「なあ、アスカ、今日も隣にいくのか?」
「レイを着替えさせられるの、アタシしかいないんだからしょうがないじゃない。シンジのママが生きていたら別だけど」
「気づいていたのか?」
「シンジは気づいてないみたいだけどね。アタシは憶えているもの。レイ、シンジのママにそっくりだもの。生きてたら、それこそ親子ね」
「シンジくんに言うとしても慎重にしたほうがいいな」
「そうね。じゃ、行って来ます」
「いや、私は、何もそう毎日行かなくてもと・・・・・・行ってしまったか」
惣流氏は伸ばしかけた手を下ろした。
「母親似の女性が恋敵か・・・・・・どうころぶかな」
その頃、碇ゲンドウは綾波レイを見下ろし、レイはゲンドウを見上げ、見詰め合っていた。
「私を拒絶するつもりか」
レイは表情を変えないまま、無言でゲンドウを見つめ続ける。
「・・・・・・待て、待ってくれ、レイ」
「ただいま。何やってんの、父さん」
「おそいぞ。早く手伝え」
「うん。ごめん。かばん下ろしてくるからちょっと待って」
「婦人服の碇」、クリスマスセールが終われば、今度は歳末セールである。
「レイたちのサンタ帽とサンタ服を早く脱がせたいのだ、アスカ君はまだなのか」
今のレイの姿は、サンタ帽をかぶり、サンタ風のワンピースといういでたちで、ミニスカートの下からのびる足が雪のように白い。肩ごしに小さな袋を背負った姿である。着付けをしたのはアスカだが、その際、レイに白いひげをつけさせるかいなかで、ゲンドウとアスカの意見は最後まで合わなかった。
「私では拒絶された。アスカ君が来るのを待ってくれと言っていたのだがな」
「じき来るって言ってたよ」
「ならば問題ない」
「それより、父さん、もう赤鼻のトナカイの仮装は止めたら?」
「ミサトやリツコたちを着替えさせてからだ。楽しみは後に取っておくほうでな」
「マヤさんたちは?」
「もう終わった。第一、マヤはお前とは歳が近すぎる。まだ早い。キョウコ君の着替えをさせたいのなら、もっと早く帰れ」
「何考えてんだよ」
と、話題に出ている当のアスカは、店を覗き込んでいる怪しげなロボットのために中に入れないでいた。
「ちょっと、どきなさいよ」
おかしなものはこの店で見慣れているせいではない。このロボットとは既に面識があるためである。時田シロウの手になる人の作りしモノ、Jet AloneことJAであった。
「なに覗き込んでんのよ。うちに何か用?」
アスカに振り返るJA。アスカよりは長身で、人間でいうと顔に当たる部位が本当に顔だとすると、そこから見下ろされる形になる。たぶん顔と同じ位置づけなのだろう。そこに目がついているかのように覗き込む姿勢をとっていたのだから。
そう言えば、こいつがしゃべっているところみたことないわね。しゃべれないなら、せめてどかせなきゃ。
「用があるにせよ、ないにせよ、そこどいてちょうだい。アタシが入れないじゃないの」
その瞬間、JAの胸のスレートが両横にずれ、モニターが現れると、そこにどこかで見たことがあるような気もするがまったく今まで出会ったことのない少女があらわれた。
『ちょっと〜、ずいぶん、失礼な言い方じゃない、アスカ〜?』
「だ、誰よ、アンタ」
JAのスピーカーから響いてきた、身近に声を聞いたことがある人物と同じ声をした声優が別の人物を演じているかのような声と、JAの姿との不釣合いさに違和感を覚えるアスカ。なにせ、画面の中の少女はまるで「メッ」をするような角度でアスカを見下ろし、指をチッチッチッと振っているが、JAも片方の手の甲を腰に当てて、全体的に女子中学生的な科を感じさせるポーズでチッチッチッと指を振っているのである。
『霧島マナで〜っす』
画面の中でクルクル回りながら自己紹介をするマナ。JA本体も両手を挙げて同じポーズをとっている。
