気がついた時、僕の額には、冷たいタオルが当てられていて、布団に横たわっていた。
浴衣がはだけられている。気持ちの良い優しい風。ずっと誰かが扇いでいてくれたらしい。
僕は、ゆっくりと濡れたタオルを持ち上げた。青い瞳がぼんやりと滲んだまま視界に入って来た。


「大丈夫?シンジ。」

「あ、惣流さん。」

「明日香って呼んでいいよ。惣流って名字、あんまり好きじゃないから。」

「ずっと、面倒見てくれてたんだ。ごめん。」

「あんた、また倒れたんだよ。ねえ、どこか、身体が悪いんじゃないの?」


僕は苦笑するしかなかった。


(「健康な男の子だから、倒れちゃうんだけどね。」)



縁側から、紫陽花が見えた。雨がだんだん激しくなってきたようだった。
雨粒に叩かれて、頭を振っている。


「たいへんだな、おまえも。」







星が降ればホタルが飛ぶこと

by こめどころ





「女の子に湯船から助け出されるなど、醜態だな。シンジ。なんだそのだらけたざまは。」


アイスノンベルトを頭に巻いて、はだけたままの浴衣で、かき氷を食べている僕を見たら、誰だって
そう言いたくなるのは分かる。でも惣流さんは不満そうに答えていう。


「でも病気なんですし、これが熱中症の正しい治療法だって。どんな本にも書かれていたんだもの。」

「明日香君はそういうがな、これはそんな上等な病気ではない。どちらかといえば男として最低の・・。」

「や、やめてよっ。変なこと言わないでよっ。」


僕のうろたえ様を見て、父さんはにやりと笑って立ち上がった。


「明日香君、わしは先に帰らねばならん。案内を頼む。」

「え、でも・・・。」


ちらっと、僕を見る。僕は肯く。


「もう、すっかりだいじょうぶだから。」

「ほんとに? でもまだ暫くは横になっているのよ。」

「わかった。」


そういいながら横になるとやはり楽だ。まだ少し身体がだるいのがわかる。情けない話ったらない。
父さんと惣流さんが出ていくと、黙って今まで座っていた母さんが声を掛けてきた。


「慎二。明日香さんは随分心配してここにずっと付き添っていてくださったのよ。身体の調子が悪いのに
気付かなかったのは、私の責任だって・・・。氷水で身体を拭いてくれたり頭を冷やしてくれたり、水枕を
作ってくれたり。いつもはおてんばさんだけど、優しい子よね。」

「別に、惣流さんの責任じゃないのに。・・・前からあの子のこと知っていたの?」

「狐たちとは古い付き合いですからね。アスカちゃんが生まれた時から知っているわよ。そして、あなた
がどうしてのぼせてひっくり返ったかもね。アスカちゃんて、とても魅力的な子ですものね。」


何も言い返せない。顔がいっぺんに火照った。頭の下で、水枕の中の氷が、からん、と音を立てた。


「あなたたちには、これから暫くの間、二人だけで暮らして頂きます。あなたの今住んでるおうちでね。」

「ええっ。」

「周りの方たちには、あなたとは従兄弟同士ということにしておきます。護衛の方が二人明日香さんの
御両親ということで一緒に住みますけど玄関から先は別々ですからね。これも関門試験の一つですか
ら頑張って頂戴。特にあなたにはつらいこともあるかもしれないけれど・・・。」


何か思わせぶりなことを言って、母さんは部屋を出ていった。入れ替わるように今度は小さい子が入っ
て来た。苺のかき氷を持っている。


「はいこれ。」

「なんだい。」

「ねえちゃんが。」


ちょっと濃い眉毛に鳶色の髪の毛。この子も狐だ。いかにもわんぱく小僧という顔。


「もってけって。」

「ありがとう、でももうお腹いっぱいなんだ。お腹が冷たいくらい。もう3杯食べさせられたからね。」


そこで僕はやっと気がついた。この子狐が、僕の顔よりもかき氷をじっと見ていることに。


「誰か、かわりに食べてくれるとだけどな。」


子狐は嬉しそうな顔で僕を見た。でも、まだ半分は義務を果たさなくちゃという顔をしている。


「食べないと、僕も怒られちゃうから、そこの縁側で食べていってくれるといいんだけど。」

「兄ちゃん。秘密守れるか?」

「うん。もちろん。」


その子は、僕にニカッと笑いかけると、縁側に正座して、「いただきます。」と言って食べ始めた。
いたずらそうな顔と、妙にお行儀のいいところが同居していて面白い子だな、と思っていた。


