この場合のふたり         こめどころ



1.『忘れものは持ち主に返さなくちゃね。』






「お、おまえ阿呆かぁ〜。この寒空に4時間も女待っとったてぇ〜〜??」


窓際の手すりに腰掛け、スチームパイプの上に足をのせていた少年が大声で叫んだ。


「い、いや、ずっと待ってたわけじゃないよ。時々はコンビニに入って温まっていたし、立ち読みしたりして。
それに、お腹がすいた時は、肉まんも食べ・・・結構快適に・・・」


うっかり昨日のデートはどうやった? などと声を掛けられて正直に本当の事を答えてしまった少年は
首をすくめて、この顔をしかめているいささか荒っぽいジャージ姿の友人に言い訳した。


「それで、相手の女は来たんかいな。」

「う・・うん、会えたよ。」

「会えたって、デートはしてないってことか?」


彼の隣の席に座って、椅子を揺らしていた眼鏡の少年も口を挟んだ。


「・・・うん。他の人と偶然、彼女が通りかかってさ。」

「偶然て・・・他の男とか?」

「僕との約束忘れて、その人と映画見に行ってたんだ。」

「なにぃ? 少しは文句言うたったんか。」

「だって・・・わざと忘れたわけじゃないんだし。ごめんて言ってたし。無理やり頼んだのは僕の方だし。」


いたたまれなくなって逃げ出したってことだけは内緒だ。


「おまえなぁ!そういうことやから際限なく舐められるんや!」


ジャージの少年はまるで自分が舐められたように大声で怒鳴った。
クラスに残っていた全部の人間が、何事かと振り返った。


「たまにはガツンと言ってやらないと、彼女の方だって不幸だぜ。
男って そんな甘いもんだと思いこんじゃったら、この先・・・」

「まさか。ははは・・・」


力なく少年は笑った。

「よく見れば」優しそうな笑顔をした中々の美少年…と言えなくも無いと言った容貌。
確かにちょっと覇気がなさそうではある。気弱そうだし、ちょっとなよなよしているかも。

そこに、この男子クラスでは聞こえるはずの無い明るいアルトの声が響き渡った。


「そうよ! あんたがそんなだからあたしばっかり悪く言われるんじゃないっ。
4時間待ったからなんだって言うのよ!
あんたが直ぐに帰ってれば、うまく会えなかったって、それだけのことだったんじゃないの。
それを男の癖に未練がましくうだうだと待ち続けて。何時間も待っていたなんてのはあんたの勝手でしょッ!」

「誰やぁおまえ。―――昨日待ち合わせ立ってのはお前か。」

「そうよっ。おかげでこっちはみんなに責められて、無理やり『謝ってらっしゃいッ!』って、
教室から叩き出されてきたところよ。みんなあんたのせいだかんねっ!」


びしっとその少年、碇シンジを少女は指差す。
立ち居振る舞いといい、その少し太めの濃い眉といい、相当活発な女の子だと思われる。


「あ、ご、ごめん。」

「まぁ、今日のところはこっちにも弱みがあるから謝るけど。」 少女は短く溜息をつく。


「ごめんね。っとじゃあ、また。」


頭も下げずに、ポンとそう言うと、軽々と制服、えんじ色3本線のマリンのセーラーと同色のスカートを翻し、
少女はさっさと教室を出て行こうとした。


「待てやっ。」


その後ろから手をつかんだのは黒いジャージ姿の少年だった。


「お、おいトウジッ!」


眼鏡で巻き毛の少年が立ち上がった。


「忘れるなよっ!今度騒ぎ起こしたらお前また停学だぞっ。」

「だあっとれっ、ケンスケ!
ここまでツレ馬鹿にされて黙ってられるほど人間できてないんじゃ!」


トウジと呼ばれた少年は少女の手を乱暴に引き寄せると大声で威圧的に言った。


「おまえ、人をなんだと思ってるんや。ああ?」

「馬鹿たれでしょ。あんたのようにね。手ぇ離しなさいよ。」

「誰が離すかい。もちっとまともに謝れ言うとんじゃ。」

「いやよ。あたし人に強制される位嫌なことって無いの。あんた脅してるつもり?」

「おどし?これは脅しや無い。お前みたいなてんてんパー女に対する、躾や。」


あどろおどろと殺気が渦を巻いている。睨みあったまま動かない。
なまじ派手な怒鳴りあいではないだけに一層凄みが増す。
一見すれば年頃の男女が手を繋いで何か語り合っているほのぼのした光景と見えないことも無い。
だが二人から流れ出す冷たい空気が 教室の中を次第に静かにしていく。
まるでススキヶ原の決闘シーンのようだ。
血の匂いがしそうなほどに・・・

ずんっ!

