『お父様と私』

【インターミッション3・或る男の独白】 作・何処


夢を見た。

俺は換気ファンの前に立っている。ああ、あの時の俺だ。煙草の吸殻をポケットに入れようとして、苦笑しながら足元へ捨てる。今更痕跡を消してどうする。全く習慣とは恐ろしい、ついでに吸殻入れのダミーの吸殻もばら蒔く…女待つ男じゃ有るまいし、実際これだけ吸えば何時間待った事になるのやら。足元に散らばる吸殻が妙に可笑しくなり、口元が歪む。ま、もう直俺もこの吸殻の仲間入りだ、宜しくな御同輩。

予感より確信。副司令を本部から連れ出す依頼が来た時点で俺は用済みになった事を理解した。道具に徹し、歯車として利用される物はどちらからも必要性が無くなれば廃棄だ。
良く勘違いされるがこの商売は基本的にお互いが与えたい情報と引き換えに相手から欲しい情報の欠片を貰う。外交官や諜報員…スパイとは仲介屋、一介の交渉人だ。だからこそフリーランスが入り込む余地がある。俺は3つの組織の間の調整役として存在を望まれた。
工作員は違う。駒として必要な事は命令を遂行する事。だからこそ専門教育を受け訓練に訓練を重ね忠誠心と自負と誇りを持って命を捨てる様な任務にあたる。
工作員の真似事を諜報員…しかもフリーランス、おまけに掛け持ち…に依頼する。要は既に手打ちは上で済んでいて、何処も引けないジョーカーを引く役割が回っただけ。
ここらが引き際だ。本来ならば逃げを打ち顔と経歴を変えて引退し、捻り出した裏金で何処かの田舎や保養地で悠々自適に過ごすべく姿を消す所だが…生憎俺は未だ知るべき真実を未だ掴んでいない。それに色々関わりすぎた。弟や妹の様な存在、護るべき女。男の死ぬ理由には十分だ。と言うより自分を納得させる理由はそれしか無い。

ゼーレ幹部の財閥当主やその配下の官僚リストもゼーレの直接息の掛かった政治家や戦自幹部の名簿も政府に黙殺された。調査依頼を出しておいてパワーバランスの関係で殺される事は良く有るが、まあ首にもならず黙殺だけで済んだだけ僥幸だ。或る種の厄介者リストの中で俺の順位は確実に上がっただろうが。え?買い被られてもな、所詮俺は小物だ。小物のリストの中でもって事だ。
ゼーレからは結構な額が口座に入った。報酬と口止め料か。最も口座に手を出した時点でお尋ね者確定だがね。“自身で手を下す迄も無く他が始末する”か、有難くて涙が出る。
この時点で頼みはネルフ…と言うより碇司令。俺は取引を持ち込んだ。冬月副司令の救出と引き換えにネルフへの専任と、セカンドインパクト以降の茶番劇の裏の真意…事実の陰に潜む真実…の情報を求めたのだ。窮鳥懐中、虎穴に入らずんばさ。
ダミー会社二つを相互取引させ、手数料名目で行動費を捻り出し、戦自諜報網を使って冬月副司令の拘禁場所を探し出す。後は俺の仕事だ。無事冬月副司令の身柄を確保解放した後、まな板の上で俺は判決を待った。

背後でゆっくりと回る電源の切れたヘリのローターサイズはある吸気ファンが射し込む夕日を切り裂く。オレンジの光がじき黒い染みを照らすだろう。佇みながら待つと、見慣れたシルエットが姿を表す。賭けは…やはり負けか。

『よう、遅かったじゃないか。』

…我ながらもう少し気が利いた台詞吐けないものかね。微かに震えている彼女の肉感的な肢体が弾かれたように跳ねる。
まるで雨に打たれる仔猫のように震えて下を向く彼女はやがて意を決しておれを見る。
…仔猫じゃないな、仔犬だ。その瞳の必死に主を求める様な縋る視線に俺は悪あがきを止めた。
震える女の手が抜き出す拳銃を見て、悪態を付きたくなった。彼女の腕で9mmショートじゃまず即死は無理だ。
マズルフラッシュと共に衝撃が胸を突き、“腹を狙えって教えたろりっちゃん”などと激痛の中呑気な事を思うが、彼女の表情…裏切りの悲しみと命令を果たした満足感、人を殺す罪悪感と背徳の快楽への期待感…が俺を打ちのめした。あんな顔されちゃ撃たれてやるしかないよな、済まん葛城。…死の間際なんてこんなものだ。倒れ込みながら止めも差さずに走り去る足音を聞く。何故か主へ尻尾を振り走り去る仔犬の鳴き声がハイヒールの足音に重なった。入れ替わりに重い足音…始末屋だな。一人か…今更だな…苦笑しながら俺は意識を手放した。

