ベリー・ショート・ストーリーズU


アイハブノーアイディア


rinker




 アスカと寝るたび、彼女は僕の耳元で「愛している」と囁いた。
 愛って何だろう、と僕はいつも思っていた。





 朝のニュースで老齢の気象予報士が桜前線を伝えていた時代を懐かしむ発言をするのを聞き、そんなものかと特別な感慨もなく僕はマグカップの底に残ってい る冷めかけたコーヒーを飲み干した。今日は暑い日だ。といってももちろん、セカンドインパクト後世代の僕は暑くない日というのを経験したことはない。僕に とって桜はハウス栽 培される高級品種でしかなく、感慨など湧きようもなかった。
 薄いひげを丁寧に剃刀で剃り、洗い流してアフターシェーブローションをつける。髪の毛はワックスで軽く癖をつける。シャツのボタンはきちんと留める。無 精にするのは僕にとってもアスカにとっても好みではない。アスカにとっても、とわざわざ付け足すのは、彼女が僕の身の回りの物事について発言権を持ってい るからだ。こちらとしては完全に承服しているというわけでもないのだけど、とりあえずは現状を受け入れている。何といっても、僕は彼女と寝ているからだ。
 僕たちの関係がこうなったきっかけだとか、あるいはそもそもの始まりが何だったのかとか、そういうことを説明し始めると恐ろしく時間が掛かるし、ひどく 疲れる作業なのでしない。ようするに少年と少女が二人で一緒に行動している場合に行き着くべき順当な状況というのがあって、御多分に洩れず僕たちもそう なったというだけのことだ。僕は女の子に興味があったし、アスカは男の子に興味があった。僕たちは互いに一番身近な異性で、手を伸ばせばいつでも相手に触 れる位置にいた。そして、実行した。それだけのことだ。
 エヴァンゲリオンパイロットではなくなったことで特別な変化は訪れなかった。相変わらず世界は僕に対して、十代半ばの子どもに押し付けるべき義務と責任 と自由を突きつけるだけだった。エヴァンゲリオンに乗っていた時はそれに周りの大人の個人的な要求が加わっていただけだ。もちろん、それを拒否することも できたのだけど、僕はそうしなかった。結果については僕にそういった要求をしていた大人たちが勝手にすればいいけど、僕としては不器用なりにまずまずの成 果を挙げていたのではないかと思う。まあ、いいさ。どうせ過ぎたことだ。
 僕は自転車で私立高校に通っていて、勉強したり、クラスの友達とボウリングに行ったり、同い年のガールフレンドとデートしたり寝たりする。ようするに、 どこにでもいるごく普通の十七歳だ。

「おはよう、シンジ」

 声を掛けられ、振り返るまでもなく鏡に映った姿を認めた僕はアスカに挨拶を返した。

「おはよう。すごい寝癖だね」

 ライオンみたいな頭になった彼女は憎たらしそうに僕を睨んで言った。

「どうしてあたしを起こしてくれなかったのか、言い訳があれば聞かせてちょうだい」

「起こそうとはしたよ。五回はね。でも、きみは起きなかった」

「キスしてくれた?」

「いいや」

「だからよ」

 まったく理解不能なことを言って、彼女はバスルームの中へ消えた。やれやれ、と僕が首を振ると、バスルームの扉が少し開き、まるで蛇の舌のように伸びた 腕の先から彼女の寝巻きと下着が吐き出され、腕が吸い込まれるのと同時に再び閉まった。僕はもう一度首を振った。





