こんなアスカを大好きだ【12月上旬】

 

   二人の世界 新たな世界

こめどころ

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鏡に写っているわたしと目を合わせた。しばらく見つめあう二人の自分。
わたし、アスカ・ラングレー、18歳になったばかり。
やや赤みのある金髪。年毎濃くなっていく青の眼。
少しあったそばかすはすっかり無くなった。身長は159p体重は48sでしばらく変わっていない。
年頃の娘としては幾らか重いけれど筋肉もしっかりあるし骨密度も高いのでこれは仕方ない。
血液比重も相当なもので献血に行ったらとからかわれるほどだ。健康だからなぁ、わたし。
まぁ予備役とは言えパイロットなんてアスリートみたいなもんだ。毎日運動は欠かさない。
現役の頃は50s以上あったわ。いまは女らしい曲線が順調に成育中。長い目で見てほしいってところね。
国籍は現在アメリカだけど将来は日本に帰化する予定。これは所属している組織の願いでもある。
もちろんわたしの意志であり希望でもある。
世の中のわたしへの評価とは関係なく、自分自身への自己評価とシンジの目が全てを占める。
評価してほしい人間に評価されていなかったら、そもそも評価なんてものは何の意味もないじゃない。
朝の時間は忙しい。さっさと髪をとかし目や歯のチェック。眉をちょっと整えた。
洗面を終えるとリビングキッチンへ。硝子戸をあけると東側の窓から一杯に朝日が差し込んでいる。
その朝日に向かって「おはよっ!」と叫んだ。実はそこにいる我が恋人シンジの陰に。

シンジと公式に恋人同士となって5ヶ月。
別に官報に載ったわけじゃないけど学校ではもはやみんなが認めてくれている仲となった。
わたし達はずっと中学の頃から同居してきたけれど家主が亡くなってからも一緒に暮らしてる。
そして今は同居から一歩進んで「同棲」という事になっている。
なんかいつのまにか現実が認識を追い越してると言ったところね。 

今朝までの一週間近く雨が続き、時にはノアの時代の様な土砂降りとなった。
土砂降りは嫌いじゃないな。ちょっとした汚れなんか洗い流してくれるところがいいよね。
傘だけでは制服がずぶぬれになってしまうのでレインコートを着てオーバーシューズを履いた。
排水設備の貧弱な地方都市では冠水したところも多く、避難した地区も多かった。
南関東で12月のこんな雨なんて珍しいよね。カラカラの乾燥注意報が出ずっぱりなのが普通でしょ。
これも天候変異の一つなのかな。
日本海側は気温の低下に伴って週後半からは豪雪となっているとニュースで言っていた。
関東でも寒気は容赦ない。雪になるかどうかギリギリの温度。日本に来てからわたしは寒いのに弱くなった。


その雨がやっと今日上がった。
カーテンを開けた時に、空にはぽつんとひと筆だけしか雲は無く、真っ青な久しぶりの青空だった。
眩しさに目を細めながら食卓に着く。今日の食事はコーンスープと蒸かしたジャガイモ。
小鉢に入れてある小さく切ったバターが食欲をそそる。
シンジが席に着く前にレースのカーテンを引いてくれた。これで幾らか眩しさが抑えられた。

汁気を多く仕立てたスクランブルエッグに荒引き胡椒と細かく砕いた岩塩を振りかける。
細かく刻んだパセリを振りかけ、ちょっとケチャップを触れさせる。これがわたしのお好みの食べ方だ。
そして湯気を上げている大好物のころころした白いソーセージと、ぴりっと辛い長いチョリソー。
目に鮮やかなチシャとサニーレタスのサラダ。自家製マヨネーズの広くちの壺。粒々の入ったマスタードの瓶。
完璧な朝食の調和。
口の中でソーセージはポキッといい音を立てて折れると同時に肉汁が口に溢れる。ああ、幸せ。
枕の様な形をしたちょっと酸っぱいドイツ風田舎パンを食卓の上でパン切りナイフで分ける。
スクランブルエッグをたっぷり乗せて口に入れる直前。

