山のせせらぎの音が心地よい。

小さな滝と大きな滝が、水を跳ね返して霧のように岩棚に降り注いでくる絶好の遊び場所だ。
僕は、明日香の弟の小丸と一緒に魚取りに興じていた。小丸は夢中になって耳と尻尾が出ている。
僕も、家から着てきたのは水着とパーカーだけだ。家からほんの30分歩くとこんな所がある。
小丸はすっかり裸んぼう。小さな滝壷のそこに冷やしてある西瓜とサイダーが、後の楽しみだ。
山はミズナラとブナの疎生林で、あとは一面の笹。ちらちらと木漏れ日が僕らの所に差し込んでくる。

明日香は・・彼女はここに来るなり汗ばんだTシャツを脱ぎ捨てた。形のいい真っ白な乳房がぷるんと
揺れた。呆気に取られているうちに、ミニスカートも、腰で結んだちっちゃなパンティーもあっというまに
取ってしまった。いつものように、そのとたん、金色の先っぽだけが白い3本の尻尾がフワッと広がる。
彼女の自慢の尻尾。すっかり裸になった彼女は、茫然と立ち尽くしている僕を尻目にせっせとブラシを
尻尾にかけ始めた。遮る物は何もなく濡れた長い髪が、ぴったりと白い肌や艶々した乳房や、柔らか
そうな腹部に張り付いていた。そして今は、滝飛沫の下で、うつ伏せに長々と寝そべって涼んでいる。
胸の下でつぶれている弾けそうな乳房と飛び掛かるのを必死で押さえなきゃならないくらい扇情的な
細い腰と、高く盛り上がっているまあるいお尻。そしてすらりと伸びた美しい腿やふくらはぎのライン。
僕が見ているのに気がついて、明日香は手を振ってにっこり笑った。はあ、これって拷問だよう・・・。


「兄ちゃん兄ちゃん、早くこっちがわで魚取りしようよ。ここいっぱい取れるんだよ。姉ちゃんなんか、
40cmもある、こーんな大岩魚を捕まえたこともあるんだよ。」

「そ、そうか、そりゃすごいね。」


僕は言いながら、そのまま反対側の深い滝壷にふらふらと飛び込んだ。もう気が変になりそうだった。
僕が、水面に浮かびあげると、何にも身につけていない狐の耳と尻尾の姉弟が、歓声を上げて岩棚の
上で手を叩いている。頼むよ、目の前に立たないでくれえ〜〜。僕はほんとに泣きそうになっていた。


「シンジー、西瓜投げるからねー。えいっ。」


どぼーん!!


今日ほど、この西瓜が頭に当たってくれないかと思ったことはなかった。
暗転・・・・したいときにはなれないもの・・・。




今はそこにいない者たちの声

by こめどころ





「ああ、気持ち良かった。シンジィ、また行こうねえ。」

けだものになりそうな自分を押さえつけるだけで精一杯だった僕にとっては、ご無体なお言葉。あの後
アスカは自分も滝壷に飛び込んで来て、もたもたと魚を追いかけている僕を尻目に、くるくると水中を泳
ぎまわって、大きなヤマメを2匹も咥えていった。だって、僕は水の抵抗が大きかったんだもの。(泣き)
正直言うと、僕はアスカのからだの優美さに見とれちゃって何もできなかったわけで・・。これって天国
とも言えるのかもしれないけど、実際には手を出せないと言う点でテレビのアイドルと何ら変わらない。
せつない。

(「馬鹿だな、おい。あの子はどんなに可愛くても狐なんだぞ。種族が違うんだ。人間の形をしてるだけ
なんだぞ。」)

分かってる。分かってるんだけどね・・・。

夕焼けに向かって、てくてくと3人で歩く帰り道。アスカと小丸の長い影が、僕の足元まで伸びている。
僕は、何とはなしにアスカの影を蹴った。そして、遊んだ場所から流れてくるこの川の土手に、ため息
を残した。どうすればいいんだろうな。こんな気持ち、はじめてだよ・・・。


「あっ、私今日学校の飼育当番なのよ。シンジ、今何時かしら。」

「いまは・・・6時だね。でも、こんな時間に飼育当番って何するのさ。」

「ほら、この頃飼育している小動物が殺される事件が多いでしょ。だから、夜の間は中庭の飼育小屋
に動物達を移すことになったのよ。夕方のクラブの人たちが7時までだから、それまで中庭の扉を閉め
られないでしょ。だから夕方に集まるのよ。」