「なあ。あんた人間なんだろ。」

「うん。」

「人間て、狐を殺すこともあるってほんとか?殺して毛皮をはぐって。車でひき殺ししたり、狩り場の森を
一夜で消してしまうこともあるんだろ。ほんとにそんなことができんのか?」


そういうことをする連中もいるのは確かだけど。日本にはもう狩りをする人は殆ど残っていないけれど、
まだまだ、獣の毛皮を身につけたがる女性はいっぱいいるし。養殖してるっていったら、この子はもっと
傷つくかもしれない。


「うちの姉ちゃんさ。人間のところへお嫁にいっちゃうらしいんだ。」

「え?そうなんだ。」

「凄く珍しいことらしいんだ。何でそんな危ないところへいくんだろう。皆は使命だからとかいうし。でも。
もし姉ちゃんがそいつの毛皮の襟巻きにされちゃったら、俺、そいつを許さない。」

「お、お嫁にいくって?」

「うん、今夜その人間のところへ皆で送っていくんだ。俺、よく見て、そいつが変な奴だったら首をかみ
切ってやろうと思ってるんだ。」

「君、なんて名前?」

「惣流小丸。」


やっぱり、と思ったところのドカドカと足音がした。


「やばっ!!ねえちゃんだ!!兄ちゃんごちそうさまっ!!」


小丸は、ぽんぽんっと2,3回飛び跳ねて紫陽花の繁みの向こう側に飛んでいった。


「小丸っ。容器はちゃんと持って帰ってきなさいって言ったでしょっ。あーっ、やっぱり起きてる。何で
男ってこう、いうことを聞かないんだろうっ。シンジは早く寝るっ。ここに来た小さい子はどうしたのよ。」

「あ、氷を渡してくれて、すぐ出ていったけどな。どこかに遊びにいったんじゃない?はい、容器。」


笑いをかみ殺して僕はガラスの容器を彼女に返した。





そのあと、夜になってから、やっと起きることを許された僕は、ぼんやりと縁側でくつろいでいた。
食事も美味かった。岩魚やあゆの塩焼き。走りの夏の山菜や、吸い物もとても美味しかった。なぜか
皆懐かしく感じられる味だった。給仕をしてくれた明日香にそういうと、彼女は首をかしげた。


「そういえば、この家に招かれるような人たちはみんなそういうわねえ。この食事は、美味しいだけじゃ
なくてとても懐かしい味がするって。忘れてはいけない物の味。人としての幸せを思い出す味だって。」

