―――こんなアスカを大好きだ!






1月


正月の関東は晴れの特異日なんだって。大晦日から続く宴会の明けた今年の正月も良く晴れてた。

はっきり言っておせち料理はあまり気持ちのいいものではないし、特に小魚の煮付けみたいなものはゴリとか言ったっけ?
普段食べないものばかりで、金魚を食べているような気がする。 小鮒とかタナゴとか。後は救荒食みたいな野性っぽいもの。
黒豆なんかはまだしも 大きな球根とかいつものサトイモよりずっと大きな芋とかは辟易した。え?あれがごちそうだったの?
あの球根ってユリ根だったんだって。日本では毒草の彼岸花の根や紅テングダケを食べる地域もあるそうだから凄い。
正月のおしまいにはマジ雑草野草の類が粥になって出てきた。日本て貧しかったのね。
数の子や筋子イクラなんかは美味しかった。伊勢海老とかテリーヌも美味しかったわ。これは普通に御馳走よね。
子吹きいもは気に入った。ママのお重にも入っていたハムソーセージ、ケーゼやチキン、チーズ各種。
お雑煮は結構美味しいし、種類も豊富。毎年色々な地方のものが出る。お餅自体は伸びすぎて最初は少々食べづらかった。
今年飾られたお供え餅はピンクと白の2色のお餅だった。富山地方のものなんだって。

大人たちがお年玉をくれる習慣はとてもいいと思うんだけどね。私は知らん振りだったけど、苦労性のシンジは
貰った分を自分より小さな子達に配ってしまうので、すっからかんになってしまう。もったいない。
わざわざぽち袋とか言う小袋まで持ってきてるんだから。駄目よ、これは私んだからね。家計になんか回さないわよ。

原則目下のものが目上の者のところを回るんだから、貰い酒とかお年玉とか美味しいものをご馳走になるというのは
習慣なのねきっと。じゃあ、そんなに気にしなくてもいいか。

「いや、今ではもう廃れた習慣だよ」って言う人も多い。
お正月休みでゆっくりしてるとこに人が来るのは上の人だって楽じゃないだろ?って。まあ都会じゃそうよね。
ただ、負担だろうから行かないってのは反面そうじゃない人に対しては危険よね。え、何故だって?
馬鹿ね、お土産だって持っていくし上の人はそれで支配欲とか権力欲満足させてんじゃない。お互いさまよ。
誰も来なかったらキズつくのはどっちよ。行ってあげてんじゃない。昔は来なかった奴は干されたりしたんでしょ。
そういうものの考え方する人は田舎に限らず今だっているに決まってるじゃん。
やっぱりそういう陰湿な習慣が元になってる事は簡単には廃れないのよ。は!やっぱり日本人て奴は。
いけないいけない。今は私も日本人なんだっけ。慎ましく、慎ましく。

そういう人じゃない冬月さんのところにはシンジと純粋に去年お世話された感謝の為に行った。

道すがら眺めて通る日本のお正月風景は、派手な飾りつけはない。ミカンやシダ,稲藁の縄で作ったお飾り。
大きな家の門前には立派な竹を切った角松というものが飾られ、庶民はそれなりに松や南天の枝を門に括りつけている。
どこの家もきれいに庭や門前がかたずけられ、掃き清められている。派手さはないが清らかさを好む日本人の気持ち。
そんな所が大好きだ。小さな地元の神社に伺い、わたしもシンジと明るい日差しの中一緒に手をあわせた。
こうするたびに自分が日本人になっていく気がする。そのことをとてもうれしく感じる。
このまま日本人になって、この場所でずっと暮らしたいという気持ちが私の中で大きく膨らんでいる。

冬月さんの家はには結構大勢の人が来ていた。
先生先生言われていたから 多分昔教師をしていた頃の学生なのかも。潜りの医者をしてたこともあったらしいし、
色々「先生」の経歴が長いのよね、冬月さんは。司令やシンジのママも冬月さんの教え子だったらしいわよ。
マヤも来てたから、そこでご挨拶ができた。
私は現在の「身内」だからと、お運びさんや料理の小分けを手伝った。何故「私たち」では無いかというと
シンジは男の人たちにつかまって、あの可愛い子(私のことね)は恋人なのかとか宴席で問い詰められてるから。

聞き耳を立てているとあいまいなことばかり言っている。
何故どーんと、僕の恋人です、将来は結婚したいと思っています、くらいいえないのかしら。
もっともそんなことほざいたら、私の電撃パンチが飛ぶけど、それでも言うのが男ってもんでしょうに。

誰かにふいに「あの子は君の恋人?」って聞かれて、私は「はい。」と答えていた。
はっとしたけど既に遅かった。
えっ、とそこにいた全員が振り返って、わーっと言う歓声に包まれた。シンジが呆然としてるのが見えた。

しまったあいつにも聞こえたっ?

「じゃあ、将来結婚したいわけ?」とまた誰かが尋ねた。

「そ、そんなことないですっ!あんな奴なんか!」と否定する絶好のチャンスだったのにしくじった。

私は、みんなの勢いに圧倒され、混乱し、逆上せ上って、そのままこっくり肯いてしまったのだ。なんという不覚!
ネルフの職員はパイロット同士と知ってるくせに、そこに来ていた見知らない面々にも、私はもみくちゃになった。
そのままシンジと一緒に並べられ、ご祝儀とか言って一杯お年玉を渡された。シンジなんかポケットに直接突っ込まれている。
マヤにはよかったわねって言われちゃうし、照れくさいったらない。あっと照れたんじゃないわよっ。元々興味なんか…

日本髪と着物姿の私はばしゃばしゃと写真を撮られ、その日はPCや携帯メールが一杯になって困った。
並べられた私とシンジの写真、特に私の真っ赤な顔に矢印で「注目」て書かれてるのがいっぱい。婚約おめでとうの文字も。
仕事始めにその写真はネルフ中に出回りそこで二人揃ってまたもみくちゃに。始業式には学校にまで出回った。
ここから否定して回るなんて、もう不可能だった。 2人はそう言う前提で暮らしている。そういうことになった。
だけれど、それだけの事で、もう特に囃したてられたりということもなく毎日は静かだった。
後輩の1年のクラスで歓声が上がってた程度。あの子たちはミーハーだからね。
学校での私たちは既に日常と化していたのだ。
いまさらそれを肯定する生発言が加わっても騒ぎにはならない程度に。

「まったくもうっ!なんだってのよ!」

一応時々そんな風に悔しがったりしたけど。私はひそかに正月と言う行事に感謝した。




淡々とした日が続き、3学期は静かにスタートした。大人たちの世界では交歓ということでしばらく祝宴が続くらしい。
ネルフの新年会と称するパーティーは宴もたけなわっていうのか、たった今新しい御馳走としてうなぎの筏焼きが出たとこ。
日本本部の新年会とは別に、世界中の支部からの派遣者があつまってインターナショナルパーティーも別個に開かれる。
場合によっては外国支部のほうへ出かけていくこともある。私たちが呼ばれることも多いんだけどこれが難物なんだ。
熱帯フルーツとかアフリカやアジアの料理も出た。これはいい。
甘いクリームはラクダや羊や山羊のものかな。それを揚げパンに付けて食べる。
山羊の骨付き肉のトマト煮も結構いけるのだ。さすがに世界企業ネルフの世界会議だ。だがそこから先が問題。
色々な料理が出てくる出てくる。原型が残ってる料理は一寸ゲテモノ。喉を込上がってくるものがある。
豚の頭や羊の脳味噌とか蛇とか蛙、食用の蠅とか蛆。蜂とかザザ虫とか日本も引けは取らない。
蝙蝠の糞(蚊の目玉がぎっしりだ)生の内臓肉は押し並べて勘弁してほしいと思う。

