「ちくしょう!ばかやろ〜〜〜っ!!」
できる限りの大声を上げながら奈落の底にむかって落ちていく。
暗黒の深淵が大きく口を開けている中を、どこまでもどこまでも。
「うわああああ〜〜〜〜〜っ!」
ガシャン!
天使のランプフィギア
こめどころ
その日、僕は早起きして出かけた。
姉貴といっしょににフリーマーケットに行かなくてはならなかったからだ。
先週、姉貴が昔から大事にしているティーポットを、友達と騒いでいて割ってしまったのだ。
それはマイセンの古陶磁器で、買おうと思っても買えるものではない。
でも時々この公園の青空市場にはとんでもないものが出てくることがあるので、一日かけて根気強く捜すつもりだ。
「シンジ。準備できた?」
姉貴がドアを開けて顔を出した。わが姉ながら、なかなかの美人だと思う。
ただ、どうも気が弱いと言うか、おしとやかすぎるところがあって、損ばかりしている。
そんな姉貴も今日は張り切って、黒の綿パンとシャツという勇ましい格好をしている。
いつも柔らかいワンピース姿を見慣れている僕はちょっとびっくりした。
「姉さん、今日はなんか攻撃的な格好だね。」
「うん!スカートだとしゃがみこんでじっくり品定めできないでしょ。」
なるほど・・・。とにかく獲物を入れる大き目のディパックを背負って僕らは自転車に乗って出かけた。
きらきらとした朝日。何かいい事が起こりそうな予感を抱かせてくれるようなそんな朝だった。
日曜日の朝、まだ8時前だというのに、既に公園は、荷物を搬入する人たちや、一刻も早く掘り出し物を
手に入れようとする人たちで結構混雑していた。
公園入り口の楠の大木のあたりが自転車置き場になっている。
最初に来た人から置いていくので、昼頃に帰ろうとすると自転車の海の真っ只中になっていてどうしようも無くなるのがいつもの事。
今日は1ブロックはなれた空き地まで行って停め、歩いて戻った。
入り口を入ったすぐのところに、銀や真鍮の古い硬貨や、指輪や、アクセサリーを並べている人がいる。
こういう細々したものが大好きな姉貴はもう目をきらきらさせている。
「やあ、ミーちゃん。今日は弟さんと一緒かい?」
「おはようございます、加持さん。また、いろいろ増えてますね。」
どうやら、この店の常連らしい。良く日に焼けた逞しい髭面の人で、手に空手だこがある。
そういういかつい人と、細々したがらくたのようなアクセサリー(?)のミスマッチが笑える。
「はじめまして、僕、シンジって言います。」
握手をする。思ったとおり分厚い温かい手だった。
しばらく姉貴はそこで奇麗なビンの蓋とか、古い貨幣とか、割れた石の玉とか、こわれた万年筆なんかを見ていた。
「はい、これは今度の旅行のおみやげだよ。」
姉貴はなにか貰って喜んでいる。
占い用の鹿の骨、魔法薬セット。こんなもの一体どこから仕入れてくるんだろう。加持さんて不思議な人だなあ。
それからまたぶらぶら歩き出す。
古本が山のように積み上げられている。
前に親父と来た時は古本の中にしゃがみこんで動かなくなってしまって大変困ったことがあったっけ。
手作り人形や人形のお布団、小さなテーブル、細かいさじやフォークが並べられている。
このフリーマーケットで有名な神田屋さんの一家だ。
手作り浴衣をいっぱい並べている時も在るし、ぬいぐるみを山のように積み上げている時もある。
この間はガラポンのおもちゃをダンボールに10杯も持ってきていて、子供たちが蟻のように群がっていた。
山の汲みたての水を売っている。きいたらフリーマーケットに出す為に、徹夜で新潟の山の泉から汲み出してきたと言う。
小さなボトルを一本50円で買った。鮮烈な味。本当の水ってこんなに美味しいのか。
普段飲んでいる水と比べて素人にも分かるほど違うと言うのは相当なもんだと思う。
もう飽きてしまった洋服。綿菓子や、焼き鳥も、じゃがバタや、直送海産物も売っている。
、ビール、ワイン、ビーフジャーキーや、ソーセージには、朝酒を飲もうとするお父さんたちが詰め掛けていた。
直送野菜やコメを置いてある一角は主婦の人たちが詰め掛けている。金魚掬いに、輪投げに、型抜き。
冷たいジュースやりんご飴に、おでんの屋台。大道芸で火を噴いている人も居る。大きなお祭りみたいだ。
そんな喧燥を離れた公園のオブジェのよこに、女の子が一人で店を広げていた。