『よかった、アスカが来てくれて。ドアあけてくれない? 私の腕力だと、まだ力の調整がうまくいかなくて壊しちゃうかもしれないから』
「あんた、店に入る気?」
『もちろん!』
「何やってるんだよ、アスカ」
アスカが時田シロウの作ったロボットと騒いでいる、そんな表の様子に気づき、ガラス戸にシンジが近づいてきて、内側から引き戸を開いた。それと同時にJAは、クルリと身を翻してシンジに振り返る。しなやかさえ感じさせるその動きと鋼鉄のボディのミスマッチに、シンジの認知が一瞬ゆらいだ隙をついて
『こんにちは、碇くん!』
「こ、こんにちは」
まったく想定外の事態であるにも拘らずあいさつを返せたのは育ちのよさか、それとチェーンソーで襲い掛かってきた怪人にも会釈をされたら反射的に会釈を返してしまうほどの大ボケなのか。とにかく、想定外の事態であるがゆえに、身についた反射でのみ行動してしまったシンジの唖然とした顔をどう誤解したのかJAは、シンジの額をチョンチョンと指でつつく。さきほど言っていたように力の調整に不十分なところがあるのか、シンジの頭がデコピンをされたように揺れ動く。
『ふふ。照れてる。かわいい〜』
いや、照れてないから、驚いてるだけだから。
『発表します。私、霧島マナは、今朝6時に起きて碇シンジ君のために、この制服を着てきました』
先ほどまではバストアップだったのがロングになった画面の中で、再びクルクル回るマナ。確かに制服を着ている。しかし、それは
「看護師・・・・・・?」
『いやん、間違えた』
服のCGがすぐさま別のものに変わる。
「へえ、便利なんだ・・・・・・で、スチュワーデス?」
『ちょ、ちょっと待って』
婦警、OL、戦略自衛官、バスガイド、ライフセイバー、鉄道職員、消防団員、祭り装束、ネルフの制服、銀行員、水防団員、巫女、袈裟、修道服、海防団員、郵便配達、メイド、フットマン、エレベーターガール、ガールスカウト、宅配便などなど、途中制服と言っていいか怪しいものがあったが、数々の服装を経た末にやっと学校の制服にたどり着いた。が、
「それ、男子用だよ」
『うわー。えーと、えーと、えーと、そうだ! アスカ、格好見せて!』
グリッと首(なのか?)だけ回転させて、アスカをロックオンするJA。瞬間的に硬直するアスカ。
『これでどう?』
「あー、うん、女子の制服だ、け、ど・・・・・・」
少し胸の生地が余っていた。
「何をやっとるんだ、二人とも。天下の往来だぞ、騒ぐなら中に入ってからだ」
『こんにちは、お父様。霧島マナです』
さりげなく、CGの胸の部分を修正しながら(服に中身を合わせたのではなく、中身に服を合わせた。どうも、体の設定はいじれないらしい)、マナはぺこりとお辞儀をしてあいさつした。JAも画面がゲンドウに見える角度を保てる限り、状態を前傾させる。
ゲンドウは、自分にあいさつしてきたロボットに目を向けて、それがJAであることを確認した上で、モニターの中の少女に視線を合わせた。
「・・・・・・冬月先生か」
『分かります?』
「うむ。2004年頃、今の活動を始められた最初期のデザインに近いと見受ける」
『そこまで・・・・・・お流石ですね。ですが、私は、強いて言えば原画は冬月先生ですが、作画は時田博士です』
「なるほど、つまり、君はお二人の和解の象徴なのだな」
『さあ・・・・・・私は私ですから』
画面の中、マナの背景を鉄腕アトムとフランケンシュタインが通り過ぎていく。
「これは失礼した。さあ、中へ、君の姉妹に会わせよう。姉になるのか、妹になるのかは分からないが」
『はじめまして、なのかな・・・・・・』
サンタ服姿のレイと対面するJA・マナ。
『ねえ、大事にしてもらってる?・・・・・・うん、最初から分かってた。私もだよ』
マナはうれしそうな顔になる。
『その服に合ってるわね。私にも着させて』
マナの制服がレイのものとまったく同じミニのワンピースサンタにサンタになる。
