影は光の逆向きに
無名の人 さん



 ピンポーン、ピンポーン。

 「うるさいなあ」

 そう言いながら、シンジは枕元の時計に目をやった。3時を過ぎたところ。

 「今頃、学校では最後の競技前の準備だな・・・あれは時間がかかるから」

 ピンポーン、ピンポーン、ピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポ・・・

 「うるさい、うるさーい。分かったよ。出るよ」

 ブツブツ言いながら、シンジは寝床から体を起こした。背は高からず、低からず。頭がわりに大きく、横に広いため実際より背は低く見える。全体的に線が細い。まずくはないが、精悍さやたくましさとは縁のない顔立ち。どこといって特徴のない、目立たない少年である。

 「こっちは熱を出して寝てるってのに」

 今日は月に一度の体育祭の日。シンジ達はセカンドインパクトと呼ばれる大異変の後のベビーブーマーだが、同時に彼らの幼児期は乳児死亡率が極めて高い時期でもあったため、決して数が多いわけではない世代である。いずれ彼らが社会を担う世代になった時のことを憂慮した政府は大胆な教育改革を行い、生徒達の自主性を養うことを最優先事項として学校を改造した。そのために、知育よりも生徒中心のイベントの方が重視したカリキュラムが組まれており、体育祭が月に一度あるというのもそのためであった。生徒達は幼児期に耐乏生活を強いられたものも多く、野育ちのたくましさを身につけたものもまま見られた。しかし、皆が皆そうであるわけではなく、シンジのようにガッツに乏しいタイプの生徒には、やりづらい環境であった。特にこの体育祭というイベントでは、シンジは完全にクラスのお荷物になっている。シンジにとってもこのことはとてつもないストレス源で、最近では体育祭の日になると熱を出してしまう始末。今日も例によって熱を出し、両親と兄が出ていった後のがらんとした家の中に一人寝ていた。

 「この鳴らし方はトウジだな・・・はい!」

 そう言ってインターホンに出ると、予期していたのとは違う声が返ってきた。

 「あ、シンジくん。葛城だけど、起きられるみたいね。ちょっと出てきて」

 シンジは声と名前を聞いて意外に思った。彼のクラス2-Aの体育委員、葛城ミサトだったからだ。当然体育祭の日には、体育祭実行委員として働かねばならず、学校から離れられるような時間はないはずなのだ。

 「葛城さん。どうしたの?」

 シンジが玄関のドアを開けると、ミサトが門のところに立っていた。背はシンジより高く、髪は大変に豊かで長い。真っ赤なジャージの上から赤いジャケットを羽織っているが、それでも運動神経の良さが、全身から発散されている。今彼女は、手に何かを持っていた。

 「渡したいものがあるの。こっちに来て」

 何かな? そう思いながら、特に注意を払うことなくシンジはサンダル履きで一歩外に踏み出した。

 がしっ。シンジは後ろから羽交い締めにされた。

 「え?」

 「すまんのう、シンジ。委員長の命令や。来てくれや」

 そこにいたのは、シンジと背格好は同じくらいだが、黒いジャージを着込み頭を角刈りにした精悍な顔の少年、シンジとは正反対の性格だが彼の一番仲のよい友人の一人、級友の鈴原トウジだった。

 「ト、トウジ。僕は今日熱が・・・」

 「お前の熱は朝だけで、今頃はもう下っとる言うとった」

 「兄さん・・・」

 シンジは、今朝舌打ちをしながら出ていった兄を思いだした。

 「さ、悪いけど、お前にも働いてもらわなあかんのや。葛城、靴と鍵、頼むで」

 トウジはシンジを門の外に引きずり出した。入れ違いにミサトが門をくぐって、玄関に入り、シンジの運動靴を持って出てくると、シンジの兄から預かったのだろう、玄関の鍵を掛けた。

 「さ、シンジくん。着替えて」

 そう言って、ミサトは持っていた「何か」すなわち体操着をシンジに突きつけた。

 「こ、ここで?」

 「いくら何でも、寝巻きで学校に引っ張って行かれたくないでしょう」

 「そや。ここで着替えてまえ。ワシらが体で隠しといたるし」

 「で、でも」

 「今なら誰も通ってないし、男の子でしょう、そのぐらい我慢しなさい」

 シンジは泣き出したい気持ちをこらえ、路上で体操着に着替えた。

 「さ、後ろに乗って」

 ミサトは自転車にまたがり、後部座席を指差した。手回しよくタンデムシートが付けてあり、ヘルメットがかけてある。
 トウジは玄関から見えない位置に隠してあった自転車をこいで、ミサトの後ろについた。逃げられないことを悟ったシンジはそのまま、後部座席に乗り、ヘルメットをかぶった。

 「遅かったわね、ミサト。時間も人手も足りないのよ」

 校庭の一角に自転車でなだれ込んだ三人を出迎えたのは、瓶底メガネはともかくとして、金髪で化粧を施し、制服の上から白衣を羽織った、校則違反の塊のような女子。しかし、広い額が彼女の高い知性を示していた。化粧のせいか、泣きぼくろがかえって目立つ。背はそれほど高くなく、体は細い。そのせいで白衣がかなりだぶついて見える。これが二年生でありながら科学部の部長で、2-Aの理科係もやっている赤木リツコである。

 「ごみーん。ちょっち道に迷っちゃって〜。行く時と帰ってくる時って、景色がだいぶ違って見えるのね〜」

 シンジより背の高いミサトが、シンジより背の低いリツコに目線を合わせるようにして謝った。正確に言えば、シンジも知らない裏道を抜けようとして迷い、かえって時間を食ったのである。

 はあ、とため息をつくリツコ。しかしこの二人は、性格は正反対だが基本的に仲がよい。悪びれないミサトに、リツコもそれ以上はつっこまなかった。

 「で、どこなの?」

 ミサトがリツコに聞いた。

 「こっちよ。シンジくんを連れて、ついてらっしゃい」

 そう言うとリツコは先に立って歩き始めた。その背中を見ながらシンジは思った。

 「この人、授業は全然出ないのに、テストはいつも100点で、先生にも特別に認められて、朝から学校が閉まるまで科学部でなにやら実験してるんだよなあ」

 髪を金髪に染めていても、制服の上に白衣を羽織っていても、厚化粧をしてても、一芸に秀でていれば表面的にはおとがめなし、というのがこの時代の教育の在り方だった。

 「着いたわよ」

 そこは、この学校の体育祭用語で「本陣」と言われている場所だった。「本陣」とは、体育祭時に紅白のそれぞれに割り当てられたスペースで、生徒達の観戦場所の奥に位置している。競技を見守っている生徒達が人壁になって、敵側から中の様子がうかがえないので、紅白それぞれの中心人物が集まって作戦を立てるにはもってこいの場所になっている。
 2-Aは紅組だったが、本陣にシンジが入ったのは、これが初めてであった。

 「こ、これは・・・」

 シンジは、そこで見たものに絶句した。

 「これが、ネルフの有名な汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンの雛形、ミニエヴァンゲリオン」

 リツコが指し示す先には、大人の身長の二倍ほどある恐ろしげなロボットが9体、鉢巻きを締め、隊列を組んでいた。その前にはミニエヴァのパイロットで、シンジの友人である軍事部の中隊長、相田ケンスケや、いつの間にやらそっちの方に行っていたこれもパイロットのトウジがいて手を振っているが、シンジはミニエヴァンゲリオンに目を奪われて、気付くことができない。

 「ミニエヴァ・・・なぜ僕にこれを?」

 「お前が乗るのだ」

 シンジはギクリと全身を震わせた。そして恐る恐る声のした方に振り向いた。そこにはシンジにとって一番恐ろしい人物が立っていた。この中学校の制服を着込み、シンジと同じ背丈、同じ体格、同じ顔の、だが決定的に違う表情の男子。唯一の校則違反である赤いサングラス越しにシンジを睨み付ける少年。

 「遅かったな、シンジ」

 シンジの双子の兄、2-Aの委員長碇ゲンドウであった。

 おびえた表情で、シンジは兄を見つめる。兄は、まったく情愛を感じさせない表情で弟に向き合う。彼らが同じ顔をしていることに、いったいどれだけの人間が気づくだろうか。それぐらい、彼らの面立ちに現れた内面は異なっていた。そこに現れたのは、クラス委員会の委員長、ゲンドウだけではない。ジャージを着込んだクラス委員の面々、書記でロングヘアーの青葉シゲル、放送委員でトンガリヘアーにスポーツ用眼鏡の日向マコト、風紀委員のショートヘアーの伊吹マヤ、そして委員長とは別に選ばれ級長をしている、お下げの少女、洞木ヒカリらもいた。彼らはみなパイロットであり、エヴァの搭乗服であるプラグスーツを着ていた。。

 「・・・時間がない。早く乗れ」

 ゲンドウは冷たく言い放った。

 「委員長、やっぱり無茶よ」

 そう言って止めに入ったのは、お下げにそばかすの少女、ヒカリである。

 「練習もなしにいきなりこの競技に参加したら、大けがをするわ」

 ゲンドウはヒカリを冷ややかに見やった。

 「級長、クラス内の席次は平時ならば確かにあなたの方が上だが、今は体育祭だ。俺もクラス委員長の立場で、不戦敗を防ぐためにシンジをここに連れて来させた。口は出さないでもらおう」

 「でも」

 「今、シンジの意志を確認しているところだ。シンジが承諾すれば、文句はあるまい」

 ヒカリはそれ以上何も言えず、黙り込んだ。

 「乗れ・・・って、どういうこと。僕、なんにも聞かされてないよ」

 「大将機のパイロットが午前中の競技で負傷した。他に動かせるものはいない」

 「そんな・・・だって、エヴァの訓練、受けたことないのに」

 彼ら少年少女を過酷に鍛え上げたセカンドインパクト。その後の数年に渡る混乱を収拾したのは国連であった。国連は世界の混乱が小康状態に落ちついた折に、セカンドインパクトの原因を地球外知性体の生物兵器によるものと発表、生物兵器を異星人の「使徒」と命名した。その発表によると、2000年に密かに情報を得ていた国連は、調査隊の名目で手持ちの部隊を南極待機中の使徒の処分に向かわせたが、その成果は半ば成功、半ば失敗、第一使徒をエネルギー喪失の状態に、第二使徒を完全消滅に追い込んだものの、解放されたエネルギーが地球全体を襲った。それがセカンドインパクトである。