「ははあ、なるほどね。」

「だから悪いけど、小丸と一緒に帰っててくれるかしら。」

「わかった。」

「姉ちゃん心配すんなよ。シンジ兄ちゃんは俺が守ってるからさ。」


小丸は、明日香が取ったヤマメを笹に通して担いでいる。小丸が持つと魚がとても大きく見える。
アスカは苦笑いをすると、頭の麦藁帽子を押さえて、ミニスカートを翻して土手の道を走っていった。
僕はそれをぼんやり見送った。張り詰めて輝いているような脚だった。


「へへへっ。兄ちゃん、姉ちゃんの脚ってカッコイイだろ?」


図星を指されて酷くうろたえてしまった。


「なにをまったく!小丸にはまだその話題は早いよっ!」

「そうでもないぜ、結構俺幼稚園で姉ちゃん宛てのラブレター預かったりするんだから。」

「ラブレターを小丸があ?」


僕は目をまん丸にして思わず尋ね返してしまった。


「前迄は姉ちゃんが俺を幼稚園に送り迎えに来てくれただろ。だからたまたまそれを見かけた奴が。」

「ああ、なるほどね。でもまてよ、幼稚園に迎えに来るって事は、お父さん達じゃないのかい?」

「中には、やっぱり妹や弟を迎えに来る奴なんかいてさ。嫌々来てたのが急に毎日来るようになって、
さすがに弟が気がついて、兄ちゃん恥ずかしいからやめてくれってべそかいて頼んでる奴がいたよ。
さすがに姉ちゃんに不用意に近づいたりいきなり手を握ったやつらは皆精気吸い取られてぶったおれ
たけどね。ふらふらになっても来る奴もいたから、さすがにちゃんと断ったりしたけどね。死ぬから。」

「確かにアスカはきれいだもんなあ。(ははは、やっぱり明日香は怖いな。)」

「でもあれで姉ちゃんて、全然分かってないとこあるから。家に帰ってもさ、八幡さまの森の黒が盛んに
粉かけてるの、ぜーんぜん気がつかないんだもの。」

「くろ?」

「うん、俺達の中でも一番強いかな。父さんの次に強いかも。前から姉ちゃんのこと狙ってんだぜ。」


僕は、総会の時質問をしていた黒い毛の精悍な感じの狐をなぜか思い出した。彼かもしれないな。
自分のすきな子が、人間に取られてしまうように思ったんだろうな。そりゃぁ、きつい目で僕を睨み付け
られてもしょうがないよ・・・。



小丸と僕はたわいもない話をしながら家に帰った。庭を掃除していた夫婦狐の奥さん、摩耶さんが迎え
てくれた。


「慎二さんお帰りなさい。小丸もおかえり。明日香はどうしたの?」

「姉ちゃんは学校にいったよ。飼育係の当番なんだって。」


それを聞いて、マヤの顔が曇った。


「慎二さん、こういう時は些細な事だと思っても、必ず一緒に行動してください。5時を過ぎたら、絶対に
一緒にいてくださらないといけません。」

「あ、そうだったよね。ついうっかりしてた。小丸、魚焼いてもらいな。ちょっと迎えにいってくるよ。」





高校についたら、もう殆どの運動部の生徒も下校した後だった。シーンと静まり返った校舎は、日頃見
慣れていないだけに、その大きな影が何か不安な気持ちをかきたてる。正面の校舎のガラス扉は5つ。
そのうち4つまでは鍵がかかっていて、最後の一つだけが、鍵をかけ忘れたように開いた。
夕日が最後の残照を投げかけ、それが意外なところでまるで、舞台に当てられたピンライトのように、
細く長い糸のような光の線を、暗い校舎の中に幾筋か差し込ませている。
O字型に、中庭を取り巻くように建てられた校舎。回廊方の古い建て方だがここの生徒達には評判が
いい。


その中庭に入ろうとした。そのとたん、妙な感覚が身体を包んだ。背筋に悪寒が走った、とでもいうの
だろうか。


(「慎二・・・そこから入っちゃ駄目・・・。」)