藍色のフード付きコートを着て、うずくまっている彼女の前には大小さまざまのトランクが並べられ、その中には
いろいろな陶磁器のセットが詰め込まれていた。
「あ、陶磁器を売ってる。姉さん、陶磁器を売っているよ。」
「あら、これはすごいわ。古典期(1795年から1810年までの間)マルコリーニ期のマイセンのカップじゃない。」
「いらっしゃい。」
店をだしている女の子が声を出した。不思議な響きの声。フードの中を覗き込むと赤い瞳と蒼銀の髪。
外国人?の女の子だった。
「こちらは、おっしゃるとおり、古典期(1795年から1810年までの間)マルコリーニ期のマイセンのカップ。
こちらのものは風景画カップ、1830年頃のもの。ドイツの廃城となった中世の山城が描かれています。
下皿は、1840年頃のものです。カップとは様式が違います。カップの側面と取っ手2箇所に直しが入っています。
こちらは、後期ビーダーマイヤー期デザインの白いティーポット。
窯印は入っていませんが、チューリンゲンのどこかの窯だと思います。
これはベルリンのMoabit窯の6名用カフェサービス。
19世紀の豪華なカフェサービスはなかなか手に入りませんがこれはいかがでしょう?
マイセンやKPMのように、完璧を目指した窯ではありませんが、素地は良く、デザインや金彩の使い方など、
かなり豪華な物を意識して作られたと思います。重厚に仕上げられていますから、マホガニーのテーブルなどに似合うでしょうね。」
「Moabit窯のセット、いいわねえ。」
姉貴がためいきをつく。古いもの(生活骨董とかいうらしい)をぽつんぽつんと買っているが本当はセットで欲しいのを僕は知っている。
白地に金と銀の縁取りが本当に奇麗だ。ティーポッド、シュガーポッド、ミルクピッチャー、大皿2、カップ6、受け皿6のセット。
「こちらはいかが?Villeroy &
Boch 陶器のポットです。表にも裏にも、きれいな風景画が描かれていますよ。」
ポットは一つだけだが、ついている絵がなぜか心を誘う。姉さんはさっきのセットを見て頭を抱えている。
「あのセット、いくらなの?」
僕が赤い目の女の子にこっそり聞くと、全部で20万円ということだった。それが破格の値段であることはすぐわかった。
「いいの?そんなに安くて。」
「ええ、もう私が持っている時間は終わったの。次ぎの持ち主を探す時なのよ。」
なんか訳が分からないが、この子が手放す事を願っているのは確かのようだ。
「あなたたちは、大切にしてくれそうだと思う。あなたがたに貰ってもらおうと思ってここに来たの。」
また訳の分からない事を・・・。
「そうなの?あそこに居るのが僕の姉さんなんだけど、この5万円を先に渡すから、5万円値引きするって言ってあげてくれる?
そうすれば決心がつくと思うんだ。」
「優しい弟ね。」
女の子の口元がほんの少し微笑んだ。
「お姉さんにはそうしてあげる。その代わりあなたにはこれをあげるわ。」
彼女はそういうと音楽を奏でる3人の天使のランプのついたランプをくれた。
マイセンの好きな人なら、憧れの一品とも言える、フィギュアのついたランプ。ランプシェードは絹で、ビーズがびっしりついている。
自分の音色に耳を傾けるように一心にフルートを吹く天使、仲間の音に調子を合わせながらリュートを奏でる天使。
ちょっとうつむきながらヴァイオリンを弾く天使。この天使だけが女の子のようにかわいらしい
「このバイオリンの天使が気に入った?この子があなたの運命を導いてくれるわ。」
どうもちょっとこの子神秘主義がはいってるな。ははは。
5万円値引いてくれると言うのを聞いた姉貴が、青い髪の女の子を抱きしめているのを見ながら、このいかにも高価そうなランプを
眺めていた。ほんとうにいいのかな、もらっちゃって。骨董屋さんならどのくらいの値がつくだろうか。もらうようなものじゃないよね。
「持ち主がいいと言っているんだから、気にしないでいいのよ。碇シンジくん。」
言われたとたんに風が強く吹いた。土埃が舞い上がり、僕と姉さんはそれを目をつぶって避けた。
「心を開いて、全てを受け入れてあげてね。」
あの子の声が聞こえた。
そして次に目を開けると、僕と姉さんだけが、ティーセットとランプを持って何も無いところに突っ立っていた。
「え?店は・・・。」
その場所にはごみ一つ残されていなかった。狐につままれたってこういう事?
