新世紀ピグマリオン別伝

   ガラテア 学校へ行く


無名の人 さん


 
「絶対、イヤだからね!」
 夕食のあじの開きを乱暴にほぐしながら、シンジは拒絶した。
「シンジ、まずは付き合ってみろ。そうしなければ、気が合わないかどうか分からんだろう」
 ほうれん草のお浸しに醤油をまぶしながらゲンドウは諭す。
「付き合うも何も、マネキンじゃないか!」
「マネキンと人間にも相性というものがある。付き合ってやっぱり駄目だということなら、わたしも無理強いはしない」
「だーかーらっ! ここで付き合うって言ったら、綾波を学校に連れて行かなきゃならなくなるんだろうっ!?」
「当然だろう。一生一緒に暮らせるかどうか、見定めねばならんのだからな。それになんだ、綾波というのは。お前たちはいいなずけなんだぞ。そんな他人行儀な言い方をするな」
「い・や・だ!」
 シンジは箸であじの頭を背骨からもぎ離した。ゲンドウはレンコンを念入りに噛みしめのみ込むと、おもむろに告げた。
「とにかくだ。わたしは今のところ、お前たちを一緒にするつもりなんだからな。お前の考えがどうあれ、わたしの目の届くところでは二人一緒にいてもらう。
 ほらほら、自分の分を食べてばっかりおらんとレイの食事を手伝ってやれ。特にお前が彼女に出した、ブタの生姜焼きを何とかしろ。レイは肉が嫌いなのだ」
 そう言われてシンジは、レイが食卓に着いていること、そして無意識のうちに自分が、レイに食事を出していたことに初めて気づいた。ちなみにゲンドウの隣に腰掛け、ゲンドウが食事を手伝ってやっているのは、今日はリツコであった。
 (結局、慣らされちゃってるんだなあ・・・)
 シンジは深くため息を付くと、あじの頭を口の中に放り込みばりばり噛み砕いた。
 その後シンジはほとんどゲンドウと口を利かず、部屋に戻って宿題を済ませると、入浴して寝床に入った。
 シンジの悩みはいつ果てるともなかったが、その一方で眠気は確実に忍び寄ってきていた。心を圧迫していた考えはいつしか途切れ途切れとなり、やがてシンジの上にも、眠りが訪れた。

「碇くん・・・」
「あ、綾波?」
 シンジの目の前には、昼間マネキンとして現れた少女が立っていた。
「わたしと一つになりましょう。それはとてもとても・・・」
 そう言って、なぜか裸で迫ってくる少女。明らかに夢である。これは考えようによってはいい夢なのかもしれないが、あのような父の下で暮らしているシンジにとって、昼間のマネキンが夢の中で誘惑してくるなど、悪夢以外の何ものでもない。
「気持ちのいいことなのよ」
「うわっ、わわっ、だ、誰か・・・助けてーっ!」
 
「起きろ、バカシンジィ!」
「はっ」
 やはり夢だった。シンジは布団の中で目を覚まし、そして目をそばに立つ少女に向けた。
「ア・・・アスカ・・・・・・」
「やっと、気がついたあ? なんだか、うなされてたわよ」
 そこには、赤毛で青い目をした、明らかに白人の血が混じっている少女が立って、シンジを見下ろしていた。幼なじみで隣に住んでいる貿易商の令嬢、惣流アスカ・ラングレーである。
「まったく、こんな美少女が幼なじみってだけで毎朝起こしに来てやってるんだから、お礼ぐらい言いなさいよね」
「ああ・・・はあ・・・ひどい寝汗だ・・・」
「シャワー浴びたら?」
「なんで・・・あんな夢を・・・・・・」
「むぅ〜。人が親切で言ってやってんだから、聞きなさいよっ!」
 アスカは、いきなり不機嫌になった。
「いつまでも布団の中に入ってないで、ほらっ」
 そう言ってアスカは、シンジの掛け布団を引っ剥がした。
「え?・・・きゃあああああああああああああああっ!!」
 しまった、シンジはほぞを噛んだ。アスカにこういう行動をとらせた場合、絶対下らない言い訳をしなければならないということは、とうに学習していたはずなのに・・・。
「仕方ないだろう、朝なんだからア」
 バシィン。
 (やっぱりこうなるのか・・・)
 紅葉を頬に貼り付けながらシンジは嘆息し、そして、膨張させてしまった原因がどんな夢だったかは一生の秘密にしようと誓うのだった。

