『お父様と私』

【そのさんじゅうさん番外編・君達は天使(前編)】 作・何処


ジオフロントネルフ本部パイロット待機室。仮眠ベッドに横になったシンジは天井を眺め一人物思いに耽る…
(…今日は朝から大変だった…ミサトさんは徹夜だったし…明日はクリスマスか…プレゼント喜んでくれるかな…父さんとも話して…でも一番驚いたのはマナだ…死んだ筈のマナが生きてた…良かった…綾波…アスカ…ありがとう…それにしても三号機を持ち出した彼女…何者だろう…何か色々考える事多すぎて眠れないや…)

ベッドから身を起こし、そっと部屋を出る。喫煙コーナーの自販機で少し迷っていると後ろから声を掛けられた。

「あら、シンジ君、珍しいわね…眠れない?」
「リツコさん…ええ、何か今日は色々有りすぎて…なんか飲もうかと…」
「あたしも今日は疲れたわ…どれにする?」
「え?あ、いやその…迷ってまして…」
「じゃ、一緒にココアでもどう?カフェイン無い方がいいでしょ?」
「あ、僕が…」
「大人に任せなさい、ほら。」
「あ…ご、ご馳走様です。」
「…ふう、隣、座ったら?」
「は、はい…」

並んで座り、黙ってココアを啜る二人、ふとリツコが呟いた。

「美味しい…ココアか…何年ぶりかしらね…」
「…そう言えば普段コーヒーでしたよね…」
「ええ…でもこうしてココアを飲むのも悪くないわ…貴方ぐらいの時…セカンドインパクト後ね、疎開先の祖母が私の為にって稀に淹れてくれたのよ…」
「…僕も先生が…あ、僕をここに来るまで引き取ってくれた人ですが、よく眠れない時こうしてココアを…」
「そう…ごめんなさい、良ければ続きを聞かせて。」
「構いませんが…何故ですか?」
「考えて見れば、シンジ君と直接話すなんて殆ど無かったわ。貴方の事を何も私知らなかった…いいえ、正確には知ろうとしなかったのね。…今だから聞けるのよ。」
「今だから…ですか。」
「私…いえ、私達ネルフにとって貴方達チルドレンは貴重な存在だった…エヴァを動かす道具として。」
「…改めて聴かされるとキツいですね…解っていても…」
「…だからミサトがシンジ君やアスカを引き取って私は恐れたの…貴方達を部下やパイロットと割り切って使えなくなるのではと。でも其は言い訳…」
「言い訳?」
「そう、言い訳…レイを道具として見なければ罪の意識に押し潰されそうだった私の心を守る為の…」
「…」
「羨ましかったわ…人を人として見る事の出来るミサトが…」
「…リツコさん…」
「やっと私達は貴方達を道具ではなく一人の人間として見る事が許されたの…当然の事を当たり前に行える…こんな嬉しい事があって?だから…聞かせて、皆の事、シンジ君の事。」
「…僕の事、資料には何て書いてありました?」
「大した事は判らないわ。成績表、教師から見た交遊関係、略歴…四歳で行方不明、身柄を保護されるも身元不明、第一発見者が身元引受人として保護者となり、14才まで身柄を引き取る、尚その保護者氏名は保安上の理由により秘匿事項…」
「…それだけで十分じゃ…よく覚えてますね…」
「暗記なんてつまらないテクニックよ、要はコツよ。」
「そんな事さらっと言われましても…アスカじゃあるまいし…」
「アスカは別格よ、殆どの場合資料に一度目を通せば忘れないなんて。天才とはアスカの事を言うのね…あら、話が擦れちゃったわ…で、シンジ君はココアにどんな思い出があるの?」
「…どこから話せばいいのか…」