夕食のあと暫くしてから、姉貴が上機嫌でカップを洗い、家族にお茶を振る舞ってくれた。
「これは大収穫。これだけのセットがなんと15万円よ〜!!」
気をよくした姉貴は、極上のケーキとか普段は手を出さない専門店の紅茶を買い込んできた。
「ま、いいけどね。」
おとなしすぎる姉貴がくるくる踊りかねないくらいはしゃいでるのを見るのは弟としては大変嬉しいものだった。
父と母に今日の武勇伝を話している姉貴を残して僕ももらったランプの修理をする事にした。
部品は帰りに買ってあるし、組み立てるだけだ。はんだごてで最後の部分をつけ終わるのに30分もかからなかった。
もともとは灯油ランプだったものを上手く工夫して部品を換え、電気が点くようにしてあるのだ。
スイッチを入れると、見事に灯かりが点った。日の下で見るよりも、陰影がついてフィギアがよりリアルに見える。
バイオリンを弾く天使を見る。ほんとに愛らしい。元々は赤金の巻毛だったらしくて短く見える髪も背中は長く伸びている。
どこかの時代で丁寧に補修をしたらしい。
「はあ、ほんとに可愛いなあ。こんな可愛い子が近くに居てくれたらいいのにな。」
「その望み確かに聞いたぁっ!!」
頭の中に、女の子の声が響き渡った。
ボン!!
ランプシェードから、煙が噴き出した。
「わああっ、漏電したあ!ショートしたぁっ。火事だぁっ!!」
僕は飛び離れると、部屋の隅に置いてある消火器を掴んで吹き付けレバーをひいた。
ブシューッ!!
「きゃあ!なにこれっ!げほげほげほ。このバカッ、やめなさいっ!!」
「え?」
レバーから手を放すと、真っ白になった女の子が消火剤の煙の中から現れた。
しかしなんてカッコだろう。ペルシア風のふんわりとしたズボンに薄絹作りの長いローブ。
額にかかる赤い宝珠が印象的だ。
「な、なんなの。そのハクション大魔王みたいな衣装は。」
「うるさいわね、自分でも気にしてる事言われると、こんなに腹が立つとは思わなかったわ!」
僕の頭の上に金ダライが突然現れて落ちてきた。
グワーン!
「いてっ!」
「よくききなさいよ。この魔法はあんたの願望が具現化したわけよ。私が好きでやってるわけじゃないのよ。」
「ま、まほうだって〜〜?」
けけけけけけっ!!
