2004年3月14日
「久しぶりだな」
「今さら話すことなんてありません」
テーブルについているのは、かつて妻に息子を連れて逃げられた白髪の男。彼に背を向けて台所仕事をしているのは、その逃げた妻であった。
「シロウは私の手で育てます。もう私もシロウも、あなたとは何の関わりもないものと思って下さい」
「う、うむ、そのことなんだが・・・もう一度チャンスをくれないか?」
「もう一度?・・・今までどれだけ私があなたに寛容だったか、分かってるんですか?」
「そ、それはもちろん・・・」
「じゃ、私が忍耐の限界だったってことも分かってるはずです!」
「そ、そう言わないで」
「ただいま。あれ? 母さん、お客様?」
「シロウ、久しぶりだな・・・」
「・・・父さん?」
「憶えていたか・・・いくつになった?」
「もう中学2年生だよ。3年ぶりだね」
「そうか、お前に渡すものがある。今日は、ホワイトデーとか、言うそうじゃないか」
「父さん、ホワイトデーは男が女の人にバレンタインデーのお返しをする日だよ」
「そ、そうなのか? まあ、それだったら、これはお前を3年間、独りで育ててくれた母さんへの御礼でもあると解釈してくれ」
「3年間? この子は生まれてからほとんど私独りで育てました!」
妻はとりつく島もない。
「い、いいじゃないか、母さん。父さんだって、僕に何かプレゼントしたいこともあるだろうし」
「そうか、そう言ってくれるか、シロウ。ありがとう・・・さあ、受け取るがいい! 父の贈り物を!」
そう言うと白髪の男は、そばに立ててあった大荷物のおおいを取り払った。そこにあったのは、茶色のショートカットに茶色い目をした少女の人形。
「この前、人形メーカーが商売のために人形の仲を引き裂いたというニュースを見てな。人形にも愛情生活を送る能力と権利があることを世に知らしめねばならんと考えた。そこで、この人形をお前のいいなずけとしてプレゼント・・・」
「このボケ親父!!」
息子のストレートが父の顔面に入る。妻は「やっぱりこの人は」と呆れ顔。
「ま、待て。とりあえず付き合ってみろ。私の入魂の作だ。きっと気に入るから。この娘の名前は・・・」
「誰が気に入るか!! 誰が名前なんぞ聞くか〜!!」
白髪の男はボロクズのようになって救急車に運ばれ、その人形もバラバラにされて、粗大ゴミとしてゴミ回収車に運ばれていった。
2015年
「また、あの時の夢を・・・」
ここしばらく見なかった夢だが、父と再会したことが記憶を呼び覚ましてしまったらしい。冬月とシロウの訣別が決定的となった日の出来事。
「少しずつでも心を許して行くつもりだ・・・正直、憎み続けるのも疲れた・・・」
妙に老けた顔になるシロウ。
「でも、今までのわだかまりはそう簡単に消えそうにないな・・・」
自分のものでありながら、自分の思うままにならない己の心をシロウは持て余し気味だった。
「悩んでも悩まなくても、朝は来る。悩んでも悩まなくても、日は過ぎるし、期日は来る。今日は土曜だし、明日は日曜だ。とにかく、碇さんから頼まれた仕事のめどをつけてしまおう」
シロウは着替えるとコーヒーをいれて、書斎に入っていった。机には、青葉シゲルが引いた図面が広げられていた。レイの図面であった。
しばらく図面になにやら書き込んでいると、後ろに気配を感じた。振り返ってみるとJAが立っていた。手には料理を載せた盆を掲げている。
「朝飯を作ってくれたのか?」
思わず聞いてしまってから苦笑する。JAには言葉を話す機能を付けていない。
「それをいうなら、勝手に飯を作る機能も、だがな・・・」
