未来の過去、過去の未来

10話 希み







「ええっ、修学旅行行っちゃ駄目!?」
アスカの声がダイニング・キッチンに響く。 食事の後の洗い物―4人分だ―をしている少女は表情を見られないのを良い事に苦笑する。
「そ、ネルフで待機」
食後に出された緑茶を啜りながらミサトは言う。
「そんなぁ、折角今日水着買ってきたのよ!」
アスカの言葉に、だがミサトは当然のように答える。
「だって、いつ使徒が来るかも分からないのに出かけさせるわけに行かないでしょ?」
「そりゃそうだけど――」
怒りの矛先を向けるべき所を決めかねていたアスカの目が、彼女の斜め前、つまりミサトの横に座っている少年を捉える。 少年もまた、ミサトと同じ様に静かに茶を飲んでいる。
「アンタも何か言いなさいよ!」
「だって、行けないって思ってたし…」
少年は答える。

「……なっさけない男」
「なっ…」
嘲る視線に、少年は一瞬椅子から立ち上がりかけ、しかし諦めた様に座り直す。
「何よ、文句有るんなら言いなさいよね」
アスカの言葉に、少年視線を落とし、そして呟く。
「何でも無い…」


「…そ」
さほど興味が無さそうに答えたアスカは、顔を流しの方に向けると、少しばかり声を張って言う。
「シヲリだって行きたいでしょ?」
ちょうど洗い物が終わったのだろう、少女は蛇口から流れる水を止めると振り返る。
「うん。 まあ、ね…」
曖昧な笑みを浮かべる少女は、少年の顔色を窺う。 だがテーブルの上へ視線を向けている少年の表情を識ることは出来ない。

そして少女は気付く。 ここ一週間、そう、少女が使徒を倒して以来、少年の眼を、あの透き通る黒玉を見ていない事に。
少女が話し掛けていない訳では無かった。 いや、むしろ日を追うごとに少女から少年へと話す回数が増えている事は事実であるのだから、眼を見る回数が増えても良い筈なのだ。



―ボクが、使徒を倒したから?―
少女は脳の片隅で浮かんだ考えを、しかし取り除いた。 何故ならあの時、自分が本部へ戻ってきた際に、少年は笑顔で祝ってくれていたから。

ならば何故なのだろう。 少女は傾げた首を戻す事が出来なかった。 偶々なのかもしれない、と自分を納得させる少女。



仕方が無い事なのかもしれない。 少女の黒い瞳は周りを見渡せる程良く動かなかったし、今日は、少女の身体の火照りを冷ます事が出来る日だったから。





「お兄ちゃん、入るよ…」
日付が変わるか変わらないかの時刻に、少女は少年の部屋の扉を静かに開ける。 もう一人の同居人が起きて来ないように、殆ど音を立てずに。 その行為がまた、少女の中心を熱くさせる。

少年の部屋は暗かった。 と言って、照明が全て消えている訳では無く、常夜灯の灯りが部屋全体を橙色に染めている。
「こっち向いて…」
少女の声に、少年は壁側を向いて横になっていた身体を起こし、ベッドに腰掛ける。
少年の陰茎は既に屹立し、触れる前から粘度の有る透明な液体が下着と、その上の寝間着すら濡らしていた。


少年は、幻滅していた。 殆ど訓練もせずに少年よりも良い動きをし、使徒を倒した少女に、ほんの少し嫉妬している事に。 パイロットとして必要とされていない自分が、妹のおかげで此処に残る事を許されている事に。 そして、妹が服を脱いでいる姿を見て、痛いほど勃起してしまっている自分に、とても。


だが、それもまた淫靡な香となって、少年の鼻腔から脳へと電流を駆け抜けさせる。



目の前では、ショーツ1枚だけとなった少女が、官能に濁った眼を少年へと向けている。真っ白な下着は既にしとどに濡れ、ほんの少し動いただけで蜜が垂れそうな程に溢れている。 使徒戦を挟んで、もう1週間以上も自慰をしていない少女の陰核は熱くしこり、包皮をめくりあげている。