顔が数十個部屋の中に現れて大笑いすると、またぱっと消えた。
「なに、いまの。」
「知らないわよ。あんたがやったんだから。私はスイッチを押すだけの係だからね。」
「係って、君は誰なのさ。」
「私は、偉大なる魔法使い。
この世で最高の魔力を持つアスカ・ドラスティック・スペシャル・ハイバージョン・ソウリュウ・ラングレー。」
「それ、本当の名前?」
「本当はただのアスカよ。あんたの名前は?」
「ぼ、ぼくは、碇シンジ。ただの中学生だよ。」
笑いながらアスカが指を鳴らすと真っ白になっていた部屋の中がぱっと奇麗になった。
アスカの衣装も本当はきらびやかな宝石やビーズがいっぱいついているのが分かる。
腰まで流れる赤味のかかった、少しくせのある金髪。ミルク色の肌。金色のうぶげが匂うようなばら色の頬。
透き通るようなアメジストの瞳、それを縁取る長いまつ毛。聡明さを感じさせる広い額。きりっとした意志の強そうな眉。
赤いグミの実のように赤い柔らかそうな唇。そこからのぞく、真珠のように白い奇麗な歯。長くて細い指。
僕は生まれて此の方こんなに奇麗な女の子を見た事が無かった。
「どうしたのよ。何か言ってご覧。シンジ!」
「あ、うん。君って、すごくきれいだね。こんな可愛い子みたことないや・・・。」
「あら、嬉しい事言ってくれるじゃない。驚くより先に褒めてくれたご主人様は初めてよ。」
「ご、ごしゅじんさまぁ?」
「そうよ!あんた、ランプの魔人のお話って知らない?アラビアンナイトとか。」
「知ってるさ。ハクション大魔王も知ってるし・・・・。」
「あれはね、みんな私の事なのよ。私にであった人たちが言い伝えた事なのよ。」
「でも、これはせいぜい200年前のマイセンだろ、なんでこんなとこに?」
「まあ、私も古ぼけたランプっていうのに飽きちゃったのよ。それにいつもアラビアってのもね。それで宿替えをしたわけ。」
「それでドイツへ?」
「そうなのよ。前居たとこの人が亡くなって、がらくたと一緒に売り出されたのをちゃんと補修して大事にしてくれた人が居てね。」
「ははぁ。それで捨てられずに日本迄来たのか・・・・。」
「えっ!ここ日本なの?!またとおくまで来たもんねえ。日本人・・・・にしてはあんたちょんまげしてないじゃん。」
「一体いつの話してるんだよ・・・・。最後に君が目覚めたのは?」
「1943年だったかなあ。最後の持ち主が死ぬ直前に私を呼び出してくれて、お別れだって・・・。戦争してたみたいね。」
「それからずっとランプの中で眠っていたわけ?」
「その時、電気が切れたのよ。わたしは以前はランプの油、今は電気が通ってる間だけ目を醒ましていられるのよ。」
「あ、それでスイッチを入れたら出てきたのか。」
「じゃあ、あたしの事は分かったわね。さあ、汝の願い事を言うがよいぞ。」
「急に王様風になるんだね・・・。」
「まあ、儀式みたいなものよ。但し3つだけとかは言わないわよ、際限無くかなえつづけてあげるわ。」
「そうなの!3つだけじゃないんだ。」
「3っつてのはね、悪魔が魂を手に入れる時のいつもの手口なのよ。
人間は馬鹿だから自滅しても4っめの願いを魂と引き換えに、してしまうのよね。」
「そうか、いわゆる3日間は御使用しても無料返品可ですってやつなんだね。」
「そうね・・・。でも際限無くかなえつづけるのもなかなか大変なのよ。」
何でもかなえつづけてくれる。それは素晴らしいな・・・。
「どのくらいの事を叶える事ができるの?世界平和とか?」
「できない事はないんだけど、具体的に言ってもらわないとね・・・。
前にも一度試した人がいたんだけど人間が羊みたいになっちゃって。」
「それって、どういうこと?」
「人間の意志とか前に進む意慾、向上心って言うのは、攻撃欲と深く結びついてるらしくてね。
その接続を切ると無気力になっちゃうのよ。」
「そっちは、僕がもう少し大人になってからの方がよさそうだね。」
「それと、悪いけどわたしの魔法はあなたが生きている間だけ有効なの。
物にすれば残るけど意識みたいなものはあなたと一緒に消えてしまうのよ。」