「うーん、うなぎもおいしいのよね。肝焼きや肝吸いはちょっとグロいけどかば焼きなら。」

「ドイツ人もうなぎを食べるの?」

「食べるわよ〜、うなぎ丸茹でにしたり、にんにく,エシャロット、バターと白ワインとかとね。
皮のほうから焼いてソテーにするのよ。レモン汁と塩胡椒して出来上がり。」

こんなことは1年の地理では習わなかったな。世界中の工業生産物は激変したし地形すら大きく変わった。
山脈ごと消えたり海に沈んだところもあるんだから。当たり前だし、工業の大系すら大きく変わってる。
石油化学は後退し、海水分化プラントからの生産物が主体で生産されている。だからこそ海の環境は煩く
管理されているんだ。汚染環境から採れるものを食用や医療用には使えない。だから自然と陸の環境も良くなる。
滅びかけていた森や湖沼にすむ生き物も昔のように増え、先進国でも息をふきかえしていた。
場所によっては釣りや漁も許されるほどだ。

「ま、まる茹でぇ〜?」

「そうよ。ぶつ切りとか筏にもするわ。 香草煮とかワイン煮にもするのよ。
ソテーならスカンポとか野の野菜も付け合わせるの。野趣好みってやつね。」

まあ、確かに白身の魚だし、丁寧に泥を吐かせればナマズやウナギはまずい魚ではない。

「燻製はビールに合うっていうからどちらかと言えばベルギーあたりが発祥なのかも。
最近は日本みたいに開いて櫛打って作るのよね。ジャガイモとパセリを合わせて食べるといけるわよ。
でも基本は丸茹でで、そのままねやっぱり。」

思わず咳き込んだあと、ゲエとなる。大体においてヨーロッパには日本人がひきつけるほどの肉食習慣がある。
慣れないうちは市場に行くと貧血を起こすかも。
その点はアフリカやアジアの市場と変わらない。血液でも臓物でも無駄にはしない。きれいに食べつくす。
まあ、ころころしたの巨大な蛆や這いまわる甲虫の類が居ないだけましかもしれない。
金と同じとか2倍3倍の値がついたと言う、胡椒やグローブ、ナツメグ、ニッキ、ターメリック。
香料のために命をかけるわけだ。我慢すれば塩漬け肉をそのまま食べるしかない。

大航海時代が始まったきっかけなんだから食欲って偉大だよね。こんな所で世界史を初めて身近に感じた。
それに比べたら日本人は植物と魚食いだな。そして生食民族で醤油と塩が基本だ。
民族の行動は意外と食欲から発生したものなのかもしれない。実際米の種類や料理の伝播を見ればそれがわかる。
米は牛なら2人しか養えない耕地で100人を養う事が出来る。だからアジアは人口密度が高い。
肉食の動物も動物園では米の飯を食って満足してる。それほど米というものはうまいらしい。
分配がうまくいっていればアジアの国々は平和だ。日本は世界で唯一戦乱時代より平和が長く続いた国だ。
柑橘類は日本に至ってこたつで手でむいて食べるものに特殊化した。
こんにゃくも、大豆も日本に至って味噌や醤油となり変革を遂げたんだ。身近な優しいものに。

「うなぎ、食べるんだ。日本と同じだね。ほ、他には?」

「後は…そうね、日本でも食べるものとしては蕎麦も食べるわね。粉に挽いてお団子にして油で揚げて。」

「ドーナツ団子みたいな感じ?蕎麦ボウロみたいなもんかな。」

「そうそう。砂糖まぶしたりしてね。あっちでは蕎麦切りって言う形は発明されなかったから。」

アスカがウナギを丸かじりしてるとこ想像したくないなと思ったが、本来刺身に比べればなんでもない事だよ。
日本食でもアワビやサザエの肝や、塩辛なんかは結構グロい、ナマコやウニなんかは嫌がられるかも。
カエルの足を唇の脇にはみ出させている淑女に比べても、ほんとに何でもない。海蛇やイナゴとかも。
でもアスカへの想いが、ほんのちょっとだけ目減りしたかも… 正直なとこ。

しかし今や特殊公務員ではなく世界企業体へと変貌したネルフだ。珍味くらい好き嫌いを言わずに食べれないと。
でも僕にとってハトやウサギやリス、小鳥はペットであり、食べることに抵抗がある。
犬を食べるのも、カンガルーやダチョウ、ワニなんかもね。
クジラは食べたことあるけど海のものはあまり抵抗はなかった。馬と同じでわざわざ食べたいとは思わないけど。
昔は牛や馬は家族だったって言うし。アザラシ、オットセイ、トドなんかは動物園で見るもんだろ。
シカは公園で餌をやるもんじゃないか。もちろんアスカはどれも食べたことがあるって言ってた。
普通の日本人は牛豚鶏魚しか食べないよ。馬や羊はすでに珍味分類だ。

「何よ、変な顔して。」

す、鋭い。 ゲテモノ系で僕が食べれるのはせいぜいシシャモに味が似てるハコネサンショウウオくらいだ。
水かきがついてる後足なんてのはちょっと無理だ。目をつむって口に入れれば食えるってだけ。
目の前でアスカがタラの白子甘酢を小鉢から食べていた。

「なに」と、目が尋ねた。

「い、いやなんでもないよ。あはは、アスカはいつも食欲一杯、元気で可愛いなと。」

「な、なによ藪から棒に。食いすぎだっていうわけ。」

一旦そう言って突っ張り、ふん、って顔をした。

「あたしが可愛いなんて言うのあんただけよ。…照れるじゃない。」

小さな声だったので半分も聞こえなかったけれど、アスカの頬が僅かに染まったのはわかった。
この子も遠い国から伝播してきて、日本の風土に溶け込み優しくなったんだな。
日本の野生動物はみんな丸顔で、性格も荒々しくない。それって日本がもっている一番いいところなのかもね。






……

2月


「そろそろご飯は終りにして、お風呂入ろうかなっと。」

その日、夕飯が終わるとアスカは妙に浮き浮きと立ち上がった。 こんなにお風呂好きの欧米系も珍しいと思うよ。

それに普通の欧米育ちの人はこっちの熱い風呂には入れないもんだけど、僕でも我慢がいるくらいの温度が好きなんだ。
全国温泉巡りなんて番組見て歓声あげてるし、露天風呂も大好きだし、近所の温泉には日帰りで一緒に出かけたりする。

「ねえねえ、今度いつかこの温泉に行こうねー。」

と叫ぶのはアスカの決まりセリフの一つで、見に行くのが遅れるとぶつぶつ言われる。
群馬から栃木辺りの温泉はこの3年間で大体行った。特にいま時分はオフシーズンなので安いしね。
来週あたりまた連れだされるかもだ。
毎年ゆず湯とか菖蒲湯にも入るし、硫黄風呂の素なんかも買ってきて入れてたりする。
欧米系の人にはあれは腐臭に感じられるもので苦手な人が多いって聞いたんだけどヘイチャラだ。
もちろんハーブを買ってこいとか言いつけられることもある。
だから居間にはハーブの花束が色々干されているし、ポプリもため込んである。
ああいう慣れた物はどうやら温泉の素ではだめらしい。だから僕は花屋さんにもちょっとした顔で。

まぁ、それにしたってアスカの風呂好きはちょっと異常なほどかも。水道代もばかにならないよ。
まぁおかげで僕もいろんな風呂に入れるんだけどね。(自分はばちゃばちゃ使う癖に)僕が一回で捨てようとすると
もったいないって怒るんだ。おかげで朝風呂の習慣がつきそうだ。小原庄助さんの呪いか(笑)
アスカの後湯に入るのは、いいお風呂に入るというのと同じ意味だからもはや抵抗感はない。

