「…これも父さんの仕事なんですか?」

『そうだ。』

三年振りに聞く声に僕は考えるより先に振り向いていた。

声の方向、仰ぎ見る先スピーカー上方の窓越し。
そこに居る人達の中に一人、周りより頭一つ大きな姿。

その姿が記憶と一致した瞬間、僕は言葉を失った。

感情も憶測も、期待も不安も、希望や絶望や喜び、怒り、悲しみ…一切が一瞬の内に消え去って、空白の…文字通り白い世界で僕は父さんと向かい合っていた。





「…とうさん…」





零れ落ちる言葉、永遠の一瞬





『久し振りだな。』





だけど、父さんの口から出たのは一切の感情が感じられない…只の感想でしかない台詞だった。

その言葉を耳にした瞬間、空白は消え去った。

世界が再び色を帯びて騒音に染まり、時計は動きだした。
けど、やっぱり僕の時間は止まった侭で…

堪らず僕は父さんから目を逸らした。

顔が歪みそうになる。

この感覚は覚えている。

当然だ、忘れる筈も無い。

あの駅のホームで、泣き出す寸前もそうだった。

変わらず僕の胸を抉る父の表情は変わらず

あの時と同じく思わず父さんと呼びながら泣き叫びそうになり、必死に口を瞑る。


握り締めた拳の中、掌に食い込む爪の感触


あの駅のホームからもう10年、だけど僕は未だ立ち去る父さんの背中を見上げた侭だった。

あの時…四つの幼児の時も、それから七才の子供の時も、三年前…11才になったあの日も、そして14歳になった今ですら。


僕の耳には外界の騒音を打ち消す様に自分の鼓動だけが響く様に聞こえている。


遥か上の部屋で立っている父さんはガラス越しに僕を見降ろしていて


立ち竦む僕は見降ろすその視線に居佇まれず、つい横を向きもうその場から逃げ出したくなっていて。


そんな僕の耳に、機械を通して響いた父さんの声が流れ込んだ瞬間、僕はその言葉の意味が理解出来なかったんだ。

その時、父さんの声で響いた台詞は、唯一言だった。




『…出撃。』






【甘美なる復讐】

作・何処







「…とまあ、それが父さんとの三年振りの再会で…」

同じ布団の中、背中合わせにいるシンジの独白を私は黙って聞いていた。

シンジの隣で眠ったあの日以来、私は眠れぬ時シンジの隣で横になる様になっていた。
軍の野外訓練で遥か歳上の同僚と寝袋で過した時以上に何故か不安も無く、男と一緒に寝る事への警戒心は湧かなかった。

まぁ、例え襲われても純然たる素人のコイツに私をどうこう出来る筈が無い。遺伝子調整で私の筋力は並の成人男性よりあるし、それ以前に軍事教練で習い覚えた特殊格闘技術は教官クラスでも叩きのめせる実力があったから。

とは言え、年頃の少年の横で寝るなんて事自体が無用心で軽率な行動だ…とは理解していた。

でも…コイツの隣で私は気持ち良く眠れた。

あの日、私は色んな事を話した。
私が人工受精で生まれた事、エヴァに乗る理由…
何でそんな話をしたかは自分でも解らない。

そんな事聞かせるつもりも無かったし付き合わせる気も無かった。

でも、シンジは私の話を聞いてくれた…最後まで。

その夜から、コイツの隣は寝付けぬ夜限定で私の指定席になった。

だから今夜も私はここに来ている。だけど、今夜は何時もの夜とは少し違っていた…
珍しくコイツから語り掛けて来たのだ。
珍しくも饒舌に…ま、コイツにすればだけど…色々な事を話し出した。

その独白を聞いている内に、何故か胸が熱くなる私。


頼りない奴だと思っていた。
弱虫だと思っていた。
無知な上に向上心がないバカだと思っていた。
只の恵まれた奴だと思っていた。
ナナヒカリだと思っていた。


背中越しに感じるシンジの熱と、伝わる何か。


気付けば、私は寝返りを打ちシンジの背中を見ていた。
曳かれる様に、導かれた様に私の左手が伸びる。

私の手はそのまま背中を向け嗚咽を上げているその肩に添えられた。

実感も無いまま、私の手はゆっくりと彼を振り向かせ、彼は為すが儘にその身体を私に向けて

その表情を見た瞬間、私の無意識は途切れ、私は自我を取り戻した。


私は…何を…いえ、それはもうどうでも良い。
では…私は今何をしたいの?