「ねぇ今日のお弁当は何?」

そう言ってアンむ、とばかりにパンにかぶりついた。

「ラムチョップとチシャ、マッシュルームのサラダだよ。圧力釜で柔らかくしたから昼でも食べやすいだろ。」

おおう、それもわたしの大好物だ。さすが良く分かってらっしゃる我が愛しのシンジくん!
口がいっぱいだったので、目だけをキロキロ動かして支持を表明。シンジが笑顔で答える。
もはやわたしたちは目で会話ができるのだ。すごい!

満足しきってカップのスープを飲みほし、「おかわり!」と大声で言った。


朝食の後は2人で歯を磨き、口の周りを洗った。さて、出かける時間だ。チャッとピンクのリップクリームを塗る。
シンジにも無臭のリップクリームを玄関先で塗ってやった。最近の習慣。寒さと乾燥は口唇の大敵だもの。
こいつの為じゃないわよ、キスしたときに唇のかさかさが痛いのは厭だからよ。
塗ったとたんにシンジは「お礼っ」とか言って耳の下の首筋にキスしてきた。うわ、ゾクっときたぁ。

「何するのよっ!」

鍵を掛けてるシンジの背中を殴る。こうやってはしゃぎながら出かけていくのが毎日の習慣と化している。
高校に向かうプラタナスの坂道。周囲と挨拶を交わしながら速足で歩く。
合流してくる仲間といつの間にか集団ができる。たわいない会話。昨夜のドラマや外国で起きたニュースの事。
寒気が入ってきて外はぐっと寒かった。みんなの言葉は真っ白になり吐き出されている。それが朝もやのようだ。

10人くらいの集団になったところで学校の昇降口に到着。靴箱ごとにバラけてそれぞれの教室に向かう。
運動靴の匂いと、皆の熱気がこもっている独特の学校の匂い。夏でも冬でもその基本は変わらない。
そう、大人になりかかり、半分子供の時代を過ごしている集団の香りそのもの。
清潔な石鹸やリンスの香りと汗と埃臭い匂いが入り混じっている不思議な臭気。
これが、幸せの匂いというものかもね。わたしとシンジがずっと求めていた日常そのもの。
肩を寄せ合うようにして、教室への階段を2人で登っていく。さあ、今日が始まるわよっ。
なんでわたしって、こう気合いを入れたがるのかしらね。

コートをロッカーにしまい、席に腰かけながらついシンジを見た。以前は地味で暗くて責任転嫁ばかりしていた少年。
今では学校でも結構目立つ存在になった。成績も良くなったし、背も身体も大きくなった。
それにも増しておどおどしたところが無くなったのがいいわね。
この中学2年間、高校3年間の時間は大人にとっては僅かな時間だろうけどわたしたちにとっては長い時間。
なによりも積み上げて来て成長したことが実感できる。特に一番近くにいた奴の事はよくわかる。当たり前だよね。
出しゃばるわけじゃないけど、その背中や肩に何となく信頼感と頼もしさを感じる。
それはわたしだけじゃなく。誰もが少しずつ感じている事。
それはあくまで高校生レベルの事で大学生に混じれば可愛い高校生であり、社会人から見たらまだ子供なのは当然。
でも多分、大人に交じって経験を積んだ事、命がけの戦いを生き抜いてきたことにあいつの頼もしさの根拠がある。
もちろん食うや食わずで銃を握る事で今日を生き抜く追い詰められた子供は世界中に何万と存在はしている事は知っている。
戦わなければ死ぬ、そこまでは同じだ。だが彼には全世界の人類をしょってというプレッシャーがあった。
いやでも覚悟を決めざるを得なかった。死ぬという事はその瞬間まで現実感はあまり伴わない。
わたしはレイが自爆した時でさえ、ああそうなのかとしか思えなかった。
火口の溶岩流の中で、ああここまでかとあきらめた時でさえ、死はどこか夢の中の様な感じだった。
本当に怖かったのはシンジに手を握られ、助かったのを実感した後だった。手を離さないでと叫ぶのをやっと堪えた。
痛みは、言ってしまえば痛みでしかなく、恐怖を伴わない死の予感は妄想に近かった。あの時初めて知った感情だった。

