【小さな鯉のメロディ】

作・何処


縁日で取った金魚の餌と水槽を買いに僕らはペットショップに行った。

三千円掛けた成果の金魚五匹…あ、一匹は綾波にアスカが押し付…いやいや、プレゼントしたから四匹か。
金魚鉢が無いので今はミサトさんのビールジョッキ二つに二匹づつ泳いでいる。

今朝から妙なテンションのアスカは水槽の棚で濾過装置を選ぶ僕を置いて一人キャアキャア騒ぎながら鯰や熱帯魚を見ている。

…まあ、その方が助かるか…

暫く検討して、僕は組立式水槽と金魚の餌、濾過装置と敷石を購入してキャリーカートに乗せ、フックで固定した。
しかしアスカが旅行鞄を載せるのに使う赤いこいつがまさかこんなに役に立つとはおもわなかった。
結構重宝するんだよね、ペンペンの餌の鮮魚を箱買いしたりエビチュ箱買いしたりするのに。

“アタシの物使うなら使用許可を得てからにしなさい!”と言うアスカはこのカートによほど愛着があるらしい。借りると必ず使用情況確認と称して買い物に付いてくる。

ゴロゴロとカートを引っ張り水槽の前にしゃがみこむ…陣取るってこう言う事かな…アスカに声を…何見てるんだろ?

カートの音で気付いたんだろう、アスカは振り向きもせず僕に問い掛けた。

「ねえ、これ何?」

水槽に着けてある札に書いてある名前は…

「緋鯉…鯉だね。」

中で泳ぐ真っ赤な魚はペンペンの餌の鰯より小さい…十cm弱だな。

「?鯉ってもっと大きいんじゃなかった?」

水槽の中を泳ぐ魚影から目を離さず再びアスカが問い掛ける。

「まだ子供だからじゃないかな?」

「ふーん…」

水槽に映るアスカの表情はいつになく真面目だ。



…青い瞳に吸い込まれそうな錯覚に慌てて首を振る。

「気に入った?」

「うん…でも…」

珍しく言い澱むアスカの様子に、僕は何も考えずについ言ってしまった…

「買うか。」

「え?」

アスカがピョンと跳ねる様に立ち上がりざま振り向き…判ってても心臓に悪い…僕の瞳を覗きこむ。

「でも鯉って大きくなるでしょ?一緒に飼うって大丈夫?」

「大きくなったら別の水槽に入れなきゃいけないけど、暫くは金魚と一緒に入れてて大丈夫だと思う。」

視線を無理矢理外し財布の中身を確認…なんか未だドキドキする…よし、大丈夫。

数分後、アスカは鯉と水草をそれぞれビニール袋に入れて貰いご満悦。

「さ、シンジ帰りましょ!」

妙に機嫌の良いアスカが会計をしている僕に声を掛ける。

「あ、うん…じゃ、行こうか。」

「ありがとうございましたー。」

カランカラン♪


ガラガラゴロゴロ…


「さてと、水槽と濾過機はよし、後は延長コードと…ん?確か家にあったよな…」

メモを見ながら歩いてると、アスカが話しかけて来た…

「ねえシンジ。」

「何?」

「シンジがさ、アタシに何か買ってくれたのって初めてだね?」

「え?」

アスカの発言の中身を理解するのに数秒。

…おい…何だって?

言葉の意味を理解したその時、聞こえたんだ。僕の頭の中で誰かが『あんまりだぁ〜〜〜っっっ!』と泣いて叫んだのが。間違い無く。

行き場を無くした感情が声にならない言葉になって僕の口は金魚宜しくパクパク……

断言する。そんな事は無い!大体僕の財布の中身の大半を消費してるのはアスカだ!
抗議しようと振り向きアスカの横顔を見たら…

…何その反則な表情…

涙ぐむアスカなんて存在に勝てる筈無い。
空気を震わす事無く僕の声は何処かに消えた。

「シンジは自分から“これどう?”なんて聞かないから、つい甘えてたけど…」

…甘えてたんだ…こき使ってたんじゃ無くて…

「…本当はシンジに選んで欲しい事とか、いっぱいあったの…」

そ、そんなぁ…大体僕が何か選んでも却下する癖に…
って…あれ?

…そう言われて見れば…

…僕はアスカに何か意見を言ったっけ?

