「…ろくな記事にならねぇな…」

俺は全てを放り出しベッドに臥せ瞼を閉じた。


【君がいるだけで外伝・或る記者の憂鬱(後編) 】

作・何処



ネルフ総司令碇ゲンドウの唯一の血縁、息子の碇シンジの関係者を取材していた俺はあまりに無残な取材結果に腹を立てていた。
だが怒りのやり場すらない田舎のビジネスホテルの一室では酒を浴びる気にもならず只ふて寝をする位しかする事は無かった。


「だから彼は此方には居ないんすよ。」

翌朝、散々苦労して彼…碇シンジを十年に渡り扶養していた人物の特定に成功し、その人物と極秘に接触、単独インタビューに漕ぎ着けた俺はその最悪な結果をビジネスホテルのホールから編集長に電話で口頭報告した。
…別にネットやメールで構わないだろうにこの凄腕のオッサンは必ず口頭での報告を義務付けている。

「何処に居るか位判る筈だよな?そっちはどうだ?」

「駄目ですね、今何処に居るかは私は存じません。の一点張り。ありゃ落とすの骨ですね…」

「骨だろうが何だろうがやるんだよ!それがお前の仕事だろうが!お前はその人物からネタを引き出せ!出張費用は出す!時に後二日やるから兎に角聞き込め!」

「取り敢えずインタビュー生データと取材音源データにそのレポートはメールで送りました。そっちのPCで確認して下さい…ひでぇ内容ですが。」

「はあ?何言ってんのお前?あの碇ゲンドウの息子だぞ!それもエヴァンゲリオンパイロットだ!これ以上の目玉があるか!それにこれも未確認だが使徒戦においてトップスコア出した機体はどうやらそいつのだ。四つの頃から十年掛けてどんな英才教育受けたか知らんが其だけでも十分だろうが!」

「…まあメール確認して下さい…俺はとっとと取材切り上げでヤケ酒浴びたい気分ですよ…」

「…珍しいな、お前が泣き言とはね。」

「ネタ元の発言ですがね、曰く『非凡な処など無い極普通の少年でした。』『エヴァンゲリオンのパイロット?私はそんな事知りません。』挙げ句の果ては『私はシンジ君のお父様と直接お話しした事はありませんわ。』ですとさ。」

「何だそりゃ!?」

「そりゃ俺の台詞っすよ…『パイロットとなれば当然体力、知力共に優れた人物が選ばれた筈。彼はどんな英才教育で育てられ崇高で危険なその任務に参加したのか、その少年を育て、戦いに送り出した養親と自分の息子を一度は捨てながら、戦いへ駆り出した父親はどんな覚悟と思いを持っていたか。』なんて取材申請にゃ書きましたがね…」

「…外れか?」

「多分。ありゃ何も知らんですよ。下手すりゃその少年だって理由も知らずに呼ばれた可能性だって…」

「判った。取り敢えず取材は続けろ。今碇司令の黒ネタは受けが悪い…」

「了解…明日又連絡します…」

そう、こいつはデリケートな問題を孕んでいる。僅か14才の少年をエヴァンゲリオン…対使徒戦に備え建造された汎用人型決戦兵器…に乗せ戦わせたのだ。人権やら何やらの団体に名を借りた妖しげな善意の塊が喧しいのは目に見えている。まるであの昨日取材した連中の様に…。

数時間後、俺は前日アポを取っていた相手と喫茶店で会っていた。

「彼女の義兄に教えていた縁で彼にもレッスンはしましたがまあ才能は並でしたよ。」

目の前の爺さんはでかい楽器ケースを傍らにコーヒーを啜り言葉を続けた。

「…内向的な少年でした。父親とは数年に一度顔を合わせるきり。それも彼の母親の命日にほんの数時間だけだったそうで。それではまあ仕方無いですな。」

「はあ、私もそれは先日その『先生』からお聞きしまして。」

「そうですか…彼の父親からは只来いと一言だけ書かれた一通の手紙が送られただけだったそうです。使徒戦もネルフの事も今初めてお聞きした次第で…私は知りませんでした。と言うより信じられません。」