とにかくわたしは、たとえ死んでも目立ちたかったのだ。
誰からのでもいい、称賛を浴び褒められ認められたかった。それ以外の価値など認めていなかった。
どうせ死なんて一瞬の事じゃん、と思っていた。
どの道エヴァが破壊されれば自分は一瞬のうちに蒸発するのだから。戦闘中の損傷による痛みが厭なだけ。
交戦中の痛みはむしろ攻撃意欲を高めることを司令部は知っている。指揮所からの命令はわたしがヘタレない様に出るだけだ。
実際次の瞬間接続が切られれば「死ぬほどの痛み」は巨大な擬体からわたしへと流れ込まなくなるようにできていた。
苦しみと恐怖は雲散霧消するわけで、その体験の反復が死んでも助かるという刷込みを生んだのかもしれなかった。
実戦では断線がうまくいかず長く痛みが続く事もあったがとにかく終わってしまえばわたしの身体に傷は無いわけだから。
しかし、シンジの存在があった。あいつが頑張って結局奴だけが真の有効な兵士だった。
わたしは焦った。こんなはずじゃないと。
勇敢だとか立派だとかチルドレンとして賛辞を浴びる事はわたしの居心地を悪くさせる効果しかなかったのだ。
つまりそれはシンジの功績を分け与えられてそれによって称賛されているに過ぎないという事で。
チームに含まれる自分は人々を欺いていることになるじゃないの!
そうまでして称賛を浴びたがるような人間ではないという事を証明できないままでいなければならないという事じゃない。
このままじゃ、結果的にわたしはシンジのおかげで称賛を浴びていることになるじゃない!
実際にはシンジだけが活躍していて、わたしはそのことを羨んだり嫉妬したり素直にあいつを見てなどいられない。
矜持は踏みにじられた。
だからしなくてもいい事をし、言わなくてもいい事をぶつけて、ますます自己嫌悪の沼に沈んでいったのだった。

だが今は違う。わたしは周囲の仲間たちの好意を受け入れることができる。
普通に会話を交わすこともできる。価値観の多様性を赦すことができる。人を人として、個人を受け入れることができる。
批判を受け入れることも、愛情を受け入れることも、さらには人の悲しみに共感し、憐れみに感謝する事も出来るようになった。
つまり、人として当たりまえの感情をやっと取り戻す事が出来たのだ。
それはシンジも同様で、わたしたちは人の目に怯えることなく生きることができるようになったのだ。
世の中を生きていくにはたった一人、どのような事があろうとも自分の傍にいてくれると信じた人がいれば十分なのだった。
互いに誓いあったのなら、それはもう世界に対して無敵であることを知ったのだ。
愛を注ぎあえるという事はそういう事で、その溢れる愛を他者に注ぐことだって容易い(たやすい)ことだった。
わたしはずいぶん遠回りをして、愛が生まれる理(ことわり)を知った。愛情の生まれるわけとその使い方を知ったのだった。
神を信仰する人々のように生まれつき愛を注ぎあえる人々は本当に幸いなのだ。
遅ればせながらわたしは自力でその境地に至る事が出来た。全てはそこにそろっていたのに気づいていなかった。
わたしを取り巻く世界に向かってわたしは感謝する。この世界に生み出してくれた母に感謝する。シンジとの出会いに感謝する。
そして、シンジ自身にも深く感謝する。つまり、みんな好きってことよ!