「明日香!アスカなのか!」


微かに明日香の声が聞こえたような気がして叫び返す。


(「見て!だけど中庭に入らないで・・・・。」)


僕は全力で階段を駆け上がった。屋上の鉄扉を思いきり押すと、激しい音と共にそれは開いた。


「なんだ、これは。」


中庭から桃色のあぶくが校舎の垂直面に沿って湧き上がっている。時々、ぼこぼこ、という音がして、
その度に、泡の山が膨れ上がる。泡は大量の粘液を撒き散らしながら膨れ上がり、屋上の東側を乗り
越えて向こう側に零れ落ちていく。
粘液に触れないように気を付けながら回り込んでみると、校舎の横を流れる栖由川の土手をさらに乗り
越えようとしている。このまま、川の中に流れ込んでいこうとしているのだろうか。

中庭に目を戻す。もうすっかり真っ暗な影になっている中庭の底の方にもぞもぞと蠢いている物がある。
人間達だ。それが、白く闇の中に身体を浮かび上がらせている。
先生達、野球部やテニス部、柔道部や水泳部の男女、そしてアスカ達、飼育委員会の女の子たち。
その間に黒く蠢めいているものは?
僕は目を凝らした。金色の髪の明日香はすぐに見つかった。
手に短剣を持ち、必死で振り払っているがその度に粘液の中に沈み込みそれを吐き出している。
周りにいる黒いおたまじゃくしのような奴らが無数に群がって明日香の身体に吸い付いている。
悲鳴をあげながらそれを振り払っている明日香。
それが、時たまぬらぬらと光りながらもう気を失いかけている人間の周りで何かをすすっているようだ。
その度に衣服が剥がれ落ち、その生徒の顔が苦痛と絶叫に歪む。
余りのことに僕は堅く目をつぶった。奴等は人間を少しずつ溶かして食べているのだ。
額の流れる汗が目に入ってくる。もう一度目を閉じた僕は妙なことに気付いた。目を閉じても見える!
目を閉じたままでさらに中庭を見ると、おたまじゃくし達がはっきり見える。
おたまじゃくしよりは、少し身体が長く、4本の手足がついている。
その足元にもう人間の形を留めていないものの臓腑が散らばっている。
見る間に、2,3匹のおたまじゃくし達がそれを口に中に吸い上げていく。
僕は込み上げた吐き気に逆らえず、屋上で激しく嘔吐した。

(「ばかっ、こんなことでどうするっ。」)

自分で自分をしかりつけて起き上がる。何とか、何とかしないと。
何かを投げつけても、あの粘液の上からでは、たいしたダメージは与えられそうもない。
それに人間に当たったら元も子もない。おたまじゃくしの・・・弱い物。学校にあるもので・・・。
おたまじゃくしは両生類、その弱い物は何だ。考えろ!

(「慎二・・・シンジッ。シンジッ。私もうっ!」)

せっぱ詰まった明日香の悲鳴が、頭の中で響き渡った。
僕は弾かれたように3階の化学室に走った。
薬品棚には鍵がかかっている。僕はためらわず、ガラスを手で叩き割った。
そこの塩酸と酢酸をできる限り抱え、ごみバケツの中に次々と放り込んだ。
それを抱え上げ再び屋上に走る。体が軽い。これだけ重い物を抱え、階段を5弾飛ばしで飛び上がる
ことができる。僅かな時間で屋上にとって戻した。再び下を覗き込む。しかしそこには先ほどの半分も
人間が残っていない。
おたまじゃくし達は恐ろしいまでの速度で成長しているのだ、見る間に横腹におたまじゃくし2,3匹に
吸い付かれた女生徒が身体を真中から引き千切られて粉々にされて食われていく。
隅の方に青白い顔でぐったりとしている明日香がいる。脚と下腹部から血が流れ出し、まだ小さなおた
まじゃくし達がそれをすすっている。目を背けたくなるような光景が眼下に広がっている。
ごみ箱に手を突っ込み次々と酢酸と塩酸のビンを投げ込む。
それが僅かでも身体にかかると、おたまじゃくし達は反り返って身悶えする。
次々と桃色の泡が消えていく。
最後にごみ箱の中にたまった液をぶちまけた後、ごみ箱も中庭に叩き込んで、僕はもう一度階下に駆
け戻った。一回の中庭に続くガラス扉は、びくともしない。内側から粘液の圧力がかかっているのだ。
そこにあった初代校長だかなにかの銅像を持ち上げて叩き付けた。

グワシャーッ!!

