As.−Treat me nice

『舞台回し』

komedokoro


 

 

 

 

 

「ねえ、あんた一体何者?」


ジャージの上下にスタッフのキャップを被ったアスカが舞台の袖で話し掛け来た。
それはそうだろう。そうそう自分にそっくりの人間がいるとは思えない上にその人物が自分と同学年で偶然この場所にやって来ていて名前迄同じとは偶然だと言われて信じられる方がどうかしている。盲亀の浮木どころではない。2つ迄は偶然だろうが3つ目より先は必然、もしくは作為が入っているに決まっている。

 

その上本当は瞳も青いし髪も貴方と同じ金髪でドイツ系のアメリカ人なんだっていったら、物凄く警戒しはじめるだろうな。そう明日香は思った。

 

市立第3高校アスカラングレーの事は聞いてはいた。何でもこなす万能少女で美貌のネルフ主力兵器の特別パイロットだとか。所詮自分とは違う世界の人間だと思っていたのだが、こうして自分の目の前にいてそのドジぶりを目の当たりにしてしまうとふつふつと対抗心が湧き上がって来る。なぜ此所にいる自分はただの明日香であの子は天才少女のアスカなのか。明日香は指を目に当てると黒いコンタクトを外した。アスカの顔に恐怖が走った。続けて髪をわけてその生え際を示した。毛根の付け根の金髪を確認させると、アスカはゆっくりと顔を振りながら後じさった。
その顔に浮んでいるのは、驚愕ではなく、既に恐怖だった。

 

「何者なの・・・。」
「自分でも分からないと言ったらどうする。」
「そんな・・・同一人物がいるなんてこと、信じられる訳ないでしょ。」
「ただの偶然なのよ,恐ろしい事に。私は貴方の噂は聞いていたけれど、昔から母と、この街に住んでいたのだから。スバル保育園から、市立明けの星幼稚園、同海王小学校、同北斗中学校卒。」

 

前の舞台が終わり合唱をしていたクラスが緞帳の裏をざわざわと引き上げていく。

 

「でも、この似方は普通じゃない。あんた何者?」
「私だってあんたを見たらそう思ったわ。出来の悪いパラレルワールドにでも迷いこんだかと思ったわよ。私こそ聞きたいわ。」
「さあっ、出番よ。大道具搬入開始。2番3番ピンライト交代は完了した?」

 

舞台監督をしている青い髪の少女が大きな声で指示を飛ばし、講堂の左右に陣取るスポットライトの係りとレシーバーでやり取りしている。雪や花びらぎっしり詰まったビニール袋を抱えた小道具係りが天井桟敷に向かって梯子を昇っていく。
フットライトの最後の色調調整で赤や黄色の光が点滅する。舞台装置が見る見るうちに組み立てられていく。結構な出来映えに、監督は満足そうだ。

 

「フラッシュ点滅間隔0.5にして。」

 

その点滅光の中をちらちらと人々が移動していく不思議な光景。その中に明日香とアスカは自分の同じ顔が少しずつぶれて動くのを見つめていた。同じ青い瞳と長い髪。同じように動く表情。やや太めの意思の強そうな眉と秀麗な額。

 

「間違いない。これは私。」

 

悪夢のような時間が過ぎていく。その中に青い髪の娘の声がする。開幕だ。

 

「配置に付いて!第一幕モンターギュ候の屋敷の中よ!鈴原君!もう少し身体開いてっ。それだと貴方だけ方向がちがうわ。明かりもう少し落として。」

 

緞帳の外では舞台回し役がもう台詞を語りはじめている。髪の中に埋められた赤いインターコムを経由して明日香の頭に声が流れる。

 

「明日香さん、舞台位置に付いて。暖炉の前の黄色のテープの場所に後ろを向いて立って下さい。ピン、もっと絞って。細い光をクリーネの背中に当てて。」
「どっちにしろ、またゆっくり話す必要がありそうね。秘密だらけだものね。」

 

アスカは青い瞳を光らせながら言った。この事の全ての秘密を知らずに済ます事ができるような自分ではないのは、自分自身が一番よく分かっていた。
知らない方が幸せな事も、あるかも知れない。ふと明日香は思った。

 

「そう、この悲劇は知るべきでない事を知ろうとしてしまった2人に降り掛かる。とかくこの世は流行り廃り。新しいものが全てよしと、誰に言える事でございましょうか。闇の中でしか生きられぬ定めごとを光の中に引き出して、論じたところでいか程の理(ことわり)が変わると申せましょうや。闇の中で蠢く事が幸せとただそれだけを望むものには、皆が幸せと信ずることは破滅と羞恥の2段構え。さぁ此所が考えどころ。自分の幸せは普遍の理なりしか?此所で幕をお開け致しましょう。」

 

明日香は舞台に進み指定の場所に立った。緞帳の前でプロローグが語られ終った。
緞帳が上がり、明日香の演じる聖女クリーネが群集の中で細いピンライトの灯りに縋るようにゆっくりと振り返り細い腕をゆっくりと観客の方へ伸ばした。

 

「I'm what's?.....」

 

しんと静まった講堂一杯に響く明日香の声。古風な楽器の音が次第にダンス曲へとと変わっていく。リユートとハープシコードの音にあわせて20人ばかりの男女が2列に向かい合ってゆっくりと踊り始める。

 

「うまいもんじゃないの。アスカも此の芝居に引っ張りこんだ時は勘の良さに驚いたけど、あのこも大したもんだわ。」

 

遠き静かな星の海より生命の歌光となって降り注ぎし時。幾千万里の海を越え約束の地に辿り着いた我等、瞳を閉じ遠い祈りを捧げよ。願い続けた時は必ず贖われると我等の神言い賜う。抱えきれぬ程の笑顔に巡り合える。今は涙に濡れ深く祈りの
刻を過ごせと。悲しみは終る。遠き静かな星の海より必ず溢れる命の歌が聞こえて来ようと。