3時間目の古典の時間に、いきなり学校は基礎の下から激しく揺さぶられた。地震には慣れている友人たちが大きな悲鳴を上げた。
しがみ付いたデスク以外の教卓やテレビ、学級文庫の本が天井にまで跳ね上がった。蛍光灯が外れたりそのまま割れて降ってきた。
天板がそれと一緒に次々と外れ、その中から配線コードが砂や埃と一緒に煙りを立てて落下してきた。お、お、大きいっ!
その直後には横揺れに変わり部屋の一方へと掃き寄せられるようにぎゅうぎゅう詰めになった。揺れは3分以上に渡り数回続いた。
いつの間にか背中にシンジがかぶさり抱えこまれていたわたし。あいつの背で落ちた蛍光灯が割れた。

「きゃあ!」「何でもない、じっとしてるんだ。」

立ちあがったのはたっぷり5分以上たってからだった。大きな地震の経験なんて初めてだ。身体がすくんでもしょうがないわよね。

窓は校庭側にはじき出され、窓枠ごと全て無くなっていたし、並木道の半分は根こそぎ倒れていた。停められていた車も裏返しに。
相当な巨大地震だったようだ。はめ殺しのガラスは全て砕け散っていたし、給食室からは水蒸気が噴き出していた。
教室のドアを開けようとした人が開かないと言って焦っている。誰かがとにかく蹴倒して開いた。校舎全体が少し歪んでいるのか。
ゆっくりと慌てずに校庭に避難しなさいと放送があった。幸い我先に逃げ出す者はいなかった。火もなく、天井も落ちていない。
パニックを起こす要因はあまりなかった。校庭へ全員避難したのは10分ほど後。

その直後に揺れ返しの地震――さっきより大きいくらいの地震ーーがきた。
校庭を横切っている高圧電線が縄跳びでもしているかのようにぶんぶん凄まじい音を立て揺れていた。
避難行動には使徒戦役以来の慣れがある世代だから落ち着いていられたのだろう。互いに抑制しあい慎重に行動できた。
シンジとわたしは互いに目を見交わし確認し合いながらそれぞれのグループの仲間と励ましあいながら移動していた。
シェルターに落ち着いたのはさらに20分ほどしてからだった。その頃にはネルフの実働部隊が少数ながら次々とヘリで来援に来た。
この学校の生徒や教師はいづれにせよ深いかかわりをもっていたから。
高校の全員と近所の2つの中学、3つの小学校、近隣市民の避難が終わったのはさらに30分後。
その間の有感地震は大きいものだけでも10回を越えた。怪我人も増えていく。泣き声やうめき声が重なっていく。
次第に緊迫感が高まり、人々のざわめきが少しづつヒステリックな要素を滲ませていく。

こんな時に一番落ち着いていられたのは一番人数の多い我が校の生徒たちだった。
成人男性がほとんどいない中で男子たちが倒れたお年寄りを運び、要救助の人がいる家に向かった。
女子は保育園や幼稚園の保母さんたちに協力し、子供たち一人一人を抱きかかえてあやした。
街の方を望めば火事の煙がわずかに見え、消防車や救急車の警報音が聞こえてくる。
日本の耐震防炎設計は徹底している。2010年以降の建築物は地震では絶対に倒れないし類焼可能性もない。
ガス漏れ対策も、水道も電気も直ぐに復旧するシステムが完成している。旧市街以外はまず心配ないのだ。
緊迫感はすぐに静まって行った。皆が力を合わせて互いを守っている。使徒戦の間、わたしだけが戦っていたのではない。
皆、こんな風にお互いを守りあっていたのがよくわかった。素晴らしいよ、皆。
わたしは腕の中にうごめいている0歳児保育の赤ちゃんを抱きかかえていた。安心して笑っている。機嫌がいい子だ。