『とと、すそが短かったか』
画面に映っていない下方を見下ろしながらマナはつぶやく。シンジは一瞬想像してしまった。
「何考えてんのよ」
思いっきりブスっとした顔と声で、なじってくるアスカにシンジはあわてて顔を引き締める。ゲンドウはいつも通りのポーカーフェースだったが、内心では何を考えているやら・・・・・・
『これでよし。どう? 似合う?』
ロングでマナの全身が映ったが、JA・マナの視線はシンジにではなく、アスカに向かっていた。
「似合ってるよ。レイと同じ感じで、よく服の魅力が出てる」
自分がほめられたのかどうか、ちょっと微妙な言い方に、マナは少々ずっこけそうになったが、アスカへの対抗上、どんなもんだいという表情を作って見せる。全国模試でも上位者の常連でありながら、碇シンジに関することとなると極端に頭脳が単純化するこの少女は、その稚拙な挑発に乗った。
「ふん」
対抗意識むき出しのまま、アスカはゲンドウに向き直った。
「おじさま、もう一着ありますか」
「フッ」
ゲンドウは眼鏡を直しながら答えた。
「問題ない」
眼鏡を直すためにブリッジに中指を当てたその手のひらの影で、ニヤリと片頬をあげて邪悪な笑みを漏らしたのを実の息子だけは目撃した!
「待っている間、ケーキでも食べたまえ。クリスマスの残りで悪いが、まだ味は落ちていないはずだ」
『ありがとうございます』
JAが画像を記録すると、モニターの中にゲンドウが切ってくれたケーキの画像が現れた。
『いただきまーす・・・・・・おいしい!』
複雑な気分になりながらシンジはクリスマスパーティを思い出す。ゲンドウと二人で手分けして、マネキンたち全員の口の中にケーキを切っては入れ、切っては入れしたあの晩。時田シロウの改造によって、すべてのマネキンは食事をする機能を身につけたが、自分で食事をできる動きを身につけられたわけではないのである。
『シンジ、腕を上げたな。去年よりおいしいとキョウコくんが言っているぞ』
そうゲンドウに言われると、悪い気はしないものの、本当に味を感じて楽しんでくれているのだろうかという疑問を感じる。もし味もなにも感じていないのなら、単なるエネルギーの補給、それも動けるわけではないのだから、本当に無駄なエネルギー補給である。それなのに、なぜ、父さんは・・・・・・
「シンジ、どうせ人間、いつかは死ぬのだ。その意味では人生は無駄だ。食事も無駄だ」
シンジの内面を見透かしたような一言が飛んできたことで、シンジは頭を現在に引き戻された。
「だが、シンジ、幸せを得ようと努力すること、幸せを与えたいと思うこと、人からそう思われること、その瞬間があるだけで、人間、生まれてきた意味があるのだと思うぞ」
「父さん・・・・・・」
「レイも、お前にケーキを食べさせてもらって喜んでいた。照れていたがな」
『あー、いいなー』
マナの声が飛んできた。
『私、ここじゃ、シンジくんに食べさせてもらえないもんねー』
心底うらやましそうなマナの声。
「うらやましがらせるわけではないが、その通りだ。その上、レイはシンジと一次的接触を果たせるが、JAにはそれができても、マナくんにはまだ無理だな」
『そうなんですよ。一応方法はあるんですけど』
ヴ〜〜〜ッと何かが唸るような音。
『あ、ごめんなさい。マナーモードでもけっこう響きますよね』
「携帯?」
『ううん。博士からの連絡。マナーモードにできるの』
「振動も漏れないようにしときゃいいじゃないか。自分だけ分かるようにしてたら。ロボットなんだろ」
『人に知られないように通信するのはそれこそマナー違反なんだって』
画面の中で携帯電話を取り出すマナ。
『ごめんなさい。お父様。ちょっと失礼します』
音声が消去される。画面の中でマナは携帯電話となにやらしゃべっているが、声は聞こえてこない。が、途中、ちらと二人のほうにマナが目をやった直後から、画像の下にマナと時田シロウのしゃべっていることが字幕で出てくるようになった。