 混乱を生き延びた人々を絶望させ、かつ結束させたのはさらに15体、使徒が残っているらしいという推測だった。死の海と化した南極海から、異星人の計画書が引き上げられた。国連は直ちに解読を開始し、ある程度まで意味をくみ取ることに成功した。解読チームが出した報告によると、使徒は全部で17体おり、第三使徒以降の使徒は、第一、第二使徒を目覚めさせ、エネルギー解放を起こさせる鍵なのである。そして第三使徒は、遠くない将来必ず第一使徒と接触するために襲来するということまでが計画書に記されていた。

 この国連による報告は国際世論を一つにした。

 「使徒を倒せ」。

 世論の支持を得た国連は、使徒殲滅を目的とした特務機関ネルフを設置、その総本部と第一使徒保管所を、莫大な経済援助を見返りに日本においた。それは、白人優位の国連としては、万一の場合を考え、ヨーロッパ、アメリカからはできるだけ遠いところに第一使徒を置きたかったからだとも言われている。

 ネルフは毒を以て毒を制すの考えで、使徒のコピーを兵器とする方針を打ち出した。それが汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンである。先の大戦以来、軍事アレルギーが社会風土であった日本も、相手が人間でないとなると話が別らしく、エヴァのパイロットは子どもたちのあこがれの職業になった。またネルフの要請により、使徒相手の有事に備え、パイロット候補生をできるだけ供給する必要に迫られた日本政府は、小型のエヴァを各学校に配備し、体育の授業に取り入れることにした。そしてミニエヴァを用いた体育祭の競技が、前世紀の騎馬戦に代わるぶつかり合いの競技、エヴァ戦である。

 ただ授業に取り入れるといってもさすがに相性があり、またエヴァの訓練というのが基本的に軍事訓練であったため、まったく動かせない者、あるいは性格的にエヴァの訓練に向いていない者に強要されることはなかった。しかし、セカンドインパクト以後いくらか粗暴になった日本社会は「花は桜木、人はパイロット」といった風潮で、エヴァに乗れない子どもは肩身の狭い思いをした。シンジは性格的に向いていないため、肩身の狭い思いをしていた子どもの一人である。

 「座っていればいい。それ以上は望まん」

 「いやだよ、こんなの。僕には無理だよ。できるわけないよ」
 
 「シンジ!」

 声を荒げるゲンドウ。シンジはビクッと身を震わせる。

 「・・・兄さんは、兄さんは僕が要らないんじゃなかったの?」



 (寝てろ。お前など必要ない)



 今朝、舌打ちとともにゲンドウが残して出ていったセリフを思い出し、シンジは弱々しく抵抗を試みた。

 「必要ができたから呼んだまでだ」

 ゲンドウはシンジを冷たく見据えた。

 「今、紅と白はまったく同点、この試合で決着がつくのだ。そして大将機に乗れるのは、お前しかいないのだ」

 シンジは必死に声を絞り出す。

 「勝手だよ・・・勝手だよ、兄さん!」

 「駄々をこねるな。乗るのか、乗らないのか。乗るなら早くしろ。でなければ帰れ!」

 「帰るよ! 兄さんのバカ!!」

 ゲンドウとは目を合わせないよう俯いたまま、シンジは叫んだ。

 「そうか・・・分かった」

 そう言うとゲンドウは、トランシーバーを取り出した。携帯電話の使用は厳禁であるため、このようなイベントでの通信手段として学校から貸し出されるこれは、未だに現役である。

 「冬月、レイを起こせ。どうぞ」

 ピー、ガッ。

 「使えるのかね? どうぞ」

 ピー、ガッ。

 「死んでるわけではない。起こして連れて来させろ。通信終了」

 ブツッ。

 シンジは、俯いたまま拳を握りしめて聞いていた。

 「代わりはいるんじゃないか・・・やっぱり僕は要らないんだ」

 「シンジ、さっさと帰れ! ここには無用だ!」

 「シンジくん!」

 たまりかねて、ミサトが口を挟む。

 「あなた、お兄さんにここまで言われて、それでも逃げるの? 悔しくないの?」

 「もういい、体育委員。臆病者に用はない!」

 下を向いたまま、何も言わず、微動だにしないシンジ。

 そこに担架が運び込まれてきた。そのそばには男子と女子が一人ずつ付き添っている。 大変な長身で、やせているためになお背が高く見える、灰色のジャージ姿を着た若白髪の少年は副委員長の冬月コウゾウ、そして鴉の濡れ羽色の髪をシャギーカットにした、どことなく古風な美を体現している白いプラグスーツ姿の女子は保険委員の碇ユイである。

 碇ユイと碇ゲンドウ、シンジ兄弟は、同じ名字であることから分かるとおり親戚同士である。系図を機械的に辿ればいとこ同士になる。しかし、ゲンドウ、シンジ兄弟はもともと碇家の分家で家臣筋に当たる六分儀家の出で、両親を幼い頃事故でなくしたために碇分家に引き取られたにすぎず、したがって実際の血のつながりはそれほど濃くはない。だが、シンジはともかく、ゲンドウは幼い頃から才気を見せてきたため、ユイの両親である碇本家の当主夫妻も早くから注目していた。そんな縁でユイとゲンドウは知り合ったのであるが、以来二人の関係は次第に接近して、いまでは双方の両親公認の仲である。

 「碇、連れてきたがいいのか?」

 小学校時代からゲンドウの親友で側近のコウゾウが聞いてきた。ゲンドウが意志と情念のタイプだとすれば、コウゾウは全身に理知的な雰囲気を漂わせた寡黙な紳士といったところである。それゆえにこの二人は、昔から相補って成果を出す名コンビでもあった。

 「問題ない」

 「ゲンドウさん・・・」

 ユイがゲンドウにその縹深い目を向けた。ゲンドウもまた、ユイに目を向ける。視線と視線が交わりそして離れた。ゲンドウはユイから目を離し、担架の上の、エヴァに乗るためのスーツであるプラグスーツを着込んだ女子に目を向けた。頭に包帯を巻き、目にガーゼを当てた、あちこちにテーピングをした痛々しげな姿。片腕はどうやら折れているらしく、添え木をしてあった。

 「レイ、予備が使えなくなった。元からの作戦どおり、お前が出ろ」

 「・・・はい」

 苦しげな、しかししっかりとした返事が返し、レイと呼ばれた少女は担架から起きあがった。ユイと同じ姿の、だがユイの黒髪も、夜のような瞳も持っていない、真っ白な少女。

 シンジは新たに現れた二人の少女を上目遣いに見ていた。

 「ユイさん・・・綾波・・・」

 彼は少女達を二人とも知っていた。ユイは碇本家の令嬢だから。そしてもう一人、綾波レイは・・・3分早く生まれた、ユイの双子の妹だから。碇本家は、双子の場合先に生まれた方を弟、妹にするような旧いしきたりを未だに維持しているような家だった。それゆえにか双子であること自体が嫌われ、レイは幼い頃に元碇家の小作だった綾波家に里子に出されていた。そして綾波家の両親が相次いで他界した後碇家に呼び戻されたものの、未だに復籍を許されておらず、完全な日陰者であった。もとは同じ体から分かれた双子なのに、ゲンドウやユイが光だとすれば、自分とレイは影・・・そんなところからシンジはレイに親近感を覚えていたのかもしれない。だが今のシンジはレイへの共感よりも、ゲンドウとユイが目で話し合っていたことへの嫉妬に全身を満たされていた。

 「顔が同じなんだ・・・・・・僕だってユイさんのことが・・・」

 しかしシンジは、ユイの目にはゲンドウしか映らないことを知っていた。いくら同じ顔であっても。そしてゲンドウしか目に入らないのはレイも同じであった。

 「なんだよ、綾波・・・あんな怪我してるのに、兄さんに言われたら無理してさ・・・」

 自分は無視され、兄の言うことをみんなが聞く。物心ついた時からそうだったのに、ちっとも慣れない。

 レイはユイに支えられながら、担架から下りた。血を思わせる真っ赤な瞳、青みがかって見える色素の薄い髪、暈がかかっているようにすら思える白い膚。これが、レイが疎まれて里子に出されたもう一つの理由。彼女の体には、ほとんど色素がない。
 
 ユイはレイを支えつつ、ゲンドウにすがるような目を向けた。

 「ゲンドウさん、これ以上何も言わない。でも、レイには無茶をさせないで」

 今でも両親に疎まれている妹を、唯一人間らしく扱っているのがユイであった。

 「無茶はとうにさせている。本人も嫌がっているわけではない」

 ゲンドウはレイの自分に対する想いを知っていながら、それを利用していた。そして利用されている少女がもう一人、いや二人・・・。ゲンドウはそのうちの一人に向き直った。

 「赤木・・・レイが出た場合の勝率は?」

 リツコは答えた。

 「ナオコの試算では、オーナイン、十億分の一の確率ね。最後まで持たないってこと」

 ナオコはリツコの姉である。ナオコは4月生まれ、リツコは3月生まれなので二人は同じ学年に属していた。彼女は今体育祭実行本部詰めで何かと忙しく、ここにはいない。

 「碇」

 リツコの返事を聞いたコウゾウがゲンドウに目を向けた。しかしゲンドウはコウゾウを見ずに返事をした。

 「ゼロではない・・・シンジが乗った場合について、ナオコはどう言っていた?」

 ゲンドウがナオコを名前で呼んだことに、リツコはかすかに顔をこわばらせる。

 「・・・データが揃ってないから計算はできない。でも動かすことさえできれば、今のレイよりははるかに高いはず、ですって」

 「常識的な線だな」

 そう言ってゲンドウは、シンジに目を向けた。シンジはまだ唇を噛んで俯いている。

 「聞いたろうシンジ。お前が出なければ、レイが出ることになる。そしてほぼ間違いなく負けるだろう。それも怪我を悪化させて・・・」

 (だからって、なんで僕が・・・)

 「シンジさん、お願い。レイにこれ以上、痛い思いをさせないで」

 (ユイさん・・・ユイさんが僕を見てくれるのは、こんな時だけなんだね)

 「シンジくん。レイのこんな姿を見て、まだ逃げるの?」

 (葛城さん、兄さんの命令だからって、無理矢理連れてきた葛城さんに言われたくないよ)