歌も歌うよ。あいつの場合歌うのはアニソンやTVドラマの主題歌だったりだけどね。マンション時代は小声で歌っていた。
今は戸建だから遠慮なく大声で。でも50坪くらいじゃ絶対近所にも聞こえちゃうと思うよ。まだ入居者がないからいいけど。
やっぱり日本の血のせい?誰が入ったって習慣になったら気持ちいいことは決まってるというのがアスカの見解。
僕からみると、日本人の血というよりは色々ミサトさんの趣味とか影響が大きいような気がするんだけど。
帰宅後すぐ、夕食の前、寝る前、朝起きた時、4回も入ってそのたびに僕が温度調整する。
その時々の疲れとかシチュエーションで適温が変わるため、自動でやるんじゃ駄目だって言うんだ。

アスカはベッドより布団が好きだし、羽布団より綿布団がいいって言うし、真綿の布団をねだられた事もある。
洗濯物も乾燥器はダメって言う。大変な手間なんだけどアスカのも一緒に天日で干して欲しいって言う。
庭に物干しを作って、洗濯ものが翻る光景はなかなかのもので、家族の象徴みたいで僕も大好きな光景だ。
下着だけはさすがに最近自分で洗って部屋で干してるみたいだけど、たまに乾きが悪いって文句言ってくる。
マンションに住んでた時は、ベランダでも部屋干しでもカラッと乾いたもんだけど、一戸建ての高さじゃ無理みたい。
だから新しい下着の備蓄は欠かせないんだ。問題は買いに行く時どうしても一緒に買いに行くって聞かない事。
コメント求められるんだよ?だからこっそり買いに行くわけ。似合うかな?とか見比べさせられるよりましでしょ?
さすがに女性下着売り場で顔になんかなりたくない。
服でもシャツでも水着でもいっつもこうなんだからまいっちゃうよ。(こっそりならいいけど、ごほん!)
レース地の過激なのじゃなくてクマさんパンツ3枚一組にでもしとけばいいんだ。それはそれで可愛いじゃないか。


バレンタインデーの夜。アスカに布団に引き込まれた。呼ばれたんで枕元に行ったらいきなり。
抵抗して騒ごうとしたら布団蒸し状態に包まれた。前からアスカと一緒に寝ること自体は厭じゃないけど。

「静かにして。」

いきなり部屋の天井灯が消えた。そう言われたら騒ぐわけにはいかない。ルクスの落された壁灯だけになる。

「わかったよ。」

布団の中で一緒に寝てると、すぐにとても温かくなった。ふたりとも風呂上がりだったし。

「大事なものあげる。シンジに。」

えっ!声も出ない。
今日はバレンタインデーだけどアスカったら何考えてるんだよ。まさかまさか、まさかの3連発。え、えええええっ。
だ、大事なものって一体なんだよ。妄想がめりめりと音を立てて脳を侵食していく。身体の匂いが僕を縛り上げる。
しがみつかれて、声も出せないままいろんな想像がさらに僕を縛り上げた。色々な意味で身動きしたらまずい状態。

僕を包み込むようにギュッと抱えたアスカは取り留めのないことを呟き続けた。
アスカの言葉も、どう応えたのかも、うわの空で憶えてない。
ただ、その一晩は僕にとって忘れられない一晩だったのは確かだったって事だよ。

僕が買って来たんじゃない初めてみる美しい下着。アスカが自分だけで買いに行ったやつに違いない。
そして、さらさらとした大人の人みたいな寝着。そこに透ける息をのむようなシルエット。
いつもの柑橘系のトワレじゃない甘い香り。膝から腿、腰にかけての線が俯いた僕の眼の中に存在してる。
アスカが寝がえりをうったり、身体を起こしたり、CDのスイッチをかけに行ったりするたび僕を苛(さいな)む。

女の子っていつも不意打ちで、いきなり衝撃的な恰好して雁字搦めにする。なんてずるいんだ!
彼女がこんなに大人に、清潔な美しさを持つようになってたなんて、ぜんぜん知らなかった。
僕は幸せだ。咽ぶ様なアスカの香りはますます僕にまとわりつき、僕に触れる肌が体温と適度な湿気を伝えてくる。
ここから上に目を上げたら、自分がどうなってしまうか全然自信が持てなかったから視線は落としたまま。

正面から見つめ合ったりしなかったけれど、身を寄せ合うだけで十分だった。
アスカ、一体いつこんな形になってたの?ジャージを羽織った学校での姿からは思いもつかなかった。
ずいぶん長いこと布団の上でそのままでいた。寄せあった身体からアスカの熱が伝わって来る。
手を握った。その時はそれで満足だったんだ。クラスの連中が知ったらバカって言われるだろうな。

「キスくらい、してくれないの?」

軽く結った髪の向こうから消え入りそうな声が聞こえた。言われたとおりに髪に手を差し入れた。
アスカの指も僕の髪に隙入れられている。目の前にぷっくりとした唇があった。

こっこれは確信犯的な誘惑だ。だけどそれに抗うすべを僕は持っていない。
アスカの瞳は軽く閉じられていた。ほんの10pの距離をまるで測るようにゆっくりと僕は顔を近づけていった。
胸が苦しい。鼓動が痛いなんて。その苦痛に耐えかね、その瞬間開いたアスカの瞳と視線を合わせてしまった。
その途端僕の正気は飛んじゃったんだろう、アスカの瞳に撃たれた様になって身体を引き寄せていた。
とにかく僕らの間に流れている時間はひどくスローモーなものに感じられた。

互いの唇の、まず中央の先端を触れさせた。そしてぷっくりとした下唇が触れた。その柔らかな感触が僕に伝わる。
それだけで一体何分かかったのだろう。

「もう一度、ね。」

僕の唇は乾き、アスカのは濡れていたように感じた。唇に舌で湿り気を与えたけど喉はからからのままだ。
声を発することができない。喉の粘膜が張り付きあっているんだ。
その時間感覚は完全に普通の流れからずれている。
窓にかかったカーテンが揺れている。その翻りが一回終わるまでにとてつもない時間がかかっている。
あそこにエアコンの風が当たってるんだ。そんなどうでもいいことを考えて何になる。
アスカの腕が巻きつくと同時に彼女の首の角度が変わって、一旦離れた口が、もう一度僕の唇と斜めに触れあった。

長いキスに感じた。
僕の腕もいつの間にかアスカの腰と背に回されて、次第に力がこめられていく。
この一体感、溶融感は、僕とアスカの間にある距離を無しにしてしまう。ドロドロに溶けた銑鉄のようだ。
陽の光に溶けた飴かアイスキャンデーのように。僕らはひどく乾き、求めあっている。

口付けを交わしている唇と唇の間にたまった甘い唾液を僕は飲み込んだ。それでやっと喉の強ばりが溶けた。
同じようにアスカが僕の唾液を呑み込んだ。ごくんと言う音が僕には衝撃だった。あのアスカが、ぼくの唾液を。
全てを受け入れるとアスカは僕に伝えてくれている。
口付けはさらに強くなり、アスカが耐えかねたように吐息を吐いた。甘い香り、アスカの香り立つ女としての匂い。
風呂上がりの、湿ったままだと巻き毛になるアスカの髪が僕の顔に触れている。思わず動かした手が柔らかい所に。
アスカの身体のどこか。掌で触れた部分も息づいている。
お腹か、腰のどこか?柔らかい曲線はどこに当てはまるのか。
吐息の中のアスカの小さな舌が僕の唇と触れあった。一瞬輝いた瞳が僕に呟いた。

「もっと触っても、いいのよ。」

ズキン!とした衝撃をまた身体に受け、平衡感覚がずれた。
そのままどんどん身体は傾いでいく。
ほんの3秒ほど持ちこたえたあと、バランスを崩した僕らはゆっくりと布団の上に倒れこんだ。
舌と舌が絡み合ってる不思議な、やさしい感触は、まるで脳髄を啜り合っているに等しく、身体が麻痺していくよう。
酸素、酸素がない。必死で呼吸を確保しながら、アスカの腰かお腹から離れた手で掛け布団を引き上げた。
半透明になったゼリーの様な空気の中をもがくように動いている。
あいつは僕の腕の付け根に鼻を突っ込むようにくしゃくしゃの長い巻き毛に埋もれて僕を見上げていた。
僕らは互いに狩人蜂に狩られた幼虫のようにしな垂れかかるしかなくって。
互いの餌になるのを幸せだと思っている。

