ピュグマリオーン
無名の人 さん



「ただいま」
「シンジ、店のほうから帰ってくるなと、いつも言ってるだろう」
「ごめん、ごめん。父さん、何かない?」
 ふーっ。店の主、碇ゲンドウは大げさに息をつくと、マネキンに売り物の婦人服を着せかけた姿勢のまま、答えを返した。
「大福があるから食え。食ったら、店を手伝え」
「へいへい」
「シンジ、返事は重ねるな」
「はい・・・」
 そう言ってシンジは、住居に繋がる店の奥に入っていった。
「お前の母さんの分はおいておくんだぞ」
 シンジの後ろからゲンドウの注意が追いかけてきた。

 水屋から皿を二枚取り出すと、いつも菓子がある場所から、大福の箱を引っぱり出した。いつもどおり、京都の店のお菓子だ。
「父さん、大学が京都だからな・・・母さんと会ったのも、その頃だから、母さんが忘れられないのと同じで、京都のことも忘れられないんだな」
 そう言ってシンジは大福を自分の皿に取り、そしてもう一枚の皿に取った。
「今日は僕が母さんのところに持っていこう」
 そう言うとシンジは、もう一枚の皿を持って、仏間に向かった。
「母さん、大福だよ・・・」
 仏壇の中には、シンジが物心ついたときから「母さん」と呼びかけている位牌が一柱。表には「釈由以信女」、裏には「俗名碇ユイ」と彫られている。
 鈴を鳴らして、手を合わせる。仏間の欄間にかかっているのは、碇家の祖父母の写真だけで、シンジの母のものはない。父ゲンドウが、すべて処分してしまっていた。
 このことで、昔シンジはよく父親に噛みついたものだ。そしてそんな時、ゲンドウは決まってこう言っていた。
「人は忘れることで生きてゆける」
 中学2年生になり、あの頃よりも、少し大人に近づいたシンジは、父の気持ちが、なんとなく分かるような気がしている。

「おおい、シンジ」
 店のほうから、少しいらだったような声が聞こえてきた。仏壇に上げたばかりの大福を見つめながら、つい物思いに耽っていたシンジは我に返った。
「いけない、いけない」
 そう呟くとシンジは、大声で「はあい」と返事をして仏間を後にし、仕事用のエプロンを引っかけて、店に戻った。
「遅い。何をしていた」
「ごめん。母さんに大福を・・・」
「・・・そうか。売り物の埃をはらえ」
 そう言ってゲンドウは、シンジにブラシを渡した。
「うん、分かった。ここは僕が店番してるから、父さんは奥で休んでてよ。帳簿を見るか、何かそんな仕事もあるでしょう」
「うむ。お客様が見えたら、呼んでくれ」
 ゲンドウは奥に引っ込んだ。ゲンドウが店番をしているときよりも、シンジが店番をしているときの方が、客の入りがいい。
「あのヒゲ、剃ったほうがいいと思うんだけどなあ。父さんには悪いけど、ずいぶんお客をなくしてるよ、きっと・・・」
 父を婿養子に迎える際、「婦人服の碇」先代店主が
「うちの商売に向かないから」
 と言って、最後まで難色を示していたというのは、いまだにご近所の語りぐさである。
「母さん、どうしてあんな顔の父さんと一緒になったんだろう。母さんの顔、知らないけど、贅沢言えないってことないと思うけどなあ」
 そう呟きながら、シンジは試着室の鏡に、自分の顔を映した。
 「父親よりは母親似だって、ずっと言われているんだけどなあ」
 シンジにとって、母親の顔を想像する唯一の手がかりは自分の顔であった。男としては精悍さに欠けるが、女顔ということに我慢をすれば、そこそこの美形。家が婦人服を商売にしていることもあって、小さい頃はからかいの種になり、結構けんかをした。
「みんな子どもだったんだな。トウジやケンスケとも、今じゃ、仲いいし」

 チリンチリン。玄関のベルが、お客の来店を告げた。
「いらっしゃいませ」
「あ・・・碇くん、こんにちは」
 そこにいたのは、級長の洞木ヒカリとその母親だった。
「ヒカリ、お友達?」
「うん、同じクラスの碇くん・・・」
 洞木ヒカリは今年、シンジが2年生に上がる時に、転校してきた女子である。誰もやりたがらない級長を押しつけられて、最初は言うことを聞いてくれない級友達に泣かされていた。しかし、だんだん気が強くなってきて、今では2年A組の鬼母と化している。最初よくからかったり、ふざけたことを言ってちょっかいを出していたトウジは、その時の仕返しのようにこき使われている。
 ヒカリの母親がシンジに話してきた。
「親戚の娘さんが結婚するのよ。こちらでは、長女と三女の分をこの前、見立ててもらったんだけど、その時この子風邪引いちゃってね。それで今日はこの子だけ。お願いできるかしら?」
「もちろんです。どうぞ、かけてお待ち下さい」
 近所の奥さん連だと、シンジは生まれた時からの顔なじみである。しかし、今日のお客は最近引っ越して来たばかりの、シンジにとっては初顔合わせの人だ。シンジは言いつけ通りベテランに任せることにした。
「店主、お客様です」
「分かった。待っていただいていてくれ」
 奥からゲンドウが出てきた。シンジの視界のすみに、ヒカリが顔を引きつらせる様が映った。
「シンジ、新しいマネキンが届いた。服は着せてあるから、こちらに運んできてくれ」
「分かりました」
 シンジは入れ違いに奥に入っていった。

