取りでRSはいっきにFDを抜き去った。

 速い……。

 一瞬だった。

 見ていたともいえないくらいの瞬間。


 短いストレートで、僕はアクセルを深く踏み込んだ。


 ブーストが掛かり始めると、加速Gが僕の身体を締めつける。視野が狭まる。

 路面を蹴り飛ばすZのサスペンションが、僕を容赦なく揺さぶる。規則的かつ激しい振動に身体を委ね、僕はどこまでも続く光の回廊を見ていた。



 ……暴れ馬、か。まさしくその通りだね……

 最大パワーを炸裂させたら、もうこっちの言うことなんて聞きやしない。

 ……でも、それでいいんだ。

 間違った操作を、こいつは許容しない。


 まっすぐ突き進む。

 どこまでも。


 導いてやるのは僕。

 でも、僕にはまだ……力がない。


 こいつを導いてやれない。


 ……綾波先輩…………追いつけない…………


 もう見えない……はるか彼方にいる。



 …………ダメなのか…………僕じゃ………………










「はっ……」

 目を見開く。

 暗い。
 光が来ない。

 夜……か?


 僕はZのシートに身を預けて眠っていた。

 じっと、意識が起動完了するのを待つ。


 身体にまとわりつく湿り気…………

 天窓から差し込むほのかな光…………

 僕はゆっくりと身体に火を入れる。体温が行き渡り、身体が自分の意思で動くようになる。


「………………知らない空だ」











新世紀最速伝説
The Fastest Legend of Neon Genesis
エヴァンゲリオンLAGOON

第2話 最速への誘い












 静かだ…………。

 波の音が聞こえる。

 僕は身体を起こし、辺りを見回した。


 闇の中の星々……
 夜の街……。

 ……静かな、夜の港。


 僕は一人きりだった。


 ドアを開け、Zから降りる。


 ……潮風が僕を包みこむ。

 一瞬、ひんやりとした感触を味わう……


 僕は海へ向かって歩いた。

 誰もいない埠頭…………


 僕が歩く、足音は一瞬で消えていく。

 ここに僕はいる。


「夢……だった?」


 何もかもが消えている。
 クルマも人も。

 僕はたしかに覚えてる。
 ヘッドライトの狂騒とエンジン音の共鳴を…………


 ……覚えてる……

 だが、思い出せない…………


 記憶の断片は、瞬間の映像……
 細切れになったMovieは、ぼやけたPhotoGraph…………

 ……だけどたしかなことが、ひとつだけある。


 Z…………

 それはたしかに、ここにいるってこと。


 僕と、Z…………


 それだけはたしかに、ここにいる…………










 第3新東京市某所にある高層ビル。その何処かにある部屋。
 特徴的な赤いバイザーをした老人を中心に、6人の男が集まって会議を行っている。欧米人風の男たちだ。

 薄暗い会議室の中…………

 浮かび上がる光の影…………


『六分儀君。NERVとDiablo…………もう少しうまく使えんのかね?』


『左様。10年前の横浜戦争で我々は大きな損出をした。我々に残されたものは少ないのだよ。時間も、金も、人も』


『オモチャに金をつぎ込むのもいいが、肝心のことを忘れてもらっちゃ困る』


『聞けばあのオモチャは君の息子に与えたそうじゃないか?いったい親子そろってどれだけ遣えば気が済むのかね』


 老人たちは口々に、嫌味をたっぷり含ませた口調でいちばん下座にいるサングラスの男に言葉を浴びせる。


『君の仕事はそれだけではあるまい?』


『人類補完計画……我々にとってこの計画こそが、唯一無二の至上命題なのだ』


「…………承知しております」


 サングラスの男は短く答えた。
 それを受けて、上座にいるバイザーの老人が言う。


『いずれにせよ、計画のスケジュール遅延は認められない。
12使徒も既に動き出しておる。予算については一考しよう』


 ホログラムのようだ。話し合っていた老人たちの姿が、ぶれるように消えていく。


『…………六分儀。後戻りはできんぞ』