―じゃ、博士は、今、試験通信をしたいと?―
―そうだ。碇さんに、私の意図どおりに行けば、そちらの様子がこちらからも見えるようになるが、それでも差し支えないか、確認したいのでつないでくれないか―
―分かりました。字幕を出しているので、このままおっしゃってください―
―そうか。なら、碇さんに直接お願いしよう
碇さん、時田シロウです。実は、JAにテレビ電話としての機能も与えようと思っておりまして、今、ちょうど映像送信機の試作機が完成したところなんですよ。これを使って映像をJAに送るつもりです。そこで碇さんには、見えるかどうか確認していただきたいのですが、よろしいでしょうか。あと、こちらのモニターでも、そちらのお店の中が映るかどうかも確認できたらありがたいのですが、お差支えはないでしょうか。もし無理なら、こちらのモニターのスイッチは切りますし、JAからこっちに画像が送られないようにもしておきますが―
「いえ、どうぞ、お構いなく」
ゲンドウが承諾すると、画面の中でマナの口が携帯電話に向かって動き、字幕が現れた。
―実験への協力、ご承諾いただけました。お店の中の映像の受信についても確認して差し支えないと、お許しを得ました―
―研究者として、感謝します―
という返事が終わるか終わらないかのうちに、画面の中でマナと並ぶようにして、作業着姿の時田シロウが現れた(時田シロウの実験室でも、据付のモニターに同じ画像が映っている)。
『あらためて失礼いたします。時田です』
「どうも、先生。息子たちがいつもお世話になっております」
『ご丁寧にどうも。しかし、お預かりしているのは、こちらはご子息お1人だったと』
「いえ、息子の婚約者と、幼馴染兼恋人がおりますから」
『そうでしたな。彼は両手に花でした』
かつて、自分の父が、画面の中で隣に立っている少女と自分を会わせた時のことを思い出し、かすかな切なさを胸に覚えるシロウ。失って始めて気づくものがある。
『しかし、いい恋人と、いい婚約者をお持ちですね、ご子息は。恋人は学年では一番優秀、全国偏差値でも上位に入っておりますし、婚約者のほうは、授業中の態度は極めて優秀、私語も、居眠りも、余所見もなく、それどころか姿勢一つ崩すことなく、最後まで授業を聞いてくれます』
前者はともかく後者は、真面目なのかユーモアなのか、シンジは判断に苦しんだ。
『もう! 博士ばっかりしゃべって』
両手を胸の前にやってぷりぷり怒ったポーズを取るマナ。JAも一緒のポーズでぶりっ子しながら怒っているのがかなり変である。
『ああ、悪い、マナ』
シロウは謝ったが、話の内容に気に入らないことでもあったのか、マナはまだブーッと膨れたままである。
『うん? どうかしたか?』
『知らない』
完全に甘えた様子で怒って見せているマナ。本当に雰囲気がおかしくなることはないだろうが、それでも話が進まないのは確かである。シンジが話題を変えようとした。
「あ、そうだ。画面の中に人間が入れるんなら、僕もその中には入れますか?」
『ん? そうだな。君も入れるのは確かだが、これは入るのを目的とした装置ではないよ』
『そう、だから、特撮と同じで、時田博士の画像と私の画像データを、この背景の上で合成して一つの画面にしているだけなの。だから』
マナが、シロウの右耳から腕を突っ込み、左耳から手を出してぷらぷら振って見せた。
『お互いに接触できるわけじゃないの。こうやって通り抜けちゃうの』
「そうなんだ」
『バーチャルリアリティ技術の開発になるね。この画面に入ってここでマナと出会いたいなら』
『一応奥の手で』
JAの顔にある小さな何かがチカッと光ったかと思うと、シンジと同じくらいの背丈をした半透明の何かが現れた。
『ホログラムってのもあるんだけどさ』