少女は立ったまま、下着の上から淫裂をなぞる。 潤滑油に塗れた下着が擦れ、敏感になり過ぎた少女の中心には適度な刺激を与える。

「…っ! んっ、あぅん、はぁっ…」
それだけで少女の太腿に蜜が流れる。 水音が部屋に溢れる中、少女の愛液の匂いが少年の全身に纏わり付く。

少年は無意識の内に自身の陰茎を服の上から擦り始めていた。 尿道から驚く程多量に出ている透明な液体が少年の自慰を助ける。 その音は少女の秘唇から出ている音と合わさり、部屋の外へと聞こえる程となる。
己の亀頭から感ずる痺れに気を取られていたのだろう、少年が気付いた時には少女の白く、細い指がズボンと共に少年の下着を降ろし始めていた。
「ああっ…」
少年が思わず屹立から手を離してしまった事で、すんなりと少女は少年の下着を降ろす事が出来た。 跪いて脱がせていた少女の目の前に、丁度ベッドに座っている少年の脈打つ、赤く濡れている怒張が見える。 少女が触れようと手を伸ばす。
「だ、ダメだよ、触っちゃ…」

黄色の靄がかかっている少年の頭は、それでも少女に触れられる事を拒否する。 食い下がるかと思われた少女はしかし、何故か自身の下着を脱ぎ出す。



「…じゃあ、これで良いでしょ?」
少女の右手に握られていたのは、全体が淫液塗れとなった少女のショーツだった。 少女の手は、そのまま少年の陰茎を擦ろうと再び動き出す。
「それもダメだ…ぁあんっ! んっ…あああっ!」
またも拒否しようとした少年の行動は、だが遅過ぎた。 滑やかな手に包まれた下着が、既に少年の固くなった物へと触れてしまったのだ。 少年自身での自慰で限界近くまで上り詰めていた、一週間以上放出される事の無かった精液は、濡れた下着の卑猥な感触に包まれた瞬間に少女の顔目掛けて大量に噴出していた。

少女の顔面を粘度の高い白濁液が垂れ落ちていく。 精液の匂いは生臭かったが、少女はその匂いが苦にならなかった。 あまつさえ、口の周りに付いた精子を左手で掬って舐め取っている。 その表情は恍惚とし、自分の欲情に酔っている様にも見えた。 その間も少女の右手は休まずに少年の陰茎を擦り続ける。

「ひゃうっ、はっ、はっ、あっ、あっ!」
射精したばかりの敏感になっている陰茎を擦り上げられる感触に、少年の腰は少女の右手が一往復する毎に激しく跳ねる。 鈴口からは、先程の射精で尿道に残った汁が染み出している。

少女の左手の指は、顔に付着した精液を塗り広げる事を既に止め、少女の膣に差し込まれている。
「ひんっ、あああぅんっ! かはっ、ひっ…あはっ、あ!」
己が指が作り出す快楽によって、眼の焦点が合わなくなってきている。 喘ぎを洩らす、開け放しになった口からは唾液が零れ、その唾液は顎に付いた濃い精液を少女の薄い陰毛へと落とす役目を果たしている。
少年の剛直が、再び臨界を迎える。
「僕、あっ、またっ…出る、出ちゃ、ひっ、うよ、あっ! あああああっ!」
「ボクもっ…! ああああんっ、ひっ、はっ! んっ! …んんんんんぁっ!」
二度目の熱い精液を顔面に受けながら少女もまた絶頂に達する。

「んんっ…」
白い靄に包まれた少女の脊髄は、快楽によって意識を刈り取られた。 座ったまま愛液を垂れ流し、失神している少女は官能に囚われ、従する女神の像の様で。


其を見る少年は再び己に嫌悪する。 美しき物を汚してしまった自分に。 汚された美しき物を見、昂奮する自分に。







蒼い空、白い雲。 そして、飛び回る戦闘機の輝点。
セカンド・インパクト以降、空が美しくなったと大人達は言う。 それは、自分の周りが世界の全てだったあの幼い頃を思い出す度に生ずる、甘い、色褪せた感覚に似ているものなのかもしれなかった。


