だだだだだだだっ。

「そこーっ!まってまってまって!!」

僕が乗ろうとしていたタクシーに向かって全力疾走掛けてきた子がいる。

「ねっねっねっ、あんたどこまで乗るの?」

「えっと、四谷橋の第3ネルフビルだけど。」

「って、ピラミッドビルだよね!わあー、偶然!私もそこ行くのっ。お願い乗せてっ!!」

もし、お茶台の第5ネルフビルって言ってても途中まで乗っけてって、と言ったんだろうな
この子、と思いながら閉まりかけたドアを押さえて、

「乗りなさい。」

と言っていた。

「ありがとうござい、ますっ!!」

顔中を零れるみたいなくしゃくしゃな笑顔にして乗り込んできた。
あかるい ホワイトイエローのミニが眩しい元気な子だった。

「おじさま、ありがとーっ!いつかからなず御礼するからねーっ!!」

彼女は僕がTAXI料金を払っている間にビルの中に吹っ飛んでいった。









見たこともない青い空



<こめどころ>







僕の勤務する会社はネルフの傘下にある巨大薬品会社である。
僕の仕事は、その中で新しい医薬品が企画されそれが開発製品化される際に現場の声を吸い上げ、
実際にその医薬品がどのような適応を持っていれば最大の利益と効果をもたらすかを検討し、それに
沿った適応獲得を模索し、開発を実施する、と言うものである。
次の段階ではプロダクトラインにのってから、どのような営業実行部隊を形成するか、誰を選抜するか。
その規模と戦力が必要とする立ち上がりの時間想定と、予定の販売金額がもっとも早くピーク値を
迎えられるように考える。そしてその現場実行部隊の責任統括を行い、初期の販売を軌道に乗せる、
と言う仕事までを引き受けるのだ。
いわゆるプロダクト・ラインマネージャーと言うやつだ。

「おはようございます。」

「だうまうー。」

「おはよう。」

「ちゃすちゃす。」

「どうもー。」

「やっほーっ。」

「おっはよーっ。」

「おはようございます。」

「ぐまんぐ。」

「あっさすっ。」

「おはよう。」

「だうっだうっしたっ。」

朝の会社は、おはようの声に満ち満ちている。何言ってるか分かるかい?
どんなに疲れていたってこの声を聞いたら元気になる、そんな素晴らしい挨拶をしてくれる人が何人かいて、
そういう人のところには始業前のわずかな時間でコーヒーを飲む社員達が、セクションを越えて集まってくる。

「どうだね、例の導入品。」

「なんとかね、CASAの承認が降りた。」

「FDPENのほうは…」

「欧州はうるさいからな。」

「FDAは合意したよ。」

「常任理事会の最終決定は2月の15日だ。」

「厚生省認可は5月だな。」

ブレックファストミーティングを済ました熱気がTea roomに満ちている。
同じ部門の相田が話し掛けてきた。

「例の新しい肝疾患治療薬、君にまわされそうだぞ。」

「おい、勘弁してくれよ。もう2つも抱え込んでるんだぜ。」

「だめさ、どっちにしろボブは君にやらせるつもりだ。Ptdをうまくやりすぎたな。
もう一度御出馬願うってさ。」

「やれやれもう破綻だな。」

「一人でやっていないで、セクレタリを雇えよ。」

「一度外部の人間を雇ってひどい失敗をしたからな。」
「もう大昔の話じゃないか。」
「当人にはまだ昨日の話だよ。」
「じゃあ、内部から抜擢しろ。我々だって後進を育てなきゃならん。」
「検討しておく。」
「と言うと思ったんで、4,5人引っ張っておいた。10時から面接だ。いいな。」