「忘れたらいけない味か・・・。僕は遥か昔にこの味を知っていたような気もするなあ。」

「あ、慎二、この椎茸と卵のしんじょは私が作ったんだよ。食べてみて。」

「うん!これはとっても美味しいよ。明日香って料理も上手なんだね!」

「いや、そんなことないわよ。さ、もっとおかわりしなさい、あんた細いんだから。」


僕が褒めると、明日香は頬を微かに染めて嬉しそうに笑った。なんてかわいらしく笑うんだろう。
いつもの毅然とした明日香とは、また全然違う子みたいな魅力がある。



その後が大騒ぎだった。寝る段になって、明日香と僕の布団が隣り合わせで置かれているのだ。


「冗談じゃないよっ!同級生の女の子と隣り合わせでなんか・・・寝られなくなっちゃうよっ!」

「冗談じゃないのはこっちよっ。私はあんたの護衛もしなきゃなんないのよっ!それともあんたに自分の
身を自分で守れるって言うの?!」

「いや、だけど、この君の家で誰が襲って来るって言うのさ。」

「敵なんかどこにだっているわよ。じゃあ、試してあげるわよっ。あんたが身を守れたら私は隣で寝る。
あんたが負けたら言うこと聞いていっしょにねるっ!いいわね!」


言うなり明日香は短剣を引き抜いて躍り掛かってきた。


「わっ!!」


明日香の腕を受け止めて、おもいきりひしいだ。そのとたん、明日香の身体が逆えびの回転でそり上
がってジャンプした。僕の側頭部を蹴飛ばした。そのまま、顔中を口にしたように叫び声をあげながら
白刃が僕の喉に迫る。それを両腕で思いっきり叩き落とした。


「ぐっ。」


脳震盪を起こしそうになって、必死で踏みとどまる。そこに再度飛び掛かってきた彼女の身体を外刈り
気味に投げ出して、ゴロゴロゴロッと激しく転がって馬乗りになった。必死で明日香の短剣を押さえ付
ける。息を弾ませた彼女の柔らかい身体を意識したとたん、もう一度跳ねあげられそうになった。


「くそっ!」


身体を伏せて、必死で彼女を押さえ付けた。そのとたん目の前にある明日香の赤い唇が目に入った。
カアッと、何も分からなくなった。僕は夢中で、彼女の唇に僕の唇を押し付けていた。びっくりしたように
アスカの身体から力が抜けた。僕は彼女の後頭部に手をまわすと、もう一度キスをした。唇を離すと、
明日香は言った。


「何っ?」

「ご、ごごめんっ!!」


弾かれたように僕は明日香の身体から飛び離れた。多分またうろたえきって真っ赤になっていたんじゃ
ないかと思う。


「わざとじゃないんだっ、つい、あの・・・。」

「人間は、あんなふうに何かを伝えるの?歯が当たって痛かったわよっ!」


明日香はちょっと怒ったように言って、唇を手でこすった。なんか悲惨な初めてのキスだった。
だぁ、と身体から力が抜けた。明日香はキスが何なのか知らなかった。狐だもんな。僕はそのまま
抵抗する気力を失って、彼女に言われるまま隣り合った布団で寝たけど、殆ど眠れはしなかった。
だが、疲れきっていた僕は、眠れない眠れないと思いながらいつのまにか熟睡していたたようだ。


次の日の昼過ぎにやっと僕は目を醒ました。


屋敷の前庭で、明日香に僕は一段高い石畳の上へ立つように言われた。
それから彼女が左の腕を大きく回すと、彼女の手のひらの上に、7色の揚羽蝶が2羽現れた。
手のひらを飛び立った蝶は、互いに絡み合うように飛んで、螺旋状に睦みあいながら雨上がりの青空
と白い雲に向かってきらきらと美しい姿で高く飛んでいった。

それを暫く見送ってから僕は明日香に目を戻した。


僕は、自分の家の前に一人佇んでいた。





家の中の造りが一変していた。まず、玄関を入ると広い土間になっていて、上がり口の板の間の
その向こうは、畳を敷いた3帖ほどの次の間がしつらえられていた。

そこに、夫婦の役目をしてくれる30代くらいのカップルが座っていた。


「おかえりなさいませ。」


二人はこの家一切のことを巻かされているといい、暫くの間だけこちらの指示通りにして欲しいこと、
但し、どうしてもいやなことは許されている限りは便宜を図りますといった。基本的には全てが終われ
ば、自分たちはあなたに仕えることになるので、と言った。そして、家の中を案内してくれた。

廊下に出ればそこから先はもう壁になっているはずだったけれども20帖ほどの洋風のリビングがあっ
て、その向こう側には、高くなった所に10帖の間があって、新しい家具や何かに全て取替えられてい
た。どうも外見と中の空間のひろがりにずれがあるようで、気持ちが悪かったが、これも狐流なのかも
しれないので触れなかった。

