山上の奥院の空は真っ黒だった。この辺りのフィールドは光透過性がないらしい。
その空に、鴉天狗と得体の知れない虫の群れが蠢いている。時々山上の院から放た
れる細い光はその者達にあたっても砕かれるだけだ。地鳴りがする。腹の底に応え
るような、陰鬱な旋律を持った響きが山上の院を押し包みつつあった。


「さすがは明日香だ。よくもあの包囲を突っ切って内廓に辿り着いたものだ。」

「はぁ、はぁ。どうでもいいわよそんな事。とにかく、水ッ、水頂戴っ!」


奥の院の内廓にやっと辿り着いた明日香を迎えたのは、夜遊び仲間の「赤毛」だ。
へたばり切った明日香は、荒々しく床に転がって激しい息をつく。


「はいッ、水ですっ!」


汲み上げたばかりの水が、桶ごと回されてくる。持って走って来たのはまだ小さな
子狐だ。それを受け取ると明日香は頭を突っ込むようにして、半分は水を浴びる様
に飲み干した。


「どうぞっ。」


木綿の布が差し出される。子狐の顔が憧れに輝いている。


「ありがとう。」


笑みを返して、濡れた顔や身体を簡単に拭う。べっとりと顔に付いていた血漿が洗
い流され、ほっとする。


「外にも随分連絡を取ろうとしたが、フィールドを張られて出られなかったんだ。
地下水脈から出た水狐達も、管狐達も皆戻って来ない。」

「あたしも門前でいきなり襲われたわ。外は麗らかなものよ。異変の欠片ほども
感 じられなかったわ。」
「じゃあ、外にはまだ伝わっていないのか。」
「いえ。すでにクロと青葉、慎二と小丸、ヨシキリが潜り込んで来てる。外には此
所の異変自体はもう伝わっている。だけど、伝わっただけでは此所まで傾いた戦い
を持ち直す事はできないわ。うちのパパ、父はどうしているのっ。」

「天狐さまは・・・。」


明日香の顔色が変わった。


「ま、まさかっ!」

「大丈夫だ、命に別状はない。ただ暫く動く事はできんだろう。」

「怪我をしたのっ。」

「ああ、遠来の客を迎える為出られた所をいきなり襲われた。まさか、葛葉一族が
このような挙に出るなど誰も想像していなかったからな。」

「とにかく・・・。行ってくるわ。」


明日香は、唇をしっかり引き結びながら立ち上がった。気を緩ませればその場で
泣き出してしまいそうだと思ったからだ。









彼女は魔物?外伝(下)