 「シンジくん」

 (赤木さんだって、兄さんが言ってるから、僕を乗せたいんだろ)

 「碇くん・・・出なくてもいいわよ・・・わたしが出るから」

 いつの間にか、レイがシンジの隣を通り過ぎようとしていた。そして過ぎざまにそう声をかけたのだが、そこで何かに躓き、よろけ、倒れかけた。慌ててシンジはレイのからだを抱き留め、支える。二人の体がぶつかった拍子に傷口が開いたのか、包帯を巻かれたレイの脇腹に血が滲み、その唇からうめき声が漏れた。

 ピン、ポン、パン、ポ〜ン。

 「全校生徒に通達。生徒会長キール・ローレンツにより、生徒会臨時理事会が召集された。議題は各クラスに対するクラス費配分について。生徒会役員理事および各クラス委員長理事は速やかに生徒会第一会議場に出頭せよ。繰り返す・・・」

 「ヤツめ、ここに気づいたな・・・」

 生徒会長キール・ローレンツの所属は2−Bで、白組の影の支配者であった。そして事実上の紅組総司令であるゲンドウを目の敵にしている。本陣でゲンドウが中心となって何かをやっているらしいことを察知したキールは、生徒会長の権限を用いて、ゲンドウが絶対に逃げられないリングに引き上げようとしているのだ。

 「行かねば、どんな不利な決定をするやら分からんぞ、碇」

 「ああ。キールだけではなく、生徒会の役員理事どもにも俺は嫌われているからな」

 そう言いながら、ゲンドウはシンジに目を向けた。

 「もう時間がない。早く決めろ、シンジ!」

 決断を要求するゲンドウの叱声はシンジの耳に届いていたが、シンジはそれよりも、自分の手の平についたレイの血に目を奪われ、震えていた。そして目を閉じ、震える自分の心を無理矢理押さえ込む。

 (逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメなんだあああっ)

 やがてシンジは目を開いた。

 「・・・・・・・・・乗るよ、兄さん」

 「赤木、手短にでいい。シンジに操作法を教えろ」

 そう言うとゲンドウは彼らに背を向けて、校舎へと歩みだした。

 「級長、予算獲得にあたり、級長からの希望はないか」
 
 ヒカリの横を過ぎる時、彼女の顔も見ないまま、ゲンドウは問うた。

 「特にないわ。委員長を信頼します」

 「信頼にはお応えしよう」

 そう言い残しゲンドウは、誰も代わることのできない彼の戦場、生徒会臨時理事会に向かった。

 リツコに操作法の説明を受け、プラグスーツに着替えたシンジは改めて大将機を見上げた。

 「エヴァはコアとの相性があるのになんで僕なんだ・・・」

 後ろに立っていたリツコが、シンジの呟きを耳に留めた。

 「紅組のミニエヴァを調整したのはナオコよ。信じなさい」

 他のエヴァ戦参加者は皆自分のエヴァに乗り込み、残っているのはシンジとあと一人だけである。

 「さあ〜、張り切っていきまっしょい!」

 ワインレッドのプラグスーツの上に真っ赤なジャケットを羽織ってミサトが現れた。

 「体育祭実行委員の仕事がやっとすんだわ。ウオーミングアップもできないままだけど、わたしには十分よ。シンジくん、このエヴァ戦ではわたしが作戦部長をやるから、大将機パイロットとして指揮をわたしに委任してほしいの。かまわない?」

 「うん、喜んで」

 ぺちっ! ミサトがシンジの額を叩いた。

 「喜んじゃダメよ〜。もっと言い方があるでしょう」

 額をさすりながらシンジは、さっきのゲンドウとヒカリのやり取りを思い出していた。

 「葛城さんを信頼します」

 ミサトは一瞬だけニマッと笑うと、顔を引き締め軍隊式に敬礼した。

 「委任、承ります。それじゃいきましょ、シンジくん」

 「うん、でもまだ聞いておかなきゃいけないこと、あるんじゃないかな」

 「プラグ内でもお互い話せるから、乗ってからでも遅くないわよ。それより、ちゃんとエントリープラグまで上がっていく途中で、落っこちないでね」

 「大丈夫だって・・・たぶん」
 


 シンジがなんとかエントリープラグ内に体を納め、操縦桿を握った頃、生徒会臨時理事会が終わったらしく、ゲンドウが戻ってきた。

 「シンジは乗ったか?」

 コウゾウは答えた。

 「ああ」

 「そうか・・・赤木」

 その呼びかけに応えて、各エヴァの状況をモニターしていたリツコは、端末の前に座ったまま、瓶底眼鏡越しに目だけゲンドウの方に向けた。

 「エヴァの状態はどうだ」

 「みなシンクロ率に問題はなしよ・・・シンジくんのは問題ね・・・」

 「動かせないのか?」

 コウゾウが端末をのぞき込む。

 「逆よ。初めてにしては考えられないくらい高いわ。科学的に問題よ、これは・・・」

 「ナオコが知ったら狂喜して分析に取り組むだろうな」

 ゲンドウの独り言にリツコは再び表情をこわばらせた。



 同じ頃、体育再実行本部では、件の赤木ナオコがくしゃみをしていた。紫がかったパーマネントヘアに、紫に塗られた唇。この二つが強烈で、あまり化粧をしているという印象がない。リツコと同じく、制服の上から白衣を羽織っていた。ちなみに、眼鏡ではなくコンタクトである。

 「風邪かしら・・・バカじゃない証拠ね」

 「君にそんな証拠は必要ないだろう」

 「・・・加持くん、一般生徒はここには立入禁止よ・・・」

 ナオコは闖入者をにらみつけた。だらしなく着崩したカッターシャツの上にのっかったにやけ顔。なぜか首には必要もないのによれよれのネクタイをして、髪は後ろで束ねている。2-Xただ一人の生徒、加持リョウジである。

 「大体、あなた紅組にも白組にも参加してないでしょう。どういうつもり?」

 「俺は所属クラスがないんだ。どっちかにつくわけにはいかんだろう」

 事実は加持の言ったとおりであった。この学校は各学年A、Bの2クラスだけで、それが3学年集まって、紅組と白組になっている。ところがこの加持だけはどういうわけか、2-Xの生徒ということになっており、授業毎にA、Bの両クラスを渡り歩いて受けていた。1時間目の国語をAで受けたら、2時間目の数学はBで、という具合に。そしてそれだけではなく、何かと生徒会による締め付けの厳しいこの学校で、かなりの自由行動を認められていた。もともと探求心の旺盛なナオコにとって、放っておけない謎の人物、それが加持リョウジなのである。

 「へえ、だから両方にそれぞれの相手の情報を流しているっていうの?」

 「おいおい、そんな話どこで聞いたんだ? 俺にはさっぱり憶えのないことだ」

 「まあいいわ。今のところはこれ以上の追究は無理だし、あなたが尻尾を出すのを気長に待つとするわ。で、何の用?」

 「信用されてないってわけか」

 「あなた自身はね。情報なら大歓迎よ」

 「さびしいねえ。・・・・・・シンジくんがエヴァを動かすぞ。で、これが現時点でのシンクロデータだ」

 そう言いながらリョウジは、ナオコにプリントアウトされたパソコン上の情報を渡した。それに目を走らせたナオコは、紙面から目を離さないままリョウジに問うた。

 「・・・引き替えに何を要求するつもり?」

 リョウジはナオコの声が知的興奮にかすれているのを聞き逃さなかった。

 「俺がどうやってそれを手に入れたか詮索しないことだ」

 「・・・この件に関してだけは約束するわ」

 そう言ってナオコがようやく顔を上げた時、リョウジの姿はもうそこにはなかった。



 同じ頃白組の本陣では同じくミニエヴァが並んでいた。こちらは陣形を意識することなく、雑然と立ち並んでいる。パイロット達は既に搭乗していた。そしてミニエヴァの後ろには、紅組本陣と同じく、一人の女子が端末の前に座り、各エヴァの状態をモニターしていた。

 「イロウル、エヴァの状況に問題はないか?」

 イロウルと呼ばれたその少女は、端末のモニターから目を離さず答えた。ポニーテールで、縁なしメガネをかけたジャージ姿の少女である。

 「問題ありません。キール会長」

 「そうか・・・」

 声をかけてきたのは、ゲンドウと同じく制服姿の男子で、この学校の生徒会長だった。視力補正用の特殊なバイザーをかけているが、これについては異装許可を取り付け済みである。3年生よりも絶大な権力を持つ少年は、14歳とは思えぬ表情で自分の組のミニエヴァを見渡した。その後、バイザーを外したが、その下から現れた碧眼だけでなく金髪も骨格もアーリア人そのものといった感じの少年。その顔つきは当人の野心的な性格を如実に表していた。

 「大将機と話したい。交信できるか」

 再びイロウルに向き直った時、少年は若干目を細めた。

 「ええ、もちろん」

 イロウルはそのためのエイリアスをクリックした。

 「これはご機嫌麗しゅう、キール会長」

 液晶モニターに浮かび上がったのは、銀色のプラグスーツを纏い、不可解な笑みを満面に讃えた少年だった。プラチナブロンドのぼさぼさ髪に、ルビーのような瞳。整った真っ白い顔。レイと同じくアルビノである。

 「タブリス・・・調子はどうだ」

 キールはおどけた調子の語りかけを無視して、必要なことだけを聞く。

 「会長のおかげで快調ですよ。ククククク」

 「そうか」

 「つまらなければ、つまらないと言ってほしいもんですねえ。反応がないと寂しくなりますよ」

 「時間を無駄にする気はない」

 「カヲル、そんなにふざけていると怪我するわよ」

 イロウルが口を挟む。

 「渚、下手をすれば死ぬんだ。もっと真剣にやれ」

 別のミニエヴァから通信が割り込んできた。映像付きで割り込んできたのは、長身で肩幅広く、プラグスーツがその下の筋肉ではち切れそうな男子。頭はトウジと同じく角刈りである。