僅かに入ったヒビが、見る間に膨れ上がったかと思うと、大量の粘液がガラスを粉々にしながら物凄い
勢いで吹き出してきた。血と酸と糞尿の交じり合った凄まじい臭気があたり撒き散らかされた。
酸を身体に浴びたおたまじゃくし達は、盛んに跳ね上がっているが瀕死の状態なのが明らかだった。
まだ生きている人間達が、所々で両手を突いて起き上がり粘液をごぼごぼと吐き出している。
足を取られながら、僕は必死になって明日香の所に駆け寄った。死にかけながらも彼女の白い下腹部に
吸い付いている奴を力いっぱい引き抜くと、大量の血があたりに広がった。
明日香がその痛みに顔を歪めた。生きている!僕はしゃがみこんで明日香を抱きかかえた。その拍子に
彼女は激しく咳き込み、粘液を吐いた。さらに背中を叩いた。生きている!生きている!と思いながら。
背中をさすり、持っていたタオルで口の周りをぬぐってやる。何回か吐き戻して明日香が言った。


「シンジ・・・・。」

「うん、なに?」

「初心者にしちゃ良く、やったわね。褒めてあげる・・・。それから。」


明日香は一呼吸間を置いて言った。


「助けてくれて・・・。」

「姉ちゃん!兄ちゃん!」


小丸が飛び込んできた。夫婦狐の雌雄も一緒だ。


「わぁっ、ひでえにおいっ!!姉ちゃん、大丈夫か?兄ちゃんはっ?」

「明日香さま、これをっ。」


摩耶が自分の着ていたブラウスを明日香に着せようとする。それを、断るアスカ。


「シンジ、あんたのTシャツ貸して。それなら大きいから。」

「え、うん。いいよ。」


僕はTシャツを脱いで明日香に着せた。麻耶が明日香の応急手当をしている間に、小丸がどこかの
教室から体操着を取ってきた。その中から、ブルマーとジャージを無断借用して明日香に着せる。
彼女の身体の震えがやっと止まる。その後、保健室から毛布を拝借してアスカを包み背負った。
救急車が次々と到着する。救急隊員がテキパキとすべてを処理し始める。同時に到着した警察官が、
虫の息であるおたまじゃくし達にとどめを刺していく。大型の炸薬銃弾だ。これは、普通の警察や救急
ではない。


「あの人たちは?」


入れ替わりに学校を出ていきながら夫婦狐の雄、青葉に尋ねる。

「あの方達はこういう事件のために特別に各所轄に配属されている国家公安委員会直属の『メンバー』
の方達です。このような特殊事件対策の為に名賀尾市に常駐しているのです。いわば専門家です。
おいおいお分かりになるとは思いますが、この名賀尾市は、大変特殊な環境下にあります。こういう
事件は、規模はともかくとして、毎年のように起こります。その原因がここにはあると言われています。
私達はこういう現象があるという事しか知りませんが、碇家宗家をお継ぎになった慎二様には、いずれ
時がくれば真実を知る時が来るでしょう。われわれ妖孤が、なぜこの地に止まっているのかも。」

「あれは一体なんだったんです。」

「あれは、今はもう絶滅してしまったトウホクオオミヤマミドリサンショウウオのこの世に生まれなかった
想いです。有るべき姿に生まれでることができなかったものの生きたいと願う気持ちが白銀乃滴を受け
形を持ってしまったのです。その想いが何代にもわたったがゆえに巨大化したのでしょう。」

「この世に生まれ出ることができなかった者の想い?」

「この山椒魚は、非常に生育条件が厳しいのです。鉄器が農耕に使れわれ錆が出だした時真っ先に
いなくなったのがこういう過敏な種族でした。農薬が彼らを更に過酷な場所に追いやり、山間土木が
ついに彼らに止めを刺したのです。道やダムが赤土を僅かに流しただけで彼らは姿を消すのです。
人間がいずともいつかは滅ぶ弱い種族だったのでしょう。しかし彼らにも無念はあったという事です。」


