―――こんなアスカを大好きだ!


こめどころ






……

9月


上下2期制。だから正確には10月からが下期って事になる。
だけど、長年の習慣というか。世間では9月は2学期開始って感じ。TVもこう言って始まる。

「今日から9月、夏休み明けの学生や高校生がラッシュアワーに戻ってきました。」

まぁ、確かに空の青は高くなり、雲も真夏のそれとはだいぶ違って来たように思う。
夏休みの間は、ご飯とおみそ汁、漬物と卵焼きと、焼き魚とか昨日の残りものとか食べてた。

「あ、パンだ。久しぶりだね。」
「なんか、9月って言われたらパンが食べたくなっちゃった。」

ベーコンエッグとほうれん草のバターソテー。分厚いバタートーストが、ちょうど焼き上がった。
2人の好きなコーンポタージュ。山ほどコーンが入ったやつね。
ミネストローネも好きだけど、コーンをすくい上げて口の中でブチブチ噛みつぶす感触がね。
今朝はコーヒーじゃなく、ミルクティー。無論レモンも出してあるけど。

「レモンティーをあまり好きじゃないのかい?」
「そんなことないんだけど、ミルクティーが一般的だったからかな。」
「コーヒーは薄くちだしね。」
「濃いコーヒーは胃に悪いわ。ネルフ行くとコーヒー濃いもんね。」
「あれって、リツコさんの趣味が広まったのかな。」
「まさかね。コーヒー会社の陰謀よ。豆の消費を増やしたいんだわ。」
「ぼくはレモンティーばかりだなあ。これも習慣かな。」
「そう言えば、シンジってコーヒーあんまり飲まないわね。」
「小さい頃、苦くて嫌だったから。」

正直なやつね。わたしは白状しないわよ。濃いコーヒーが苦手なわけなんて。
分厚いバタートースト。たっぷりバターを浸みこませ少し塩を振る。そこにかぶりつく。
まだ塩分や脂肪摂取過多を気にしなくていい歳だと思うわ。体育の時間もたっぷりあるし。

高校は学食が充実しているけど、大抵はお弁当を作っていく。おにぎりから凝った奴まで。
学食は週に2回くらい。友達との社交って言うのも大事だからね。
今日は昨日の夜に作っておいたミニハンバーグを焼いた。いいチョリソーを脇に2本。
別の箱に、サラダとプチトマト。シンジのお弁当はもう一個ハンバーグとサラダの方にもご飯を詰めた。
わたしのは、ご飯の代わりにハッサクミカンを入れてある。
まあ、よく食うんだ、あいつって。ほっとけばあたしの3倍は食う。
昼飯時、女子は男子の食いっぷりを結構呆れたように見てるもんなんだけどさ。

「でかくなるわけよね。男子ってさ。」
「ほんとに。」

女子が笑うと、男子は弁当減らしてもあれだけお菓子食ってりゃ太るだけだろ、って喚く。
反発してる女子もいるけど、わたしは幾分賛成だ。お菓子はそんなに興味ない。
帰りに女の子だけで食べるケーキは別だけどね。

「アスカってよくケーキ代続くわよね。」
「結構お嬢な生活してたりして。」
「とんでもない。結構貧しい生活してんのよ。」

お嬢だったのは7月まで。8月からはきちんとオサンドンしてるわよ。掃除洗濯家事食事。
買い出しも掃除もね。いい恋人になるってあいつに約束しちゃったし。
恋人って言えば、シンジはわたしと一緒にいる時間を伸ばしてくれるって言って学内の部活に入った。
ネルフの護身訓練部を辞めて、剣道部に入ったのよ。3年になって入部?って珍しがられた様だけど。
まあ、剣道ならあいつは2段持ってるし、卒業まですれば3段が取れるかもという腕前だから問題ない。

「何で今まで学校の運動部に入って無かったんだ、惜しかったなあ。」

周り中に言われたらしい。特に剣道部の顧問にね。いつもあと一本が足りなくて負けてたらしい。
そりゃ、最初からシンジがいればって思うのは無理ないわね。
それと、早速子スズメどもが付いたのが目障りでしょうがない。キャーキャー煩いのよッ。
って7月までなら思ってたでしょうけど、今は余裕。誰が告白してきたって言ってくれるんだもん。

