その日は創立記念日で、学校はお休み。アスカは朝食が終ると、すぐに洗濯を始めた。

真っ白なシーツが6枚、庭の樹と樹の間に張られた2本のロープの間に翻っている。
その間に隠れるように小さなタオルが数枚と、シャツや、ジーンズや、シュミーズやら、
綿のブラウスや靴下やハンカチなどがモノホシに干されている。
物干の先端にはいつも履いている赤いスニーカーや体育館靴も干され、日にあたって気
持ち良さそうだ。

「よーし、これで終わりッと。」

額に浮いた汗を拭って、気持ち良さそうにアスカは伸びをした。



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留学生アスカ/海女の湯から愛を込めて

こめどころ


4.アスカ、祭りの巫女に決まる

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2階の物干も、階下の軒先きも白い洗濯物がところ狭しと並べらている。昔ながらの背の
高い物干もある。アスカに取っては初めてみるものだったが物干し竹をY字方のやはり長
い竹ざおを操って3段目、4段目と持ち上げていって、最上段に見事に持ち上げた時の快
感といったらなかった。高い所に有るから、乾きも抜群だった。目一杯様々な洗濯物を干
し上げると満艦飾、といった風情だ。気持ちの良い快晴の空を背景に洗濯物を吹き抜けて
くる風が洗濯石鹸の清潔な香りを運んでくる。


「アスカさん、こちらへお出なさい。お茶にしましょうや。」

「はーい!」


からころと木の下駄を鳴らして縁側の踏み石に乗って縁側の廊下に腰掛けと、海女の湯の
おばあさんがお茶を入れてくれた。大皿の上に5、6個の菓子がのっている。


「あ、ワッフルだ−。わあ、ジャムがいっぱいはいってる。」
                           

「アスカさんはもしかしたらあんこが苦手なんじゃないかと思ってね。」

「え? そんなことないんですよ。イサカのママは半分は日本人ですから結構あんこの物
はうちでも出てたんです。お茶も習ってましたし。
でも、お気遣い下さってとてもうれしいです。ありがとうおばあ様。
では、いっただっきまーす。」


アスカは満面に笑みを浮かべワッフルを小皿に取り上げた。


「お、おばあさまだなんて嫌だよこの子ったら、わたしはお祖母様なんて上等なものじゃ
ないよ。キクエって呼んでおくれ。そうかいあんこも食べれるのかい。そういえばあんた
は味噌汁も漬け物も食べるものねえ。」

「はい、ちょっとイサカで買っていたのと味が違いますけど、慣れたらこっちの方が美味
しいですね。やっぱり本場は違うなあ。」


実際、ここの和菓子はおいしい。この町の桜の若葉は塩漬けにされて全国に出荷されていく。
全国の桜葉の70%がここの葉っぱだそうだ。お茶というと、ここの人達はそういう事も
あってお茶の他に桜湯を飲む人が多い。主に桜の花を塩漬けにしたもので、この桜湯は普段
飲む他に結納という結婚の前の婚約式のような儀式の際にも皆で飲む事が有る。相手に桜湯
をだすという行為が求婚の申し込みとなる事もある。


「ロマンチックよねえ・・・。」


ホッと息を吐くと真っ赤になった少年の顔が浮んだ。


「なんで、あいつの顔が・・・」

「惣流。」

「なんで・・・幻覚がしゃべるの?」

「はぁ? 僕だよ、碇だよ。」

「きゃあああああああっ!」


アスカはお茶をひっくり返しそうになるほど驚いて、縁側から飛び上がった。


「わぁっ。」


一緒になってシンジも飛び退いた。飛び退いた途端に庭の敷石につっかかって、ひっくり
返りそうになった。まるでマンガみたいに手をぐるぐると振り回す。


「わ、わ、ぅわ、」

「あぶない!」


思わず飛び出して、おもいきり掴んで引き寄せた。シンジの身体が、アスカに体当たり
する様に突っ込んできたのを、男の子を抱え込むように支えようとした。
だが勢い余った2人はからみあうように、逆に縁側から座敷へと転がり込んだ。