2階は僕のプライベート空間と言うことで、一切触れられていなかった。


「あなた達はどこに寝泊まりするつもりですか。」

「表向きは、あなたの親代わりと言うことになりますが、家の中では使用人ですから、玄関口の6帖を
頂ければ二人で仕切って暮らしますので。」

「それはだめですよ。こんな広い家なんですから、あなたがたは一階すべてを使ってください。人の住
んでいる部屋かどうかには人間は敏感ですからね。ちゃんと普段使われてる方がいいんです。」

「でも今までそんな例はありませんし・・・・。」

「ここで何かをする事になっているのでしょう?そうだったら周りの人間には警戒した方がいいんじゃ
ありませんか?不審に思われたらまずいですよ。学校の友達だってくるんだし。」


ここは押しの一手。狐達は意外なほど人間の生活を知らないので、そう言われると不安になるようだ。
それで、一階は彼らが自由に使うということにして、おかしいところは順次直していくことにした。


「今夜の12時には、向こうでの儀式を終えて、明日香様がこちらにいらっしゃいます。慎二さまには
それをお迎え頂くことになります。」

「な、なにか準備しなくていいの?」

「人間の世界における儀式は一切ありません。ただ玄関前で明日香さまを引き取って頂ければ良いの
です。全てのやり方は、白銀乃滴神様がご指示してくださると聞いております。」

「それって、やはり狐の人?」

「すみません、一度この儀式に立ち会った者は立ち会えないので、詳しいことを知っている者は、誰も
いないのです。式次第には、儀式の形しか書かれていないそうなので・・・。」


分からなければ仕方がない。だけど、狐にも人間にも全てを知っている人がいない儀式なんて、うまく
行くんだろうか。きっと、向こうでも説明を求める明日香が、荒れてるんじゃないかな・・。僕は明日香の
怒って少し膨れた顔を思い出してくすくすと笑った。
遠くで雷が低く鳴っているのが聞こえる。夕立がなかった分だけ酷く蒸し暑い夜だ。夜空はぼんやりと、
もやがかかっているようだ。多分夜の積乱雲が立ち上がっているに違いない。
何もやることがないと知って、時間を持て余すことになった僕はTVのスイッチを入れた。



「次のニュースです。今夜は蒸し暑い夜になり名賀尾市では珍しい熱帯夜となっています。こんな中、
セントエルモの火として知られる、発光現象が東山連山一帯で観察されています。これは、大気中の
荷電イオンが一定のレベルを越えている状態が長く続いている時にみられる放電現象の・・・・。」


僕は、2階に駆け上がると、東山の方の窓を開け放った。


「わあああああ・・・・。」


僕は思わず驚嘆の声を上げていた。


窓の左から西までいっぱいに広がっている連山一面に見渡す限り、白青色の篭のような火が無数に
ともっていた。山にある高い木の梢一本一本に一つずつ、灯が点っているのだろう。地表の突出した
部分から大気中に向けて放出される放電現象。雷雲がその場所の頂上に来て、大気中の電気傾度
が大きくなった時に起こりやすく、放電の際にはかすかな音を発するという、セントエルモの火。
洋の東西を問わず、大変な吉兆、厄除の印とされる。そうか、これが「白銀乃滴」だったのか・・・・。

その無数の明かりの中にひときわ大きな金と銀の灯火の連なりが動き始めた。それは真珠の首飾り
のように、山の中腹から繋がり、こちらの方に向かってゆっくりと伸びてくる。


(「あそこに、明日香がいるんだろうか・・・。」)


僕は、ゆっくりと伸びてくるその明かりをじっと眺めていた。遠雷の音が、少しずつ近づいてくる。
急に強い風が吹き始めた。雨が近いのだろうか。
山裾まで降りてきた行列は白銀乃滴の社で暫く止まり、また動き出した。あの苔むした階段を降りてく
るのだ。その時ドアが僕の背後で開いた。


「慎二さま。先触れの使者がきました。玄関でお待ちください。」


僕は玄関先に出た。

篝火が幾つか焚かれている。彼方から行列が進んでくる。田んぼの青い葉の間をまるで船のように、
純白の布に包まれた輿が進む。その前に4人のちょうちんを持った案内が歩をすすめている。
輿の後ろには、どのくらい続くのか分からない程の、灯かりが揺れている。
と、そのとき突然激しい稲光と雷音が轟いた。全ての行列がその光の中に浮かび上がった。山際まで
続く、正装しその頭上に一つずつの青銀の明かりを点した狐たちの列。

ぴしゃーーーーん!
ドドドドーーーン!