紅い機体が灼熱したマグマの中へ入ってから、暫く経つ。 火口に立つ初号機、そして中にいる碇シヲリは、沸き立つ火口を静かに見下ろしていた。

「何故、あの子なの?」
白衣を着、壁に凭れ掛かりながら。 周囲に居る人間に聞かれない為だろう、あるいは、聞かれて欲しく無いというアピールか。 赤木リツコが小声で問う。
「…シヲリちゃんの事?」
こちらも小声で答えるのは、葛城ミサト。 ミサトは腕を組みながら僅かに嘆息し、横目でリツコを捉える。
無言で微かに頷くリツコに、ミサトは口を開く。
「ん、リスクは分散させないとね」
そう嘯くミサトの顔にかかる薄い膜に、リツコは追求しても詮無いと感じたのだろう、オペレータ達の方へ向かいながら口を開く。
「まあ…、良いわ。 私達も仕事、しなくっちゃね」
そう言いながら離れてゆく白衣を見ながら、ミサトは数時間前の事をその脳裏に浮かべていた。



前回と違い、作戦にシヲリを使う事には大した反対が出なかった。 いや、実際には前と同じ程度の反対は有った筈だ。 が、ミサトはそこにリアリティを感じる事が出来なかった。
その薄さは、何か在るからか、それとも何も無いと判断されたからなのか。

―鬼が出るか、蛇が出るか、か―
ミサトは口の中でそう呟きながら、リツコの背中を追った。




ネルフ、パイロット控え室。 少年が初めてその存在を知った時は使う者など居るのだろうか、と思った場所だ。 だが、少年は其処に居た。 蒼い髪をした少女と共に。

固く、座り心地の悪いプラスチックの椅子。 だが、今はそれが助けとなっていた。 尻の痛さで、二人で居る気まずさに少しだけでも眼を逸らしておけるから。 レイは未だ姿勢を崩さず、まるで自分独りしかここには存在しない、とでも言った風に、いつもそうするように本を開いていた。


此処へ来てどれくらい経ったのだろう。 30分か、それとも数時間経っているのか。利用者の事など考えても居ない無機質なコンクリートの直方体―もちろん時計など無い―は、少年の時間感覚を混乱させるのに充分な役目を果たしていた。


少年は幾度隣のモノに話掛けようとしたのかしれなかった。 しかし、その決意はレイの表情を見る度毎に霧散して。

それでも、ついに沈黙に耐え切れず、少年はその重い口の錠を開ける。
「あ、あのさ、綾波…」
そこまで言って少年は口を噤んでしまう。 彼女が自分の話に興味なぞ持つ訳が無いのに、何故自分は声を発して仕舞ったのだろう、と悔いつつ。
しかし、少年の悔恨は裏切られる。 レイが本から顔を上げ、少年の方を向いていたから。


「何?」
涼やかなその声色に導かれ、跪く者は告白する。
「綾波は、寂しくないの? …その、独りでさ」
再び静寂が訪れる。 今度は、ページをめくる音すら聞こえない。
良く冷房が効いている部屋の中で、少年の脇から汗が染み出し、制服の下に着たTシャツへと染みを作っていく。 自分の息遣いすら騒音に思える中での数瞬。


「分からない」
よもやそのような答えが返ってくるとは思わなかったのだろう。 少年は一度レイの顔を見、そしてすぐに膝の間で組んだ己の両手に視線を戻しながら、言う。
「分からないって…。 寂しいとか、思ったこと無いの?」
「…どうして?」
「どうしてって…。 綾波はさ、学校でもずっと独りじゃないか。 授業中でも、昼休みでも。 ネルフでも人と話してるの殆ど見た事無いし…。 だから、そういう風に思った事って、無いのかなって思って」

