『お父様と私』

【そのなな番外編・髭と拇印】 作・何処


ミサト逹がゲンドウの元を辞し、人気の無い職員食堂でゲンドウは一人食器を洗っていた。
洗い物は無心になれる。日常激務に追われるゲンドウにとってこんな時は掛け替えの無い休息時間である。
水音と皿を重ねる音が響く調理場の入り口に人影を感じたゲンドウが振り向くと、鞄を持った長い髪の女が立っていた。

「ただいまゲンドウさん。手伝うわ。」
「ああ、頼む。」

手際良く食器の片付けをする女に食器を洗うゲンドウが尋ねた。

「…皆の分をシンジ逹と食べてしまった。又何か作ろうと思うが何にする?」
「ええと、ホワイトボードには…一階の三人は帰省中、二階の皆、今日はシンジ逹の護衛と訓練に出払っているわ。三階は冬月先生の政府との懇談会場とルートの警備で帰還予定はA08:30…あら、朝まで?皆さん大変ねぇ…そうね、遅くなる二階の方逹の夜食用に豚汁を作っておきましょう。夕飯は貴方と二人分だから私が作るわ…治部煮で如何?お好きでしょ?」
「ああ、それは良い。是非そうしてくれ。」
「…シンジはどう?大きくなったかしら?」
「益々君に似てくる。意気地の無いのは私似だが。豚バラと鶏肉と人参、蒟蒻…里芋とジャガイモを出してくれ。玉ねぎはそこに出てる。」
「意気地の無い人は全人類の罪業を一身に背負う様な真似はしませんわ…寸胴鍋出して下さる?多目に作ってあげないと。」
「只の馬鹿だ。怒りの感情に任せて挙げ句は護る相手と変革の同志に見捨てられると知りながら尚叫ばずにおれなかった…お玉はどこだ?」
「ここにありますよ、じゃあその馬鹿に惚れて押し掛けてくっついた私は更に大馬鹿者ですわ。」
「そうだな…シンジがサルベージを望まないなら蘇らないなんて言った君は確かに大馬鹿者だ。サラダ油が切れた…そこの棚の下段、そうそれだ。」
「意地悪…私を起こした癖に。キョウコの娘さん…アスカちゃんは?」
「母親のクローンじゃないかと思った。口調までそっくりだ。あ、まな板は漂白剤に浸けてある。」
「ふふっ…でもキョウコも変わったわ…娘に合わせる顔が無いなんて泣いてましたものね…あ、雪平取って下さる?で、弐号機からのサルベージはいつ頃の予定?」
「本来のサルベージ実験は年明け後だ。だからその前に彼女を起こす。既にエントリープラグ内に入ってもらった。無人起動試験中の事故で再生された形を取る。クリスマス当日の事故で私も急遽帰国する計画だ。時間的にはミサ直後のタイミングになるか…フライパンと木箆は良しと。」