「負けたよ。どこだ。」

「32F、第6会議室。これがDETA.。」

「手回しのいいやつだな。」

時計は10時を指しつつあった。

第6会議室には、テンポラリーの派遣スタッフと、先日の自己申告で内勤を志望した
メンバーのうち、相田のチェックを潜り抜けたものが集まっていた。

「ん?この子は…。」

それは紛れもなく、朝のちゃっかり娘だった。高村ツバサ。21歳。ドイツザクセン州…。
「めずらしいな、ドイツ系というのは。」
もともと国際都市である第3新東京Cityは、あらゆる国の人間が存在するが、欧州系の
人間は少ない。やはり多いのはコリア、チャイナ、ベトナム、フィリピン、タイ、インド、パキスタン、
ペルシアあたりのアジア系、これが日本人に対して2割近くを閉めるようになっている。
20世紀は圧倒的にコリア、チャイナが多かったそうだが、今はアジア系としては3分の1以下。
大陸・半島の経済成長が著しかったため、みな本国に帰ってしまったと言うことも大きな原因で
ある。ベトナム、タイなどはコンピューター教育に特化したため、世界の電脳労働人口の中では
圧倒的シェアを占める。
その次がアメリカ人である。彼らは、外資企業が日本にやってくるのと同時にやってきた人々と
個人的にJAPONISMに興味を持った人達である。極端な親日家も多い。
これらに比べて、欧州系の白人で日本で仕事を探すと言う人は極端に少ない。
もともと各国とも先端産業を抱えており日本までこなくても十分な仕事があるからだ。

「4番、高村ツバサさん、御入りください。」

「はい、失礼いたします。」

ドアを開けて高村ツバサが入ってきた。

「どうぞおかけください。略歴と、技能をどうぞ。」

「はい、ドイツユニバース、バイエル、ハイデルベルク、リーデルシュタットにて薬剤学および
医学レベル1〜3コースを終了後、…。」

正面に座った相田が対応するのを横から僕が観察採点するL型検定法で眺めている。
もっとキャピキャピした子だと思ったが、実に立派な態度だ。姿勢も、日本語も隙がない。
経歴も立派なものだ。21歳にて薬剤師免許と医師免許を取得している。語学も5カ国後を
習得している。秘書としてのキャリアと技能も文句がない。本来は秘書になる側ではなく
秘書を雇う側の人間だと思われるが何か事情があるのだろう。

「―以上で面接は終わりです。」

一礼して僕にも礼をしようとして、彼女はやっと気がついた。

「あ、今朝のおじさま…!」

「高村さん、君を雇うことにしよう。」

やられたな、つい声を掛けてしまったよ。この子には先天的に弱いのかもしれない。

「おい、いいのか、碇。」

「うん、彼女とならうまくやっていけそうだ。」

「ありがとうございます!」

「碇シンジ。PSMgr.だ。君を面接してたのが相田PSMgr.。私の同僚であり、友人だ。
これからよろしく頼む。」

「高村ツバサです。よろしくお願いします。今まで、ネルフドイツ法人に勤務していました。」

彼女のセクレタリとしての能力は素晴らしいものだったし、薬品会社幹部としての僕の業務遂行上
からも素晴らしいパートナーだった。その年の後半私は会社でのすべての時間を彼女とともに過ごした。
いくつかの薬品が僕のてもとを通過し、僕自身が導入から販売までのすべてを担当した薬品も軌道に
乗せることができた。

その年のクリスマス。恒例のもてないパーティーの季節がやってきた。この会社では独身でクリスマスに
誘う相手もいない人間が集まって盛大にパーティーをぶちかますと言うよき伝統が(恥さらしな伝統と言う
説もあるが)ある。売れ残り一掃バーゲンパーティーとも名づけられたこのパーティーで僕は常に主賓であり…。
緑と赤と黄色の電飾の中で、ツバサはよく笑い、よく食べ、マイクを持って、踊って歌いまくっていた。
20台の連中はみんな彼女の周りに集まって大いに盛り上がっている。30台40台のツバサファンも結構いる
ことを僕は知っていた。スポットライトを浴びると彼女の髪は明るい
栗色にかわって輝くようだ。
彼女の明るい声とにぎやかな天真爛漫さは、僕に懐かしい昔の恋人を思い起こさせる。
微笑ましい気持ちで、僕は彼女たちを眺めていた。

「碇、こうしてると、むかしのこと思い出さないか。」

汗をびっしょりかいた相田が戻ってきた。こういう時に我々の世代と若者の間で先頭に立って派手に
ぶち上げまわり、世代間のギャップなんてものを吹き飛ばしてくれるのはいつでも相田だ。
今も、はやりの激しいダンスを踊りきって、大歓声の中、戻ってきたところだ。