突風が、ごおっと音を立てて吹き抜けた。突風に吹かれて傾いだ輿の白い布が、暗くなった田の中で
白い蝶が羽根を広げたように見える。その風を押しつぶすかのように大粒の雨が風に混じったかと思う
と激しい雨が一気に、叩き付けるように降り始めた。その中を、こん、こん、と小太鼓の音に合わせて
行列が歩を進めてくる。狐たちの身体に跳ね返った雨がけぶって、それが頭上の青銀の火に反射し、
全身を青く光らせている。こうしてみると、一匹の白銀の蛇が銀鱗を青く輝かせ、この僕の家の前まで
這い出してきたように見える。

そうやって、白い布に包まれた輿が僕の前にとまった。相変わらず雨が降っていたが、僕のいるところ
だけには雨が降っておらず、この行列の不思議な雰囲気にいつのまにか飲まれていたのか、それを
不思議とも僕は思っていなかった。輿が下ろされ、供回りがその前に白い草履を置いた。
この雨の中でも燃えつづけている篝火が、僕の影を白い輿の布に映す。
僕は周りを取り囲まれながら輿の布をめくりあげた。中に綿帽子をかぶった白銀の立派な着物を着た
若い女の子が乗っていた。その子は顔を伏せていたが、そのまま僕の前に輿の中で三つ指を突いた。


「これは、天孤群雲乃越早風白銀乃滴が一女惣流明日香と申す女。碇慎二殿が主従の契りを結ぶ為
まかり越した者にてございます。願わくは幾久しく松が岩根をくじくまでこの契りが続くことを願い奉る
ものにてございます。」

「これはこの屋が主にて碇慎二と申す男。惣流明日香殿との主従の契りを交わすことただいま承知仕
る。かくなりたる上は真砂が岩にならむまで主従として添うてくれることを願い奉り神も御照覧されたし
と願い奉りかしこみ申す。」


どこにこんな言葉がインプットされていたのかと不思議に思うほどにすらすらと勝手に言葉が口から出た。
僕は更に一歩進み、明日香が輿を降り立って履き物を履くのを待って、彼女の手を取った。
そのとたん。輝くばかりの光が、そこら一面から立ちのぼった。その輝きは、彼女の身体から、輿から
お付きの人々の身体から立ち上り、僕と明日香の周りで渦を巻いて空へ立ち上って何処かへ散らばって
いく何百万何千万匹もの、ホタルだった。呆気に取られて僕はそれが夜空を舞うのを眺めつづけていた。






ふと気がついた。明日香と僕は、今度は家の前で二人だけで立っていた。彼女はいつもの高校の夏の
セーラー服を着ていた。輿も、見送りの人たちも、そして、山いっぱいに輝いていた、セントエルモの火も
消えていた。しんとした漆黒の闇の世界。そのなかを時たま車のヘッドランプだけが移動していく。

明日香が、口を開いた。

「慎二。これで儀式は全部終わりだって。あなたと私は正式に主従関係を結んだわけよ。」

「それは分かったけど。一体僕らは何のためにこんなことをやっているんだろ?まるでお嫁入りみたい
な行列だったけど、試験を受けてから主従の契りをとかいってなかった?」

「時計をよく見てご覧なさい。あんたが私のうちに来たのは6月の22日だったわよね。」

「え、ああ〜〜っ。いつのまにか20日になっている。」

「そう、今日は7月の20日。あなたは全ての試験をクリアしたし、色々なことも誰よりも立派な成績で
通過してるわ。あの家はね、迷い作りになっているの。私たち妖孤と一緒でなければ、方向も時間も
記憶もバラけてしまう。そこであなたは一ヶ月近く、私達と暮らすための訓練を受けていたのよ。」

