新世紀ピグマリオン別伝

   ガラテア 病院へ行く


無名の人 さん



「証拠を隠滅しておきたいの。この人形を処分するから手伝って」
「「「!?」」」
「シンジが戻ってくる前に、焼却炉で燃やしてしまうのよ!」
「ちょ、ちょっと待って」
 ヒカリが止めた。
「アアアア、アスカ、気はたしか? 人のものを勝手に燃やすなんて」
「ヒカリ、この人形、校則違反よ! 級長が見過ごしてていいもんじゃないでしょう!おまけに今朝、シンジはこの人形女を乗せてきた車椅子で暴走してたのよ!!」
 3人はアスカの日頃の行いから類推して、アスカがシンジを自分の暴走に巻き込んだのではないかと考えていた。もちろんそれは正しかった。
「こんなものをおいといたらシンジが不利になるだけよ。この人形女はここにあっちゃいけないの!」
「惣流、それやったら隠しといたらええやんけ」
「見つかったら? 危険すぎるわ。今のうちに闇に葬るのよ!」
 それまで、黙っていたケンスケがおもむろに口を開いた。
「惣流・・・」
「何よ、相田。何言っても無駄よ。この人形女はいないほうがいいの!」
「お前、そのレイに嫉妬してるんじゃないか?」
「なっ!?」
 見る見るうちに、アスカの顔が真っ赤になる。
「図星だな・・・」
「な、何とち狂ってんのよ。そんな詭弁でこの人形女をかばう気?」
「ほら、今も人形女って言った。さっきから4度は言ってるぞ。レイを女として意識している証拠だ。それに、お前はシンジのためにレイを処分しようって言ってたのに、俺の発言をレイの弁護ととった。お前、ホントはレイをシンジの前から消したいだけなんだろう」
「う・・・うるさい、うるさーい!! あんたには関係なーい!!」
 そう叫ぶとアスカはレイを抱えたまま立ち上がり
「あんたたちが協力してくれないんなら、アタシ一人でやるわよ!」
 そう言って駆け出した。
「待たんかい」
 トウジが先回りして屋上の出入り口の前に立ちはだかった。
「ワイも人形を持ってきたり、それとママゴトみたいなことしとるシンジをそのままにしとくんはどうか思うけどな、それでも勝手に焼いてまうっちゅうんもどうかと思うで」
「どきなさい!」
「どかん」
「ねえ、アスカ」
 ヒカリがケンスケを伴ってアスカのすぐ後ろまで来ていた。
「やっぱり、そんなの間違ってるわよ。相田が言ったことが正しいかどうか、わたしには分からないけど、今のあなた、いつものあなたじゃないわ」
「アタシはアタシよ」
「ううん、違う。普段のあなただったら、どんなに碇くんのことからかっても、いじめても、碇くんが本当に悲しむようなことはしないはずよ。いきさつはどうあれ、お父さんが自分のために用意してくれた人形を燃やされたら、碇くんは悲しむわ」
「う・・・」
「なあ、惣流。今日あいつはレイのことにかかりきりだったし、お前が面白くないのは分かるよ。でも・・・」
「でもも、ストライキもないわよ! そうよ! あいつがアタシを放ったらかしにしてるのに、アタシ腹立ててるのよ! だってそうでしょ! アタシあいつの幼なじみで、あのボケボケっとしたバカにずっと付き合ってやってるのよ! それなのに、こーんなポッと出の人形女のほうを大事にされて、アタシが黙っていられると思ってんの!?」
 婉曲に過ぎる表現だが、その意味するところは明白。
「もういいわ! 何も燃やさなくても、この人形女を消す方法は他にもあるわよ!」
 そう叫ぶとアスカはヒカリの脇をすり抜けて、屋上を囲む手すりに駆け寄る。手すりはアスカたちの胸の下あたりまでしかない。
「ここからたたき落としてやるわ!」
「アスカ! やめなさい!」
「やめろ、惣流!」
 ヒカリとケンスケが、今まさに手すりの向こうにレイを押し上げようとするアスカに飛びついた。
「邪魔しないで!」
 アスカは振り返りざまにケンスケを蹴り飛ばす。その時アスカのからだが浮いて、腰が手すりに押しつけられた。
「え?」
 不意に周囲の動きがスローモーションのように感じられた。
 手すりに当たった腰が支点となって、自分の体が回転していくのが分かる。ケンスケを抱きとめているヒカリが、目を見開いてこちらを見ている。出入り口の番をしていたトウジが、何か叫んで自分のほうに疾走してくる。
 (この距離じゃ間に合わないわ)
 なぜか冷静に漫然とそう考えていた。
 ふと顔を反対側に向けると、自分の腕の先にレイがいた。こちらに向いて、見つめてきている。ああ、そうだ。レイを落とそうと、ちょうど手すりの向こうに押し出したところだったんだっけ。レイの重みで自分の体が回転していくのを、アスカはまるで自分がレイに引っ張られているように感じていた。
 (これって、あんたの仕返し?)
 思考がそこまで行き着いた時、一瞬遅くトウジの両手が空を掻き、アスカの体は完全に屋上から離れていた。
 
