【風起ちぬ】

作・何処


松代実験場跡地…
廃墟の中、私は煙草を吸っていた。

「喫煙は身体に悪いです…碇司令」

「レイか…息抜きだ…」

「アスカが来ました。」

「…今行く…」

私は過ぎた年月を思い、紫煙に包まれていた。


サードインパクトから一年、私は二人の少女を召集した。
綾波レイ、ファーストチルドレン。
惣流・アスカ・ラングレー、セカンドチルドレン。

「…綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレー出頭しました。」

「ご苦労。」

振り向いた私はそこに並ぶ二人の少女を眺める。金髪の少女は微かに震えていた。

「エヴァンゲリオンの廃棄が決定した。」

私は一気に命令を伝達した。

「惣流・アスカ・ラングレー。本日をもちエヴァンゲリオン弐号機専属パイロットの任を解き、ネルフ技術開発局主任研究員へ任ずる。直ちにネルフユーロへ立て。綾波レイ、本日をもちエヴァンゲリオンパイロットの任を解き、ネルフ技術開発局主任技術員とする。お前も直ちにネルフユーロへ立て。荷物は後日送付する。」

「…了解しました…」
「…碇君は…」

「あれは元々予備だ。ネルフを退官し、一般市民に戻る事になる。」

「…用済みって訳ね…」
「セカンド…」

「そうだ。」

「「!?」」

「既にこの世界においてエヴァは不要。元々エヴァは対使徒戦用人形決戦兵器…必要が無ければ廃棄する。人類と言う赤ん坊にエヴァと言う核を玩具代わりに持たせる訳にはいくまい。」

「…そのパイロットだった私はやはり用済みですか…」
「セカンド…」

「わ…私はエヴァンゲリオンパイロットになる事だけを!」

「…ダミープラグの開発が間に合っていればお前達を載せる必要も無かった。お前達はエヴァのパイロットとしてだけ必要とされたのでは無い。」

「!?」
「…」

「お前達はエヴァの安全弁…エヴァが無制限に暴走するのを防ぐ為に必要だった。」

「そんな…じゃあ…じゃあ私達は只の部品として必要だったのですか!私もセカンドもシンジもダミーが完成していれば不要だったのですか!」

「…予想外の出来事は常に起こる。現にダミープラグは間に合わず、君達がいなければ使徒戦は不可能だった。人類は戦わずして滅びただろう。私達が今ここに存在する…その事実を造り上げたのは他ならぬ君達チルドレンだ。」

「な!?」

「…私はエヴァンゲリオンパイロットとして生産された…ダミープラグが失敗した時の予備として…」

「せ…生産って…」

「レイは人造人間だ。リリスの体組織に人の遺伝子を組み込み二十四体の綾波レイが生産された。」

「ま…まさか…だ、だって!」
「事実よ…」

「…だが計画は失敗だった…クローンにも魂は宿る。しかしレイの素体には唯一つの魂しか…一体のみにしか魂は宿らなかった。」

「私は死ぬ度違う素体に転生する…でもそれは魂だけ…記憶は消える…碇司令は記憶のバックアップを定期的に行い、私が死亡した場合転生した肉体へ最新の記憶を上書きする事で私が常にパイロットでいられる様に対処した…今の私は三人目…」

「…そ、それは正気な人間のする事では…」

「ああ。無い。」

「だったら!判っていて何故!?」

「全てはサードインパクトを防ぎ、人類を初源へでは無く進化へと進める為…だが…私はサードインパクトを利用し、妻との邂逅のみを求めただけだ。」

「なんですって!?」

「…計画ではサードインパクトは私と融合した碇司令の手によって阻止され、世界は新たなステージへ…誰もが互いの意思を理解出来るバビロン以前の世界へと再び進化し、私はリリスとして碇司令と唯さん…碇君の母親の補完した初号機を呑み込んだまま眠りに就く筈だった…」

「ゆ…融合って…」

「使徒のプロトコル…アダムを以て私自身が擬似使徒となり、擬似リリスたるレイと融合する事…サードインパクトを最小限に食い止める為には人間の意志の関与が必要だった。」