 僕とアスカは一緒に暮らしているのではなく、きちんとそれぞれの家がある。でも、一週間のうち大抵一日か二日はどちらかの家で一緒に過ごす。もともとパ イロット時代に一緒に暮らしていたせいもあって、僕たちは生活をともにすることにほとんど抵抗を抱かなかったけど、一方で気ままな一人暮らしもしてみたい と思っていた。僕の両親はすでにおらず、彼女の両親はドイツにいるので、完全な二人暮らしをしようと思えばできるだろう。でも、こういう形に収まっている 現 状が案外気に入っている。
 高校に通っているのは僕だけだ。彼女は市内の大学院の研究室に所属している。十三歳でドイツの大学を卒業したアスカにとっては、日本 の高校に通うのは無意味という以上に苦痛だったのだろう。ちなみにドイツの大学教育は一般に日本の大学院でのそれに相当する。つまり、彼女は相当な秀才と いうことだ。今も研究室では将来を嘱望されているらしい。らしいというのは、彼女があまり研究室での話をしないからだ。彼女はどうやら僕がまるで話につい ていけないらしいと悟るやその手の話題を持ち出すのをやめてしまった。もっとも、僕は別に構わないと考えている。フェルマーの最終定理の証明ができなけ れば彼女の相手ができないというわけじゃない。彼女の乳房の形状が知りたければブラジャーを外して触れば済む話だ。そうだろう?
 高校三年生の四月は快い緊張感とともに過ぎ、五月は風とともに去り、六月に僕は十八歳になった。
 誕生日を迎えたからといって前日までの自分と何か変わったことがあるわけではない。ただ他人に自己紹介する時に「十七歳です」と言うのが「十八歳です」 に変わるだけだ。
 しかし、アスカはそうは考えなかったらしい。彼女は一ヶ月も前から誕生日には予定を空けておくように僕にきつく厳命していた。学校が終わって家に帰り、 三時間ほど待っているとアスカがやって来た。彼女は手に色んな荷物を持っていた。上に取っ手のついた真四角の大きな白い箱にはイチゴと砂糖でできたプレー トが乗ったホールケーキが入っていた。プレートにはへなへなしたチョコレート文字で「誕生日おめでとう あたしのシンジ」と書かれていた。ケーキは手作り で、クリーム の塗り方が下手だったりするところが何となく愛嬌がある。スポンジがぼさぼさしているしクリームが硬くて甘すぎるのも手作りならではだ。大胆なお祝いメッ セージ入りの砂糖のプレートは強制的に食べさせられた。もっとも、さすがのアスカもケーキ屋の店員にこの言葉を注文する勇気はないだろうから、手作りにも いいところはあるということだ。もちろん、とても美味しかったのは言うまでもない。
 山ほど買い込んだ材料を使って、アスカは五人前くらいの美味しそうな料理を作った。食べてみると、実際に美味しかった。作る最中にぎゃあぎゃあ騒いでい たことや量が多すぎること、僕の鍋を一つ焦がしたことを差し引いても、彼女の料理はなかなかだった。それから彼女はプレゼントにいい感じの黒いポロシャツ をくれた。サイズがぴったりだったのでそう伝えると、彼女は頭の先からスタートして僕の上で視線を一周させると「当たり前でしょ」と言って頬を赤くした。 なるほど確かにそれもそうだ、と僕は思った。
 それから僕たちは時間をかけてセックスをした。甘く喘ぐ彼女の中を僕は何度も往復した。差し迫ってくると彼女のさえずりは大きくなり、時折混じる言葉も 彼女自身ほとんど意識せずに口走っているかに見えた。
 僕の下になった彼女の潤んだ瞳はじっとこちらを見上げていた。それは片時も目を離すまいとしているかのような不思議な懸命さを感じさせる眼差しだった。 一体何を見つめているのだろう、と僕は腰を動かしながら切れ切れに考えていた。もちろん、僕を見つめているのだということは分かっている。ただ、なぜこん なにも一心になっているのか、ということだ。彼女の眼差しを見ていると、僕の胸の中で不思議な泡みたいなものが震えながら膨らんでいくような気がした。
 真っ赤になった顔や首筋に血管が浮き上がって、いよいよ彼女は限界を訴え始めていた。「シンジ、シンジ、シンジ」と彼女はほとんど泣き叫んだ。

「愛してるわ」

 僕のほうも限界だった。喘ぎ声とともに彼女の名を呼びながら、ゴム越しに彼女の中で射精した。行為が終わった後に必ず口付けを欲しがっていると経験から 知る僕がそのようにすると、口を離してから息を整えるように唾を飲み込んだアスカがもう一度「愛してる」と言った。
 次第に静かに落ち着いていく彼女の呼吸を聴きながら、彼女のかたわらで眠りに落ちるまで僕の頭の片隅にはいつもの疑問が落ちない染みみたいにこびり付い ていた。