一閃、鈍い音がした。


「あっ、おっ・・・ぐ・・・ふうううっ。くうぅぅ。」

「これに懲りたら気安く少女の手を握り締めたりしないことね。」

「ま、待ちくされ・・・この外道おんなが・・・」


股間を押さえて床に転がったトウジの言葉を尻目に、少女はさっさと部屋を出て行ってしまった。


「トウジッ!おいトウジっ!」

「大丈夫かっ!」


男子クラス2−Aの大半がそこに集まって団子虫になっているトウジを助け起こし、よってたかって
保健室に運び入れたのだった。





「ちょっとお、アスカ評判になってるよ、男子クラスの方で。
あんたが2−Aに殴りこみかけて 鈴原のあそこ蹴り上げたって。」

「事実そのまんまだから何もいえないわねぇ、アスカ。」

「馬鹿言わないでよ。何が悲しゅうてあんな物蹴り上げなきゃなんないのよ。」

「でも蹴ったんでしょ。」

「う・・・蹴ったわよ。脅しじゃなくて躾だなんて暴言吐かれたらそのくらい当然でしょ。」


グループの女生徒が笑いをこらえながら混ぜ返す。


「あら、でももともとの原因はあんたが蹴られた男の友達とのデートをすっぽかして他の男と
映画見に行ってたってことにあるんじゃないの?そう聞いたんだけど。」

「うッく。そっ、それはそうなんだけどさー。」


正直言ってアスカは退屈な日曜日の午後、時間つぶしができれば誰でもよかったのだ。
映画でも見て甘い物を食べて、夕方まで買い物に付き合ってくれるような男でさえあれば。



2−Aの碇シンジです、と奴は名乗って、映画見に行きませんか、とアスカを誘った。
いかにも気の利かなそうな情けない感じの子だったが、がちがちにに緊張していたのが新鮮だった。
いかにも女慣れした男とばかり軽い付き合いをしてきたアスカは、たまにはこういうのもいいカナと、
ふと思っただけだったのだ。

その男の子の、うれしそうに笑った顔が印象に残った。
いままで、自分と約束したからって、こんなに嬉しそうに笑ってくれた奴いたっけ。

日曜日。11月最後の日曜だった。
通っているゼミの模擬試験が、その日あまりできがよくなかったのでいらいらしていた。
その時、いつものゼミの仲間同士で出かけようということになって、流れでついて来てしまったのだ。

シンジの事を思い出したのは映画が始まり、約束の時間を30分ばかり過ぎてからだった。
しまったと思った時、自分も相手も互いの携帯の番号すら知らないことにその時やっと気づいた。
少しあせったが、今から約束の場所に移動するのには更に30分かかるし、急に出て行くなんて、
皆が納得する、いい理由も思いつかなかった。
まさか、正直に碇シンジと映画を見に行く約束だからなんて言えない。

映画を見た後はサテンでだべり続けた。
言い出せないまま3時間経った。窓の外は今にも崩れそうな天気だった。
もし待っていたらと思うと気が 気ではなかったが、この寒空だ。どうせもう待ってはいないだろうから、
今夜にでも自宅に電話して謝まればいいだろうと、勝手にそう思うことにした。

そのあと30分ほどしゃべって解散になった。結局、気もそぞろで何を話したか、憶えてもいない。
ずっとあんな冴えない子を気にし続けていた自分に腹が立った。
どうせあいつの方は腹を立てて帰ってしまい、自分がずっと気にしていたなどと思っていないに違いないのだ。
そしてそのうち本人は何も言って来ないくせに悪口だけが伝わってくるんだ。


『きらきらしてるだけの女なんて最低だな。』

『やっぱり最低の女だったよ』

『すっぽかして、来もしなかったんだぜ。』


あやまってもどうせ居丈高に言うだけなんだ。


『何で来なかったんだよッ!』


そういう時、男って、白目をむいて馬鹿丸出しでキンキン叫ぶんだ。
こっちだって、別にお前にその約束の分、自分を売ったわけじゃねえよ!と思う。
たかが映画の待ち合わせをしただけでもう自分が何かの権利でも手に入れたように振舞う。
だだをこねる子供と同じ。