「僕が死ぬとまた戦争が起きるって事?」
「そういうことね。
それと、人の意識を魔法でいじるとあんたが死ぬと同時にあなたに関する記憶が関わった人たち全てから消えてしまうわ。」
世の中はそうそう単純にはできていない様だ。
「きみが出てきた時、あなたの願望を具現化してるだけよって言ってたよね。」
「ええ、大抵のやつは同じ願いをするからね。財宝、権力、女よね〜。
で、オートにしてあったわけ。わたしがすぐに出たくない時もあるから。」
「出たくない時?」
「ま、それはおいおいわかるわよ。じゃ、あんたの願いを言いなさい。」
「え?僕の願い?そうだなあ・・・。明日の宿題やってくれる?」
宙に浮かびあがってやる気まんまんだったアスカが派手な音を立ててベットに落下した。
「しゅ、宿題ですってぇ〜〜〜!!!」
「うん、数学の宿題。後明日、英語の小テストもあるんだ。」
「・・・はいはい、わかりましたよ・・・。魔法を使うまでも無いじゃん。ノーと広げて宿題出して・・・。」
机の上にノートを出す。アスカが胸もとから奇麗な小箱を取り出した。
机の上において蓋を開くと中からぞろぞろと小人達が出てきた。
「こ、小人さん・・・・。」
「あら、よく知ってるわね。」
「これ、数学が苦手とか、間違えると出てこなくなったり、時間切れだと眠り薬かがせて時間稼ぎしたりしない?」
「わ、わたしのはそんな粗悪品じゃないわよ。」
「あ、ごめん・・・。」
「小テストの方はわたし自らついていってあげるわ。あんたの耳の中で教えてあげる。」
「宜しくお願いします・・・って。学校についてくるう?」
「そ、現代がどうなってるか見たいしね。いいでしょ?ね?」
アスカは僕のほんの2cm前まで顔を近づけて言った。あ、甘い香り。紫色のきらきら輝く瞳。
「うん・・・。いいよ。」
僕って、だめなやつ。
朝起きると、机の上のノートはきちんと宿題が終わらせてあった。
さっそく、カバンに仕舞い込み僕は朝ご飯を作りに一階に降りていった。
うちは両親ともに忙しいので朝食は完全当番制なのだ。
食卓の上にはすでに朝食が湯気を立てていた。
あ、あれ?これは・・・・???
「おはよう!シンジ!」
天井に寝転んでいたアスカがこっちを見上げて声をかけてきた。
「アスカ!これ、君がやってくれたの?」
「うん、例のオートよ。あんたが朝食を望んだんじゃない?
ただ、イメージがなんだかよく分からなかったから、適当に作ってたわよ。」
コーヒーを飲んでみる。下の方に豆が粉々になったものが沈んでいる。ターッキッシュ珈琲ってやつだ。
主菜は、なんだこれ、薄く切った肉があぶられたもの。食べた事の無い味だけど、おいしい。
「それがシシカバブーってもんよ。羊のあぶり肉なの。」
そんなもの朝飯に作る奴は居ないよ。パンはクロワッサンこれはすごく旨かった。蜂蜜とミルクと、見た事も無い野菜や果物。
アスカは一つ一つ説明してくれたけど、どこから入手したことにすればいいの?
僕は、早々に食べてしまうと、問い詰められる前に学校にいこうと立ち上がった。とたんに僕は着替え終わってカバンを手にしていた。
身体も妙にさっぱりしている。
「どう?オートは便利でしょ。あんたはもう朝風呂に入って、歯も磨いて、新品のワイシャツや下着を着てるのよ。」
「確かに、これは便利だね〜。」
僕は思わずニコニコ顔でアスカにお礼を言った。
「どうもありがとう!アスカ!」
「え、う、うん。こんなの単なる魔法だから・・・。じゃ、いこうか。」
僕とアスカは外に走り出た。今日もいい天気だ。
20mほど走ったところで僕は立ち止まった。どん、とアスカが背中に顔をぶつける。
「いたぁ〜。急に止まらないでよ。」
「きみ今飛んでなかった?」
「うん、とんでたわよ。」
「僕も空を飛んで学校にいきたいなあ。魔法の絨毯とかあるの?」
「あるわよっ!それっ!」
8畳くらいの大きなペルシャ絨毯が現れた。僕とアスカを載せてふわりと舞い上がる。
「その上は、引力がコントロールされてるから立っても大丈夫よ。何しても飛び上がっても落ちない様にできてるからね。」
「へえ、安心な乗り物なんだね。」