夏の終わり /白銀乃森にが立つ時            
KOMEDOKORO / PENPEN










青葉は敵側の布陣を見て唖然として呟いた。


「凄い包囲だ。常識的には管狐が抜けられぬ様な所を我々が抜けるのは不可能。」

「明日香が放った管はどうなったと思う? ヨシキリ爺。」

「あやつらは、間違いなく着いております。ただ明日香殿の居場所が分からぬ故、
戻れぬだけでしょう。あやつらは、管の最高峰。不可能はありませぬ。」

「では頼みたい。中に入って明日香がいるかどうか。戦況と、今後の指示を誰が
出すのかを確認して欲しい。僕らは此所から下に降りる。」


慎二がヨシキリに言うと彼は先ほどの若い西の狐の姿のまま立ち上がった。


「承知。」

「おい、此所まで来て社殿に入らないのか。」

「此所から先は向こうが必死になっている場所だよ。小丸を危険に曝せない。
次の 天狐はこの子だ。僕らには守る義務がある。」


慎二が険しい顔でクロに言う。その間にヨシキリは、無造作に敵の陣に向かって
歩き出す。たちまち周囲を取り囲まれる。


「待て。おまえ外囲みの守備の、若狭の者だろう。何故此所にいる。」

「我等の囲みを突破したものがいる故、知らせに来たのよ。」

「それは先ほどの雌狐の事だろう。大した手だれであったようだが包囲の中に飛び
込むとは馬鹿なやつよのう。」

「いや、それは違うな、我等が見たのは20名程の集団だった。」

「20名?そんなものはまだ確認しとらへんぞ。」

「せやから教えにきたんや。はよ通さんかい。」

「待てや。お前の身体は血の匂いがする。しかもこりゃ沈香の薫りや。」


わっと押し包まれて格闘になる。暫く騒いだ後、皆が離れると若狭の狐はずたずた
になっていた。


「化けたんだか裏切ったんだか知らんが我等の血には頭領様が沈香を焚いて下さっ
とるのや。返り血の付いたやつはすぐ分かるんやで。」


リーダーは得意そうに言うと、皆に配置に戻れと指示を出した。 クロがきょとんとして言う。


「なんじゃ、すぐやられちまって。」

「いや、そうじゃないよ。あの一番後ろを歩いてる敵のリーダーを見て御覧。」


慎二が言うと、彼はこっちを見るとべっと舌を出して、茂みの向こうに飛び込んで いった。
小丸と青葉が目を丸くした。


「あの、格闘の間に飛び移ったんだね。」

「味方でよかった・・・。」

「さ、みんなは小丸を守って下で待機してくれ。」


慎二はそう指示すると、ごそごそと這いつくばって動き出した。


「こら、慎二。何してるんだ。」

「え、僕は行かなくちゃ。だって、中にいるかも知れないんだよ、明日香が。」

「何で兄ちゃんだけ。」

「当代と次期天狐が一緒にいるのは危険度が高すぎるじゃないか。わかるよな。
小丸は下に行って、外からの支援をまとめて欲しいんだ。」


不満顔の小丸を抱き上げると、青葉が坂を駆け降りた。長くいればいるだけ慎二の
邪魔になるからだ。続いてクロも駆け降りようとして、立ち止まって言った。


「明日香が何を言おうと、お前の心は変わらないよな。」


慎二の顏から一瞬だけ笑いが消え、そのあとすぐに輝く笑顔が戻った。


「何があっても。」






「西側の囲みで続けざまに爆発が起きています。」


きらびやかな輿が幔幕に囲まれている。その周囲には一族の主だったものが控えている。
その中にはレイもいた。先ほどから聴こえている腹の底に応えるような、陰鬱な旋律を持った
地響きはそのまま山頂を包んでいる。その響きは、次第に高音 を含むようになり、まるで地
の底から何かが這い上がってくるようだ。その中で伝令の白狐が至急の報告をしている。
この場にも白い狐が多い。


「レイ。準備はええか。そろそろや・・・。」

「はい、お祖父様。いつでもでられます。」

「その爆発とやら、どないなことかの。」

「我等の包囲12段構え、既に8段まで突き崩されておりまする。」

「レイ、明日香ではないなぁ。あの娘が未だ戦力になるなら厄介もんやし。」

「その者、人間の男にて。」 「わかった。この山の当代。碇慎二だわ。」

「未だ何の兆しもない男のはずではなかったかの。確か未だ明日香はおぼこやったろ。
なあ、レイ。あんたはんかて其処に付け込んだんやもんなあ。」

「ええ。既に明日香は正気も妖力も失なった只の野狐に成り果てているはず。」


レイは明日香の、雄を迎え入れねばならない雌の切ない叫びを思い出して答えた。
あの叫びは乙女の明かし。明日香が未通娘である事は疑う余地がなかった。ならば
碇慎二は未だ明日香と契りは交わしていないはず。只の人間に自然な妖力の発生は
ありえないはず。だが現場は、はずだ、だろうでは済まない。一刻も早くそれに対抗
できる術者を派遣してもらわねば戦線は維持できない。若い長身の妖狐が立ち上 がった。
夕暮れ色の瞳と白銀の長髪を掻き上げる、少女のように線の細い顔立ちの 少年だった。


「僕が行きましょうか。」

「薫・・・おまえか。」


年老いた天狐は渋い顔をした。よほどのお気に入りらしい。


「このっ!」


慎二が剣を振るうと其処からスクリーンが展開され、敵兵が何の抵抗もなく2つに分離する。
関西勢が張っているフィールドにそれが触れると大爆発が起きる。吹き 飛ばされ下級兵が
ぼろぼろになって血煙を上げ投げ出される。目を背けながらも 先に進んでいく慎二。此所まで
進んでも強力な妖狐は現れない。とことん雑兵の命 を楯にして強力な敵の力を削ごうと言う
のか。既に慎二の全身は血まみれになり、沈香の薫りが立ち上っている。 後方から2,3人の
男達が飛び上がったかと思うと突然、猛烈な炎が慎二の周囲に燃え上がった。
いよいよ術者の攻撃が始まったらしい。足下を這うように長く鋭い 針が無数に飛んでくる。枝の
上に飛び上がってそれを避けると半月と呼ばれる真空 の剃刀が弧を描き慎二を4方から襲った。
とっさに大枝を蹴って垂直に方向を替えながら真っ赤なフィールドを展開し避けきれなかった分
を跳ね返す。