どっしん!  茶わんが飛び上がった。


「痛ったぁ〜〜。」

2人分の体重で尻餅をつくはめになったアスカが悲鳴をあげる。
思わずシンジの頭を抱き締めたので、少年は受け身もろくにとれなかったのだ。
シンジはアスカの胸の間に顔を埋めているのに気づき、一瞬ぼお・・っとなった。
しかし、次の瞬間バッと頭を離す。

(イラスト:鈴野さん)


「ひゃあ。危ないとこだったぁ。ありがとう、惣流。」


気づかなかった、振り。でも少し顔が赤い。


「後ろにも石があるんだから。頭ぶつけたら怪我するよっ。」


こっちは・・・何も感じて無いのかな?
アスカはシンジと一緒に自分も立ち上がってお尻を撫でた。いたたた・・・。

とっさに動いたので息が切れた。そういえば日本に来てからあんまりスポーツ
してなかったからかな。と、アスカは思った。イサカでは毎日遅くまでバスケ
やら、テニスやら、クリケットをして遊んでたし。


「あの、あの。もう大丈夫だから、手。離してくれる。」


そう言われて、縁側の前に突っ立ったって、しっかりシンジの手を握ったまま
だったのに気づいた。アスカは慌てて手を離した。なんでも無いふうを装った
が、2人とも相当に恥ずかしがっているのは言う迄もない。


「で、何の用なの?」

「いや、実はオヤジからの頼まれごとでさ、うちの御神体様をお風呂に入れたい
んだよ。それで、ここの御主人にお会いしに来たんだ。」

「ええ〜〜っ? 御神体をおふろにぃ? 何で何でなの?」


神様がお風呂に入りに来るなんて聞いた事が無い。どういう事なんだろうかと、
アスカは興味津々。


「もうすぐ秋祭りだろ?ここの神様が、一年間しっかり町を守ってくれたから、
感謝の印として、神様をお風呂にお入れして背中をお流しするんだ。それでね
毎年このお風呂に浸かって行くんだ。それでゆっくりくつろいでもらうんだよ。」


「へエエ〜〜、徹底的に擬人化してもらえるなんて、いいな。」


イサカの教会のマリア象が、なんとなく埃っぽかったのを思い出してアスカは
言った。煤を払おうという人はいるかも知れないが、自分のうちに呼んでバス
に入れようと言う人はいないだろうな、などと思う。でも・・・


「ねぇ、碇君の神社の御神体ってなんなの? 鏡? 玉? 剣とか?」

「よく知っているね・・・興味ある?」

「うんうん。」

「おしえたげない。」

「えーっ?なによそれぇ。
いいじゃん、そんな、教えて減るようなもんじゃないでしょっ?」


こんな顔を見たのは初めて。大人っぽくて綺麗な娘だと思っていたけど膨れた
顔も可愛いな・・・とシンジはまたアスカの別の顔を見つけて思わず微笑んで
しまう。


「・・・わいいな。」

「わいいな?なにそれ?どんなもの?」

「えっ?」


呟くように声に出たのを聞き咎めて尋ねられてしまった。
大慌てであたふたと両手を振り回しながら、叫ぶ。


「あっ、あのっ、もし知りたかったら湯浴みの巫女に応募したらいいよ。」

「ゆあみのみこお?」

「湯あみはbathすること。お風呂に入ることだね。巫女・・って、えーとね。」

「待っててッ、辞書持ってくる。」


茶の間のテレビの横に、だいぶくたびれた辞書がおいてある。分からない言葉が
ある度に引くので、相当使い込まれているのだ。


「えーと、Mike,Miketu,Miken,Miko,Mikoshi・・・あっ、これね、ミコ。
・・・virgin in service of a shrine 何これ、 black missa でもするの?」


ちろ〜っと細くした目で疑わしそうにシンジを見る。煮えたぎった、大鍋の様な
お風呂の中で、オニオンやキャロットやセージやロリエの葉と一緒に煮込まれて
いる自分の姿が浮ぶ。なんかディズニー風だなあ。と思うアスカ。



