まずはプロローグ





陽射しが鋭い。
よどんだ大都会の空に慣れた身には、透明な空気の中をそのまま突っ切ってくる紫外線がつらい。
まるで殺菌処理室の中の最近になったような気分だ。
学帽を目深に被ると自転車を漕ぎ出した。自転車にのるのは何年ぶりだろうか。なかなか爽快だ。
やはり排気ガスを吹き付けられながら走るのとは気分が違う。電車通学ではあったが、家に帰って
来て洗顔の後タオルを見ると、真っ黒になっていてよく唖然とした物だ。学校に続く小高い丘への道に
生徒達が集中している。その中に遠目に目立つ、金髪の子が歩いていく。

(「あ!あの子だ。」)

一週間ほどまえ、はじめて転校手続きのためにこの市にやってきた時、駅で親切に道を教えてくれた
女の子を見つけた。外人だから、てっきりアメリカンスクールか何かに通っているんだろうと思っていた
のだが、考えてみればこの鄙びた平和な県に、そんな物があるわけはなかった。とすると、留学生か
何か、それとも特別な仕事をしている人の子供かもしれない。この町にも大学があるから。


「やあ、先日はどうも。君、同じ学校だったんだね。高校生には見えないからびっくりしちゃったよ。」


その子は、胡散臭そうな目で僕をちらっと見た。そして口を開いた。


「あんた、誰?どこかで会ったっけ?」


低くて陰険そうな声。無愛想な事この上ない。思わず、人違いだったかと思って2,3歩後じさりする。


「こ、この前、駅で道を教えてくれた・・・よね?」

「知らないな。あんた、私には近寄らない方がいいわよ。ろくな事がないからね。」


そう言い捨てると、彼女はさっさとした歩き方で、振り返りもせずに校門の中に消えていってしまった。
その鮮やかな無視されっぷりに呆然として、予鈴が鳴るまでそこに立ち尽くしていた。


カランコーン!!カランコーン!!


「やばっ、予鈴だ!!」


周りの生徒が一斉に走り出した。慌てて時計を見ると、8:25を、指していた。


「やばいっ!!」


周りに習ってどっと一緒に走り出した。精一杯のスピードで下駄箱に向かって校庭を横切っていく。
逆に朝礼の為に、校舎内から出てくる生徒もいるのでその辺はごった返している。

女の子に声をかけたりしたから、罰が当たったのかも。でも、変なこと言ってたな、あの子。
近寄るとろくな事がない?例えば隠れファンクラブがあって、近寄ると袋叩きになるとか?
いや、そんな馬鹿な。そんな出来の悪い漫画みたいな設定は・・・。田舎じゃあるのかもしれないな。

今日でてきたら、職員室へ来るように言われていた。引き戸を少しあけて大きな声で挨拶をする。


「転校生の碇です!入ります!」


職員室の先生達が一斉にこちらを振向いていた。夏休み前のこの季節に転校生は珍しいのだろう。
一番奥の隅に、周りに雑誌とラップトップを積み上げた机がある。
そこから、眼鏡をかけた若い先生が手を振っている。僕の担任になった日向先生だ。


「お、来たね。今日は朝礼には出なくていいからここで待っていてくれ。」

「はあ。いいんですか。」

「校長の話は長いからなー。この炎天下、初日から付き合わなくてもいいさ。」

「おいおい、日向くん。それはないだろう。」

「あっ、校長!!いやあ・・・あははははは!」

「君が碇シンジ君かね。うん・・・若い頃のあいつの面影があるな。ユイ君の面影もな。」

「父や母とはそんなに古くからのお知り合いなんですか?」

「京都にいた頃からな。私はもう30を越えていたが。いろいろとな。」


校長先生は、何かを思い出し、目を細めてくっくっと笑った。
どうも、この先生もうちの親の側によくいる得体の知れない人たちの一人なのかもしれないと思った。
現在のあの父が学生だった頃がある。大きな違和感を覚える。さらに幼い頃なんて想像もつかない。
さぞ気持ちの悪い小学生だった事だろう。一体どんな人が産んだのだろうと、不思議に思う。
祖父母は遠い外国で死んだという事しか聞いた事がない。写真すら残っていない。

どうもうちにはいろいろと秘密が多すぎる。

先生もみんな出ていった。校庭に並んで朝礼が行われている。きちんとおそろいの服が並んでいる。
制服のない学校から来た自分には、その景色はまるでガラス窓の中にテレビをはめ込んだように
現実感がない。くっきりと影のできる強い陽射し。うるさいほどに喚き散らすセミの声。
校舎の間から見える、山際まで続く広い水田の地平。そして真っ青に見える山。真っ白な雲。
藍色に見えるほどに深い空の色。ここに来て初めて青い山々というのが修辞ではない事を知った。


