As.−Treat me nice

Desolate scenery』

komedokoro


 

 

 

 

 

2019-12-30 21:05

 

閑静な住宅街にあるアパート。海面上昇による宅地不足から新規の一戸建てはこの街では禁止されていた。何処の街でもアパートとマンションなどの集合住宅が増えて、街の様相が変わりつつあった。
このアパートはこの夏に新築されたもの。
御厨は、家族の為にここに9月に越して来たのだった。
新しい家族は10月に生まれて来た。
娘だった。

 

ぽろろんぴん ぽろろんぴん

 

電話が静かに鳴った。
茶の間でうとうとしながら子供を寝かし付けていた御厨涼子は、子供がぴくりと動いたので目を醒ました。

 

「・・・ああ、電話か。なんでしょうね、こんな時間に。」

 

子供はまた、そのまま寝てしまったので起き上がって受話器を上げた。

 

「御厨さんでいらっしゃいますか? こちらカモノハシ宅配の者ですが、夜分に失礼申し上げます。お電話宜しいですか?実は今日そちらにサトル樣宛の書類をお届けに伺ったのですが、ずっとお留守だったようで。」
「あら、それはごめんなさい。ずっと居たのですが、チャイムの音を下げておいたので、気が付かなかったかも知れません。」
「サトル様はいらっしゃいますか?明日の何時迄にお届けしたらよろしいかと。」

 

見回すと、まだ良人は帰って来ていないようだった。学校のクラブの練習があるとか言って、昼過ぎに出かけたきりだ。なまけものの御厨が、急にバレーボール部の顧問にさせられたとか言った時は吃驚したが、その後真面目に面倒を見ているらしいのにはもっと吃驚している。


女子バレー部の娘達の脚でも眺めて、目尻を下げているんだわ・・・きっと。

 

母親になった余裕と言うのか、余り怒る気にもならず、その顔を思い浮かべると笑いさえ浮んでしまう。

 

「すみません。まだ帰っていないようですので、折り返し、電話させます。」
「申し訳ありません。お願い致します。お急ぎでしたら9時までにお届けできますので。留守電に入れておいて頂いても結構です。もしお電話がなかった場合は12時までの通常配達になりますので。」
「御丁寧にどうも。」

 

 

 

『まだ帰っていないと・・・。』
『奴を200mの地点でロストしている。間違いなく自宅に入っている筈だ。』
『かまわない。このままでは家族を楯にされる怖れもある。保護の為にも突入する。』
『助けようとするなら必ず戻る。半日追い回され巣穴に逃げ込みたいんだ。』
『その前に妻子を逃がそうというのは、テロリストにしては恩情派か?』
『妻も、同じ一派かもしれんだろ。』
『それは無い。只の教師だ。』
『目標も、経歴的にはただの教師だったはずだ。』
『準備よし、周辺部の制圧終了。状況開始せよ。』
『B班、表に回れ。』
『了解。』

男達は移動を開始した。

 

 

 

受話器をおいた途端、 ピンポン! チャイムが鳴った。


「あら、あの人かな。」


鍵を開けようとした途端、後ろからがしっと手を押さえ付けられた。
御厨が手を押さえていた。

 

「あ、あなた! いらしたんですか?」
「開けるんじゃない!」

 

御厨は妻をそのまま抱えるように引きずって次の間に下がった。
次の瞬間、バシュバシュッ! という音がして、ドアノブが吹き飛んだ。
だが、2重のチェーンがまだドアを支えている。

 

「シオンを抱えて、座敷の窓から逃げろっ!早くっ!」


ドン! と奥の間に向かって突き飛ばされた。訳が分からないまま赤ん坊をさらうように抱え、座敷側の窓を開けて裸足で庭に飛び出そうとした。
玄関ドアの隙間から巨大なニッパーのような物が差し込まれて、鎖を切断しようとしている。
御厨はその隙間のすぐ横、差し込んでいる人間がいる辺りに向け、銃を撃った。

 

パン!パン!