…未だ目覚めないか。今度は…パイプベッドに横たわる自分を俯瞰で眺めるとは、夢か生き霊…って夢だよ。確か激痛で目覚めて…
『起きたか。』
『…痛いって事は生きてるって事ですね…死んだかと思いましたよ。でもいいんですか?生かしといて?』
『…それだけ話せるなら大丈夫だな。来い。』
…世界を呪いながら2メートル先のテーブルへ。肋の激痛と添え木の動き辛さに辟易しながら身を起こし、脂汗を垂らして歩き席に座る。意地で声は上げなかったが半端無く苦しい。テーブルの向かいには碇司令が例のポーズで俺を見てる。
テーブルの上には三つの品が並ぶ。拳銃…9mmパラか。パスポートとその下の分厚い封筒…成る程。そして一冊の古びたノート…表紙は何も書いてない、いや…名前だ。綾波?…シンジ!?
混乱する俺を尻目に碇司令は話し出す。
『今まで君は良くやってくれた。これはその報酬だ。受け取りたまえ。』
『…一つだけですか?』
『ククッ…もしそれを聞かねば最初に手を伸ばした物だけを渡して終わるつもりだった。』
『フルリロード済みの拳銃置かれて罠と思わない方がおかしいですよ碇司令。折角拾った命です、今更棒に振る真似は出来ませんね。』
『…拳銃は自由、パスポートは飼い犬、ノートならば地獄の道連れ…』『では全てを望んだ俺はどうなります?』
『…好きな道を選べ。机の上の物は全てやる。』
『…撃てぬ銃、期限切れ偽造パスポート、白紙のノート…地獄へのチケットにしては安過ぎませんか?』
『銃の初弾、パスポートの写真の裏、ノートの名前。貴様の求めた物の欠片だ。納得し道を選ぶ覚悟が決まったたら連絡しろ。封筒は当座の資金だ。七日後又来る。』
『…一週間以内に連絡しますよ。』

立ち去る長身がドアの向こうに消えると同時に俺は呻き声を上げ机に突っ伏した。焼ける痛みに暫し呻き、やや気力が戻った所で司令の言葉を思い出す。
テーブルの上に並ぶ三つの品。拳銃を手に取りコッキング、9mmパラベラム弾を手に取る。…異常無しか。弾頭を噛む。今の握力じゃ外せないからな。痛みを咀嚼力に換え弾頭を抜く。零れ落ちる装薬の中に混じる小さな紙片…暗証番号か。パスポートを取り出す。写真の部分を撫でると指に微かな感触…何時もの癖でベルトのバックルに手を…あるよ。針を引き抜き慎重に写真を剥がす。マイクロフィルムとは又古典的な。下の分厚い封筒を…成る程。取り敢えず二十枚程抜くが厚みは大して変わらない。そして一冊の古びたノート…表紙の名前…綾波シンジ…ノートを改めて見る。変轍も無い古びた…セカンドインパクト前か。…名前を改めて見る。インクは…シンジの部分が上書き?こりゃブラックライト…
「ううん…」
女の声に意識が覚醒する。腕の中には…相変わらず豊かな谷間だ事。睡魔に抗いかね着衣のままに布団の誘惑にもそもそと潜り込んだ俺達は些か色気に欠けるが、懐でもぞもぞと動く肉の感触は生きている実感だ。試してみな、男の使命って奴を実感する事請け合いだ。ましてやそいつが魅力的な恋人なら言う事無い。
時計を眺める。未だ一時間しか経って無い…
隣の幼い子供の様な寝顔に引き摺られ、再び俺は睡魔に意識を投げ渡した。

碇司令の声が聞こえる…又あの夢か…

『早いな、五日は掛かると見たが。』
『三日で済ますつもりでしたがね…なにせ肋が砕けてますから。冷蔵庫の鎮痛剤、有難く使わせて貰いましたよ。』
『秘匿回線だ、話せ。』
『マイクロフィルムはゲルヒンの職員名簿、ノートには銀行の貸金庫と鍵の所在、箱根データバンクへの極秘リンク回線設置場所…箱根の車庫、弾にはそのSS級アクセス使用番号…』
『第二埠頭明日20時、荷物をまとめろ。』
『了解…』
後27時間か…箱根の山中、朽ちかけたような廃ホテルの車庫は予想通り何も無かった。…エレベーターに物がある訳なぞ無い。圏外表示の携帯に12桁の暗証番号を打ち込む、直ぐに返信が来た。10秒の通話時間で切ると車庫のシャッターが閉まり、床がゆっくりと沈む。10mは沈んだ所で床が止まり、壁面の一角にエレベーターが姿を現した。貸金庫から持ち出したカードをスリットに通し中に入る。直通らしいエレベーターは音も無く地下へ潜る…