「父さん、ごめん、朝ご飯と弁当、作るの手伝えなくて」
 台所に降りていったシンジを、エプロンを付けたゲンドウが出迎えた。
「まったく、朝が弱いのはわたしに似たんだな。ほれ」
 そう言って、ゲンドウはシンジに弁当を渡した。
「朝を食べている暇はあるまい。早弁しろ。これは昼食代だ」
 2千円札を差し出すゲンドウ。
「ありがと、父さん」
「お前と違って、レイはすぐに起きてくれたぞ。お前に悪いとは思ったが、いずれ娘になるんだし、わたしが手伝って、朝食ももう済ませた。さあ、これがレイの弁当だ。忘れずに食べさせろ」
 見ると、レイが食卓に着いていた。その視線の先にはきれいに平らげられた食器が並んでいる。
「父さん! やめてよ! いいなずけなんて、父さんが勝手に・・・・」
「いいなずけですって!?」
 シンジは背後から聞こえてきた大声にすくみ上がった。恐る恐る振り返ると、アスカが怒りで顔を真っ赤にして、テーブルの向こうに座っているレイを睨み付けていた。やがて、アスカはシンジに向き直ると、詰め寄った。
「シンジ! どういう事よ? 答えなさい!」
「い、え、あ、そ、その」
 とっさに言葉が出てこない。アスカはそんなシンジの胸ぐらを掴んで、締め上げる。宙吊りになるシンジ。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい! べ、別にあんたがどうしようと、アタシには関係ないけど、幼なじみに黙って、勝手なことをするのは、義理が立たないってもんでしょ! いいなずけって、どういう事!?」
「ぐ、ぐるじい〜」
「わたしが決めた、シンジの婚約者だよ、アスカくん」
 しれっとした調子でゲンドウが告げた。アスカの表情が凍りつき、手から力が抜ける。シンジは重力にしたがって落ち、床に転がった。ゲンドウはシンジには見向きもせず、レイの背後に回る。アスカは無表情のまま、それを目で追った。ゲンドウはレイの両肩に自分の両手を起き、両方の人差し指で若干レイの顎を持ち上げて、レイの視線を皿からまっすぐアスカの方に向け宣言した。
「アスカくん、紹介しよう。シンジのいいなずけ、綾波レイだ。レイ、お前にも紹介しておくぞ。あの赤毛の美少女が、惣流アスカ・ラングレーくんだ」
 