そして、互いの身体にも唇を押し付け合って喘ぎ声をあげるんだ。啄むキス。舐め上げるキス。赤く痕が残るキス。
何回もキスを繰り返した。
唇を舐めたり、頬をすり合わせたり耳を軽く噛んだりその度に息が荒れてしまう。
頭の芯がぼんやりして、自分が何をしてるのか分からない。汗ばむほど熱い身体と鼓動とを意識する。

「初めて… こんなキス。」

アスカの顔は真っ赤に上気して息が上がりきっている。それが小さな明かりの中でもわかる。

「もう一度、して。」

少しばかり正気が失われてる?それは僕も同じだ。身体が蕩けあってる。皮膚から体液が交換され合っている感じがする。

「頭がまだくらくらする。」

「シンジの顔、よく見えない。」

そう言いながらさらに顔を近づける、アスカ。

「ね、シンジは生まれてから何回目のキス?」

「2回目…だと思うけど。」

「思うって何よ。」

急に声に冷たいものが混じる。眉間に少ししわが寄ってる。

「母さんが、子供の頃してくれたような気がする。」

「そんなのは数に入れなくてもいいのよ。」

「なら、アスカとしかしたことないよ。」

良かった機嫌がすぐ直って。
一生の秘密にしておかなきゃいけないことだってある事を僕は本能的に悟った。
今夜、一体何回キスしたんだか今すぐなら思い出せそうだけど、そんなつもりも暇もない。
アスカを感じるのに忙しい。そっと動かした手が、どこかまた柔らかい場所をさすっているけどどこだろう。
僕の困った部分は、もうとんでもないことになっていた。

けれどアスカを抱きたいという切迫した気持ちは不思議と意識してなかった。
指先や手のひら、体中の肌全てから流れ込む感覚。アスカの身体のそんな感触を感じる方が忙しかった。
アスカの身体が小刻みに震えているのに気がつく。
空いたほうの腕で肩から後頭部を抱え込むと震えが止まった。
脇の下のちょうど顔ひとつ分の場所、そこに顔を揺らすようにはまり込んだアスカ。
ずっと前から欲しかった人の想い。暖かい想い。優しく緩やかな、穏やかな人の心。
そこが君の位置って事になったのかい。そこにいるまま、息を荒らして僕を小さな声で呼んだりしてる。

「シンジ、シンジ…」「アスカ、ここにいるよ。」そう言うと瞑っていた目が半分開く。熱に浮かされたように。

それからのアスカは僕に腕枕をねだるようになったけど、その日が最初だった。愛しい。可愛い。僕の、寝顔。
湿りが残っているうちは巻き毛になっている癖っ毛が、指にからみつく。

「アスカ。」

「なに。」

可愛い。いくら減らず口をきいても可愛いと思う。君は、やっぱり僕の…恋人って呼んでいい?
アスカの身にまとっていたものはあらかた無くなっていて、僕らは素肌を合わせ、布団の中で絡み合っている。
それがあまりにも自然で、羞恥も何も感じることはなかった。毛皮をなめ合い、甘噛みを繰り返す獣のようだった。
ただ、愛おしい。ただ一つになっていたい。交尾し子供たちを共に育てたい。一緒に生きていきたいという思い。
そして、最後にまた、唇に紅玉の宝石を生み出すような口付けを交わした。なんだかひどく安らいでいた。
アスカが脇の下で布団と自分の長い巻き毛に埋もれて寝息を立てている。

その想いの中で、僕もまたアスカに埋もれるように眠ってしまった。
明け方に目が覚めた。アスカの部屋の窓から見えた木の枝の先に細い銀のような三日月が引っ掛かっていた。
アスカは僕のほうを向き、シルバーの小さなネックレスだけを付けていた。小さな肩が冷えていた。
その小さな肩と、毛布で一緒に包まった。アスカは僕の脇の下で冷えた身体を暖めている。
そのことがどうしようもなく嬉しかった。

朝、そのままアスカの部屋で目が覚めた時、あいつはもう布団を抜け出していて。
冷水で顔を洗いやっと正気に戻り、口をすすぎキッチンに顔を出した。
ぼくの「あの子」はすっかり制服を着込んでエプロンをつけ、朝食の湯気の中にいた。
僕らは眼を交わす。ちょっとだけ恥ずかしさが湧き上がって照れた。

「おはよう、シンジ!」

「おはよう!アスカ。」

アスカも多分僕も、来月の終わりには咲き出す花のような顔色をしてたと思う。
今年のバレンタイン。僕らはまた一歩先に進んだと思う。この笑みを交わす時がそれを確認させる。


2月って本当は一年で一番寒い日が続く時だ。なのに季節が少し前倒しになっているせいかそれほどでもない。
日差しが緩んで教室の暖房が少し強目に感じる。木々の葉が芽吹き、水仙などが綻び始めた。
天気予報図の冬型か緩んで暖かい日が続いている。もしかしたらこのまま3月には春になっちゃうんだろうか。

アスカは新しい畳が大好きだ。毎年ネルフに請求して畳を交換してる。いい匂いだからって毎年だよ!
いくらネルフの資金が潤沢だからってそんな贅沢許される訳がないよ。でも何故かアスカの言うことって予算を通るんだよね。
結局春前には畳替えをすることになった。シンジと畳は新しいほうがいいとか、シンジ元気で留守はダメ〜♪って何の歌だよ。
13日には畳の取り換えが終わって小正月は新しい畳で迎えられる〜と喜んでいた。
だからバレンタインの夜の一件は匂いたつ新畳の香りの中であった出来事。仕組まれてた事って気もする。
春は新畳で迎える。新学年も迎えるわけだし爽快だわと君は御満悦だ。青畳の香りが家じゅうに立ちこめている。
青畳の香りが嫌いな人なんていないと思うけど、アスカのは度を過ごしてるよ。いったい誰が予算を通してるんだろう。

2月ってさほど行事がない月でもこの騒ぎ。アスカと暮らすって事は僕にとっては毎日が冒険みたいなもんだ。
あの朝、枕元に置いてあった巨大チョコレート。
でっかく義理って書かれてたやつ貰っちゃたしな。確かにとても大事なものだけどさ。






……

3月

   
コンフォートは壊れてしまったので、そのあとに敷地を分割して50坪程度の一戸建てが10軒ほど建てられた。
わたしとシンジは戻ってきて、家が再建されて以来ずっとそこに住んでいる。
あの部屋はネルフの社宅なんだと思っていたけど、ミサト個人の持ち物だったらしい。
ミサトは戦死2階級特進退職でかなり割増しの退職金が出た。遺言であの部屋に相当する新しい家が残されたのだ。
私はいつの間にか法的にミサトの養女と言うことになっていてそのまま一戸が自動的に私の所有になっていた。
ネルフの借り上げ社宅扱いになっているので畳替えや壁や風呂の修理も経費で落とせる様になっている。
逆に借り上げ家賃代はわずかなので、その差額と給与で暮らせる仕組みだ。

「なんかミサトって本当に私の先のことまで、心配してくれてたのね。」

無事に生き延びることができたら一緒に暮らそうなんて思ってくれてたのかな。
シンジには曲りなりにあの髭のおっさんという父親はいたし親戚もいるわけだしね。

いまさらながらしんみりしてしまった。
庭と壁回りには樹木と生垣も配置され、芝生や花壇の手入れもされて視野を遮っていて、暮らしやすい家だった。
シンジにも司令の私財が残されていたけど、それを私とシンジの生活費と学費に回し代わりに一緒に住むことにした。
私たちとネルフの関係は今では特殊臨時雇用職員という事になっているので、実験の時だけ呼び出される。
一旦緩急あれば、特務士官、大尉と少尉待遇で呼び出される。昔は中尉と兵曹長だったから偉くなったもんね。
それだけでも新入社員程度の給与(名目は奨学金)がもらえて、それ以外は普通の高校生活を送ることができている。