そこには色も曖昧だが、かろうじてミニのワンピースサンタ服を着ていると分かる霧島マナが、後ろの壁が透けて見える姿で立っていた。
『これでもやっぱり触れるわけじゃないでしょ』
シンジのほっぺたに向かってキスをしてくるマナ。
「え? ちょっと」
しかし、そのまま、するりとマナの顔はシンジの頬を通り抜けた。
『ほらね』
「ああ、なるほど」
『でも、おもしろいわね』
シンジの背中からぴったり張り付いて、シンジの体の中に入ってくるホログラム・マナ。
『シンジくんの体ん中ってこうなってるんだ〜』
「変なところ、見ないでよ〜」
『嘘、嘘。見えるわけないじゃない。私、本当は何も見えてないんだ。JAが見てる以外は』
「あ・・・・・・」
その瞬間、倉庫のドアがばたんと開いた。
「お待たせ!」
レイに比べて発育のよい体には多少無理があったのだろう。レイやマナの体格にはフィットしているバストとヒップで少し生地が伸び、縦方向には伸びない繊維のためちょっと肌を覆う範囲に問題がある超ミニのワンピースサンタ服のアスカが現れた。少しほほが上気している。少し前髪が汗で額に張り付いている。きつい服を無理やり独りで着るのに、やはり相当苦労をしたのだろうか。
時は少し前に遡る。
背中の上の正しい位置までチャックがどうも上がらないで、アスカは四苦八苦していた。原因は胸の側にあるのだが、どんなに自信に満ちた少女であっても、自分のスタイルが完璧だと思うということはない。服が入らなければ、それを服か、自分の身体上の美点のせいと考えるよりは「太った?」「太い?」という言葉のほうが頭に浮かぶ。そのせいもあって、アスカは余計あせっていた。
(あの子たちと同じ格好ができないデブじゃ、シンジを盗られちゃう・・・・・・)
なにか引っ掛けるものはないか、と思いキョロキョロ辺りを見回して見ると、一体のマネキンが両手を差し伸べていた。ゲンドウがサンタ服からは既に着替えを済ませたのであろう。和服と同じ生地の華やかな洋服を着たそれの顔は逆三角形に七つ目玉をあしらった意匠の仮面に覆われており、その左手にはなぜかおあつらえ向きにハンガーが握られていた。
「ありがとう」
そう言うとアスカはマネキンに背を向けて、マネキンが手に持っているハンガーのかける部分の先をファスナーの穴に引っ掛けた。背中側なので、本来ならもっと苦労しても不思議はないのだが、その時はなぜかうまくいき、しかも自分でも疑問に思わなかった。
「よっと」
腰を落としてファスナーを上げていく。うまく行った。
「よかった。本当にありがとう。助かりました」
振り返りざまに頭を深々と下げて、アスカはマネキンに心からお礼を言う。頭を上げようとすると、後頭部に少し重みを感じた。回転しながら頭を下げたので、頭がマネキンの右手の下に入り込んでいたのだ。直ぐに首を引いてもよかったのだが、アスカは硬いはずのその手のひらの感触を柔らかく温かく、そしてなぜか懐かしく感じて、しばらく動くことができなかった。
「アタシ、行きます。応援していてください」
目の前の、顔も分からないマネキンに誓いを立てて、アスカは頭を右手の下から抜き出す。そして、倉庫から店に通じるドアを、いや、その向こうにいるはずのライバルたちを、キッとにらみつける。
「アスカ、行くわよ」
かっかっかっと、倉庫の硬い床を蹴るように前進し、ドアノブを回転させて、押し開く。
「お待たせ!」
そこにいた全員の視線が自分の向くのを感じた。
「どう、シンジ! なかなかのもんでしょ!」
つかつかつかと、シンジに歩み寄り、ビシッと、いつか雑誌で見たスーパーモデルと同じポーズを決めて、シンジに自分のワンピース姿を誇示する。
「う、うん」
なぜか、この冬のさなかに汗を流しながらよそを向こうとするシンジ。
「なによ、もっとちゃんと見たら?」