「ごめん、僕恋人がいるんだ。」
「婚約してるんだ、クラスの惣流アスカと。」
「大学出たら、結婚することになってる。」

恋人、はともかく、婚約者って言うのは高校1,2年の子供には想像の外みたいね。
ポカーッとしたまま、引き下がっちゃう。軽いもんよ。それともちょっと生々しいのかな。

「へっへっへ〜ん。」

腕にからみついてでれでれと身体ごと甘える。

「なんだよ、どうした? またなんかおねだり?」
「うう〜ん、なんでもなぁい。」

この余裕っぷり、どうよ。おっとこらしい受け答えのセリフでしょ?
ちょっと前だったら委縮してじたばたして、おろおろして。

「どっどうしたのアスカ。いったいなに?」

ま、この程度だったでしょうねぇ。せっかくわたしがご機嫌で甘えても通じなかったもん。
それが、

「なんだよどうした? またなにかおねだりかい?」

うわあ、かっこいいっ! あれが、あれが馬鹿シンジ?あたしの恋人ですってぇ!
歩道の上にアスファルトみたいになってドロドロ流れていきそう。
男の子って、ほんとに変わるんだなー。わ、わたしも変わったのかなぁ。

「惣流、あんたなんか変わったわねえ。」

と、決めつけたのは結構仲良しのバスケット部のキャプテンだ。

「え、そうかな。」
「胸、こんなに無かったと思うぞ?」
「そうかなー、こんなもんだったと思うよ。」
「いや、」

いきなりブラごとつかまれた。「前は手の中に入ったが、今はつかみきれん。」

「ひゃああっ。」

思わず悲鳴をあげてしまった。大きさはさほど変わってないけど重量が増えた気はしてた。

「実が詰まったというか、充実した感じね。」
「腰だってこんなに細くなかったし、骨盤は大きくなって全体的に線が、」
「エロっぽい。」
「そうよね、エロっぽい。」

変なコメント入れるんじゃないっ!
もしそうだとしてもわたしのせいじゃない。シンジの、と言えるわけもない。

「それに、聞いたわよ。最近あんたのシンジ君だけど、女の子断るのに、恋人がいるからって。」
「言ってるんだってねえ。」
「婚約してるから、とも言ってるそうだね。」

みんなでそんなに、威圧的に擦り寄らないでよぉ。
体育クラス。隣と合同2クラス分30名の女の子が目をぎらつかせて寄ってくる。

「全身、バラ色でつやつやって感じよね。キスマークも上手く隠してるつもりなんでしょうけど。」
「このブラやショーツの下はどうなっているのであろーか。」

何よ!その目は。

「だ、だって何もしてないもん。」
「そんな嘘、ばれないとでも思ってんの。」
「そうよ授業中でも何でも、ところかまわずピンクのフェロモンばらまきやがってさぁ。」
「たまったもんじゃないわよ。」

うわ、暴走前のウシカモシカみたいになってきたッ。

「アスカっ!」
「は、はい。」
「あんた、あんた碇とや姦ったねっ!」

その言い方はないだろっ!いくらなんでも。

「ぐはああっ。」

皆がのけぞった。「いやーん、なまなましい話ねー。」

「やってないッ、やってないってば。」
「やってない人が、そんなにつやつやにはなりませんっ!身体中うずうずしてる感じ。」
「そうそう、男性ホルモンをたっぷり取り込んでる感じよねっ。いやらしー感じ。」

どこでそれを見分けてるって言うのよっ。く、この耳年増どもがあああ。
でも、ほんとに最初の時から、週に2回くらいしかしてないもん。これでも多いっての?
えーと今度で9回目くらい? いや10回? 確かに、なんか…癖になるって言うか。

「でぇえへへへへへ。いやん。」

つい、くねくねしてしまった。シンジと、してる場面。妄想が目の前にモワ〜っと広がって。
わたしの瞳は、他人が見て判るほどとろとろに潤んでるのかしら。
あの時の感覚が身体に甦っちゃうのよ。
「ものや思うと人の問うまで」ってか。たちまち突っ込まれています。

「この態度だよ!ばっかやろう!」
「ああ〜やっぱりホントだったんだ。うわー真っ赤になって。」
「で、できちゃたってことよね。よねっ!?」
「こん畜生、一人だけ幸せになりやがってー。」
「一人じゃない。碇くんと一緒に。」
「うわ―凄い、凄いよ。クラスに経験者がいるなんて初めて〜」
「誰か紹介しなさいよねっ。」