 校長室では、机の向こうの校長と、机よりはこちら側に立って校長と同じく自分を見つめている時田とにシンジが相対していた。
「・・・つまり、お父さんの言いつけにしたがって、君はマネキンを車椅子に乗せて登校していた。そして遅刻しそうになったので、坂道を車椅子の後ろにつかまって下りてきて、そのまま校庭につっこんだということだね」
 校長は穏やかに言った。
「はい。危ないことをしたと反省しています。時田先生にも大変申し訳ないことをしました。すみません」
「うむ・・・時田先生、いかがですか?」
「・・・本人も反省しているようですし、処分は必要ないと判断します。ただし、碇、反省文を明日朝一番に持ってこい。お前も大けがをしていたかもしれないんだぞ。自分以外の人間まで危険にさらしたことを忘れるな」
「はい。申し訳ありませんでした」
「まだ終わってないぞ。その人形のことだ。明らかな校則違反だ。我が校は自由を尊ぶ校風だが、生徒に自ら秩序を維持する意志も求めている。自分で考えてみてどうだ? お前は今日、自分のわがままで秩序を乱したと思わんか?」
 (うう・・・アスカ、君のことも言われてるんだよ・・・)
「今日のところは不問に付す。だが、明日以降は許さん。二度と持ってくるな」
「・・・・・・・・・」
「返事は?」
 その時校長室のドアがノックされた。時田は顔をしかめ、校長も少し考えたが、どうぞとドアの向こうに声をかけた。ドアが開き教師の一人が入ってきた。
「失礼します。お話中すみません。2−Aの惣流が屋上から転落しました」
「ええっ!?」
 シンジは、校長に対する報告であることも忘れて叫んだ。
「碇は2−Aの惣流とは親しかったな。すぐに行きなさい。手配はすんだのかね?」
 シンジが駆け出ていくのを見送りながら、校長は教師に聞いた。
「はい、救急車を呼びました。それまでは学校医が応急処置をしています。外傷は見あたらないそうです。一緒に落ちた人形がクッションになったらしいということでした」
 