「あなたは偉いわね。」

赤ちゃんの機嫌の良い笑い声は周囲の大人たちを勇気づける。こわばっていた大人たちが、みなにっこりと微笑む。
大人が笑うと赤ちゃんの泣き声はてきめんに減っていく。そのことがさらに緊迫感を減らす。
ああ、この赤ちゃんの匂いを、わたしは胸いっぱいに吸い込んだ。赤ちゃんを抱くなんて初めてだった。
何て優しい匂いだろう。お母さんが戻ってくるまであなたはわたしがきっと守ってあげるからね。
使徒戦の間についた習慣だろう、産着には名前と住所が書かれている。村上つばさちゃん、か。

「ツバサちゃんか。とってもいい名前だねえ。お姉さんが子供作る時があったらあなたの名前をもらっちゃおうかな。」

何が嬉しかったのか、彼女はキャッキャッと声を立てて笑った。これで何ヶ月くらいなのだろう。
透明なよだれの中に浮かんでいる下の歯の芽がとてもかわいく思えた。まるで沢に湧いたばかりの最初の水のようだ。
つばさちゃんは気がつくとわたしの髪の一房をつかんでいた。こんなものが嬉しかったのね。

「アスカの眼も狙ってるみたいだよ。青くてきれいだもんな。」

そっと肩に置かれた手に振り替えるまでもなくシンジの声だ。さっき出て行った用事から戻ってきたのね。
確かに赤ちゃんはわたしの眼に向かって手を伸ばしてる。目はこまるわね。笑いながら少し顔を離した。

「赤ちゃんは横一列に2つ並んだ点に機嫌良く反応するそうだよ。」

「あらそうなの?」

「ミルクをくれる人は2つ並んだ眼をしてるからってことらしいよ。
それを発見した女学生は担当の子がミルク缶の絵に向かって微笑んでいたのに気づいたらしいけど。」

「絵じゃなくて、点に反応してたのね。」

「顔を現す逆三角形の下半分に黒点2つと口がある者に対して哺乳類は愛情を抱くとも言うしね。」

「ああ、それは聞いたことあるわ。」

「アスカの顔も額が広いから可愛いって感じるのかな。瞳も大きいしね。」

「どうせわたしはデコです。そう言えばシンジは顔が大きくなって可愛くなくなったわね。」

「思春期は、また違うサインが出てるというけどね。」

「どんなサインよ。」

「点々と、赤い唇なんだって。」

「な、なんか厭らしくない?」

「すごく納得しちゃったけどな、僕は。確かにアスカの唇は。」

「こ、こんなところでそんな話するのは不謹慎よっ。」

小声で言って、わき腹を肘で軽く打った。いたたとか大仰に呟いてシンジは退散した。

「アスカ〜みてたわよ。」

早速周囲にいた仲間たちが興味しんしんな表情でずり寄って来た。

「そんなに日常的にキスを交わしてるのね。恋人同士なんだから当たり前か。」

「標榜してるようなプラトニックだけじゃないみたいねぇ。」

「子供出来たら、すぐこんな感じになるわよ〜イメトレにはいいんじゃない?」

「な、なんてこと言うのよ。」

いまさらムキになって反論するわけにもいかないし、ピーンチッ。

「さあさ、皆、赤ちゃんのミルクを受け取って頂戴。」

た、たすかった。ミルクに感謝ね。
160tのミルクをつばさは一気に飲み干してまだ物足りなさそうな表情をしてる。
薄い糖水を与えた。蜂蜜をお匙一杯程度を溶かして少し冷やしたもの。
汗ばんでいた肌着も取り換えた。おむつはまだ大丈夫ね。抱きかかえて背中をトントンと叩いていたら大きなげっぷをした。
周囲の赤ちゃんたちも次々に。なんか小さなカエルの合唱団ね。思わず微笑んでしまう。

