『お父様と私』

【そのじゅうに】 作・何処


「マヤさん、案内どうもありがとう。お陰様で助かったわ。」
「ああ、せっかくの明けに余計な仕事をさせた。今日はゆっくり休んでくれたまえ。」
「はっ!」

マヤがゲンドウの元を辞し、人気の無い執務室でゲンドウと春日は執務机を間に向かいあった。

「ご苦労様、貴方。」
「君の無茶は承知していたが、流石に今回は驚いたよ、まさか本気で秘書になるとはな。」
苦笑するゲンドウ。
彼にとってこんな時は良いい息抜きの刻である。ネルフ総司令に軽口を叩かせる人材なぞそうはいまい。

「それに君に小説家の才まであるとは思わなかった。多才なのは知っていたが良く即興であんな話を作れるものだ。」
「あら、貴方には敵いませんわ。私にはゼーレのご老体達相手の腹芸など無理ですもの。」
「いや、やはり君には敵わないな。」

そうだ。だから惹かれた。いとも簡単に予想を裏切り、軽々と想定を越える、知恵の羽を羽ばたかせ知識の空を飛ぶ知性の鳥、思索の海を泳ぐ理性の魚、優しさと愛に満ちた精神世界を持つ慈愛の女。その感性は思考を易々と切り替え新たな可能性を生み出す。
天苻の才、人は彼女を天才と呼ぶ。だがその才を、真に天才たる由縁を知る者は少ないだろう。
彼女の優れた所を列挙すれば切りが無い。称賛の声を挙げる人々は言う。
曰く『知識を吸収する能力』『知恵を創造する力』『無数の事象を組み上げる統合力』『機微を弁える洞察力』『人を惹き付ける魅力』『高潔にして現実的な精神』『美しく均整の取れた容姿』『日本に冠たる資産を受け継ぐ一族の跡取りたる品格』等々…
だが、それは彼女の一面でしかない。
彼女の真に優れた所は、そんなものではない。頭脳の有する知性や理性、肉体の持つ容姿や魅力、精神のもたらす品格、ましてや血縁のもたらす資産や影響力など彼女の真の姿を隠すだけの物。
常に前に進まんとするその存在の有り様…その性こそが彼女の才。

だから惹かれた。だから彼女がLCLにその身を消した時、予定と知りながら思わず叫んだ。だから自らの記憶を躊躇無く書き換えた。だからその有り様を曲げて復活を諦める彼女に怒った。だから我意に任せ息子の誕生日に彼女を眠りから起こした。そしてその事に後悔は無い。
(変革の徒…彼女の真の姿を表すにこれ以上的確な評価はあるまい…)

「チョーカーのマイクから聴いていたから話は判ったが、ここで一応話を合わせねばならんな、確認しておこう。」
「ええ、そうね。」
「先ずは…君『春日椿』は碇家の先代の庶子、唯の腹違いの妹。年は三十二才…また鯖を読んだ事だ。」
「あら、肉体的には二十代ですがエントリープラグの中での思索時まで入れればもう四十近いんですから、その位で丁度ですわ。」
「やれやれ…四年前に事故で夫と息子を亡くし自らも植物人間となり、二年前の『失われた1ヶ月』直後意識を回復。ここまではこれで良いな?」
「ええ、サードインパクトの余波で回復した人々の一員なら説明の都合が良いでしょ?」
「確かに。数ヶ月のリハビリ後に亡くなった先代当主の伝で京に暮らす。三回忌を過ぎ、今後の生活の為新天地へ行く事を望み、叔母と呼んだ『唯』の夫…私の元へ就職を依頼、暫く寮の賄いをした後、秘書として仮採用…波瀾万丈な人生を過ごしたものだな『春日君』。」
「貴方程じゃありませんわゲンドウさん。大体『碇』を名乗ってからだって何度死線を潜り抜けられたのです?マギの記憶領域で知った時は驚きました。私の知らない処であんな危険な真似を…貴方の様な人を『命知らず』とか『馬鹿』と呼ぶんです。」
「間違いない。それとその指輪…マギとの無制限エントリーキーを形見とは良く言った物だ。」
「だってこれは貴方が私の為に作ってくれた物ですもの、主人の遺産に間違い無いですわ。これこそ主人と私の絆に相応しい、そう思いません事?」
「…その亡くなった主人としては自分と息子の名前が気になる所なんだが。」
「あら、決まってますわ。息子は真司、主人は来栖。貴方らしい直接的な名前でしょ?」
「春日…来栖…か…。良い名前だ…。」
「?どうなされたの?」
「昔の思い出だ…母が淫売呼ばわりされ、父が無能と馬鹿にされた頃、私は自らを嫌い、名を嫌った。そして私の怒りを理解せぬ衆世と教えを誤解する弟子達に崇められる度、私は己の名を捨てたくなった。遥か後には私の名の元に殺戮と殲滅が行われ、教えは対立と曲解を呼び、組織は抗争と腐敗に沈んだ。あの頃私は人々の祈りの声に載る自らの名を悲しみ、恥じ、憎んだのだ。」
「…貴方…」
「…だが、君は私の絶望を一笑の元に伏し、私の怒りを一答で解き、私の哀しみを一言で…たった一言で溶かしてしまった。そして私は再び理解したんだ。愛を語る事が…真理を追究する事が間違いでは無いと。間違いを正す事に怯え、人を愛する事を畏れてはいけないと語れる様に…やっと又戻れたんだ…」
「あ…あ…ゲンドウさん…辛かったのね…苦しかったのね…哀しかったのね…」
「そして今又、君は私に新しい名を…希望と言う未来をくれた…今こそ私はクロスに他意無く感謝と愛を載せて主に祈りを捧げられる…有り難う…君のお陰だ…有り難う…本当に…。」
「…ゲンドウさん…私の貴方…愛しているわ…何時迄も…。」
嗚咽を洩らすゲンドウに突き動かされる様に、執務机に身を乗せ、彼の顔を愛惜しく両手で挟む。
彼女はゲンドウと口付けを交わした。優しく、そして情熱を込めて…
暫しのキスの後、執務机より降りて涙を拭き、身を正した彼女は今度は有能な秘書の顔となってゲンドウに告げた。

「では今後のスケジュールについてですが、13時から…」


街中、ファミリーレストランの二階。二人の女性の楽しげな会食は一人に掛かってきた電話により終了しようとしていた。

「…マヤ、もう一度言ってくれないかしら。きちんと論理的に説明して頂戴。指令部に新人が配属?」
《うわっちゃ〜っ》
口調は冷静に、額に青筋を立てたリツコの向かいで昼食を中断して後ろを向いたミサトはゲンナリとした表情になり、脳裏に浮かぶ童顔の部下の顔に怨瑳の呪いを掛けたくなった。
(も〜私知らないわ!マヤちゃん貴女責任取りなさいよ!)

【じゅうさんに続きます】


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