「アスカ、しっかりして。アスカ!」
「ダメよ。動かせないの。さわってもダメ。今は我慢して」
 校舎から飛び出したシンジは人だかりを見つけ、そちらに駆け寄った。人混みをかき分けその中心に抜け出した時彼の目に飛び込んできたのは、つい先ほどまで一緒に食事していた級友が茂みの中に倒れ込んでいる姿だった。
 彼が駆け寄ろうとするのを全身を使って止めた学校医は、シンジを落ちつかせようと、できるだけ静かな声で諭した。
「心臓も止まっていないし、息もしているわ。ほら胸が自然に上下しているでしょう?検査してみないとなんとも言えないけど、気を失っているだけみたい。一応救急車を呼んでおいたから病院に行くことになるけど、まず心配要らないわ」
「よかった・・・」
 膝の力が抜け、シンジはへなへなとその場にへたりこむ。
「碇くん・・・」
 ヒカリの声が耳に届き、シンジはそちらに振り返った。ヒカリとケンスケとトウジがいたことに、シンジはようやく気がついた。
「級長」
「ごめんなさい・・・」
「どうして謝るの?・・・アスカ、どうして落ちたの?」
 怪訝な表情でヒカリの突然の謝罪を聞いていたシンジだが、その謝罪と今の状況が結びついた途端顔色が変わった。
「アスカ、なんで落ちたんだよ!」
 付き合いが長いトウジやケンスケも、見たことがないシンジの形相だった。
「落ち着け、シンジ。惣流は、レイを屋上から落とそうとして、誤って一緒に落ちたんだ」
 ケンスケの言葉にシンジは、真っ赤になっていた顔が一気に青ざめる。
「・・・な、なんで、アスカはそんなこと・・・」
「ここじゃ話せない。病院に行ってから話そう」
 救急車が校庭に滑り込んできた。

「そんな・・・そんなつもりじゃなかったんだ・・・」
「自分を責めるな。惣流のわがままが原因だ」
「でも、でも僕がアスカの気持ちに気づいていれば、そこまでアスカがレイに腹を立てることはなかったんだ」
 そこに病室からアスカの父親が出てきた。やつれたような顔をしていたが、隣に住んでいる娘の幼なじみを見つけると、近寄り話しかけてきた。
「シンジくん・・・どうやら君の人形が下敷きになって衝撃を吸収してくれたらしく、一切怪我はないと言われたよ。だが・・・脳波は正常なんだが、アスカの意識が戻らないんだ」
 そう言うと彼は壁を見つめて歯を食いしばった。
「どうして、こんなことに・・・」
 父親はシンジの隣にどさりと腰を下ろした。その振動が並んで座っていたシンジ、レイ、ケンスケ、トウジ、ヒカリに伝わり、レイはカタカタ揺れ、ヒカリはびくりと体をふるわせた。先ほどから泣いていたのだろう。ヒカリは目が真っ赤になっている。
「僕が・・・僕が悪いんです!」
 シンジは絞り出すように叫んだ。アスカの父親がすごい勢いでシンジに向き直った。血相が変わっている。
「どういう事だ。詳しく聞かせてくれ」
「シンジだけじゃありません、わたしも悪いんです」
 ヒカリが加わった。
「碇くんはあの時屋上にはいなかったんです。いたのは、わたし・・・」
「そして、ワイと・・・」
「俺です」
 アスカの父親は真っ青な顔で目を見開いている。ヒカリはつばを飲み込むと、ゆっくりと言葉を選んで話し出した。
「なぜこうなったのか、分かっているかぎり、お話しします」
 