「そうよ。絶対安心安全アスカ印の飛行絨毯なんだから。」
少し遠回りして、飛行を楽しむ。風が僕の身体を吹き抜けていく。一生懸命はばたく小鳥達の横を摺り抜ける。
高度を取ると、白い綿雲がすぐ横を漂っていく。
「あはははははは!あははははははは!」
ぼくはいつのまにか笑い声を上げていた。こんなに心の底から笑ったのは何年ぶりだったろうか。
子供の頃の笑い方をいつのまにか忘れてしまっていた事に気がついた。
いつもいつも。こんな風に楽しくて楽しくて、一日中わらって暮らしていたような気がする。
絨毯はちゃんと始業時間前に校舎の屋上に舞い下りた。立ち上がると絨毯は、すっと消えた。
きちんと上履きが僕の前に現れている。履き替えると靴が消える。
「シンジ。わたしも授業見てみたいの。ずっと耳の中にいていい?見えない様にするから。」
「うん、いいよ。」
ホームルームがおわり、1時間目は歴史の時間。
歴史はアスカにとって大変興味深いらしく、ずっとつぶやいているのが聞こえる。
アスカは長い事存在しているらしいけれど、実際に外に出ている時間は主人の命令を聞いている間だけだから
どんな時代にいたのかよく知らない様だ。授業が終わった後も年表なんかを見たがった。
「ああ、わたしが一番最初に現れたのはアケメネス朝ペルシャだったみたいね。」
「うんうん、憶えてるわ。あの海戦。手鏡を使ってローマの軍船を焼き払ったのよね。」
アレキサンドラの灯台の鏡の補修をした話。カルタゴの象軍がアルプスを越えるのを手伝った話。ガリア遠征に付き合った話。
十字軍を相手に10万人に別れて戦った話。オマルハイヤームの詩集、ルバイアートの表紙を描いてあげた話。
「その人たちって、みんな歴史上有名になってるよ。不思議なお話としても残っている。」
「ふーん、じゃ、そう無駄な事ばかりしてきたわけじゃないみたいね。たいていはお金お金だったから・・・。」
「じゃあ、アケメネス朝ペルシャの頃からずっと一人ぼっちだったの?寂しくなかった?」
「うん、たまにね・・・。
でもシラクサのおじいちゃんも、象のおっさんもいい人だったから。繰り返し思い出してたわ。・・・て、関係ないでしょ。」
「あ、ごめん・・・。」
「あんたも相当変わってるわよね。まったく。魔物に寂しかったなんて尋ねたのはあんたが初めてよ。」
「アスカは、魔物なんかじゃないよ。魔法が使えるだけの普通の女の子だと思うんだけどな。」
「馬鹿ね、魔法が使えるってところで、もう普通じゃないのよ。・・・・でも、ありがと、シンジ。」
僕らは、4時間目の英語の小テストも何とか乗り切った。
すこしばかりアスカに分からないものもあったけど僕が十分フォローできた。
宇宙飛行士とかテレビ会社とか半導体なんてのはアスカが知ってるわけないものね。
「おい、碇。また屋上へいって飯にしないか?」
僕の数少ない友人の相田くんが話し掛けてきた。
「そうしようか。じゃ、いつものところで。」
「うん、待っててくれ。」
そういうと相田くんは、パンを買いに教室を飛び出ていった。
「あの子、友達?」
「うん、相田くんって言うんだ。いいやつだよ。」
そのとたん、相田くんが押しもどされるように教室に入ってきた。みると女の子が立っている。
見た事の無い女の子・・・・って、もしかして。
「シンジ!」
女の子が教室の出入り口から手を振っている。
「お、おい碇!この子がおまえを呼んでくれっていって・・・。」
やっぱり、アスカじゃないか。まったくもう。
しかも姉貴が昨日買ってきた洋服雑誌のグラビアにあったような服を着込んでいる。
おへそ、見えてるよ。超ミニスカートが中学校には危険な感じだ・・・。
「アスカ!」
「なんか、随分短いスカートよね。脚の付け根がスースーするわ。布をけちっているせいね。」
「アスカ、どうして出てきたんだよ。」
「シンジのお友達とも話してみたかったのよ。わたし、同い年くらいの子と話したことなかったし・・・・。」
寂しそうな顔でうつむくアスカを見て、僕は何も言えなくなった。
そうだよね。2500年もずっとランプに縛られているんだものね。アスカ。