 「ゼルエル、僕はいざというときにはやる男だよ」

 「そう思っているから皆お前に、大将を任せているんだ。それに応えるぐらいの気持ちは見せてくれ」

 そう言ってゼルエルと呼ばれた少年は通信を切った。

 「そんじゃま、ご要望にお応えして」

 そう言うと、大将機の少年渚カヲルは、珍しく真剣な表情を作った。

 「イロウル、敵メンバーの構成は?」

 「さっき、体育会実行委員の方にメンバー変更の届けがあったわ。最新のメンバー表をそちらに移すわね」

 「・・・大将機パイロットが交替、レイからシンジくんか・・・能力はデータがない以上未知数だね」

 「ええ、でもこれまで訓練を受けてないってことは、完全な間に合わせよ」

 「そうかねえ。ゲンドウくんの弟に、何の取り柄もないとは思えないけどねえ」

 「どっちにしろ、彼には対策の立てようがないわ。取りあえず度外視して他のメンバーのデータを元に戦略を立てるようアラエルに伝えるから、そのつもりでいてちょうだい」

 「了解」

 そう言うとカヲルは本陣との通信を一旦終えて、自分以外8体のミニエヴァに呼びかけた。

 「さて、皆、スタンバイだ。戦闘開始までイメージトレーニングにいそしんでくれ」



 予定の時間が来た。サイレンの音と共に、観戦者達はそれぞれの陣営で二つに割れた。その間をミニエヴァが進んでいく。紅組のミニエヴァの行軍の中にシンジの乗る大将機はあった。

 「いい、シンジくん? まずは歩くことだけ考えて」

 ミサトがシンジに通信を入れる。

 (歩く、歩く、歩く、歩く)

 「シンジくん、聞こえてる!?」

 「え、あ、う、うん、聞こえてるよ」

 「だったら、返事をしてほしいわ」

 いつもだったら叱りつけるところだが、今回はシンジが大将なのでミサトは自制する。

 「ごめん、必死で・・・今、僕、歩けてる?」

 「・・・大丈夫よ。自信もって」

 (そうよね、この子、初めてだったのよね)

 「シンジ、聞こえとるか?」

 トウジが通信してきた。

 「うん、何、トウジ?」

 「今ワシは、お前の後ろについとるんや。初めてやからお前は失敗するかもしれん。でも、大丈夫や。そうなったらワシが支える。心配いらん」

 「あ、ありがと。でも、僕、やっぱり自分で何とかするよ。・・・大将だし」

 「アホ、大将やからや。ええか? 将棋で王さんが、一枚ぽつんと離れててみい。負けてまうやないかい。大将はみんなに頼れ。みんなを使え。使うほうは体育委員に任せてるんやから、お前は自分が最後まで残ることだけ考えとったらええ」

 「そ、そうか、よし、分かった」

 「分かったか。よっしゃ・・・おいシンジ、もう止まらんかい・・・アホ、止まれんのか!?」

 鈴原機が大将機を後ろから羽交い締めにする。前を歩いていたヒカリが気配に気付き振り返った。

 「鈴原! 碇くんに何してるの!?」

 「こいつ止まれへんのや! 力だけやたら強いし。ちょっとやばいかも・・・」

 「え、わ、わ、止まらなきゃ!」

 シンジの叫びを聞き、ミサトは急いで指示を出した。

 「! 待ってシンジくん、引っ張られている時に急に止まっちゃダメ!」

 本陣で通信を傍受しつつ、様子を見守っていたリツコが叫んだ。

 「いけない! この状況でいきなり止まったら、エヴァが2体もつれ合って倒れるわ!」

 重量があるだけに、受け身のとれない転倒がパイロットにどんなダメージを与えるか、計り知れない。

 すかさず、ゲンドウが体育祭実行本部にトランシーバーで命令する。

 「ナオコ! 戦闘開始だ!」

 体育祭実行本部のナオコは、端末を操ると、学校のメインコンピューターに納められた体育祭のタイムテーブルにバグを生じさせ、実際の開始時刻より30秒早く、コンピュータ制御のピストルに開始の空砲を撃たせた。白組ではイロウルが慌ててタイムテーブルを精査し、先ほどまで無かったはずのバグが生じているのを発見した。

 「やってくれたわね・・・そっちがその気なら!」

 イロウルは今回のエヴァ戦にハッカーとして参戦することを決意した。



 紅組はシンジが歩む速度に合わせ、素早く陣形を組んで移動していった。対する白組は各人が自分の能力を活かして一騎打ちをするつもりだったので、30秒後の開始に合わせてボルテージを高めつつあったのに、調子を狂わされた形となった。その間に紅組の陣形の端が白組のエヴァの内、一番前面にいたサキエル機とシャムシャエル機に達し、紅組のエヴァはそれぞれに3対1で挑んだ。エヴァ戦は、鉢巻きを取られるか、戦闘不能に追い込まれるか、場外に押し出されるかすれば負けである。紅組のエヴァたちは、サキエル機とシャムシャエル機とをそれぞれ3人がかりで押さえ込むと、鉢巻きを取ってあっさり敗退させた。


 
 「えー、予定より若干早くなったようですが、午後最初のプログラム、エヴァ戦が開始いたしました」
 「ええ、予想外の展開ですね。両陣営ともにコンピューターのエキスパートを抱えていますから、そちらのほうで暗闘があったのかもしれません」

 「ということは、当然どちらかがしてやられたわけで・・・」

 「そのとおり。つまりやられたほうは今頃報復を考えていることでしょう」

 「ははあ、今回のエヴァ戦は、エヴァ同士の戦いだけではなく、ハッカー対決も同時進行で楽しめる、という見込みがでてきたわけですね」

 「十分考えられると思います」

 「いよいよ面白くなって参りました。思いも寄らぬ、歓迎すべきアクシデントのために申し遅れておりましたが、午後の体育祭、実況は白組のわたくし、アナウンサーのイスラと」

 「解説のフェル、おなじみの双子コンビでお送りします」

 「そして公正を期するため、ゲストは紅組から選ばれますが、このエヴァ戦では体育祭実行委員の赤木ナオコさんにお越しいただきました。今ちょうど見えたばかりです。ナオコさん、どうぞよろしく」

 「え、ええ、こちらこそ」

 (やられたわ〜、白組の古狸ども! わたしに花を持たせる形で、コンピューターから引き離したわね)



 白組の本陣から離れたところでキールはジャージ姿の男子と会っていた。彼は生徒会の役員理事の一人、時田シロウである。シロウはやせ形で、髪を真ん中から両側にわけた、どちらかと言えば老けた顔立ちの男子である。

 「ふっ、時田くん、君の悪知恵もなかなかのもんだね」

 キールはバイザーを額にあげていた。

 「キール会長のお仕込みで」

 薄笑いを浮かべながらシロウも応じた。

 「高橋くんも君ほど役だってくれれば、生徒会の役員にしてあげてもいいのだが」

 「彼は万年補欠当選が相応です」

 「君も口が悪いなあ」

 どちらかと言えばエリート主義、官僚主導型の紅組に対して、白組はポピュリズムにのっかる指導者が幅を利かせていた。そのため、キールは白組内では、紅組におけるゲンドウよりも広範に支持されていた。紅組内の反官僚勢力の急先鋒高橋ノゾムは、紅組では珍しく生徒会役員選挙に打って出ていた。この学校では生徒会役員は月ごとに改選である。

 ちなみに、各クラスの委員は委員長を含め一旦任命されればリコールされないかぎり、一年間在職しつづける。そのため、生徒会理事になるには、クラス委員長になるか、委員会の委員長になるかするのが一番安定していた。そのかわり、それ相応の実務能力がないとあっという間にリコールされてしまうが。リコール権はクラス委員長に関しては当該クラスの生徒が、委員会の委員長の場合は、その委員会が握っている。ちなみにクラスの委員に対するリコール権は、所属クラスの生徒と所属委員会とが有している。

 生徒会理事のうち、生徒会役員選挙によって理事になったものの圧倒的多数は白組の生徒であり、一方委員長理事の中核になっているのは紅組の生徒たちであった。

 高橋ノゾムは数少ない紅組の生徒会役員で、赤白双方から猛烈な嫌がらせを受けながら毎回立候補し、無職ではあるが、ずっと役員を続けていた。キールが一度彼に、待遇を改善する代わりに白組に付くよう薦めたことがあったが、断っていた。紅組の中では浮き気味の異分子でありながら、それでも自分の所属クラスを裏切るつもりはないらしい。

 「彼は政治家志望のわりに、融通のきかん男だよ」

 キールは吐き捨てるように呟いた。



 「さあ、先ほど白組のサキエルとシャムシャエルがやられましたが、フェルさん、これは?」

 「ええ、作戦の違いですね。あと、どうも白は開始が予定より早かったことに調子を狂わされて機先を制せられたようにも見えますが」

 「とすると、誰が得をしたかを考えるかぎり・・・」

 「そのとおりですよ、イスラさん。あれは紅組の工作と考えるのが妥当でしょう。どう思われますか、専門家でいらっしゃる紅組のナオコさん?」

 「ナオコさんは、体育祭中コンピューターを扱う責任者として、主に委員長理事たちの強い推薦によって、体育祭実行委員に政治任命されるほどの方ですからねえ」

 「・・・・・・・・・」

 (キールの陰険じじい! 時田の陰湿ふけ顔! ここまで考えてたの、アンタらは〜)

 全校生徒が聞いているこの場で迂闊な返事をすれば、紅組の委員長理事たちの解任動議にまで発展しかねない。かといって黙っていても、状況を悪化させるだけである。報道の自由を守るとかで放送席は外界と遮断されているため、ゲンドウに助言を求めることもできない。紅組で唯一放送席に近づける放送委員のマコトはエヴァに乗っている。

 (どうしたらいいの・・・)

 理系の分野には絶大な力を発揮する彼女の頭脳も、人間のあまりに生臭い世界には適応不全を起こしていた。ナオコは今までの生涯でかつて味わったことのない無力感に襲われていた。



 「放送委員、聞こえるか」

 「委員長、どうしたんだ」

 「負けろ」

 「!? 何言ってるんだ!?」

 「ナオコが放送席に引き込まれた。戦闘開始を早めたのはナオコだ。これで分かるだろう」

 「・・・ああ、しかし高くつくぞ」

 日向機と青葉機は、戦闘と同時にオペレーティングを担当しており、その片方が抜けると言うことは、索敵能力が半分になることを意味する。

 「止むを得ん。後は他の者に任せろ」

 日向機は、今向き合っている白組のエヴァ、ラミエル機にわざと殴り飛ばされた。その直後、一緒に向き合っていた、洞木機、伊吹機がラミエル機に飛びかかり、地面に引き倒すのを見ながら、マコトは背中から倒れていった。
 