 バイザーの老人もそう言い残して消えた。


 サングラスの男の姿だけがその場に残った。





 やがて明かりが灯る。

 広々とした執務室。照明は薄暗く、不気味な光が漂っている。
 床にはなにかの紋章が描かれている。

 ……天井にも。
 部屋全体が、妖しげな空気に満たされている。



「…………よいのですか?……『彼』はまだD-Sleepの影響下にあります。今の状態で、『あれ』に取り込まれないという保証はありませんよ」

「そのための封印だ…………時期が来れば、『サード』は自身の力でそれを覚醒させる」

「では…………」

「ああ。横浜GrandPrixには、Diabloを出撃させる。…………お前にも、出てもらうことになる」

「はい」


 サングラスの男と話しているのは若い女だ。

 輝きがある。光を発しているわけではないが…………オーラ、とでもいうのか。
 その瞳に…………

 ……確かに感じるものがある。


 女はソファから立ち上がり、部屋を出ていく。男はそれを呼び止めた。

「…………レイ。シンジを……頼むぞ」

「はい。…………六分儀会長」

 重いドアが閉まった。異様なほどの静寂だけが残った。










 星たちがざわめいている夜。


 湾岸線を1台の大柄なクルマが下っていく。

 色は白。ミッドシップのようだ。
 リヤに大きく口を開けたインテークダクトがある。


 フェラーリ・テスタロッサ。

 ローハイトのスポイラーをセットし、リトラクタブルライトを固定式に変更して最高速仕様にセットアップされている。
 ドライバーは女だ。

 彼女はここ数日、毎晩のように湾岸へ通っている。

 なにかを探すように…………
 湾岸から横羽へ、環状を回って再び湾岸へ。
 なにかを探すように流し続けていた。


 つい1週間ほど前に聞いた噂だ。


「うちのショップの客でも、見たって奴が何人かいるんだ。
朝方の湾岸を、どえらいスピードでカッ飛んでたって…………」

「似たクルマじゃないの?Z32だって、そう珍しくはないわよ」

「…………いや、ナンバーが同じなんだ。
知ってる奴はみんな騒いでるよ。10年前の幽霊じゃないかって…………」

「……………………」

「間違いなく、碇さんのZなんだ…………」


 彼女は湾岸を流すZ32を見つけると、側に近づいて確かめる。
 だが、なかなか目的のZには出会えない。





「……!?速い奴が来る…………」

 テスタロッサのバックミラーが、後方から接近する光をとらえた。

 シンプルなハロゲン2灯だ。


 かなりの速度で近づいてくる。
 それほど大きなクルマではない。
 小刻みに上下する。足を固めている。

「椎名君か…………」

 彼女はアクセルを少しだけ戻し、そのクルマを横に並ばせた。


 後方から現れたのは、ミッドナイトブルーのフェアレディZ。ただし、こちらはS30型。Z32型からは数えて3代前に当たる。

「相原の奴、毎晩来てるって本当だったのか…………」

 S30のドライバーがつぶやく。若い男だ。
 見た感じでは20歳そこそこだ。

 S30フェアレディZ。
 初期型は、2リッターのL20エンジンを搭載し120馬力。現代のハイパワースポーツカーに比べれば非力なユニットだ。
 椎名アズサのS30Zは、L28改3.1という定番TUNEだ。それにK26タービンを2基がけし、MoTECでの制御により650馬力を叩き出している。
 軽量なS30ボディを300km/hオーバーへもっていくには十分なパワーだ。

「あなたも目的は同じなんでしょう?
伝説のZを探してる…………」

 テスタロッサのドライバーは、隣のS30に視線を送りながら言った。
 鋭く、しかしどこか温かい目をしている。

 F110Jフェラーリ・テスタロッサ。
 5リッター水平対向12気筒というモンスターエンジンを搭載する。
 相原カオリのテスタロッサは、5.4リッターへとボアアップしレース用ハイリフトカムを投入して600馬力を発生する。自然吸気エンジンとしては破格の数値だ。
 おそらく、首都高エリアでは最強のフェラーリだろう。