 一人の少年と一人の少女が毎朝ほぼ同じ時刻に駆け抜けていく学校への一本道を、今日は一人の少年と二人の少女が駆け抜ける。もっとも、二人の少女のうち一人、いな一体は人形で、しかも車椅子に乗って、後ろから押され、前から輪の小さな鎖で引っ張られていたのだが。
「なんで、ちゃんと断らないのよ!!」
「断ったさ! でも、あの父さんが、僕の言うことをまともに聞くと思う!?」
 言葉の応酬を繰り広げながら、アスカとシンジは通学路を爆走していた。アスカが鎖を引きつつ、レイを乗せた車椅子を先導し、シンジが車椅子を後ろから押してエンジンの役目を果たしている。レイの体は、車椅子の上でカタカタ揺れたが、シートベルトのお陰で、そこから飛び出さないでいる。
「どういうつもりか、この女に直接問い質そうとしたら、マネキンじゃない。あんたとうとう、おじさまの病気が感染ったのかと思ったわよっ!」
「父さんが、勝手に言ってるだけだよ〜」
「どーだかっ! それに、よりにもよって、学校に連れてけですって!? それも、運搬用に車椅子を用意して、その上、前からも引っ張って速度が出せるようにチェーンまでつけて! 最初からアタシに手伝わせるつもりだったんじゃないのっ!!」
「でも、こうしてくれてなきゃ、完全に遅刻だよ〜」
 車椅子がバウンドして、レイの頭が前後に揺れた。「そうだ、そうだ」と言っているように見え、振り返ってたまたまそれを目にしたアスカはますます不機嫌になった。
「それ以前に、こーんなお荷物抱えてなきゃ、もっと楽だったわよっ!! あーん、もう、朝っぱらからややこしいことが起こるんだからっ!」
 (なんだかんだ言って、しっかり引っ張ってるんじゃないか)
「なんか言ったっ!?」
「ううん、もうすぐ学校だなって。ほら、この先の坂を下りれば、校庭に滑り込めるよ」
「やっばーい! 校門のところに風紀の鬼が! あと・・・1分!? シンジ、時間を縮めるわよっ!!」
「えっ、これ以上どうやって?」
「この女にも、手伝ってもらうのよおっ!」
 手伝うって、綾波がマネキンだってこと忘れたの? そう思ったシンジは、アスカの次の行動を見て驚いた。
「シンジ、速度を上げてっ!」
 わけも分からないままシンジが脚力を振り絞ると、
「便乗させてもらうわよ、人形女っ!」
 一声叫んで、アスカがレイの膝の上に跳び乗った。振動で一瞬レイの顔がのけぞる。若干速度は落ちたが、その分シンジが速度を上げていたため、これまでの速度を保っている。
「できるだけ初速度をつけるのよ! 坂を下り始めたら、車椅子のお尻に跳び乗りなさい!!」
「え、まさか・・・」
「おいてくわよっ!」
「う、うん、分かった」
 覚悟を決めるとシンジは、後でアスカに怒られないよう足をフル回転させ、坂道に突っ込むと同時に車椅子の背中に跳びついた。
「ひゃあっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
 重力をエンジンに加速しつつ、車椅子は坂道を落下するように走り降りていく。途中脇道から自転車が飛び出してきたが、アスカは掴んだ鎖を手綱のように操ってかわす。
「うわあああああああああああああああああああああああああああ!!!」
 登校中の生徒たちは近づいてくる悲鳴に何ごとかと振り向き、その場に硬直する。
 シンジとアスカとレイを乗せた車椅子はそのままほぼ一直線に校庭に突っ込んだ。 「待てっ!」
 無謀にも両手を広げて走るミサイルの前に立ちはだかったものがあった。風紀の鬼だ。しかし!
「ふげっ!」
 そのまま吹き飛ばされた。
「ああっ、時田先生! アスカ、なんてことを・・・」
「ほっときなさい! 今かまってたら遅刻よ!」
 そういう問題じゃ・・・とシンジはつっこもうとしたが、
「赤い彗星と呼んでえええーっ!」
 言っても無駄だと悟り、やめた。