 「エントリープラグ、緊急射出」

 リツコはゲンドウの命令を待つまでもなくエンターキーを押していた。仰向けに倒れたエヴァの首だけがガクッと胸のほうに折れると、脊髄上部のハッチが開き、そこからミサイルのように、エントリープラグが紅組めがけて飛んできた。それはちょうど、左右に待避した生徒たちの真ん中を突っ切り、本陣に入ったところ、ゲンドウたちの目の前で止まった。プラグのハッチが開き、中から頭を振りながらマコトが這い出てきた。

 「怪我がないようなら走って行け。怪我をしているなら担架で運ばせる」

 「・・・走って行ける」

 マコトは、顔から外れて耳に引っかかっていたメガネをかけ直すと、ふらつきながらも放送席に向けて走り出した。
 


 「飛び入りゲストの日向マコトだア!」

 「わっ」

 「・・・(そうきたか)」

 「ああ(助かったわ)日向くん、こっちへどうぞ」

 「フェルさん、聞いていましたか?」

 「いえ、しかし、報道の中立性を守るという大義名分から言っても、赤白同数にするのを断る理由はありません」

 白組の公平さをさりげなくアピールするフェル。敵もさるものである。

 「それでは、先ほど惜しくも退場となったものの、元気いっぱいで実況に参加してくださる放送委員の日向マコトさんを改めてご紹介します。日向さん、ご自分の敗因は何だったと思われますか」

 「そうですね。敗因というのとはちょっと違いますが、頼れる仲間が大勢いるので、安心して戦え、安心して負けられた、というのはありますね。ほら、今もサンダルフォン機が倒されましたよ。わたしが抜けた穴は仲間たちがカバーしてくれてます。現在の劣勢は何が原因だと思われますか、フェルさん」

 「・・・・・・元寇の時の日本の侍たちと言ったところでしょうね」

 「神風は吹きますか?」

 「神風は・・・吹かせるものです」

 フェルが苦しげにマコトに答えた。現在紅組のエヴァ8機に対し、白組は5機、圧倒的劣勢と言える。だが

 「おーっと、紅組の鈴原機、いきなり苦しげな姿勢になったア!」

 イスラが叫ぶ。マコトもナオコもそちらを見た。トウジの漆黒のエヴァが片方の手で頭を押さえ、もう片方の手を突き出していた。指先が宙を掻いている。

 「何が起こったんでしょうか、フェルさん」

暴走という言葉が頭をよぎったが、フェルはあえて口を閉ざした。かすかに良心が痛んだ。

 「・・・苦しげであることは分かりますが、まだなんとも言えません・・・・・・」


 
 「・・・イスラ・フェルにはどこまで知らせてあるんです」

 キールとシロウのミーティングは続いていた。

 「何も・・・しゃべるのが仕事の連中だから、機密は知らせないことにしている。だが、あいつらも白組の重鎮だ。おおよそは察しがついているだろうから、あとは任せておけばいい。それよりバルディエルはどうしている」

 「今日は欠席させてあります。抜かりはありません」

 「見てるがいい、碇。われわれにだって、その道の専門家というヤツがいないわけではないのだ」
 


 うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!

 トウジのエヴァが吠えた。紅組のエヴァも白組のエヴァも静止した。ミサトはとっさに機体を、シンジとトウジの間に回り込ませる。体育祭実行本部は騒然としている。

 「ハッキング完了、いいタイミングだわ。紅組の連中今度は何をする気?」

 そう呟きながらイロウルは紅組のコンピューターを精査した。

 「ない・・・ない・・・ない! そんな、じゃ、あれは完全なイレギュラー!? おまけにこのデータ・・・」

 イロウルは真っ青になって試合場に目を向けた。

 

 バイザーをかけたキールが白組の本陣に戻ってきた。

 「(くくく、バルディエル特製の生物兵器の恐ろしさ、思い知るがいい)イロウル!」

 「! は、はい」

 「サハクィエルとの通信を開け」

 「り、了解」

 イロウルはモニターにサハクィエルを呼び出した。

 「・・・何だ、キール」

 何もかもが面倒くさい、といった様子でサハクィエルが返事をしてきた。モニターに移るその姿は、髪はぼさぼさ、片目に眼帯、血が滲んだ包帯で全身ぐるぐる巻きである。

 「あの黒いエヴァに突っ込め」

 「会長! あ、紅組の端末に送られているデータから察するに、あれは暴走しています! 暴走しているエヴァにそんなことをするのは自殺行為です!」

 イロウルが脇から口を挟む。

 「(要らぬことを・・・)年中死にたがっているヤツだ。ここらで特攻させてやっても、罰は当たるまい。なあ、サハクィエル」

 彼はしょっちゅう屋上から飛び降りている。今も両手、両足が折れており、イメージだけでエヴァを動かしている。

 「面白い・・・今日は死ぬにはいい日だしな」

 そう言うとサハクィエルは通信を切った。イロウルが目を上げると、サハクィエル機が黒いエヴァに突進して行くところだった。サハクィエルの攻撃は防御を全く考えていない。それが捨て身の強さというものになっているのか、とにかく彼は、エヴァ戦では負け知らずだった。だが、この時キールがサハクィエルに期待していたのは、サハクィエルが勝つことではなかった。

 トウジのエヴァは全速力で突きかかるサハクィエル機の頭上を越えて跳躍すると、後ろから手刀でサハクィエル機の首を打ち落とした。

 「いやっ、いやっ、サハクィエルがあああ」

 イロウルは目の前の惨状におののきながらも、サハクィエルの乗ったプラグを緊急射出させる。地面に倒れたエヴァの背中から、マコトの時と同じくプラグが飛び出す。黒いエヴァはそれでも満足せず、首を切られ倒れたエヴァを蹴り、殴り、引き裂いた。完全な反則である。

 「しっかーく! 競技中止! 鈴原機には退場を命ずるー!!」

 ついに体育祭実行委員の一人が拡声器を手に飛び出してくるが、向き直ったエヴァは彼にまで手を伸ばし、張り飛ばした。

 「きゃああああっ! レリエルが! レリエルが!」
 
 イロウルはパニック気味になる。その体育祭実行委員は同じ2-Bの生徒だった。

 「ち、役立たずが余計なことを」
 
 そう呟いてキールは体育祭実行本部に向かった。



 放送席ではイスラ・フェルコンビが比較的冷静に実況していた。

 「フェルさん、紅組の鈴原機はどうしたのでしょう」

 「どうなっているのか分かりませんが、レリエル委員が心配です」

 白組の人間が被害者であることとをさりげなくアピールする。

 「おっと、相田機を鈴原機を止めに入りました。後ろから羽交い締め。これ以上の残虐行為を止めようとしているかのようですが、それに対し鈴原機は、身をふりほどくと容赦ない猛攻。相田機、素体にまで損傷を受けている模様です。・・・これは、フェルさん、同士討ちでしょうか・・・」

 「はい、鈴原機、先ほどサハクィエル機を倒したことで血に酔ったのでしょうか。敵味方かまわずといった感じですね」

 「日向さん、鈴原機のファイトはもともとパワフルなことで知られていましたが、このように見境がなくなることはありましたか?」

 「あるわけないだろう!」

 「そうはいっても鈴原機、今や相田機を完全に下に組み敷いております」
 

 
 「葛城さん! トウジを助けて! ケンスケを傷つけさせないで!」

 シンジの叫びにミサトはようやく我に返る。

 「青葉くん! 取り押さえて! リツコ! いったいどうなってるの!?」

 「鈴原機の中に二重のエネルギー反応が・・・何らかの生物兵器に乗っ取られているようね」

 「ぬわんてインチキ! やってくれたわね、白ブタども!! 相田くん、青葉くん、鈴原くんのエントリープラグを引き抜くのよ」

 「「了解!」」

 加勢に入った青葉機のおかげで、相田機も自由になっていた。相田機が鈴原機を抑え、青葉機がその背中のハッチをこじ開けた

 「げ、何だこれ!?」



 「フェルさん、あれは・・・」

 「こういうことは、赤木さんに・・・いかがでしょう」

 「菌糸ですわね」

 鈴原機のエントリープラグは、菌糸に埋まっていた。

 「なるほど、一目でお分かりですか」

 「何がおっしゃりたいの?」

 「いえいえ、なにもそんな・・・」



 「ミサト! あれが生物兵器よ! 触ると汚染されるわ!」

 リツコが叫ぶ。

 「! 二人とも下がって」
 
 ミサトはシゲルとケンスケに命ずる。

 「鈴原機、エントリープラグを緊急射出」
 
 ゲンドウが命じる。

 「駄目です! 応答はあるのですが、菌糸が押さえ込んでいるらしく、射出されません」

 リツコが絶望的な報告をもたらした。


 
 その時ちょうど、担架で運ばれていったレリエルに代わって、キールが落ちていた拡声器を取りあげた。

 (サハクィエルをきっかけに暴走機が戦闘開始。サハクィエルを禁じ手で沈め、止めに入った味方と共食いを始める。ここまでは予定通りだ)

 「競技中止は撤回。競技続行」

 「待ちなさい! 生徒会長!」

 ミサトが外部スピーカーをオンにしてキールに怒鳴る。

 「この状況で何言ってんの、アンタ!!」

 「鈴原機の現状は君たちの不始末だ。このまま競技中止にしたら、君らに不利だと思うがね」

 「冗談じゃないわ。何か工作されてたのよ。リツコ! 鈴原くんのエヴァのデータを体育祭実行本部に送って!」

 「何か仕掛けられていたのかね。それは大変だ。すぐ調査させよう」

 「とぼける気!?」

 「とぼけるとは心外な。わたしが一枚かんでいるかのような言いぐさだが、何か証拠でも?」

 「ぐ・・・」

 現時点では証拠は何もないのだ。そしてバルディエルの仕事に対する信頼が、キールに余裕ある態度をとらせていた。

 「判定に持ち込めば、君らは確実に負けることになるよ。残り機数は優っていても、鈴原機の危険行為は目に余るからねえ」

 シロウがキールから拡声器を受け取り、付け足す。

 「だからそれはアンタたちが・・・」
 
 「生物兵器かい? そんなものは君たちの整備不良が元で、エヴァの中に入り込んだカビか何かが突然変異を起こしたんじゃないのかい?」

 エヴァには未知の部分があり、エヴァに付いたカビが突然変異を起こしたという事例も、過去にないわけではない。

 「どうするんだね。中止するならおそらく君らの負けだろう。体育祭の勝敗が決するまでに、生物兵器とやらの存在証明が終わるとも思えんしな」

 キールがとどめを刺し、ミサトは沈黙を余儀なくされた。



 「兄さん、トウジを助けて」

 シンジがゲンドウに通信する。シンジがゲンドウに望んでいるのは、試合放棄である。

 「試合が続いている以上、途中で投げることは許さん」

 「兄さん!」

 「落ちついてシンジくん」

 ミサトが割り込んできた。

 「鈴原くんのエヴァがああなったのは白組のせいよ。鈴原くんを抑えながら、白に勝ちましょう。前に進む以外に道はないわ」

 「そんな・・・」

 そういっている間にも、荒れ狂う鈴原機に、押さえ込もうとした青葉機と相田機が倒され、伊吹機が戦闘不能に追い込まれていた。白組はこの同士討ちに、静観を決め込み距離をとっている。紅組は完全に目や耳を失い、陣形を維持しつつ集団戦を続けることができなくなっていた。次に鈴原機は洞木機をにらみつける。
 
 「す、鈴原・・・」

 うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおっ!