「青葉さん、こんにちは」
「お、シンジくん、久しぶり、八つ橋ごちそうになってるよ」
 青葉シゲルは八つ橋をほおばりながら、シンジに返事を返した。
(父さん、一番いいのは隠しておいたな・・・)
 大いに機嫌を損ねたが、店から持ち帰ってきた営業用スマイルを崩さず、シンジはシゲルに挨拶を続ける。
「お粗末様です。それよりも、いつも当店のためにいいものを作って下さってありがとうございます」
「いや、こっちこそ、お礼を言いたいぐらいだよ。うちの工房の職人達がなんとか食っていけるのは、碇さんのお陰だしね」

 ゲンドウはマネキンに妙なこだわりがあり、大量生産のマネキンでは満足できなかった。先代店主の目の黒いうちは、その性癖も鳴りをひそめていたが、先代が隠居してからは、自分のポケットマネーから金を出して、人形師にマネキンを作らせるようになった。
 先代は、ゲンドウの人形狂いに最期まで危惧の念を抱きながら、不帰の客となった。
 その頃にはゲンドウは青葉が勤める工房を見つけていた。人間国宝を拒否したと言われている、知る人ぞ知る高名な人形師、冬月コウゾウの工房である。21世紀も15年目の今日びでは、生きた化石といってもいいぐらい昔気質の職人であったが、その職人気質が災いして、実入りのいい仕事は少なかった。そこに声をかけたのがゲンドウである。
「マネキンを作っていただきたい。わたしの理想のマネキンを作れるのは、先生、あなたしかいない」
 この時二人がこれ以上何をしゃべったのかは、他の誰も知らない。

「あの先生とかなんとか言われるのが大嫌いな親方が、碇さんだけには呼ばせとくんだもんなあ。碇さんて、ただ者じゃないと思うよ、シンジくん」
 シゲルにそう言われ、シンジは、親方こと、冬月コウゾウを思い出していた。長身で白髪、気難しそうな顔をした老人、それ以上の印象はシンジにはまだない。
「少なくとも、人形に対する愛着は、類を見ないものだね。親方が碇さんのために一生懸命仕事をするのも分かるよ。そういや前言ってたな。碇さんの店は、うちの人形の嫁入り先として、間違いのないところだ、って」
(よ、嫁入り先・・・)
 あまりといえば、あんまりな比喩表現に、シンジは絶句した。
「・・・青葉さん、新しいマネキンは?」
「ああ、新しい娘はそこに連れてきているよ」
(・・・ひょっとしたら、この人達にとっては、これって比喩じゃあないんじゃないか?)
 悪寒が走るのを覚えながら、シンジはそれに近づいていった。
「あれ?・・・外人ですか?」
「いや、日本人なんだけど、アルビノなんだよ」
「アルビノ?」
「色素異常の一種だよ。体の色素が不足している人のことだ」
「ははあ、だから白いんですね」
「そう。髪の色も抜けて、青くなっているし、瞳は血の色が透けて真っ赤になっている」
「言葉だけ聞くと、怖い感じですが、なんだか、その・・・」
「悪くないだろう?」
「ええ」
 シンジは本心からそう言った。もっとも、その時自分が抱いた感じを口にはしなかったが。
「俺が彫ったんだ」
「え? 青葉さんが?」
「ああ、スケッチと習作が親方の目に止まってね。最後まで仕上げてみろって。・・・・・・製作秘話、聞きたくないか?」
「ええ」
 なぜこんなものを作ったのか、シンジは興味が湧いてきた。

「夢に出てきたんだ。それはものすごい悪夢だった」
 夢と聞いて、拍子抜けしたシンジだったが、悪夢と聞いて好奇心をそそられた。
「どんな悪夢だったんです?」
「夢の中で、俺は軍人だったんだ。人類のために何かを守っていた。核兵器よりももっと恐ろしいものだ。ところがある日、同じ人間が俺たちの基地に攻めてきたんだ。俺たちは抵抗したが、仲間は次々に殺されていった。全滅は時間の問題だった。
 そこに彼女が現れたんだ」
「青葉さんたちを助けに来たの?」
「人類を滅ぼしに来たんだ」
 沈黙。
「彼女は、俺たちが守ってきた、恐ろしいもののある場所から現れた。夢の中の俺にとって、彼女は同じ基地にいた仲間だった。それが巨大な姿になって、床を通り抜けて顔を出した。そしてその巨大な彼女の体から、小さい彼女が大勢わいて出て来るんだ。生き残った俺の仲間たちは、みなその小さな彼女にとりつかれて、溶けて無くなってしまった。後には血だまりだけが残っていたよ。消える時、みなは恍惚としていた。まるで、最愛の人に抱きしめられているみたいに。だけど、俺は怖かった。小さい彼女が俺に迫ってきたときも、俺にはその娘がそのままにしか見えなかった。化け物としか思えなかったよ。そして俺は絶叫し、目が覚めた」
 シンジは息をついた。青葉が夢の話をしていたのを思い出したからである。