 予鈴には間に合わなかったが、二人と一体が教室に駆け込んだ時担任はまだ来ていなかった。しかし、それまでは静まりかえっていたわけではなかった教室の中を一瞬沈黙が支配し、好奇の眼差しがアスカとシンジに、いや厳密に言うと、シンジとその腕の中のレイに注がれ、ひそひそ話が飛び交った。数少ない例外は、シンジの一番仲がいい友人、トウジとケンスケ、そして意外なことに級長のヒカリで、彼らは心配そうにことの成り行きを見守っている。
 視線の不快さにアスカは思わず声を上げそうになったが、シンジが手首を掴んで制した。
「見るなって言うほうが無理だよ。自分でも変だって思うもの・・・」
 アスカはシンジのこういうところが普段から歯がゆくてならないのだが、今回は折れてそのまま何も言わなかった。
 シンジは折り畳んだ車椅子を教室の後ろに置くと、レイを自分の隣の空席、一番後ろの窓際に掛けさせ、自分も教室の一番後ろにある自分の席に着いた。それを見てアスカも、シンジの一つ前の自分の席に掛けた。
 (でも・・・恥ずかしいな。みんなどう思ってるんだろう・・・恨むよ、父さん・・・)
 言い争っていると遅刻すると思い、アスカとともにレイを学校に連れてきたのはたしかに自分なのだが、そもそもの元凶に対してシンジは腹立ちを押さえることができなかった。

 足音が近づいてきて、教室前の出入り口が開いた。定年間近と一目で分かる、目の細い、生徒が見えているのかどうかも分からない、老教師が入ってきた。
 級長の号令で生徒たちは一斉に起立し、礼し、着席する。老教師も答礼した。
「皆さん、お早うございます。 今日休んでいる人は・・・」
 そう言って、彼は教室全体を見回した。
 (いよいよだ・・・)
 シンジは脂汗を流しながら、どうすべきか考えていた。どうせすぐにばれるだろうし、そうなったらアスカにも迷惑がかかるかも。父さんも厄介なことをしてくれたなあ。せめて自分から申し出て、自分の責任だってことだけは明らかにしておかなきゃ・・・。
 老教師の視線が、昨日まで空席だったところ、すなわち今綾波レイが着いている席に到達した。
 (逃げちゃダメだ!)
「せ・・・・」
 何ごとか言いかけてシンジは絶句した。老教師の視線はそこに留まることなく、さらにその隣の自分も通り抜けて、次の席へと滑っていったからである。
「いないようですね・・・欠席者なし、と・・・」
 (違うだろー!!)×約40
 教室中の生徒たちが心の中で突っ込む中、老教師はまさに何ごともなかったかのようにホームルームに入り、伝達事項を生徒たちに知らせた。
「・・・それでは伝達事項は以上です。あ、そうそう。今朝校庭で、『赤い彗星』と名乗る暴走車に時田先生がはねられました。幸いお怪我はありませんでしたが、皆さんも車には十分気を付けて下さい。時田先生は犯人を捕まえるつもりですから、何か知っている人は協力して下さい」
 老教師はそう告げると、真っ青になるシンジとまずったわねと頭をかくアスカに特に注意を払うことなくそのまま一時間目の授業に入った。今は端末を通じた授業への移行期にあたり、教師が教卓に立って授業を行うというのは、このような老先生が仕事を続けるために聖域として残された習慣に過ぎない。若い教師たちはみな端末を介した授業を行っている。その内登校の必要すらなくなるだろう。今も生徒たちは教師の話よりも、端末を通じて送られてくる問題のほうに熱心に取り組んでいた。
 彼らのクラスで教室に来て授業を行うのはこの担任だけで、彼をごまかせたということは今後ずっとごまかし通せる可能性が高まったということである。時田のことは気がかりだが、シンジとアスカは取りあえず胸をなで下ろした。