「いつもシンジはアタシが何か言うと何だかんだ言いながら最後には聞いてくれるよね。それは嬉しいのよ。でもね…」

あ…潤んでる…

「アタシがおねだりしたりとかじゃ無くてシンジが自分からアタシに“買うか”って聞くなんて…」

…そうだ…

僕は、僕からアスカに聞いた事はなかった…

「何か嬉しくって…スン!あ、あれ?な、なんか目から…」

涙ぐむアスカを見遣りながら、僕は別の事を考えていた…


…回想する過去…そうか…もう三年か…あの赤い海から三年だ…


あの時、僕はアスカと修復不可能な仲になった筈だった。だけどそれから一年経って再会した彼女の第一声は…

「なぁにボケボケ歩いてるのよ馬鹿シンジ!」

通学途中に後ろから学生鞄で僕の後頭部をどつきながらアスカはそう言い放ち…

全てを忘れて僕はアスカと怒鳴り合い、気付いたら遅刻してて…


転校初日のアスカと共に職員室で怒られたんだ…


ドイツに帰国した筈のアスカが何で日本に又来たのかは知らない…未だにアスカはその事について話さない。
…いや、話さなかったんじゃない、聞けなかったんだ、僕がアスカに。

人伝に聞いた話だと、何でも勢いでアメリカから(ユーロから両親と共にアメリカへ移ったそうだ)日本へ身一つで転がり込んだらしい。
そんなアスカはちゃっかりとミサトさんの所に居座ってしまった。
独り暮らしをしていた僕はミサトさんの懇願(“シンちゃん助けてぇ〜!”)とアスカの恫喝(“アンタ、ミサトの教育してないじゃない!アタシをゴミに溺れさせる気!?”)に…負けた。

再びの三人同居生活。

再び始まった、全てが昔に戻った様な生活…だけど…

多分、僕は怯えていたんだ。又喪う事に、又間違う事に、そして…

僕の 心に


あぁ、そうか…

僕はアスカに嫌われたく無かった。今も…

あの時の背中越しに聞こえたアスカの台詞が甦る。

『気持ち悪い…』

それでも、僕はアスカを放さなかった…離せなかった。

踏み締める砂の感触、背中に伝わるアスカの体温と脈動。あの感触は未だ体に染み付いている。

『自分に優しくして欲しいだけでしょ!?』

優しくして欲しかった。だけどそれだけじゃ無い。
あの、“ママ…”って呟きを聞いた日から僕は…
君を幸せにしたい…笑って欲しい…君を、アスカを守りたかったんだ…

砂地に降ろしたアスカの僕を見上げる青い瞳…

『誰でもいいのよ!』

違う。
僕はアスカを独占したかった…いや、独占したいんだ。今でも…

激しく頭を振り、声を上げるアスカ。揺れるストロベリーブロンド、震える僕の体…

『アンタの全てが手に入らないならアンタなんかいらない!』

その台詞は凶器、僕を狂わせた言葉の刃。

人を全て自分の物になんか出来る訳が無いじゃないか!

アスカを手放したく無い…けどアスカは僕をいらない…

君が僕に優しくないなら…
僕は…

視界に広がるアスカの…白い…喉…

『アンタだけは死んでも嫌!』

拒絶するなよ!僕を拒絶するなよ!

そうだ…いっそ…

伸びる…自分の腕…白い喉に絡み付く僕の…

…だ…

…駄目だ!

…嫌だ…嫌だ…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!
僕はアスカじゃなきゃ嫌だ!!!
今生きているアスカじゃなきゃ駄目なんだ!!!


回想と 思考と 現実が 

重なる


…ああ、そうか…


目の前で泣いている少女…プラグスーツと、学生服と、幼い姿のアスカが重なる。


「『君はとても繊細なんだね…』」

「え?」


涙に濡れた頬のままに君は顔を上げる。

『好意に値するよ…』

そう言う事なんだね…カヲル君…


「…シンジから“繊細”なんて言われるとは思わなかった…」


そう言いながら頬を紅潮させているアスカに、僕は告げる。


「アスカ…キスしようか?」

「え?キスって…へ!?な!な、な、ななな何よ急にぃ!いいいいいきなり何いいい言い出すのよ馬鹿ぁ!だだだ大体いいいつものSSeeシSeeSeンジ違うって言うかなな何調子乗っててて…」