合理的ながら、学校に知れたら退学になったかもしれない。法的な保護者としてマヤと冬月司令が親代わりになった為、
何とかごまかすことができた。戦後もネルフに残ったマヤと冬月さんは私たちの保護者としては認められやすかった。
そうでなかったら室内階段を閉鎖し間取りを改造し、2階にもキッチンや風呂トイレ、外階段を付ける事になったろう。

3月。梅と桃が日当りのいい庭に次々と咲いた。何時の間にか庭師が入ってチューリップとか桜草とか花壇もできていた。
朝早く庭に出るとイチジクの葉の上に小さな雨蛙がぽつんと乗っているのを見つけた。年を越した蛙だろう。
黒眼のつぶらな、可愛い蛙だった。庭には小さな池があったので、そこを住み家に暮らしていたのかもしれない。
池にはその後オタマジャクシも出たし、フリマで採ってきた金魚も何匹か一緒に暮らしていた。
小鳥もやって来て、赤や紫の実を啄んで行った。池と反対側なので蛙も安心だろう。
小さな幸福に囲まれた世界がこの庭にはあった。芝も緑になってきて、シンジも池の周りに石を並べたりした。

バレンタインとか小中学生みたいな催しものも私は大好きだ。あげるのもいいけどお返しを貰えるから好き。
今年のバレンタインは計画通りに大事な大事な巨大義理チョコを渡してやったわ。
誰にってそんなことあんたに関係ないでしょ。
ひと月も後の約束なんて覚えていられないよって言う奴もいる事はいるけど、そんなのを赦すつもりはない。
あいつは、純白の美しいレースのチーフをくれた。あいつにとってのあたしのイメージ?こうあってほしいという願い?
2人の仲はこのままでいようって事?まったくあんたの返事はいつもはっきりしてないのよ!
義理チョコにつけたおまけはどうなるのよ、ミニチュアカーのようにどこかにいっちゃうまで遊んでもらえるだけ?
いつだって子供にはおまけのほうが大切なはずでしょ。

ひな祭りでうしお汁やちらし寿司、雛あられや白酒が好きだし。最近じゃ酒粕を買ってきて自分で作ったりもしてる。
酒粕に砂糖つけて焼いて食べるなんて、最近は日本人でもあまりしなくなった様だけど私は断固守旧派なのだ。
どんなに皆が廃れたお祭りだって言っても、ひな祭りもバレンタインもホワイトデーも続けてやるんだからね。

学年末の試験が終わり、シンジと私は無事3年に進級したが、特に2人の関係が進んだということもなく(キッパリ)
毎日は静かに過ぎて行った。私は特に部活をするわけではない。シンジが週に何回かネルフの武道場で腕を磨くだけ。
たまには一緒に顔を出すこともあるけど私の運動量は毎日の5kmほどのジョギングと土曜日のジム通い程度に限られる。
今、はやってるのよね、学校の女子の間でジムが。私も週2にしようかな。そうすればプールで泳ぐ間も取れるし。
気のせいかだんだん逞しくなって行くように感じるシンジ。ま、私にとってはまだまだ当分弟みたいなもんだけどね。
調理をするようになった私とシンジは代わる代わる食事を作り、洗濯や掃除も交替で行った。
静かな毎日。当番の順番を巡って争うこともなかった。私も大人になったもんだ。

3月になると桜前線が話題になり、この町の桜も膨らみ始めた。暖かくなるにつれ私たちの関係も進歩して行ってるのか。
そのことについてはよくわからない。シンジはさらに優しくなったような気はするけど。
色々な感情が徐々に膨らみ始めたのかもしれなかった。チョウや蜂が春らしく花の周囲を舞うようになったように。

「シンジ。」時々口の中で呼びかけることがある。「あんたはどうなのよ。」

いままで学校でのシンジはあたしをじっと眺めることもない。私もシンジをことさら意識した視線で見ることはなかった。
でも、明日から新学年が始まるのよ。どんな顔して学校までの道をたどるのよ。
教室でどう向かい会えばいいって言うの。

「いいじゃない、私はしたかったことをした。シンジはそれをあいつなりの範囲で受け止めてくれた。」

とにかくまた何か話しかけてみよう。きっかけはなんだっていいじゃない。
私がシンジに求めているもの。もうそろそろあいつにだって伝わってるはずだと思うんだけど。
あ、庭を猫がこどもを引き連れて歩いて行く。






……

4月


「そろそろ花見よねっ。」

下校の道すがら、急に僕の腕を取って桜並木を眺めながら歩きだしたアスカ。
こうやって急に甘えつかれるとどうしていいんだかわからない。
いつもつんとして目も合わせないでいるくせに何なんだよ。結局あの後も僕らは何も変わらなかったんだ。
まあ、僕のほうも授業中に前のほうに居るあいつを眺めてるだけなんだけどさ。
あの位置からならアスカが振り返ってもその前に余裕で視線を外せるし。だから今の席が気に入っている。
花なんか気にもしてなかったけど、言われてみれば何輪かがほころび始めていた。

「ほんとだ。」

そう応えたけど花見にはまだまだ早すぎだ。4月直前で急に寒さが来たから。

「でもまだまだだよ。」

「一週間くらいかかる?」

そう言いながら僕の手を取り身体をすりつける様に周囲をくるりと回って見せる。
時々僕らに寄ってくるコンフォート住宅街の灰色の猫みたいだ。

「ちょっとアスカ。恥ずかしいよ。」

「なに言ってんのよ、あんた可愛い彼女が転んでも平気だって言うの?」

「僕の彼女って、いつからそんな事が公的に認められたのさ。だったら上向いて歩くのやめなよ。」

アスカの自称彼女は自分に都合のいい時ばっかりだ。
確かにああいうこともあったし、そう言ってもいいのかもだけどさ。
それに公的に認められてる必要なんかないんだけどさ。彼氏彼女なんて自分たちだけのことじゃないか。
彼氏彼女の関係って自分たち同士でまだすっかり認めきっていないじゃないか。だから抵抗があるんだ。

「かわいくなーい!そんなこと言うとお弁当なんにも作ってやんないからね。」

今年も花見のお弁当なんか作ってくれるつもりがあるの?

「あんたなんか沢庵と出し殻茶で十分よ。」

「それなんかの落語じゃなかったっけ。」

知らんふりで、枝を見上げながらさらに僕の腕にすがって歩く。
転んだら何言われるかわからないから僕も必死で支えるけどね。
花見という習慣はアスカが特に気に入ってるみたい。わざと腕に縋る事も、子供みたいに綿菓子をねだることも。
指先をひっかけるだけじゃなく手をしっかりつなぐこともある。重箱を抱えてわざとよろめくこともある。
その度にアスカを抱きかかえ、アスカは御満悦だ。そんなに試さなくたっていいのに。

使徒戦役が終わって半年後、初めての花見の思い出が蘇った。

ミサトさんもレイもリツコさん父さんもいない花見だったけれど、集まった人たちはあの人達がいるかのように振舞った。
誰もが死んだ友達や同僚を思い出して杯をあおっていた。
高台に桜が植えられたネルフの慰霊碑広場は僕ら以外誰もいなかった。
アスカの作った大きな卵焼きとノリ巻き、そして牛肉とニンニクの炊き込みとか、タケノコご飯の小さなお握り。
ウズラの茹で卵に海苔で目鼻が付いてる奴。蛤の含め煮はとてもうまかったしビールや日本酒によく合うと褒められてた。
アスカが本格的に自分で料理を作るようになったのは、その時からだったかな。
僕はそんなアスカが意外だったんだよ。