 その頃、惣流アスカ・ラングレーはエレベーターの中にいた。エレベーターの奥で、壁にもたれて立っていた。しかし、一人で乗っていたわけではない。扉のすぐ前に、扉に顔を付けるようにして、もう一人の少女が立っていた。青い髪、白いうなじと腕と足。見覚えのあるあの女だ。綾波レイだ。
 (なんで、あんなのと一緒なのよ)
 アスカはムカムカしていた。
「・・・・・・心を開かなければ、碇くんにあなたの思いは伝わらないわ」
「はあ? なんでアタシがあのバカに思いを伝える必要があんのよ?」
「一つになりたいんでしょう」
「ば・・・何言ってんのよ!?」
「わたしは碇くんと一つになりたいわ」
「はん! 仲のおよろしいことですね! シンジもあんたのこと気に入ってるみたいだし、二人で一つにでもゼロにでもなってりゃいいじゃないのっ!」
「あなたはなりたくないの?」
「だーれが、あんなのと」
「本当に一つになるわよ」
「・・・うっさいわねっ! なりなさいよ、できるもんならっ! ふん、あんたがシンジと一つになんかなれるもんですか。あんたなんか・・・人形のくせにっ!」
「わたし、人形じゃないわ」
「シンジのされるがままになってるんじゃない。シンジがご飯を食べさせてくれたら食べて、シンジが寝かせてくれたら寝るんでしょう」
「そうよ」
「やっぱり、人形じゃないのっ!」
「うらやましいの?」
 アスカは弾かれるように壁からレイの前、扉とレイの間に飛び込むと、その右手をしなわせた。パシィン。乾いた音が鳴った。アスカの手の平に伝わってくる少女の頬の感触は、生きた肌のものだった。
「うらやましくなんかないわよ! 何よ、シンジが何くれとなく世話焼いてくれるもんだから調子に乗っちゃって。あんたはねえ、ただシンジのおもちゃになってるだけなのよ。アタシはシンジに命令して、シンジをおもちゃにできるんですからね」
「でも、それは碇くんに色々やってもらってるだけだわ」
「あんたとは違うわよ。あんたは自分では何もできない。アタシは自分でもできることを、あいつにやらせてるのよ」
「なぜ、碇くんにやらせるの」
「あいつがアタシの・・・・・・・・・・・・・子分だからよ」
「なぜ、碇くんでないとダメなの」
「子分だからっつってんでしょ!」
「なぜ、碇くんがいいの」
「あいつが・・・幼なじみで・・・小さいときからずうっとあんなで・・・放っとけないから・・・そばにいてやって・・・あいつもずっとアタシの後についてきて・・・なんで・・・なんで、あんたにこんなこと言わなきゃなんないのよ!」
「なぜ、碇くんが好きなの」
「なぜって・・・なぜも、ハゼもないわよ! 何勘違いしてんのよ・・・」
「なぜ、碇くんが好きなの」
「・・・・・・・・・・・」
「なぜ・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「着いたわ」
 アスカの背中でドアが開く。アスカは向きを変えるとエレベーターの外に出た。不意に頭の中に或る映像が甦り、そこでエレベーターの中に振り返る。
「・・・着いたんでしょう。なんで降りないのよ」
「そちらには行けない。わたしはあなたを送ってきただけ」
「ここに出たら思い出したわよ。あんたを壊そうとしたアタシを、どうして抱いたまま一緒に落ちて、地面に衝突しないようにしてくれたの?」
「碇くんが悲しむから・・・それにわたしを壊そうとしたのはあなたの心の半分。もう片方は自分が落ちかけてもわたしの手を離さなかった」
「・・・・・・・・・・・・」
「わたしが壊れると、碇くんが悲しむから」
「そういうことなら、貸し借りはなしね。シンジは譲らないわ」
「元気が出てよかったわ」
「余裕綽々ね。見てなさい。アタシを助けたこと、後悔させてみせるから」
 そう言って、アスカは笑った。
「なぜ笑うの」
「嬉しいからよ。倒しがいのありそうなライバルに会えて」
「そう・・・ごめんなさい。わたしはこういう時、どういう顔をしたらいいか、知らないの」
「あんたも嬉しいんなら、笑えばいいんじゃない」
 アスカがそう言ったのに合わせて、レイは微笑んだ。邪気が全くない、美しい微笑みにアスカは毒気を抜かれた。
「・・・は、反則よ。そんな顔するなんて」
「そう? 分からないわ。さあ、碇くんが待ってる。行って」
「言われなくても行くわよ。これからが勝負だからね」
 そう言ってレイに背を向け、アスカは前に進んだ。もう返事は返ってこなかったが、振り返ることもなかった。不意にからだが浮き上がる感覚に襲われると、目の前が暗くなった。
 自分が目を閉じていることに気づいたアスカは、うっすらと眼を開けた。
 (まぶしい・・・)
 それがアスカの持った最初の印象だった。