 雄叫びをあげてヒカリのエヴァに迫るトウジのエヴァ。エヴァ戦がどんなに激しかろうと、通常では決して味わうことのない動物的な殺気にヒカリは身動きがとれない。

 「ああ、私ここで死ぬんだ・・・」

 妙に冷静にそのようなことを考えているヒカリの目の前に、何かが割り込んできた。

 「天使かしら・・・」

 それはユイのエヴァの真っ白な背中だった。

 目の前に突然現れた白いエヴァの首に黒いエヴァは手を伸ばすが、あっさりとかわされる。それに腹を立てたらしく鈴原機は、今度は碇機の肩に掴みかかるが、碇機は跳び退いて逃れる。いよいよエキサイトした様子で鈴原機は吠えながら碇機を追いかけるが、碇機は巧みなフットワークでかわし続け、鈴原機を誘導していく。その先にいたのは、白組のエヴァたち。

 「わ! 来るな!」

 近接戦闘が嫌いで、いつも司令塔的役割を買って出ているアラエルが反射的に叫ぶ。プラグの中ですくみ上がっているのは、眼鏡を掛けた小柄な男子。

 「お前ら下がれ、俺が受けとめる!」

 ゼルエルが前面に出る。

 「あ、ああ、アルミサエル、カヲルを守れ」

 気を取り直したアラエルが、それでも用心深く後ろに下がりながらアルミサエルに指示を出す。

 「りょうかーい!」
 人なつっこい感じの声が、アルミサエル機からアラエル機に返ってきた。何が嬉しいのか喜々とした表情でエヴァを操る、髪は切りっぱなしの健康的な女子。

 この後の動きは読めていた。ぎりぎりまで白組のエヴァたちのもとに鈴原機を誘導したユイは、そのまま身をかわして鈴原機をゼルエルの操るエヴァあたりに、うまくいけば白組大将機に突っ込ませるつもりにちがいない。また、そうなると分かっていても、白組としては一番戦闘能力の高いゼルエルが迎え撃たざるを得ない。詰め将棋のようなものだと、ゼルエルは唇を歪めた。

 が、これは将棋ではない。思いもかけぬイレギュラーが起こった。

 みな目を疑った。それは紅組本陣のゲンドウたちも、放送席も、本部で様子を見守りながらいざという時には、生物兵器を停止できるようポケットの中のスイッチに指をかけていたキールも、そしてユイですら同じであった。

 紅組の大将機が白いエヴァと黒いエヴァの間に割り込んでいた。

 「やめろ、トウジ! ユイさんに手を出すな!」

 「シンジさん!?」

 白いエヴァの中でユイは愕然とした。



 「体育委員! 何をしている! いつシンジを前面に出していいと言った!!」

 ゲンドウがミサトに怒鳴りつける。

 「え? は? い、いつの間に」

 目の前で起きたことを理解できていなかったミサトが狼狽をそのまま口にする。

 「わたしの後ろにいたはずなのに・・・」



 「な、何が起こったんでしょう、フェルさん?」

 「跳びました・・・」



 「跳躍したのよ・・・信じられないわ」

 端末をにらみながらリツコが呟いた。非常識な跳躍距離。シンクロ率は100パーセントを超えている。

 「こんなことって、ありえないわ・・・あ、もどった」

 シンクロ率が急降下したのである。

 そのそばではゲンドウが通信機の向こうのシンジを怒鳴りつけていた。

 「この馬鹿者! 勝手なことをしおって! お前には失望した!!」



 「だ、だって、ユイさんが・・・」

 「お前は今大将なのだ! それがノコノコそんなところに出ていってどうする!? 第一お前が友人の乗っているエヴァと戦えるのか!?」

 「! そ、そうだった・・・」

 急に体が重くなる。

 「事ここにいたっては仕方がない。シンジ、戦え」

 「で、でも、でも」

 「でもも芋もない。そこまで出たんだろう。今さら逃げるな!」

 「ぼ、僕は・・・」

 そこまで考えてなかった、と言おうとしたシンジの首が何者かに締め付けられる。黒いエヴァが大将機の首を締め上げているのである。

 「シンジくん!」

 葛城機が助けようと、鈴原機に背後から接近するが、

 「待て!」

 何を思ったかゲンドウが制止した。

 「ト、トウジ、目を覚ませ・・・」

 「戦え、シンジ! なぜ戦わない!」

 「仲間が、友達が乗ってるんだ・・・」

 「今鈴原のエヴァは暴走しているのと同じなの! 下手したら殺されるわよ!」

 リツコも呼びかける。

 「暴走を止めようとしたら、パイロットを殺してしまうこともあるんだろう・・・殺されたほうがいいよ」

 そういったことはシンジも一般常識として知っていた。

 「鈴原、碇くんを殺しちゃ駄目よ!!」

 不意にヒカリの声が響いてきた。首を絞められながらシンジが目を開くと、トウジのエヴァの腰を、洞木機が後ろから抱え上げていた。

 「級長! 迂闊に手を出すな!」

 ゲンドウの忠告は、ヒカリの耳に届いていない。

 「わたしがあなたに殺されるなら、それでもよかった。でも、あなたに友達を殺させるくらいなら、あなたを殺して、わたしも死ぬわ!」
 
 そのまま一気にパイルドライバーに持っていき、力ずくで大将機を解放しようとするが、その時、鈴原機の装甲の隙間から、得体の知れない液体がしみ出てきた。

 「きゃあああああああああああああああっ!!」
 
 液体が触れた腕に、まるで皮膚のしたに焼け火箸を射し込まれたような激痛が走る。

 「生物兵器、洞木機を浸食しています!」

 「洞木機、プラグを緊急射出の後、両腕切断」

 「はい!」

 マヤが一連の操作を行う。

 倒された後本陣に戻ってきたマヤは、ダメージが少なかったのでリツコの処方した薬を打つと、効いてくるのを待って彼女の補佐に回った。

 洞木機のプラグは、洞木機が立ったままだったので宙に打ち上げられ、パラシュートを開き、マヤの誘導に従って本陣奥の緩衝シートに着地した。

 「保健室へ運べ」

 そう命じた後、ゲンドウはシンジに呼びかけた。

 「シンジ、もう一度聞く・・・戦う気はないのか?」

 「級長は!?・・・ぐぐぐ・・・級長はどうなったの!?」

 「生物兵器にエヴァが浸食されかけた。その意味は分かるだろう。今保健室だ。これもお前が戦わなかったからだ」

 「そんな・・・だって・・・」

 「シンジ、戦うのか、戦わないのか、今すぐ決めろ!!」

 「う・・・うわあああああああああああああああっ!!

 シンジの絶叫とともに、鈴原機に締め上げられていた大将機も天に向かって咆哮する。

 「エヴァの咆哮・・・まさか、大将機まで暴走!?」

 リツコが真っ青になる。

 「シンジくん!?」

 ミサトが絶叫する。

 「勝ったな・・・」

 誰にも聞かれないような小声でコウゾウが呟く。ゲンドウはかすかに唇の端を持ち上げ、ユイの白いエヴァへの守秘回線で呼びかけた。

 「ユイ、できるだけ離れていろ。後は見ていればいい」



 はっ。

 「・・・保健室・・・・・・・」

 この部屋の常連でもあるシンジにとっては馴染みの天井が目に入った。

 「そうだ、級長は!」

 「今は病院よ。鈴原くんと一緒にね。でも大丈夫、二人とも心配ないって連絡があったから」

 「うるさいぞ・・・お前らだけじゃないんだ・・・・・・」

 離れたところにある別のベッドから、毒づくような声が聞こえてきた。

 「あ、ゴメン」

 ベッドの上には包帯ぐるぐる巻きで、眼帯をした少年。こちらを睨み付けている。

 「君、白組?」

 「ああ。・・・なぜ生きてるんだ」

 そう呟くとその少年、サハクィエルは目を閉じた。

 ミサトはシンジの耳に口を寄せると、ささやいた。
 「シンジくん、起きられるんでしょ? だったら、ちょっと来てくれる? もう閉会式も、実行委員の一応の後片づけも終わっちゃったけど、見てほしいものがあるの」

 「え? 僕、そんなに長いこと寝てたの?」

 シンジも身を起こしながら、問いかける。

 「そうよ」

 ミサトは足下に置いていたスポーツバッグを取ると、シンジの手を引いて保健室から出た。



 二人が消えた保健室には、白組の者しかいなかった。サハクィエル隣のベッドに寝ているのは、鈴原機に張り飛ばされた体育祭実行委員、レリエルである。彼はいまだ目を覚まさず、その側で2-Bの保険委員の少女、マトリエルが涙を流し、イロウルがレリエルとサハクィエルを見ながら

 「結局何もできなかった・・・」

 と無力感にさいなまれていた。



 時間は若干遡る。生徒会第2議場にて、生徒会役員理事会により、今回の体育祭実行委員代表、碇ゲンドウに対する査問が行われていた。カーテンを閉め切り、照明は切られ、その部屋にいる者たちの前にある一台一台の卓上ランプだけが唯一の明かりであった。椅子にかけるゲンドウとその傍らに立つナオコを三方から机が取り囲み、役員理事たちが席に着いていた。主席はもちろん、生徒会長キール・ローレンツである。