 六月は雨の月だ。昔の梅雨とちょうど時期が重なるけれど、現在はもう梅雨とは呼ばない。熱帯的な荒々しさのある雨はおよそひと月ほど続き、あらゆるもの を洗い流して過ぎ去ったあとに、本物の夏が来る。この国は太陽に支配される。
 そういう季節が巡ってくる少し前のことだ。長雨の合間に気紛れのように空が晴れ上がった休日を選んで、午前中から僕は出かけた。あらかじめ買っておい た荷物をすべてナップザックに詰め、ニューヨークヤンキースのキャップを被り、ニューバランスM1400の紐を硬く締め直し、ブリヂストンのスポーツバイ クに跨って目的地へ走った。
 道のりにはおよそ二時間かかった。いくつもの道路を横切って市街地を抜け、やがて街を取り囲む山麓に沿うように敷かれた道路へ出るとそこを走り続け、途 中で川にかかる大きな橋を通ると、今度は折れ曲がって山裾を登っていった。車一台がやっと通れるというような細い道をジグザグ蛇行しながら上がっていく。 張りつめたももは痛みに悲鳴を上げ、それでも僕はサドルから腰を上げてペダルを漕ぎ続けた。やがて舗装路が途切れ、砂地の剥き出しになった道へ入り込ん だ。そもそもは山の斜面を削って作られた田んぼを行き来する用途で作られたものだろう。僕は滝のような汗を流していた。時折休んで水分を補給するはしから それは汗となって僕の外へ流れ出た。まるで自分がペダルを漕いで働く濾過器になってしまったような気がした。その機構の単純明快さを少し素敵だと僕は思っ た。
 そして唐突に僕の道のりは終わりを告げた。急な坂になっている道の途中の山肌にへばりつくように作られた小さな墓地の脇で僕は自転車を停めた。六分儀家 の血縁が眠る 場所だ。ここに僕の父さんが葬られている。
 墓地の隅にある一番新しい墓の前に立ち、僕は「久しぶり、父さん」と心の中で思った。今年も六月になって僕は十八歳になり、また父さんの命日が訪れた。 父さんが死んでから三年だ。三年というのは決して短い月日ではない。僕自身の身の回りも色々と変化した。でも、そういった伝えたい事柄を言葉にすることは しなかった。石の柱に向かって声に出して話しかけるほど僕には芝居っけはない。あくまで僕たちの間には葉擦れのさわさわという音とけたたましいセミの合唱 があるのみだった。
 背負っていたナップザックを降ろし、墓に水をかけて軽く掃除し、水を換えた花立に新しい花を活ける。供え物の菓子を袋のまま置き、一緒にキリンビールの 缶 とマ イルドセブンを並べ、灯篭に火を点した蝋燭を立て、線香に火を点して供える。そして墓の正面に立って帽子を脱ぎ、目を閉じて合掌する。
 それが終わると、帽子を被り直した僕はその場で地面に直接腰を下ろした。胡坐をかくと、二時間近い重労働に疲れ切った両脚がほっ とため息を吐くのが分かった。
 僕は父さんの墓に供えたのと一緒に買った缶ビールのプルタブを開け、一気に半分ほど飲んだ。特別にアルコールが好きというわけじゃないけど、初め て飲むわけではないし、強烈な太陽に照らされて今も汗を流し続けている僕の身体にはこたえられない味だった。満足のため息を大きく吐き出した僕は汗でべっ たりと濡れて肌に張り付いたTシャツを脱いだ。同じように濡れたハーフパンツとトランクスもいっそ脱ぎ捨ててやりたかったけど、完全に人目がない保証はな かったのでTシャツだけで妥協することにした。裸になった胸や背を汗の雫が次々に流れ落ちていく。肌を直接焼く太陽の光が心地よかった。
 次に僕は煙草を取り出し、安っぽい百円ライターで火を点けて吸った。父さんのと同じ銘柄だ。僕は父さんが煙草を吸っていたことを亡くなるまでまったく知 らなかった。僕が譲り受けた父さんの遺品の中に封が開けられ中身が半分ほどなくなったマイルドセブンの箱と安物のライターがいくつかあった。僕が初めて 吸った煙草は父さんが残した湿気たマイルドセブンで、今使っているライターも父さんのものだ。形見としては味気ないかもしれない。でも、僕は自分でライ ターを買う気にはなれなかった。実際のところ、ガスがなくなるまで使ってやらなければもったいない気もした。たとえ百円のちゃちなライターであっても。
 紫味を帯びた濃い煙が僕の口と鼻からエクトプラズムみたいに吐き出されて、ゆらゆらと上昇しながら風にたなびいて散らされていった。線香と煙草の香ばし い匂い と混ざってきつい草いきれがつんと鼻をつく。多雨期でも数時間の太陽であっという間に乾き切ってしまう地面からは青々とした草がほうぼうに生え、その間を バッタが盛んに跳ね回っていた。そのうちの 一匹を僕は捕まえて観察した。食糧としている草と同じ青々とした体色のトノサマバッタは僕の巨大な指の間に挟まれてもがいていた。たくましい後肢が拘束か ら逃れようと盛んに動く。顔は大方が発達したあごと一対の眼で占められていて、短い触角が伸びている。
 この丸い眼には僕という巨人がどのように映っているのだろう? あるいは僕たち人間が山を眺めるように、広大な自然の一部としか見えていないのかもしれ ない。山だって時には動く。それに巻き込まれることもある。きっとそれと同じような感覚だ。
 手を緩めると、バッタは慌てたように飛び出して地面に着地し、急いで僕から離れていった。でも、三度も飛び跳ねたらもう先ほどまでの災難のことはすっか り忘れてしまったみたいな顔で、のん気に草の間をぴょんぴょんやり始めた。その様子を一分も眺めていると、僕はもう周りのバッタとの区別がつかなくなって いた。
 三十分ほどそうして父さんの墓の前で過ごし、そのあと灯篭の火を消して荷物をまとめてTシャツを着込むと、僕は近くにある親戚の家を訪ねた。六分儀の家 系で、山の墓地の 所有者だ。僕に代わって父さんの墓の管理もしてくれている。その礼を込めて、墓参りのあとには必ず立ち寄ることにしていた。
 六分儀家はこの辺りの田畑と山を持っている農家で、昔ながらの農村によくある伝統的な造りの古い日本家屋が山と田の隙間に挟まれるように建っている。六 十近い六分儀家の主人は父さんのいとこに当たり、娘夫婦と一緒に二世帯で暮らしている。
 僕が訪問すると、縁側から障子を開け放っていて風通しのよい居間に通された。そこには主人であるおじさんが股引にランニングシャツという姿で座布団の上 に立膝で座り、団扇を仰いでいた。