シロウは苦笑いを引っ込めると、JAを見つめた。
(あの青葉という職人に説得された時には、こいつを受け入れた。だが改めて考えてみると、今のこいつは、本当に私のつくったJAなのか? もしそうでないなら、私は・・・)
翌日曜日、「婦人服の碇」には冬月コウゾウの工房から、加持が来ていた。
「少し痩せたかな」
箒を持って床を掃除しながら、シンジは、そんなわけないでしょ、と心の中で呟く。加持は座った姿勢をとらせたリツコに後ろから抱きついて、そう言っていたのである。
「悲しい恋をしているようだな」
何言ってんですかまったく、とシンジはちりとりにゴミを集めながら、心の中でぼやく。
「どうして分かるかって? 涙の通り道にほくろのある女性は、泣き続ける運命にあるからさ」
「その辺にしといた方がいいですよ、加持さん」
「ん? どうしてだい、シンジくん?」
「さっきから、怖いお姉さんが見てますから」
加持は背中に突き刺さる視線に気づいた。慌ててそちらに向き直る。ゲンドウがさっき倉庫に入る時開け放していったドアから、ミサトが見ていた。営業スマイルだが、その下に怒りを秘めているように見える。
「や、やあ、葛城・・・」
真っ青な顔で、及び腰になりながら、それでも加持は言い訳を試みる。シンジはため息を付いた。
「はあ・・・彼女がいる店で浮気なんかしなきゃいいのに」
レイが着ている夏用コートの塵を払いながら、シンジはつくづく呆れてていた。
「それにしても、リツコさんの悲しい恋の相手って誰だろう」
倉庫の中から大きなくしゃみが聞こえてきた。
「あれ? また、加持さん、葛城さんの前でおかしなことしたのかい、シンジくん?」
店に入ってきたマコトは、加持がミサトに平謝りに謝っているのを見て、シンジに聞いた。彼は、メンテナンスに回されていたマヤとナオコを、バンに乗せて届けに来たのである。
「ええ。よせばいいのに、リツコさんにちょっかいを出して・・・抱きついて、痩せたとか、悲しい恋をしているとか」
「えーっ!? か、悲しい恋!? 勘弁してもらいたいなあ。赤木博士をこっちに残して、ナオコ博士やマヤちゃんを工房に連れていくと、ただでさえ2人はご機嫌斜めになるのに・・・」
(博士って・・・)
「うわ! 来た!」
マコトは首をすくめながら車に戻っていった。シンジは一度耳栓をはめて人形を扱っているマコトを見たことがある。ナオコとリツコがかなり派手な親子喧嘩をしたらしい。原因は聞かされていないが、その間、ゲンドウの顔色がひどく悪かったことだけは憶えている。マネキンの声を聴け、とゲンドウには言われるがシンジは、そんなもの聞こえるわけがないし、もし仮にマネキンに「声」があるとしても、聞こえなくて幸いだと思っている。
「はい、はい、博士。別に僕たちは娘さんにひいきしているわけじゃありません。メンテナンスのスケジュールは必要に応じて決まるから仕方ないんですよ」
シンジにはよく分からない世界の会話を繰り広げながら、マコトがナオコを運び込んできた。ところが、突然マコトの顔が真っ青になる。見ると、加持もミサトへの言い訳を一旦中断して青ざめている。
「レ、レイちゃん・・・それ、意味が分からないで言ってるんだよね・・・」
重苦しい沈黙の後に、マコトの顔色がさらに悪化し、土気色になる。加持は小刻みに震えている。
「い、い、い、碇さんがそう言ってたからって、言っていいことと悪いことが・・・」
その瞬間、マコトと加持はビクリと全身をこわばらせた。マコトは、ナオコを取り落としそうになり、慌てて駆け寄った加持がそれを支える。何とかナオコを床に立たせると、2人は両手で耳をふさぎ、その場にうずくまった。