「し、司令!?あ、貴方はそこまでして!」

「…だが結果は失敗、レイの素体は赤木博士の手により全て破棄され、そして初号機の意思に乗っ取られたレイの離反によって融合は失敗、サードインパクトは止められずシンジの意思に全てが委ねられた…」

「そんな…じゃ、じゃあシンジにあたしは…」

「アレは何も選べなかった…唯、自分の足で立つ事を望んだ…我々をあの赤い海から帰還させたのは誰でも無く己…自分の意思に他ならない」

「…何故…」
「セカンド…」

「今頃…なんで…悔しい…シンジのせいじゃ無いなんて…あたしはシンジを…シンジを…」

「時計の針は元に戻らない。だが自らの手で進める事は出来る。惣流・アスカ・ラングレー、綾波レイ、お前達はこれから自らの足で立ち、自ら生きていかねばならない。」

「エヴァンゲリオンは…私の全てでした…今更…」
「…」

「だが今お前達は生きている。君の母親や私の妻とは違う。」

「「!?」」

「その手は何の為にある?目的が無いなら探せ、見付からないなら造り上げろ。人は望む事を目指すか、やれる事を積み重ねるかの何れかだ。エヴァンゲリオンは兵器という道具。壊すだけならば他の物で幾らでも代用が利く。」

「そんな!」
「…」

「今、お前達に必要な事はエヴァからの自立だ。一人の人間の無力と尊さを学べ。以上だ。」

「司令!」

私は振り向いた。

「…その…シンジに会えますか?…出立前に…」

「日本出立は20時だ。奴が会いたいと望めば会えるだろう。連絡は自分で取れ。」

「…今夜8時…」

私はもう振り返らずその場を去った。



あの日から既に十年。私はネルフ司令職をやっと辞する事になった。
思えば長い…長い時間だった。山積する課題、対外交渉の嵐、債務返済の為の各部研究組織の独立法人化と研究成果の還元…特許の取得と公開…、組織縮小に伴うリストラと再就職先の斡旋…
全てにある程度の目処が立ち、私が辞意を表してから二年、私はネルフで為すべき事を為し尽くした。後は新しい世代の仕事だ。

この十年、息子…シンジとは結局一度も顔を合わせる事は無かった。妻の墓にもシンジは一度も現れなかった。
…それで良い。あいつの人生はあいつの物だ。既にシンジは一人の男なのだから。


「お久しぶりです碇司令…」

「元司令だ。」

「娘です…去年産まれました…」

「…可愛い…」
「でしょ?ね、抱いてみる?」
「?いいの?」
「ええ…あ、レイ、未だ首の座って無い子供はこう…」
「こう?」
「そうそう…」

赤ん坊をあやすレイを私は眺めていた。シンジをあやす唯もこうだった…

「碇し…いえ、碇さん、シン…息子さんはお元気ですか?」

「生きてはいる。大学で捕まえた彼女と結婚したそうだ。もう子供も四才になる。」

「…そうですか…」
「アスカ…」

「良かった…あ、そう言えばレイ、婚約おめでとう!これダーリンからレイに渡してくれって!」

「あ…ありがとう…」

「しっかしあの堅物がレイにアタックかけた時は皆流石日本人だやる事がカミカゼだとかバンザイアタックだって言ってたけど…良かったわ…良かった…良かったよ…レ、レイが、レイが幸せになれて…グスッ、ほ、本当に…本当に…」

「アスカ…」

「う゛…う゛あ…うぇええ…」

「あ、い、いけない!“悪いママでちゅね〜、大丈夫よぉ、ほらあ泣かない泣かない〜。”」

「あ゛…あぶう…」

「…母親だな…」
「ええ…」

「碇さん…ありがとうございました…」

子供をあやしながら彼女は私に話し出した。

「『だが今お前達は生きている。君の母親や私の妻とは違う。』…今、私がママになって…やっと司令の本当に言いたかった事、解ったと思うんです…」

「…そうか…」

「『その手は何の為にある?目的が無いなら探せ、見付からないなら造り上げろ』あの時司令はこう言いましたね…私、最初はその言葉の意味が判らなかった…いえ、認められなかったんです…」