「お久しぶりです、おじさん」

「おお、シンジちゃん。よう来たな。いらっしゃい。墓に参ってきたあとか」

「はい。いつもおじさんにはお墓のことでお世話になって」

「何をそんなの気にすることあらへん。まあ、ええから座ってや。座布団出すから。お母ちゃん、シンジちゃんに麦茶出してあげてな。ああ、シンジちゃんは 座って座って。外は暑かったやろ。扇風機強くしよか。ほんまにご苦労さんやなぁ、こんな山奥まで。シンジちゃんは今年三年生か。えらい立派になってなぁ。 お父さんも安心しとるわ」

 本当に父さんの血縁かと疑うほど口数の多いおじさんの話に付き合っていると、おじさんの奥さんがグラスに冷たい麦茶を出してくれた。休日ということで娘 夫婦も在宅していて、居間にはすぐに全員が集まってきた。三年前に始めたこの親戚同士の交流にはいまだに戸惑い、どうしていいか分からなくなることがあ る。
 父さんとおじさんは子どものころは結構付き合いもあって仲がよかったらしい。でも、ちょうど父さんが結婚する何年か前からすっかり音沙汰がなくなってい た。つまり、母さんがその原因だろうと僕は想像したけど、今となってはどうでもいいことだ。結局は父さんも母さんもいなくなり、僕だけが残った。六分儀の おじさんたちは父さんの面影を残す僕を親類の一人として扱うことに決めたようだった。
 しばらく他愛ない会話をしていると、娘夫婦の子どもが僕のほうへ寄ってきた。まだ一歳の男の子だ。彼は覚束ない足取りでふらふらとこちらへ来ると、胡坐 をかく僕の膝に手をついて身体を支え、機嫌のいい笑顔をこちらに向けた。臆することなく覗き込んでくる瞳を受け止めて、僕は何と言っていいか分からず、言 葉を探す代わりに彼の小さな太った手を取った。僕に手を取られて彼は何度か屈伸を繰り返し、楽しくてたまらないという風に笑い声を喉から弾かせて尻餅 をついた。

「お兄ちゃんのことが大好きなのね」

 おじさんの娘が赤ん坊と僕のやり取りを見ていかにも微笑ましそうに言った。僕は相変わらず言うべき言葉を見つけられず、遠慮など持たずこちらに触れてく る 小さな生き物を恐る恐る扱いながら、自分でも正体の分からない笑みを浮かべ続けていた。