 

舞台の正面に陣取ったミサトが思わずそう呟いた程明日香の芝居は見事なものだった。切れの良い身ぶり手ぶり、張りのある高いメゾソプラノの声。特に聖歌を唱う時の気高いまでの神々しさときたら一流の俳優でもこうはいくまいと言う見事さで、その哀し気な旋律と相まって大部分の観客を涙ぐませる程だった。
講堂でアスカラングレーが凄い芝居をやっていると言う噂は構内を駆け巡り大量の人間が講堂に詰め掛けた。

 

『クリーネ様の為だから痛くもなんともないですよ。』

 

少年の笑顔に、クリーネの頬が一気に上気する・・。
そして涙の粒がぼろぼろと自分の膝の上にこぼれているのに気がつく。

 

『何故こんなに?貴方はなぜ私の中にそんなに易々と入っていらっしゃるのです?』

 

そう言ったつもりだったけど声がかすかにしか出なかった。
彼女は、ただ涙をこぼしながら騎士の少年をじっと見つめ続けた。
涙が一筋、また一筋。

 

『クリーネ様っ。どうしたのです。どこか痛むんですかっ?』

 

クリーネはかぶりを振った。懸命に微笑もうとする。

 

『なんでもありません、なんでもないんです。』

 

しかし彼女の涙はいっこうに止まる気配を見せない。

 

一歩踏み出すクリーネ。湧き上がる全ての想いを込めて騎士の唇に自分の唇を重ねた。
観客の大きなどよめきの中、点滴の管を何本もつけたままの少年の腕が、ゆっくりと
クリーネを抱締める。

 

静かに背景が移動していく。ベッド上の2人だけにピンライトが当たり、黒子が背景にあわせてゆっくりとベッドを回す。俯瞰的な目線が観客を喜ばせる。

 

青白い月。夜空に掛かる虹。
仄白く輝く白銀の山々。

 

その元で、2人の恋人が誕生する。密やかに唇を合わせ、クリーネの細い腕が騎士の身体を何度も抱き締め、愛撫するように動く。しっかりとした騎士の手がクリーネの頬を包む。
クリーネと少年のこころが、一つになった夜。

 

 

「ちょっと、表すごい事になってるわよ。講堂の後ろ半分もう立ち見が入らない。」
「午後の部用に残しておいたパンフレットが全て無くなっちゃいました。」
「久慈山クン達が今増刷しにいきました。」

 

その日の公演は大成功だった。噂が噂を呼んで、夕方の公演では最後部まで入場者が立錐の余地もないくらいの状態だった。途中で急遽幕間をとって換気と温調節までおこなったが、観客は汗だらけで舞台を注視し涙を絞った。明日香の演技は時間
が経てば経つ程良くなって・・・というより凄みさえ帯びて来た。

 

「あの娘、本物ね。見ててぞっとするくらい。」

リツコが呟いた。

「全く、そう思うわ。あの表情の変化。表情と表情の変化のつなぎが凄いのよ。」
「技的完成度、それに加えて・・・。」
「オーラなんて物を信じてなかったけど、あの子の後ろ何か揺らめいていない?」
「そうね、本当に。」
「どこであんな演技を?高1年の演技じゃない。習った演技じゃない何処かで培った、本物だわ。」

 

明日香の動きの、一挙手一投足が、こんな清純な乙女の役にもかかわらず魅せられてしまう程、蠱惑的だった。妖艶でありながら、若木のような伸びやかで柔らかな肢体、何よりも清純でありながら、その瞳の光は人の心を、魂ごと舐め取ってしまいそうな程に妖しい輝きと融け合っている。
官能的な身体の動きが、幼女のような表情の裏に潜んでいて見るものの心を奪う。

 

明日香が裾の長い衣装をまとって、舞台中央に進み出る。劇の最終場面、クリーネが聖歌を歌う場面である。柔らかく気高い豊かな声量。観客は光が絞られていき、スポットライトに向かってて手を握り合わせながら歌う聖女に酔いしれている。

 

 

Ave Maria
Gratia plena
Dominus tecum
Bedicta tu
In mulieribus
Et benedictus
Fuructus ventris
Tui Jesus

 

Santa Maria
Santa Maria
Maria
Ora pronobis
Nobis pecca toribus
Nunc et in hora
In hora mortis nostrae

 

Santa maria
Santa maria

 

Maria
Ora pronobis
Nobis pecca tronobus
Nunc et in hora
In hora mortis nostrae

 

Amen amen

 

 

「なんか・・・、身体が熱くなって来ちゃった。」
「聖女の官能、か・・・。」

 

寒気がした。なのに身体の芯に火がついたような疼きを、2人は感じていた。
爆発したような歓声と拍手が講堂を根こそぎ揺るがせた。

 

 

同じ頃、アスカは午前の部で、既ににシンジのキスシーンに飛び出そうとし、待機していたヒカリその他の関係者に取り押さえられ、縄でぐるぐると縛り上げられていた。そのままの状態で現在五時。身から出た錆とは言え、哀れ、哀れである。
そんな哀れな親友の姿を見てヒカリが溜息をつく。今日何十回目の溜息だろうか。

 

「だから見に来るなっていったのに。」

 

御丁寧に、口の上にもべっとりと×印にガムテープが張り付けられている。問題はこの後、誰がこの背中の毛を極限まで逆立てている猫のような状態のアスカのテープと縄を解くか、ということであった・・・。

 

 

舞台は終り、大歓声の覚めやらぬ中、観客達は魂を抜かれたような、上気した表情で
帰路についた。

 

 

 

As.3/21.01.2002/komedokoro