「氷雪っ!」

慎二が叫ぶ瞬間に激しいブリザードが前方に吹き出され戦場に殺到して来たムカデの大群を支える。
猛々しい叫び声を挙げてのたうつ巨大なムカデの群れが、毒汁の霧 を辺り一面に吐き散らし青い木々
をあっという間に縮み上がらせ枯らしていく。


「赤光っ!」


続けて目も眩む激しい赤い稲妻が凍りついた虫の群れを粉々に砕く。その欠片が、バラバラと降る中、
疾風となった少年が駆け抜ける。喉を押さえてのたうつ敵兵が 見る間に溶け落ちて白骨の骸となって
いく。構わずに一直線に明日香のいる所へ。 慎二の瞳は他の何ももはや写し出してはいなかった。
前方に飛び出し遮ろうとする 者は、有無をいわさず薙ぎ払って進み続けた。慎二はもはや阿修羅と化し
ていた。 そこにいままでとは桁違いの衝撃が走った。続けざまに一直線に巨大な落雷が向かって来る。
その後は白熱し滾り立った溶鉱炉の様になっている。その白熱した掘りが、慎二の道を阻む。その向こ
う側に茜色の瞳の少年が炎に包まれて立っている。


「此所までしか君は進ませないよ。この先は我等葛葉の結界。人ごときの踏み入る世界ではないんだ。」

「誰だかしらないけど僕は進む。この先には僕の運命が僕を待っているんだ。」


彼の光輝くフィールドと、慎二の深紅のフィールドがぶつかりあい、凄まじい爆発 が起き、周囲の森が
見る間に宙空に浮び、高熱の中に蒸発していく。互いの、煮え たぎった身体が、激しくぶつかる。抜き
はなった慎二と薫の宝剣が澄んだ音を立てこの喧噪の中に響き渡る。ぎりぎりと全身の力を込め、剣
の刃を立てあう。歯を食いしばり、自分の求めるたった一人の為に慎二は生まれて初めて命を賭けて
戦っていた。この向こうに、この向こうに明日香がいる。


「明日香、明日香。・・・いま行くッ。いまいくよっ!」


食いしばる歯が砕けそうだ。瞬間、薫の足が側頭に飛んだ。とっさに肘で跳ね上げ 引いた剣で薫の
腱を切り裂いていた。血が飛び散る。


「あうっ!くっ、やるな碇くん。」

「ぐ・・・。」


同時に慎二の脇腹から流れ出す夥しい血。反転して離れた瞬間に、薫が放った鉄棘が脇腹を2ケ所
貫いている。しゃがみ込んだ身体を無理に引き起こし、慎二は再び走り始めた。
真っ黒になって殺到してくる敵のギラギラ輝く目、目、目、が視野に入ってくる


「もう、もう、誰も邪魔するなああアッ!」


慎二の瞳が金色に変わり輝いた。周囲の敵がバラバラに千切れ飛び、断末魔の悲鳴を上げて虚空に
消え散っていく。


「うおぉぉぉぉぉぁああああああっ!」


喉も裂けよと慎二は吠え、全身をばねにして飛び出した。それは慎二の意志? それとも何かに操られ
ているのか。慎二には分からない事だった。






社宮の奥殿深く、広い板の間に数畳の畳が敷かれた部屋。
其処に明日香は居た。 傷ついた父とそれを看取る毋と共に。


「慎二・・・。慎二ぃ。おねがい、こないで、もうやめてぇ。」


その歯を噛み締めたまま、明日香は呻いた。バラバラと涙が膝にこぼれ落ち、辺りを濡らしていた。
ぼんやりと浮かぶ大きなぼんぼりのような球の中で、血まみれの慎二が奮闘して いる。明日香を
必死で呼びながら、殺到する敵とたった一人で戦っている。 荒れ狂い、敵を叩き臥せる激しさ。慎二
が、自分の為に戦い、変わっていく事にまた罪悪感を感じてしまう。私にはもうそんな資格はないのに。


「明日香。このまま奴を死なせてしまうのか。」

「だって・・・っ!」

「あの力は何だ。何処からやって来ている力だと思う。」

「わからない。少なくとも私たちの力とは違う。」

「そうだ。我々の妖力とは違う。あれこそが本当の白銀宮社の力なのだ。」

「白銀乃滴の発動?」

「だが未だ真の発動までには至らぬ。それには満ちていないものがあるのだ。」


いつも静かな母親が口を開く。


「明日香。あなたの乙女としての苦しみ。分かります。」


今日子はまっすぐに明日香の目を見つめた。


「我等妖狐としての掟があなたを苦しめるなら、何故それを捨てないのです。」

「妖狐を、捨てる。」

「私の友にもそういう方がいた。人の身でありながら妖狐に望まれ嫁いだ方が。
そして、妖狐と子を二人までなしたのです。だがその方は出会ってしまった。
結ばれねばならなかった者と。その者とは、あなたの父の兄、ゲンドウ。」


