『お父様と私』

【インターミッション2・或る女の独白】 作・何処


私の隣で裸の男がシーツの下に潜り込むように寝ている。未だあどけなさを面影に残すその表情にふと娘を思い出し苦笑する。あの娘の年ならもう子を…つまり私の孫がいてもおかしく無い年だ。

ふとこの男に自分の実年齢を告げてみたい誘惑に駆られる。青い顔となり逃げ出すだろうか、赤い顔で怒り出すのだろうか。想像するだけでも楽しい。或いは質の悪い冗談だと一笑に伏すか、それとも無表情で別れを告げるか。おそらくこの歳の割に童顔の男は戸惑いを隠しアルカイックスマイルを浮かべるだけだろう。…なんだ、つまらない。

…しかし改めて今の思索過程を振り返るに、某秘密結社の元秘密諜報工作員としては余りに軽率な己の発想とそれを嬉々として実行しそうな性格を自分でもどうかと思う。…一応は。天才科学者?誰かしらそれ?

眠る男の横顔にキスしたい衝動に駆られるのを理性で止める。キスしたが最後堪え性の無い私は間違い無く彼を四回戦に突入させる。出会ったばかりの相手に三回戦迄お付き合い頂き、体の相性にお互い満足したのだ。例え直に終わる関係にせよ、ここで欲情に負けては今後のお付き合いに響くだろう。我慢我慢。

客観的に見ても魅惑的な自分の肢体と優秀な頭脳は諜報活動や特殊工作にはうってつけだった。それに秘密諜報工作員としての仕事は私の知的好奇心やスリル溢れた緊迫感混じりの快感のみならず肉体の欲望解消と自己満足感をも十分満たした。まあ適職って事よ。
そんなB級映画みたいな(私としては)充実した生活を送っていた私が何故天才と呼ばれる科学者の肩書きを持つ様に…ま、昔の話だが…なったのかと問われれば、詰まる処本業を上手くやり過ぎたと言う他無い。

隠れ蓑として科学者の肩書きや研究者の真似事をしながら諜報活動や特殊工作を行っていた私はいつの間にやらその筋で一流とか天才と呼ばれていた。ま、組織の力を以てすれば未公開情報や研究内容、果ては研究に対する専門家の分析まで出来る訳だし、俗に言う金と酒と女…男の場合も結構…を使えば大抵の物事は知りうる。後は結果の予測できる物を組み合わせれば其なりの格好は付く。
個人の独創とチームの連携が研究機関の姿だが、私は自身の能力…諜報技能や(ハッキングや盗聴、薬物知識に暗号解読)…工作能力(端的に言えば潜入、尾行、脅迫、洗脳に賄賂、色仕掛け)…そして組織の力…を以て個人の独創を装い、チームを纏め操ったのだ。処が気付けば組織からも私は一流の工作員では無く研究者として扱われる羽目となってしまった。やれやれ。

ベッドの上ティッシュペーパーで股間を拭う。この姿は間抜けだなと思いながら思考は巡る。つまり元々私は天才では無いのだ。私は言うならばリサーチアレンジメント能力で天才に見せ掛けただけだ。基本的に私はコーディネーターでクリエイターやマネージメントの才は無い。研究者と言う忙しくは有るが(私には)退屈な日々の中、私は懐妊した。どれだけ退屈していたのやら。しかも笑える事に組織の方針は堕胎を是としない。私も産むつもりだったのでま、結果良し。
そんな中、娘は良く育ってくれたと思う。片親ですれ違い生活だったが、家庭的で知性溢れる…おそらく頭の出来は母親以上…な上に、見た目も頗る宜しい。良くやった我が遺伝子。

然し乍、誰に似たのかそれとも母親の教育が効きすぎたのか、身持ちの固い事に未だあの娘は独身だ。まあ男はいるから私が反面教師だった訳ではない筈だが、元妻子持ちで母親と寝た男と出来る…男女の仲になると言うのは倫理観の強かったあの娘には厳しかろうとも思う。まあだからこそ死んだ身空で娘の為にとあのバ…男の背中を押したのだ。娘もこれを知ったら涙を流し…あ〜潔癖症は嫌だわ〜防刃服と防弾服必要かしら…。