「どこで憶えたんだよ、こんな手の込んだ料理。」

隣に座って話しかけた。アスカがまさかほんとにお弁当を作るなんて思ってなかったから。
この海苔巻きなんか細い海苔巻きのご飯をピンクのデンブで色付けしたのを作り五本合わせてある。
その隙間に細く切ったきゅうりと三つ葉を芯に、卵焼きを細長く切ったのと合わせ、葉っぱの様に色を合わせてる。
その外回りを錦糸卵と海苔でしっかり巻いたものだ。
包丁を入れたのを並べると桜の花びらのように見える。こんな細かい根気のいる仕事をアスカがするなんて。

「時々家庭科部の実習に混ぜてもらってたの。3月の講習がお花見のお弁当だったんだ。」
「この炊き込みごはんのお握りなんて山椒の葉っぱまで入ってる。手がかかってるのがわかるよ。海苔巻きもね。」

急にアスカは僕にだけ聞こえる声で呟いた。

「レイやミサトが生きてたら食べさせたかった。あたしがもう少し馬鹿じゃなかったらみんな助かったかも。」

目もとが1000度に熱されたような気がした。ギリギリでまぶたに遮られた涙。アスカと僕は互いに顔をそむけた。
そむけていたけど、視野の外側でアスカの制服のスカートに点々と染みが付いたのを見た。
アスカのくしゃくしゃにゆがんだ顔が忘れられない。
これが後悔の味なのか。膝を崩して座り込んだままアスカは袖で目を拭い続けていた。

「ほら、これ食べなさいよ。」

いきなり口の中に入れられた沢庵。本当に「長屋の花見」か。冗談のつもりで切ってきたんだろうな。
ナスやキュウリ、柴漬けと野沢菜と白菜も。卵焼きも、鶏肉の唐揚げや煮物もあった。

「これ家で漬けたの?」
「白菜とナスきゅうりの浅漬けだけね。糠漬けや沢庵まだ無理だもの。」
「きっとできるようになるよ。」
「そうね。ベランダに置ける冷蔵庫買ってくれたらできるかも。糠漬けと、キムチも。」

それは駄菓子屋さんのアイスキャンデー入れみたいな上から出し入れするタイプの冷蔵庫らしい。
そう説明してアスカは緑茶のボトルを飲み干した。糠味噌をかき混ぜるアスカなんて想像もつかない。
だけど、やると言い出したら必ずやるんだろうな。発令所の皆が遊びに来たら喜ぶだろう。

後ろに手をついて、美しい星空を眺めた。高台だから海には漁船の灯りが水平線に並んでいるのが見える。
バッテリーは快調で、照らしあげた桜がひどく美しく、その反射が皆の顔を照らしていた。
お酒を飲み終わった大人たちは三々五々階段を下りて駅に向かって歩いて行く。
残ったゴミを袋に詰めて集積所に積み上げておけば明日には回収車が来てくれる手はずだ。
ござもレンタルだから最初に入っていた袋に入れなおしておけば明朝にはレンタルショップが回収に来る。
なんでも便利になったんだな。
前ならきっと僕や日向さんや青葉さんが、ミサトさんの命令で場所取りさせられたろう。
慰霊地のおかげで花見の場所には困らない。僕も足取りの重いアスカの手をひいて家に帰った。
アスカはずっと俯いていて殆ど何も話さず僕の手も離さなかった。

あれからもう3年経ったのか。今年も慰霊碑に集まるのかな。



学校に行く坂の途中には三色団子や桜餅を売っている店が出る。花びら餅のような和菓子もとてもうまい。
どうやら、ここにあった本格的な和菓子の店が春だけ営業してるらしい。砂糖などの物資が自由に使えるほど
まだ出回っていないし、小豆も牛皮や米粉も十分に手に入れられないので本格的には再建できないらしい。

バス停の前の店でたまにお団子を買い、店で出してる緋毛せんのベンチに座り、シンジと並んで食べる。
私は歩きながら食べるのが好きなんだけど、シンジはベンチででも座って食べたがる。
子供のころは京都に住んでたって言うから境内の茶屋ですわって食べる習慣がついたのかしらね。
自販機には珍しい抹茶の缶詰が売られていて、しつこいくらい振って飲むとなかなかの味を出す。

「ねぇ、この葉っぱは本物の桜の葉なの?」

「そうだよ。伊豆の松崎町で作ってるんだ。国内産の7、8割は松崎と伊豆から出荷されるんだ。
関東風でも関西風でも葉っぱは同じとこの桜って事になるね。」

「関西風と関東風って、なんのこと?そんな違いがあるの?」

「ほらこの桜餅、皮が小麦でできてて平打ちでしょ。これが関東の桜餅さ。
半殺しのもち米をピンクに染めたのを使うのがこの間食べた道明寺っていう奴。
同じように桜の葉で包まれて、ピンク色が濃い。あれが関西風なのさ。」

「へえ〜あんたってほんとにそういう細かいことよく知ってるわね。あっきれちゃう。」

「この間桜餅手作りセットの作り方パソコンで読んだだけなんだけどね。」

ねだってやろう、と私の目が輝いたのに気付かないシンジではなかった。

「しょうがないな。本格的なのじゃないと嫌だって言うだろうから、通販で取り寄せるか。」

一週間もすればきっと美味しい桜餅にありつけることだろうと確信できた。シンジはめったに私との約束は破らない。
私はしょっちゅうだけど、いいんだもん。女の子の嘘は許されるのよ。根拠…は無いけどさ。
それを苦笑して許すのが男の器ってもんよ。それを試すのは女の子の権利なのよっ。週末は花見で当日が満開だろう。
上に向けて置いてあった帽子に花びらがたまっていた。それをかき寄せてシンジの手に握らせた。

「なんだよ、これ。」

「ごほうび。桜餅の代金と言ってもいいかな。」

「ふうん。まあ、ありがとう。」

照れたみたいにあいつは言うと、ハンカチに散らして、丁寧にポケットにしまってくれた。
それが妙にうれしくてしばらくスキップして歩いた。
そうそう、シンジに聞いたんだけど抹茶のことは「おうす」って言うんだってよ。
葉っぱそのものを蒸して粉にして飲むんだからきっと身体にはいいんでしょうね。
桜とお茶の葉がお腹の中で一緒になるわけか。そこにあんこが加わって幸せな世界が出来上がるわけよね。

結局今年の花見は慰霊塔でと、クラスで誰かが言い出し近くの河畔でおやつパーティーみたいな形で執り行った。
設営と場所取り、ジュース運びは男子。女子はみんなで家庭科室を占拠し弁当みたいなものを作った。
どちらの花もきれいだった。どちらの場所もいい所だった。生きているということが当たり前のことがこんなにも美しい。
死なせてしまった人たち。レイ、ミサト、リツコ。死んでしまったクラスメート。大勢の人たち。
でも私は生きている。シンジも生きている。
そのことを赦して。あなたたちの上で私たちが幸せになることを赦して。






……

5月


「子供の日」は昔は端午の節句って言って、男の子のお祭りだったらしい。「菖蒲の節句」とも言うらしいよ。

ヨモギと菖蒲を軒に飾り、菖蒲湯に浸かって厄を落とすわけ。香りの強いお湯は薬効があると思われてたのね。
菖蒲と勝負をかけたり尚武とかけたり、葉の形が剣に似てるとか昔も今もダジャレ好きの人は多かったのね。
お侍の家では兜や刀を飾り、鯉のぼりは豊かな農家などでも飾ったらしい。江戸時代には江戸城に旗本や大名も
登城して将軍に祝いを奉じるようになったって、結構もの入りだったんじゃないかしら。