「…私にゃ正直貴殿方の反応の方が信じられないんですがね。」

「ほう…何故です?」

「ネルフ総司令の息子にしてエヴァンゲリオンパイロット。普通なら関係無い輩まで友人を名乗り、縁無き者まで縁者を騙る物です。所が彼を廻る環境を取材しても皆顔すら覚えていない。人類を護る楯となる崇高かつ危険極まり無い任務に僅か14才の少年が就いていたとは知っていても其が彼だったとは認めないのです。」

「まあそうでしょうな。碇ゲンドウと言う男の一時の叩かれ様からすれば関わりたく無いのが正直な所ではないのでは?」

「しかし僅か四歳で父親に捨てられた少年が十年の後父親の呼び出しに応える…しかもエヴァンゲリオンバイロットとして…一体彼に何が起こり、そして彼は何を考えたのか。貴殿は気になりませんか?」

「さて…」

「僅か四歳で親に捨てられた幼い子を育て、戦いに送り出した彼女の経歴からエヴァンゲリオンパイロットには音感とかそんな物が操縦に必要だったのかとも考えましたよ。そしてその事実を隠匿する為に彼女は彼を匿っているのではともね…」

「馬鹿な…」

「貴殿方が彼を隠す意図が解らないんです。いいですか?碇司令が行方不明な現在、彼に関わりのある人物はネルフ関係者を除けば彼の保護者だった『先生』しか居ないんです。親戚すら不明な彼の頼る相手はもうあの女しか居ない。」

「…彼女を『あの女』などと言う輩とこれ以上話す必要を私は認めない。」

「は?」

「時間の無駄だった。これで私は失礼する。もう二度と連絡も取らないでくれたまえ。」

「え?あのちょっと!?」

金をテーブルに置き席を立つ爺さんに俺は焦った。しまった、相手の感情を刺激して反応を引き出す筈が怒らせ過ぎたか?折角の情報源を!

「ま、待って下さい、わ、私の発言で気分を害されたなら謝ります」

「謝らんで良い、マスコミは所詮マスコミだった。少しでも期待した私が馬鹿だった。」

「彼女はこう言いました、『私はあの少年の仮の居場所』だと。彼女は彼を長年に渡り扶養していた。なのに彼の居場所を知らないとは信じられません。彼の行方が気にならないかと俺は彼女に聞いたんです。」

歩み去る背中に俺は必死に語りかけた。

「彼女はこう答えました。『彼は帰るべき処へ帰りました。彼の人生はこれから始まる。そう思い私は彼を送り出し、彼は未来へ自ら歩いていったのです』と。」

爺さんの脚が止まった。もう一息だ!

「そしてこうも言いました。『私の役目は既に終わっています』と。」

「馬鹿な!彼女はこんな田舎に引き隠る存在では無い!あんな子供の為に人生を棒に振る様な真似を許す訳にはいかん!」

「…どう言う意味です?」

事もあろうにこの爺までもエヴァンゲリオンパイロットをあんな子供呼ばわりだ。俺は逆に怒りから冷静になり爺の言葉を待った。怒りや拒絶の姿さえあればそれだけで十分に記事になる。

「言葉通りの意味だ!」

激昂する爺は俺の様子の変化に気付く事無く怒鳴り続けた。

「あの子供を引き取った時彼女は未だ十代だったんだ!彼女は元フルート奏者だと言う事は知っているな?彼女は天才だった。小学生の彼女の演奏に私は嫉妬したよ。神童…正しく彼女はそれだった。だが彼女を不幸が襲った。彼女が中学生の時だ。彼女の義兄と共に事故に巻き込まれ大怪我で入院、しかも直後のセカンドインパクトで家族全員を亡くし、彼女自身も病院の倒壊に巻き込まれ顔面麻痺と精神外傷が残ってしまった…助かった彼女は哀しみを曲に変えその才能は開花した。間違い無く世界のトップレベルにな!だが数年後再び試練が来た…気肺と言う病を知っているかね?彼女はその病で一時引静を強いられたのだ。だがそれはあくまで一時的な物となる筈だった。無責任なマスコミが再起不能などと叩かねばな!」