残滓を拭き取ったティッシュペーパーを丸め屑籠へシュート!バイバイ遺伝子情報達!…娘の相手の馬鹿男もそれはまあ堅物だったが、そこはそれ、仮だが寡婦男ともなれば人であるからには正常な男として機能する訳だ。思えば私は組織の命であの男に接近し関係を持ったのだ。最も私の方があの馬鹿野郎にハマるとは思わなかったが、おっと失言。
ま、親の欲目を配慮しても十二分に魅力に満ちた雌の容姿と意識せずとも溢れる程女の色香を漂わせる成熟した魅力…おまけに一途と来た…の前には、あの朴然人な馬鹿野郎も並の男程度には反応したらしい。私が男に娘を抱けとけしかけたなどと知ったらどんな顔をするのか、我ながら悪趣味だが正直興味深い。
最も、あの男を変えた一番の元凶は色々な面で浮世離れした…まあ、あらゆる意味で規格外だった…嫁の影響だったと私は確信している。

…ああ私なんでこう脱線するのかしら、娘の話よ娘の。ブラを着けながら思考を戻す。父親を知らぬ娘だけにファザコンの気が有ったのか、それとも私の血縁故の同じ好みなのかは解らないが、あの娘の初の恋愛相手はあの男だった。
実の娘が恋に堕ちるその瞬間を目撃する母親も少ないだろう。あれは新婚の二人が家に挨拶に来た時だ。娘は嫁の方は昔から顔馴染みだったが、男の方とは初対面だった。当時私が家に連れてくる連中…精力的で男の傲慢な自信と揺るぎ無い力への信奉に満ちた容姿、優れた理性の影に見え隠れする冷酷さ、溢れる本能、知性の隙間から匂う野心と言う雄の香り漂う危険な男達…とは全く異質なその男に娘は初め嫌悪感を持ち、興味の素振りすら無かった。求道者特有の素っ気なさと無関心は関心を引きたい年頃には反感を呼ぶものね。
ところが・だ。あの天然嫁が馬鹿野郎に笑顔で呼び掛ける…勿体無い…と、笑顔で嫁の名を呼び返しやがったのだあの男!あたしにも笑えよ!って違う違う、娘にとって見ればその笑顔は初めて見る他意の無い異性の大人の純粋な愛情表現で(…あーしまった!打算と下心と欲望にまみれた男供しか連れて来なかった私が悪いか…だって遊ぶなら刺激的な方がいいじゃない!)、娘は一発で恋に堕ちた。気紛れな羽の生えた幼児の矢があの娘の心臓をものの見事に貫いたのよ。
…初恋相手が知人の旦那たああの娘も間違い無く私の娘だ。まあ私なら奪い取るね、後は野となれケセラセラ。そんな性格の私に娘がコンプレックスを感じていただろう事は理解しているが、天才科学者の肩書きを信じ込むというか信奉されるのは色々痛かった。ごめん娘、母は色々とズルしてました。

パンティを履きながら、あの娘も下着の趣味同じだったわよねー、あの男は下着より中身だから甲斐無いわよねー、と娘に同情。
…実は生きてたいい年の母親が男連れてシケ込んだ上、娘の相手たる昔の男の性癖思い出して娘に同情してるなんて知ったら…や、ヤバいわ、凄い楽しい…N2使うわね間違い無く。さあてストッキングを…あ、伝線してる。

あの馬鹿野郎と寝てた事を知った娘の顔は見物だった。青から赤、あら又青、忙しいわね。とうっかり呟き私は娘に初めて殴られた。ま、素人だから手首を押さえて涙ぐんでたけど。そこから始まった罵詈雑言は間違い無く嫉妬だった。ひょっとしたらあの男に押し倒される隙を作ったのは死んだ筈の私への当て付けも有ったのだろうか。

下着のまま鏡台に座り、リップを直す。シャワーを浴びて男を起こすのは気が引ける。潔癖症ならば身を震わせ嫌がるだろう。ま、男の余韻に浸る楽しみはベッドの上だけでは無いのだよ修行せよ修行。ってあの娘も意外と背徳感に身を震わせるタイプだわ。流石私の遺伝子。
鏡に映る自分の姿を見る。エントリープラグによる肉体再構成と遺伝子治療はあの男には無効だった。エルダーたる身はテロメアも常人と何ら変わる所無く、その肉体が何故滅びないのか謎は深まるのみだった。対して、その技術の恩恵を受けたのは私とあの馬鹿の嫁とその友人だ。お陰で今の私は肉体年齢30代。組織裏切って良かったわー。