「慎二の、お父様が!」

「兄、ゲンドウは次期天狐の位と首領の地位をいとも簡単に捨てた。そしてあのお方
も愛するわが子と薄野原の家、葛葉一族を捨てた。そうまでしても二人は一緒にいな
ければならなかった。もともと一つだったものを引き離す事は神にもできぬのだ。
兄はすべてを私に押し付けて去った。」


「あなたの苦しむ僅かな汚れは妖狐だけの掟でしか問題にならぬもの。ならばその掟
全てを今日を限りに投げ捨てなさい。投げ捨てて、あなたは心のままに。 あなたの慎二
君のところへ行きなさい。」


東山神社の麓。此の名賀尾との古くから関係の深い吉真田神社、弥彦音神社系の
妖狐達、そして出仕をしなくなった年輩の妖狐達が結集していた。その後方に控え
加持達メンバーズと、その指揮下の武力制圧部隊。 クロは各氏族の長達と折り合い
をつけ、何とか一体化した作戦下で行動ができる体制を造り出した。わずか5歳とは
言え、これほど強大な力を持つ小丸の存在がやはり大きかった。目の前に次期首領
がいるのだ。共に動かねば敵対を宣言したに等しい。 明日香の管とその長たるヨシ
キリの得た情報と指示は、彼らを大いに力付けた。 情況は圧倒的劣勢だが、山上には
天狐が2尾と当代が健在で戦いは続いている。 戦闘能力的には西の葛葉一族には、
蒼銀の比翼と呼ばれる2尾の天狐、そして 九尾の大長老。妖狐2000匹余りと、勢力
下の妖怪、変化達が無数。


「対地誘導弾を10発。山頂の奥社周囲200mラインに落とせ。銀のチャフを詰め込んだ、
簡易破結界弾を全山にぶち込め。準備出来次第一斉発射せよ。」


きゅるるるる・・・・


結界の外側でミサイルが3回程爆発した後、残りは吸い込まれるように奥社周辺の
森に吸い込まれ、巨大な爆発を起こした。何も見えない空間の途中から、黒い煙り
がもうもうと吹き出した。肉眼で結界を確認出来た瞬間であった。同時に 上空から白
煙を曵きながら無数のチャフカプセルを飲み込んだ小型誘導弾 が山に舞い降りた。
山の形が揺らぎ、湯気の向こうにあるような姿を見せたかと 思うと。皆の頭に助けを
求める悲鳴が、わっと飛び込んで来た。あちこちに火の手が上がり、戦いの跡か、
広い範囲で大木がな薙ぎ倒されている。すかさず正面石階段から吉真田と弥彦音の
護衛兵が猛然と突っ込んでいく。その後を手に手に護身刀や、猟銃等を持った一般の
妖狐達が続く。クロや小丸たちは一気に跳躍し て奥社を目指す。全山に息を潜めて
いた、化身達も鎌首をもたげ西の物達に襲い掛かる。


「慎二がたった一人で、敵全軍と戦っているそうだ。」

「さすがは御当代。豪儀な事じゃのっ。」

「みんな急げ、死なすでねえぞっ!」


葛葉薄野原の中枢部に、次々と不利な戦況が伝えられ始めた。全山にわたって、
東国の勢力が急速に回復していく。


「周囲の結界が破られました。人間達の介入と東の者たちが動きだしました。」


「吉真田、弥彦音、那須天満、赤城、妙義山、信濃各社が、介入して来ます。」







奥院の屋根に金色の髪を真っ赤に染めて少女は立っていた。
周囲の森では引っ切り無しに大小の爆発とその明滅が繰り返されている。
凄まじい勢いで周囲の大気が渦を巻いている。その風が少女の紅に染まった金の髪を逆立て、
はためかせる。 じっと念を凝らしていたその少女に向かって、この激しい風に逆らって真っ白な
煙が幾筋も幾筋も引き寄せられていく。その白煙が少女の身体に吸い込まれて いくのと同時に、
彼女の身体は次第に衣服を通過して光り輝きはじめ、更に白銀色に白熱化して行く。
社宮の正面にある能舞台に向かってその目を開いた明日香 は、更に呪言を凝らし始めた。