 一時間目が終わると、みな机によってきた。
「なあ、碇・・・これって、人形だよな・・・」
「うん、マネキンなんだよ。うちの店のマネキンを作ってくれてる工房のお弟子さんが作ったんだ」
「へえ〜、生きてるみたいだ」
「でも、何で持ってきたの? 先生、気づかなかったみたいだけど、ばれてたら大変だったわよ」
「そうだ。何で、こんなの持ってきたんだよ」
 (本当のことなんて、言えるわけないよ〜・・・あ、級長、まだしゃべってないってことかな)
 そう思い、シンジはヒカリの方に目を走らせた。ヒカリもまた気遣わしげにシンジの方を見ており、シンジが自分に目を向けたことに気づくと、口だけで微笑みを浮かべ、無言の意志疎通を図った。シンジはあまり鋭い方ではないが、それでも今回は分かったらしくおおいに安堵した表情を見せた。
「おい、碇。無視すんなよ」
「あ、ごめん。何だっけ」
「この人形持ってきた理由だよ」
「そ、それは・・・」
 本当のことは言えないけど、嘘はつきたくない。シンジはだんまりを決め込んだ。最初はなんやかやといってきた級友達も、黙っているか、気のない返事をするかしかしないシンジに、あるいは腹を立て、あるいは呆れ、あるいはその表情を見てなんとなく訊くのを止めて、シンジから離れていった。
 事情は一緒に登校してきたアスカも同じで、女子たちに囲まれながらどう言ったものか困惑し、結局シンジと同じ戦略を採ることにした。
 レイだけが、まったく我関せずといった体で目を前に向けていた。
 