個々、大人な人も子供な人もいるわけだけど、もみくちゃにされたのは間違いない。
大体、女子更衣室なんてのはこの手の話をするために存在するようなもんだ。
ここに入ったら最後なんだよね。まるごと剥かれて秘密を暴かれ、うわ、ひどい。



気配は9月も後半になると、すっかり秋を感じさせるようになる。
放課後、空き教室の隅。カーテンが翻ってる窓際に一緒に腰かけている。
別に何をしてるわけではない。シンジの膝の上にすわり、もたれ掛かってるだけ。
青空とちょっと強めの風、それが心地よい。目を瞑って、シンジの鼓動と呼吸を感じてる。
シンジの腕がわたしのお腹の上で交差して、わたしの息遣いを感じてることだろう。
ごく当り前の、ごく普通の恋人同士の様子。
放課後の構内を回れば、こんな様子の2人は何組か見られたことだろうと思う。

「行こうか。」
「うん。」

暫くすると2人は立ち上がり、窓のカギを閉め、カーテンを引きなおしイスを並べなおす。
鞄を取り上げ、静かな廊下をたどる。演劇部や合唱部の整理発声が聞こえてくる。
運動部の「ありあとあしたーっ」の声。水道場の「疲れたねー」と一緒の笑いさざめき。
そんなものが2人を包む。靴をはき替え、校庭に影を引きながら横切り、並木を辿る。
わたしと、シンジの情景を俯瞰する。薄い雲の間からみるわたしたち。
金の頭と、漆黒の頭が並んで歩いてる。夏のセーラーと、白いカッターシャツ。
黒い皮鞄と背負いのバッグ。
川沿いの少し遠周りの道をたどり、気に入りの遊歩道から坂を上がっていくといつもの公園。
わたしの俯瞰は舞い降り、シンジの顔を斜め下から見上げる。
夏の合宿からこっちだけでもずいぶんこいつ背が伸びたかもしれない。

「ねえ、なんか背が伸びたんじゃない?」
「ここに来るといつもその話だね、アスカ。」

足を組んでベンチに思い切り背を持たせかけて首の後ろで手を組む。シンジのいつもの格好。
わたしは背を伸ばしたまま、鞄を膝に乗せて髪を抑える。この崖際のベンチはいつも風が強い。

「だってさ、前から来てる場所だから違和感があるのよ、あなたにね。」
「何の違和感さ。」
「もっと細かったはず、もっと声が小さかった、もっとチビだったはず、とか比べちゃうのよね。」
「僕にだって違和感はあるさ。」

シンジはポーズを解いて座りなおした。背後の森が風に吹かれて一斉に声を上げる。
そうだ、この林だって昔は音も立てないほど小さな木々だったわ。

「たとえば?」
「アスカの髪は、もっと赤味が強かったし、声ももっと甲高かった。背も同じか少し高かったよね。
すぐ叩いてきたし、言葉も乱暴で、我儘もいい加減にしてほしかった。感情のブレも大きかった。」
「な、何よ。そんなに並べたてて。」
「でも、すぐ泣くんだ。中身はほんとに僕と同い年なんだって、見た目とは違うんだって。」
「何時あたしがあんたの前で泣いたってのよっ!」

まったくあの頃と「違和感のない」わたしのセリフだと思ったろうな、シンジ。

「となりに転がりこんで寝た時。アスカはママって繰り返して泣いてた。」
「えっ、ええっ。そんなこと聞いてないわよ、うそっ!」

初耳だったし信じられないミスだったけど。

「僕は君に嘘は言わない。」

うん。そうよね。シンジが言うならそれは確かにあったことなんだろう。
でもそれって、逆にとてもやばい状況なんじゃ?何時の話なのよ。

「一緒に暮らしだして、すぐのころだよ。ミサトさんが留守で2人で留守番した時。」

と言われてもそのこと自体記憶がない。

「それで、シンジはそう思ったわけね。すぐ泣く子だって。」
「泣き虫ってわけじゃないさ。ただ、なんて言うかな、君は怒るかもしれないけど。」
「いまさら怒らないわよ。」
「この子も、つらいことがあるんだろうなって。親と離れて寂しいんだろうなって。」