暫し下を向き沈黙するシンジはポツリポツリと語り出した。

「…僕は四歳の時、父と…あの頃はパパと読んでたんですが…出かけると言われて喜んで一緒に…手を繋いで…電車の中で父に抱きついて眠ってたんです…」

ぬるいココアに口をつけ、シンジは続ける

「駅について父と別れて…『ここから先はお前一人で行け』って…僕は只泣くしかなくて…」
「…そう…」
「それで…泣いていたら…『どうしたの?』って…先生が…それが先生との出会いでした…警察に一緒に行って…泣き止まない僕にココアを出してくれて…父の持たせた手紙の相手は結局見付からず…先生が僕を引き取ってくれたんです…『貴方は私の知り合いに良く似ているわ』って…」
「え?…シンジ君、先生って…女の人?」
「ええ…不思議な人でした…笑ったり泣いたりした処見た事無くて…今思うと何か昔の綾波があのまま大きくなったら先生みたいになるかもなんて…」
「それは…凄い評価ね…」「…後で知ったんですが…先生、昔の事故で大怪我をして、表情を変えられなくなったそうで…だから僕を引き取って暫くは先生も大変だったと思います…子供だった僕は先生が何か怖くて…他に誰もいなくて留守番も多かったし…」
「あら?だって先生のご家族は?」
「…セカンドインパクトでお亡くなりになられたそうです…先生は入院先が倒壊して津波で流された処を救助され…気が付いた時は軽井沢の病院だったそうです…そこは先生のご両親のお知り合いだったそうで…退院後遺産を処分して暫く海外で演奏活動…」
「待ってシンジ君、海外で演奏活動…セカンドインパクトで奇跡的救助…宝生レイ!?あのフルート奏者の!?」
「え?ご存知なんですか!?」
「…あ〜シンジ君の世代じゃ知らないか…私の世代なら知らない人は少ないわね、N2の直撃にセカンドインパクトの津波を受けた街からの奇跡的生存者…その数年後フルート奏者として出したアルバム『希望』は世界的大ヒット…引退も早かったわ、けれどまさかシンジ君の保護者がねえ…」
「その引退の事はチェロの先生から聞きました…気肺だそうです。僕を育ててくれた頃はピアノ教室やフルート教室の講師をしてました。」
「あら?そういえばシンジ君はチェロよね?フルートやピアノは教わらなかったの?」
「ええ…先生の教室はとても初心者が入れるレベルじゃありませんでしたし。チェロ、先生の部屋にあったんです…ご家族の形見だそうで…眺めていたら『弾いてみる?』って聞かれて…その頃、漸く先生の事情も判って多分切っ掛けが欲しかったんです…打ち解ける為の切っ掛けが。」
「そっか…シンジ君、大変だったのね…」
「…でもチェロは僕には切っ掛けにはなりませんでした…先生はプロだから音楽に対する姿勢は真っ直ぐで…わざわざチェロ奏者の方に家庭教師をお願いしてくれて…たまに僕の演奏を聴いて先生が誉めも貶しもしないで淡々と評価してくれるんです…止めろとも言われませんでしたが、何と無く自分の演奏が駄目な気がして…」
「…私もよ…母の才能をひたすら追い掛けて…何かと母に比較もされたし…」

顔を見合せ苦笑する二人

「でも止めるにも」
「他に何かあるかしら?」「ですよね…」
「かと言って」
「新しく何かを捜す程勇気も自信も無い。」

再び苦笑を交す

「ましてやそれなりに評価してくれる物を断ち切る程の理由も無い…何だか私達、似てるわね…」
「…先生の処で、あのまま居たらどうなったかって考える事もありました…エヴァに乗ってた時も…エヴァから解放された後も…母が生きてたらなんて事より、先生とあの教室でチェロを弾いてた時間が続いてたらって事が僕には想像できるんです…」

「…でも君は父親の呼び出しに答え、此処に来た…」「…先生、独身だったんです…そんな人の処に子供が居れば…ましてや田舎街でしたから…ほら、未だ子供の頃は良かったんですよ、周りも気を使ってくれますし。でも学校に入れば…」
「…言わなくていいわ…そう、だからなのね…」

「僕が言われるだけなら良かったんです、でも先生は表情が変えられないし、留守がちでしたから中傷も酷くて。それに…それだけじゃないんです。」
「何?」
「…先生、ミサトさんやリツコさんと同じくらいの年でした。僕を保護してくれたのは確か19の筈…先生の二十代は僕と過ぎてしまったんです…」
「シンジ君…自分を責めてるの?」
「…責めてないとは言えません…ただ、あの頃の先生と過ごした時間は確かに僕の中に在ります…子供の頃…って言うか未だ子供ですけれど、先生が演奏会に呼ばれて出掛けた時、連れて行って貰うと皆影で先生に言うんです…他人の子供を育てる前に貴女にはやるべき事があるって…先生は只黙って相手を見つめて…皆逃げる様に席を立ってましたが…」