 

現実味のない軽い発射音。その途端にどっと庭から数人の黒っぽい服の男達が湧き上がって、涼子と赤ん坊を部屋に押し戻した。またバシッと言う音が何回かして、御厨がうずくまったのが、涼子の目に写し出された。

 

「あなたっ!」

 

必死になって、良人を守ろうと飛び出しかけたが後ろから抱きかかえられ、首筋になにかを押し当てられた。その途端ぐるっと、世界が回転した。
叫ぼうとしたが既に声が出なかった。手の中の赤ん坊がむしり取られ、火の付いたように泣き出したのを聞いたような気がした。
涼子はそのまま意識を失って畳に転がった。
御厨は、その様子を見ながら男達に押さえつけられた。引き攣ったように泣き続ける赤ん坊は、まん中の部屋の座ぶとんの上に置かれた。
男達を押し退けるようにして、後ろから背の高い女が現れた。押さえ込まれたままの御厨に近付くと、いきなり彼の腕を取ってひしぎ、手の甲に何のためらいもなく、巨大な軍用ナイフを畳まで深々と突き通した。
縫い付けられた手のひらから鮮血が溢れた。

 

「ぐっ!」
「赤木リツコは、どこ。」
「ふ・・・女風情が出張ると、怪我するぜ。」

 

女は、男の指を一本取ると小指をへし折った。

 

「ぐわぅっ!」

 

男が声を上げた途端に、さらにもう一本。さらにもう一本。

 

「があっ!、ぐ・・・ぐうう。」
「じゃれあってる暇はないの。、赤木リツコは、何処。」
「知らんッ。本当に教えられていないんだ。」
「あたま、固定して。」

 

押さえ付けている、屈強な男達が、御厨の頭を横にして押さえ付けた。
女は、すこし先のまがった細身のナイフを取り出した。髪をわしづかみにして、頭を膝で押さえ付けた、唇をわしづかみにしてめくりあげると、歯茎にナイフをずぶずぶと突き刺していった。

 

「ぎ、ぐがあっ!」

 

ためらいもせず、ゆっくりと歯茎を上に向けて切り開いて行く。
赤ん坊がまだ泣き続けている。

 

「がっ!がはああっ!!」

 

おびただしい血と、涎が、ぼたぼたと畳を染めて行く、歯根の辺りでナイフを横に捻る。ごぱっと嫌な音がして、歯の根が、みしみしと鳴った。口から生暖かい物が溢れた。

 

「がひゅう、あ、があああっうう!」

 

積み重なっている男達の誰かが、堪えきれずぐぅっと喉を鳴らした。男達の重なりが揺れる程、御厨の身体が何回も跳ね上がった。
女は笑いを口の端にわずかに浮かべ、一旦、ナイフを止める。

 

「赤木リツコは? どこにいるの? 何処に連れていった?」
「新横浜だ・・・そ、それ以上は、知らん! 本当だっ。」

 

もう一度ナイフが使われる。今度は上顎の骨に当たる迄切り開いた。
御厨は失禁し、頭の下には血だまりが出来ている。顔は涙と鼻水と血で、表情が分からない程だ。

 

「さ、しゃべらせて、あげるわ。」
「・・中央林間の、駅の、北、側にある・・・第5、陽気ビル。1305室。」
「確認しました。該当ビルは確かにあります。」
「仕様は?」
「通常の貸しビルです。ビルオーナーは山下純一郎。地元のJAが融資。」
「ふ、たいしたもんだわ。『toothache』に、ここまで耐えるとはね。」

 

女は、ぐらぐらになった前歯の一本をナイフを捻ってこそぎ落とした。

 

「ぎゃああっ!」

 

先ほどの傷口と反対側の歯の間から、もう一度ナイフを突き込んだ。ぐりぐりとナイフを蛇行させ、更に前歯が2本弾け飛んだ。唇が歯茎と一緒にめくれ上がって切り開かれて行く。とうに男の口の中は、血でいっぱいになっている。
御厨がこの世のものとも思えない悲鳴をあげる中、小鼻のすぐ脇にまでナイフの踊りが続く。激痛、という範疇ではない、余りの痛覚の刺激に気絶する事さえできない。叫ぶ度に、血飛沫が女の顔と服を染めて行く。もう2人とも人の顔とも思えなかった。

 

「がはああ、ぎ、がっあ!ああ。」
「赤木リツコは。どこ。」
「赤木と・・・吉真田は、立川だ。UNAF・・・の。」
「窓口は?」
「・・・エミール・ナ−ランド中佐・・・」

 

掠れた、やっと聞き取れる息だけの声で御厨はミサトの耳もとで、言った。

 

「撤収。」

 

女は、満足して立ち上がった。そのまま外に出て行く。

 