「いや、そういう取り方されても困るな。あの、白装束に赤い袴をはいたお姉さん
達を、神社で見た事ない? そう、ないか。そうだよなあ。」


それから、ちょっといけない事を考えた。惣流って・・・凄く色っぽいけど・・・
向うの娘ってすごく進んでるっていうし、日本でも都会の子は凄く積極的だって。

こらこら・・・


「へんなこと、ないよね?」

「ないない。うちは品行方正な真面目な神様だから。」

「なにをするの? 第一、別の宗教の信者で外国人なんだよ。」

「神様と一緒にお風呂に入って背中を流す係。御利益、あると思うよ。あと、キリ
スト教でもイスラム教でもヒンズー教でもユダヤ教でもマニ教でも、日本の神様は
気に為さらないから。」

「願いごと、かなうかな。」

「?何かあるなら、きっと、かなうんじゃないかな。でも、興味あるなら頼むよ。
最近はこういう行事を手伝ってくれる子って、少ないんだ。委員長なんか前は良く
手伝ってくれたんだけど、今年は忙しいから駄目なんだって。今年はずっと起きた
り休んだりで長く入院もしたらしいし、ほら夏休み明けも暫く来なかったでしょ。」

「あ、そうよね。いまも金曜か月曜は必ず休むしね。」

「連休にして、身体を休めてるのかな。まだ、本調子じゃ無さそう。」




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シンジのうちの神社。

2人はあのあと、自転車を2人乗りして神社に戻ってきたのだ。
社務所でアスカとシンジは、あの鬚の神官と3人で何やら話し込んでいる。


「うむ。君がやってくれるというのか。それは結構な事だ。問題はない。」

「父さん、応募してくれた人達にはなんていうの?」

「どのみち3人必要なのだ。今の所応募は4人だけだから、明らかに条件からはず
れている2人には降りてもらうとしよう。一人は身体に怪し気な大きな傷跡がある
上に大酒のみだ。きっとやくざの女だ。もう一人は白衣で、染めた金きら髪をして
いるのだ。言語道断だ。」

「それって・・・もしかすると。」


顔を見合わせて頷くアス-シン。


「応募に来た時に、たまたま下げて来たお神酒を社務所でのんでおったら、ここの
お神酒の味見をしたいとか言って、がぶ飲みして酔っぱらって、ブラウスの裾を引き
出してボタンを胸の下迄開け、ミニスカートをたくし上げて胡座をかき、ものの10分
で1升、あけおった。へそから何から丸見えだ。はしたない!」
                               
「間違いなくあの人たちね。」

「うん。しょうがない人たちだな。」

「何だ、お前達の知り合いか。友人は選ばんといかんぞ。」


2人は苦笑する。確かに友人は選べるけれど、親と学校の先生は選べないじゃないか。
それからアスカに巫女の衣装をつけてみた。これがまたよく似合ったので、シンジは
すっかりアスカに参ってしまった。盗み見ると父親迄見愡れている。元々日本人の血が
流れているせいか、こういう衣装を切ると顔だちの中の和風な部分が浮びでてくる様だ。


「アスカ、凄いよ。とってもよく似合うよ。海の女神みたいだ。」


少し興奮したような口調で、彼としては最大限の褒め言葉を言うシンジ。その言葉を聞
いて、アスカは嬉しくて思わず自分の頬に両の手を当てた。きらきらした少年の目は純
粋な賞賛の色しかないのがわかったからだ。

・・・うれしい。自分でも意外な程嬉しかったのだ。


「そ、そう?どうもありがとう。」


照れくさいのを我慢してアスカは御礼を言った。幸せな気持ちが何処からか不思議な程
湧き上がってくる。多分他の誰にほめられるよりもアスカはシンジにいわれて嬉しかっ
たのだが、まだそのことには気づいていない。
これからゆっくりと心が通いあって行く事になるのだろうか。


「湯浴みが終ったら、髪にこの飾り冠をつけるんだ。」

(イラスト:ジャムさん)


そういって、お雛様がつけるような冠をアスカの頭の上につけた。射し込む光に冠に付
いた無数の小さな金の飾り板が揺れる。手に持った舞い扇が白檀の良い香りを振りまく。
シンジは心からこの異国の少女に心を奪われてしまった。白い顎の下に紫色の顎紐を結
び固定すると、シンジは女方の踊りをアスカに教えはじめた。そしてその後は男女の舞
いを組んで踊ってみた。長い事この踊りを見なれているゲンドウでさえ、ほう、と息を
付く程に2人の組み舞いは見事で優雅で、また若々しく初々しさに溢れていた。
笛をその舞いに合わせてゲンドウが吹き鳴らす。一体この厳めしい顔の何処にこんなに
も繊細に笛を吹きまわす表情が隠れているのか。不思議な程彼の笛は心を揺れ動かす力
があった。