シンジは苦笑したような表情を浮かべた。

「実際にはそんな単純な問題じゃなかったし、僕が守ってあげなきゃって事もなかった。」

そんな目であたしを見ていたんだ、シンジ。
確かにそんな優しい目であたしを見てくれたのと同時に、僻みっぽくて卑怯な性格がシンジにはあった。
同時にわたしも可哀想と言われてるだけじゃなくて、鼻もちならない高慢と嘘だらけの部分があって。
結局それがわたしを追い詰めたし、シンジとの距離は2人の歪んだ性格でますます開いていって。
最後は、取り返しのつかないところまで行ってしまった。

「もっと、うまくやれたんじゃないかと、今でも思うよ。あの頃。」
「やってしまったことはしょうがないけれどね。悔やむことは多すぎるくらいよ。」
「だね。」
「大きな違和感って言えば、あそこまで行って、何故今こんな関係になってるかってことよね。」
「か、関係って。」
「わたしたちの肉体関係。しかもかなり強烈よね、最近。」

少し大きめな声で言い放った。

「あ、アスカ。」

振り返ってきょろきょろおどおど。良かったこれは確かに昔と変わらないシンジね。

「キス、してあげるわ。」

言うが早いか、鼻をつまみあげて唇を合わせた。それだけじゃない。反対のひじの内側で首を決めた。

「む、むう。」

舌をつっこんで絡み合わせた。ぞくぞく身体に欲望が湧きあがるような大人のキッスだ。
シンジの顔、真っ赤になってる。息継ぎなしじゃそろそろ限界かな。解放してやった。

「ふわーっ、はあ、っはあ、はぁっ。なんだよ急に。」

つまらん。昔だったら後ろにひっくり返ってぜいぜい言ってただろうに、慣れちゃって悔しい。
どちらかと言うと、ここんとこ、キスされてくたっとなっちゃうのはわたしの方なわけで。
キスなんてこんなに急速に上達するもの?まぁ今日はちょっと勝ったからいいか。
欲望ぎらぎらのままじゃ家に帰ってから困るから、スーパーによっていくかな。
猫に小アジでも買って行こうか。

庭の子猫たちは夏休み明けにはマヤの猫ネット関係者に次々と引き取られていった。
親猫はしばらく子猫を探して鳴いていたようだったけど、結局この方が良かったのよね。
今は生垣の下や軒先でくったりとあくびをして暮らしている。
罪悪感としょうがなかったという諦感が行ったり来たりする。
どのみちこの街を猫だらけにはできない。保健所に連れて行かれるより飼われるのはずっといい。
結局、シンジしか残らなくても。どこかで元気でやってくれているならば。

わたしもいつか、シンジとの子猫を産むんだろう。今はまだその予行演習段階。
ダフ二スとクロエ―のように、何も知らない同士だったわたしたち2人。
やっと一緒にいて交わうことを知ったところ。身体を合わせる快楽を憶えたところ。
それが隠微なだけでなく、互いの心をどんなにか癒し、幸せを感じさせるものかを知ったところ。
世界のために身を犠牲にする日が来ることを知っていたのに、不幸な結末を予感していたのに。
なぜ、母達は愛さずにいられなかったのだろう。僅か3年ほどで子を捨てる運命だったというのに。
だからこそか。父達を愛し、わたしたちを残さずにいられなかったのだろうか。

シンジとわたしは、あなた達よりはるかに若い。だからもっと激しく愛し合うのかもしれない。
日々高くなっていく青空と、白さを増す絹雲。夕焼けに輝く羊雲。その下で私たちは唇を重ねる。
レースのカーテンから夕日が差し込む居間。そのソファの上でいだきあう。肌を重ね合う。
わたしたちの秋が、そうやって始まる。いだきあう秋。重なり合う秋。愛し合う秋。
白い大きなムートンの感触、互いの温かい肌が安らぎと悲しみをもたらす。
つながっている喜び。もたらされる快感。そして、それ以上は融け合っていられない、人の限界。
孤独と、個別。単体と融合。それは、きっと子供という形でしかこの世界にはもたらされないのだ。
どんなに愛していても。融け合おうとしても。
求めあった同士には、与えられない。苦しみと、もどかしさ。

「シンジ。」
「なんだい。」
「もっと、きつく抱いて。お願い。」

シンジに抱かれた肩の向こう側に、涙がこぼれた。













konna Asuka o daisuki da('Sep.)/komedokoro/16-April-2009



<INDEX>