男なんてそんなものだ。だから男は好きじゃない。
たかが男のことで喚いたり泣いたり死んだりする奴の気が知れない。


「待つ身はつらいだろうけど、待たせるほうだって辛い、か。
そんな風に言えた時代があったなんて、夢だね。」


小声で呟いた。


「なに?」

「え?なんでもない。こっちのこと。」


ちょっと寄るところがあるといっているのに、ああ、僕も渋谷に用事があるからと付いて来た男が
うっとうしいが、そのまま一緒に歩きながら結局待ち合わせの場所までやってきた。
もう、4時間も遅れたからいるわけは無い。と思って見ると、紺の詰襟とズボン姿の碇シンジが、
規則集の通りに学校の安っぽい化繊の通学コートに包まれて立っていた。


―――あの馬鹿、この寒いのに。あんなぺらぺらの制服姿で。


自分は私服の暖かなセーターと上等なオポッサムのコートに包まれてぬくぬくしている。
アスカが驚いて身を堅くした途端、間の抜けた声がかかる。


「ねえ惣流さん、これからどこへ行くの?」


しまった、コイツがいたんだった。アスカは慌てたが今さらだった。


「わたし、ここから急ぐから。じゃあねっ!」


そう言い捨て、人ごみの中を駆けた。気がついた時には碇シンジの前に息を弾ませて立っていた。
下を向いていた男の子が、気配に気付き目を上げた。ぱっと立ち上がった。


「やあ、惣流さん。やっぱり来てくれたんだ。」

「やあじゃないわよ。この寒いのに、何でこんなとこに吹きっさらしになってるのよっ!」

「いや、ずっといたわけじゃないよ。そこのコンビニにも入ってたし、肉マンも食べたから。」

「約束は、2時だったでしょ。もう6時回ってるじゃない!」

「あはは、4時のチャイムの後はちょっと意地になっちゃって。」

「馬鹿かあんたは!あたしなんかずっと忘れてたわよっ!」


その時、またあのくっついて来た男の声がした。直ぐ後ろにまるで付き添いのような顔をして立っている。


「何騒いでんだよ。周り中が注目してんぞ。」


はっとアスカが見回すと、たしかにこっちを周り中の人が見ていた。それでいっぺんに混乱してしまった。


「と、とにかく待たせて悪かったわねっ。あ、あの。」

「あ、忘れちゃってたんだ。」


シンジは後ろの男とアスカを交互に見て、言った。


「え?」

「しょうがないよ。誰にでも忘れちゃう時はあるものね。その人と一緒だったんでしょ?」

「え、ち、違、」

「ああ、確かに一緒だったけど。」


ぼけ男は大声でそう応えた。


ああもうっ!


アスカは地団太を踏む思いだった。
悪意が無い奴が一番悪辣な事を言う時がある。こいつは確かに親切な仲間 なんだけれど、
TPOという物がまったくわからない奴なんだ。
そんな事を言ったら碇がなんて思うかとか、 想像できないのだろうか。
事実をありのままに話すのが正直だと思っている馬鹿が多すぎるっ!


「あ、そうなのよ。ごめん、悪気はなかったんだけどついわすれちゃって。
でも来てみて良かった。 ほんとにごめんね。ごめんっ!」


済まなかったと素直に思う気持ち。
周囲の人の目や、ぼけとは言え仲間の存在がアスカの心中をかき回す。
恥ずかしさ、怒り、居たたまれなさ、恥をかかされた、他人の視線、意味深な含み笑い。


「いいよ、気にしてないから。うん、大丈夫。」

「あ、約束忘れてたのか。惣流、お前って悪い奴だな。」

―――うるさ〜い!碇の顔をちゃんと見なさいよ、気にしてないわけ無いじゃない。


碇もそんな顔しないでよ。


「だって、4時間だよ。そんなに待っててくれるなんて普通思わないじゃない。」


え、あたし、何言ってるんだろう?