礼を失した質問は、だが、少年がどうしても彼女に聞きたい事でもあった。 何故なら、少年もまた独りであったから。 不幸な事に、それが少年の思い込みに過ぎないとしても、事実は少年の脆い心に存しているから。

またも数瞬の後、レイが答える。
「…私には、何も無いから」
レイの言葉を飲み込めず、困惑した表情の少年。 少年は、更なる言葉を求めようと話しかける。
「何も無いから、寂しく無いの? …それなら、僕だって何も―」
無いのに、何故寂しいんだろう、と続けようとしたその言葉は、驚くべき事にレイの言葉によって打ち切られた。
「違うわ、貴方が思うより、私には何も無い」
「そんな事―」



言おうとして、少年はレイがもう話す気が無い事を知った。 再び本の上に落とされた彼女の瞳はいつもと変わらず、しかし、蒼い悲哀を湛えているように、少年には思えた。





「しっかし、良くこんなのの用意があったわね…。 ミサト、知ってた?」
浅間山、火口の中。 視界を赤に包まれながら、プラグスーツの下の汗に不快感を感じながら、アスカが言う。
「ああ、電磁柵に冷却ケーブルが接続された奴? 私もさっき初めて知ったのよ。 科学者って言うのは良く分からないわね…。 普通、こんなニッチな用途のために用意しておかないわよ?」
それ程重要な用途に使用される事を想定していないのだろう、程度の良くないスピーカーから聞こえる、若干音の割れたアスカの声にミサトが答え、続けて、
「こんなこともあろうかと…、って奴?」
とリツコに問いかける。
「…まあ、そんなところ」
面白く無さそうにリツコが答える。 その表情に面食らったのか、ミサトはその口調をからかうように変える。
「うーん、でも今回はアレ、使わなくて済みそうね? 孵化、しそうに無いし」
その言葉を聞いたリツコはミサトを一瞥し、表情を更に憂いに曇らせながら吐息と共に言葉を吐き出した。
「そうね、そうだと良いわね…」

その声色の意味を知るものは今、火口の淵に立ち、赤い湖面に目を落としている。



少女が投げ下ろそうとしていた初号機のプログナイフは、使われる事が無かった。





深夜、第三新東京市。
自宅のベランダで、少年は手摺に肘を突き、夜空を見上げていた。 藍の空には砂粒の様に星が煌き、星の波間を渡る様に風が囁く。
自宅へと帰ってきてから食事も摂らず、風呂にも入らず。 少年は月の時間になる前より、中天を見続けていた。 少年の水晶体が、ただただ像を結び続けていることを“見る”と言うならば、だが。


少年は思う。 何故、ここに居るのだろう、と。


結局、綾波レイに聞いても、答えは得られなかった。 正直、少しは期待したのだけれど。
確かに彼女には何もないのだろう、本人がそう言った通りに。 けれど、何が違うと言うのだろう? 彼女、綾波レイは持っていず、自分、碇シンジが持っている筈のモノ。 果たして、それが何か知らない自分は、それを持っていると言えるのだろうか? 彼女は、それを知っているのだろうか?

ここに来てから、自分が居ても良い理由が出来た、と思った。 護らなければならないモノも出来た、と感じた。
けれど、それは自分の思い違いだったのだ。 自分が居ても居なくても友人達は日々を過ごしてゆくし、ネルフは使徒を倒してゆく。 そう、紅い髪の少女と、蒼い髪の少女、それに、自分の妹さえ居れば。

ならば、何故、ここにに居るのだろう。 元から有りもしなかった居場所に縋り付く為か、それとも、他に何か理由があるのか。 此処に居たって、何も無い事には変わりがないと言うのに。
この世界が嫌なのだったら、今すぐ此処から飛び降りてしまえば良い。 その痛みも、恐怖も、エヴァに乗る時よりも少なく、その上、永遠に痛みや苦しみから解放してしまえるのに。