暗闇を抜けると埠頭に立っていた。夢らしい唐突さだ。当然傍らには長身の男が…何時もの制服姿、やはり夢だ。
『…覚悟は出来たな。』
『見ちまいましたからね…成程、だから息子がシンジ…』
『…娘だったらレイと名付けた…』
『仕組まれた子供、巫女にして贄、無垢にして咎人…創られた存在たるファーストチルドレンを綾波レイの名に…そうでしたか…しかしあの裏死海文書…彼がいなければ…』
『解読解析はおろか下手をすれば存在すら黙殺されたな…』
『それにしても1999年の…あれは一体?』
『終末の獣…全てを喰らい、ひたすら肥えるだけの存在。本来ならアレを退けた時点でタイムテーブルは動き始める筈だった…綾波が居なければ何も知らずに我々は目前の終末を避ける為に滅亡への道を進んでいた…』
『ではセカンドインパクトは?』
『あれも選択肢の一つ…赤い海…ニガヨモギは地上に落ちなかった。もし極地以外でセカンドインパクトが起きれば一帯の地表は汚染され清水は赤く穢れ人々の殆どが死に絶えただろう…しかしあの時点で引き起こす必要は無かった。』
『引き起こす!?』
『あれはそのまま眠らせておけばあと数年は目覚めない筈だった…だが老人達は恐怖に負けた。タイムスケジュールに縛られ、預言を成授させる事のみに己の精神の安寧を見出だした彼らは南極のその存在自身が耐えられなかったのだ。』
『では葛城の父親は!?』
『葛城博士は巻き添えだ。彼が生きていれば使徒戦は苦戦せずに済んだ。工作員が彼の地のエヴァンゲリオンを目覚めさせなければ我々は零号機の建造にあれ程時間と労力を割く事も無く、パイロットもレイ一人で済んだだろう…ナオコはマギの建造、私と妻、キョウコは各地でエヴァの解析中…南極で実物を調べるのは彼しかいなかった。』
『何故彼らはそうまでして…』
『サードインパクトを起こす為だ。』
『何だって!』
『人類補完計画…人の意識のステージを上げ、バベル以前の誰もが解り合う世界の再構築がサードインパクトの目的…だがゼーレの目的は違った。』
『!』
『ゼーレメンバー12名の内三人はダミー…私を除く八名は只の敗北主義者だ。自ら全てを初源に還し、その安寧に眠るのが老人達の夢、そしてその初源の中で『光在れ』と我意妄執の世界再編をするのがゼーレの本体…ダミーたるキールプログラムの目的だ。』
『司令…では貴方はその阻止を…』
『いや…私は只妻を…唯を取り戻したいだけの利己主義者だ。正直世界なぞどうでも良い。だがこの世界は唯が愛した世界だ。滅亡などさせん。』
『…十分です。』
『手足に彼等を使え。』
黒塗りの車から後ろ手錠に目隠しで引き出された少年達、その内の一人に俺は見覚えがあった。
『生かしていたのか…で、何処へ?』
『南米だ。量産型エヴァはそこで九機建造されている…暗号名“ケツアルコカトル”サードインパクトをこれで引き起こすつもりだ。探れ。必要ならば潰せ。』
『了解。』
乗船…葛城よ、生きてくれ…願う事はそれだけだった。霧笛が低く深く…

目覚ましの電子音に俺は…いや、俺達は眠りの園から引きずり出された。

『…うう゛…も、もう時間か…』
『…ん゛ん゛〜っっっ!ふわあぁぁ〜っっっ!ん〜〜じ、時間かぁ〜?な、なんとか三時間は確保〜あ…墜ちそう…』
そう、俺達は今生きている。南米から15時間かけたのもこいつを抱く為さ、悪いか?これが人生の醍醐味って奴だ。
『こ…珈琲…だな…』
寝惚けた頭と肉体に活を入れる為、俺達はもそもそと布団から這い出す…
色々ご意見ご感想は有るだろうが…ま、取り敢えず俺は幸せだ。

【本編に戻るのです。】


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