「む、レイ。・・・もう一つ、巨大な妖気が膨らみ続けておるわ。」

「惣流群雲が、正面に?」

「いや。レイ、あんたの仕事しくじっとったらしいわ。明日香やろ。これ。」

「!」


レイは、弾かれるように立ち上がると、周囲の炎を蹴立てて空に舞い上がった。
眼下では、深い森も草原も社務宮も、紅蓮の火炎に包まれて燃え上がっている。
その中で固い鋼色の皮膚に炎を反射させながら蠢くムカデの群れと惣流の蛇群、
そして双方の兵と、閃光を放ちながら荒れ狂う薫と慎二が見える。


「あと一刻、明日香が雄狐に完全に野狐にされるまで、見届けるべきやったな。
しかしなあ、其れをあんたに求めるのは酷というものやったろしな。」


巫女であるレイはもとより雌雄の睦ごとなど知る由もない。その僅かな恥じらい が
最後の瞬間を見届ける事を躊躇わせ明日香を救った。その明日香は文言を編み終え、
その全ての力を持って叫んだ。


「惣門蒼柴の放髪思うなむ いであれはいかな あれはいかなっ天獣召還−−つ!」


瞬間、殆ど垂直に地中から数十柱の目も眩む輝く光の固まりが天の遥かに飛び出 していく。
それに答えるように、獅子座の方向から真っ赤な輝きを放つ天狗の星 がこなたに墜ちて来た。


どどどどどーん!





社殿正面の能舞台は吹き飛び、バラバラと木っ端が降り落ちる。炎が激しく噴き出し、
高温にガス化して激しく燃え上がる能舞台の中から数頭の炎のたてがみを持つ神馬が
いなないた。明日香は炎の中に飛び込み、一番大柄な馬に打ち跨がった。同時に明日香が
まとっていた白いセーラーは粉々に砕け散り、その後に戦闘用の厚地の武道着が身体を覆った。
神馬は躍り上がり激しく床を蹴立て、後足で立ち上がると再び前足を打ち振るい嘶きを上げた。
髪も、服も、その身体も激しい炎に包まれた光輝く明日香が 激しく横腹を蹴りあげる。
再び嘶いた炎の馬は明日香の跨がった馬を先頭に流星となって空に舞い上がり、宙に立ちふさがり、
連続して雷球を放ちつづけるレイを、いとも簡単にはね除けた。

森の中で力つきよろめいていた慎二は後ろから風の固まりが迫ってくるのを感じ思わず振り返ろうとした。
その瞬間誰かが自分の身体を救い上げ、再び天空に舞い上がった。
煌めく金の髪が風になびき、自信たっぷりに胸を張って鮮やかに笑う、 自分の半身、惣流明日香だった。


「明日香っ。本当に明日香なんだねっ。」


固く、固く抱き合う二人。
二人を炎が包み、激しく燃え上がりながら幾度も天に大きな円が描かれる。


「んなぁにへばりかけてるのよ!そんな事じゃ私の旦那様にはなれないぞっ。」



「あ、明日香っ。あんたはもう野狐になったんじゃ・・・。」

やっとの事で追って来たレイが思わず口にすると明日香は物凄い顔で睨み付けた。

「その件に関しちゃあ、10倍にしてかえしてやるわよっ。ただ今は慎二の事が先だから
預けといてやるわっ。」

「慎二、ごめんよ。わたし、帰って来たから。もう絶対、一瞬でも離れないからね。」

「あ、明日香。やっと会えたぁ。明日香。よかっ、たっ。」


声がつまってうまく出ない。その時だった。天狐薄野原漂風は、輿を抜け出ると、その
九尾を現し、巨大な身体で天空を覆いつくしなが ら、天空も地上もそこにいる、全ての
生命が本能から恐怖し、立っている者は地に伏し、地をはう者達は動けなくなる程の
大音じょうをもって真っ赤な口を開けて叫んだ。


「長老、京都黒谷光明の天狐薄野原漂風の名に賭けて退きはしない。此所で退けば、
白銀乃滴は復活し、再び其の力を持ってこの世の全てを収束させるだろう。 個がそんな
力を持ってはあかんのや。一種族がそれを私しては絶対あかんのや。」


その巨大な身体に人間の大型ミサイルや砲弾が次々と放たれ、爆発の閃光と黒煙がその
場を覆い尽くすが、その煙の中からなおも巨大な四肢と、その一本が空の何割かを覆って
しまう程巨大な尾が現れる。


「白銀乃滴社惣流門は余りに人間に近付き過ぎとる。必ず人間に利用される。惣流門よ、
それが何故分からんのや。西の妖(あやかし)達よ。義は我にあり。惣流門を滅ぼしつくせ、
白銀乃滴を再びこの地に封じ込めよ。この世の終わりまであれを眠らせよ。」