「アスカ。」

はっと目が覚めた。直ぐ前にシンジの顔があった。
赤ちゃんの匂いを嗅いでいるうちにわたしも眠ってしまったようだ。誰かがつばさちゃんを取り上げてくれたらしい。
子供用のマットにタオルケットを掛け、赤ちゃんはすやすやと眠っていた。
ああしまった。この子の親は今夜なかなか寝ない子に苦労するかもしれない。心を読んだようにシンジが言った。

「大丈夫。みんなお昼寝の時間さ。」

「よかった。お母さんに苦労かけなくて。」

「君の寝顔も可愛かったよ。ラファエロの聖母子像みたいだったね。」

「な、なに。シンジが赤ちゃんをマットに移してくれたの?」

「アスカがコックリコックリしだしたの見えてたからね。赤ちゃんもミルクの後で眠ってたし。」

時計は4時を指していた。避難してから5時間ほど過ぎている。避難情報がモニターに流れていたが音は控え目にしているようだ。
緊張と疲れから眠ってしまっている人が多いからだろう。特に子供たちの寝息は眠気を誘う。わたしもつい今まで寝てたわけだし。
思ったより引き取り手が現れていない。よその町との連絡がかなり乱れているようで、高速やリニアも緊急検査の為止まっている。
携帯もほとんどつながっていない事がテロップに流れている。不要緊急外の連絡は避けるようにという指示が流れている。
わたしたちにも携帯食が配布された。ただのおにぎりだけどね。ああ、シンジの作ったお弁当は教室の中か。取りに行ければなあ。

シェルターへの避難命令解除はまだ行われていない。
その時外部との小さな連絡扉が開いた。軍の制服を着た数人の青年がシェルターの責任者を呼び出し、その人が教頭を呼んだ。
そぐ脇にいた生徒が立ち上がり、わたしたちの方へ走ってきた。

「なんか呼び出しみたいだよ、碇と惣流。こっちへ来いって。」

何の用だろう。赤ん坊を保母さんに託すとわたしとシンジは連絡扉の方に向かって走った。

「緊急呼び出しだよ。2人とも一緒に来てほしい。」

階級は少佐だ。まだ若いのに高級幹部候補生と言う事か。
所属組織が違ううえに、3年前のネルフ壊滅の行きがかりがあるからわたしは鼻白んだ。
彼だって知らないわけではないだろうが、表情にかけらも出さないのはさすがだ。

「どこのどなたからの呼び出しですか?」

「無論、君らのネルフからさ。しかしあそこも今は手がない上にこの地震騒ぎだ。出向中のわたしが来た。」

「自衛隊からネルフへ出向ですって?」

「まぁ何でも相互乗り入れの時代だからね。こういう事もあるさ。冬月さんからの直々のお達しだ。」

手の上に開いたのは薄い円盤状の端末だった。昔のSF映画で良く出てきた立体画像付きの命令書だ。
こんなものが実在して実用に供されているなんて、ネルフって少しやりすぎなんじゃないの。

「シンジくん、アスカくん。すまんが緊急の事態が起こった。すぐに柏崎少佐と同行して本部に来てくれたまえ。」

「はあー良くできてるわね。」

「今後皆に使ってもらう事になるそうだよ。」

柏崎少佐の画像も浮かんだ。間違いなく本人だ。

「冬月司令の言う事なら従わなくちゃね。シンジ、行こ。」

じゃあ荷物をと、元の位置に一旦戻った。

「何だまたご指名か。頑張ってこいよ。」

「なんだかわかんないけどね、来いって言われりゃバビューンよ。」

「よっ、正義のヒロイン!」

「からかうなってば。」

声を掛けてくれた友達は皆好意に溢れている。
パソコンバックを肩にかけるとわたしは駆け戻って軍用車両に乗り込んだ。無論シンジも一緒に。
車両はうなりを上げてシェルターを後にした。