 「碇・・・君の弟、もう少しうまく戦えんのかね」

 「運動場とその関連設備に生じた破損の賠償、教員と観戦していた父兄への『口止め料』、大破したミニエヴァの修繕費の弁済・・・生徒会が傾くよ」

 「弟にチャンスを与えるのもいいが、もっと重要な計画を忘れてもらっては困る」

 「さよう」

 生徒会長キールが、役員理事の発言を引き継いだ。

 「内申書補完計画。優秀でありさえすれば、あくの強い生徒でも、確かにそれほど叩かれない時代にはなってきている。しかし、社会の枢要を担っているのは古い世代であるということを忘れるな。その意味では我が校は絶望的状況にある。この計画こそ、この絶望的状況下における唯一の希望なのだ」

 自分のとてつもないあくの強さを棚に上げ、キールは言い切った。役員理事の一人がが続いて発言する。

 「今回の体育祭は、途中アクシデントはあったが、どの競技も生徒の不始末などで中止されることなく全て終了したと、記録される見通しだ・・・なんとか、な。全体として問題はなかった。ただ一つの事態を除いては」

 彼はゲンドウに向き直った。

 「エヴァ戦における、紅組エヴァの二度に渡る暴走。この責めは免れんぞ、碇」

 「それは、先ほど役員理事のお一人がおっしゃった箝口令で無かったことになっております」

 「それは外向きのことだ。われわれの間でのけじめは別だ。あの暴走は結果的に、君のいる紅組に有利に働いた。そのことを詮索する向きもあるだろう」

 「2度目の暴走は、1度目の暴走が原因で誘発された。1度目の暴走の原因は現在調査中です」

 そう言いながら、ゲンドウは側にいたナオコに命じ、キールに直に何枚かの紙を手渡させた。

 (中間報告か?・・・)

 一同が訝る中キールは眼鏡を掛けると、その文書を受け取る。ホッチキスで留められたその文書の1枚目は表紙で、「調査結果」とタイトルが打ってある。それをめくると最初のページに書かれた文章の上に、大きく赤インキで短いメッセージが書き込まれていた。それは開けた直後、ランプから射す光によってか急速に揮発し、自動的に消滅した。だが、キールが内容を理解するには十分な時間だった。

 「バルディエルは我らのもとに」

 キールはまったく表情を変えず眼鏡を外し、バイザーを取り出すと、それを掛けた。

 「調査を続行したまえ。いずれにせよ、原因がはっきりするまでは糾弾は無意味だ」

 「会長!」

 結果が報告されるはずのない調査の続行を命じる発言に、役員理事の一人が異議を唱えたがキールは完全に黙殺した。

 「職員室にも探りを入れてみたが、体育祭の無期限停止などは考えていなかった。まだ学期末ではないし、挽回のチャンスはいくらでもある。今回の予算についても一考しよう。では、後は役員理事の反省会だ」

 内心の不満、憤懣はあろうが、会長による事実上の閉会宣言を受け、役員理事たちは自分の前の明かりを消し、足音も立てず退席していった。最後に残ったのは、主席に着いているキールと、査問される者の着く「被告席」のゲンドウ、そしてその側に立つナオコ。先の文書にこめられた宣戦布告に対する返答が残っていた。バイザーの奥の目がどんな表情をしているかは伺い知れない。

 「碇・・・後戻りはさせんぞ」

 そう言うとキールも明かりを消し、第2議場を後にした。



 ゲンドウはナオコと別れると、公衆電話に向かった。

 「もう用は済んだ。お客には帰ってもらえ」

 『了解』



 リョウジは電話を切ると、某所に隠れているところをかどわかしてきた黒マントの女子、バルディエルの縛めを解いた。

 「ガギエルはどうなったのよ・・・」

 憎々しげにリョウジをにらみながら、バルディエルは問うた。

 「気絶してもらっただけだ。ちょっと卑怯な手を使わせてもらった」

 リョウジはスタンガンを見せた。

 「夜道に気をつけなさい・・・」

 そう言ってバルディエルは真っ黒なつば付きの帽子をかぶると、リョウジのマンションから出ていった。

 「この部屋はもう使えないな・・・」

 リョウジは引っ越しを決意した。



 保健室に向かった。保健室前の廊下で、碇家からの迎えを待っているユイとレイにあった。制服に着替えたユイは廊下の脇に置かれたソファに掛け、同じく制服を着せられたレイの頭を膝の上に置き、寝かせていた。

 「レイはいいのか?」

 「ええ・・・シンジさんのおかげね」

 「ふ・・・」

 その時ちょうど、校庭に碇家の車が入ってくるのが窓から見えた。

 「迎えが来たわ。行きましょう、レイ」

 ユイはレイを起こすと、その腕を肩に掛けた。

 「手伝おう」

 ゲンドウはレイのもう片方の腕を自分の肩に掛けようとした。



 そこにミサトに手を引かれ、シンジが出てきた。
 ゲンドウとユイはシンジと目があった。シンジも二人を見つめた。

 無言。

 ユイは何か言おうとしたが、ゲンドウはシンジから目をそらし、レイの腕を自分の肩に掛けた。そしてゲンドウに促されたらしく、ユイもシンジから目を離すと、ゲンドウに歩調を合わせ、校庭に出ていった。そしてそのまま、3人で碇家の車に乗り込み、行ってしまった。



 「いくらなんでもひどいわねえ。気絶してた弟が目を覚ましたって言うのに」

 ミサトが怒っている。シンジは俯いて黙っている。

 (いつだってこうなんだ・・・もし保健室に寝てたのが僕じゃなくて兄さんだったら、養父さんも養母さんも絶対駆けつけてきたはずだし、怪我をしたのがレイじゃなくてユイさんだったら、今の車から本家の伯父さんと伯母さんが飛び出してきているはずだよ。それなのに、同じ子どもなのに、僕らは・・・)

 「元気ないわね。だめよ。今回一番活躍した選手がそんなんじゃ」

 「え・・・」

 「来なさい。さっきも言ったけど、見せたいものがあるの」

 ミサトはシンジを引っ張っていった。



 ミサトは二人を、運動場まで連れていった。

 「これは・・・」

 シンジが目にしたのは、あちこち地面がえぐれ、体育倉庫は全壊し、水浸しになったところさえある運動場だった。

 「わたしたちが戦った後よ。エヴァ戦が最後の競技でよかったわ」

 シンジはなぜミサトがこんなものを自分に見せるのか、いぶかしく思った。そして、自分のとぎれた記憶と、その時自分がエヴァに乗っていたこととが、目の前の光景と結びついた。

 「これ・・・まさか、僕がやったんですか?」

 「あなたのせいじゃないわ」

 ミサトはきっぱりと言い切った。

 「鈴原くんを助け、わたしたちが勝つためには仕方なかったの。あなたは鈴原くんを助けた。そしてあなたのおかげでエヴァ戦には勝てた・・・それをわたしはあなたに言いたかったのよ」

 「・・・僕のおかげで、エヴァ戦に勝てた?・・・」

 「そうよ。本当よ」

 ミサトはスポーツバッグから体育祭の優勝トロフィーを取り出した。

 「そして、これはあなたのおかげで紅組が手に入れた勝利の証」



 
 「う・・・うわあああああああああああああああっ!!

 シンジの絶叫とともに、鈴原機に締め上げられていたエヴァも天に向かって咆哮する。

 「エヴァの咆哮・・・まさか、大将機まで暴走!?」

 リツコが真っ青になる。

 「シンジくん!?」

 ミサトが絶叫する。

 その光景を見ていた全員を凍りつかせた後、大将機は鈴原機を見据えた。

 がしっ。

 大将機は、自分の首を締め付けている鈴原機の両手を掴むと、めりめりと音を立てながら引きはがした。そのまま、先ほど無意識のうちに見せていた跳躍で、鈴原機の後ろに回り込むと、菌糸がまとわりつくのもかまわず鈴原機のプラグを抜き取った。なぜか菌糸は大将機には寄生できず、粘性を失ってそのまま死滅していった。

 「清掃委員会に鈴原機のプラグ洗浄を要請する」

 ゲンドウがトランシーバー越しに清掃委員に伝達する。大将機は暴走中のエヴァには考えられないことだが、衝撃を与えないよう気遣いながらプラグを地面に寝かせた。それに清掃委員たちが、洗浄機具を持って群がる。消火栓からホースが引っ張ってこられ、プラグへの放水が始まった。

 「「「・・・暴走じゃないの?」」」

 この時、ナオコとリツコとイロウルだけが不自然さに気付いていた。
 
 不自然と言えば、プラグを抜き取られた鈴原機も依然活動を続けている。しかし、その動きには先ほどまでの狂暴さが無く、むしろ大将機に怯えているように見える。
 大将機が黒いエヴァに一歩踏み出す。黒いエヴァは、くるりと反転し、一目散に逃げ出した。逃げ出した先にいるのは白組のゼルエル機、アラエル機、アルミサエル機、大将機。

 「うおっ」

 「ひいいっ」

 「うひゃー」

 「好意に値しないねえ」

 余裕があるような反応を見せているパイロットもいるが、接触したらどんな目に遭うかは既に実証されている。白組のエヴァ4機は、そのまま逃げ出した。その後を追うように走る黒いエヴァ。プラグが抜けたせいか、背中からも、全身の装甲の隙間からも粘液をまき散らしている。その後からはさらに紅組大将機が追ってくる。

 「ゼ、ゼルエル。迎え撃てよ」

 アラエルが真っ青になって、懇請する。

 「さっきはあんな粘液が出てくるとは知らなかったんだ。第一、プラグがなくても動いてるのがおかしい。俺が戦える範疇を越えている」

 「アルミサエル、ああいう変なの、結構好きだろ? 生物部で珍虫奇虫のコレクションをしてるって聞いてるぞ」

 「アタシの守備範囲じゃないもーん。あれって、菌類だからバルディエルの好みだよ」

 「「!? ま・さ・か・・・」」

 「やれやれ、味方に足を引っ張られたってわけか。絶望に値するねえ。もういやっ、てことさ」

 「わああああっ! 誰がっ、誰が、あのマッドを焚き付けたんだあああっ!!」

 「やかましい! 紅組のエヴァに寄生させようなんて、そんな無茶な計画の後ろ盾になれるヤツは限られてくるだろう」

 「ひいいいっ! 会長だな!? 会長が相手機の同士討ちを狙ってやったのに、その策がこっちに跳ね返ってきて・・・」

 「おおかたそんなとこだろうさ」

 「戦う俺たちに何の相談もなしに・・・ぎゃああああす! 策士策に溺れるとはこのことだーっ!」

 「うほほーい。あれが冬虫夏草になったら、アタシが採集してもいいよ。冬エヴァ夏草ね。この前手に入れた宿無しサナダムシの隣に置いちゃおう」

 わめくアラエルは聞いておらず、聞いていたゼルエルは呆れた。

 「何を呑気な・・・」

 「へぐっ」

 ゼルエルが振り返ると、全力疾走していたアルミサエル機がすっころんで中破していた。足を引っかけ、倒れたアルミサエル機から鉢巻きを奪っているのは紅組葛城機。

 「悪いわね。これも仕事よ」

 「てんめえ」

 正面切って戦うのではなく味方を沈黙させたミサトに対し、ゼルエルはかなり本気で怒った。アラエル機、大将機から離れて、逆走する。その横を黒いエヴァが走り抜けていった。

 「やってくれたな。俺が相手だ。卑怯なやり方しかできんヤツに、本当の戦いを教えてやる」

 「周りを見たほうがいいんじゃない」

 「何?」

 ぐおあああぁあああああああああああああああ!