「ど、どうしたんです、日向さん!? 加持さん!?」
何が起きたか理解できず、うろたえるシンジ。そこにばたばた足音がして、ゲンドウが倉庫から駆け込んできた。
「な、ナオコくん、どうした!?」
床にうずくまり悶えている加持の体がナオコの足に当たり、ナオコはぐりんと向きを変え、ゲンドウと正面切って向かい合う。
「ぐ! わ、私はそんなことを言った憶えは一度も・・・」
ゲンドウは後ずさりする。
「ま、待ってくれ! 分かった。正直に話す! お、大年増、いやさ、その、うば桜の魅力にちょっと照れてしまって、レイの聞いているところでかえって冷たい言い方をしたことは確かにあった。だが、それは私がついつい大人げない態度をとっただけのことで、決して君が女性としての魅力に乏しいと言うことでは・・・はっ、リ、リツコくん!?」
きわめて苦しい言い訳をひねり出しながら、リツコがいたことに気づくゲンドウ。リツコはゲンドウに背中を向けて腰掛けている姿勢をとっているため、かなり強烈な拒絶のポーズになっている。
「い、いや、その、君のお母さんの魅力はそのまま君の魅力でもあるし、それに君には君にしかない魅力というものが」
再び苦しい言い訳。だが、そこまで言ってゲンドウは、慌てた様子で、今度は店の外に止めてある車に目をやった。
「マ、マ、マ、マヤくん! ち、ち、違う! 決して、君の大事な先輩をもてあそんでいるわけでも、二またかけているわけでもない! 頼むからそのバンで、店に突っ込んでこないでくれ!」
再びナオコに視線を戻す。
「だから、ナオコくん。それは誤解だ。信じてくれ。リツコくんに君の魅力が受け継がれているからと言って、若い方がいいんでしょうだなんて・・・」
呆然としているシンジの前で、ゲンドウは3体のマネキンに順繰りに言い訳を重ねていく。それを後目にマコトと加持は、ナオコのヒステリー直撃によるダメージからようやく回復し、這うようにして店の外に避難していた。そして2人相談し、ゲンドウに目配せするとバンに乗り込み、マヤを乗せたまま走り去っていった。
「シ、シンジ、店を頼む!」
ゲンドウはナオコを抱えると倉庫の中に消えていった。ドアには倉庫側から鍵がかけられた。倉庫内にはナオコだけではなく、ミサトまで閉じこめられてしまった。
「勘弁してよ。使えるはずのマネキンが3体もいないんじゃないか。レイとリツコさんと、キョウコさんだけでどうしろって言うんだよ。ミサトさんがカバーしている20代後半のキャリアウーマンとマヤさんがカバーしている20代前半のキャリアウーマン、ナオコさんがカバーしている40代以上のキャリアウーマンっていう、休日にしか来られないお客さんが穴になっちゃってるってのに・・・」
30代のキャリアウーマンをカバーしているリツコは問題ない。10代の少女のカバー以外に回れないレイはどうしようもない。問題は主婦をカバーしているキョウコである。
「奥様方は休日とか平日とかは関係ないからな〜。キョウコさんには悪いけど、休日以外でも集客力を発揮する機会はあるんだし、今日のところは・・・ナオコさんの代わりをしてもらおう」
シンジはキョウコの着ている主婦向けの服を、40代以上のキャリアウーマン向けのものに替えた。
だが、本来の性格と違う服を着ても魅力を十分に発揮できないということは、シンジの目にも明らかだった。
「だめだ。やっぱりキョウコさんは主婦だよ。本来の仕事をしてもらおう」
スーツの上下を脱がせ、ワイシャツを脱がせ、キョウコを下着姿にするシンジ。
「グーテンターク、シンジ!」
アスカ、来店!