 彼らのクルマには、嘴のついた仮面のようなエンブレムが貼り付けられている。

 選ばれた者たちだけに与えられる、畏怖と憧憬を込めた名。

 それが、「12使徒」と呼ばれる12人の首都高ランナーたち。

 彼らはその一員だ。





 しばらく並んでクルージングしていた2台は、浮島料金所を通過してからいっきに加速していった。

 ここからつばさ橋まで、およそ11kmの直線が続く。
 道路の終端に見える巨大な吊り橋を目指し、最高速アタッカーたちはアクセルを踏み込んでいくのだ。



 S30が前に出た。
 5メートルほどの車間をあけてテスタロッサが追う。

 重低音で唸るテスタロッサのエンジンは、まだまだ余力があることを示している。


 S30が第3車線からいっきに第1車線へ飛んだ。
 テスタロッサはそのまま第3車線。

 直後、テスタロッサが吼えた。

 低く唸っていたフラット12エンジンは、瞬時にその歌声を1オクターブ上げる。
 テスタロッサの白いボディが路面に張り付き、トップギアのままトルクに任せて押し出すように加速する。

 S30に鼻先を並べるのには、ほんの数秒もかからない。


 前方に大きな影が近づく。トラックだ。
 中央車線に陣取っている。

 2台はその両脇から刺した。

 彼らが巻き起こす風圧に、大型のトレーラーさえ揺さぶられる。


 S30とテスタロッサは再び第3車線に戻り、今度はテスタロッサが前を走る。

 テスタロッサのテールからは、4連のチタンマフラーが斜め上に出されている。
 3気筒ずつを1本にまとめ、それぞれ独立排気レイアウトを取っている。
 4本のマフラーをつけているのと同じだ。
 多気筒NAエンジンのなめらかで甲高いエキゾーストノートは、300km/hの大気の壁をも通り抜けて聞こえてくる。

 最高のドライブミュージック。


 S30のテールには、80φのシングル出しマフラーがレイアウトされている。
 決して大口径ではない。
 飾り立てたりなどせず、性能だけを求めている。
 ピークパワーにこだわらずにトルクを重視したセットだ。

 TUNEDCARの咆吼。


 横浜へ向けて伸びる湾岸。
 2台は寄り添いながら星の海へ消えていった。










 …………僕はずっと一人だった…………。

 母さんは僕が小さいころに死んじゃって、僕は親戚の家に預けられていた、……らしい……。


 らしい、というのは、僕にはっきりした記憶がないから。…………ともかく、そう聞いているのだからそういうことにしておこう。いずれにしろ、今の僕には……関係のないことだから…………。

 記憶があったときから、僕は1人だった。


 箱根、現在は第2東京と呼ばれている街。

 そこが……僕の暮らしていた場所。


 身寄りのなかった僕は、綾波先輩に引き取られる形で先輩の勤めていたTUNE SHOPに身を寄せた。
 仕事の手伝いをするうちに、何度かクルマを運転することもあった。

 その時に先輩は僕の、天性の走りの才能に気づいたらしい。


 先輩は僕に言った。

 僕には、速くなる素質があると。

 その時はなんだかよく分からなかった。


 ただ、ひとつだけ確かなことがある。

 僕を、必要としてくれる人がいるってこと。



 たしか、高校に入ってすぐの頃だったと思う。
 第2次遷都計画に基づいて横浜への遷都が正式に決まり、臨海地区が第3新東京市と名前を変えた。それに伴い、第2東京である箱根から移住していく人々も増えた。

 ここ第2東京も旧首都とはいえ、山に囲まれた街でいろいろと不便も多い。
 海に面した第3新東京なら、発展性という点では箱根よりいいだろう。

 経済の中心が第3新東京に移っていくにつれ、第2東京を離れる企業も増えた。

 そんな中で綾波先輩も、仕事の都合で第3新東京に移ることになった。


 突然のことだった。

 僕に一言も告げることなく、第2東京を去った綾波先輩。
 何か事情があったのかと思ったけど、僕にはどうすることもできなかった。


 そして2年後、僕が18歳になったとき……
 それまでまったく音沙汰なしだった綾波先輩から手紙が来た。

 それは、自分が率いる走り屋チームへの誘い。



 僕はまだ見ぬ街、第3新東京市へ向かう。











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