2人は笛の音色のの中で、お互いの手をとって至福の時を、紫色の靄の中に極上の幸せ
を味わっていた。それはまるで催眠術にかかったような不思議な感覚を味合わせてくれ
ていた。約束されていた時。約束されていた相手と抱きあっていると言う思い。アスカ
とシンジは、うっとりと相手を抱きしめて波間に揺れている心地だった。

シンジの父ゲンドウは、そんな2人の様子を満足げに見遣って笛を吹き終えた。
そして昔から伝えられるこの笛の音の効果に改めて霊験を感じ、ありがたそうに笛を捧げ
拝礼した。そしてやおら大声で叫んで、互いの肩と首に正面から手を回したまま眠り込ん
だようになっている2人を起こした。


「どうした!ふたりともおきんかあ!」


2人は目を醒まし、互いの目をうっとりと見つめあって、その直後弾かれたように互いに
後ずさった。


「う・・うわっ!」

「あう、きゃっ!」


「わはははははは!なかなか良い思いをしたようだな!」


茹で上がったようなっている2人を見て、ゲンドウは豪快に大笑いしたのだった。





「一体、何なんだよあれは・・・・」

「ご、ごめん。シンジ・・・思わず。」

「しょうがないよ。僕が女の子だったらやっぱりそうしたと思う。
父さんがあんなに笑うからいけないんだ。」

「カーッと恥ずかしくなって、訳わかんなくなっちゃったのよ。本ッとにごめんね。」


自転車を押しながら、2人は海岸縁を歩き続けていた。シンジの頬には笑ってしまう程
鮮やかな女の子の指の後が真っ赤に浮かび上がっている。
あの直後に、反射的に一発喰らわされたのである。まあ、しょうがないよね。
自分達のみに何が起ったのか・・・アスカもシンジもよく分からなかった。
しかし、信じられない程心地よい時間だった事だけは憶えていた。
掛替えの無い相手だと言う事が自然に分かった気がした。だから離れがたくてこうして
まだ一緒に歩き続けているのだった。


「ね、ねえ・・・アスカ。」


互いに名前で呼び合っている事にまだ気づいていない。


「さっきのこと・・・だけどさ。」

「う・・・うん。」


その後が続かなかった。踊りを踊っているうちに、笛の音がその中に自分をとかして
しまった。心の中の事を素直に言葉にするにはまだ2人は出会ってから間がなさ過ぎた。
でも。
お互いが何か、相手の思っている事がなんとなく分かっていた。
だから、その後言葉は続かなかったけれど、にっこり笑いあった。


「明日も。又、学校であおうね。」

「うんっ。」


少し赤く染まった顔で、2人は握手すると別れた。少しずつ後ずさって、後はぱっと振り
返って一散に駆けだした。


アスカは走りながら思った。

「どうしようっ、どうしようっ。シンジのこと、こんなに好きッ?」


シンジは片手で胸を叩いて思った。

「何なんだろうっ。惣流を思うとここが苦しいや。好き・・ってこと?」



まだ、自分の気持ちが溢れた思いが何なのか。
はっきりと分からない2人だった。


変哲もない田舎町。夕焼けの中に輝く、板べいと、黒い瓦屋根。
豆腐屋のラッパの音。ウミドリが並んで軒先きにとまっている。
海から戻って来た船のぽんぽんというエンジン音。
潮風が、洗濯物を揺らし、生け垣の下で猫が伸びをしていた。


そんな街の中を・・・2人は何も目に入らないまま家路を急いでいた。







留学生アスカ/海女の湯から愛を込めて /(4)アスカ、祭りの巫女に決まる2002-06-27
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キャラコメは、後日とさせていただきますm(__)m

今回、挿絵を送ってくださった鈴野さんのサイトThe bell of a wilderness

今回、挿絵を送ってくださったジャムさんへの感想はこちら

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