私とシンジにとっては柏餅を食べるだけの日だけどね。桜餅ほど香りはよくないけど柏にはどんな意味があるの。
シンジに聞いたら、京都では柏餅を作る習慣はないんだって。関西では粽を食べるらしい。柏餅は江戸の習慣なのね。

「だいたい、関西には柏の木って普通には生えてないんだよ。」
「へえそうなんだ。それじゃ無くても当たり前ね。でもミサトが新潟に出張したときお土産が粽じゃなかったっけ。」
「関西の粽って円錐形でもっと長っ細いんだ。同じつくりだけど新潟のは三角おにぎり型でヨモギ餅と餡子だったよね。」

草餅あんこに、笹のいい香りがついて美味しかった。いくつもつながっていて。

「ちょっと違うものなのかもしれないわね。」

「新潟は米がいっぱい採れるから都にとって重要な国だったんじゃない?意外なほど京風文化が流れ込んでたようだよ。
特に富山に近い上越とか、長岡や佐渡あたりにも。」

そんなことを話していたら、鼻先にあんこの匂いが蘇ってきちゃった。

「ねえシンジ、和菓子屋さんに行かない?」

いい陽気の日だった。すぐに靴をはくと私たちは外に走り出た。青空を背景にあちこちの家に鯉のぼりが翻っていた。
坂の上だから、その様子はよく見えた。

「ねえねえ、シンジは鯉のぼりが欲しく無いの?」
「だって、もう僕ら大人じゃないか。」

僕ら、だって。それってシンジとあたしのこと?

「自分達のところに男の子が生まれたら、買って来ようかなとは思うけど。」

ちょっと鼓動が強くなった。

「それってさ、私とあなたの間に男の子が生まれたらって…ことかな。」
「い、いや僕らに男の子が産まれるって意味じゃなく。僕らはもう大人だから自分のためにはってことで。」
「わかってるわよ。シンジはだれと結婚するか決めてないもんね。レイやマヤ、マナとか好きな子は大勢。」
「そ、そんな意味じゃないよ。」
「だったら、私とって事もあるんでしょうねえ?」

意地悪い笑い顔を浮かべてるのが自分でもよくわかってた。こういうときシンジは決して決断できないの。

「う、うん。もちろん。」
「えっ。」

さすがにこの言葉には問い詰めた自分でもびっくりした。

「柏餅って子孫繁栄を願う行事なんだ。男の子を祝うけど女の子が無視されるわけじゃない。
むしろこのお祝いを機に、互にたずねあった友人先や目上の先などで大きくなったら…って
話が進むこともよくある事だったんだ。
そういう意味からいえば、アスカは元気で利発で綺麗で健康で腰もお尻も立派だし。」

おいおい、シンジくん。君は自分でなにほざいてるかわかってるのかね。

「胸も立派だし、骨格も歯もしっかりしてるし、子供をいっぱい産んでも。」

そこまで言って自分が口走ってることに気づいたらしい。

「きっといいお母さんに。あれ、僕なに言ってんだろ。えと、あれ? ご、ごめんアスカ。」

相当うろたえてるわね、これは。笑を噛み殺すのがたいへん。

「ま、いいわよ。あんたの子、産んでやっても。」
「え、ほ、本気かよ。僕の子を産むってことは、僕と。」

私は寛大にも笑って許してやって、シンジの顔は見ずにすぐ部屋から出て行った。
洗面台の鏡の前まで小走りで行ってざぶざぶと顔を洗う。すっきりして気持ちが良かった。
あんなにいっぱい装飾語並べて褒めてくれてありがとうっ。

「あいつ、なんて恥ずかしい。プハハハハハ。」

笑みが止まらなくて自分で頬をつねってみた。恥ずかしいのは私自身も同じよね。
わたしったら、いい笑顔してる。そんなにうれしかったの?あんな会話が。
その気になれば、子どもなんかすぐにできちゃうんだから。そう、猫にだってできることじゃない。

問題は、誰が猫の首に鈴を付けるかよ。

庭にはだいぶ足腰がしっかりした子猫たちが転がりまわってる。
あの子たちを貰ってくれる先もそろそろ決めないとね。







……

6月


このところ、毎年のように竹の子掘りに行っている。たけのこは3月後半から5月上旬が関東のシーズンで
私たちの行くところは6月上旬まで掘ることができる。梅雨が始まるとおしまいってところ。

タケノコご飯や煮付け、薄切りにしたお刺身などを味わう。
あく抜きももはやお手の物。皮付きの穂先を斜めに切り落としうて2つか3つくらいに切るのね。
そして米ぬかをたっぷりの水と米ぬかを入れて強火で煮たて1時間弱中火で茹で、そのまま冷やすの。
冷えたら皮をむいて、流水でよく洗い流す。ここをきちんとやらないと失敗するわよ。
すぐ薄く切って食べればタケノコのお刺身ね。
1日2回は水を変えて冷蔵庫に入れておけば一週間は持って、美味しく食べれるってわけ。
血圧低下させるし動脈硬化にもいいし、カルシウムや亜鉛も豊富なので味覚が増していらいらも
吹き飛ぶ優れものよ。肌荒れにもVB群,C,Eがおおいからいいと思うわ。

まあ、若竹煮とか木の芽あえ。そのまんまのカツオ煮が一番美味しいかなやっぱり。
大きく輪切りにして削り節とこんぶいれて醤油と砂糖を好きに混ぜて20分くらい含め煮するのよ。
うちでは固めに茹でるけどね。タケノコご飯なら薄切り小口竹の子に薄口の醤油と味醂とコブで調味。
刻んだ油揚げを混ぜ小さく切った皮付き鶏肉も入れるわ。これは好みね。竹の子だけっていうのに
塩をかけてって言うのも大好きよ。山椒を入れるのもしゃれた味になるわよ。

って、思わずアスカちゃんのお料理教室やっちゃったじゃない。

ことほど左様にタケノコは我が家で愛されている。高校3年生のカップルにしては渋い趣味よね。
ミサトの写真の前にタケノコご飯と煮付け、缶ビールを飾る。ここは今でも3人の家だ。
シンジがどう思っていても、わたしたちは家族なんだ。

あいつが作ってくれたタケノコご飯でミサトがビールを飲む夢を見たことがある。
次の日のミサトのお弁当はタケノコご飯海苔おにぎりでリツコがお相伴してた。その年から竹の子掘りに行っている。
色々な罪悪感が私の中にはある。シンジは多分もっといろいろ抱え込んでいるに違いないと思っている。
自分でもわからないことをぐずぐずと思い悩むことはやめた。

その代りわかることについては思いっきり後悔し悔しがって泣きわめいてやる。
自分ができたはずのことをヘタレていたために、取り返しがつかなくなったことを悔やんでやる。
もう2度とそんなことは繰り返さない。2度とそんな思いはしない。後悔はしない。何に関しても後悔なんかするもんか。

タケノコご飯は我が家の味だ。この味はきっと引きつがさせる。え? 我が家って?だれが引き継ぐって?
ええーいうるさぁいっ。
わたしが言うからには、もうこの未来は決まってるんだから。もう決定したんだから。

「アスカがそういう決意を固めたのはシンジ君にとっても幸せな事よ。でもそんなに急ぐ必要性ってあるのかな。」
「そうだな。まだシンジ君もやっと18歳。結婚が許される歳になったとは言っても、経験はまだまだ十分ではない。」

結婚を許してもらうには後見人の同意がいる。
恋愛至上主義のマヤと、ユイさんにあこがれ続けた冬月司令ならあるいチョロイかとは思ってたけどやっぱ壁か。
この際実力行使か、既成事実が必要かとこぶしを握って身震いをさせた私だった。
2月14日の実績が私にはある。あの時とどまったのは私の力でシンジが我慢できたわけではない。(と、思うんだけどな。)
もう一度同じ状態に引き込めば勝負には決着がつく。健康な18歳男子は、私の肉体の前にガラガラと陥落するであろう。
5秒、そう5秒あげましょう。あいつが耐えられるのはそこまでよ。しかも私が何もしなければの話よ。

手足を絡め、告白し、「抱いて」と涙目で一言いえばあいつは、フッフッフ、ハッハッハ、ウワーハッハッハッハ。
仰け反って居丈高に笑う。しかし、だ。はっと気がついた。

「だ、だれがそんなセリフ言うのよ。あいつによ、他ならぬあいつによっ!」

暫く、しんと静まり返った。「シンジが好きなの、お願い(うるうる)抱いて、」ですって?