ならば、どうして。

けれど少年は死ぬ事が出来なかった。 生きる事に希望を持てず、ただ、そこに居るだけの存在であるのに。
死を決意する度に生ずる、妹の立姿は何なのだろう。 その瞳、その眉、その鼻、その口は。 妹に触れられた時の、あの痺れる様な感触は。


他人に嫌われるのは慣れている。 だから、苦しくない筈なのに。 どうして、妹に嫌悪されていると考えただけで、耳鳴りがし、内蔵に痛みが疾るのだろう。


それは、少女が妹であると知った時から少年の心奥深くに閉じ込められていた感情。
少女を護るべき対象として見る事で、少年自身の心を誤魔化していた門番が、今だけはその大きく、重い門を少しだけ開けているのだろう。


―僕は、シヲリの事―



しかし、少年の内なる声は最後まで音を発する事無く。 その耳に、玄関が開く音が聞こえたから。
「ただいま」
そしてその後には、居る筈の無い少女の声が聞こえてきたから。


「え、何で…シ、シヲリ?」
呆然と部屋の中を見ている、月明かりに照らされた少年の姿を認めたのだろう、少女は灯も点けずにリビングを横切り、ベランダへと入ってきた。
「帰って来ちゃった」
エレベーターから自宅への僅かな距離すら走って来た少女は、僅かに息を整えながら詠う。
「え、あ、でも、今浅間山じゃ…」
どうしてつまらない言葉しか出てこないのだろう、少年は内で呪詛を吐く。
「うん、そうなんだけどね…。 ミサトさんに無理言って帰らせて貰ったんだ。 ミサトさんとアスカは明日帰ってくるって。 でね―」
そう言いながら少女は姿勢を正すと、

「―ごめんなさい」
少年へと向かって頭を下げた。



「…へ? え?」
今度こそ本当に意味が分からない、といった体の少年に向かい、少女はその桜色の唇を開く。
「…あの、この前のユニゾンの時…」
その言葉を聞いた少年が僅かに身を震わせ、心を閉じようとする。
「…良いんだよ、僕は気にしてないから」
身体の震えを少女の眼から隠し、己の内側を少女の心から逸らし。 少年は痛みから逃げ出そうとする。
「連絡が無かったのはボクの所為なんだよ…。 ミサトさんが忙しいの知ってたのに、ミサトさんに連絡、全部任せちゃって…。 だから、ボクの所為なんだ」
「うん、分かってるよ…」
少年の表情に、少女は気付く。 見慣れた自分の表情に。 ネルフへ来る前の自分の顔に。
溢れた悲しみは、少女を突き動かす。




「分かってない! お兄ちゃんは全然分かってないよ!」
初めて見る妹の激昂故に、少年は門を閉じるのを一瞬忘れた。 そして、その僅かな時間で、少女が少年の内に触れるには充分だった。
「ボクがどれだけお兄ちゃんに逢えなくて辛かったか! ボクがどれだけお兄ちゃんに触れられなくて寂しかったか! 今日だってお兄ちゃんを見たくて帰ってきたのに、ボクの気持ちをお兄ちゃんは全然…ぐっ…分か…ってな…い!」



少女は、泣いていた。


「ボクは、ボ…クはっ! お兄ちゃんが、お兄ちゃんの事が…っ!」
そう言うなり少女は、少年のまだ薄い胸板に飛びつき、そして、
「…んっ!」

くちづける。


技巧も何も無い、ただ気持ちばかりの接吻。 舌も絡めぬ幼いキスは、けれど少年の心に橋を渡す。 暖かい唇の感触と、少女の頬を流れる滂沱たる涙。 千の言葉より、万の謝罪より、その一つの唇は気持ちを伝えて。


だから、少年はそっと少女の背中に腕を回し、少年よりなお細いその身体を抱きとめる。



現世は、独りで渡るには苦し過ぎるのかもしれない。 けれど、二人だったら。



兄妹の影は、ずっとずっと、重なり続けていた。






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