青葉は続けて僕に言った。


「伝説では、遥かな昔。あそこに人間と違う別の可能性を持った者たちが埋められたとか。その者達は
決して死ぬことはなく、あらゆる形態に形を変えて純粋なエネルギーとして生き続けているそうです。
そのエネルギーが白銀乃滴の精として立ち上る時、もっとも強く想いを上らせた物者が共に再生して
思いを果たすことができるとか・・・。その為がゆえ東連山にはもはや他にいない生き物が多く棲み、
それがゆえ、不入山としての掟が強く守られ、守らせるが為にわれわれ妖孤が住まうのだといわれて
おるのです。その想いとエネルギーをまとめて白銀乃滴と称するのだと聞いております。」


家に到着。先についていた麻耶がもうお湯を貯めている。麻耶が入れようとするが明日香は嫌々をして
こばむ。僕にやって欲しいといって聞かないのだ。しょうがなく僕はそのままの格好で風呂に入りアスカ
の毛布やTシャツ、ブルマーやジャージを脱がせた。それらをそのまま敷物にして、アスカを横たえる。
身体中が緑や赤の粘液や血液、内臓の破片などでドロドロになっている。傷自体は出血の割に対した
ことはなかった。奴等は皮膚を破らず血液を吸い出すらしい。青葉さんが念を凝らすと、殆ど表面の傷は
ふさがった。これで身体をきれいにする事ができる。
何回かお湯をかけ後ろから肩に明日香の頭を凭せ掛けてしっかりと支え、石鹸を付けてもらったタオルで
ごしごしと洗い始めた。麻耶さんが、はらはらしながら見ている。なぜわざわざ僕なんだろう。
女の子の身体に直接触れて洗うのは始めてだったが、戦い直後で緊張しているせいか、いつもの様に
顔が熱くなることも恥ずかしいと思う心もすっかり消えていた。
その時僕の心にあったのは、明日香を守ることができた喜びと誇らしさだけだった。それと共にいつもの
彼女へのいじけた心が消えると、そこに残っていたのは純粋に明日香を愛おしいと思う心だけだった。
それが嬉しかった。何の気負いも、何の意地もなかった。戦いの時いつでも聞こえていた明日香の声。
心が燃えていた。丁寧に明日香の身体を、額や頬から、優しい胸、柔らかなふっくらとした線を描くお腹、
肩や指先、膝の裏や脚の先まで洗い清めていく。
そして最後に膝の上に明日香を仰向けに寝かせて、そのつややかな美しい髪を何回も洗い流しながら、
想っていたのはただ一つのことだった。

明日香が好きだ。種族が違おうと、例えどんなに遠くに引き離されていようとも僕は明日香が好きだ。


すっかり頭からつま先まで彼女を洗いおわって僕は明日香を抱え上げて湯に浸かった。明日香は幸福
そうな顔でにこにこしていた。裸を見せてもちっとも恥ずかしがらない。キスをしても意味が通じない。
こんな想い人がいるのは幸せなのか不幸なのか。心の中で少し苦笑し、明日香を抱いて湯に浸った。


「あたたかいわ。いい気持ちね。」

「そうだね。ここは直接温泉を引いたんだって?」


明日香は僕の腕に胸と膝を抱え上げられたまま、お湯に浸かっている。僕の膝に彼女の柔らかいおしりが
あたっている。僕は、明日香が好きだと想いながらも、半分父親のような気分になって、半身を起こしかけた
明日香の後ろの首筋に顔を寄せて鼻先をくりくりと押し付けた後、軽く首を噛んだ。ざばっと明日香が身体を
動かした。僕の顔をじっと見詰めたと思ったら、見る見るうちに、顔に血が上って真っ赤になって真ん丸い目で
僕をじっと見詰めた。瞳の淵が赤くなるくらいうろたえているようだった。


「?????。」


僕は訳が分からないまま、真っ赤になっている明日香の顔をニコニコと見詰めた。
明日香は、決心したような表情をすると、僕に顔を寄せてぺろぺろと僕の頬や唇の横、顎の裏側を舐めた。