「どわああああっ!」
とっさにキョウコから脱がせたワイシャツを、キョウコの顔にかぶせるシンジ。
「何よ。そんなに驚いちゃって・・・」
ふくれっ面になるアスカ。
「い、いきなり声をかけるからだよ」
「それより、シンジ。それいいの? しわになるんじゃない?」
シンジは我ながら、あまりに乱雑にワイシャツをマスク代わりにしたことに呆れた。
「う、うん。よくないね・・・ははは」
そう言いながら、シンジはこの場をしのぐ方策を必死になって考える。
「あ、そうだ、アスカ! 綾波にこのネルフの新作サウナスーツ着せてみてよ」
シンジはアスカに全身タイツのような服を見せた。
「何よ、これ? 体の線が丸見えじゃない」
アスカは眉をひそめた。
「うん。売り物になるかどうか、確かめたくて・・・プラグスーツって言うんだって」
「ふーん、そう。いいわよ。でも、レイが嫌がるようだったら、店には立たせないからね」
嫌がるってどういうことだよ、とは思ったが、あえて突っ込まないことにした。
「うん。取りあえず、着せてみてよ」
アスカはレイを抱えて奥へと消えていった。その隙にシンジはキョウコをゲンドウの寝室に避難させた。
「いくらアスカが家族同然でも、ここまでは勝手に入ってこられないからな」
しかし、万一を考えてシンジはキョウコをゲンドウのベッドに寝かせ、布団をかぶせた。
「服を着せる暇がなかったので、下着だけですけど我慢して下さい、キョウコさん」
シンジはアスカに怪しまれないために、急いで店に戻った。
「ねえ、シンジ、どう?」
「うーん、似合ってるけど、売り物になるかなー?」
分かってはいたが、思った以上に体の線が出るスーツだったので、シンジは考え込んだ。
「でも、サウナスーツってダイエットのために着るんでしょ? 14歳でダイエットに関心のない女の子なんていないわよ」
「だったら、わざわざ綾波に着てもらう必要もないな」
「シンジ。商品としてはともかく、プラグスーツを着ているレイはどう?」
「似合ってるって、言ったじゃないか」
「じゃなくて、レイがどうか、って聞いてるのよ」
「? 綾波は綺麗だよ」
「だから! アンタが言ってるのは、マネキンとして綺麗だってことでしょ!」
「マネキンなんだから当たり前じゃないか」
「マネキンだって女の子なのよ!」
「女の子のマネキンだから、当然そうだよ」
「知らない!」
「こんにちわ」
「いらっしゃいませ! あ・・・時田先生、こんにちわ」
そこにはJAを連れたシロウが立っていた。
「やあ、2人とも。この前はすまなかったな」
「いえ、それより今日は何のご用ですか?」
「この前、碇さんから頼まれた件、思ったより早く片づいてね・・・その報告に来たんだが」
「・・・今、父は・・・・・・」
どう表現したものか、大いに悩むシンジだった。
それから1時間後、何とかナオコの怒りを鎮めるのに成功したゲンドウは、シロウから説明を受けた。「消化器」移植はすぐにも可能であると聞くと、ゲンドウはすぐに始めてほしいと言って、レイをシロウに託した。着替えさせる時間も惜しいということでプラグスーツのままである。シロウとJAを見送ると、今度はゲンドウはリツコを抱えて倉庫に消えた。こちらは相当時間がかかり、その間にアスカは帰ってしまったが、何とかケリが付いたらしい。リツコを丸め込めおおせると、ゲンドウは加持とマコトに電話を入れ、2人にマヤを連れてきてもらい、マヤとリツコを倉庫に運び入れて、2体を残して出てきた。
「やれやれ、これで何とかめどがついた」
「父さん、バタバタしてたせいで、今日は全然商売にならなかったよ」
シンジが冷たい目で父親を見る。
「まあ、そう言うな。お前も私の子だ。大人になれば、きっと分かる時が来る」
シンジがいくら鈍くても、目の前でこんな光景を繰り広げられては、ゲンドウが人形たち相手に不適切な関係を結んでいることは容易に察しがついた。
(分かりたくないよ。絶対分かるもんか)
今は父の顔を見たくない、そう思ってシンジはゲンドウに背を向けた。
「もう店じまいするんだったら、さっさとすませよう。僕も今日は疲れたから、インスタントで何か食べて寝るよ。明日学校もあるし」