その両翼を支える蒼銀の比翼、レイとカヲル。 そこに巨大な光の球が爆発し、3尾は暫し動け
なかった。空中に、神馬に打ち跨がり、明日香に支えられた慎二がいた。ぼろぼろになって、
もう顔も分からぬ程であったが、それでも未だ意識はあった。炎に包まれ、明日香を後ろから
しっかりと抱締めたまま、慎二はよく通る声で九尾の狐、天狐薄野原漂風に言い放った。


「そんな事の為に明日香を襲ったのか・・・、そんな事の為にっ。」


シンジの身体の周りで鼓動ごと陽炎が激しく揺れ動く。声を放つ度に神馬の炎が吹き飛ばされ
てしまいそうになる。 かまわず、九尾の白狐は口から蒸気と化した鉄の焔を吹きかけ、同時に幾筋
もの雷光が神馬を襲った。神馬アマノフチコマ達は一斉に身体から吹き出る火炎をカッと燃え上がらせ
その灼熱の蒸気と稲妻を弾き飛ばした。その炎はそのまま大蛇のように九尾に巻き付くように襲い
掛かった。炎の大蛇に巻き付かれた年老いた白狐は、若い2尾の助けを借りてその蛇を引き裂いた。


「長老、あんたのいっている事は間違いだ。白銀乃滴はそんなふうに誰かに利用されるような
ものじゃない。いまはもう生きていないものの切ない思い。結ばれ なかったものたちの悲しみの心。
自分の宿命に抗えなかった者の残った心。そう いう弱い、切ない、守りたかった心が純粋に巨大な
エネルギーに溶け込んで、今 命を持とうとしているんだ。だから、あんたが恐れるような心とは反応
しない。 白銀乃滴は、自分を愛するものの為に捧げる者、信ずるもの、希望を持つもの、 無心に、
自分の周囲から慈しんでいく者の為に存在し、その力を現す。もっと自然に近いものなんだ。」


慎二は、全身から夥しい血を流していた。そのつま先からぽたぽたと流れ続けている。だが慎二は
話すのを止めようとはしなかった。そのまま話しつづけた。その慎二の目を見た明日香は、馬上で体を
入れ替え後ろから手を回してしっかりと慎二にしがみつき、その身体を支えた。だがその回した腕は、
見る見るうちに血で染まり、明日香自身の白い身体を赤く染めていく。


「・・・・慎二、シンジィ。凄い血だよ。大丈夫なの、ねえ、大丈夫なの?」


震える、小さな声で明日香は慎二に言った。慎二は何も言わずただ明日香の腕に腕を重ねた。


「小僧、お前に何故それが分かる。」


九尾の狐は焔のような呼気を吐き出しながらその赤い口を耳まで開いて恫喝するようにいった。
明日香は崩れかける慎二の身体を必死に支えた。恐怖で魂が凍りそうだった。だが慎二はまだ
胸を張っている。明日香はそれを誇らしいと思った。死ぬときは一緒だと思うと身体の強張りが消えた。


「僕は、一介の只の人間だ。僕が願ったのはただ一つ。この、自分の全てとでも引き換えにしても
明日香に会いたい。この僕の命の半分と共にありたい。ただ、それだけ。その願いに白銀乃滴は
力を貸してくれた。その力が何処から流れ込んでくるのかが分かった。だから。」


慎二の声はもはや聞こえない程小さくなっていた。命の火が消えかかっているのだ。 明日香だけ
では、その身体を支えきれなくなった時、薫がその慎二の肩を支えた。

レイがとがめるように叫んだ。


「兄さんっ、それは敵よ!」

「碇慎二くん。さあ、支えていてあげる。言いたい事を言いたまえ。」

「ありがとう。・・・長老が知っている白銀は昔は違っていたのかも知れない。 でも、今の白銀の滴は
違うよ。だから、殺しあうのは止めて。たのみます。」


慎二の身体が崩れ落ち、薫の腕からも抜け落ちそうになった瞬間。 馬上に跨がった慎二は、最後の
気力を振り絞って明日香の顔を手で包むと、万感の思いを込めて激しいキスをした。身体の繋がりは
まだないけれど慎二と明日香はもう何もその間に入り込めない一つの塊である事がその場にいる
全ての者に分かる、そんな抱擁と口付けだった。 九尾の狐はこのまま自爆してでも彼らを吹き飛ば
そうと思った。復活に最も近い 所にいる、この惣流明日香と、碇慎二を葬ってしまえば白銀乃滴の
復活は、また最初からやり直しとなり千年の時を経なければならない事になる。復活を阻む最大の
チャンスだった。
だが慎二の言った事に、九尾の狐は一抹の真実を感じたのだった。 彼は静かに目蓋を閉じた。