先生が戻って来て、クラスのホームルームの時間に、僕はみんなに紹介された。
だが、休み時間になっても誰も話し掛けてくる奴はいなかった。こそこそ、がやがやと互いに話す声。
その中には転校生、とかいう単語も確かに含まれていて聞こえてくるのだが。まあそれを悪口とだけ
思うほどの子供でもないし、まったく気にしないでいられるほど大人でもなかった。

(「遠巻きか・・・。まあ、転校初日なんてそんなもんだよな。」)

人に馴れている都会でも初日はそんな物だ。このあたりなら2日目には誰かが話掛けてくるだろう。
あせる必要もない。もっと田舎では一週間かかった事もある。まだ小さかった頃あれはきつかったな。


「おい、碇。」


下駄箱で靴を履き替えていたら話し掛けてきた奴がいた。顔を上げると男子生徒が一人。
珍しい事だ。バッジを見ると同じクラスの奴だった。


「あんた、朝、惣流と話していたな。親戚か何かか?」


一瞬なんの事か分からなかった。惣流って・・・。


「惣流って誰の事だ?」

「2Aの、惣流明日香だよ。今朝話し掛けていただろ。」

「ああ、あの子、惣流明日香っていうのか。」

バッグを肩にかけながら答えた。

「でも親戚はないだろう。あの子はどう見たって日本人じゃ・・。青い目をしてるし、髪の色だって・・。」

「え?惣流の髪ってどこか違うか?青い目?」

「あんたは、今朝僕が話し掛けていた、金髪の女の子の事を聞いてるんじゃないのか?」


そのとき、その本人がそいつの後ろを通りがかった。僕はちょっといらいらして言った。


「ほら、後ろにいるじゃないか。俺が話し掛けてたのはその青い目の子だよ。他は知らないよ。」

「え?わあっ!!」


そいつは悲鳴を上げると、飛ぶように退散した。へんなやつだな。
僕は今朝警告されていた事もあるので、もう話し掛けないで彼女の横を摺り抜けて外に出た。


「ちょっと。」

バッグを誰かがひっぱった。振り返ると彼女が掴んでいた。

「なんだよ。今朝はもう近寄るなって・・・。」

「今度はこっちに用があるのよ。ここは目に付くから、図書館で待ってて。いいわねっ!」

「う、うん。」


彼女は、そのままごみ箱を持って、猛然と廃棄シューターに向かって走っていった。
あれは結構重い物なのに、力持ちだな。なんて思っていた。


この高校は、立派な図書館を持っている。今は図書室が主流で図書館を持っている学校は少ない。
それは、ささやかな管理の簡便化かもしれないが、本好きな人間には寂しい事だし、学校としては、
一種の退化といってもいいと思う。
木造の洋風建築。OBが金を出し合って昔建ててくれたらしい。高校には贅沢な位の図書館だ。
図書はその年にあった大災害で亡くなった在校生の親達が寄付をした物が基となったと聞いている。
若くして死んだ子供達がいつまでもここに魂魄を留めておける様にとの想いがこもっているのだろう。
その中には、死んだ生徒の蔵書も大量に含まれている。書架から本を取り出すと、どの本もどの本も
必ず図書カードに借りた人の名前がある。書き込みのある本や、紙片が挟まっている本もある。
会った事もないもう10年以上も前の少年が読んだこの本。その少年は何を考えていただろうか。