そらした目の方にアスカが移動すると、シンジの目は逆方向に移動する。そちらに回り込むと、また逆に。アスカは気づいていない。自分の今の格好が、シンジにとってはあまりに露出過多であるということに。
「ちゃんっ! とっ! 見なっ! さい!」
一声ごとにステップを踏んで接近。最後にシンジの首をガッキとつかんで自分の胸元に引き寄せる。
ボッ
そんな音がしたかのような錯覚を覚えるほど、シンジの顔が一気に真っ赤になった。
『ちょ、ちょ、ちょ、何よ、この露出狂は〜!?』
その声でようやくここにはもう1人いることを、アスカは思い出し、パッとシンジを離す。床に崩れ落ちるシンジ。
『ああっ、シンジくん!』
アスカの視界に突如、シンジの背後霊であるかのように半透明のサンタ少女が飛び込んできた。思わず、後ずさる。半透明の少女、ホログラム・マナはシンジを助け起こそうとするが
すかっ
と擬音がしたわけではないが、まさにそのような光景。手がシンジの体をすり抜けた。
『・・・・・・触れないんだっけ』
「アンタ、ホログラム?」
『ええ』
「やれやれ、いくらアタシが魅力的だからってこの程度の刺激で。お子様ね、シンジは。そして、この勝負、お預けね」
『え』
「アンタがシンジに触れるようになるまで、勝負はなし。今のままじゃアタシが勝って当然だもん。だからイヤ。対等の勝負じゃなきゃ、アタシがアンタより魅力的だっていうことが証明できないじゃない。対等の勝負でも当然アタシが勝つに決まってるのに、なんで中途半端な勝利で我慢しなきゃいけないのよ」
『・・・・・・たいした自信ね』
「そうよ。今の見たでしょ」
アスカは、床に倒れ伏したシンジを顎で指す。
『これは、あなたの格好が・・・・・・』
「魅力的だからよ。だから待ってあげる。そこのレイと同じように」
アスカはレイを目線で示した。
「シンジ、まだ、レイの魅力に気づいてないのよ。ひょっとしたらアンタの魅力も気づいてないかもしれない。壁があるのよね。見えない心の壁が」
「その通りだ。こいつはまだレイたちの声が聞こえていない」
久しぶりにしゃべったゲンドウが合いの手を入れる。
『だから待ってあげる。アンタたち、まだ同じスタートラインにもつけてないんだもん。この鈍感バカのせいで』
アスカはシンジを見下ろした。つられてマナも見下ろす。偶然だが、レイも台の上からちょうどシンジを見下ろす位置に立っていた。
「ちょっと遅いかもしれないけど、新たなライバルに対して、アタシからのクリスマスプレゼントってことでどう?」
『そうね。今日の所は受け取っといてあげる。でも、取り消しって言ってももうダメよ。私だって必死なんだから』
「望むところよ」
『やれやれ、じゃ、今日の所は研究所に帰ろうかな。博士の御用も済んだみたいだし。じゃ、この服返すわね』
マナの着ている服のホログラムが、先ほどの制服に切り替わる。
「あ、そう。アンタいいわよね。着替えが一瞬で済んで・・・・・・博士?」
マナが目で示す先にはJA、その胸のモニターの中には、どこかで見た、いやよく知っている男。
「時田・・・・・・先生?」
『あー、その、なんだ、惣流。一応風紀担当として、人目につくところでそういう格好は・・・・・・』
そう言われたのと、店内の大鏡に映っている自分の全身像が偶然目に入ったのは、ほぼ同時だった。そこにあった自分の姿を一言で言い表すとこうなる。
ぱっつんぱっつん
そして、そのぱっつんぱっつんの姿を先ほどシンジにはあんなにも過激に接近して見せ付けたという事実、さらに第3者の時田シロウ(一応学校の教師)にその狂態を見られていたという事実をアスカの脳が認識したのは、わずか数ナノ秒後のことであった。
「わっきゃあああああああああああああああああああああああああ〜〜〜!!」
奇声を発し、アスカは倉庫に飛び込んだ。
「アスカ〜、どこ〜」
「・・・・・・・・・・・・」
「いるんだろ。倉庫の中に。お父さんから電話があったから」