「はあ、やりきれないわ…シンジ君、一服していい?」
「どうぞ…で、そんな時帰り際に先生が僕に言うんですよ…『シンジ君、君に出逢えて良かった』って…」
「…ふう…先生、いい人なのね…」
「…だから最初にミサトさんと会って、圧倒されたって言うか…先生もこんな風に感じたり笑ったりしたかったのかななんて…」
「し…シンジ君、比べる相手悪すぎ…あ、でもそうね…ミサトも色々あったから…」

「…南極の事ですね…」
「シンジ君…知ってるのね…」
「…聞きました…」
「…そう…」
「ミサトさんも僕も、父親に色々思い入れが在りますから…」
「…あたしとアスカは母に依存して追いつく筈も無いものを追い掛けてた…」
「…最初、綾波と話した時、先生と印象が重なったんですよ…無駄な台詞も無く淡々と話す所とか…エヴァに乗って使徒と戦ってた頃、綾波と父さんが話してる姿を見て感じたのは嫉妬でした。僕と話そうともしない父親と話自体少ない先生、なのに綾波は父と普通に会話してる…先生とも上手く話せなかった自分と綾波を比較してたから…」
「…」
「でも、違ったんです。綾波には父さんしかいなかった…僕には先生も父さんもミサトさんもいた…僕は話そうとすらしなかった。父が僕を息子じゃ無くパイロットとして扱ったのも今なら解る気がします…」
「シンジ君は私より大人ね…私は未だそこまで自分の事を割り切れないし、人の事を考えられないわ…」

紫煙を吐き、自嘲する。

「…人の道を踏み外している事に耐えられず、何も感じずにいようと只自分の事に逃げているとね、自分の感情が解らなくなるの…悲しみを感じる事想う事すら苦痛になって、今目の前の現実に只流されて行くのよ、考える事すら放棄して…人の事など知らない、私は私、感情なんて疲れるだけって…でも無駄だった、無意識に私は蝕まれ壊れて行ったわ。気付けば壊れた私はダミー…予備体を壊し、マギを自爆させようとし、司令に銃を向け…」
「父さんに…」
「全てが嫌になったの。レイを道具にした司令も、感情の無い人形と思い込もうとした自分も…」
「綾波は感情を知らなかっただけ…先生は感情を出せない…音楽でしか想いを伝えられない…だから先生に『貴方を呼ぶ人がいる。私の様に誰も待つ人がいない訳では無い、逢いたくても逢えない私とは違う』って言われた本当の意味が判ったのは全てが終わってアスカや綾波の事を知った後でした…」
「…」
「綾波には父さん、アスカには加持さんが支えでしたけど、僕は先生に逃げられませんでした…捨て子とか訳有りの子とか言われても先生は只黙って僕を抱きしめてくれた…ここに来る時、『もし何かあったら何時でもここに帰って来なさい。』と言ってくれたんです…だけどそれは先生を又僕に拘束させる…やっと僕から解放された先生にまた依存する事が僕は怖かった…」
「…」
「三度僕は逃げ出しました。でも先生の所へ帰ろうとはっきり決めたのはトウジをこの手で握り潰した時だけです…機体から切り離されてもエヴァの感覚が伝わって来て…」
「え?シ、シンジ君、今なんて…」
「え?ですからエヴァからのフィードバックが…」
「有り得ないわ!ダミープラグに操縦が移行した時点で機体との神経接続は完全にカットされるのよ!」

悲鳴の様に彼女は叫ぶ。

「…神経接続をカットしてもフィードバックが…エヴァとのリンク…もしかしたらサルベージの影響…」
「リツコさん?」
「シンジ君がサルベージされたのは初号機のコア…いわば初号機に産み出された存在。シンジ君と初号機は重なり合う存在になったのかも知れない…」
「…」

二人の沈黙を破ったのは意外な闖入者の切迫した声だった。

「碇君!どこ?!」
「綾波?」「レイ、どうしたの?」
「あ、碇君!良かった赤木博士も!アスカが又!」

【次回予告・君達は天使(後編)】


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