「それで、枕元のスケッチブックに、夢に出てきた少女を描いたってわけさ」
「そうだったんですか」
「でも、あれ、ホントに夢だったんだろうか。前にどこかで経験したことのような気がする・・・」
 既視感というやつとは違うのだろう。だが、シンジはシゲルのその言葉を聞いて若干動揺した。このマネキンを見た時、シンジが抱いた感じとは「懐かしさ」だったからだ。
「そ、それじゃ持っていき、ます、けど・・・」
 シンジはそのマネキンが着ている服にようやく気がついた。
「な、なんで、学校の制服来てるんですか・・・」
(うち、制服扱ってませんよ)
「ああ、レイが今日来ることは碇さんも知ってて、用意しといてくれたんだ」
「レ、レイ!?」
「うん、綾波レイ。夢の中に出てきた彼女の名前。親方が喜んでね。『お前もとうとう、人形のモデルが夢の中に一個の人格として現れるようになったか。わしが作った人形は娘みたいなもんじゃが、これでいよいよ孫娘に恵まれた』って。あんときゃ俺も照れくさかったなあ」
 シンジは先ほどの悪寒を再び覚えながら、目の前にいる異世界の住人から逃れようと試みた。
「そそそ、そこまで、思い入れたっぷりに作って下さって、ありがとうございます。大切に扱います」
 そう言って、少なくともシゲルの目の前では細心の注意を払うことを決意しながら、シンジはレイを抱えた。関節が動くようになっているので、人間に対するように扱うと、結局お姫様だっこする形になった。
 レイが目を閉じたので、シンジはレイを取り落としそうになった。
「寝た姿勢をとらせると、まぶたが降りるようになってるんだ。・・・ああ」
 そう言って、シゲルは天井を見上げた。
「ホントに妹か、娘を嫁にやる気分だよ。ちょっと悪い。これで失礼するわ。大切にしてくれ」
 シゲルは目頭を押さえつつ、勝手口から出ていってしまう。それをシンジは呆然と見送った。

「遅かったな」
 店に戻ると、ゲンドウが声をかけてきた。洞木親子はまだ、服を選んでいる。隣接する倉庫には店から出入りできるようになっているが、そこにしまってある高級品まで、取り出してきたらしい。
「ごめん。このマネキンについて、青葉さんに聞かされてたもんだから」
「おお、レイのことか。大胆な抱き方をして、なかなかお似合いじゃないか」
「父さん! これは・・・」
 マネキンじゃないか。そう言おうとした時、「父さん」とシンジが大声を出したのに反応してヒカリが振り向いた。
「あら、碇くん、その子だれ?」
「ああ、違うんだよ、級長。これはマネキンで・・・」
「綾波レイだ」
「父さん! 恥ずかしいから、マネキンに名前つけるのやめてよ!」
「レイの名付け親は、青葉くんだ」
「レイはそうでも、店内のマネキンに名前つけてるの父さんじゃないか! そこの髪を金に染めたリツコさんも、その母親だということにしたナオコさんも、リツコさんの部下だという設定のマヤさんも、ドイツ人と日本人のハーフってことになっているキョウコさんも、リツコさんの親友でおまけに僕の保護者だとか何とか言っていたミサトさんも、みんな名前つけてるの父さんだろ!」
 激昂してまくし立てているシンジは、律儀にマネキンにさん付けをしている自分に、洞木親子が引いていることを意識しなかった。
「だいたい、なんでレイに制服着せてんだよ。用意したの父さんらしいけど、うちじゃ制服扱ってないじゃないか!」
「これから、お前と一緒に生活するんだ。制服がなくては、都合が悪かろう」
「生活って・・・学校に連れてけっての!?」
「当然だ。親が認めるいいなずけ、なのだからな」
「「「い、いいなずけ〜!?」」」
 絶叫が三重奏になった。
「マ、マネキンと我が子を婚約させるなんて・・・」
 がたがた震える洞木母。
「ふ、ふ、ふ」
 再度叫び声をあげる寸前のヒカリ。
「「不潔よ〜!!」」
 叫んで、飛び出していくヒカリと母親。シンジは、平穏無事な学校生活が、自分からは永遠に失われたことを悟った。
「父さん・・・」
 恨みのこもった目で、シンジはゲンドウを見やる。
「うむ。潔癖性というのもいいな。よし、マヤくんの設定に加えよう」
 そんな息子の気持ちを一切斟酌せず、ゲンドウは一人の世界に没入していた。
「冬月の親方が言ってた『嫁入り先』・・・比喩じゃないどころか、文字通りの・・・」
 がっくりとうなだれるシンジであった。

 周りの騒動も知らぬげに、レイはシンジの腕の中で、静かに眠っていた。


      



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