信じた訳ではない。が、信じたいのかもしれんの。



目をあけると、この危険なにらみあいの場に慎二と明日香の仲間であろう若い妖狐達が、
数十人では利かないかも知れない程集まって、二人を守るように周囲を取り巻いて支えていた。
飛べるものは此所へ、飛べぬもの皆がこの真下に集まり 幾千もの目が注がれていた。
慎二と明日香を信ずるという只それだけの理由で命を賭け、九尾の狐の答えを待ち受けていた。



熱いのう。こんな仲間が儂にも大勢いたもんよ。みんな、先に逝きよった。
そろそろ会いたいもんやのう。



「小僧っ、そしてその半身とかいう小娘よっ。お前達の言、一度だけ信じよう。
だが人間はお前達が思う以上に、狡猾で奸智にたけ執念深い。
お前達の清廉だけで対抗できるものではないぞ。その事よく憶えておくがいい。」


結界が解かれ青々とした夏の空が広がった。その真っ青な青空に純白の積乱雲が 幾つも幾つも競い
合うようにそそり立っている。


「レイッ、カヲルッ。去ぬるぞっ!」


白狐は身体を翻し青空に眷属を巻き上げ、旋風となって雲間を駆け上がっていった。
慎二と明日香は、それを見送ったあと、馬群と共に地上に降り立った。
待ち受けていた皆が歓声を上げ駆け寄ってくる。


「明日香ッ!」


呼ばれて振り返った途端、大きな風礫(かぜつぶて)の塊が明日香を襲った。
瞬間張った障壁にそれは 弾かれて高い金属音を残して消えた。中空にレイが独り残っていた。


「何すんのよ!危ないじゃないのっ。」

「腕、磨いておきなさい。」

「よけいなお世話よっ。」


そのままレイはほんの少しだけ明日香の顔をじっと見つめ、虚空に溶けた。
消える瞬間にレイの唇がわずかに動いた。






「え?」


ずるずるっと、シンジが炎の馬から滑り落ちた。わっと周囲にいたみんなが手を伸ばす。


「し、慎二っ。死んじゃいやだあああっ。」


地面の上でぺったりとすわりこんだまま慎二を抱き締め、手放しで明日香がわあわあ泣き始めた。
支援部隊がタンカを担いで走って来る。再び跳躍して来た小丸やクロ達が応急に手をかざして生気を
放出する。
慎二の身体が、薄青い膜につつまれて赤みをわずかに取り戻していく。


「わあああああん!わああああんッ!慎二が死んじゃうようっ。あーん、あんあん。」


詰め掛ける群集、そこどいてッ、道を開けろッ、の叫び声。明日香の大きな泣き声。

そんなものがいつまでも続いていた。










夜半、 慎二は目を覚ました。どこかの病院の個室であろう。
腕に点滴の管がつながっていている。ベッド脇のテーブルに突っ伏して明日香が眠っている。
枕許の水差しを取ろうとして手を伸ばすとコップがぶつかり合ってわずかな音を立てた。
出しっぱなしになっていた明日香の耳がぴくんと動く。


「ぁ、慎二。気が付いたんだね・・・。」


素早くおきあがると、保冷ポットから冷たい水をコップに注いでくれた。


「僕、どのくらい寝てた?」

「半日、くらいかな。出血が酷かったから大変だったんだよ。」

「明日香は?どこも怪我しなかったの?」

「まあ・・・。人から見れば私たち妖狐は桁外れに回復力があるからね。」

「身体が粉々にならない限り、時間がかかっても再生だってできるんだって?」

「そういう伝説もある、というだけよ。」


明日香に手を伸ばす。頬が温かい。明日香は確かにここにいる。


「明日香。ここにいるんだね。何があっても君は僕といなきゃだめなんだからね。」

「うん、いるよ。ここにいる。あんたがいていいという限り絶対に離れない。」

「約束するね。」

「誓う。」


僕と明日香は片方の手のひら同士を押し付け合って誓った。同時に僕のほうに明日香が
傾いてきて、僕の枕の横に自分の頭を並べた。


「慎二、いい顔してる。」

「そ、そうかな。」

「あんたが迎えに来てくれたとき、私、家の中でずっと見てたの。明日香、明日香って、
何度も呼びながら、炎の中でぼろぼろになって戦ってた。」

「なんだ。それならもっと早く出てきてくれれば良かったのに。」

「ふふふ。」


明日香はゆっくり笑った。そして心の中で思った。


(「人が人を愛するって事と、狐が狐を好きと思う心と。随分違うんだね。
慎二の人の心。確かに受け取ったから。」)