 咆哮しながら紅組大将機が、地響きを立てて走ってきた。走った後の地面にはなぜか所々、穴ぼこが開いている。
 その瞬間、葛城ミサトは生まれて初めて、エヴァがエヴァにアックスボンバーを決めるところを目撃した。
 


 「し、失礼いたしました。予想外のアクシデントの連続です」

 しばし呆然として沈黙していたイスラが、自分の仕事を思い出した。

 「アックスボンバー・・・エヴァ戦ではおそらく初めてでしょうね」

 フェルはイスラに触発されて発言するが、完全に目の前の光景に心を奪われている。

 「数の上で圧倒的に不利だった大将機、一転大優勢です・・・おそらく暴走しているのでしょうが」

 実況として現状をまとめるイスラ。

 「鈴原くんのエヴァが暴走しても競技続行と言った手前、今さら中止にはできませんわね」

 大将機の状態を暴走と言い切れるかどうかは考察中だったが、ここぞとばかりにナオコが嫌みを言う。

 「神風はこっちに吹きましたね」

 マコトは発言とは裏腹に、これからどうなるのか、動揺しきっていた。


 
 「ち、ここまでか・・・」

 キールはすべてを諦めて、停止信号を送った。黒いエヴァの糸の切れた操り人形のように停まり、走っている速度のまま、前方へと崩れていった。アラエル機と白組大将機はようやく停まることができた。そしてキールは体育祭実行本部に向かった。

 「はあはあはあ、な、渚・・・何とか生き延びたな」

 「幸運だねえ、僕たちは」

 「あぶないっ! よけてえええっ!!」

 イロウルからの通信が入った。何ごとかと訝った時、自分たちが何かの影の中にすっぽり収まっていることに、二人は気付いた。

 「? 何の影だい、これは?」

 「! 上だ、渚!! よけろ」

 本能的にできるだけ身を低くし、はうようにして逃げたアラエル機に対し、カヲルは大将機の矜持もあって、飛びすさってその場から離れようとした。そのため、白組大将機の頭部は、エヴァでは考えられないハイジャンプを見せ、降下してきた紅組大将機の繰り出す、鎌のようなキックを逃れられなかった。

 ばき。

 鈍い音が響いた。

 頭部の装甲の破片をまき散らしながら、白組大将機は飛んでいき、場外の体育倉庫に突っ込んだ。地響きを立てて、紅組大将機は着地する。地面が割れる。埋まっていた水道管にひびが入ったらしく、噴水が上がった。エヴァ戦の勝者が決定した。



 (本当に暴走が起こるとは予想外だった。だが、何もかもお前の思い通りにはさせんぞ、碇。次の体育祭のこともある。手強い敵は潰せるうちに潰しておくに限る)

 救急車を呼べとの叫びが聞こえる白組大将機周辺にまったく関心を示すことなく、キールは体育祭実行本部のマイクを取った。

 「競技終了。勝者、紅組。それではこれより、暴走機の捕獲に移る。生徒部隊、および現在稼働しているエヴァは、紅組大将機をおさえろ。これ以上の被害を出さないことを最優先とする」

 つまり、パイロットの生死を問わないという意味だ。ここで、やたら好戦的なゼルエルや特攻型のサハクィエルが残っていなかったことは、シンジにとって幸運だったろう。自分で直接戦うのが嫌いなアラエルが逡巡し、ミサトとユイが、キールの言いなりになってシンジにダメージを与えるのをためらっているうちに、そして格闘技のクラブおよび軍事部、戦略研究会、戦自同好会からなる生徒部隊が作戦遂行にはいる前に、紅組大将機は自然に沈黙したのだから。
 
 「大将機、エントリープラグ緊急射出」

 ゲンドウの命令で、大将機からシンジの乗ったプラグが射出され、ヒカリのプラグと同じく、紅組本陣奥の緩衝マットに着地する。

 「冬月、少し頼む」

 そう言ってゲンドウはプラグに向かった。

 コウゾウはトランシーバーで、キールに呼びかけた。

 「危険は去りました。作戦中止を宣言していただけますかな。どうぞ」

 「・・・作戦中止。生徒部隊はそのまま待機だ」
 
 本部のマイクでそう命じた後、キールは冬月に返事を返した。
 
 「冬月君、紅組大将機の格納は、君たちが責任を持って行いたまえ。通信終了」

 ゲンドウが外からプラグを開ける間に、ユイ、ミサトはエヴァを降り、プラグに駆け寄ってきた。

 中ではシンジが眠るような顔で気絶していた。ゲンドウは体をプラグに入れ、見たところ怪我がないらしいことを確認すると、シンジの体をシートから抱え上げた。そして

 「保険委員・・・シンジを頼む」

そう言ってシンジをユイに渡した。



 シンジは穴だらけの運動場を見まわした。噴水はもう停まっていた。

 「・・・・・・・・・」

 シンジは、まだ自分が紅組にエヴァ戦での勝利をもたらしたことを信じられないでいる。

 ミサトは、シンジから見えるように、運動場に優勝トロフィーをかざした。

 「シンジくん、あなたが出てくれたおかげで、わたしたちは練習を無駄にせずにすんだ。そして、あなたのおかげで勝てたわ。あなたは、人に褒められる立派なことをしたの。だから胸を張っていいのよ」

 シンジの目から涙がこぼれる。慌ててシンジは顔を覆った。

 (贅沢なのは、分かってる・・・だけど、僕は・・・僕は)

 涙を拭ってミサトに微笑んでみせたいのに、そうできない。後から後から涙があふれ出す。

 (その言葉を・・・)

 シンジの胸に、先ほどミサトに引っ張られて出た、保健室前の廊下での出来事が甦った。

 (あの時、あの場所で、あの二人から聞きたかった・・・・・・)


つづく




 後書き キャラ設定解説をしておかないと、絵が浮かびにくいかもしれません。蛇足と思われる方もいらっしゃいましょうが、ご容赦下さい。
 碇シンジ::外見は本編のまま。服装はおおむね学生服の夏服。今回は最初パジャマに、体操服、プラグスーツといった順序で着替えている。
 碇ゲンドウ:シンジと同じ外見。常に険しい表情。おおむね制服だが冬服。前が金ボタンではなく、チャックの学ラン風。色は青灰色。赤いサングラスをかけている。
 碇ユイ:本編のレイが黒髪、黒い瞳、色素のある肌になった外見。服装はおおむね女子の制服の冬服。スカート丈は長く、黒いストッキング。今回は純白のプラグスーツ、最後だけ制服に。
 綾波レイ:本編のレイと同じ外見。女子の制服の夏服。今回はプラグスーツのみ。
 葛城ミサト:シンジより背は高いが、大人になりきっているわけではないので本編よりスレンダー。髪は豊かな紫がかった黒髪。真っ赤なジャージに赤いジャケット。今回、最初はこの格好で、途中からワインレッドのプラグスーツ。
 赤木リツコ:背はシンジより低く、華奢な体格。頭だけ大きく、額も広い。本編と同じくらい、化粧が濃い。瓶底メガネをかけている。制服の夏服に白衣を着ている。
 赤木ナオコ:紫色のパーマっぽい髪型に、紫色の口紅(?)背丈はシンジと同じくらい。制服は冬服。今回は白衣を羽織っていたが、常用しているわけではない。スカート丈はユイと同じく長め。ストッキングは紫色。
 冬月コウゾウ:190センチ近い長身。ゲンドウと同じく制服の冬服。髪は若白髪で真っ白。顔は面長だが、当たり前ながら少年の顔。
 伊吹マヤ:本編と同じ外見で、背だけヒカリと同じくらいに縮めた感じ。普段は制服の夏服。今回はプラグスーツのみ。ピンク色。
 青葉シゲル:本編よりかなり若返った感じ。背はシンジよりも高い。ロングヘアーは同じ。普段は制服の冬服。今回は青緑色のプラグスーツ姿のみ。
 日向マコト:本編と同じ顔のまま、背だけシンジと同じくらいに縮めた感じ。メガネと髪型は本編と同じ。普段は制服の夏服。今回はサンライトイエローのプラグスーツ姿のみ。
 洞木ヒカリ、鈴原トウジ、相田ケンスケ、次回登場予定の惣流アスカ・ラングレー:本編と同じ。前3人の今回の格好は、トウジが最初黒ジャージだったのを除くと、プラグスーツ姿のみ。プラグスーツの色もしくは柄は、それぞれチャコールグレー、黒、迷彩柄。なお、洞木ヒカリは三つ子の真ん中で、同じ日に生まれた姉のコダマと妹のノゾミがいる。トウジには11ヶ月違いの妹が同じ学年にいるが、現在入院中である。
 この世界ではエヴァは大人でも動かせますし、コアに魂を入れなくても動かす技術が確立しています。

 同じアイデアでどなたか書いてらっしゃるかもしれません。ご存じの方がいたら、教えて下さい。
                                      無名の人

付記  作中のサハクィエルの自殺願望は、でら様の作品からお借りしました。この場を借りて感謝申し上げます。



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