私…

私は…


視野に何かが入る


何かが ゆっくり 伸びて …


手…

手 だ

手が 見える

自分の 白い 手だ


私の 手


そして

その 私の 右手が ゆっくり と 伸びて


伸びたままの 左手と 共に





…シンジ…





気付けば私は彼の頭を両手で抱き寄せていた。

シンジの頭を撫で、その細い髪を指で漉き、腕の中震える少年の息吹を胸に受けながら私は何かに満たされ

私の胸を濡らしながら震えていたシンジはまるでテディベアの様に無抵抗に私の腕の中頭を抱かれた侭、やがて震えは止まり寝息になり私も…


そう、何時しか二人は眠りについていて














夢…


…夢だ。


又あの日の…夢。


目覚めは何時も唐突だ。
閉じかけた右瞼を無理矢理抉じ開け、現状を視認…夜間照明のオレンジに染まる室内はゆっくりと周期的に傾きを繰り返している。

そう、船の一室で私は眠っていたのだ。
超巨大な船体とスタビライザーの効果があるとは言え、お世辞にも浮上中のヴィレ旗艦…可潜飛行戦闘艦AAAヴンダー…は乗り心地が良いとは言えない。否、寧ろ悪い。

戦闘艦に乗り心地を期待する事自体が無駄だ。そもそも未完成な上にこの艦は使徒の欠片を無理矢理繋ぎ合わせた代物、
抵抗無視の船体形状と仮設の機関出力では余りに巨大なこの図体を飛行はおろか完全に制御安定させる事すら出来ない。

…と現実を頭では理解しても体感する不快感は消せない。
巨体特有の波動長周期揺動が不快な事に変わりは無いのだから。

船体が緩やかなローリングを打つのが良く判る揺れの様子からハリケーンの余波は未だに残っている様子だ。

寝転がったまま枕元の端末を操作し現状を把握…
あぁ、未だ予定時刻前か。後4時間は睡眠を摂らねばならない。気象は…
…どうやらケープカナベラルの被害は最小限だったようだ。尤も…バイコヌールは未だ季節外れの雨…
最悪単機ミッションも覚悟しなければならない様だ。

吐息を吐く。反乱者たる我々ヴィレが悪天候に便乗して起こしたケープカナベラル制圧からもう27時間、乗っ取りをかけたHIV…重量物軌道投入機の整備と奪還作戦の破損箇所修理を終えた機体の積込、燃料搭載終了まで後7時間…打ち上げ予定時刻まで21時間…

端末を切り寝返りを打ち常夜灯を眺める。


「…待ってなさいよ…シンジ…」


あれから14年。

誰にも告げていないが、私の耳には未だあの声が残っている。

目を瞑れば有在と浮かぶあの日の…


 悪夢以下の過去の幻影。







アラートの警告音が五重奏を不調和に奏で続けている。

繋がった継の通信回線から一方的に流れる声・声・声・そして雑音と声。画像は…見えない。
開きっ放しの私の目は網膜に映る画像を受け取ってはいる。が、収縮を止めた瞳孔は焦点を合わせず、瞼も眼球も固定したかの様に微動すらしない。

焦点の合わないぼやけた視野に拡がるプラグ内の光景、ホワイトアウトした投影画像の輝き、全てが赤い警告で埋め尽くされた外部回線と機体モニタリング情報…
しかしその光景を視認しながら、私は何も…瞼どころか自律呼吸すらしていない。
恐らく乗員保護機能が働いて酸素濃度を上げたのだろう、プラグ内LCL環境下で無ければ既に窒息死だ。
でも私自身はエヴァと普段以上にシンクロし、機体の視界さえ知覚している。