「ああ、懐かしいな。みんながいたころ。」

「ミサトさん、リツコさん、トウジ、委員長、レイ、加持さん…。」

「アスカ…。」

「ああそうだ。久しぶりに君の口からその名前を聞いたな。」

「アスカ…。僕の夢の、永遠の恋人さ。」

「夢の、か。碇、ほんとにそれだけでいいのか。」

「あの子は僕といてもきっと幸せにはなれなかったさ。いまはもう…。」

相田は、そこにあったブランデーを、グラスに注ぐと、一息にあおった。

「ブランデーは本当はこういう飲み方をするのがいいんだ。碇、もう時効だよな。」

「そうだな、あの頃のことは。」

「おまえ、アスカを抱いたことはなかったのか?」

僕の目の中で、みんなの手拍子の中、ツバサがくるくると回りながら、跳ねていた。

「一度だけ。一度だけね。彼女がドイツに帰る前の夜に一度だけ。」

「だが、とうとう僕は、彼女が待っていた言葉を言うことができなかった。」

僕の心は20年以上前のクリスマスの日に飛んだ。

「あなたは、私が必要?シンジ。」

「いつまでもいつまでも、私が必要?」

「あなたは私にどういう言葉をくれるの?」

レースのカーテン越しに赤や緑のクリスマスカラーが漏れてくる。
それが彼女の悲しい瞳に映る。


「抱いた、というんじゃないな…。彼女は僕に最後の贈り物をくれたんだ。こんなぼくに、
最後の贈り物を。僕は、恐かったんだ。アスカのあまりにも純粋な心を僕に縛りつけるのが。」

「結局、そうしておまえはアスカを必要とし続けてるんだろう。」

「そうだな。」

僕は自嘲した。

「結局僕は臆病者だったんだ。」

今なら言えるのに。

今だったら、あの子を絶対離しはしないのに。

「かけがえのない人生、かけがえのない恋人、そういう者をなくしてしまってからやっと気づくことが
なんて多いことか。僕は馬鹿だった。」

「それで、いまアスカに会ったら、なんて言えるの。」

「僕のすべてを投げ出しても、決して離しはしないと。アスカ、君こそが僕の人生のすべてだった、
そして、これからの人生のすべてだ、と。」
「その言葉、確かに聞いたわ。」
え?
僕の目の前に高村ツバサが座っていた。
ツバサは目に手をやってから顔を上げた。コンタクトレンズをはずしたそこには、透き通った高い空のような、
美しいブルーアイがあった。

ああ、
この空だ。
僕がいつでも望んでいた、見たこともないような透き通った高い空の青。

「碇。この子は、惚流・ツバサ・ラングレー。おまえの娘だよ。」

「ケンスケ…、おまえ。

「おまえは、有能なPSMgr.だけれどな、会社はもっとおまえに稼いで欲しがってるようだぜ。幸せになれよ。
もう良いだろう、贖罪の日々は。」

「パパ。ごめんね、ずっと黙ってて。」

突然現れた娘は私の首にしがみつくと、初めてのキスをくれた。

「ママ、待ってるわ。このホテルの最上階の部屋で。」

「ア、アスカが?」

ケンスケと、ツバサが肯く。

「ほらっ、さっさといかんかい!」

ケンスケの靴の跡が僕の背中についたと思う。

僕は走った。この20年間で初めて必死に走った。きらめくシャンデリアの大広間を抜け、飾り付けられた
大きなもみの木のあるラウンジの中央を思い切り横切って、綿だらけになって。
高速エレベーターに向かって階段やエレベーターを飛び降りた。

ドアを蹴やぶるような勢いで開く。
そこには、20年前と少しも変わらない、金色の髪の、見たこともないような透き通った高い空の青の瞳をした
女性が立っていた。
懐かしい、アスカの瞳。
僕の、命の色。
僕たちは、見詰め合ったまま、ぴくりとも動けなかった。
動けば、何もかもが身体中から溢れ出しそうだったから。

「アスカ。」

かすれた声が僕の喉から出た。

「シンジ。」

ほんのかすかな声。
でも、そのかすかな声が僕の全身に染み渡っていく。
この20年間、待ち望みつづけた、僕の命の泉から汲み出された声。

僕は2,3歩アスカに近づいた。そして。
アスカは僕の腕の中に飛び込んできた。

「アスカ、アスカ、アスカ、アスカ、アスカ。」

僕は彼女を抱きしめながら馬鹿みたいに何回も繰り返していた。
懐かしい、アスカの香りに僕は身体中を包まれた。
柔らかい金色の髪の手触り、細い腰。
でも、僕はアスカの顔を見たいと想いながら、どうしても涙を止めることができないでいた。