「どこも変わった感じはしないけれどな・・・。」

「そう? どう変わったのかしらね。例えばあなたの見る力なんかはずっと強くなっているんじゃない?」

「そういうもんなのかな。」

「さ。一応今日からは一緒に暮らすんだから、宜しく頼むわ!」

「うん。よろしく!」


僕らは堅く手を握りあった。そのまま僕らの街の周囲の用水路にそって歩き出した。



星が飛ぶ。流れ星が良く見える。だが今日は特に星が降っている。豪雨の後の空は、都会では信じ
られないほどの星が見える。そこに無数の蛍がさらに輝きを加えながら曲線を描いて飛びまわる。
水が張られた水田に更にその僅かな星や蛍の輝きが映っている。そうするとまるで明日香と二人、
星空の中に浮かんでいるような錯覚をおぼえるのだった。


「慎二、あそこ。」


明日香が指差すところにソフトボールくらいの光の塊がある。土手を少し下った小さな流れの横の土壁
に、それはかたまっていた。彼女がそれをそっと両手で掬いとって僕に見せてくれる。それは今羽化
したばかりの蛍の塊だった。明日香の手のひらから光が湧き上がった。一粒、また一粒とそれは飛ん
でいく。明日香の前髪に掴まって光るもの。純白のセーラーの襟で輝くもの。その蛍の光が、明日香
の顔を暗がりの中に照らし出し、浮かび上がらせる。



それは、魂が消えてしまいそうなほど美しい情景だった。






それに気を取られていた僕は、東山の上に、巨大な透明な影が立ち上がっていることに、気付いて
いなかった。その透明な影は、音も立てずに北の高地を目指して、その身体の向こうに星空を透き
通らせながら、ゆっくりと移動していった。





彼女は魔物?(3)こめどころ



山のせせらぎ。小さな滝が水を跳ね返して霧のように岩棚に降り注いでくる絶好の遊び場所。

僕は、明日香の弟の小丸と一緒に小魚取りに興じていた。小丸は夢中になって耳と尻尾が出ている。
ぼくも、家から着てきたのは水着とパーカーだけだ。小丸はすっかり裸んぼう。
小さな滝壷のそこに冷やしてある西瓜とサイダー。
山肌はミズナラとブナのまばらな林であとは一面の笹。街に向かっての谷間が開けている。

明日香は・・彼女はここに来るなり汗ばんだTシャツを脱ぎ捨てた。形のいい真っ白な乳房がぷるんと
揺れた。呆気に取られているうちに、ミニスカートも、腰で結んだちっちゃなパンティーもあっというまに
取ってしまった。いつものように、そのとたん、金色の先っぽだけが白い3本の尻尾がフワッと広がる。
彼女の自慢の尻尾。すっかり裸になった彼女は、茫然と立ち尽くしている僕を尻目に、せっせとブラシ
を尻尾にかけ始めた。

そして今は、滝飛沫の下でうつ伏せになって涼んでいる。遮る物は何もない。胸の下でつぶれている
弾けそうな乳房と、飛び掛かるのを必死で押さえなきゃならない細い腰と、まあるいお尻。
僕が見ているのに気がついて、手を振ってにっこり笑った。はあ。


「兄ちゃん兄ちゃん、早くこっちがわで魚取りしようよ。ここいっぱい取れるんだよ。姉ちゃんなんか、
40cmもある、こーんな大岩魚を捕まえたこともあるんだよ。」

「そ、そうか、そりゃすごいよな。」


僕は言いながら、そのまま滝壷にふらふらと飛び込んだ。気が変になりそうだった。
僕が、水面に浮かびあげると、何にも身につけていない狐の耳と尻尾の姉弟が、歓声を上げて岩棚の
上で手を叩いている。目の前に立たないでくれえ〜〜。僕はほんとに泣きそうになっていた。


「慎二ー、西瓜投げるからねー。えいっ。」


どぼーん!!


今日ほど、この西瓜が頭に当たってくれないかと思ったことはなかった。
暗転・・・・したいときにはなれないもの・・・。








さて次回はどんな展開かな。

彼女は魔物?(3)〜星降ればホタルが飛ぶこと〜


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