 行為が終わったあと衣服を身に着けることもせず、僕とアスカは裸のままベッドに身体を横たえていた。彼女は僕に寄り添って肩に頭を預け、僕は彼女の柔ら かい髪を何となしに指でもてあそんでいた。
 肌が触れ合っている箇所がとても温かい。お互いに触れ合うことをためらわなくなったのは一体いつからだろう、と僕は思い出そうとしていた。少なくとも初 めて彼女と寝た時はこうじゃなかった。じゃあ、二度目から? それとも五度目? 僕はため息を吐き出してかぶりを振った。

「また難しいこと考えてるんじゃないの?」

 アスカが僕の身体に腕を巻きつけながら言った。彼女の乳房や腹や脚やその他の触れ合っている部分の温かさや柔らかさを感じながら、やはり思い出せそうに ないと僕は考えた。

「バッタ世界における人間の存在の意義について考えてた」

「はぁ? なぁによ、それ。やめてよ。あたしが虫嫌いなの、知ってるでしょ」

 想像して気持ちが悪くなったのか、アスカが額を僕の胸にごりごりと押し付けた。

「じゃあ、アスカの胸のことを考えてた」

「あたしの胸?」

「そう。きみの胸」

 今度はアスカはおかしそうに含み笑いした。

「ふぅぅーん。ぜひ聞かせてもらいたいわ。あたしの胸についてどんなことを考えてたか、包み隠さず省略もせずに教えてちょうだい」

 彼女はくすくす笑いながら、わざとらしく自分の胸を僕の身体にこすりつけて言った。僕は何と答えようか迷って、実際に彼女の乳房について考えた。例えば その膨らみの柔らかさとか形の素晴らしさ。あるいは輝くような白さや浮き出した青い静脈のいやらしさ。あるいは薄い色の乳首の慎ましやかな様子や、そこを そっと噛んだ時の彼女の反応の可愛らしさ。そういうことを隠さずに全部伝えてみたとしたら、きっと面白いことになったかもしれない。でも、僕が実際に口に したのは、まったく違うことだった。

「ねえ、アスカ。愛って何?」

 僕は頭を持ち上げてアスカを見た。彼女のくすくす笑いは僕の質問を聞いて戸惑いを含んだ表情に変わった。

「愛?」

 眉の間に困惑を漂わせながら、彼女は短く訊き返した。

「愛って何?」

 もう一度僕は繰り返した。
 馴染み深い疑問は実際に口に出してみると恐ろしいほどシンプルで難しい問題に思えた。アスカはいつも僕に向かって愛していると言う。安っぽいペーパー バックはいつも愛の話題で持ち切りだ。ニール・ヤングやエアロスミスやレディオヘッドも、もちろんジョン・レノンも愛について歌っている。聖書には神は愛 だと書かれている。
 でも、それじゃあ結局愛って何なんだ? 世界中にこんなにも愛という言葉が溢れているのに僕は自分を納得させてくれる何かを探していた。
 アスカはふうーっ、と大きなため息を吐き出して、身体を起こして僕の上に覆いかぶさった。彼女の長い髪がまるで天幕のように世界から僕たちを切り取っ た。

「何を悩んでるのかと思えば、まったく」

「呆れた?」

「呆れたわ」

「でも、愛は目に見えないじゃないか」

 僕が反論すると、彼女はやれやれという顔をして軽く首を振った。

「仕方がないわね。あたしの可愛いお馬鹿さん。教えてあげるからよぉく聴きなさいよ」

 そして、彼女はぐっと僕に顔を近づけて、その湖みたいな瞳でまっすぐに見つめてきた。行為の最中に彼女がよく見せる眼差しと同じだった。振り 返ってみれば、行為の最中以外でも彼女がしばしば同じ眼差しでこちらを見ていることがあることに僕はふいに気づいた。