「普通、一時間も待ったらもう帰るよね。それが普通だよね。びっくりしちゃった。」


誰に同意を求めてるんだ?あたし。
こんな話し方なんかしたくないのに、普通普通とそれが正しい事みたいに。
普通から外れた方がいけない? 普通じゃない碇のほうが悪かったんだって言ってるのと同じ。
恥ずかしさより、こいつに謝る方が先にやらなくちゃいけない事ってわかってるのに。
赤の他人の視線の方を優先させてしまう。なんて卑怯者なんだ!


「こんなに人待たしちゃったのって初めてよ。だってさ、」


誰もそんなこと聞いてないのに誰に向かって体裁を繕ってるの、あたし。
そして最後には碇が一番傷つくってわかってる事まで口にしてた。


「もしかして碇ってそんなにあたしと映画見たかった?」


もう一度振り返ったら、少年はもういなくなっていた。
アスカは慌ててその辺りを走って探したが、男の子の姿を見失ってしまった。


「 最低。」






「あーむかつくのう、あの女今度会うたら、こんどこそしばき倒したる!」

「ベッドで唸りながら大声出してもかっこ悪いだけだよ、トウジ。」


ケンスケがベッド脇でレンズを磨きながら冷ややかに言う。


「大体相手が悪かったよ。うちの高校でも、女子部2−Fの惣流アスカっていったら名うてのワルだぜ。」

「そんなん知るかい。女のワルッたってこのガッコのワルなんざタカが知れてるやろ。」

「ま、他のについてはそうかもしれないけどさ、あの惣流アスカだけは違うんだ。
男5人相手に軽く全員病院送りにしたって情報もある。女どもの間じゃちょっとしたヒーローなのさ。」

「硬派っちゅうわけか。確かにただの女や無い、武闘派ヒーローやろうな。口もとびっきり悪いしのう。」

「あの機関銃みたいな舌には、さすがのトウジも適わなかったみたいだな。あははは。」

「笑い事やあらへん。あそこでいきなりどすんと来るとは思わんかったわ。たいしたタマやな。
それにしてもあの大人しいシンジとあんな女が、どこでどうなってつきおうとるんや?」


ケンスケもそこまでは知らないから首を傾げた。





「碇シンジ!」


振り向いたけれど、誰もいない。きょろきょろと見回す。


「ここよ!ここ!目をもっと上に上げる!」


え?と思って見上げると高い壁の上にアスカが腰掛けている。シンジの目線からは丁度少女の
つややかな腿の裏側が目に入って、そのまぶしさに途惑う。
街路樹の葉の間に隠れて、普通に歩いているとちょっとした死角なのだった。


「猫の隠れていそうな場所にいるなぁ―――」


思わず呟く。


「うん?なによ。」

「危ないよ。降りておいでよ。」

「あんた馬鹿ぁ?登ったもんがそうそう危ないわけないじゃないの。でもまあいいわ。ここに来て。」


歩道脇のグリ―ンベルトをまたいで壁を隠すように並んでいる雑木。
その間をアスカの腰掛けている真下に来た。
壁の直ぐ下には背の低い目の荒いフェンスがあって、そこに足をかけて金網の上に手を掛けて上れば
高い塀の上にも楽々登れるのだった。


「ここ、景色がいいのよ。誰かが通っていくのが見えるの。
向こうからは見えづらいし、陽射しがあったかいし。最高の場所だよ。」


見上げると、陽射しがまぶしい。
午後の木漏れ日が、そこにいる誰かの姿を青空と木々の間にやすやすと溶かしてしまう。


「ちょっと、その足元の靴、持ってくれる?」


目を下に向けると、学校指定の茶色の革靴がコロンと転がっていた。
それを手に取る。


「こっち、きて。」


壁際のフェンスの上に、えんじ3本線の同色スカーフ。
セーラー姿のアスカがすっきりと立っていた。


「上を見上げちゃ駄目だかんね。」

「う、うん。」


一瞬見上げてしまった後だった。きれいなまっすぐに伸びた脚がシンジの目に焼きついてしまった。


「靴、はかせて。」


そう言って、少女は座り、少年に向かって、バレリーナのように片方の足を真っ直ぐに上げて差し出す。
紺のハイソックスに包まれた小さな足。途惑うシンジに更に声が掛かる。


「早く。」


急いで鞄を下におき、忠実な召使みたいに片方の靴を取ってはかせる。
つま先を差し込んだ後、少女のかかとを包むように持ち、そこに靴をはめ込む。
それが中々はまらない。