「…もしかして、あ、あたしが自分で言うの?」

膝から教室の床に崩れ落ちてしまった。世の中には不可能なことが満ち溢れていることよなぁ。

「ま、待ちなさいよ。何もそんなに露骨に言う必要なんかないはずよ。」

例えばシンジを呼びつけて、シンジ、あんた私のことどう思ってんの、と問い詰める。
同居人で同級生で戦友だろ。まあ、親友と言ってもいいけど。
そ、そうじゃなくて、女の子としてよっ!
まぁ、きれいだとは思うよ、いい線いってると思う。自信持っていいんじゃない?
ただ言葉遣いとか、乱暴な行動や荒々しい態度、我儘で横柄で嘘つきなところは直した方がいいと思うな。
あ、あんたもそう思ってるわけ?私のこと、好きじゃない?
別に僕は嫌いじゃないよ。アスカのそういうとこってさっぱりしてて、嘘も冗談で許せる範囲だって思うから。
ほ、ほんと?じゃあ、私と結婚してもいいって思う?
結婚?何言ってんのさ、男同士で結婚はできないだろ。ハハハハハッ!

「馬鹿野郎っ!私は女だっ!」

目の前の姿見がげんこつを喰らってくしゃくしゃにひん曲がって倒れ、アルミ箔が床に飛び散った。
自分の想像に負けてちゃ世話ないわね。
最初から少しは妥協すべきよね。掃除をして気を落ちつけ、再度やり直し。

「ねぇ、シンジ。今まで色々あったけどあたしがあんたのこと好きなのは解ってる?」
「う、うん。」
「キスだってしたし、一つの布団で肌を見せ、触れ合わせて、抱き合って寝ることももあるわよね。」
「う、うん。」
「あ、たし、シン…ジのこと本、当にあ、あ、いっいいいっしてってるるるのの。よ。」
「なに言ってるのか分からないよ、アスカ。」

私だってわからんわい。

「ウ、ウルサイ黙って聞いてっ! とにかくねっ。」

ドンと叩いた机の上の物が全部飛びあがって床に落ちた。

「うわあ、パソコンの文章がパーだ。」
「ご、ごめんなさいっ。」
「いや、いいよ。僕もレポートの推敲で上の空だったから。ごめん、何だって?」
「あたしが、シンジのこと好きだって。」
「僕だって君のことは好きだよ、アスカ。」
「ほ、ほんと?」
「お互い結婚しても、20年たっても親友でいような。男女の親友って貴重だと思うよ。」
「そ、そうよね。よろしくね。」
「うんっ!」

固い握手が交わされた。

「だ〜っめなんだってばこれじゃ。
私はシンジに愛されて告白されて結婚して幸せになって子供をいっぱい産みたいのよッ。」

髪に手をつっこんでぐしゃぐしゃとかき回す。思っていたより告白→結婚大作戦は困難らしい。
高校3年にもなってこれか。情けなくなるわねッ。

「自分の想像内ですらうまくいかないんじゃ、現実には全く不可能ってことじゃん。」

盛大にため息をついたそこにシンジが戻ってきた。あっという間に玄関に迎えに出た。
これだけだって大変なサービス向上だ。

「ただいま。」
「おかえりなさい。暑かったでしょ。」

今日はとくに蒸し蒸ししてたもんね。冷蔵庫に入れてあったおしぼりを手渡す。

「ひゃあー気持ちいいっ!」

すぐにでも話しておきたいとさっきまで思ってたのに、今はもうシュンと萎(しな)びている。
鞄を受け取ってリビングまで運んでやった。こんな凄く重い鞄良く持って歩いてるわね。
筋肉のほうもだいぶ水をあけられてるってことか。なんかすごく悔しいな。

「何か言いたいことがあったんじゃないの?」
「え、いえ、なにもないわよ。何か聞いたの?」
「別になにも。ただアスカちゃんから話があるかもってマヤさんに言われた。」
「そう?何のことかしらね。」

そういう舌の下から悪態をつく。

「ほんとに口が軽いわね。T.P.O.くらいわきまえなさいよ。」

マヤがシンジにしゃべったのか。何の話かは聞いてなさそうだけど。この貸しはでかいわよ。
子猫3匹は引き取ってもらいましょうか。
リツコの猫を7匹引き取ってるって話だから、ネコ友ネットワークも多いでしょう。
それにしたって私が好きだ嫌いだ言ってるうちにシンジはどんどん先に進んで行ってるわけよね。
今更どうしようもない、とぼけて一旦やり過ごそうと唇をかんだ。

「何もないなら僕のほうからアスカに話したい事があるんだ。」

なにっ、ここでシンジから告白してくれるなら何の苦労もないじゃない。。
私は少しもったいぶって受け入れるであろう。うん。言え言えどんどん言え。
自分の顔がだらしなく崩れないように、気を引き締めた。

「大事なこと?」
「うん。」
「じゃあ、聞くわ。とにかく制服脱いで顔くらい洗ってきなさいよ。」

その間に冷蔵庫で冷やしてあったアイスティーを入れた。氷とガムとレモン果汁も用意した。
咄嗟に部屋に飛び込んでワンピースに着替え、白い靴下をはき、髪を梳いた。この間1分もかかってない。
シンジはまだ顔を洗ってる。よしよし、ついでにシャワーも浴びなさい。

「汗臭かったから、シャワーくらい浴びといたら。」
「わかったー。」

ほんの少し前、初めて会った頃は、あいつと私の間にはアストロノーツと羊飼いくらいの差があったのにな。
私がシンジのところまで下りて行ったの?それともシンジが私の羽衣を奪い取ったの?
どうしてこんなにもシンジに固執するんだろう。シンジのシャツの匂い、制服や学帽の香り。
シンジの匂いに包まれているとなぜこんなに幸せを感じるのか。あんたが庭で育ててるトマトやきゅうりの香り。
2人で見上げる彗星や星座、シンジが入った後のお風呂の湯気の匂い。

一緒にしてくれた洗濯物の、おひさまと風の匂い。シンジの指や手のひらの匂い、髪の香り。
脇の下にもぐりこんで鼻先で場所を確定させる、その時のシンジの悲鳴と、子犬になったような幸せ感。
あんたとの2人の日常の、なんでもない光景にそれぞれの香りを全部思い出せる。涙が出るほど懐かしく。
遥か前の、海や、戦いの埃や、爆炎の匂いも。血の匂いも、恐怖の匂いも。
失ってしまったもの、新たに得たもの。人が死ぬ瞬間の空間を切り裂く何か衝撃波のような叫びも。
その全てがわかって、思い出す。そうさせてくれたものが何かを。


「アスカ。」

窓の外の霧雨を眺めていたわたしに、後ろからシンジが声をかけた。

「なに。」

振りかえったとたん、涙が頬を2筋、3筋伝わってしまった。

「ど、どうしたのっ!」

わかるわけなかった。シンジにはこの涙の意味なんか。鈍感でニブチンの馬鹿シンジだもの。
そうよ、あんたは私の涙の意味なんかわからない。わたしが生き延びた意味も。
だからいいの。だから好きなの。だから私のシンジなんだもん。

「で、なんなの、あんたの話って。」













こんなアスカを大好きだ(1月から6月まで)こめどころ 2009−04−05 ――――――――――――













7月へ続く


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