「シンジ。あたしの目を見て」

「見てる」

 彼女の青く澄んだ瞳の中には僕の顔が映っていた。ただそれだけが映っていた。

「何が見える?」

「僕がいる」

 僕が答えると、アスカの目元が柔らかく綻んだ。

「それよ」

 ただ二人だけに切り取られた天幕の中で、彼女は世界で一番大切な秘密を打ち明けるように言った。喜びと誇りに震える声で言った。

「あんたが今見ているものが、あたしの愛よ」

 僕が見上げるアスカの表情はたとえようもなく優しく満ち足りていた。それは僕の一番好きな彼女の表情だった。いつからそう思っていたかなんてどうでもよ くなるくらいに、彼女のこの表情を見ると胸の中が不思議なもので満たされるのが分かった。
 そして、唐突に僕は理解した。彼女にこんな表情をさせているのも、僕の胸の中が不思議な感触で震えるのも、すべてそうなんだということが。
 彼女の右手が僕の頬を優しく撫でた。その華奢な手に僕の手を重ね、それから彼女の長い髪を掬い上げて天幕を開くと、僕たちは再び世界に帰ってき た。

「キスしたい」

 僕が言うと、彼女は唇の端を持ち上げた。

「キスだけでいいの?」

「それはキスのあとに考えよう」

 くすくすと彼女は笑った。僕は笑う彼女をじっと見つめていた。僕たちはじっと見つめ合っていた。

「その前にちゃんと聞かせて」

 自分の口元が綻んでいるのが分かった。胸の中の不思議な泡みたいなものが言葉になって出てこようと僕の歯の裏側から盛んにせっついていた。

「愛してるよ」

 言ったと同時に始まった長い長い口づけがようやく終わると、アスカは何度か僕の額に自分のをこつこつと打ち合わせてから、赤くなった顔で早口に言った。

「もうずっと前から分かってたわよ。バカ」















<ところできみはどこでそれを知ったの?>

<あんたが教えてくれたのよ>



エロス上等(あとがき)


 最後までお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

  頭にある「ベリー・ショート・ストーリーズ」という表記は、書いている私のためですので、お読み下さる皆様はお気になさらずとも結構ですが、一応説明致し ますと、

1.できるだけスリムに
2.細かいところはこだわらない
3.でも読みやすく
4.お話の形式は維持する
5.ジャンルフリー

 という意図の下に書いてみようじゃないかという試みを表したものです。
 実際にこのお話は最近の私の傾向からすれば、画期的に短くなっています。実感としては、とても楽でした。時間もそれほど掛かってはいません。
 ジャンルフリーですので、LASのこともありますが、そうでないこともあるかと思います。LASでない=LRS(または他のカップリング)という意味で は必ずしもありませんが、いつもシンジとアスカを中心に書くとは限らないという程度の意味です。
 「U」となっているのですが、「T」は現時点で書きかけです。また、いつまで続くものか分かりませんので、「V」以降ができるかどうかは不明です。それ から、お話同士の繋がりはあったりなかったりでしょうが、基本的にはないでしょう。少なくとも「T」と「U」はまったく別のお話です。

 ということで、「何か変なことやってるな」くらいの認識を持って頂ければそれでよろしいかと思います。


 それから、頂いたメールについて、少し気になることがあります。
 私のお話にもわずかながらご感想を下さる方がいらして、そのことは大変に感謝致しております。そして、頂いたご感想には必ずお返事をさせて頂いているの ですが、以前から、まれに携帯から送信されたメールで本文がまったく空白のものがございます。
 果たしてただの迷惑メールなのか、それとも何らかの原因で本文が消えてしまったのか、あるいはウェブ拍手を空で送信するのと同じ感覚でいらっしゃるの か、私には判断がつきかねるのですが、素性が不明のため、当然にお返事を差し上げることはできません。
 その他にも、迷惑メールに紛れてせっかく頂いたものを削除してしまった場合もあるかもしれません。
 また、一年以上前のことですが、同じく携帯からご感想下さった方へのお返事が原因は不明ですが届かずに戻ってきてしまったこともありました。
 もしも、ご感想を下さったのに私から何のお返事も差し上げていなかったということがございましたら、よろしければお心当たりの方はお教え頂けたらと思い ます。

 このようなことを書くことで感想の催促をしていると受け取られてしまうと心苦しいのですが、どうしても気がかりでしたので、ご容赦願います。


 では、あまりお話とは関係のないあとがきでしたが、失礼致します。
 改めて、お読み下さった皆様。掲載して下さった霧島愛様、こめどころ様。
 ありがとうございました。

 rinker

 
 それから、未成年の方の飲酒、喫煙は法律で禁止されている以前に、成長途上の身体に悪影響を及ぼしますので、駄目ですよ。身体は大切にしましょうね。

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