「あのさ、昨日は、誰が悪かったんだとおもう?」

「え、誰がって。」

「だから、待たせた人が悪いの?それとも待ってた人が悪いの?」

「そ――それは。」

「正直に言いなさいよ。」

「そ、惣流さん――が悪い…のかな?」


そういった途端に靴がすっぽりと入って思わずにっこり笑うシンジ。


「そうよ。あたしが悪いのよ、あたしが悪いに決まってんじゃない!
それなのにあの馬鹿がでしゃばってくるから。」

「トウジのこと?」

「あんた、一人でいたら、ちゃんと謝れたのに。謝ろうかなって、思ってたのにさ。」


膨れるアスカ。シンジはもう片一方の靴を拾い上げた。
この横柄なあやまり方にこの少女の不器用な善意を感じた。やっぱり決して悪い人じゃなかった。


「ほら、反対の足を。」


アスカは反対の足を素直に差し出した。


「大体あんたが、愚図愚図してるからいけないんだからねっ。
先に忘れちゃうこともあるなんて言うのはずるいと思わないわけっ?」

「ずるいって言われてもな。」


アスカは息を切らして、怖い顔をして、それから―――まぁいいわ、と言った。そして、


「だから、あたしが言いたいのはっ!」

 ―――悪かったわよ! あたし、馬鹿なこと言ったから。

「だから、もう一度最初からちゃんと謝りたかったのよっ。」


だんだん小さくなる声をシンジは辛うじて聞き取った。


「それで、ここで待っててくれたんだ。」


こっくりと肯く気配がした。
靴を履かせながら、人待ち顔で歩道を眺めているアスカの様子を思い浮かべる。


「よかった。」

「よかったって、何がよ?」

「君が、僕の思っていた通りの人で。」


―――風が―――二人の間を渦巻いて吹き抜けた。


「早く、靴はかせてよっ!」

「はい、はい。」


靴を履かせる、紺のハイソックスの、自分より小さな足。真っ直ぐなふくらはぎ。
シンジは昨日からの冷たくなっていた心がまた温かくなったのを感じた。
靴がうまく入って、かかとを離す。その足の先に視線をやると、頬を染めて少女がいた。
何事につけ疎い少年は、頬が赤くなるほど寒かったのにずっとここで待っていてくれたのか、と思う。


「さぁ、できたよ。」

「あ、ありがと。」


ふわっと、アスカは飛び降りた。勢いがついたところをシンジが手を取って、身体を支えた。
アスカは木の後ろから鞄を取る。白いぼんぼんがついた、紺色の指定鞄。
それを取る間にも、アスカはシンジの手を離さなかった。


「あ、あのさ。今日のことは、誰にも内緒にしておいてくれる?とくにあの、蹴飛ばした奴に。」

「トウジに?」

「う、うん。ああいう奴はさ、きっと凄くからかって来たりすると思うから。」


シンジは吹き出しそうになった。確かにそうだろうなと思ったからだ。


「それで!これからどうするのよっ!」


出し抜けに大きな声を女の子が上げたので、シンジは目を丸くした。


「にぶいなぁ、昨日の変わりにどっか寄っていこうかって言ってんのよ!」

「で、でも登下校時は飲食娯楽施設等には立ち入り禁止ってことになってるし。」

「なにそれ、あんた今どきそんなこと守ってるわけぇ。」

「だ、だって、校則は守る為にあるんだし。」


アスカはばっと耳ところの髪をかきあげて見せる。ご禁制のピアス、しかも鮮烈な深紅。


「ぴ、ピ、ピアスなんか。」

「そうよ、惣流アスカはバリバリの不良娘なんだから。
あんた、これからあたしと付き合うんだから覚悟ちゃんと決めてもらわないと!」

「つ、つきあうって・・・そんなこといつ。」

「あたしが今決めたの! さぁて、忘れ物は本人に返さなくっちゃねっ!」

「わ、忘れものってなんなの。」

(馬鹿。映画行く約束、あたし、忘れてたじゃない。)心の中でそう思った。


アスカはシンジの腕に手を絡めると、ぎゅっと身体で締め付けた。
男の子が真っ赤になったのを確認した少女は、満足げに笑う。
そして少年の身体ごと引っ張るように通学路を走り出したのだった。 



  







この場合の2人『忘れ物は持ち主に返さなくちゃね。』終2004-10-25 こめどころ-





つづく。