「あ、ははははは!明日香何するんだよ。くすぐったいよ。」

「お、おめでとうございます!お嬢さま!このうえはすぐに御館様にご連絡を。」

「な、なんのこと、麻耶さんっ!!」

「お戯れを。古来より妖孤一族に伝わる婚姻の申し込み。雄は雌の首筋の匂いを確かめた後、甘噛みをし、
それに対し、雌は雄の頬を舐め返すことでそれを受け入れる、ということではありませんか。」

「え、ええええっ。そ、それほんとの話かい、アスカッ。」

「私、いいお嫁さんになれるように頑張るから、シンジ。」


明日香は僕の首に手を回すとぎゅっとしがみついてきた。僕は目を白黒させるばかりだった。




「えええっ、その話ほんとかい、随分思いきったことしたんだねえ。」


小丸はびっくりしながらも、これは面白いことになったという顔でにやにやしている。あのおっかない姉ちゃんが
結婚。まえにシンジと結婚すると言うことを誤解して聞いた時には、うろたえたけれど、あの時十分考えた分、
今度は免疫ができたというか、このシンジと言う兄貴分が大変気に入っていて、本当に兄がいたらなあなどと
考えているから、真剣に心配などしていない。

あの後は母親、唯のから一言だけ連絡があったきりである。しかもそっけなく電子メールであった。


『がんばりなさい。:父母』

「どうしろっていうんだよ・・・・。」


慎二は、がっくりと肩を落とした。
だが、この話はこの惣流家と碇家の両者だけのことであればおおむねのほほんと進行していったに違いない。
惣流家も、その長女が求婚され、それに娘が応えたえたということについて特別な反応を示さなかったからだ。
あるいは、こういう事態になるということは計画のうちだったのかもしれない。
慎二達はうかつにも失念していたのだ。あの山椒魚達は皆幼生であったということを。
例の山椒魚はもともと十数年に一度卵を産み、親は死ぬタイプの物であったがこの親はすでに受精した卵帯を
たっぷりとまだ腹に抱えていた。高校に産み付けたのはそのほんの一部に過ぎなかった。卵帯が幼生となって
外の川に現れるのを待っていた親は、それが何者かによって皆殺しになったことを知っても、じっとその場を動か
ず誰もいなくなってからゆっくりと移動を開始した。河床の下の岩盤を掘り、そこに身を潜めたまま山椒魚は毒を
人知れず流し始めた。人間達に夢を見せる毒を。楽しい楽しい夢を・・・。その川は、大きな川と合流する地点に
巨大な取水ダムと取水口を持っていた。清らかな水で知られるその地域全体は水に対する警戒心が、いくらか
薄かったのかもしれない。それが、2回目の悲劇を生んでいく。




彼女は魔物?(4)
〜今はもうそこにいない者たちの声〜




慎二は夢を見た。

蒼く煙ったように見えるほど高い巨木の間を走っている。
不思議な見たこともない大木の大森林その一本の根元。
そこに、自分の巣穴がある。一日の狩りが終わると戻っていく所。
そこには真っ白な狐が僕を待っている。君を感じるために帰る。
巣穴に飛び込むと、ひとしきりお互いの顔を舐めあい、毛皮に
鼻先を突っ込んで愛撫しあう。甘く甘く、互いの手を、尻尾を
首筋を甘く噛む。恋人の可愛い牙が僕の首筋を刺激するたびに
幸せに気が遠くなりそうだ。誰にも言わない、この幸せ。
たとえば風に震えているウコギの葉にも、あまずっぱい木苺にも
誰にも教えない。この娘と互いの尻尾にくるまれて眠る幸せ。
僕の全てと引き換えにしても、いつも僕の側にいる君を、守りたい。
月の晩は二人でどこまでも歩いていく。恋をしてると眠れないから。
真夜中の星は美しい。恐ろしい鷹も、人間もいない夜。明け方に
眠気が差すと、柔らかい落ち葉の積もった大きな葉っぱの下で、
また二人で丸くなって眠る。
またふたりで。

目を醒ますと、まだ日が高いのに、明日香と手を繋いで眠っていた
明日香のしっぽを枕にして 僕の柔らかい毛布の中にアスカをくるんで
腕枕をして、脇の下に明日香の顔が埋もれている
安らかな寝顔がなんて愛らしいんだろう

恋人といる時間は
どうしてこんなに
幸せに眠いのだろう

ぼくは、ずっと君と、こうしたかったんだ。







さて、次回の二人はどうなっていくのかな?


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