腕の中の赤ん坊をあやしなから彼女は語る。

「『エヴァンゲリオンは兵器という道具』と言われたショックが大きかったですわ。『壊すだけならば他の物で幾らでも代用が利く』…その言葉を認めらるまで三年かかりました…そうしたら、『今、お前達に必要な事はエヴァからの自立だ』って台詞が腑に落ちたと言うか…納得出来たんです。私…エヴァンゲリオンに乗れただけだって…そう思ったら『一人の人間の無力と尊さを学べ』って司令の台詞を思い出して…
“あら?もうおねむ?”」

彼女はレイの手を借り持参のベビーカーに娘を寝かせながら言葉を紡いだ。

「『人は望む事を目指すか、やれる事を積み重ねるかの何れかだ』…本当にその通りでした…」

「…今、幸せか?」
「はい。」
「…ならば良い…」

「…碇さん、いいえ碇司令。私、反省する事ばかりでしたけど、今後悔はありません。」
「そうか…」

「有り難うございました!」

「…暫く日本に滞在するのだろう?冬月は今第三新東京の知事だ。一度顔を出してやってくれ。」

「え?司令はご一緒して戴けないのですか?」

「私はこれからリツコを迎えに行く。職を辞しやっと時間が出来た。後は彼女と生きて行くつもりだ…」

「…今、リツコさんは…」
「精神は回復している。記憶は…恐らく無理だろう。」

「…そうですか…帰る前に伺いたいのですが…」

「ああ。頼む。」

自宅へ帰ると意外な人物が待っていた

「父さん…」

「シンジか…」

「この子が息子…四歳になる…」

「…そうか。」

「四歳になったら…そうしたら会おうって…」

「…」

「自分の子供が四歳になれば…少しは物事が判るだろう…そうしたら父さんとまともに話せるかなって…。」

「…」

「結局判らなかった…僕にはこの子を捨てるなんて出来ない…いくら道具に使われエヴァの生け贄にされると判っても…僕には…」

「それが親だ。」

「父さん…」

「パパぁ、この人だあれ?」

「…お前のおじいさんだよ。」

「じいじ?」

「そう…じいじだ…シンジ、少し散歩するか…」

「うん…」


「父さん…父さんは母さんともう一度会いたいと言った…けど、母さんを呼び戻すとは言わなかった…何故?」

「死者は甦らない。唯は初号機に取り込まれた時点で不完全な初号機の魂を補完した…つまり初号機こそ唯そのものだ、だからお前は帰って来れた。」

「そんな!」

「…私はリリスの意志となり初号機を取り込み、融合し、唯と共に永遠に眠る筈だった…」

「じゃあ最初から…」

「…人は生きてこそ人。私は唯の死を知りながら再会を望んだ弱い愚か者だ、死者に自ら望んで縛られた。だが後悔は無い…」

「…」

「レイの婚約者…お前の同期だったな。」

「うん…二人でたまに遊びに来るよ。妻も二人の友達だしね…」

「アスカ君が今日本に来ている。」

「アスカが!?」

「今は母親だ。去年産まれたそうだ…」

「そう…そうか…良かった…」

「パパぁ、アイス食べたい!」

「どれ、じいじが買ってやろう。」

「父さん?」

「ありがとじいじ!」



「…アスカと約束したんです…お互い幸せの意味を知ってから再会しようって…二年前、綾波が日本に帰って来て再会した時…僕はこの子が四つになったら会おうと決めて…会います。今なら僕らは胸を張って『幸せだ』と言えるから。」

「…時間だ。」

「え?何処へ?」

「病院だ…リツコを引き取りに行く。」

「父さん…」

「元気でな…シンジ」

「バイバイじいじ!」

「ああ…」

駅のホーム、電車を待つ私に聞き慣れた声が背中から掛けられた。

「司令…」

「…レイか…」

「私も…行きます…」

「そうか…」

「…幸せって…何です?私…幸せなんでしょうか?」

「…痛みを伴う幸せもある。人はロジックでは表せないのだから。」

「…」

「後悔は無いか?」

「はい。」

「ならば良い…」

私達はホームに滑り込んで来る列車を待つ。その時一陣の風が吹いた。

【終】


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