(「どっちにせよ、今は全身包帯だらけだから、またこんどにしようっと。」)




わかっているんですかねえ。



さっきまで降っていた夕立が上がり、星が見えていた。
狐達の国、白銀乃滴をつつむように、人には見えない明りが立ち上るように輝き始めた。
夏の終わりの夕立の後。
まだ空中に雨の粒子が漂っている。

そんな時、この国の上には妖狐にしか見えない不思議なものが見える。

真っ暗な闇に輝く七色のアーチ。天空を横切る巨大な虹の橋。

夜空に煌く星々の間に鮮やかにかかる虹。

国中の狐達は夜空を見上げる。

これもまた、この国を守る白銀乃滴神社の導きの一つ。魂はここを渡って天空に上り、
天の流れ星。天の狐となって、また再び戻ってくる。


狐達は、そう信じている。

夜明けの明りに虹が消えていくまで、その夜はずっとそれを眺めているのだ。














第10話 :彼女は魔物?
外伝(下)
夏の終わり /白銀乃森にが立つ時            


おつかれさまでした〜〜〜。

明日香:長いだけの話ってかんじよね。ああ、疲れた。

こめどころ:なるべく今後のネタばれをしないで、謎めかしてあったところは解説する、
という事だったんですがね。

小丸:今回僕結構活躍したよね、お姉ちゃん。

明日香:なんか私まで助けたりとか、すごかったじゃない。さすがは私の弟よね。

小丸:わーい!

明日香:でもあの後お風呂入ってないでしょ。なんか臭くなってるわよ。

小丸:そ、そうかなあ。チャンと手、洗ってたけど。

明日香:全身よぅ!あったりまえじゃない。

こめ:小丸くん。そういう時代なんだよ。きれいになってきなさい。

小丸:いやだあああああっ!!


ずるずるずる・・・・・・。






小丸:あは。意外と気持ちいいや。

明日香:そうでしょ。白銀乃滴温泉は最高なんだから。読者の方で私と一緒に
入りたい方は、ご招待しちゃおうかな〜〜。


がたがたがたがたっ。


明日香:「何の音!?小丸外見て頂戴。」

小丸:「兄ちゃんがひっくりかえってるよ。」

慎二:「招待なんかしたらだめだ〜〜。明日香はぼくんだ〜〜。」

明日香:「あらあら、困った慎ちゃん。
でもプロデューサーのTAKUさんとは約束しちゃったしな〜〜。」

まこと:「今シンジ君がすごい顔して北のほうに飛んでったけど、いいんですかぁ?」




忘れそうになったエピローグ


神社の入り口に、赤いサイクリング自転車が倒れていた。その自転車には赤い風船が
結び付けられて、ふわふわとたなびいている。その糸が風に吹かれてぷつんと切れた。
そのまま風船は舞い上がって、小鳥に姿を変え、ぱたぱたと森の上を暫く飛び交うと、
社殿に戻ってきた明日香の両親のところへ舞い下りた。


「あら、赤い小鳥が。」

「これは明日香の術式だな。何をしたものか・・・。」


自己解凍型のファイルだったらしく。縁側にとまると、元の箱形に戻った。


「結構大きな箱だな。手紙が付いているぞ。おお、義姉上からではないか。」

「中は、ほう。今日子、開けてご覧。」

「まあ、なんて美しい打掛でしょう。明日香に下さったのですわ。」

「明日香に持たせると書いてあるのに、なぜ一人でやってきたのでしょう。」

「まあ、何か事情があるのだろう。」


惣流群雲乃早風は、さっそく周りのものに言いつけて打掛を部屋の奥に広げさせた。


「義姉上も、明日香に御自分のような苦労をさせたくないと心から思ってくださっているのだろう。」

「ありがたいことですわ。」



そのころ、慎二の家では、青葉と摩耶が、大きな婚姻用の桐ダンスなどの家具を幾つも送り
込まれて対応に悪戦苦闘していた。


「もう家具のあるところに、こんなでかいテーブルやなんかを送り込んでも置く場所が無いよ。」

「お二人とも病院だしどうすればいいんでしょうね。」

「とにかくリビングに詰め込めるだけ詰め込もう。」

「もう入りきらないわ。私たち達今日どこで寝ればいいのよ。」

「すいませーん、冷蔵庫お届けにあがりましたぁ。」

「わーーーん!!」









第10話 :彼女は魔物?外伝(下) 夏の終わり /白銀乃森に虹が立つ時 /終わり  



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