「すまない。ゆるしてくれ」
 頭を下げるアスカの父親を責めるつもりは、シンジには毛頭なかった。いきさつを聞いたアスカの父は、思わずシンジの頬を殴りつけていたのである。頬を張らし、口の中も切っていたが、シンジは殴られる前より少しだけ気分が軽くなっていた。
「いいんです。殺されたって文句言えません」
 ヒカリに冷やしたハンカチを当てられながら、シンジは答えた。
「いや・・・それにしても、アスカを助けてくれた人形が、アスカが落ちる原因を作っていたとは・・・」
 複雑な表情でレイを見るアスカの父。
「惣流のお父さん」
 トウジが声をかけた。
「ワイも同罪です。いや、その場に居合わせて止められへんかった分、罪は重い。殴って下さい」
 (よせよ。そんなことしても、意味ないじゃないか)
 と思ったが、トウジのこういうところがケンスケは好きだった。
「いや、しかし、それでは・・・」
 アスカの父が逡巡していると、トウジがさあ殴れと言わんばかりに頬を突きつけてくる。アスカの父が覚悟を決めて拳を握ったその時、
「惣流さんですか? 娘さんが意識を取り戻されました」
 
 看護婦に言われてアスカの父を先頭に、子どもたちが後に続いて、シンジはレイを抱いて病室になだれ込んできた。
「アスカ・・・・・・」
「パパ・・・ただいま」
 両腕を広げるアスカ。父も両腕を広げてアスカに近づいていった。
「おかえり、アスカ」
 そう言って父はアスカに抱きつき、顔をアスカの肩の向こうにやった。うれし泣きしている顔を娘に見られたくなかったのである。
 父の巨体が視野から外れると、病室のドアの前に友人たちが立っていた。トウジは放心しているように見えるくらい安心しきった顔をしており、ケンスケは鼻をこすって照れ笑いしている。ヒカリは真っ赤に泣きはらした目をして笑っており、シンジは手放しでぼたぼた涙をこぼしている。もっともアスカも涙で視界がにじんでいて、周りの様子はよく見えない。
 (嬉しい時も涙が出るのね・・・あの子にも教えてあげればよかったわ・・・そうだ、あの子!)
「シンジ、レイはどうしたの!?」
「ここにいるよ」
 シンジはレイを立たせて、アスカのほうに顔を向けさせた。
「どこも壊れてないみたいね・・・助けてくれてありがとう」
 そこにノックの音がして、再び病室のドアが開いた。校長が立っていた。
「惣流さんですね。失礼いたしました。第壱中学校の校長の高橋です。この度は、お預かりした娘さんを事故に遭わせてしまいました。お詫びの言葉もございません」
 深々と頭を下げる校長を見てアスカは父に言った。
「違うの。誰も悪くないの。アタシが勝手に落ちたのよ、パパ」
 父はアスカの肩を抱いた。
「いきさつはシンジくんたちから聞いたよ。バカなことをしたね、アスカ」
「ごめんなさい・・・」
「わたしじゃなくて、迷惑を掛けたみんなに謝りなさい」
「ええ・・・先生、ごめんなさい」
 アスカはまず校長に頭を下げた。
「それから、みんな、ごめんなさい。ヒカリ、鈴原、相田・・・シンジ」
「なんや、えらい素直やないけ。調子狂うわ、ホンマ」
 照れ隠しにトウジが軽口を叩く。
 ヒカリもケンスケも、なんとなくばつが悪くて何も言えない。
 そしてシンジは・・・
「ア、アスカ・・・僕のほうこそごめん。その・・・君を放ったらかしにして・・・」
 口にした途端シンジは真っ赤になってしまう。アスカも真っ赤になっている。
「そ、そうよ。でも、アタシもちょっと、わがままが過ぎたわ・・・」
 だんだんと消え入りそうになる声で、できるだけ素直に自分の気持ちを話そうとするアスカ。生まれたときからの付き合いであるアスカの父は、そんな娘を目を細めて見守っている。
「は、はは。こ、こんなこと言ってたら、まるで、こ、恋人どうしみたいだね。ぼ、僕はいいけど、ははっ」