「いいんだ、アスカ。ちょっとびっくりしただけさ。ねえ、ここが気に入ったなら転入してきたらどうだろう。」
「ええっ、いいの!」
アスカの顔がぱっと輝いた。紫の瞳がきらきら輝いている。
「うん、これは僕の最初の願いって事で受けてくれるかな。」
「もちろん、もちろんよ!シンジ!」
アスカは僕に飛びついて抱きしめるとわあわあ泣き始めた。目立つ事ったらない。
「おい、碇。いろいろ事情があるんだろうけどまずいんじゃないか。他校の生徒を引っ張り込んだ上に痴話ケンカで大騒ぎってのは。」
「な、なに言うんだよ、ケンスケ!」
「おれじゃないよ。世間の皆様の目って奴の事だ。」
「う、ぐすっつ、ぐす、シンジ。ありがと。ありがとうね・・・。」
「あ、アスカ、屋上にいこうか、ね。それでみんなで話しようよ。」
「うん。」
アスカが肯いたとたん、僕とケンスケはアスカの手をひいて、全速力で階段を駆け上がって屋上に飛び出した。
「はああ〜〜〜〜っ!まいったぜ。」
「悪い、ケンスケ。」
「一体誰なんだ、その子。」
「お、おやじの会社の同僚の子なんだ。今度日本に来たんだよ。今度転校してくる事になってるんだ。」
「へえ、可愛い子じゃないか。よろしく。ぼくは相田ケンスケと申します。」
「ふーん、相田ね。シンジの親友ってとこかしら。」
「ま、まあね。一番よく話すのは確かだよ。」
「私は、偉大なる魔法使い。
この世で最高の魔力を持つアスカ・ドラスティック・スペシャル・ハイバージョン・ソウリュウ・ラングレー。」
いまにも「おーーーっほっほっほ!」とか言い出しかねない様子で居丈高に腰に手を当ててアスカは言い放った。
僕は、あわててアスカのうしろ頭を殴った。ゴチ!
「いたたたたた。な、なぐるもんなあーーっ!」
「ご、ごめん、これ、ドイツ式のジョーク、ジャーマンジョーク!」
「ドイツじゃそんなギャグがはやってるんだ?」
「ほらっ、アスカ!ちゃんと、あいさつするんだよ。」
「アスカ・ラングレー・ソウリュウです・・・・。」
「アスカちゃんか。可愛い名前だね。どこに住んでるの?」
「今は、シンジのうちに住んでるけど・・・。」
「あっ、だめだよっ。」
喋ったら・・・・と言おうとしたけどもう遅かった。
「同居してんの!!!」
「シンジ、ごめんまずかった?なんならカエルにでもバッタにでもしちゃうけど。」
「だめだめ!ウサギも羊もだめ!」
僕は手を振りまわしながら叫んだ。とにかく全部後回しだ、根回しをして、転校手続きを・・・・あああ。
「とにかく、昼ご飯にしようよ。」
アスカが背中の後ろからバスケットを取り出す。もちろん魔法だ。
「あれ?いつのまにそんな物を持ってきたの?」
ケンスケが尋ねるとアスカはにっこり笑って、奇麗な紙に包まれたサンドイッチらしきものを手渡した。
「お、俺に?いいのか?シンジと食べようと思ったんじゃないのか?」
「きっと、シンジのお友達が居らっしゃるだろうから、一緒に戴こうと思ったんです。相田さん、食べてくださいね。」
さすがは、魔女。相田ケンスケは一発でノックダウンしたみたいだった。
感動して涙を流しながらサンドイッチをほお張るケンスケ。
そのとき、アスカは振り返って、僕をじっと見詰めた。
「シンジ。わたしうれしかった。ほんとに。初めてわたしを人間のように扱ってくれる人と巡り合えたわ。」
その紫色の瞳には、まだまだいろいろな謎が隠されているようだった。
でも、いまはそんな秘密を詮索するよりも、こんな小さな事を心から喜んでいるアスカがいとおしかった。
「こんな事でよかったら。僕にできる事は何でもアスカにやってあげたい。僕は君の御主人じゃなくて友達になりたいんだ。」
アスカの目にまた、涙が盛り上がった。
「あんたって、変な奴!ほんとに変な奴ね!でも、大好きになれそうよ。」
そういうと、アスカは輝くような極上の笑顔をきらきらとこぼした。
ランプから飛び出してきた魔法使いのアスカ。これからもっともっと変な事がおきそうだ。
冒険や、探検や、未知の世界が僕の前の広がっている。
さあ、僕の明日はどうなるんだろうか。