気絶から30分ほど後に目を覚ましたシンジは、その後、ゲンドウに言われるままに店の手伝いを済ませ、食事を暖めなおして父とレイと他のマネキンの誰かと食事をしようとしたところで、惣流氏からの電話を受けたのである。アスカが倉庫から出てきていないことをゲンドウは既に知っていたはずなのに、なぜその時まで言わなかったのかと父親に文句を言いながら、シンジは倉庫に入ってきたのだ。まあ、服屋の息子である彼には、出て来られない理由の想像ついていた。
「いつまでもこのままだったらお父さんが迎えに来ちゃうよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「それじゃ、いやだろ・・・・・・」
あきらめたのか、こらえていた啜り泣きが始まり、声が漏れ聞こえてきた。
「こっちよ。来て」
シンジがアスカの隠れている物陰に近づくと、ようやくアスカの姿が見えた。汗まみれで、未だにワンピースでぱっつんぱっつんなまま。
「・・・・・・・・・・・・うわ〜ん、シンジ。この服、脱げないのよう〜」
「どうやって着たのさ」
「そこの仮面の女の人に手伝ってもらったの」
「仮面の?」
アスカが指差す先を見たシンジは、胸の中でギクリ!と音がしたのを聞いた。
(キョ、キョウコさん!? あちゃー、仮面は父さんがかぶせたんだろうけど、なんでアスカの目に付きそうなところに・・・・・・)
「だけど、あの人の手助けじゃ、着ることはできても脱げないの」
「そう。じゃ、ファスナーだけおろすから」
「うん。お願い」
体力を使い果たしたのか、アスカは神妙に背中を向けた。シンジは、心の中で(キョウコさん、ごめんなさい)と詫びながら、チーッと音を立ててファスナーを下ろす。倉庫全体の照明は暗めであるが、そこに浮き出した白い肌をできるだけ直視しないように注意する。
「アスカ、ちゃんと服を押さえててよ」
「押さえてるわよ」
「そ。じゃ、これで脱げるはずだから、外で待ってるね」
「待ちなさいよ」
「え?」
「アタシのワンピース姿、どうだったか聞いてないわよ」
「・・・・・・あー、うん」
「顔がお互いはっきり見えないでしょ? それに今ここには、アタシたちしか、お互い見知っているもの同士はいないし」
(いや、君のお母さんがいるんだよ)
「どうなのよ」
「えーと、その」
「あー、分かった。もういい」
「いや、言うよ」
「いや、いい。無理に言ってほしくない」
「無理なんかじゃないよ」
「じゃ言って」
「その・・・・・・まだ早いんじゃないかな」
「はあ!? アンタ、そういう目でしか見てなかったわけ!?」
相当腹を立てて、アスカはシンジに向き直った。幼い頃の習慣が顔を出したのか、シンジをとっ捕まえて引っ叩くために、つい手を上げてしまう。はらり。ワンピースが床に落ちた。
「「わっきゃあああああああああああああああああああああああああ〜〜〜!!」」
倉庫から二重奏で響いてきた悲鳴に、ゲンドウはニヤリとほくそ笑んだ。
シンジが両頬に真っ赤な手形をつけ、世の理不尽を一身に背負っているような風情で倉庫を出てきた後、制服姿のアスカが倉庫から姿を現した。「エッチ、痴漢、変態、信じられない!」とシンジを散々ののしりながら、アスカはレイを室内着兼寝間着に着替えさせる。今日一日の格闘で汗みどろになっていたので、一刻も早くシャワーを浴びたかったが、これをすませておかなければレイは寝ることもできない。
その過程でふと気づき、隣のリツコの手にハンガーを持たせて、レイにまだ着せたままのワンピースのファスナーに引っ掛け、うまく上げ下ろしできるか試してみた。うまくいかない。ハンガーが固定できないのだ。「婦人服の碇」のマネキンがいくらよくできていても、ハンガーが動かないほど手を握りこめるわけではない。
(じゃあ、アタシが着た時、うまくいったのはなぜ?)