コンフォート17の一室、リツコも来て皆が紅茶を飲んでいるその時、ネルフ第三独身寮の一室では…
「久しぶりに治部煮を食べたな。旨かった。」
「良かったわ。私も久しぶりに作ったから不安だったの。」
「やはり君は鬘を取った方が似合うな。それで、本家はどうだ?代替わりしてから大分変わったと聞くが。」
「恐竜はその巨体のせいで滅びましたわ。資産は往時の1/10になりましたけど未だ係わる処が多過ぎね。でもまあ良くやっている方かしら。」
「…未だ一国の国家予算以上の資産を持つか…流石碇家。」
「あら、貴方は資産放棄したとは言え嫡流の婿養子ですのよ、場合によってはシンジに継いで貰う可能性もあるのですからね?」
「ふっ、興味無いな。シンジにはシンジの生き方がある。好きにさせるさ。」
「貴方らしいわ。はいこれ死亡届と離婚届け。捺印はこっちはこことここ、で、これはこことここに捺して下さい。」
「…改めて聞くが…いいんだな?」
「ええ、私達は死で一度別れましたからね、もう後はあの娘逹に任せますわ。ちゃんと幸せにしてあげて下さいね。」
「…君は何時もそうだな。そうやって私を振り回して。」
「私は碇家の娘ですのよ、貴方も碇の名名乗るんですから1号さんや2号さんぐらいいても大丈夫、あちらはそれが普通ですから。」
「私はいらん。」
「貴方は真面目ですからね。でももう私は貴方と同じですもの、幾らでも待ちますわ。逢いたくなれば又何時でも逢えますし。」
「…ナオコの処で遺伝子検査した結果が出た。やはり変化無しだそうだ。」
「そうでしたか…又…繰り返すのね…」
「だがこれからは君達が…刻の女神逹がいる。」
「キール議長は延命処置を止められたそうよ。貴方みたいな永遠の虜囚にはやはりなれなかったのね。」
「老人逹には無理だ。最初から解っていた。傷痕は消したが彼らに会う度手首と足首が痛み、脇腹が疼いた。彼らの罪が痛みを呼ぶんだ。そして私も…十五年後に私は死亡予定だ。目覚める時は又六分儀の養子の戸籍となる。」
「貴方…ゲンドウさん…」
「今はこうしていてくれ。頼む。」
「今は私がいるわ…慰めて…愛して…あたしをあげるわ…」
「ユイ…私は罪深い男だ…君が欲しい…」
「仕方無いですわ、その性淫荒にして不浄なるリリン、私達はその一員ですもの。ね、貴方…あ、んっ…」

ミサト逹が猫と戯れている同時刻、ネルフ第三独身寮。

「ん…あ、ゲンドウさん。今何時?」
「…8時か…」
「ん〜少し寝過ぎちゃったわね…」
「もう少し寝ていろ。コーラでいいか?」
「ええ…ふふっ、思い出すわー、ゲルヒン研究室。」
「君は徹夜明けに良くコーラとビスケットをかじってたな…」
「そうそう、それで貴方の部屋行く途中力尽きて」
「仕方無く君をおんぶして帰って、漸くたどり着いた部屋に」
「くすっ、キョウコが綾波君相手にお説教してて」
「『あんたばっっっっかぢゃない!人の冷蔵庫の食べ物何漁ってるの!』」
「ぷくくっ!ゲ、ゲンドウさんそれ反則っ!口調そ、そっくりっ!クククククッ、苦しーっ助けてーっあははははははははっっっ!!!」
「止せばいいのにあの馬鹿が『喰われずに腐る前に俺が消費してやってるんだ!見ろこんなカビの生えたチーズを!』って俺の秘蔵のブルーチーズをゴミ箱から出しやがって。」
「クスクス…貴方とキョウコに思いっ切り殴られてたわ…『『馬鹿かお前は!』』って…それから皆でお鍋を食べて…」
「缶詰と買い置きの玉ねぎしかなくて、あれは鍋じゃ無くて味噌汁だったな…あの馬鹿おかわり何度もしやがって…」
「懐かしいわ…あんな事さえなければ、綾波君は…」
「ああ、奴は死ぬべきじゃ無かった。1999年の終末を防ぐ為に身を捨てるなんて格好つけすぎだ。」
「裏死海文書第八の道の記憶…三人の巫女による終末の獣の召喚…この国の適格者は葛城博士の娘、ミサトちゃん。ナオコさんの娘、リッちゃん。綾波君の妹、レイちゃん…」
「…滅亡阻止ゼーレプロジェクト。不完全な召喚によって現出した使徒種核の凍結確保。奴は妹を巫女に使う事で二人の巫女の存在を隠して救い、そして妹と共に…」
「キョウコは泣いてたわ…綾波君に求婚されていたのよ…ドイツに帰ったのはあの後直ぐだったわ…」
「…あの時救出した奴の妹は記憶喪失状態…セカンドインパクト時に行方不明。まさかと思ったが彼女が生きていたとは、しかもシンジを保護し、その面倒を見ていた…それを知った時、私は運命という奴を感じたよ。」
「シンジとレイ…あの二人の名を貴方が付けた二人…宿命の絆…か…」
「これから君はどうする?賄いの奥さんで暮らすのか?」
「そうねぇ、それも良いけど、何なら変装して貴方の秘書にでもなりましょうか?スリルがあってドキドキするわ!」
「…好きにすれば良かろう…」


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