 あちゃーという表情で、ケンスケとヒカリが天井を見る。ここまで身も蓋もなく言ってしまったら、三文の値打ちもない。それに恋人どうし「みたい」とは・・・。
 何重もの意味で、アスカの顔がさらに真っ赤になる。
「この・・・バカシンジ!! みんなの前でなんてこと言うのよおっ!」
 父も複雑な表情をしている。アスカはそれこそ照れ隠しもあって、口が止まらなくなる。
「だいたいあんた、おじさまの決めたいいなずけがあるのに、そのこと棚上げにしてなんてこと言うのよ! 二股かける気!?」
 アスカの父の顔色が本格的に変わった。
「それはホントか!? シンジくん、君はそんな浮ついた気持ちで、今アスカに恋人宣言を・・・」
 父はシンジに詰め寄り、その胸ぐらを掴みあげる。シンジはつま先立ちになる。
「そうだ、いいなずけって言えば、シンジ! いえ、校長先生・・・碇くんが昼に校長先生のお部屋に呼び出された時のことですけど・・・」
「君の考えているとおり、『赤い彗星』の件でこの人形のことが出てきた。碇くんのご家庭の事情も伺ったよ」
「それでは、その人形・・・レイって名前なんですけど、レイはどうなるんでしょう」
「うん。普通なら校則違反なんだがね・・・うん? これは・・・ひょっとして、冬月コウゾウ氏の流派の人形ではないか!?」
「え、ええ、その人の弟子が作ったんです。ご存じですか?」
 つま先立ちになったままシンジが驚く。
「知ってるも何も、不世出の天才ではないか。拒否したと言われているが、本来なら人間国宝にもなっていたはずの人だよ。その弟子となると何千人も希望者はいるが、実際に弟子入りできるのはほんの一握り。そんな人形がどうしてこんなところに・・・」
 (うちの店のマネキンはみんな冬月の親方が作ってます)
 などと言うとえらいことになりそうな気がしたシンジは、適当に誤魔化すことにした。
「いただきものです」
「うーん。冬月氏自身のものならともかく、弟子の作品ならそういうことがあるかも知れないなあ。こんな素晴らしいものを身近におけるなんて、君は非常に運がいいよ」
 (えらいもん、壊すとこだったわ)
 アスカは内心冷や汗をかいている。
「時田先生の説得はわたしが引き受けよう。わたしが顧問をしている美術部に君の私物を貸し出すという形で、明日から毎日持ってきてくれないか。そうすれば、君のお父さんのご希望にも沿うんじゃないかな」
 とんでもないことを言い出す校長。だいたい、校長が特定のクラブの顧問をしているなんて、どんな学校だ。
「え、ええ、父と相談してみます」
「答えろ、シンジくん。君のいいなずけとは、一体誰なんだ!?」
 アスカの父が、再び思い出したようにシンジを揺さぶる。
 話を聞いていれば分かりそうなものだと思わないではないが、常識ある人間にしてみれば我が子をマネキンと婚約させる親がいるなど想像もつくまい。
「あ、あの、その、あの、そ・・・そこの、綾波レイです・・・」
「ふざけるな。あれは人形じゃないか」
「だから・・・その・・・」
「パパ・・・シンジの言ってること、ホントよ・・・そのレイが、シンジのために碇のおじさまが選んだ婚約者、そして・・・アタシの恋敵」
 アスカの父は凍りついたようになって、手の力を抜く。シンジの体は床に転がった。
 (親子だなあ・・・)
 シンジは妙なところで感心する。
「き、君・・・まさか・・・ゲンドウくんの病気が・・・」
 わなわなと震えるアスカの父。その視線の先には、娘の事故の原因を作り、娘を助け、そして娘の恋敵となった美しい人形があった。

 (笑えばいいんじゃない・・・か)
 表情を変えることのできないレイを見ながら、アスカは心の中で語りかけた。
 (あんたの笑顔がどれだけかわいいか、シンジに話して聞かせるわ。でも最後に勝つのはアタシよ

      おわり



<INDEX>