「地震が今日で良かったわね。」

「え、なぜさ。」

「おととい起きてたら、誕生日のお祝いをやってもらえなかったでしょ。」

「何だ、そんなこと考えてたの、あきれた余裕だね。流石はアスカだ。」

「まぁね。シンジの作る生クリームはおいしいもん。」

以前のように友達も呼んで、というわけではない。それよりは二人きりで祝う方が貴重だ。
六月のシンジの誕生日にはまだわたしたちは恋人同士どころか、ただのクラスメートで同居人に過ぎなかった。
まぁ長い付き合いだから互いに意識はしてたけど、それだけで一歩も進展してはいなかった。
何回ちょっかいを出してもシンジは鈍感を装っていて(今だから知ってるんだけど)全然通じてないと思っていた。
端数がいつまでも出てしまう割り算をしてるような、ウサギが亀を追い越せないみたいな気分だった。
わたしはアリス。シンジと言うウサギを追っていた。
それが、今はわたしはカードの女王みたいに万能だ。わたしたち二人の閉鎖世界は想いのまま。
だけどこの世界を包む泡はATfieldの様に強固ではない事も知っている。


「この資料を見てほしい。破壊された弐号機がフィリピンプレートの再突端地下5qに復活している。」

「同じくこれは糸魚川断層のすぐ脇、青海地区地下3qにおける輝点。エヴァ初号機だ。」

「じゃあ、この吉林省にある輝点は零号機と言う事?」

「しかもこれは高速で地下を移動している。毎時10kmで北西部に向かっている。」

「今日の地震と関係が?」

「弐号機の出現が原因とみてまず間違いなかろう。この先弐号機が活発に活動すればまた。」

わたしたちの目の前にいるのは総合化学工業商社株式会社ネルフの社長、ネルフ司令冬月とその腹心達だった。
まぁ世間向けの顔なんて一旦緩急あらば幾らでもかなぐり捨てるだろうとは思ってたけれどさ。
やれやれ、つまりわたしたちの3年間の長い夏休みは終わったという事よね。
シンジと目を見合わせて苦笑した。初号機弐号機が再び発生するという事はそれ相応の意味があるという事ね。

「裏死海文書は破棄されなかったという事なのかしらね。」

「神様はあきらめてはいらっしゃらなかったという事だな。」

「これで進学とかの予定はチャラになっちゃうのかな。」

「事が事だけにな。君らには済まんと思ってる。」

冬月さんは本当にすまなそうだった。

「エヴァの立ち位置は同じなのかな。人間側に立ってるの?」

「それもまだわからん。」

「話し合いをしたわけではないもの。拘束衣なしの素の彼らと果たして意思が通じるのかどうか。」

マヤが意外と落ち着いている。最近リツコに似てきた感じよね。

「場合によっては、エヴァこそが究極の使徒側の討手なのかもしれん。」

「あの3体が無ければ人類は使徒に対抗すらできないわね。」

それはマヤの言う通りだろう。

「エヴァがこちら側だったとすれば、対抗する使徒が再度現れるだろうってことも考えられるね。」

シンジがそう言うと冬月さんは深刻そうに答えた。

「そうでなければエヴァは単なる使徒と言う事になる。こちらの方がよほど脅威だ。」

シンジに向かってわたしは口を開いた。

「対抗できるかどうかも分からないんでしょ。」

「そうだね。でも、何とかなるんじゃないかな。」

「あのねシンジ。いちかばちかで行けちゃうかどうかなんて、中学の頃と同じようにできるかどうかわからないんだよ。」

そう言いながらわたしはシンジをドキドキしながら見つめてた。

「僕は、一人で戦うわけじゃない。アスカもいる、ネルフのみんなもいる。僕らに大事なのはケミストリーなんだ。」

冬月さんも、そこにいた幹部の人たちも一斉に肯いた。
みんなの思いが集まる事で化学反応がおこる。それが前の戦いでも人類の力を何倍にも膨らませた。
今回もそうなってほしいし、そうでなくちゃいけないよね、シンジ。





























Konna Asuka o daisuki da【December-1】Komedokoro 6-Sep.-2009






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