 休み時間のたびに針のむしろに座る思いに耐えながら、シンジとアスカはなんとか昼休みを迎えた。
「トウジ、ケンスケ、昼飯一緒に食おう」
 そう言ってシンジはカバンから弁当を二つ取り出した。自分のためにゲンドウが作ってくれた弁当は、結局早弁するだけの食欲が出なかった。トウジとケンスケは内心戸惑いつつも、昼休みまでの間に二人で話し合った結果、いつも通り振る舞うことに決めていた。
「ヒカリ、いつものように、お昼一緒に食べましょう」
 そう言ってアスカも自分の弁当をカバンから取り出す。ヒカリも頷いて自分の弁当を取り出すと、連れだっていつも昼食を食べている屋上に向かった。
 彼らの学校の屋上にはベンチがある。いつものようにヒカリがベンチの右端に、アスカがベンチの真ん中に腰掛けると、これまたいつものようにアスカが言うところの2-Aの三バカ、シンジとトウジとケンスケが姿を現し、シンジがベンチの左端に掛け、トウジがその横の屋上そのものにあぐらをかいて購買部のおむすびを広げ、ケンスケはベンチと手すりの間に入って、手すりにもたれて立ったまま購買部で買ってきたパンの包みを開けた。
 ただいつもと違っていたのはシンジがレイを抱きかかえて連れてきたことであり、スペースがなかったこともあって、シンジはレイを自分の膝の上に腰掛けさせて食事を始めた。シンジ以外の全員が凍りついた。
 ここで、解説しておくと、碇家の食事において、人形が陪席する場合、人形と、その同伴者である人間一組に対し、一人前の食事が出る。つまり、人間と人形の前に、それぞれ半人前の料理が出されるのであり、人間は自分の分と人形の分を交互に自分の口に運ぶ。シンジとレイの場合、それぞれの小さな弁当箱に、一人前の半分の弁当が入っていた。
 さらに、レイは、肉が嫌いという設定が加わっているので、肉でできたものは直接自分の口に入れず、一旦自分の弁当箱に移した上でシンジが食べてあげるという、高級かつ複雑なルールがある。ゲンドウはあえてトラップとして、レイの弁当にも、肉団子、ほうれん草をハムで巻いたもの、中に何がくるんであるか分からないビックリおむすびなどを入れていたが、シンジは、ほうれん草はハムを外し、おむすびはバラバラにほぐして、肉が入っていないか確かめるといったように、巧みに罠を回避していった。
 特筆すべきは、シンジにとって、碇家流人形同伴の食事が、生涯でまだ2度目だったということだろう。門前の小僧、習わぬ経を誦むというが、環境が子どもに与える影響というのは、馬鹿にできないことを痛感させられる。
「な、なあシンジ」
 トウジがためらいがちに話しかけてきた。
「ん? 何?」
「その・・・その人形のことなんやけど・・・」
 シンジとは小学校以来の知り合いなのだが、家族どうしでは関西弁なのでいまだに東京の言葉にならない。
「うん・・・僕が頼んだわけじゃないんだけど、父さんは僕へのプレゼントのつもりなんだ、きっと・・・」
「ああ、そうか・・・」
「碇くん、ごめんなさい・・・」
 脇からヒカリが謝ってきた。
「え、どうして?」
 シンジがいぶかる。
「昨日、お母さんと一緒に、お店飛び出して来ちゃったでしょ? あれ・・・ちょっと、驚いただけだったの。お母さんも、『シンジ君に謝ってたって伝えて』って言ってた・・・」
「気にすることないよ・・・いきなりあんな場面に出くわしたら、驚かないほうが変だよ」
 そばでやりとりを聞いていたケンスケは、心の中にあることを言ったほうがいいのか、言わないほうがいいのか考えている様子だったが、意を決してシンジに声をかけた。
「じゃ、やっぱり、お前の父さん、この・・・レイだっけ、お前の『いいなずけ』って・・・」
「うん、そう・・・級長から聞いたんだね」
「ごめんなさい。そのことも謝らなきゃ・・・他の誰にも言ってないけど、この二人なら、碇くんとも仲良しだし、信用できると思って・・・」
「いいよ。級長が知らせていてくれて助かったよ。自分の口から言わなくてすんだし」
 その間にもシンジは食事を進めていく。最初はひどく違和感を覚えた友人たちも、シンジの振るまいがあまりに自然なので、状況の特殊さを忘れた。一人を除いて・・・。
 (む〜っ。何よ、バカシンジ。その人形女を学校に連れてくる手伝い、誰がしたと思ってんのよ。だいたいあんたヒカリたちに、その人形がおじさまが決めた『いいなずけ』だってこと、認められていいの!? あんた、アタシのこ・・・・・・・・・子分なのよ。アタシに断りもなく婚約者を決められて、それで黙ってるなんてどういうこと!?)
 後半は、自己欺瞞から来る言いがかりと言えよう。だが、アスカの心には本人は気づいていない、あるいは決して認めないだろう嫉妬心がメラメラと燃え上がり、次第に火勢を増しているのだった。
 ちょうどシンジが自分の食事を終えレイにも食べさせ(?)終えた時、彼らの級友の一人が屋上に上がってきた。
「やっぱりここか。碇、校内放送で呼び出されてたぞ。校長室に来いって」
「え!?」
 思い当たる節は一つしかない。真っ青になるシンジ。その様子を見て、アスカはシンジに声をかけた。
「落ちつきなさい、シンジ。後のことは心配しないでいいから、行ってらっしゃい」
 何を心配するなと言っているのか、後のこととはいったい何のことか、実に意味不明なアスカの発言だったが、シンジは頷くとまだ青ざめた顔のままでベンチを立った。
「バカシンジ、その人形連れて校長の前に出る気? 置いていきなさいよ」
 シンジは一瞬ためらったが、レイをアスカに託すと屋上から降りていった。そして、このシンジの一瞬のためらいがアスカの嫉妬の炎をさらに燃え上がらせた。
 シンジの姿が見えなくなってから、アスカはおもむろに3人の友人に語りだした。
「あんたたち・・・手を貸してほしいの・・・」
「おう、なんや」
「シンジのためなんだろう。協力するよ」
「できる限りのことはするわ」
「ありがとう・・・今朝の『赤い彗星』の事件、あんたたちも見当がついてると思うけど、シンジが関係してるの」
 (アスカもやないかい)(アスカもだろう)(アスカもでしょう。いいえ、『赤』と言っていることから見て、おそらくあなたが犯人ね)
 3人の心のつっこみがアスカに届くことはなかった。
「アタシとしては、・・・・・・子分を守ってやる義理があるわ。だから・・・」
 無理矢理な理由づけに3人は内心苦笑していた。
「証拠を隠滅しておきたいの。この人形を処分するから手伝って」
「「「!?」」」


      つづく



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