矛盾するが、網膜が感知する眩しい程の光の中でエヴァの視界と、暗闇に浮遊する自分自身を感じる。

網膜はプラグ内を、視神経にエヴァの視界を、そして感覚は闇に閉ざされ…
同じ自分が複数の違う世界に存在し、その知覚を共有している様だ。

そして唐突に理解した。敢えて言うなら私は精神と、肉体と、魂に分割されたと。

肉体はエントリープラグの中に存在し
精神はインターフェースを介さずエヴァそのものに感覚を直結し
どちらからも弾かれ私の魂は暗闇に浮遊している

全てを理解しながらエヴァも肉体も魂までもがまるで囚われたかの様に自分の意思では身動き一つ…否、何一つ出来ない。

複合する知覚情報…意思が有りながら肉体は動かず、だと言うのに意識に肉体とエヴァの感覚が流れ込む異様な感触。
悪寒を感じても肉体は死者の如く無反応で、その癖にエヴァの触感が静止した肉体の内で他の生物の様に蠢いている様な感覚がはっきりと伝わる。
余りの不快さに嘔吐感に襲われても肉体は何ら反応しない。
この苦痛に発狂すら出来ず、エヴァの中で私は為す術を持たずに只意味も無く存在している。


その時、エヴァが動いた。

そう、エヴァが何者かに乗っ取られていると気付いた時にはもう手遅れだったのだ。
私の絶叫は声にならず、エヴァは破壊神と化し…


松代ラボトリーは壊滅した。私の手によって。


そして幾莫かの刻が過ぎ…私はシンジ達と対峙していた。
状況は最悪、止まらないシンクロ、停まらない時間、留まらない機体。


そして、エヴァが動く。


私を襲う有り得ない感覚。

背中から何かが生える感覚の気持ち悪さ、伸びる腕の激痛、そして…

私の手で撃破されるエヴァンゲリオン

操られる怒り、無力さへの苛立ち。悔しさに心の中で歯軋りする私の手に、初号機を掴む感触が伝わった。

自爆すら出来ないなんて…

LCLに混じる目から流れる体液が嵩を増した気がしたその時、聞き慣れた声が鼓膜に響いた。



『嫌だ!』



!?

こんのぉバカシンジがあっっ!!

怒りの余り私は吼えた…口すら開かなかったが。

…私の乗っている機体の殲滅、それこそがエリートたるエヴァパイロットの正しい選択肢。
その正しい手段を拒絶する愚行を、私は許せなかった。

バカだバカだとは思っていたがここまでバカだとは。

“エヴァに乗る”その事の重大さや、その意味も知らず判らず考えもしていなかったバカシンジ。

私はエヴァに乗る覚悟も無かったバカが、そのバカをエヴァに乗せたネルフが、それにも増して何よりも無力な自分自身が許せなかった。



そして…



『!何をしたんだ父さん!?』



…未だあの時の甘ちゃんな餓鬼のまま、アイツはあの機体にいるのだろう…


「…何が“そんなの出来ない”よ…」


毛布の中、寝返りを打ちながら独りごちる。

破壊されたエヴァから、私は皮肉な事に生き延びてしまった…使徒汚染による不死の呪いと共に…
そう、私は自死すら出来ないのだ。

マギシステム3rdの推定では喩え五体を引き裂かれ灰と化しても私は甦る。
最も脳が破壊されれば恐らく記憶は無くなるだろうし、肉体が死因に対応進化するので元通りとはいかないが…今の私の片眼こそがその証。

それもこれも…

あいつのせいで…


「…覚えてなさい、あんたのせいで私は…」


エヴァと同化してしまった以上、アイツの肉体も不死となっている筈だ。ならば…

復讐だ!

私だけの永遠なんて真っ平だ。そう、アイツにも精々生きる苦しみって奴を味わって貰う。そうでなきゃアタシの生きている意味が無い。
能能と静止軌道で惰眠を貪るクタバリゾコナイに、人生の悲哀って奴を叩き込んでやる。


「待ってなさいよ…ガキシンジ…」


蹴りの一発は取り敢えず確定ね。そんな事を考えながら私は毛布を頭から被り目を瞑った。


…あ、そう言えば後一個足りないのよね…コネメガネはバイコヌールだし…ま、良いわ。今回ミッション長いから宇宙食から一個抜いて帰ろう…しかし流石に10個越えると毎年集めるの大変ね…


そんな事を思いながら、私は睡魔にこの身を委ねる…




AAAヴンダー艦内の一室で眠る隻眼少女。
彼女の枕元、端末横の棚の中に並ぶ13個の真空パックチョコ味栄養クッキーは綺麗にラッピングされていた。


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