アスカの瞳を見詰める。


「僕はアスカとキスしたい…怖い?それとも嫌?」

「こここ怖くなんかないわよ!嫌でもな…あ!?あ、あわわわわっ!だだだ大体こここんな道の真ん中ででででででもでもシンジそそそそれって…」

「…うん。」


彼女の瞳を見詰める。
もう…逃げない…


『「好きって事さ。」』

「!?!!」


彼女の両手はふさがっている。僕はカートを立てて彼女の手からビニール袋を取り上げる。


「え?」


ゆっくりとアスカに近付くと、アスカが微かに震えた。

目を瞑るアスカ、その手がギュッと握られ拳を作り、何か不思議な方向を向いている。

…そう言えば、アスカに鼻摘まれてキスしたんだよな…

そのまま僕は彼女の…

おでこにキスをした。

「!?」

キョトンとするアスカ。この表情だけで今は十分だ、又泣かれても困るしね。

「さ、帰ろアスカ。」

有無を言わさず鯉と水草の入った袋をアスカに返して、僕はカートを又引きだす。

ゴロゴロゴロゴロ…

案の定、我に還ったアスカはいつものアスカに戻って騒ぎだした。

「ち、ちょっと待ちなさいよ馬鹿!こ、こ、こここここまで来ておいてそれなのぉ!?」

普段なら引っ叩かれる所だけど、両手が塞がっている今なら大丈夫。少し加持さんを真似してみるか。

「続きは金魚と鯉を水槽に入れてからだね。」

「つ、続きって…え!あ、う、う、嘘…」

あ、アスカが弐号機みたいに真っ赤。

「こ!こんのぉ馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁっ!なな何て事往来で言い出すのよ馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿あっっ!」

…成る程、加持さんがミサトさんいじる理由が少し判る…

「拗ねるアスカも可愛いよ。」

「!?!!こ・・・こ・・・この馬鹿馬鹿馬鹿ああぁぁぁぁっっっ!!!」

…又からかったら流石に不味いかなぁ…

ゴロゴロゴロゴロ…


◇◆◇


その日の夜…
僕は未だ消えない頬の紅葉をそのままに夕食の後片付けをしていた。

…結論から言うと、続きは無事出来ました。最も僕の頬もこの通り弐号機ばりに赤くなりましたが。

夕方に帰宅したミサトさんは上機嫌なアスカと僕の頬を見比べて困惑してました。

そして今、アスカとペンペンは僕の組み立てた水槽の前に並んで金魚と鯉に餌をあげてます…

「いーい事ペンペン、この赤い大きいのが弐号機よ、出目金がミサト、ヒラヒラの…何て言ったっけ?これがリツコ、で、この黄色いのがマヤで白っぽいこれがレイね。」

「クエッ!」

「食べちゃ駄目よペンペン。」

「クエッ!」

「良い返事ねペンペン…さては食べでが無いから興味無いんでしょ?」

「クワワ〜」

「判るわよそんな事。」

「クワワッ?」

「何よペンペンその表情は、このアタシを誰だと思ってるの?」

「クワワクエックエッ!」
「ん、グート!ペンペンはお利口ね〜、そこの馬鹿とは違って…」

そんな1人と一羽の会話を皿洗いしながら苦笑して聞いていると、エビチュ片手にテーブルからその様子を眺めるミサトさんが僕に問い掛けて来た。

「ねぇねぇシンジく〜ん、アスカったらご機嫌じゃなーい、何かあった〜?」

洗い物を続けながら振り向きもせず答える。

「見ての通りですよ…僕はアスカに引っ叩かれましたけどね…お陰様で水槽と一緒に一匹買う羽目になりました…」

「…まぁたぁ?シンジ君も災難ねぇ。しっかしその年で女の子のご機嫌取りたぁ…シンちゃん、強く生きてね…」

「…どうにかするって気はさらさら無いんですね…」

「さ、さあてお風呂お風呂っとお!」


タオル片手に風呂場へ向かうミサトさんを見送り、洗った皿を片付けながら鼻唄で第九を奏でるとアスカがやって来た。

「なぁ少しは手伝えよ馬鹿アスカ!」「何よ馬鹿シンジ!その位一人でやりなさいよ全く…」

chu♪

…こんな合図でキスする僕らも大概アホだね…

「「クスクスクスクス…」」

「クワワ?」

水槽の金魚達とペンペンだけが知っている秘密は水槽を買い換える頃には秘密じゃなくなる予感がした。


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