そのことがちょっとした謎になって残った。
「それじゃ、帰るからね、エロシンジ」
「そっちが勝手に見せたんじゃないか」
「はん。だけど、どうせ、アタシじゃ早いんでしょ。アタシなんかお子ちゃまってことよね。だったら、お子ちゃまのあんなとこなんて、見てもしょうがないわよね〜」
「しょうがない、ことなんてないさ。アスカ、やっぱり、女の子だから」
「え?」
「とにかく、薄暗かったから、はっきりとは見えなかった。だから、恥ずかしがることないって。僕は恥ずかしかったけど・・・・・・JAがいたときだって、あんなに近くで・・・・・・すごく恥ずかしかった」
「へ〜え」
なぜかニンマリとした顔になるアスカ。
「そうなんだ。恥ずかしくって見られなかったんだ。ウブシンジ」
「ウブ?」
「ふふっ、じゃ、また明日」
そう言うと身を翻してアスカは出て行った。
アスカが私服に戻したレイに挨拶して帰った後、シンジはゲンドウを問い詰めた。
「父さん、アスカじゃサイズが小さいって知ってただろう」
「当然だろう。これでも服屋だ」
「アスカがかわいそうじゃないか」
「アスカくんは、かわいそうと言われるより、かわいいと言われたかったんではないかな。お前の口から」
ジロリとシンジをねめつけるゲンドウ。
「お前には失望した」
「あの状況で言えると思う?」
シロウが居合わせたことをシンジは匂わせた。
「シナリオにないことも起こる。頭の固いお前にはいい薬だ」
シンジはため息をついた。
「オーケー。これ以上は時間の無駄だからやめとく」
「なら、食事だ。レイに食べさせろ。私は、今日はキョウコくんだ」
「そうだ。なんでキョウコさんにあんな変なお面かぶせて、倉庫の出入り口近くにおいていたのさ。アスカにばれたらどうするんだよ」
「私ではない。キョウコくんの望みだ」
「え?・・・・・・」
「声が聞こえるようになったら、お前にも分かる。」
シンジは露骨に肩をすくめた。
「それよりさ、着替え、全部完了したんでしょう。だったら、もう、赤鼻のトナカイの仮装、止めたら?」
「いや、実は・・・・・・」
ゲンドウは、背中を向けた。
「下ろしてくれ。キョウコくんの機嫌を最終的に損ねてしまったらしい。手伝ってくれんのだ」
「ふ〜ん。今の僕が素直に手伝うと思う?」
その時、シンジの顔に浮かんだのは、顔がまったく似ていないこの二人が確かに親子であることを証明する悪魔的な笑みだった。
この年「婦人服の碇」では、大晦日まで赤鼻のトナカイが働いていたという。
「ただいま」
「おかえり。遅かったじゃないか」
「ごめんなさい。トラブッちゃったから」
「隣だから心配はしてないが・・・・・・ずいぶん、上機嫌じゃないか」
「別に。先にシャワー浴びてくるね」
返事も待たずに高揚した気分のまま、アスカは脱衣所に飛び込む。
「ふん、ふん、ふん〜」
鼻歌を唄い、踊りながら制服を脱いでいく。裸身が少しずつ露わになっていく。まだワンピースが食い込んだ後が残っているが、その赤い筋を大事そうになで、そして、シンジが恥ずかしくて見ることができなかったという自分の体を、いとおしそうに見下ろす。
『とにかく、薄暗かったから、はっきりとは見えなかった。だから、恥ずかしがることないって。僕は恥ずかしかったけど・・・・・・JAがいたときだって、あんなに近くで・・・・・・すごく恥ずかしかった』
シンジの台詞の後半部分を反芻しながら、自分の体に自信と喜びを感じる。そして、前半部分を思い返し、シンジのような、鈍感だが相手のことを思いやれる人間を選んだことを誇りに思う。
『アスカ、やっぱり、女の子だから』
「レイ、マナ、早くアタシのところまで来なさい。そうなってからが本当の勝負よ。でも、最後に勝つのは当然アタシだからね」
了