「シンジ、シンジ…。」

アスカが泣いている。鳴咽の響きが僕の身体に伝わる。
苦しいくらいに、僕の首にしがみつく
アスカの細い腕。無理矢理に目を開けるとぐしゃぐしゃになった視界の中で、アスカの青い目だけが
目印のように見えた。
アスカの後頭部に手を回すと僕は彼女の顔に唇をよせ、赤い唇に押し当ててむさぼるように吸った。
激しくそれに答えてくれるアスカ。

「アスカ、僕が馬鹿だった。
僕の命と引き換えでもいい、君に、僕といてほしいんだ。たのむ…。」

「シンジ、あなたのこと、ただの一日も忘れなかった。でも、こわかったの。あなたもまた、
わたしを、置いていっちゃうんじゃないかって。そのくらいなら、私は一人だけであなたとの
思い出を育てようと思ったの。」

「ごめんよ。君が一人でがんばっている間、僕は日本でうじうじしてたんだ。」

「ツバサが、何としても一緒に暮らせって…。」

「素晴らしい娘に育ててくれた。アスカ、ありがとう。」

その時、突然後ろから声が。

「僕のすべてを投げ出しても、決して離しはしない。アスカ、君こそが僕の人生のすべてだった、
そして、これからの人生のすべてだ、と、言ってくれないと、ママは渡さないわよ、パパ。」

「確かに言ったよな、碇。実はここに録音テープもある…、ふっふっふ。そして熱い抱擁シーン、10枚組み
今なら5万円だぁ。」

「あ、ケンスケっ、いい加減そのくせ止めろよなっ。」

僕は真っ赤になりながら、笑って言った。

「どうだ、俺からのクリスマスプレゼントは、碇。」

「どう、私からのプレゼントは、ママ。」

「悔しいが、最高だよ、ケンスケ。僕はもう決してアスカを離さない。」

「私もよ、ツバサ。もう決してパパと離れないわ。」

見る見るうちにツバサの、アスカと同じ色の瞳から涙があふれた。
「ママ。パパ。おめでとう。」
ケンスケは咳払いを一つ、二つすると、後ろを向いた。
「と、にかくだ。もう決してばか野郎な真似をするんじゃないぞ。周りがたまらんからな。」
そして、

「俺は会場の方へ戻る。じゃな。」

その背中にアスカが声を掛ける。

「ケンスケ君、ありがとう。ほんとに、ありがとう。」

ケンスケは両手を半分挙げると、ステップを踏みながらエレベーターホールへ消えた。

僕は、アスカとツバサを、いつまでも抱きしめていた。
ありがとう!何に向かって言っているのか分からないけれど、ありがとう。と繰り返していた。


次の日の朝は、関東特有の、雲一つない真っ青な、どこまでもどこまでも澄み切った青い空が広がっていた。
たたくと、キン、と音がしそうな青い空。

そんな、見たこともないような青い空の下を、3人で歩いた。
手をつないで歩いた。
どこまでも、どこまでも。










見たこともない青い空。<こめどころ>




旧サイトのあとがき

こめどころさん。凄い作品をどうもありがとうございます。

たった一つの歯車が大きくずれた事を直す。

それは何も世界全体を動かす様な大きな事でなくたって良い。

日常にある事・・・・

周りから見れば小さな事かも知れないけど、当事者にとって人生を左右する事かもしれない・・

小さな歯車が扇子の要になるのだと、この作品を読ませて頂きまして僕が感じた感想です。

 

20年・・・・長いですよね・・・

僕の生きてきた8割ですよ。同じ状況に立ったら僕ならどうだろう・・・?

シンジと同じように思い続けるか、諦めてしまうか、判らない・・・・・

でも、本当に想った相手だからこそ何年でも思い続ける事が出来るのだろうな・・・・凄く考えさせられる素晴らしい作品でした。

 

 

こんな素晴らしい作品を投稿してくださったこめどころさんに、感想・・・・送りましょうよ。

文字の上でなら簡単だよなんて思わないで、自分がその立場に立ったらどうするのかちょっと考えてみるのも良いかもしれませんよ。

  

こめどころさんへのメールはこちらか、掲示板にお願いします。

 

自分なりに、深く考えてしまいました。

 

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