「ここの処理は。」
「住民は全員眠らせたままか? 誰も顔を見られていないな。」
「正面、裏の大家の家等、この一角は全て眠らせてあります。通行者も無し。」
「念の為このアパートの全員にバトラミドコール2mg*ストラポララミン5mg*静注。」(*…一種の麻酔剤、中枢性の神経麻痺剤。高濃度の急速投薬時に前後2〜3時間の記憶脱落を高い確率で引き起こす薬物。非麻薬性物質だが、一般には麻薬指定物質として指定されている。特別な指定研究施設内での、研究目的以外の使用は禁じられている。)
「この部屋の痕跡は、全て綺麗に拭き取れ。足跡、指紋を残すな。御厨は連行。妻子は棄て置け。ドアは取り替えてしまえ。」

 

 

 

 

 

・・・はっ。 

 

御厨涼子は気が付くと跳ね起きて辺りを見回した。
部屋の中は静かで何も変わりはない。

 

赤ん坊は静かに眠っていた。時計は午前1時を示している。
サンダルを突っかけて外に出たが、隣のうちも何ごともなく寝静まっていた。

 

・・・夢 ?

 

陰鬱な夢を見ていたような気がするが、どんな夢だったか思い出せない。
御厨はまだ帰っていないようだ。
吐き気を催すような夢だった気がする。なにか、胸騒ぎのような物を感じる。新婚ではあったが、もう3年も前からの付き合いがある良人だ。
お人好しの、なまけもの。但し自分の事についてはなまけもの、と言う事だ。
教え子の事になると、いつでも必死だった。馬鹿みたいにお人好しになって、振り回されても振り回されてもお節介を焼く。古いタイプの教師。馬鹿みたい。
そのお人好しぶりが、変に気に入って、私と結婚して下さい、と頼んだ。
ずぼらな所は自分が埋めればいいと思っていた。転勤なしの同じ職場なんだし。

 

2週間も後になって、もう振られたと思っていた所に、着なれぬ背広を着て家にやって来た。今はもう何処にも売られてなどいない薔薇の花を一本だけ持って。
そして、「僕と結婚して下さい。」と言われた。

 

全ての行動パターンは把握しているつもりでいたが、バレー部顧問になってから、少し分からない所が出て来たような気がする・・・
酷く眠い。赤ん坊に毛布をかけ直すのがやっとだった。
・・・朝起きたら、どやしつけてやる。
水が飲みたいな、と思いながらそのまま暗闇に引きずり込まれた。

 

 

 

 

 

2019-12-31/5:00 am

 

「どういうこと? あれだけ頑強に抵抗した男が一般市民ですって?」
「幾ら調べても彼のバックには何もありません。」
「でも、リツコの拉致が事実であったのは、事実なんでしょ。」
「それは、少なくともイブに赤木さんが家に帰らなかった、セキュリティーが切られ、室内の研究資料の一部が抜かれている事。また猫に餌を与えていない事。その手配もしていない事などから状況証拠から見て確実でしょう。しかし、御厨はただの一般人である事も確かなんです。」

 

日向はモニターのスイッチを入れた。現れたパーソナルパターンの波を指した。

 

「この、P波の根元を見ていて下さい。ほら、赤い波形が通り過ぎる度に断列が走るでしょう?これが問題なんです。」
「なんなの。」
「書き換えの後です。」
「書き換え?」
「そうです、記憶の書き換え。上書きと言ってもいい。」
「記憶? 記憶を弄られていると言うの?」
「そうです。彼は自分を国際的な犯罪紀行に雇用されている最高のテロリストだと、信じている。だからこそ、『toothache』にあれだけ耐えられたんだ。一流と言う看板を彼は信じている。彼が映画などで見た筋金入りのスパイは、タフで、どんな拷問にも口を割らないというイメージだったんでしょうね。」

 

日向はうんざりしたような顔で言った。自分のイメージで動いて自発的に犯罪行為を犯すような暗示などが存在するのか。確かに記憶をいじってしまえば、どうとでもなることだが、そんな細部に渡っての背景を書き込む事にどんな意味があるだろう。後ろにいる集団の異様さが推察される。完全に、愉快犯ではないか。必要のないこだわり、他者の平和な日常を永遠に打ち砕く操作だ。

 