人類人工進化研究所…御大層な名称だ…が組織の研究機関だ。組織はそのつもりだった。が実態は違った。要はあの馬鹿の体の謎解きがしたかった嫁と裏死海文書などと言う爆弾を解体したかった馬鹿野郎の個人的な研究所だったのだ。
一方で私に課されたマギの開発は組織の最優先課題だった。方舟計画…人類が滅びようともマギが残れば再び人類を再興できる筈。多種多様の生命体の遺伝子情報データベース、冷凍保管された無数の遺伝子操作済み精子と卵子、人工子宮、管理者用冷凍睡眠装置、睡眠教育機等々のシステムとその保護管理用スーパーコンピューター群がその初期計画だった。サードインパクトの事実を知れば無駄の極みだったが、滅びを予見して対策を立てるにはベターな方策だ。

生足でスカートたあ今までナニ致してました感溢れるわねー、そんな事を思いながら服を着る。こんな私の昔の肩書きは統合型自己進化能力を持つ人格移植OS…マギの提唱者にして基礎理論を組み上げた天才科学者。組織の望む未来の為に私の経歴は捏造され、マギシステムの製造が開始。しかし裏死海文書はそんな組織の周到な準備を嘲笑った。裏死海文書の解読により世紀末の終末預言を阻止した際に現出した使徒の存在だ。サードインパクトは種の根絶を指す事を知り、計画は大幅な修正を余儀無くされた。裏死海文書の解読結果、タイムスケジュールが判明し組織はそれの対処に苦慮した。あの馬鹿野郎が対策を提唱しなければ只無為に時が来るのを待つしか無かっただろう。

あの男の提言により対使徒戦略が立てられた。ゲルヒン…人類人工進化研究所はネルフとなり、マギはその中核としてその能力を対使徒戦に使うべく調整され、ジオフロントでは対使徒用決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオンの建造とパイロットの人工子宮での合成生産が始まった。

机の上に携帯の番号を走り書きしたメモ用紙を置く…キスマーク付きよほれほれ。さあて帰るか。そう言えば私が組織からの離脱を決めたのはマギの設計目的が本来の方舟では無くエヴァの中に逃げ込んだ幹部の回収にある事を嗅ぎ付けたからだ。エヴァを方舟にすれば確かに滅んだ世界を乗り越えられるが世界は初源に還る…そして全てが一つになった世界で『光在れ』と叫ぶ為エヴァに入る…滅び前提かよ。て事は使徒退治した後は組織が改めてサードインパクト?となればマギが完成すれば私は用済み…知り過ぎ関わり過ぎ年齢も厳しい女を飼う程温い組織では無かろう。
そして預言をタイムテーブルどうり進行させる為のセカンドインパクト…目的と手段を取り違える組織に未来は無い。私は一切合切あの馬鹿野郎と嫁と金髪に打ち撒けた。

…天才の考える事は解らん。嫁と金髪はエヴァに入り、影から組織の陰謀を阻止すると決めた。馬鹿はマギに私も含めた三人の人格と記憶、肉体構成や遺伝情報までをも封じ、人工子宮による肉体再生と記憶注入を最て再生する裏技を提唱。この技術を組織に秘匿する為他の開発に見せ掛けた上故意に失敗させる。セカンドインパクトを餌に冬月の爺様を引き摺り込みエヴァ関連の情報を操作…っておいこらそらあたしの領分だ馬鹿野郎。
…にしても組織を騙眩化し爺を道化に使う悪どさは流石馬鹿。私はマギ完成直前に死亡を装い消える事にした。顔を変え、退職金を経理操作で捻りだし、偽の経歴と戸籍を作るのはお手の物だ。万が一に備え一応全員の偽戸籍と銀行口座は用意したが。しかしあれは無いよ嫁。『ばあさん』は昔嫁が初対面の私に言った台詞だ。きっつぃわー。でも肉体再生で若返りした時はあの馬鹿に感謝したわー、もっかい寝ても良い位。うっかり口に出してたらしく嫁は大笑いし馬鹿は沈黙、回線の向こうで金髪は怒鳴ってた。あんたも抱かれりゃ皆姉妹ねとは流石に言えなかったわよ。本当よ?

ドアを締め会計をカードで切り、ハイヒールの音高らかにホテルを出る。有閑マダムの優雅な夜はこれから…携帯だ。馬鹿から。歳月と私の知識欲はなんちゃって研究員から一端の医者へ…遺伝子治療の…と変身させた。あの人工生命体の少年少女を人間に…生殖し、死ぬ定めに還すのが今の私の研究だ。なあに時間はたっぷりある。私はタクシーを拾うべく生足を剥き出しにしてポーズを決めた。
【そのにじゅういちへ】


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