こつん、と後ろから頭をこづかれた。あの子だ。


「ああ、君か・・・。」

「ずいぶんなご挨拶ね。『ああ、きみかぁ?』やっぱり相当変わりもんね。聞いてた通りだわ。」

「聞いてた通りって、君は僕の事は知らないって言ってたじゃないか。」

「知らないわよ。駅であったって事も、あんたに言われて随分してから思い出したんだから。」

「ああ、じゃあやっぱり君だったんだ。」

「うん、それは悪かったと思ってる。ごめん!無視したわけじゃないんだよ。」


へえ、意外と素直なとこもあるんだな、とちょっと感心する。


「ところで、あんたを呼んだ理由だけど・・・。ちょっとじっとしててくれる。」


そういうなり、彼女は僕の顔を両手で包むようにしてじっと目を覗き込んだ。


「いい?私の目がどんな色に見えるか言ってみて。」

「み、水色だろ・・。あれ、青かな?紫っぽくなって・・・・ぁ、赤?茶、茶色。こげ茶・・・。」

「ふーん。やっぱりねえ。」

「な、なんなんだ今のは!!君は瞳の色が変えられるのか。」

「静かに!ここは図書館よ。といっても誰も入って来はしないけれどね・・・。」


彼女の視線の先を見る・・と、何と図書司書の先生の席の横にあった出入り口がきれいさっぱり消失
していた。


「馬鹿な・・・。」


僕は唖然として呟いた。


「もうひとつ、私の髪は何色に見える?」

「金色に見えるよっ!それもまたかえてみせるっていうのっ!?」


僕がやけくそで叫んだとたん、彼女の髪の毛は出し抜けに漆黒に変わった。肩まで流れる長い髪に。


「どう?これがあんた以外のみんなが見ている私の姿よ。」

「え・・・?」


金髪で空色の目をした、あの少女は僕にしか見えていなかった?それならさっきの下駄箱で話し掛け
てきた奴の話も分かる。あいつは、この姿の娘と話している僕をみたんだ。

こうしてまじまじと見ると、この世の者とも思えないほどの美少女なのが良く分かる。単に美人という
だけじゃない。何か魂が吸い取られてしまうような。そんな感じの・・・。黒曜石のような切れのある、
きつい目つきだが、その奥底は限りなく深い。つやつやと輝く唇は血のように赤く、怖ろしさも感じる。
ばら色の頬はけぶるような柔らかいうぶげに包まれて、高窓からの陽射しの中で輪郭を揺らし、その
甘い香りが、理性を奪い散らせてしまいそうになる。


「じゃ、なんで僕にだけ君がそんな風に見えるんだよ。」

「まあ。ひとことでいえば、それがあんたの才能って事なのかな。別に努力して得られるってものでも
ないし、他の人がそれを持っていても仕方がないしね。」

「き、君の言ってる意味がさっぱり分からないんだけど。」

「なぜ、私が朝、私に近寄ってもろくな事がないって言ったと思う?別に脅かしてるわけじゃないのよ。
たまたまあんたのように私が『見える』人は結構いたんだけどね。みんなだめになっちゃうんだなぁ。」

「だ、だめになっちゃう?」

「そう、過負荷に耐え切れないって事。私はね言ってしまえば一種の魔物なのよ。これに普通の生物
は、耐えられない。近づいただけでも、物凄い影響を受けちゃうの。私に襲い掛かってくる奴もいれば
悪夢に怯える人もいる。死んでしまう人だっているのよ。まあ、劇物みたいな物ね。」

「う、なんとなく、わかるよ。君をみてると、なんかくらくらしてくる。」

「ちょ、ちょっと待ってよ。私のご主人様までそれじゃあ、困るわ。」

「ご、ご主人様ぁ?!」


余りにも意外な言葉に、突拍子もない叫びが僕の喉から飛び出していた。


「冗談じゃない!そんな安っぽい話になんか、僕は断固として乗らないからねっ!」

「安っぽい話とはなによ。こっちは真剣なんだからね。」

「どうせ君は魔法が使えて、昔の義理かなんかで条件を満たす男に仕える契約か何かになっていて
押し掛け召し使いとかになるって話なんだろ!」

「良く知ってるじゃない。そのとおりよ。」

「だあっ!!」

「ただ、ちょっと違うのは、あんたのうちは代々私達九尾の一族が守る事になっているって事よ!」

「ええっ!代々?!って事は、うちの親父も?」

「そう、あなたのお爺さんも。曾爺さんも!あんたは運がいいわ。この役目に女の子が当たる事は、
めったにないのよ。私達の一族は12家族あってね。碇家の長男に順番にその子と同じ年以下の子
がつく事になっているのよ。原則としては男の子の役目なんだけど、幼すぎてまだ無理なら女の子が
選ばれる事もあるのよ。」

「じゃ、君は珍しいんだ。」

「うん、なんか120年ぶりらしいよ。私の年回りでは男の子が私の弟が一番上でね。まだ5つなのよ。」

「それじゃあ、まだ無理だね。」

「でしょ。魔物って言ってもさ、寿命も育成速度もたいして変わらないのよね。」

「・・・・九尾って、もしかして九尾の狐?」

「金毛碧眼九尾の狐。ってのがうちのご先祖らしいわぁ。でも今わね。」


何を思ったか、彼女は制服のスカートをストンと床に脱ぎ落とした。あ、レースのきれいなパンティー。


「わわわああっ!!なにするんだよっ!!」


僕は思いっきりうろたえた。年頃の女の子のパンティー姿なんて妄想の中以外では、わあっ!!
彼女はなんと、次にその最後のものも膝までするすると降ろすと、くるっと後ろを向いた。


「ほらっ。」


立派な金毛の豊かなしっぽが3本、ゆらゆらと振られていた。まごうかたなき狐のしっぽだ。
でも、でも、僕にはまだ刺激が強すぎたみたい・・・。彼女の細い腰と、白くてまあるいお尻が・・・。



「きゃあああっ!!どうしたのよいったいっ!!」





暗転。








つづく。


彼女は魔物?

こめどころ


さて、どうなることやら。






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