爺は泣いていた。

「何故だ!?誰しもが持ち得ぬ才能と若さを持ちながら何故彼女が引退し、儂の様な非才の輩が演奏世界の重鎮などと老醜を晒し居座らねばならんのだ!」

駆け寄る店員を片手で制し、おれはこの哀れな爺さんに肩を貸し奥の席へ戻った。テーブル上の万札を千円札とすり替えながら。

「貴殿が国際的に有名なチェリストである事実は変わりませんよ。」

「貴様に何が判る!復帰の為彼女はリハビリを行い既に回復の目処も立っておった!所があの報道の後彼女は事もあろうか拾った子供と引静してしまった!未だ十代の娘がだぞ!」

確かに彼女の元を訪ねた俺には彼女の若さと非凡な美しさは衝撃だった。エヴァンゲリオンパイロットの養い親と聞いて武道家や教職、或いは研究者を想像していたからだ。

「君より年下、しかも未だ独身の彼女は未だ時間がある。儂の様な老人とは違うのだ。一年もレッスンをすれば再び世界へ羽ばたくだけの勘を取り戻してくれるだろう…つくづく思う。あの少年さえいなければと。」

冷めたコーヒーを流し込み老人は言葉を続けた。

「碇シンジと言う少年は一人の天才の人生を喰い潰したのだよ、その罪無き存在自体が罪なのだ。」

老人の独白を聞きながら俺は彼女の台詞を思い出していた。

『シンジ君は警察に保護された後行き場も無く施設に送られる筈でした。私が彼を引き取ったのはシンジ君のお父様に頼まれたからではありませんわ。』

『雛に羽ばたきを教え、子に一人で立つ事を学んで貰う事です。私は過去の遺物…私は泣いていたシンジ君を自らの孤独を癒す為に引き取った様な物です。ですから貴方が思い描いた様な事は何一つ…ええ、何一つ無かったのです…』

今なら彼女の気持ちが痛い程解る。名家の娘とか天才奏者では無い本来の彼女と言う存在を必要としたのは唯一人、四歳の子供だけだったのだろう。

「…本来守秘義務と言う物からお聞かせする訳にはいきませんが…その一部だけ特別に貴殿にお聞かせします。彼女へのインタビュー時の最後の台詞です。」

「…何?」

俺は記憶媒体からその部分のデータを再生した。鈴の音の様な澄んだ声が流れ出す…

『シンジ君…彼との十年は私には幸福な思い出です。セカンドインパクトでこの家以外全てを失った私にはシンジ君は天から授かった宝物でした。…例え何時か私の元を去ると知っていても。そして彼の去った今でもシンジ君と暮らしたあの時間は私の心の支えであり糧なのです。』

『…それで宜しかったのですか?それにそんな…それだけの理由で貴女は十年もあの少年を?』

『ええ、只それだけです。それで十分でした。』

…再生は終わった。

「馬鹿な…そんな…儂の全てを掛けて育て上げた彼女が…自ら音楽より只の子供…それも他人の子供を取ったと言うのか…」

「それでは私は失礼しますよ…これから又取材な物で。」

レシートを取り席を立ち、会計を済ませ領収書を切って貰い振り返る俺の目には一人の老人が身動ぎもせず呆然と座っている姿があった。

第二新東京から少し離れた田舎町。元別荘地に立つ邸宅は『先生』…彼女のセカンドインパクトで亡くなった両親の遺産。
初めてこの家を訪れた時、こじんまりとしてはいるが立派な造りのその家に俺はエヴァンゲリオンパイロットだった少年の僅かな記録画像に残る面影を重ね、スクープの予感に身を震わせた。そこに孤独に暮らしている一人の女性の事なぞ興味も持たず。

そして俺は彼女と初めて顔を合わせたあの時を思い出していた。

『…私はもう二年近く彼…シンジ君と顔を会わせておりません。』

『…シンジ君が今何処に居るかは私は存じません。』

『…お話は承りました。ですが何度も申し上げた様に私はシンジ君が今何処に居るか知りません。』

あの時俺は苛ついていた。全く表情も態度も変わらない彼女がまるで人形の様に見えたから。
だが彼女はその凍り付いた表情の下誰よりも優しい心で人の裏表を心を痛めながら眺めていたのだ。

俺には新しい目的が出来た。碇シンジと言う少年と彼女を再会させる事。彼女の止まったままの心の時計の針を進めるのは多分彼だけなのだから。

俺は結果の判っている取材を再開する為に次の取材先へ脚を向けた。さて日銭の為に頑張るか!

【終】


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