ゲンドウもだてに長く生きていない。シンジの考えなど筒抜けである。だが知った上で、あえて息子の中の父親像にこだわらないだけの図太さが、ゲンドウにはあった。
「うむ。今日はこれでおしまいにしよう。片づけは私がするから、お前はもう食事をとって、休め。私の分は自分で作る」
「ありがと・・・」
父に比べてまだまだ自分が子どもであることだけは、シンジにも分かった。
(絶対に認められないところがあっても、時々イヤになることがあっても、やっぱり大好きだよ、父さん・・・)
ちなみにゲンドウがナオコ、リツコ、マヤに対して行った「説得」の努力は、寝床に入ったゲンドウを下着姿のキョウコが出迎えることとなったため、無に帰したことを追記しておく。
「この馬鹿息子ー! お前には失望したー!!」
「婦人服の碇」は次の日も仕事にならなかった。2日続けて商売にならないというのには、さすがのゲンドウも音を上げ、とにかく仕事中は勘弁してくれと、3体に頼んだ。その結果、昼は何とか正常に営業できるが、夜になるとゲンドウが3体を丸め込むのに大わらわという日々がその週の間中続くことになる。
「どうしたんですか、碇さん。目の下に隈を作って」
「問題ありません、時田先生」
「・・・そうおっしゃるんなら、別に聞きませんけど」
シロウがレイを預かって一週間目の日曜日、レイへの「消化器」移植が完了する日だった。ゲンドウはシロウに案内され、時田家の地下の実験場を奥へと歩んでいく。その後ろにはJAが付き従っていた。
「ところでJAですが、見事なロボットですね。特に心を宿らせることができたのは素晴らしい」
「・・・あれはおそらく私の成果ではありません。JAにはもともと命令に服従するだけの人工知能しか与えていませんでした。いくら人間に近づけようとしても、所詮は似せもの、デジタルで魂は作り出せません。あれが急に自我に目覚めたのは、おそらく今お預かりしている『綾波レイ』に鍵があります」
彼らは目的のものがある、実験場の最奥部に着いた。そして、シロウはゲンドウに視線で或るものを示した。ガラスの水槽である。
「碇さん、あの『綾波レイ』は何ものなんですか?」
水槽の中には裸のレイが横たわっている。ゲンドウはしばらくレイを見つめた後、ようやく答えを返した。
「私の店のマネキンです。彼女は生きています・・・これでは不足ですか?」
シロウもまた、その言葉を聞いて自分の内面に沈潜していった。そしておもむろに口を開いた。
「いいえ・・・そうですね・・・それ以上の説明は・・・・・・必要ない・・・少なくとも人間にとっては・・・十分です」
(人間は自分たちのことだってどれほど知っているというんだ?)
そしてシロウはゲンドウに、レイを水槽から取り出すよう促した。
「さあ、もういいでしょう。父の作ったマネキンの中に、私の機械を埋め込むわけですから、まったく違う技術を用いたものどうしをうまくなじませるのに時間がかかりました。しかし、取りあえずは完了しましたので・・・」
「そうですか。ありがとうございます・・・さあ、レイ」
ゲンドウは、水槽に全身をつけて横たわるレイに手を伸ばした。人肌程度に温まった液体の中に腕をつけ、レイを抱きかかえる。
「あがっていいぞ。食事にしよう。記念すべき、お前の初めての、本当の食事だ」
最初の試験的な食事はうまくいき、ゲンドウはレイを連れて帰った。ここしばらくあまり休んでいなかったシロウは、ゲンドウを見送ると早々と眠りについた。
「そんな馬鹿な・・・」
シロウの血と汗の結晶、未来への希望となるはずのJAが暴れ狂っていた。高さ40メートルほどの巨大なJAに追いかけられる、小さな四つの人影。アスカとシンジ、シンジの腕の中のレイ、そして高橋校長だ。
「やめろ、JA・・・私のJAが人を殺してしまう・・・誰か、助けて・・・」
その時、暴走するJAの正面にもう一体のJAが現れ、がっぷり四つに組んで、JAの進行を止めた。JAの背中の気筒から蒸気が上がる。それがシロウにはJAの悲鳴のように聞こえた。
「JAが助けを求めている、行かねば・・・」