「だから耐えられたんです。あの拷問を知らないプロなどいない。どんな人間でも、耐えられない事は分かっている。人間の正気で感じていられる最大の痛みの与え方なんですから。プロならあの拷問が始った段階であっさり白状しますよ。彼等は、組織に雇われているだけで忠誠を誓った訳じゃ無い。白状してしまえば助かる可能性があるなら、あっさり白状してしまいますよ。」
「ちょっとまってよ。それじゃあ、彼の吐いた情報は?」
「中央林間のビルを嘘だと見破ったのは?」
「だって、あそこ教職の任官時に研修受けたとこだったんだもん。インテリジェンスビルでもなんでも無いしさ。絵に描いたみたいな典型的助成ビルでさ。敵の本拠にしてはスボッコ過ぎるじゃ無い?」
「・・・ま、まあそうですね。公的な助成を受けて政策的に建てられたビルには隠し部屋や、特殊な装備をつける事は出来ませんからね。あたりです。」

 

余りのいい加減さに日向は叫びそうになったが、否々この人は常に結果オーライを武器にして来たんだっけ、と平静を保った。

 

「記憶を回復させる・・・と言うか、妄想を引っぱがす事は難しいです。人格の一部や、基本的な記憶や感情、抑制が失われる怖れがあります。完全にできるのは、顔の傷を完璧に元に戻してやる事くらいでしょうか。」
「せめてそれくらいはしてやらないとね。洗脳解除ですらそれくらいの危険は犯すし、半身動かくなった奴もいる。でもしない訳にはいかない。」

 

日向がうなずいた。

 

「で、立川なんですが・・・見て下さい。今回のお正月映画で先週から始っている映画なんですけどね。そのパンフレットです。」
「あ、戦場に輝く虹の橋を越えて包囲戦大作戦。」
「この映画の主役のパイロット、なんて言うと思います?」
「もしかして、エミール・ナ−ランド中佐?」
「そうです!馬鹿にしやがって!第一そんな人物は立川だけでなく、在日米国軍にも、国連軍にもいない。」
「甘いわねえ、日向君。まだまだよん。」

 

怒りに赤くなった日向の前に一枚の紙が差し出された。写真付きの履歴書だ。

 

「エミール・F・ナ−ランド2等武官。合衆国韓国総領事館所属。大阪領事館にて連絡業務に携わる。」
「こ、これは・・・大阪か! 大阪の総領事館にいながら韓国総領事館所属。盲点だったっ。」

 

日向ががっくりと肩を落とした。裏の人間を探すには裏の情報源が必要だ。
加持が残してくれた遺産の中にはそんな物も含まれていた。立川基地に運び込んだと言う御厨の情報自体は、多分本当なのだ。だがこの事をCIAすら知らない。
ミサトは思う。おそらく、直接動いているのはDIA、国防総省だ。EVAの覇権を握る事は、再度あの超大国に世界を牛耳る力を与えてくれると、信じ込んでいる。本当の敵は、それを国防総省に信じ込ませる力と人脈を持っていると言う事だ。そんな事が可
能な力を、日本の誰が持っているだろうか。

 

「この辺が女の勘なのねン。ま、励みなさい! しかし、お相手は相当タフで、しかも自分の頭脳に、絶大な自信を持っている奴だわね。で、次に打つ手なんだけどさ。」
「大阪を押さえますか?」

 

気色ばむ日向を押さえる。確認は当然するとしても、リツコ自身は被検体のいない所で運用できる訳は無い。例えば・・・模擬体のない所で起動研究ができないのと同じだ。さらにそれをクリアすれば次のターゲットは当然、アスカとシンジということになる。パイロットは3人しかいないのだから。それにもうレイは対象とはならない。記憶もないし、肉体も人外のものでは無くなっているのだ。
彼等には一昨日から最高のガードを付けてある。まず、問題はないはずだ。

 

「まって。それより先に。先ず日本にリツコの活躍できる場が、出来ているのかどうかってことよ。」
「我々の所以外にそんな物がある訳が無いじゃ無いですか。ここ以外に・・・というなら、義足や義手の方面で使徒細胞を活用しようと研究したりしている所や、クローン増殖させて完全に交換可能なスペアを研究している所とかもありますが、完全体対象のモノは。・・・差し当たって大阪を張らせます。その間にも考える時間はありそうだ。」
「いいわ。それと並行して研究の為に使徒細胞を分配した所を洗い出して。」

 

そのとき、ミサトの携帯が鳴った。見ると、昨夜から十数回に渡って電話が入っている。シンジからだ。服のポケットにオフコールにしたまま、脱ぎっぱなしにしてあったのだ。しまったなあ、と思いながらボタンをおした。

 

「はい、私よ。ごめんねえ、昨日から忙しくてさあ、」

 

 

 

 

 

As.-treat me nice-17 『Desolate scenery』 /2002-4-20