気がつくと、シロウはJAの中にいた。ひどく暑い。
「ここは内部コントロールルーム・・・そこにあるのはコンソールか」
シロウはコンソールの前に立った。
「待ってろ、JA。今助けてやる」
シロウはミスタッチのないよう、慎重に指を動かした。
キ・ボ・ウ
キーワードを打ち込み、入力する。即座にエネルギー炉の制御棒が作動開始した。周囲の温度がどんどん下がっていく。
モニターがキーワード入力画面から、外部映像に切り替わった。そこにはもう一体のJAが映し出されていた。モニター越しにシロウを見つめてきている。
「お前が何ものか、私は知らない。JAを止めてくれたことには礼を言う。だが、もしこれ以上JAに手を出すなら、その時は容赦しない」
「それが誰だか、分からないの?」
不意に隣から聞こえてきた声に、シロウは驚いて振り向いた。そこにいたのはそこにいるはずがない人物。
「・・・綾波レイ?」
レイは、シロウの問いかけには答えず、言葉を続けた。
「あなたは知っているはずよ」
「・・・私が知っているのは、このJAだけだ」
「このJAもJA。あのJAもJA。違っているけれど同じなの」
「・・・・・・・・・」
「あなたが作った、自我を持つ前のJAにも、あなたの思い入れが宿らせた心があった。私はそれに形を与えただけ。でもどんな形になるかは、JA自身が決めたわ」
レイはモニターを指差す。シロウは指に従って目を向けた。モニターの中のJAに重なるようにして、1人の少女の姿が浮かび上がった。茶色い目をした茶色いショートカットの少女。
「あなたの作ったものから、新しい命が生じた。それも本物のJA。そしてあなたが作ったものは、その新たなJAの中で生きるわ。JAは別の存在に入れ替わったんじゃない。さなぎが蝶になるように、生まれ変わったの」
「そうか・・・JA、よかったな・・・」
気がつくとシロウはレイと共に宙に浮き、2体のJAを横から見守っていた。
「1つになるわ・・・それはとても素晴らしいことなの」
2体のJAは柔らかい光に包まれた。わずかに見える輪郭が互いに溶け合うようにして重なり、或る1つの存在がそこに生まれたのをシロウは見た。
「ああ、新生だ・・・」
シロウもまた、広がってきたその光に溶け込みながら、我知らずそう呟いていた。
「今朝の夢は・・・そうか。そうだったのか」
あれから一ヶ月、一通りレイにものを食べさせる試験期間は終了し、ゲンドウは非常に満足して、シロウに直接礼を言ってきた。シロウとしても大いに満足していい結果となった。
「それでも今のところ食べられるのは、おにぎりとか、お浸しとか、一口サイズのものだけだな」
シロウは、いつかレイを屋台のラーメン屋に連れていきたいというゲンドウの言葉を思い出した。
「にんにくラーメン、チャーシュー抜き、か・・・」
面倒だが、乗りかかった舟、最後まで付き合うか、とシロウは決心した。
「それにだ、JA、お前に自我をくれたあの力の正体も、ついでに分かるかもしれないぞ」
シロウはリモコンを操作した。JAの胸が開き、中からモニター型の意志表示器が現れた。そのモニターに美少女が映し出される。茶色い目に茶色のショートカット。あの日、コウゾウが自分のいいなずけにと連れてきた人形を、シロウができるだけ記憶に忠実に再現した姿である。
(レイは親父の作った人形に私の機械・・・こいつは私の作った機械に親父の人形の姿、か・・・)
「お前がなぜ自我を持ったか、知りたいか、JA?」
画面の少女は明るく微笑んだ。だが、これは肯定の意志表示ですらない、もっと単純な、喜びの表出である。シロウが話しかけてきたのが嬉しい、という気持ちの表れなのだ。
「できるだけ早く、気持ちを十分表現できるようにしてやるからな。JAとは違う名前が欲しいかもしれない。そう言えるようになったら、改めて親父に聴きに行こう・・・JA、お前は自我を持てて、今、幸せか?」
画面の少女は再び明るく微笑む。シロウもそれを見て笑顔を浮かべた。
「あの時は壊して悪かったな。その分、お前のことを幸せにしたい・・・11年遅れだがよろしくな、鋼鉄製のガールフレンド・・・」